桜花妖々録   作:秋風とも

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第104話「鬼と賢者と仙人と」

 

「な、なんだよこれ……!?」

 

 突如として幻想郷へと襲い掛かる異常気象。それを前にした霧雨魔理沙は、空を仰ぎつつも思わずそう声を上げていた。

 霍青娥の足取りは勿論の事、今回の『異変』における不明瞭な謎を解明する為に、魔理沙も魔理沙なりの観点で調査を行っていた。今回はこれまでの『異変』と比較して、明らかに何かがおかしい。はっきりとした所まではまだ判らないが、魔理沙の中にもそんな確信めいた感覚が存在していたはずなのに。

 

 まさか。()()()()()()()()()()、その異常性に気づかなかったなんて。

 

「一応今の季節は春、なんだよな……?」

 

 魔法の森。その真ん中に建てられた西洋風の一軒家。『霧雨魔法店』という看板が携えられたそこが魔理沙の自宅である。そして彼女はそんな一軒家の玄関先から周囲の気候を窺っていた。

 魔法の森は基本的に湿度が高く、化け物茸の有毒な胞子が至る所で宙を舞う危険な環境。しかし今は、そんな環境さえも可愛く思えてしまう程の異常現象に見舞われているのである。

 

 季節はもうすぐ春の佳境。にも関わらず、冬の象徴たる雪が曇天から舞い落ちている。それも単なる一過性という訳でもなく、絶え間のない程に。気温も低く、まるで季節が逆転してしまったのではないかと錯覚してしまう程の異常気象。

 しかも、それだけではない。

 

「周囲の霊力が色々とおかしな事になっている……?」

 

 しんしんと雪が降り続く中、周囲の木々や大地から奇妙な淡紅色の霊力が滲み出るように上空へと上昇している。まるで、何かに引き寄せられているかのようだ。

 周囲の霊力が一斉に、かつ規則的に蠢いているのである。それが意味する事は、即ち。

 

「まさか、霍青娥……!? 遂にあいつが動き出したって事か!?」

 

 あくまで推測の段階。けれども十中八九正しい推測であると、魔理沙はそう予感している。

 どんな手段を使ったのかは知らないが、恐らくこれは霍青娥の仕業だ。この淡紅色の霊力は、青娥の手によってどこかへと集められているのだと推測できる。そして春であるのにも関わらず、突如として降り始めた雪。ここまでの状況的証拠が揃ってしまえば、何が起きているのかなんて推測は容易だった。

 

(春が奪われている……? それが青娥の目的なのか……?)

 

 似たような状況は以前にも経験がある。かつて発生した、今や『春雪異変』とも呼ばれている『異変』の一つ。文字通り春を迎えたのにも関わらず、幻想郷の降雪が止まらなかった大異変。多少の差異はあれども、今の幻想郷はまさに『春雪異変』の時と酷似した状況だ。

 最も大きな違いは春の集め方といった所か。『春雪異変』の際は妖夢を始めとする冥界の霊達がせっせと春を集めていたようだが、今回の場合は何らかの術式で春を無理矢理引き寄せているような印象である。

 

 ──しかし、この規模の術式をたった一人で行使しているとはにわかには信じられない。現実として眼前に突き付けられているのだから受け入れざるを得ないが、だとすれば霍青娥とは本当に何者なのだろう。こんな無茶苦茶な術式を行使すれば、最悪の場合あまりの負荷に術者の神経回路が焼き切れてしまう危険性もあるのだが。

 

「……って、今はそんな事を考察してる場合じゃないよな」

 

 一先ず魔理沙は頭を振るい、そして改めて状況を整理する。

 

(十中八九、この春は冥界──と言うか、西行妖に集められてるよな……? 霊夢にも知らせるか? いや、あいつならとっくに気づいて行動を起こしているだろうな……)

 

 真っ先に思い浮かぶのは腐れ縁でもある霊夢の事だが、今回ばかりは間違いなく魔理沙の方が後手に回っている事だろう。霊夢ならもっと早いタイミングでこの異常性に気づき、もっと早いタイミングで行動を起こしていても不思議ではない。

 しかし、そうなると気になるのは妖夢達の事だ。この現象が以前と同様であるのなら、恐らく春は冥界に集められているはず。魔理沙の予想通り、青娥の狙いが本当に西行妖の復活なのだとすれば、妖夢達との衝突は間違いなく避けられない。

 

 ひょっとしたら、魔理沙がモタモタしている間に取り返しのつかない事態に陥っている可能性も──。

 

「ああ! くそっ、やっぱりこんな所で考え込んでいても仕方ないよな……!」

 

 そこまで考えた所で魔理沙は思考を打ち切る。

 考察を続けていても埒が明かない。目の前で明確な『異変』が起きているのだ。今は何等かの行動を起こすべきであろう。

 当てはある。この春が冥界に集められているというのなら、まずはそこに向かってみるとしよう。

 

「……よし、行くか」

 

 愛用の箒を手に取って、魔理沙は改めて足を踏み出す。

 そのまま魔力を一気に籠めて、飛翔を始めようとするのだけれども。

 

「──待ちなさい、魔理沙」

「……えっ?」

 

 不意に声をかけられて、魔理沙は思わず足を止めてしまった。

 聞き覚えのある声。けれども()()()()では、滅多に聞く事のない声である。だって()()は基本的に引き籠ってばかりで、更には虚弱体質で。茸の胞子が取り分け濃い魔理沙の自宅付近など、余程の事がない限り近づく事もないだろうに。

 そんな事を考えながらも魔理沙は反射的に振り返る。するとそこには、今まさに魔理沙が思い浮かべていた少女の姿があって。

 

「…………っ!?」

 

 ──息を呑んだ。

 

「……何? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔して」

「い、いや……! だってお前、何でこんな所に……」

「何でって……。あなたに用があるからに決まってるでしょ? でなきゃ態々こんな所まで来たりしないわ」

 

 怪訝そうな表情を浮かべる少女に訊き返すと、そんな答えが返ってくる。

 魔理沙に用があるから態々こんな所まで来た? 何だそれは。一体どういう風の吹き回しだ。『動かない大図書館』とまで言われている彼女が、どうして今日に限って。

 

「まさかお前、私が借りてた本を直接取り戻しに来たってところか? だったら悪いけど後にしてくれよ。今はそれどころじゃないんだぜ」

「……はぁ。相変わらずの図々しさね。どうしてそんなに偉そうなのかしら」

「何だよ。ちょっと本を借りるくらい良いだろ別に。──って、だからそんな話をしてる場合じゃないんだ! お前も一目見りゃ判るだろ? 幻想郷が大変な事になってるだぞ」

 

