桜花妖々録   作:秋風とも

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第99話「首謀者」

 

「これは、何と言うか……」

 

 進一が目を覚ましてから、しばらくして。

 改めて妖夢達と対面した古明地さとりの第一声が、それだった。

 

「今まで以上に、甘々な心模様ですね……」

「あ、甘々、ですか……?」

「ええ。先程も大概でしたけど、まさか更にその上を行くなんて……。私が最近読んでる恋愛小説の展開並みに甘々ですよ。冗談抜きで、胸やけと胃もたれまでも覚えてきました……」

「そこまでですか……!?」

 

 それは些か誇張が過ぎるのではないだろうか。

 まぁ、妖夢と進一の心境が多少なりとも変化した事は間違いないのだろうが──。

 

「でも……。うん、そうですね」

 

 大袈裟気味なリアクションを取っていたさとりだったが、第三の眼(サードアイ)で妖夢達を改めて見据えて気を取り直す。

 それは優し気な微笑み。心を読む事の出来る彼女が相手であるならば、何も言わずとも妖夢達の状況は伝わっている事だろう。

 

 さとりは小さく頷くと、

 

「ええ。判ります。……進一さん。生前の記憶が戻ったんですね」

「……ああ」

 

 答えたのは進一だ。

 先ほどまでのような不安定な様子など、今の彼からは伝わってこない。揺らぎのない想いをその胸に抱き、彼は真っ直ぐに前を見据える。

 

「あんたのお陰だ、さとり。あんたの助力があったからこそ、俺はこうして記憶を取り戻す事が出来た」

「……いえ。私は殆ど何もしていませんよ。貴方が記憶を取り戻す事が出来たのは、ひとえに貴方自身と、そして妖夢さんの想いがあってこそです。私はただ、ちょっと貴方の心の内を覗き見ただけですから」

「それでも、さとりの言葉がなければ俺は自分の内面にすら気づけなかったかも知れないんだ。だから礼を言わせてくれ」

 

 そこで改めて進一はさとりへと向き直る。

 誠心誠意が籠った言葉。頭を下げて、進一はそれをさとりへと伝える。

 

「ありがとう。あんたには世話になった」

 

 いきなり頭を下げられるとは思っていなかったのか、一瞬さとりは面食らったような表情に浮かべる。けれどもちょっぴり余裕を失ったのも一瞬だけ。すぐにまた普段通りの眠たそうな表情に戻る。

 まぁ、ほんの少し呆れたような雰囲気を醸し出してはいたが。

 

「まったく……。何と言うか、貴方も大概生真面目ですね」

「……そうか?」

「ええ。私としては、本当にそこまで大それた事をしたつもりはなかったんですが……。でも、ふふっ。そこまで真っ直ぐな誠意を向けられては、受け取らない訳にはいきませんね」

「あ、ああ……」

「どういたしまして、進一さん」

 

 にこりと微笑むさとり。対する進一は、何ともバツが悪そうというか、照れくさそうな表情を浮かべている。見た目にそぐわず落ち着いた大人っぽい反応で返されて、ちょっぴり翻弄されてしまっているらしい。外の世界ではこいしに振り回されていたし、ひょっとしたら進一は古明地姉妹に弱いのかも知れない。

 

「記憶が戻って良かったね! お兄ちゃん!」

「……ああ。こいしも、力を貸してくれてありがとな」

「うん! えへへっ、どういたしましてだよ!」

 

 無邪気な様子でこいしもそう口にする。進一の力になれて、彼女も大変ご満悦だ。

 

 この姉妹には、本当に世話になった。進一も言っていた通り、彼女達がいてくれたからこそ妖夢達はここまで辿り着く事が出来た。進一は本当の自分を取り戻し、妖夢もまた一歩彼との距離を縮める事が出来たのだ。彼女達には、幾ら感謝してもし切れない。

 

 ──けれども。それ故にこそ、気になる事がある。

 八十年後の未来。あの世界で妖夢の前に現れた、古明地こいしが漂わせていた()()()

 

「…………っ」

 

 考えそうになって、しかしやっぱり止める事にした。

 今はまだ、その時ではないはずだ。心を読めるさとりも前にいる事だし、妖夢ひとりが勝手に不安に思ってしまうのも申し訳ない。これはあくまで妖夢が感じた印象と、彼女個人の勝手な想像に過ぎないのだから。余計な不安感を煽るべきではない。

 

 ──それに。もう一つ、気になる事がある。

 

「あの……。えっと、それで……」

 

 妖夢は視線を泳がせる。

 この場にいるのは自分と進一、そしてさとりとその妹であるこいし──だけではない。先程まではいなかったはずの()()()が、なぜかこの場に同席しているのである。

 妖夢は思わず疑問を呈する。この状況、幾ら何でも流石にスルーはできまい。

 

「どうして、プリズムリバー楽団の方々が地霊殿にいるんですか……?」

「……何? いちゃ悪いの?」

「え? い、いえ、別に、そういう訳では……」

 

 三人組の一人──ルナサ・プリズムリバーに不機嫌気味に言い返されて、妖夢は思わずたじたじとしてしまった。

 プリズムリバー楽団。確かに妖夢達は彼女らと共にこの旧地獄まで足を運んだ訳だが、しかし目的は異なっていたはずだ。古明地さとりの『能力』を頼りにいった自分達とは違い、彼女ら楽団は旧都で演奏会を開く事が目的だったはず。それ故に、一度旧都で別れたはずだったのだが。

