桜花妖々録   作:秋風とも

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第10話「無意識を操る程度の能力」

 

 12月24日。今夜は所謂、クリスマスイブというヤツだ。

 海外発祥の宗教であるキリスト教。その開祖である人物の降誕を記念する祭日が12月25日であるが、その前日にあたるのが今日である。日本ではクリスマスイブはクリスマスの前夜祭的な解釈をしている者が多いが、実際には少し違うらしい。なんでもユダヤ暦では日没が日付の変わり目となっているようで、つまり本来ならば日本で言うクリスマスイブの時点で既にクリスマスは始まっているとか云々。

 

 そんな説明を蓮子からされたが、正直妖夢にはいまいちピンとこなかった。

 幻想郷ではクリスマスというイベントはあまり浸透していない。名前くらいは聞いた事があるものの、そこまでである。いつ行われるのか、どんな日なのか、何をするイベントなのか。こっちの世界に迷い込む前は、妖夢もそんな知識は全く持ち合わせていなかった。

 聞いた話をまとめると、とある宗教が信仰している神様の誕生日を祝う日という事なのだろうか。妖怪等の存在が否定されている外の世界でも、未だに人々の信仰を集めている神様がいたとは驚きである。

 

「うーん……。実際に信仰されているかどうかは別として、クリスマスは所謂習慣みたいなものかな。少なくとも日本では、神様の降誕を祝うと言うよりも、皆で盛り上がるお祭りイベントのようなものだって解釈している人が多いみたいだし」

 

 普段から神様を信じていない人達も、それに便乗して活気を帯びると言う事らしい。ますますよく分からないイベントである。

 

 それはさておき。秘封倶楽部の面々もまた、そんなイベントへの便乗を決め込んでいた。

 普段はいつも結界の解れや幻想郷や冥界等の手掛かりを探しているのだが、今日ばかりは少し趣旨が違う。ただ純粋に、この年に一度の行事を楽しもうと。それが主な目的である。

 無論、これまでの活動をすっぽかそうとしている訳ではない。幻想郷の事も冥界の事も諦めるつもりはないし、その調査は今後も続けてゆくつもりだ。ただ、たまには肩の力を抜く事も必要ではないか。そう言って今回の企画を提案してきたのは、意外にも蓮子だった。

 

「折角の年に一度の一大イベントじゃない。楽しまなきゃ損よ?」

 

 そんな訳で、今夜はクリスマスパーティである。肝心の開催場所だが、いつの間にか岡崎宅で行われる事になっていた。と言うか、蓮子は元々そのつもりで話を持ちかけてきたらしい。蓮子らしいと言えば蓮子らしいか。

 まぁ、蓮子やメリーのアパートよりも、戸建である岡崎宅の方が集まってパーティなどをするのに適しているのだろうけれど。

 

「けど、まぁ……姉さんもノリノリだったし、別にいいか」

 

 そう呟く進一と、うきうきしている蓮子と共に。妖夢はクリスマスムード真っ盛りの街中まで足を運んでいた。

 折角クリスマスパーティを行うならば、それなりに豪勢にしたい。そこで夢美とちゆりも招待して、より賑やかなパーティを行う事となった。妖夢と進一、そして蓮子の三人は、まず街に出て買い出しである。メリーは片付けなければならない課題がまだ残っているらしく、後から合流するとの事。故に珍しくこの三人の組み合わせだった。

 

 ここ最近は一層強くなった冬の寒気により冷え込む日が続いているが、街中の活気はまるで衰える事を知らない。駄弁りながらも道を行き交う通行人や、客を呼び込む商人と思しき人々など。寧ろ活気はどんどん強くなっているようにも思える。

 これが、外の世界のクリスマスというものの影響なのだろうか。見ているだけでも、こちらまで心躍りそうになるような印象を受ける。

 

 だけれども。

 

「へぇ、あらかじめケーキの予約をしておいたのか。やるな蓮子」

「ふふーん、そうでしょそうでしょ?」

 

 感心する進一と、胸を張る蓮子の後に続いて歩く妖夢の表情は、決して晴れているとは言い難いものだった。

 いや、別にクリスマスパーティに乗り気ではない訳じゃない。元いた世界ではあまり体験出来ない行事であるが故に、興味はかなり惹かれている。

 しかし。それを覆ってしまう程の気がかりが、妖夢の胸中には存在している。

 

「……妖夢? どうしたんだよ、さっきから黙り込んで」

「……へっ?」

 