 周囲の様子を示しながらも、魔理沙は少女に言い放つ。

 舞い落ちる雪。異常な変化を見せる周囲の霊力。ここまで来ると、最早清々しさも感じられる程に判りやすい『異変』である。そしてその『異変』が霍青娥によって引き起こされているのだとすれば、こんな所で呑気にお喋りを続けている場合ではない。

 

「まぁ、確かに。()()()()にはなっているみたいね」

 

 魔理沙の言葉を聞いた少女が、空を仰ぎつつもそう口にしていた。

 ぶ厚い曇り空から降り注ぐ雪。けれどそんな光景を前にしても尚、少女はあまり動揺していないように見える。冷静さを事欠きつつある魔理沙とは対照的。どうしてそんなに落ち着いているのだろう。

 

「……あなた、私が本を取り返しに来たんじゃないかって言ってたわね」

「え? あ、ああ……。だって、お前が態々私ん家に来る理由なんてそれくらいしか思い浮かばないしな」

「つまりあなたの窃盗で私が迷惑を被っているって自覚はあると? まったく……。本当、図々しいにも程があるわ」

「窃盗だなんて人聞きが悪いな。私は死ぬまで借りてるだけだぜ」

 

 肩を窄めつつも魔理沙がそう告げると、少女は心底呆れた様子で深々と溜息を零す。

 この少女も相変わらずである。あんなにも沢山の本を持っているのだから、一つや二つくらい自分が持って行っても大した事はないだろうに。

 と。そんな割と勝手な事を考えていた魔理沙だったが。

 

「まぁ、()()()()()本を取り返せればと思ってたけど、そっちの件は次の機会に回すしかなさそうね。今回の本題はそこじゃないし」

「……は? どういう意味だよ?」

 

 意外な反応。予想外の言葉を前にして、魔理沙は困惑する。

 本題ではない。彼女は魔理沙が借りた本を取り返しに来た訳ではなかったという事か? だとすれば何が目的だ? 病弱かつ引き籠り体質のこの少女が、態々魔理沙の家まで足を運ぶ理由とは──。

 

「手を貸しなさい、魔理沙」

「えっ……?」

 

 魔理沙の困惑など露知らずとでも言わんばかりに、彼女は不意に言葉を投げる。

 毅然とした面持ち。魔理沙に向けられる彼女の瞳には、いつになく強い真剣さが含まれている。下手な誤魔化しなど許さない。今は黙ってこちらの要求に従えと。そんな凄みさえも感じられる程の緊張感。

 

「さもないと、()()()()()()()になるわ」

 

 力強い言葉。魔理沙は言葉を見失い、ただ少女の圧に押される事しか出来なくなってしまう。

 もっと大変な事になる。言わずもがな、彼女が示しているのは幻想郷の『異変』についてだろう。それはある種の脅し。ここで魔理沙が尻込みすれば取り返しのつかない事になるのだと、彼女はそう言っている。しかもそれは根拠のない出鱈目という訳でもない。

 目を見れば判る。彼女は既に、ある種の確信を得ているのだ。これから起きる“何か”。まるでそれを予見しているかのように──。

 

「お、お前……」

 

 そんな彼女の圧に押されつつも、魔理沙は何とか言葉を繋ぐ。

 

「お前は、一体……。何を、言って……?」

 

 けれど出てくるのは疑問の言葉。疑問を呈さずにはいられない。困惑を抑え込む事が出来ない。

 霍青娥の暗躍。周囲の霊力の乱れ。春に振る雪という異常気象。そして、状況が大きく動き出したタイミングでの()()の言葉。混乱するなと言う方が無理な話である。

 

「お前は……!」

 

 だから魔理沙は問い詰める。

 本当に、とんでもない事が起きてしまうのではないかと。そんな予感をひしひしと感じてしまっているから。

 

「一体、何を知ってるんだ……!?」

 

 魔理沙は言葉を投げ返す。

 毅然とした表情を浮かべる花曇の魔女──パチュリー・ノーレッジに向かって。

 

 

 *

 

 

 伊吹萃香という鬼の少女を一言で言い表すとすれば、奔放である。

 鬼という種族は基本的に豪快かつ真っ直ぐな性格の持ち主が多いのだが、彼女の場合その中でも異端児であると言われている。酒好きで豪快かつ好戦的な性格は鬼らしい特徴と言えるのだが、彼女の場合、些か自由過ぎるきらいがある。マイペースというか、悪く言えば少々自分勝手と言うか。鬼としての矜持は確かに有しているものの、その一方で鬼という枠組みに捉えられないような一面も併せ持っているのである。

 鬼の大半が地底に移り住んだこの幻想郷で、こうして何食わぬ顔で地上を闊歩しているのが良い証拠だ。気紛れに興味の対象が切り替わるのもしょっちゅうで、その点においてはまるで好奇心に忠実な子供のようである。

 

「なぁんだよ。随分と面白そうな事してるじゃないかぁ」

 

 ああ、そうだ。伊吹萃香というこの少女は、昔からこんな感じだった。

 まったく。本当に、彼女はいつまで経っても変わらない。

 

「私も混ぜてくれよぉ?」

 

 いっそ清々しさも覚えてしまう程に、この少女は相変わらずだった。

 華扇は思わず言葉を見失う。まさかこのタイミングで彼女と()()してしまうなんて、思いも寄らなかったからだ。いや、こうして幻想郷での生活を続ける以上、どこで出会ってもおかしくはなかったのだが。けれども()()()、華扇は古い知り合いとの無闇な接触を避けていたつもりである。

 それなのに、よもやこんな形で──。

 

「ん~? 何だよ華扇。久しぶりに会ったのに、そんなしけた顔しちゃってさ」

「え? あっ、いや……」

 

 思わず口籠る。

 そんな華扇を前にして、萃香は怪訝そうに小首を傾げていたが。

 

「まぁいいや。積もる話は取り合えず置いといて……」

 

 萃香は改めて前を向く。

 軽々しくも攻撃を凌がれてしかったキョンシー──宮古芳香を見据え直して。

 

「あんたは一先ずこうっ、かな……!」

「ッ!」

 

 受け止めた拳を強引に引き、もう片方の手で腕を掴んで萃香は芳香を投げ飛ばす。幾らキョンシーである芳香でも、鬼の怪力を前にすればなす術もない。軽々しくも振り回され、背負い投げのような体勢で大きく投げ飛ばされて。