 

「あはは……。ごめんね、庭師さん。ルナサ姉さんがどうしても気になるって言って、演奏会の後にちょっと寄ってみたんだよね」

「気になるって……進一の事が、ですか?」

「……まぁ、そういう事になるかも」

 

 苦笑交じりに説明してくれるリリカと、不愛想ながらも否定はしないルナサ。

 そう言えばルナサは、以前から進一の事をやたらと気にかけている様子だった。やはり以前の演奏会の際、彼が目の前で倒れてしまったのが効いているのだろうか。実は意外と心配性な性質なのかも知れない。

 いや。それとも、何か他の理由が──。

 

「そうそう! こいしちゃんから聞いたよ彼氏さん!」

「……ん?」

 

 そんな中、相も変わらずテンション高めな様子のメルランが、不意に進一に声をかけてくる。

 小首を傾げる進一。メルランの大きな声量の所為で、妖夢の思考も打ち消されてしまう。思わず視線を向けると、当のメルランは普段通りの楽し気な雰囲気を漂わせていて。

 

「あっ……」

 

 名前を挙げられて、ぴくりと反応を見せたのは古明地こいしだ。そんな彼女が浮かべるのは、若干気まずそうな表情。頬から冷や汗が滴り落ち、口をつぐんで目を逸らす。まるで、何か失敗でもして怒られそうになる直前のような。

 

「聞いたって……何をだ?」

「それは勿論、彼氏さんの境遇についてだよ! 彼氏さんって、未来から来たタイムトラベラーなんでしょ?」

「……は?」

「えっ……!?」

 

 思わずがたりと立ち上がる妖夢。そして反射的にこいしの方へと視線を向けた。

 顔面蒼白。ダラダラと流れる冷や汗。醸し出される狼狽。今にもこの場から逃げ出してしまいそうな様子だが、それでもこいしはぐっと堪えたような様子だった。

 そして彼女は、勢いよく頭を下げて。

 

「ご、ごめんなさいっ! つい、口が滑っちゃって……!」

「ん? あれ……? これって私達に話しちゃダメなヤツだったの……!?」

「メルラン姉さん……。やっぱり話あんまり聞いてなかったんだね……」

 

 謝罪の言葉を口にするこいし。いまいち状況を理解出来ていないメルラン。そんな彼女に呆れ顔を向けるリリカ。

 成る程。大凡の事情は把握した。状況から察するに、おそらく進一が眠りに落ちている間にプリズムリバー三姉妹が地霊殿を訪れたのだろう。そして進一が目を覚ますまで待っていてくれたのだけれど、その間にこいしがうっかりタイムトラベルについて口を滑られてしまったと。

 

「ええ。妖夢さんの想像で大体正解です」

 

 そんな中、妖夢の心を読んだらしいさとりが、頷きつつもその推測を肯定してくれた。

 

「……申し訳ございません。私も注意を払っていたのですが、それでもフォローし切れず……」

「ご、ごめんね……。で、でも! 楽団のお姉ちゃん達以外には何も話してないから! それは本当だから!」

「う、ううん。話しちゃったのなら仕方ないよ」

 

 こいしの圧に押され、妖夢は宥めるように彼女にそう告げる。

 話してしまったのなら仕方がない。──映姫にバレれば雷が落ちそうな案件ではあるけれども。まぁ、反省はしてくれているようだし、それならこれ以上こいしの事を責めるつもりもない。

 

「妖夢さんのお心遣い、感謝します。こいしには後できちんと言って聞かせますので……」

「い、いえ……。あの……優しくしてあげて下さいね……?」

 

 白蓮にもお灸をすえられていたらしいし、ここ最近のこいしが不憫に思えてならない。

 

「……取り込み中のところ悪いんだけど、そろそろ良い? 私、幾つか確認したい事があるんだけど」

 

 そう切り出したのはルナサだ。

 妖夢とさとり達とのやり取りを横目に、彼女が視線を向けた先は他でもない進一である。相も変わらず感情表現の乏しい表情を浮かべているが、それでも彼女が進一に対して何らかの興味を示している事は伝わってくる。

 ──いや。興味、という表現には少し語弊があるかも知れない。彼女が意識を向けているのは、進一ではなく別の()()であるように感じるのだ。彼女はそんな()()を気にかけ、その答えを進一に求めている。──そんな気がする。

 

「……ああ。言ってみてくれ、ルナサ」

 

 妖夢と同じ感覚を、進一も読み取ったのだろうか。

 頷きつつも、彼はルナサの要求に答え始める。

 

「あなたって、生前の記憶を取り戻したんでしょ? ……それって、どうなの?」

「……どう、とは?」

「何か変わった感覚とかないの? 記憶を取り戻す前と、後とを比較して」

「変わった感覚……?」

 

 奇妙な質問。進一も何かを考えるような素振りを見せている。

 けれども彼は、すぐに顔を上げて。

 

「いや、そうだな……。ルナサが求めている答えとは違うかも知れんが、やっぱり少し頭の中がごちゃごちゃしているような感覚はあるな。記憶を失っていた間と、記憶を失う前の思い出が、混在しちまっていると言うか……」

「……それだけ?」

「え? あ、ああ……。まぁ、それくらいだな」

 

 きょとんとした表情で頷く進一。けれどもルナサは、どこか納得が出来ていないような雰囲気を醸し出している。

 相変わらずの無表情で、その真意を掴み取るのは難しいのだけれども。それでも、満足のいく答えを得られなかったような。そんな感情がほのかに彼女から伝わってくる。

 