 ずっとぼんやりと黙り込んでいた妖夢だったが、突然そう声をかけられてようやく我に返る。顔を上げると、そこには訝しげな表情を浮かべた進一の姿が。

 妖夢は再び考え込むようにして俯きながらも、

 

「いえ……。少し、気になる事があって……」

「ひょっとして、前に言ってた女の子の事か?」

 

 妖夢はこくりと頷く。

 

「やっぱり気になるんです。あの子と会ってから、もう結構経ちますし……」

 

 妖夢がずっと気になっていたのは、先日出会ったあの少女の事だ。古明地こいしと名乗った彼女は、含みのある意味深な言葉を残して妖夢の前から姿を消した訳だが――。結局、あれから姿を現していない。

 そろそろ一週間である。気になって気になって仕様がない。

 

「蓮子さんは気にならないんですか? その子、猫耳の人が捜してた女の子である可能性が高いんですよ? 黒い帽子を被っていましたし……」

「えっと……その子の名前、こいしちゃんだっけ? 確かに、凄く気になるけど……」

 

 蓮子がメリーを連れ回しても結局見つける事が出来なかったらしい猫耳少女。彼女が捜していた黒い帽子の女の子とは、こいしである可能性が高い。聞いた限りの特徴とこいしの身なりはほぼ完全に一致するのである。

 無論、まだそうだと断言出来る訳ではない。黒い帽子を被った童女など、捜せばいくらでもいるだろう。妖夢の勘違いだった可能性も、まだ十分にある。

 

 しかし、やはり。

 

「こいしちゃんから感じたあの妙な気配……。あれにはただならぬ印象を受けました。どこか、こちらの世界の常識からは逸脱しているような……」

「つまり非常識……、オカルト的って事か」

 

 特に気になるのはあの時に感じた意識の喪失感。例えるならば、無意識の領域を操られているかのような。そんな感覚。あれは偶発的などではなく、明らかに作為的である。何らかの能力が働いていたと考えて、まず間違いないだろう。

 

「それに……こいしちゃんの前に会った女の人も気になりますし……」

「三度笠を被ってたってヤツか?」

「ええ。こいしちゃんは分からないと言ってましたが……」

 

 三度笠の女性を見失った時の感覚も、こいしと話している時のそれと似たようなものだった。正直、彼女とこいしが無関係であるとは考えにくい。そうなるとこいしは嘘をついている事になるが――だとすると、何の為に?

 

「考えれば考える程分からなくなってくるな……」

「そう、ですね……」

 

 彼女らの正体が掴めない以上、殆んど仮定や仮説だけで推測するしかないがそれも限度がある。せめて、こいしと対面した際のあの感覚の正体が掴めればいいのだが。生憎、妖夢の知り合いには似たような能力を持つ者はいない。

 いや、一人いるか。妖怪の賢者である八雲紫。彼女の能力を応用すれば、こんな感覚を引き起こす事も可能なのではないか。尤も、あの三度笠の女性が紫だとは考えにくいけれども。

 

 進一と共に思案する妖夢。暗中模索とはこの事だ。幾ら考えても、答えに辿り着く事はできそうにない。一体、こいしとあの女性はなんだったのか。なんの為に妖夢に近づいてきたのか。そもそも、彼女達は本当に人間だったのだろうか。

 思考をぐるぐると巡らせて、ジッと考え込む妖夢。答えに辿り着けないと分かっていても、こうして考えずにはいられない。

 

 そんな中。妖夢は突然現実に引き戻される事となる。

 

「はいはい、二人共そこまで!」

 

 パンッと手を叩いてそう口にするのは、蓮子だった。

 終わりの見えない思考の渦で漂い始めていた陰鬱な雰囲気も、それによって一気に吹き飛ばされる。唐突な上に少々強引な蓮子の行動を前にして、妖夢は思わずきょとんとしてしまった。

 当の蓮子は、優しげな表情を浮かべながらも、

 

「今夜はクリスマスイブよ? それなのにいつまでも陰鬱な感じじゃ、折角のパーティが台無しになっちゃうじゃない」

「パーティって……。蓮子さんはなんとも思わないんですか? ここまで殆んど何の手がかりも掴めていないのに」

「だからこそよ」

「えっ?」

 

 蓮子はそのまま続けた。

 

「ここ最近、皆ちょっと気張りすぎじゃない? 妖夢ちゃんの言う通り、確かに状況は芳しくないしモヤモヤ感は残っているけど……。でも、だからと言っていつまでも緊張しっぱなしじゃ身体がもたないでしょ?」

 