 

「ぐっ……!?」

 

 石畳に叩きつけられる。鈍い音が周囲に響いた。

 相変わらずと言うか、流石の怪力である。あの状態から強引に投げ飛ばすなんて、無茶苦茶な戦い方だ。芳香だって、気を抜いていた訳ではないだろうに。それなのに、あんなゴリ押しを通してしまうなんて。

 

「さて、と」

 

 投げ飛ばされて蹲る芳香の様子を確認すると、萃香は改めてこちらに向き直った。

 品定めするような視線が華扇に向けられる。正直、()()()()()で居心地は最悪な訳だが。

 

「へぇ……。何か印象変わったかぁ? いや、堅物っぽい雰囲気はそのまんまだけど……」

「…………っ」

 

 華扇は黙ったまま目を逸らす。

 ここであれこれ詮索されてしまうと色々と面倒な事になる。下手な誤魔化しは却って墓穴を掘るだけだ。黙秘権を行使するしかない。

 

「華扇さん……!」

「仙人様っ!」

 

 華扇の身を案じた白蓮と神子が駆け寄ってくる。何せあれだけ派手な反撃が飛んできたのだ。彼女らがこんな反応を示してしまうのも仕方がないのだけれども。

 しかし、この状況は少々まずい。伊吹萃香は良くも悪くも好奇心が旺盛な少女なのだ。そんな彼女が、神子や白蓮の反応を目の当たりにしてしまった場合──。

 

「ふぅん……? 成る程ねぇ……?」

 

 ああ。やっぱり、()()()()()になる。

 

「何て言うか、あれだね。あんたってば随分とおかしな事になってるみたいだね?」

「……」

「だんまり、か。つれない反応だなぁ。そんなに険しい表情続けちゃって疲れない?」

 

 余計なお世話だ。彼女が何を求めようとも、こちらとしては委細を説明するつもりはない。

 しかし、こうしてだんまりを続けてもやがては限界が来る。何らかの情報を提示して、少しでも誤魔化さなければ。黙り込んでも恐らく萃香は納得しない。

 ──そう、思っていたのだが。

 

「ふぅ……。まぁいいや」

 

 伊吹萃香は、意外な反応を華扇に見せる事となる。

 

「まったく、仕方ないなぁ。色々と気になる事はあるけどさ、だけど今は聞かないでおいてあげるよ」

「えっ……?」

 

 思わず少し間の抜けた声を上げてしまう華扇。

 聞かないでおいてあげる? 何だ、それは。あの萃香が好奇心を優先させないとでもいうのだろうか。今の茨木華扇は、彼女にとってまさに好奇の塊のような状態になっているというのに。

 しかし困惑する華扇の目の前で、やっぱり萃香は肩を窄めつつも言葉を繋ぎ続けていて。

 

「あんたがどうして()()()()をしているのか……。あんたの反応から察するに、それはあんまり詮索して欲しくないって事だろぉ? で、頑固なあんたは意地でもそれを貫き通そうとする、と……。そんなあんたから無理矢理聞きだそうとするのも骨が折れそうだからねぇ」

「……っ。萃香、貴方……」

「という訳で、私は何も見てないし知らなかった。そっちの方が都合がいいんでしょ? ねぇ、山の仙人様?」

 

 山の仙人様。茶化すように、萃香は華扇の事をそう呼称する。

 まったく。相変わらず、彼女の行動は型破りが過ぎる。まるで読めないというか、想像も出来ないと言うか。

 

「うーん……。まぁ、あれだねぇ。ほら、昔のよしみってヤツ?」

 

 驚いた表情を続ける華扇へと向けて、肩を窄めつつも萃香は補足した。

 昔のよしみ。口調は軽いが、言葉の意味は決して軽くない。勿論、多少なりとも彼女の気紛れは含まれているのだろうけれど。それでも彼女は、華扇の事を気遣ってくれているという事なのだろうか。

 ──型破りな少女だが、やはり彼女も鬼だ。情に厚い一面だって、確かに存在するのかも知れない。

 

「……そうね。そう認識して貰えると助かるわ」

 

 ぶっきら棒気味にそう答えると、萃香は含みのある笑みを向けてくる。けれども彼女は口にした通り、それ以上華扇にあれこれと追求を飛ばしてくる事はなかった。

 助かる。華扇は()()()()になってしまっているけれど、それでも萃香は昔のままで接してくれるというのだろうか。だとすれば何だかちょっぴりこそばゆい。これまで意図的に接触を避けていたのだから、余計に。

 

「華扇さん! 大丈夫でしたか……?」

 

 やがて駆け寄ってきた白蓮にそう声をかけられた。

 軽く身なりを整えて、華扇は彼女に答える。

 

「ええ。問題ありません。ご心配をおかけしました」

「そ、そうですか? それなら良いんですが……」

「間一髪でしたね、仙人様。まさか芳香があの攻撃を凌ぎ切るなんて……」

 

 そんな白蓮にやや遅れる形で追いつく豊聡耳神子。そしてその後ろには、芳香に強烈な突進をお見舞いした竿打の姿も確認できる。少し心配だったが、どうやら竿打も特に大きな怪我等は負っていなかったようだ。芳香に手痛い反撃を食らってしまったのではないかと、内心気が気ではなかったのだが──。元気なようで一安心である。

 ホッと、華扇は小さく息をついた。

 

「あの、ところで華扇さん。そちらの方は……?」

 

 そうなると、白蓮達の関心はやはり萃香の方へと向く事になる。

 自然と言えば自然な流れである。何せ萃香はあまりにも唐突過ぎる闖入者。怪訝な感情を向けられてしまっても仕方がないと言える。

 さて、どう説明するか──等と華扇が決めあぐねていると。

 

「やぁやぁ! 私の名前は伊吹萃香! 山の仙人様とは、まぁ、ちょっとした知り合いでねぇ。何だか苦戦してるみたいだったから、手を出させて貰ったよぉ」

 

 華扇の言葉を待つよりも先に、萃香が自己紹介を始めてしまった。

 どうやら彼女も華扇との関係性はぼかしてくれるらしい。酔っぱらった勢いで余計な事を口走るのではないかと思ったが、流石に自制してくれているようだ。

 ここは彼女の話に乗っかった方が良さそうである。

 