「あの、ルナサさん。何か気になる事でも……?」

「……いや」

 

 尋ねてみるが、当のルナサは直ぐに首を横に振った。

 

「何でもないわ。それならそれで構わない」

「そ、そう、ですか……?」

「……記憶、戻って良かったわね」

「え? あ、ああ……。ありがとう、ルナサ」

 

 それ以上何かを追求する事もなく、ルナサは身を引いてしまう。彼女が何を気にしていたのか、結局判らず仕舞いだった。

 気になる。けれどルナサの性格から考えて、ここで妖夢が追求しても無言で貫かれてしまうような気がする。心を読めるさとりなら何か知っているのかも知れないが、ルナサの了承も得ずに内情を訊きだすのは憚られた。最低限、プライバシーは守らなければなるまい。

 

 きっと彼女には彼女なりの事情があるのだ。こちらがタイムトラベル関連の情報を隠していたのと同じように。

 

「うーん、でもちょっぴり不思議だよねぇ」

 

 そんな中、不意に口を挟んできたのはリリカだった。

 様子のおかしな姉の事が気になりつつも、それでも深く踏み込もうとしない。そんな絶妙な距離感を保ったままで、リリカは話題を逸らす。

 考え込むように、進一の姿を観察しながらも。

 

「亡霊って、この世に強すぎる未練だとか、そもそも死んだ事に気づかない場合だとかに生まれてしまう存在なんだよね? でも彼氏さん……えっと、進一さんは死を受け入れているから後者は除外するとして、これまでは“記憶喪失”という状態こそがある種の“未練”だと捉える事も出来たけど……」

 

 「でも……」と、首を傾げつつも、どこか納得できないような表情をリリカは浮かべていた。

 

「進一さんは記憶を取り戻して、今はその“未練”も解消されてる。なのにどうして成仏するような気配すら見せないんだろ?」

「それは……」

 

 妖夢は答えようとして、けれども口籠ってしまう。

 リリカの感覚はおかしくない。幽霊だとか亡霊だとかの知識を少しでも有していれば、誰でも真っ先に気がつくであろう違和感。勿論、妖夢だってその点に気づいていなかった訳ではない。

 

 亡霊でありながら元々記憶を失っており、自分の未練すらも何一つ想像も出来なかった進一。リリカの仮説通り、もしも“記憶喪失”という状態こそがある種の未練であったのならば、話はだいぶ簡単だったのだが──。

 けれども違う。今の進一は生前の記憶を取り戻している。だとすれば仮定していた未練は解決した事になる訳だが、それでも進一は今も尚亡霊のままである。未練が果たされた亡霊は成仏するのが理だと言うのに。

 

「至極単純に推察すれば、記憶喪失と俺の未練はイコールじゃないって事になるが」

「……その様子だと、進一さん本人にも心当たりはないんだ?」

「まぁ……。いや、そういう訳でもないんだが……」

 

 リリカの問いに対し、進一は困ったような表情を浮かべている。

 強いて推測するのなら、今の進一が抱く未練は夢美やちゆりに関係する何かと捉える事も出来る。進一はちゆりを庇ってその生命を散らしてしまった訳だが、彼はそんな自分の行動を深く後悔していたから。故にそんな後悔が、未練となって彼を顕界に縛り付けている可能性もあるのだが。

 

「でも、何か違和感があるんだよな……」

 

 彼自身、その後悔と未練を結びつけるのも違和感を覚えるらしい。他でもない、亡霊である彼本人がそう感じているのなら、安易に未練を決定付ける事は出来ない。

 

「そもそも、俺は……」

 

 生前の記憶は戻って来たものの、だからと言ってこれまでの不明瞭な点が全て解消された訳ではない。寧ろ未だ謎の方が多いくらいである。進一が亡霊として存在を保てている件についてもそうだが、何よりも。

 

「お兄ちゃん、結局タイムトラベルしちゃった原因も判らないんだよね?」

「……ああ。情けない事に、な……。気がついたらこの時代の三途の河だったと言うか」

 

 こいしの確認。やはり進一は、それも肯定する事しか出来ない。

 元々はタイムトラベル関連の謎を解明する為に進一の記憶を頼る事にした訳だったが、このままではそれも空振りに終わりそうである。二年前の妖夢と同様、彼はタイムトラベルを経た自覚すら覚えておらず、一方的にこの時代に放り込まれただけという事になる。

 

「関連性が気になる事と言えば、やはり進一さんの生命を奪ったとされる……」

「……『死霊』、ですか」

 

 さとりの言葉に続くような形で、妖夢も改めてその名前を口にする。

 タイムトラベルに関しては不明瞭。しかし死の瞬間に関しては、進一も鮮明に記憶しているらしい。北白河ちゆりを庇い、『死霊』と呼ばれる存在の攻撃を受けて。進一の生命は、いとも簡単に奪われてしまったようだ。

 『死霊』。怨霊のような存在、なのだろうか。人の生命を奪う程に狂暴化した霊だと解釈すれば、殆ど同質な存在のように思えるが──。

 

「……すまない。『死霊』についても、これ以上の情報は持っていないんだ。俺も精々、未来のお燐から聞いた程度で……」

「お燐、ですか」

 

 さとりが反応を示す。

 火焔猫燐と言えば、他でもない古明地さとりのペット。家族同然の身近な存在が何らかの関りを持っていると知れば、さとりが何も思わない訳がない。

 少しだけ、考え込むような素振りを見せた後。

 