 「まぁ私も人の事はあんまり言えないけど……」と蓮子は苦笑しながらも付け加える。

 気張りすぎ? 焦っている、とでも言いたいのだろうか。

 そんな事はないはずだ。だって妖夢は毎朝剣術の鍛錬を行っていて、それが良い気分転換になっていて。だから、心に余裕は持てているはずだと。そう思っていたのに。

 

「私は……別に、気張り過ぎてなんか……」

「ないって言いたいの? でも正直、私に言わせれば一番気張り過ぎちゃってるのは妖夢ちゃんだと思うのよ」

「わ、私ですか……?」

「そう。確かに、いつまで経っても帰り道が見つからなくて、やきもきしても仕方がないとは思うけど……」

 

 それから蓮子は、いつになく摯実な表情を浮かべて、

 

「何て言うか……妖夢ちゃんは少し、生真面目過ぎるのよ。大丈夫だって、そう強く思い込んでしまっているから。貴方は自分の心境にも気づけずにいる」

「心、境……?」

「焦ってる自分に気づいてないって事よ」

 

 妖夢自身でも気づいていない心境。鍛錬をしているから、心に余裕を持てているから。だから大丈夫だと、そう思い込んでいる自分。

 妖夢はあまりにも生真面目だった。蓮子も、メリーも、進一達も。みんな協力してくれているのに、自分だけ焦るのはとんでもないと。心のどこかで、そんな責任を感じている。故に彼女は思い込むしかなかったのだ。自分は至って冷静である、と。

 

 蓮子の指摘通り、大丈夫だと思い込んでいたのは確かだ。いや、大丈夫だと自分に言い聞かせていた、と言った方が正しいか。とにもかくにも、妖夢はずっと誤魔化し続けていたのである。

 だけれども、蓮子にはそんな誤魔化しは通用しない。読心術に長けているのか、或いはただの直感か。それは正直分からないけれども、彼女が人の心境を敏感に感じ取れる事は確実だ。

 

 普段呑気だったり、無鉄砲だったりするのも、彼女なりの周囲への配慮だったのかも知れない。心境を敏感に感じ取れるからこそ、彼女はムードメーカーに徹している。

 ――もっとも、意識してそうしているかどうかは微妙な所だけれども。

 

「あれだよな。蓮子はこう見えて、意外と周りを見てるよな」

「ちょっと進一君? その言い方はひょっとして、普段の私はさも何も考えてない奴のように見えてたって事?」

 

 進一がそう茶々入れると、蓮子はムスっとした表情を浮かべる。この反応を見る限り、どうやら意識はしていなかったらしい。まったく、天然なのか何なのか。

 まぁ、でも。それでも結局は良い方向に進んでいるのだから、結果オーライではある。ある意味これも、彼女の魅力の一つであると言えるかも知れない。

 

「と、とにかく……。今日は皆でパーっと楽しもうよ。妖夢ちゃんも、一人で鍛錬するよりも皆でワイワイ盛り上がった方が気分転換出来ると思うわよ?」

「そ、それは……」

 

 妖夢は俯く。

 確かに蓮子の言う通りだ。実際、妖夢は焦っている。心に余裕だって殆んどない。正直に言って、その所為でここ最近の鍛錬も身に入っていないような気がする。

 

(私は……)

 

 認めよう。蓮子の言っている事は正しい。胸中には強い焦燥感が渦巻いていて、冷静さが散乱していた。最早剣術鍛錬では、気分転換には成りえない。寧ろ逆効果になりつつある。

 それならば。

 

「……そうですね。たまにはこういう事をするのも、良いのかもしれませんね」

「そうでしょ? 妖夢ちゃんなら分かってくれると思ってたわ!」

 

 折角の蓮子の提案だ。無下にしてしまうのも悪い。だから今日は思い切り、ハメを外してみようと。妖夢はそう思うのだった。

 

 

 ***

 

 

「しまった」

 

 予想外の状況に立たされて、進一は思わずそう声を漏らす。それに続いて出てきたのは、深い溜息だった。頭を掻きながらも、彼は自嘲気味に項垂れる。

 結論から言ってしまえば、迷子である。いや、別に自分がどこにいるのかが分からないだとか、帰り道が分からなくなっただとか、そう言う事ではない。ただ単に、蓮子達とはぐれてしまったのだ。

 

 取り敢えず買い出しを済ませてしまおうと、街まで足を運んだまでは良かった。だけれども、その直後に進一達は思い知らされる事となる。12月24日における、街中の活気付きっぷりを。