「成る程……。私は聖白蓮です。華扇さん、鬼のお知り合いがいたんですね」

「……ええ。まぁ、妖怪の山で生活している以上、多少なりともは」

「今や鬼の殆どが地底に移り住んじゃったけどねぇ」

 

 ケラケラと笑いながらもそう語る萃香。同族の事なのに、そんな軽いノリで良いのだろうか。やっぱり酒の酔いが変に回っているのかも知れない。

 

「ちょ、ちょっと……! 中途半端に、置いてかないでよぉ……!」

 

 ──と。そんなやり取りを萃香達と交わしていると、不意に聞き覚えのない少女の声が流れ込んで来た。

 華扇達は揃って視線を向ける。そこには声の主であろう、フラフラとした足取りの少女の姿が確認できる。ショートボブの髪型に、水色を基調とした衣服を身に纏った少女。そして何故か紫色の大きな傘を片手に持ち歩いている。何とも疲労困憊な様子だが、一体何があったのだろうか。

 そんな彼女の姿を確認した萃香は、「あっ……」と声を漏らして。

 

「しまった。あんたの事忘れてた……」

「忘れてたッ!? 酷くない!? 無理矢理引っ張ってきたのあなただよねッ!?」

「いやぁ、あっはっは! 悪かったって。ほら、事は一刻を争うって感じだったじゃん?」

「だったらもうちょっと優しく手放してよ! 半ば投げ捨てられるような形だったよね私!?」

 

 可笑しそうに笑う萃香へと向けて、傘を持った少女は抗議の声を上げる。どうやら大層ご立腹のようだが、彼女は萃香の知り合いだろうか。見た感じ妖怪の類──恐らく唐傘お化けと呼ばれる付喪神の一種のようだけれど、鬼を相手にここまで物怖じしないのも大したものである。

 と、華扇が少し呆気に取られていると。

 

「おや? 小傘さん?」

 

 反応を示したのは白蓮だった。小首を傾げつつも、唐傘お化けの少女に言葉を投げかけている。

 小傘、というのがこの少女の名前なのだろうか。白蓮に名を呼ばれた彼女は、何ともバツが悪そうと言うか、居心地が悪そうな表情を浮かべていて。

 

「あ、あー……。えっと、その……こんにちは……?」

「はい、こんにちは。あっ、ひょっとして参拝ですか? だとしたらごめんなさい。ご覧の通り、今はちょっと立て込んでまして……」

「い、いや! 今日はたまたまた通りかかっただけだから! うん、そう、たまたま……」

 

 比較的穏やかな様子の白蓮とは対照的に、小傘と呼ばれた少女は若干しどろもどろな様子である。何か疚しい事でも考えていたのだろうか。

 そんな小傘と白蓮の様子を眺めていた萃香は、何やら興味深そうな表情を浮かべていて。

 

「へぇ……。あの子、小傘って名前だったのか」

「え? 名前も知らなかったの……?」

 

 まさかの事実が飛び出した。あんな風に軽々しくつるんでいたのだから、てっきり知り合いか何かかと思っていたのだが。

 

「いやぁ、私もついさっき偶々見かけただけなんだよねぇ。で、物陰からあんたらの事を興味深そうに眺めてたから、ついでに一緒に連れてきちゃった」

「……な、成る程」

 

 つまりあの少女、先程の様子から察するに半ば無理矢理萃香に連れてこられたという事なのだろうか。野次馬心か何かが働いてしまっていたのかは判らないが、彼女も災難である。よりにもよって、萃香に目を付けられてしまうなど──。

 

「──皆さん。自己紹介も良いですが、今は程々にしましょう。芳香はまだ無力化出来ていませんから」

 

 凛と、一際響く女性の声。豊聡耳神子が改めて場を引き締めたのだ。

 場に緊張が走る。そうだ。今はまだ気を抜くべき状況ではない。事態は未だ解決などしていないのだから。

 

 華扇達は改めて芳香の姿を見据える。萃香によって華扇への反撃を防がれてしまった彼女だが、何やらフラフラと覚束ない足取りで立ち上がっている。

 相も変わらず無感情な印象の表情を浮かべているが、どうにも身体がいう事をきかなくなってきている様子。先程までと比較して、明らかに不安定な様子となっていて。

 

「……ダメージを負っている? 萃香の攻撃で……?」

「いや。違うと思うよ」

 

 華扇の呟きに対し、答えたのは萃香だった。

 酒に酔っているようで、その実彼女の洞察力は鋭い。妖力の扱いにも長けている彼女は、相手の『能力』を察知する事に関しても敏感だ。

 

「多分だけど、あんたら三人の弾幕を受けてもあのキョンシーが反撃出来たのは、あいつが持っている『能力』が原因じゃないのかなぁ。霊力の高まり方から察するに、周囲の霊力やら魔力やらを取り込む事の出来る『能力』……かな。で、そんな力の塊とも言えるあんたらの弾幕を一部()()()事で、攻撃を凌ぎ切ったんだと思うよ」

「成る程。確かに、その可能性は考えられるわね」

「そうそう。でも流石にあんたらの霊力を丸ごと全部食べ切る事なんて出来やしない。キャパシティオーバーだよ。それでも一時的にでも弾幕を凌ぎ切る事を優先したんだろうねぇ。無理矢理にでも霊力を食らって、その霊力を利用して華扇に反撃して……。だけどあいつは限界だった」

 

 未だ立ち姿が不安定な芳香を見据えつつも、萃香は続ける。

 

「要するに、今のあいつは霊力を過剰に摂取し過ぎて、激しく()()()()()感じかなぁ。その上、一時的に凌ぎ切ったとは言え攻撃を完全に無力化出来た訳でもないし、当然ダメージだって身体に蓄積している。その反動が一気に襲い掛かってきたんだろうねぇ」

 

 華扇達が仕掛けた波状攻撃を凌ぎ切ったかのように見えた芳香だったが、その実かなり無茶な手段を用いていたのだろう。華扇への反撃だって決死の一撃で、彼女にとっても諸刃の剣。そんな攻撃さえも闖入していた萃香に防がれてしまったのだから、既に万策尽きたも同然である。

 

 けれどそんな状況に追い込まれても尚、芳香は立ち上がり続けている。自分の身がズタボロになろうとも、まるでそんな事などお構いなしだとでも言わんばかりに。

 本当に。本当に彼女は、ただ青娥の命令に従うだけの傀儡となってしまったのだろうか。──人間の死体を、こんな風に操って。ここまで非人道的な暴挙に及んでまで、青娥は一体何を成し遂げようとしているのだろうか。

 