「現状、この地底に蔓延る怨霊の管理は、ある程度お燐に一任しています。八十年後の未来とは言え、そんなあの子が態々『死霊』と称しているという事は、少なくともその存在は怨霊とは別物だと考えるのが妥当でしょうね」

「ああ……。お燐本人も、『死霊』についてはよく分からないような素振りだったしな」

「まぁ少なくとも、この時代には『死霊』と呼称される存在は()()現れていないという認識で問題ないでしょう。だとすると、何が原因でそう呼ばれる存在が出現するのかという話になりますが……」

 

 幾ら怨霊の管理を閻魔から任されているとは言え、さとりも『死霊』の知識は持ち合わせていないようだ。難しそうな表情を浮かべながらも、彼女は思案を続けている。

 そして妖夢もまたさとりに倣って思案する。進一の口から語られた『死霊』と呼ばれる存在の介入。やはり霍青娥が何らかの関りを持っているのだろうか。それとも──。

 

「首謀者は、別にいる……?」

 

 妖夢の呟き。決して大きな声量ではなかったのだが、静寂に支配されたこの一室では嫌に響いたように感じる。

 首謀者は別にいる──なんて、そこまで言ってしまうとあまりにも早計だが、けれどもやはり何かが引っかかる事も事実なのである。あの日、京都に現れた大量のキョンシーは間違いなく青娥の差し金なのだろうけど、しかし『死霊』まで彼女が操っていたとは考えられない。

 

 生命あるものを無差別で殺しにかかる異形の存在。単純に妖夢や進一の生命を奪う事が目的なのだとすれば、もっと早い段階で差し向けていたはずだ。

 だとすると、『死霊』の出現に霍青娥の意思は介入していないと捉える事が出来る。それが意味する事は即ち、別の()()()の可能性。

 

 そもそも、『死霊』とは一体何なのだろうか。

 一体、何が原因で幻想郷に生れ落ちてしまうのだろうか。

 

「な、何か話が妙な方向に……? もしかしなくても私達って場違いなんじゃ……」

「うっ……き、聞いちゃいけない話を聞いちゃったような……。何だかお腹痛くなってきたかも……! どうしよう姉さん……!?」

「……ついて来るって言ったのはあなた達でしょ。何を今更」

 

 プリズムリバー三姉妹もまた、一様に怯えたような、困惑したような雰囲気を漂わせている。

 無理もない。妖夢だって、心の中には未だ不安感が渦巻いているのだ。こんな話、早々に受け入れられる方が異常である。

 

 緊迫した空気が辺りに漂い始める。張り詰めた雰囲気。天真爛漫なこいしやメルランでさえも、そんな雰囲気に呑まれて言葉を失ってしまっている。

 漠然とした不安感。得体の知れない感覚というのは、人間だろうが人外だろうが心に得も言えぬ不安を生み出すものだ。それは心あるものにとっての、ある種の共通認識とも言える。

 

「……やっぱり、そう簡単に未来の出来事は把握できないという事かしら」

 

 そんなさとりの呟きが、妖夢の耳にも届く。

 確かに彼女の言う通りだ。この世界の構造がどうなっているのかなんて、そんな真意は妖夢には想像すら出来ないのだけれども。それでも、そう簡単に確定した未来を変える事が出来る程にヤワではないはずだ。きっとそれ相応の、途轍もない代償を支払う必要があるに違いない。

 未来の出来事を把握する事だって同じだ。断片的に知る事が出来たとしても、それを現在と繋ぎ合わせる事が出来ない。何かが起きるのだと漠然とした情報を得る事は出来ているのに、その“何か”が何なのかをはっきりと把握する事も出来ていないのである。

 

「八十年後の外の世界……。その世界で私は、未来のお燐さんやこいしちゃんと出会いました」

 

 ポツリと妖夢は言葉を紡ぎ始める。

 

「方法は判りません。でも二人は、確かに博麗大結界を超えて外の世界に足を踏み入れていた。そしてひとえに、何かを追い求めていました」

「……何か、ですか」

「それが何なのかは判りません。今思えば、青娥さんの事だったのか……。それとも、別の何かが……」

 

 今となっては確認する手段もない。進一の生前の記憶と繋ぎ合わせたとしても、彼女らの真意を読み解く事は極めて難しい。

 

「ああ……。それに、俺は……」

 

 そして妖夢に続くように、進一もまた口を開く。

 紡がれるのは、記憶の一部。生前の彼でさえも忘れていた、小さな小さな想い出の欠片。

 

「俺は、あの日より以前……。多分、小さな子供の頃に、一度こいしと会った事があるんだ。幼少の頃の記憶だから、酷く曖昧と言うか、断片的な事しか覚えていないが……。でも」

 

 ぎゅっと、彼は握った拳に力を込めて。

 

「あの時のこいしは、どこか……」

 

 しかし彼は、それ以上の言葉は紡げない。

 胸が締め付けられるような、苦し気な表情。彼が何を考えているのか、何となくだが妖夢にも分かる。

 多分、妖夢と同じだ。想像するのは最悪の事態。あまりにも惨すぎる一つの結末。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 どことなく不安気な様子で、こいしがそう口にする。そんな彼女の姿を見ていると、やっぱり妖夢も思い出してしまうのだ。