 要するに、想像以上に多くの人でごった返していたという事である。人波の中を突き進んでいる間、ちょっと油断したその少しの隙に完全に二人を見失ってしまった。最早近くに彼女達らしき人影すらも見えず、進一は完全に孤立してしまっている。一人だけ遭難した気分である。

 

「仕方ない」

 

 取り敢えず、蓮子の携帯に電話をかけてみよう。彼女達と連絡を取り合う事ができれば、そう苦戦する事なく合流出来るかも知れない。

 そう思ったのだが。

 

「……あれ?」

 

 手荷物を幾ら探っても、進一愛用のスマートフォンはどこにも見つからなかったのだ。上着のポケットも、ズボンのポケットも駄目。だからと言って、どこかに落としたような記憶はない。誰かに盗まれた――なんて事もないとは思うのだが。

 そこまで考えて、進一はふと思い出す。

 

(そう言えば、行く前に家で充電して、その後……)

 

 ただ単に、家に置き忘れてきただけのようだ。すっかり忘れていたのだが、確か充電器を挿しっぱなしにしてそのままだったはず。スマホを持たずに、外出してしまったのか。

 

「参ったな……」

 

 これでは蓮子と連絡が取れない。そうなると、彼女達との合流はより一層難しくなる訳で。

 

「捜しに行くか」

 

 ともあれ、ここで立ち往生してても仕様がない。幾ら難しいとは言え、早いところ彼女達と合流せねばなるまい。幸いにも、まだそう遠くへは行ってないはずだ。諦めるのは早い。

 さっさと見つけてしまおうと、進一は一歩前へと出る。

 

「……うん?」

 

 ――が、その刹那。突然奇妙な気配を肌で感じて、彼は思わず足を止めてしまった。

 視線だ。裁縫針か何かで肌をチクチクとつつかれているかのような、けれども何かを躊躇っているかのような。そんな視線。しかし例えば敵意とか、そんなものとは違う。強気なのだけれども、完全に徹する事が出来てないような。

 そして、何よりも。

 

(この感じ、どこかで……)

 

 身に覚えがあるような、ないような。そんな感覚を覚えながらも、彼は振り返る。

 真っ先に、それは視界に飛び込んできた。

 

「あいつは……」

 

 やたら奇妙な格好をしている人物である。緑と白を基調とした和装に、深く被った三度笠。女性だろうか。体格はどちらかと言えば小柄な方で、少なくとも蓮子達と比べると身長は低そうだ。精々、ちゆりよりも少し大きいくらいだろうか。

 どこか身に覚えのある感覚からてっきり知り合いかと思ったが、実際には見覚えのない人物である。記憶を探る限り、進一の知り合いにはあれくらいの体格の女性はいない。

 と言うか、そもそも。

 

「その格好……、まさか」

 

 先月、妖夢が出会ったという女性。その特徴と、完全に――。

 

「お、おいっ」

 

 進一がそんな事を考えている間に。その女性は、いつの間にか踵を返していた。進一に背を向け、おもむろに歩を進めて。しかしその姿は、何も進一から逃げている訳ではなく、

 

「ついて来い……って、事なのか?」

 

 去ってゆくその歩調も、背中から感じる雰囲気も。忌避感だとか、そんなものは感じない。寧ろ、進一を導こうとしているような、そんな印象さえも受ける。

 

 進一は思案する。このまま彼女を追いかけるべきか、否か。

 正体も分からぬ女性である。京都の街中で、あんな格好をしているなど。しかし、コスプレイヤーとも違うような気がする。

 何より。本当に妖夢が会ったと言う女性と同一人物だとしたら、何らかの非常識的な力が作用している可能性もある。だとすると、無闇について行くのは危険なのではないだろうか。

 

「いや、でも……」

 

 幻想郷や冥界への手掛かりに成り得るのではないだろうか。もしも本当にこちらの世界における非常識的な力が作用しているのならば、幻想郷とも何らかの繋がりを持っているかも知れない。

 だとすると。

 

「……行ってみるか」

 

 この上ないチャンスである。多少危険を冒してでも、ついて行ってみる価値はある。

 よしっと意気込んだ後、進一も彼女に続く。人並みを抜けた先、彼女が向かったのは路地裏だった。

 胡乱な雰囲気を漂わせる、薄暗い路地裏である。踏み入れる前からも分かる程に空気がどんよりと淀んでおり、精神衛生上あまりよろしくないような印象を受ける。手入れもあまり行き届いていないようで、いつ捨てられたかも分からないようなゴミ等も平気で放置されている。

 意を決して一歩足を踏み入れると、生臭い嫌な匂いが容赦なく進一の鼻をつついた。思わず顔をしかめてしまう程だ。こんな所に、あの女性は一体何の用なのだろう。人気のない所に、進一を連れ込んで。

 

(ひょっとして、ちょっとヤバかったか……?)