「霍青娥は、やっぱりあの子をただの道具としか見ていないの……?」

 

 華扇は思わず呟く。

 今はただ、怒りや憎しみ等よりも悲しみの感情の方が強い。どうしてこんな事になっているのか。一体何が彼女達を突き動かしているのか。その根本的な原因は、十中八九楽し気な内容などでは決してない。吐き気を催す程に、酷く陰惨で醜悪な真実が待ち受けているのかも知れない。

 そう考えると、何と言うか。やっぱり()()()のだ。

 彼女を。宮古芳香の本質を、知っているからこそ──。

 

「道具……」

 

 呟きが耳に届く。発したのは、小傘と呼ばれた唐傘お化けの少女だ。

 付喪神である彼女だからこそ、ある種の道具のように扱われる芳香の姿を見て何か思う所があるのかも知れない。複雑そうな表情を浮かべて、彼女は芳香を見据えている。

 

 道具、などと表現してしまったけれども。道具だとしても、あの扱い方は少々度が過ぎているのではないだろうか。あんなにもボロボロになっても尚、戦わせようとするなんて。

 

「芳香を止めないと。このままじゃ……」

「ですね。先程の波状攻撃は有効だった訳ですし、もう一度あれを仕掛けますか?」

 

 提案してきたのは神子だ。

 確かに彼女の言う通り、反撃こそされたものの華扇達の攻撃は有効だった。現に芳香は霊力を吸収しきれず、今も尚激しく酔ったような状態のままである。もう一度あの攻撃を仕掛ければ、今度こそ無力化出来るのかも知れないが。

 

「やめといた方が良いんじゃない? 確かに押し切れるかもだけど、それでもあいつはさっきと同じようにあんたらの霊力を吸収しようとするだろうねぇ。キャパシティはとっくに限界を迎えているのにさ。それでも無理矢理にでも()()()()()()した場合、あのキョンシーはどうなると思う?」

 

 萃香がそんな事を聞いてくる。

 彼女が何を言いたいのか、そこまで説明されれば紛れもない程に明らかだ。

 

「……()()、するでしょうね」

 

 その事実を、華扇は口にする。出来る限りの平静を、必死になって保ちながら──。

 普通、幾ら『能力』を持っていようともそこまで過剰に霊力を吸収したりはしない。どこかのタイミングで必ず身体のリミッターが発動するからだ。それは理性あるものにとっての、ある種の本能のようなもの。

 けれども相手はキョンシーだ。術者にとっての操り人形。そんな理性など、残っているはずもなく。

 

「そうなると、これ以上あの子に弾幕を放つのは危険、という事ですか……」

「……っ」

 

 白蓮のそんな言葉が、嫌でも脳裏に響く。

 彼女の言う通りだ。これ以上、芳香に対して弾幕は使えない。華扇達の目的はあくまで芳香を止める事であって、彼女を木っ端微塵にする事ではない。

 確かに彼女は死体だ。生きた人間などではない。だからそれ故に、遠慮なんていらないのかも知れないのだけれども。

 しかし、だからこそである。

 既に生命を散らしているのだからこそ、彼女が得るべきは安寧だ。これ以上、彼女をこんな形で現世に縛り続けるべきではない。

 

 眠らせてあげるべきなのだ。

 出来得る限り、安からかな形で──。

 

「はぁ……。まったく、つくづく世話が焼けるなぁ」

 

 溜息交じりの萃香の声。彼女の発した言葉によって、華扇の思考は打ち切られた。

 やれやれとでも言いたげな面持ち。肩を窄めて嘆息して、しかしだからと言って嫌味っぽさは感じられない。仕方がないから諦めた。けれど満更でもない。そんな雰囲気を、萃香は醸し出していて。

 

「霊力やら妖力やらを使うのがマズいって言うんなら、話は簡単だろぉ? 要するに、単純な腕っぷしだけで捻じ伏せちゃえば良い」

「それは、そうだけど……」

「という訳で、後は私に任せなよ」

「えっ……?」

 

 口にしつつも、萃香は一歩前に出た。

 華扇は思わず呆けたような表情を浮かべてしまう。何と言うか、萃香の発した言葉がちょっぴり予想外で。だからその真意を紐解くのに時間がかかってしまって。

 そんな華扇を余所に、萃香は改めて芳香の姿を見据え直した。

 

「私だったら、妖力を使わずともあのキョンシーを捻じ伏せる事が出来る。あんただって知ってるだろぉ? 仙人様?」

「た、確かにそうかも知れないけど……。でも、良いの?」

「……は? なに、その反応?」

「だ、だって……。まさか貴方が素直に協力してくれるとは思わなかったから……」

 

 自由奔放な萃香が、ここまで華扇の意思を汲み取ってくれるとは珍しい。今日の萃香は、つくづくどういう風の吹き回しだ。昔馴染みとは言え、華扇とはもう何年も会っていなかったはずなのに。

 華扇がそんな言葉を零すと、萃香はバツが悪そうに頭を掻く。そしてぐいっと、瓢箪の酒を一口呷ると。

 

「ん……。いや、ほら、幻想郷って、今や殺し合いはご法度な訳じゃん? まぁあいつはキョンシーだし、既に死んでる訳だけどさ、それでもあんまり無茶苦茶な事すると霊夢にもどやされそうだしねぇ」

「霊夢、ね……」

「そうそう。それにほら、あんたって一度ヘソを曲げたり落ち込んだりすると物凄く面倒くさいじゃん? だからそうなる前にご機嫌を取っておこうと思ってね」

「……それ本人に向かって言う事かしら?」

 

 何やら色々と言葉を並べているが、ある種の照れ隠しだろうか。

 ひょっとしたら自分は、萃香の事を少し誤解していたのかも知れない。交流をしなくなってからこの長い年月の間に、萃香だってその心境に変化が訪れていたのかも知れない。

 この、優しくも残酷な楽園に身を委ねるうちに。彼女もまた、()()された者の一人だと言う事か。

 

(萃香……)

 

 何はともあれ、彼女には素直に感謝である。

 こうして、こちらから何も言わずとも華扇の意思を尊重してくれたのだから。

 

「では、萃香……と言いましたっけ? 芳香の事は、君にお任せしても?」

「おうよ! 鬼の怪力、あんたらにも見せたげるよ」

「あの、萃香さん。念の為お願いしますが、くれぐれも……」

「判ってるって。やり過ぎるなって事だろぉ? 心配ご無用! 私をただの酔っ払いと一緒にしないで欲しいなぁ」

 