 それは、八十年後の未来の世界。あの頃のこいしは必死だった。必死になって、何かを追い求め続けていた。助けたい人がいる。その為の手掛かりを掴む為に行動しているのだと、彼女はそう語ってくれた。

 ()()()()()。その人が誰を示しているのは、今となっては何となく想像する事が出来る。

 恐らく、八十年後の古明地こいしは──。

 

「……成る程。そういう事でしたか」

 

 どこか納得した様子のさとりの声。振り向くと、真っ先に目が合うのは彼女の赤い第三の眼(サードアイ)

 やってしまったと、妖夢は思った。余計な不安感を煽るべきではないと、そう注意したばかりじゃないか。それなのに、思わず()()してしまうなんて。

 

「あっ……。ご、ごめんなさい……! 私、そんなつもりじゃ……」

「いえ、良いんです。その想像は妥当だと思いますよ。状況的証拠から考えて、()()は十分に有り得る()()です。きっかけが何であれ、ね」

 

 しかしさとりは落ち着ている。どうしようもないくらいに最悪な結末。その可能性を突きつけられたはずなのに、それでもさとりは冷静だ。慌てているのは妖夢だけ。それどころか、寧ろさとりは妖夢の事を宥めようとしてくれていて。

 

「そんな顔しないで下さい。寧ろラッキーじゃないですか。漠然としているとは言え、“何か”が起こるという可能性だけでも判ったんです。それなら、何も知らない状況よりも対策はぐっと楽になります」

「さとりさん……」

「私だって、バッドエンドを座して待つつもりはありません。抵抗が可能であるのなら、全力で抵抗してみせますよ」

 

 さとりはきっぱりとそう口にする。そしてその言葉は、妖夢達を宥める為の出任せなどでは決してない。

 彼女はまだ諦めていない。何が起きるのか判らない。けれどそんな不明瞭な運命なんて簡単に受け入れてたまるものかと、彼女は心の底からそう思っている。

 さとりの瞳は真っ直ぐだ。確固たる意思をその胸に秘め、しっかりと決意を固めている。

 ならばこれ以上の不安定な心は、却って彼女に失礼だ。諦めるのはまだ早い。落ち込むのだって早すぎる。希望を胸に抱き、最善に近づくように最後まで模索すべきじゃないか。

 

 妖夢は軽く息を吐き出す。そして不安感を払拭して、改めて希望を胸に抱く。

 

(うん……。そうだよね。確実にそうなるって証拠が見つかった訳でもないんだし……)

 

 それに。

 

(……進一だって、生前の記憶を取り戻してくれた)

 

 今はそれで充分だ。

 着実に前に進んでいる。進展が何もない訳じゃない。だから今は、この喜びに浸りたい。大好きな彼が本当の意味で戻ってきてくれたという、この幸福感に。

 

 守りたい。進一の事も、そしてさとりやこいし達の事も。

 

(だから、私も……)

 

 例えどんな運命が待ち受けていようとも、バッドエンドを迎えるつもりなど毛頭ない。

 

 

 *

 

 

 それから少しして、妖夢達は地上へと帰る事になった。

 地霊殿に到着したのはお昼過ぎ。それからは本当に色々な事があって、今やすっかり夜の帳が下りる時間帯である。この地底世界ではあまり昼夜の区別は出来ないが、時間帯的には普段の夕食時を少し過ぎてしまっている。幽々子の食事事情に関しては藍もサポートをしてくれているようなので安心ではあるのだが、任せっきりと言う訳にもいかない。さとり達にも迷惑になるし、これ以上の長居は無用だ。

 

 謎は数多く残されている。けれど、それ故にこそ、今はこの状況を報告すべきだ。幽々子には勿論、紫や映姫にも。その上で、今後の方針を固めなければならない。

 この『異変』を解決する為に、次はどう行動すべきなのかを。

 

「あの、さとりさん。今日は本当にお世話になりました」

 

 地霊殿の正門。そこで改めて振り向いて、妖夢は深々と頭を下げる。

 本当に、彼女には世話になった。ここに来るまでの間にも何度かお礼の言葉を並べていたのだが、それでもやっぱり頭を下げずにはいられない。彼女には、幾ら礼を述べても足りないくらいの感謝の念を抱いているのである。

 

「……ああ、そうだな。俺からも改めて礼を言わせてくれ、さとり」

 

 そんな妖夢の横で、進一もまたさとりに頭を下げる。

 

「今日はお世話になりました。ありがとうございます」

「ふふっ。お礼ならもう十分に頂きましたよ、顔を上げて下さい」

 

 そんな進一達を前にして、さとりはくすりと微笑みを浮かべる。

 顔を上げると、彼女はどこか可笑しそうな表情を浮かべていて。

 

「進一さんの敬語、物凄い違和感ですね。何だか面白いです」

「……悪かったな」

 

 どうやら進一の敬語は不評であるらしい。

 

「いやー、それにしても彼氏さんの記憶が戻って良かった良かった! これにて一応、一件落着だね!」

「うん、そうだね。()()()()()に関しては、聞かなかった事にするよ……」

「……それが賢明ね」

 

 妖夢達の横で、プリズムリバー三姉妹がそんなやり取りを交わしている。

 色々と()()()()話を聞いてしまった事により、特にリリカは若干怯えたような様子である。姉二人は割と普段通りのテンションに戻っているようだが、それでも何も感じてないという事もないだろう。

 今日、この地霊殿で聞いた話については、一先ず口外しない事を彼女達とも約束している。内容が内容だけに、彼女達もすんなりと納得してくれた。まぁ、そもそもこんな突拍子もない話など、誰かに話しても信じてもらえないかも知れないが──。