 神子や白蓮とそんなやり取りを交わした後に、萃香は芳香へと歩み寄って行く。

 ボロボロになりながらも、未だ臨戦状態を解かない芳香と対峙して。

 

「さぁて、ひと暴れしますか!」

 

 ぎゅっと、萃香は両手で拳を握るのだった。

 

 

 *

 

 

 白玉楼の正門前。そこで紫が初めて対峙した霍青娥という邪仙は、話に聞いていた通り禍々しい霊力をその身に纏っていた。

 警戒心を高めつつも、紫は青娥を睥睨する。内面からふつふつと湧き上がる怒りにも似た感情を、彼女は抑え切る事が出来ない。感情が昂っている。心臓の鼓動だって早い。

 

 だって、彼女は。霍青娥というこの邪仙は、踏み込むべきではない領域まで足を踏み入れてしまった。

 一線を越えたのだ。故に紫も、これ以上の傍観を続ける訳にはいかない。

 

「あらあら」

 

 憤りを醸し出す紫とは対照的に、青娥はにこやかな表情を浮かべている。

 まるで、この状況を楽しんでいるかのように。

 

「これはこれは、ようやくご登場ですか。お初にお目にかかります、八雲紫さん」

 

 ペコリとお辞儀をしつつも、青娥はそんな事を口にする。

 その態度は慇懃無礼。誠意を見せているのはうわべだけだ。腹の内では何を考えているのか判らない。

 そう、読み取れないのだ。一体どんな考えを抱き、何が目的でこんな『異変』を引き起こしたのか。その根本が、彼女からはまるで見えてこない。決定的な何かが欠落してしまっている。この邪仙から受けるのは、そんな漠然とした印象のみ。

 

 出来る限りの冷静さを装って、紫は答えた。

 

「……こちらこそ、お初にお目にかかりますわ。貴方の噂はかねがね聞いています。何でも、無理非道な邪仙なんだとか」

「うふふ……。無理非道なんて、これまた無遠慮な通称ですね。私はただ、私にとっての最善を追求しているだけですのに」

 

 青娥はくすくすと笑う。紫の皮肉な言葉などまるで効果なしである。

 この邪仙。どうやら噂通りの飄々とした人物であるらしい。まるで雲のように掴み所のないような印象だ。ほんの少し言葉を交わした程度では、何を感じているのかさえも察する事が出来ない。

 紫は眼光を鋭くする。一瞬たりとも、青娥をその視界から外さぬように。

 

「貴方にとっての最善……。それがこの形、という事ですか。幻想郷を好き勝手に引っ掻き回し、春を掻き集め、そしてそれをこの冥界へと()()()()にでも持ち込む。それが何を意味するのか、貴方は理解しているの?」

「ふふっ。愚問ですね。意味も分からずそんな事をする訳がないじゃないですか」

 

 青娥は両手を掲げる。

 淡紅色に染まる冥界。春が集中する西行妖。花を咲かせ始めている妖怪桜を大袈裟気味に示して、彼女は言葉を紡ぎ始めた。

 

「西行妖は人を死に誘う妖怪桜です。──今から千年以上も前、数多の人々の生と死を糧にして、その“力”を絶大なものへと変貌させました。しかしその後に何らかの封印を施され、有した“力”ごとその身を封じられてしまいます。故に今の西行妖は、春になっても花を咲かせない枯れ大木としてそこに鎮座するのみ。まるで枯死してしまっているかのように、深い眠りに落ちてしまっているのですね」

 

 どこか哀れむような表情で、青娥はそう語る。

 西行妖。白玉楼に存在する巨大な妖怪桜。それに対する青娥の認識は、概ね正しいものである。

 

「しかしそんな妖怪桜の封印が解れかけた事がありました。それが所謂『春雪異変』。白玉楼の主である西行寺幽々子さんが、興味本位で引き起こした『異変』ですね。その時は防がれてしまったようですけど……。けれど彼女の発想は決して悪くはなかった。幻想郷から掻き集めた春は、確かに西行妖を復活直前まで導く事に成功したのです」

 

 春雪異変。あの異変は、紫にとっても強烈なイメージとして記憶に残っている。

 まさか自分が冬眠している間に、幽々子がそんな発想に到ってしまうなんて。霊夢達が動いてくれなければ、どうなっていたか判らない。

 

「……よくご存じのようですね、西行妖の事を。でもそこまで調べ上げているのなら判るはずよね? 貴方の取った行動が、結果としてどんな影響を及ぼすのか」

 

 ──そう。

 ()()()()()。西行妖の封印が、解かれてしまうのだけは。

 

 しかし。

 

「西行妖はあまりにも危険すぎる存在です。復活してしまったら最後、再び強烈な“死”が振り撒かれる事となるでしょう。そんな事になってしまったら……」

「だから、良いんじゃないですか」

「……なんですって?」

 

 紫の言葉は青娥によって遮られる事となる。

 それは、命ある者としてはあまりにもそぐわない、ある種の狂想とも言える言葉。

 

「強烈な“死”……。私が真に求めているのは、まさにそれなのですよ」

「どういう意味? 貴方達仙人にとって、死は最大の天敵なのでしょう? にも関わらず、自らそれを求めるなんて……」

「おや? 判りませんか? 貴方は実に聡明な賢者様だと聞いていたのですが、認識違いだったかしら?」

 

 霍青娥は肩を窄める。

 やれやれとでも言わんばかりに、彼女は再び言葉を繋いだ。

 

「確かに死は私達にとって最大の天敵ですよ。ええ、それはそれは憎たらしい程に。故に私達仙人が直面する最も大きな課題は、迫り来る死から免れる事です。それが達成できなければ、真理を探究する事さえもままならないのですからね」

「それなら、尚更……」

「故にこそ、必要なのですよ。確実に死を超越する為の手段が」

 

 青娥は語る。

 紫の動揺などお構いなしだとでも言わんばかりに、どこまでも一方的に。

 

「目には目を。歯には歯を。そして死には“死”を、ですよ?」

「っ。貴方、まさか……!」

「そう、そのまさかです八雲紫さん。西行妖が内包する、絶対的な“死”という概念……。私はそれを以てして、真の意味で死を超越するのです」

「なっ……」

 

 あまりにも突拍子もない青娥の言葉を前にして、紫は思わず言葉を見失った。

 ──この邪仙。本気でそんな事を成し遂げられるとでも思っているのか? 絶対的な“死”を以てして死を超越する? つまり彼女は、西行妖に内包された“死”そのものを意のままに操ろうとでもいうのだろうか。

 馬鹿な。そんな事、成し遂げられる訳がない。“死”を使って死を超越するなど、あまりにも酔狂な考え方だ。正気の沙汰とは思えない。

 

「ふふふっ。それにしても、本当に素晴らしい力ですね。まだ五分咲き程度なのに、西行妖は既に高い質の霊力を放ち始めている。このまま満開に花を咲かせれば、果たしてどんな力を見せてくれるのでしょう……? ますます楽しみになってきました」

 

 何だ。

 何なんだ、この女は。

 

 どうしてこんなに楽しそうなんだ? どうしてそんな笑顔を浮かべられる? いや、その理由は至極単純。彼女は何も知らないからだ。

 知ったような口を利き、理解したつもりになって。たったそれだけの浅知恵で、彼女は西行妖を利用しようとしている。──幻想郷という楽園のルールを、躊躇なく踏み躙り尽くした上で。

 

「……話にならないわ」

 

 ふつふつと煮えたぎる怒りが、際限なく高まってくる。辛うじて表層に保たれていた冷静ささえも、呆気なく崩れ落ちていった。

 感情が乱れる。我慢が、出来なくなる。

 

「貴方がこれまでに及んできた暴挙は、あまりにも目に余るものだった。幻想郷中を巻き込んで、利用するだけ利用して。その上、霊夢との弾幕ごっこさえも踏み躙った。言葉巧みに戯言だけをつらつらと並べて、貴方はこの楽園のルールを冒涜した」

 

 言葉を繋ぎつつも、身体中から勝手に妖力が滲み出てきて。

 

「絶対的な“死”を以てして死を超越する? 笑わせないで」

 

 感情の昂りが、いよいよ抑えきれなくなって。

 

「貴方は何も知らない。貴方は何も分かっていない。貴方は何も理解出来ていない。貴方は何も得られていない。貴方はどこに辿りつけていない」

 

 紫の周囲の境界が、不安定になってきて。

 

「今の貴方は、幻想郷にとって害にしかなり得ない存在よ。だから──」

 

 妖力が、際限なく膨れ上がってきて。

 その、直後。

 

「──そんなに死を求めているのなら、私がプレゼントしてあげる」

 

 境界が、()()()

 何もなかった空間が避ける。まるで刃物か何かで斬り割かれたかのように、突如としてスキマが出現する。それも一つや二つなどではない。無数。八雲紫を中心として、次々とスキマが()()しているのだ。

 おどろおどろしく、そして禍々しい印象のスキマ。その中から覗くぎょろりとした無数の瞳が、一斉に青娥の姿を捉えて離さない。底の知れぬ殺気を振り撒き、抑える素振りすらも見せずに妖力を溢れさせて。

 

 その刹那。

 一瞬の発光を経た後に、空間に裂かれたスキマから大量の妖弾が青娥に向けて放たれた。

 

 強烈な弾幕。それは、スペルカードルールに則った魅せる為の弾幕などではない。相手を排除する。ただそれだけを最優先に考えた、殺す為の弾幕。遠慮も手加減も含まれていない。昂った感情を、そのまま攻撃に転換しているイメージで。

 

「へぇ……?」

 

 関心したような青娥の声。その直後、爆音が轟く。

 無数のスキマから放たれた妖弾が、一斉に青娥へと着弾する。並みの妖怪やちょっとした人間程度なら一撃で屠れる程の弾幕だったが、しかし青娥に動揺は見られなかった。

 弾幕が着弾する直前。手を掲げた青娥の周囲に、物理的な結界が展開されるのが確認出来た。恐らくこの攻撃では、彼女にダメージは殆ど与えられてない。

 

 そんな紫の予想通り、けろりとした様子で青娥は攻撃を凌ぎ切るのだが。

 

「おやおや、いきなり攻撃ですか。まったく、容赦がない──」

「──魍魎」

 

 間髪入れずに、紫は次なる行動に転じる。

 青娥の言葉など、まるで聞く耳も持たなかった。

 

「『二重黒死蝶』」

 

 放出された妖力が、青娥の周囲で具現化される。単に無数のスキマから妖弾を放った先程の攻撃とは異なり、今度は青娥を取り巻くように周囲に妖弾を拡散させた。

 逃げ道を塞ぐ。上下左右、そして前と後ろ。どの方向に飛び退いても紫の弾幕から逃れる事は出来ず、このタイミングでは着弾を許す他に道はない。彼女の取れる行動はただ一つ。先程と同じように、物理的な結界を用いて攻撃を凌ぐことのみ。

 

「……この程度じゃ私を下す事なんて出来ませんよ?」

 

 挑発するような青娥の口調。しかし紫の予想通り、彼女は再び物理的な結界で攻撃を凌ぐ事を選択するつもりらしい。

 優先するのは防御。その間はどうしても動きを止めざるを得なくなってしまう。

 ──紫の狙いはそこだ。

 

「──っ」

 

 青娥が防御に専念しているその隙に、紫は強い妖力を込め始める。

 渾身の一撃をお見舞いする。青娥がこちらを侮っているのなら、存分にその隙を利用させて貰う事にしよう。容赦などしない。確実に仕留める。

 

「ほら、私には届かな……」

 

 飄々とした様子だった青娥の言葉が止まる。紫の取った行動を前にして、流石に意表を突かれたらしい。

 青娥が魍魎『二重黒死蝶』に気を取られている隙に、紫は次なる攻撃の準備を続けていた。そしてこのタイミング。時間稼ぎはもう十分。あとは()()を、彼女のぶつけるだけ。

 

「廃線──」

 

 紫の背後には、これまでとは比べ物にならぬ程に巨大なスキマが出現していた。

 紫の背丈の倍はある程に巨大なスキマ。空間が大きく縦に裂け、最早それは隙間と言うより大穴と表現すべき程である。そしてそんなスキマから姿を現すのは──巨大な箱。

 ──否。それは箱などではない。縦長の箱状の形をしたそれは、全身が鋼鉄で形作られた巨大な()()()である。外の世界では一般的。けれども幻想郷では目にする事のない代物。本来ならば、人や物を運送する為に利用されるようなもの。

 

 ()()だ。

 けれども当然、紫は本来の用途の為にこの列車を召喚したのではない。既に廃線となり、外の世界でも忘れ去られた車体の一つ。紫の妖力を多量に流し込まれたそれは、最早ある種の凶器としても十分に成立する。

 