 

「え? さっきの話? さっきの話ってなんのこと?」

「な、何でもない! 何でもないよ! お燐は何も気にしなくていいから!」

「わわっ……! ちょ、こいし様!? どうしたんですか、そんなに慌てて……?」

 

 同席していたお燐がリリカの言葉に興味を示すが、酷く慌てた様子でこいしが割って入っている。一度リリカ達の前でうっかり口が滑ってしまった手前、これ以上その失態の尾を引かせたくはないのだろう。健気に反省してくれているのは良いのだけれども。

 

「うにゅ? なんかあやしー……。あ! ひょっとしてこいし様、私達に何か隠し事してますね!」

「え、ええ!? い、いやっ、な、何を言ってるのかなっ。私が隠し事なんてしているように見える? まったくもうっ、お空ってば早とちりなんだから」

「えー! 嘘だぁ! こいし様絶対なにか隠し事してるもん! 私達にも言えない事なんですか? 何かそれくらいすんごい事でもしちゃったんですか!?」

「う、うぅ……。だからぁ……」

 

 こいしの違和感をいち早く察知したお空が、捲し立てるようにぐいぐい責める。お燐は空気を読んでくれるが、お空はそうはいかないのである。

 当のこいしはお空に詰め寄られて若干涙目だ。子供のように純粋無垢な霊烏路空を前にすれば、流石のこいしもその勢いに押されざるを得ない。

 こいしは藁にも縋るような様子でお空から視線を逸らす。そして妖夢達の姿を捉えた途端、何か良い事でも思いついたかのような表情を浮かべて。

 

「あ、そ、そうだ! 半分幽霊のお姉ちゃん達、もう地上に帰るんでしょ!?」

「え? う、うん。そうだけど……」

 

 こいしの勢いに押されつつも、妖夢は頷いて肯定する。すると彼女は、ぱぁっと表情を綻ばせると。

 

「それなら私が地上まで案内してあげる! あんまり頻繁にこっちに来てる訳じゃないんだし、万が一迷ったりなんかしたら大変でしょ?」

「案内? でも……」

 

 思いがけない提案に、妖夢は少しだけ困惑した。

 お燐やお空からの追求を逃れるため──という理由も勿論あるのだろうけれど、それ以上に彼女が漂わせるのは無いものを強請るような子供らしい雰囲気。もう少しだけ妖夢達と一緒にいたいのだと、そんな我儘が伝わってくるかのようだ。

 

 こいしの事だ。きっかけは何であれ、最初からこのような提案をするつもりだったのだろう。その気持ちは大変ありがたいのだけれども。

 

「ありがとう、こいしちゃん。でも大丈夫だよ。道はちゃんと覚えているから」

「えー!」

 

 不服そうな様子のこいし。けれどもここで彼女の提案を呑むのも憚られた。

 もう遅い時間なのだ。幾ら妖怪であるとは言え、小さな女の子を出歩かせるのも躊躇われる時間帯である。さとりにだって心配をかけてしまうかも知れない。

 そんな妖夢の心境を読んでくれたのか、さとりはこいしの両肩を優しく叩くと。

 

「ほら、こいし。あんまりご迷惑をかけちゃダメよ。妖夢さんだって困ってるじゃない」

「で、でも……!」

 

 しかしこいしは引き下がらない。さとりに駄目だと言われると、寧ろ余計に行動を起こしたくなってきたらしい。難しいお年頃である。

 そうでなくとも、こいしは一度決めた事は何が何でも曲げようとしない性格だ。幾ら姉であるさとりの言葉だとしても、彼女はそう簡単に折れてはくれないだろう。

 

 さて、どうしてものかと妖夢が頭を悩ませていると。

 

「あっ、それならあたいも一緒に行きますよ」

 

 口を挟んで来たのはお燐だった。

 彼女の提案は意外にも、こいしの考えを改めさせるのではなく、こいしの意思を尊重するようなもので。

 

「こいし様を一人で行かせるのは心配ですけど、あたいも一緒なら大丈夫ですよね?」

「え? それは、まぁ……。お燐も一緒なら安心だけど……」

「だったらあたいに任せて下さい。こいし様の事は、妖夢達を送った後に責任を持って連れて帰ってきますから」

 

 「それに……」と、お燐は付け加える。

 

「一度こうなっちゃったら、こいし様は意地でもついて行こうとすると思うんですよね……。だったら初めからあたいも同行しちゃった方が……」

「……それもそうね」

 

 どうやら普段のこいしの事を考慮しての提案だったらしい。

 確かにここ最近のお燐は、こいしのお守役のような事をしていた事が多かったような気がする。普段から色々な意味で振り回されているが故に、古明地こいしという少女に対する理解力はさとりに次いで高いのだろう。

 さとりもそれが判っているからこそ、お燐には全幅の信頼を預けている。そんな彼女は、改めて妖夢達に向き直ると。

 

「すいません、皆さん。ご迷惑をおかけしてしまいますが……」

「い、いえっ。迷惑だなんて、そんな事は思ってませんよ」

 

 妖夢はちらりと進一達に目配せする。進一も、勿論プリズムリバー三姉妹の皆も。古明地こいしの同行に異論を唱える者など誰一人としていなくて。

 

「うん……」

 

 故に妖夢は、改めてこいしに目線を合わせる。

 

「それじゃあ、こいしちゃん。私達を地上まで案内してくれる?」

「うん!」

 

 頷きつつも、こいしは眩しいくらいの笑顔を見せてくれた。

 実に楽し気な様子。そんな笑顔を見ているだけで、先程まで感じていた不安感が幾分か軽くなるくらいだ。彼女と一緒にいると、こちらも自然と元気を分けて貰える。

 だから迷惑だなんてとんでもない。寧ろ感謝したいくらいだと、妖夢は常々思っている。

 

「はーい! はいはい! それなら私も一緒に行くー!」

「お空は良いよ。さとり様と一緒にお留守番してて」

「なんでッ!?」

「いや、なんでって……。流石にお空の面倒まで見切れないし」

 

 何やらやる気満々な様子のお空だったが、ストレートにお燐に拒否されて出鼻を挫かれたような表情になる。

 お燐曰く。お空まで同行してしまったら流石に収拾がつかなくなるらしい。確かに彼女は、どちらかと言うとこいしと共に無邪気に遊びに出かけてしまそうな性格をしている。お守役には向かないのかも知れないけれども。

 何とも身も蓋もない話だが、これも彼女らが互いに互いを心底信頼しているが故のやり取りなのだろう。深い信頼を寄せているからこそ、彼女達は無遠慮に言葉を交わす事が出来る。

 

「ね? それにお空、さとり様を地霊殿に残して行くつもり? ペットは他にもいるとは言え、やっぱりちょっと心配だし……。だからこいし様の事はあたいに任せて、お空はさとり様の事を守ってあげて欲しいんだよ。そっちの方が、あたいだって安心できるし……」

「む、むぅ……。そこまで言うなら、判ったよぅ……」

 

 意外とすんなり話は固まったようだ。微妙な表情を浮かべてはいるものの、お空はお燐の意見を呑んでくれるらしい。渋々と言った様子で、彼女は一歩身を引いた。

 

「それじゃあ……。こいし様のこと任せたよ、お燐」

「うん。任された」

 

 笑顔でお空の言葉を受け取るお燐。そんな彼女らの姿を微笑みながら見守るさとりの姿が印象的だった。

 何と言うか。本当に、仲の良い家族なんだなと妖夢は思う。ペットという立場は妖夢のような従者とは少し違うのだけれども、それでもほんの少し親近感を抱いてしまう。

 

 自分もお燐やお空と同じように、主である幽々子の事を大切に想っているから。だから、だろうか。

 今は何だか、無性に幽々子の顔が見たい。少し遅い時間になってしまったから、心配をかけてしまっているのではないだろうか。藍も手を貸してくれているとはいえ、ちゃんと夕飯も食べられただろうか。

 ──考え出すと止まらない。今日は余計な寄り道なんかせずに、早いところ白玉楼に帰る事にしよう。

 

「それでは皆さん、道中お気をつけてお帰り下さい」

 

 妖夢がそんな事を考え始めたタイミングで、折よくさとりがそう切り出してくれる。

 

「旧都は夜でも喧騒が収まる事がありませんので、念のため……。まぁ、皆さんなら心配は無用だと思いますが」

「ご忠告、感謝します。……私達の方も、また()()進展がありましたら、その時はさとりさんにもご報告しますね」

 

 ()()とは、タイムトラベルや幻想郷の『異変』のこと。口にせずとも、心を読めるさとりには伝わっているはずだ。そんな妖夢の意思を汲み取ってくれたのか、彼女はそれ以上何も言わずに微笑みを返してくれた。

 

「ばいばいみんなー! また地霊殿に遊びに来てねー!」

「ああ。その時まで俺達の事、忘れないでくれよ?」

「わ、忘れないよ! ……た、たぶん」

 

 若干記憶力に難があるお空にも見送られながらも、妖夢達は地霊殿を後にする事になった。

 こいしにも負けず劣らずな程に元気な様子で、お空がぶんぶんと手を振っている。そんなお空に答えるように、こちらもこちらでメルランが「ばいばーい!」と手を振り返していた。

 

 そんなやり取りを経た後に、妖夢達はこいしやお燐と共に帰路に就く。楽し気な様子で先導するこいしと、そんな彼女を宥めるお燐。すっかり調子を取り戻したメルランやルナサと、そんな姉二人に触発されて少し怯えが払拭された様子のリリカ。来た時よりも大所帯。そんな賑やかな雰囲気の中、妖夢は進一の隣を歩く。

 

「何だか少し心が軽くなったような気がするよ」

 

 ポツリと、進一がそう口にする。

 

「記憶が一気に戻ってきて、正直少し混乱していた部分もあったが……。でもこうして皆と一緒にいると、何だかこっちも自然と笑顔になっちまうな」

「……うん。そうだね」

 

 くすりと笑いながらも、妖夢はそれに答えた。

 

「色々な意味で、賑やかな人達ばかりだからね」

「ああ。ルナサにメルランにリリカ。……それに、お燐やこいしも」

 

 お燐とこいし。その名前を口にした進一が、ちょっぴり目を細める。

 どこか、遠くを見つめるような目つきになって。

 

「なぁ、妖夢。あいつらは……」

「……うん。判ってる」

 

 進一が何を思っているのか。何となく、察する事が出来る。

 だけど。

 

「でも……。結局のところ、未来はまだ不明瞭なままなんだ。実際に何が起きるのかなんて、その時になってみないと判らない」

「ああ……。そうだな」

「だけどそれでも、私だってさとりさんと同じ気持ちだよ。座してバッドエンドを待つつもりなんてない」

 

 妖夢はそう言い放つ。きっぱりと、躊躇いもなく言葉を口にする。

 確かに妖夢と進一は、互いにタイムトラベルを経験した。八十年後における幻想郷の状態を、断片的だが把握している。それらは決して、あまり良い情報だと言えないものばかりなのだけれども。

 それでも妖夢は諦めていない。最悪の結末を受け入れるには、あまりにもタイミングが早すぎる。

 だってまだ、()()()でそうなると確定した訳ではないじゃないか。時間への介入などという現象が既に発生している以上、未来を覆す事だって不可能ではないはずだろう?