「『ぶらり廃駅下車の旅』」

 

 召喚した列車が動き出す。本来ならば線路の上を走行するように設計された乗り物だが、今やそんな常識などこの列車には当てはまらない。

 瞬間的に速度を上げ、突進する。狙うは当然、霍青娥。強大な重量を持った鉄の塊に突撃されれば、例え仙人だろうともただでは済まないだろう。しかも青娥は既に回避するタイミングを失っている。その上これまでの単純な弾幕とは違い、物理的な結界を張ろうとも完全に凌ぎ切る事は不可能。

 

 終わりだ。

 躱せるものなら躱してみるといい。

 

「これは──」

 

 青娥の呟きが流れ込んでくる。直後、激しい衝突音が周囲に轟いた。

 紫が召喚した列車は、確かに青娥を捉えていた。飛び退いた様子もない。間髪入れずに繰り出された紫の攻撃は、反撃に転じる余裕さえも青娥には与えなかったのだ。あまりにも一方的。真正面からぶつかれば、その戦力差は歴然である。

 

 ──だが。

 

「……っ。え……?」

 

 廃線『ぶらり廃駅下車の旅』。回避するタイミングを失った青娥は、この一撃で戦闘不能にまで追い込まれるはずだった。まともに食らえばひとたまりもない攻撃。それを青娥は真正面から受けざるを得なくて、その時点で詰みであると。紫はそう読んでいたのだが。

 しかしどうやら、この邪仙は想像以上にしぶとい存在であるらしい。

 猛スピードで暴走する列車。その進路上から逃れ切れない霍青娥。例え物理的な結界を張ろうとも、妖力を身に纏った列車が相手では敢え無く轢かれて終わりだと思っていたのだが。

 

 けれども、違う。

 やられたのは、()()()()だ。

 

 轟く衝突音。それとほぼ同時に、車体に巨大な大穴が開けられたのである。

 単に結界で攻撃を凌がれたのではない。列車の正面から車体を切り抜かれ、物理的に穴を開けられたようなイメージ。想定していなかった力の介入により、突進する列車の勢いは著しく減衰。そのまま大きく転倒し、地面を抉った。

 轟音。紫が召喚した列車の方が、酷く悲惨な状態となってしまっている。当の青娥は猛進する列車との直撃を、()()()()()という形で免れていて。

 

「ふっ……。ふふっ……」

 

 激しく横転する列車。その傍らで、青娥は佇み続けている。

 結っていた髪は解かれて、片手に持つのはかんざし代わりの鑿。流石にダメージがゼロという訳ではなさそうだが、それでも致命傷を受けているような様子は見られなかった。

 何が面白いのか、青娥はくすくすと笑っている。手に持った鑿を、くるくると弄びながら。

 

「少し、危なかったですね。まさかこんな攻撃をしてくるなんて」

「どうして無事なの? ──なんて、聞くまでもなかったわね」

 

 紫はチラリと青娥の手元を一瞥する。

 あの鑿。恐らくあれこそが、攻略の糸口。

 

「列車に大穴が開けられている……。成る程、それが貴方の『能力』という訳ね」

「ご名答。『壁をすり抜けられる程度の能力』です。今回は有効活用できましたね。助かりました」

 

 成る程。文字通り、それこそ物理的に壁をすり抜ける事の出来る『能力』か。恐らく多少強引でも“壁”と定義できるものなら効力を発揮する『能力』で、今回はそれを応用して列車との正面衝突は避けられたという事だろう。

 それでもダメージを完全に無力化出来ていない理由は、廃線『ぶらり廃駅下車の旅』が単に列車をぶつけるだけの攻撃方法ではなかった為だ。──スキマの中で蓄積させた妖力の塊を、乗客替わりに詰め込んだある種の妖怪列車。物理的な壁をすり抜ける事は出来ても、妖力の塊まで躱す事は出来ないはずだ。

 

 故に、そのダメージ。

 それでもかなり威力を減衰させられてしまったようだが。

 

「それにしても、本当に慈悲も容赦もありませんねぇ。あまりにも一方的な連続攻撃……。憎しみや憤りを隠す素振りすら見せていない」

 

 衣服の汚れを払いつつも、青娥がそんな事を口にする。

 

「うふふ……。怖い怖い。私を殺すつもりなのですか?」

「ええ。殺すわ」

 

 即答。

 横転した列車をスキマの中に押し込みつつも、紫は答える。

 

「言ったでしょう? 今の貴方は、幻想郷にとって害にしかなり得ない存在だもの」

 

 紫は再び妖力を展開する。スキマを開き、次なる攻撃へと転じる準備を始める。

 殺す。そうだ、これ以上、この女を好き勝手に行動させる訳にはいかない。このまま彼女を放っておけば、本当に幻想郷のパワーバランスが崩れてしまう。故に紫が介入してでも、調()()しなければならないのだ。

 

 そして、それ以上に。

 西行寺幽々子。大切な親友に手を出した事への報いは受けて貰わなければならない。直接的ではない。けれど()()()()()()春を集めて西行妖を復活させようとした時点で、報復を受ける理由は十分なのだ。

 

 だから、排除する。

 この邪仙は、危険だ。

 

「ふぅ……」

 

 再び増殖していくスキマ。そんな様子を眺めながらも、青娥は嘆息する。

 戦力差は歴然。それなのに、どうして彼女は未だ余裕そうなのだろう。どうして冷静さを事欠いていないのだろう。防戦一方。このままではジリ貧。勝ち目なんて、どこにも見当たらないはずなのに。

 

「あらあら……。本当に、私を殺すつもりなのですね?」

 

 判らない。彼女が何を考えているのか、紫の頭脳を以てしてもまるで理解する事が出来ない。

 

 でも。最早この際、そんな事などどうでもいい。

 彼女が何を考えていようとも、彼女が何を思っていようとも、彼女が何を感じていようとも。紫が移す行動は、最早一つしかいないのだから。

 

「これ以上の抵抗は無駄よ。貴方は私には勝てない」

 

 妖力が際限なく高まっていく。

 今度こそ、確実に彼女を仕留める為に。

 

「だから、せめて……。出来得る限り美しく、そして残酷に」

 

 青娥の周囲をスキマで囲む。

 逃げ道なんて用意しない。爆発させた妖力を、全てのスキマに循環させて。

 

「絢爛に散り逝きなさい」

 

 『深弾幕結界-夢幻泡影-』。

 八雲紫の極意(ラストワード)が、周囲の空間を飲み込んだ。


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