 

「妖夢なら、そう言ってくれると思ってた」

 

 進一は小さく笑う。けれどそれは、妖夢の言葉を嘲った訳では決してない。

 寧ろ彼は同調してくれている。魂魄妖夢と同じように、彼もまたバッドエンドを迎えるつもりなどないのだ。──彼の瞳は、決死の覚悟で満たされている。

 

「俺達で掴み取ろう。未来を」

「……うん」

 

 頷いて答える。

 妖夢も、進一も。二人の心は、既に一つに決まっている。例えこの先、どんな未来が待ち受けていようとも。彼女達は、どんなに縹緲とした希望でも手放すつもりはないのだ。

 

 必ず未来を掴み取る。

 バッドエンドなど、自分達の手で覆して見せる。

 

「お兄ちゃん達! 遅いよ!」

 

 少し先を歩いていたこいしに急かさせる。色々と考え事をしていた所為で、歩く速度が遅くなっていたのだろうか。

 二人揃って苦笑しつつも、妖夢達は足を早める。

 未来は未だに不明瞭。それでも彼女達は、ただ直向きに歩みを続けていた。

 

 

 *

 

 

 世界の運命なんてものは、基本的には残酷だ。

 

 運命的な出会いだとか、運命的な出来事だとか。そんなロマンチックなんて大抵が御伽噺で、実際はそう生易しいものじゃない。人間だろうが妖怪だろうが、時には神様であろうが。運命とやらに定められたレールの上から抜け出す事は叶わず、例え納得が出来なくとも甘んじて受け入れるしかない。

 

 往々にして、強く感じるのは底の知れない不満感だ。思い通りになんてなりやしない。期待通りなんて夢のまた夢。運命という絶対的な理の中では、自分達は束縛され続けられるしかないのである。

 

 そう。

 その理は、この幻想の世界であろうとも例外ではない。

 

 ──そんなどうしようもない“現実”は、あまりにも唐突に突き付けられる事になる。

 

「えっ……?」

 

 地霊殿からの帰り道。こいしとお燐に先導されて、今度は特にトラブルもなく旧都を抜けて。そして橋姫が守護する太鼓橋を渡り、地上へと続く洞窟をぐんぐんと進んでゆき。程なくして視界が開け、地上の幻想郷へと到着する。そこに広がっているのは、今やすっかり見慣れてしまった日本の原風景である──はずだった。

 

 でも。

 だけれど。

 

 ()()()()()

 

 何かがおかしい。明らかに何かが狂っている。気持ちが悪い。底の知れない違和感。気味の悪さ。それらはあっという間に心の隅々までを支配してゆき、不安感を容赦なく煽っていく。

 どくんと、妖夢の心臓が大きく高鳴る。一度息を呑み、そしてそのまま呼吸を繰り返すのも忘れそうになってしまう。それくらいの違和感。それくらいの異常性。一目見ただけで判別できる。それはある種の、()()()()()

 

「何だ、これ……」

 

 そして岡崎進一もまた、妖夢の隣で息を呑んでいる。目の当たりにした()()()()を、現実として受け止め切る事が出来ていない。

 ──いや、彼だけではない。自分達を先導していたこいしやお燐も。自分達と帰路を共にしていたプリズムリバー三姉妹も。そして何より、妖夢自身も。目の前に広がる()()を、現実の光景として認識する事が出来ない。

 情報としては理解できる。けれどもどこか、夢見心地な感覚。ふわふわ、ふわふわと。そんな釈然としない心持ちのまま、けれども少しずつその情報が浸透していく。

 

 夜。

 日が沈み切った幻想郷。暗闇に包まれた森林地帯。街灯なんて存在しない。ここは妖怪の山の麓部分に位置するのだから、そんな光景は当たり前。

 だけど、違う。そうじゃない。そんな()()()()などどうでも良い。もっと()()()()()現象が、眼前に突き付けられているじゃないか。

 

「…………っ」

 

 ぴゅうっと、一際強い風が妖夢の頬を撫でる。

 冷たい。あまりにも、それは冷たい。既に季節は春真っ盛りであるはずなのに。桜の花が咲き乱れ、幻想郷のあちこちで宴会が催され。一際賑やかで、そして華やかな季節。草木が芽吹き、新たな生命も誕生する。そんな始まりの季節であるはずなのに。

 

 そのはずなのに。

 

 しんしん、しんしんと。

 曇り切った春空から、静かに舞い落ちてくるのは。

 

「雪……?」

 

 それは、春の象徴たる“暖かさ”とは対極に位置するもの。

 

「そんな、どうして……」

 

 異常な光景。けれども、()()()()()()

 

「これって……!」

 

 桜色の花吹雪ではない。それは、白銀色の雪化粧。

 幻想郷に訪れていたはずの“春”は、“冬”によって塗り潰されていた。


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