 

 一抹の不安感が進一の胸中を過ぎるが、だからと言って逃げ出そうとは思わなかった。恐怖心や不安感よりも好奇心が勝った、とでも言うべきか。とにかく、ここまで来て引き下がるのも勿体無いような気がする。

 

(まぁ……なるようになるさ)

 

 三度笠の女性の足取りを追って、路地裏を突き進む事数分。進一は少し開けた空間へと辿り着いた。

 三方を背の高い建物に囲まれた広場のような空間だが、お世辞でも居心地が良いとは言い難い。相も変わらず放置されたゴミの異臭が鼻をつつき続けているし、日光が入りにくい為か空気もより一層冷え込んでいるような気がする。こんな事でもなければ、決して入り込む事はなかったであろう空間である。正直言って、早いところ退散してしまいたい。

 だけれども、そうも言っていられない。なぜなら三度笠を被ったあの女性は、ここで足を止めたのだから。

 

「……おい。俺に何か用なのか?」

 

 足を止め、背を向けたまま何も言わない彼女に向けて。痺れを切らした進一が、そう投げかける。しかし、状況に変化はない。彼女は黙り込んだまま、少しの反応すらも見せなかった。

 

「……あんた、何者だ? ただのコスプレイヤーじゃないんだろ?」

 

 質問を変えてみる。が、結果は同じ。

 

「俺もあんたには聞きたい事がある。幻想郷という名前に心当たりはないか?」

 

 けれども、彼女は喋らない。

 

「だんまりかよ……」

 

 進一は思わず肩を落としてしまった。

 まったくもって、訳が分からない。なんだ、こいつは。なぜこの女性は何も言わないのだろう。一体、なんの為に進一をここまで連れてきたのだろうか。

 頑なに待っても駄目、こちらから声をかけても不発。となると、もうどうしようもない。

 

「もういい。何も用がないんなら、俺は行くぞ。待たせてる奴らがいるからな」

 

 どうやら進一の期待は外れてしまったようだ。これ以上こうしていても、時間の無駄である。そんな事より、早いところ蓮子達を見つけるべきだろう。あっちも進一を捜しているかも知れない。こんな路地裏にいては、いつまで経っても合流はできない。

 取り敢えず、さっきの所まで戻ろうと。進一が踵を返したその時、

 

「待って下さい」

 

 背後から、声かけられた。

 声の主は当然、あの女性である。進一は踏み出そうとしていた足を戻し、そして再び振り返る。彼は訝しげに首を傾げながらも、

 

「なんだ。喋れるんじゃないか」

 

 てっきり喋る事も出来ないんじゃないかなどと思っていたりしたが、そんな事はなかったようだ。それにしても、意外と覇気の薄い声色である。実は大人しめの性格なのだろうか。

 ともあれ、これでようやく意思の疎通が出来る。彼女が進一をここまで連れてきた理由も、これで明らかになるだろう。

 

 そんな期待を抱きつつも、進一は彼女が口を開くのを待つ。しかし、その次の瞬間。彼女が口にした内容は。

 

「……ごめんなさい」

「……は?」

 

 あまりにも唐突過ぎる、謝罪の言葉だった。

 これには進一もあっけらかんとしてしまう。一体なんだ。何を言っているんだ、彼女は。ますます訳が分からなくなってきた。

 

 流石に難しそうな表情を浮かべつつも、進一は彼女に確認をしてみる。

 

「……いや、なぜ謝る?」

「…………」

 

 一瞬まただんまりかとも思ったが、今回はそうではなかった。何かを躊躇っているかのように、ゆっくりと。彼女は口を開いた。

 

「私は今から、貴方を利用しようと考えています。だから……ごめんなさい」

「……利用?」

 

 利用とは、なんの事だろう。まさか進一を誘拐して、身代金でも要求しようというのだろうか。

 いや、それは流石に突拍子もないか。正直に言って、彼女がそんな事を考えているとは思えない。未だに正体も分からないが、なんと言うか。悪い奴では、ないような気がする。

 だとすれば。

 

「一体、何を」

 

 一体、何を言ってるんだ。進一が彼女にそう尋ねようとした、その時だった。

 

「もぉ……焦れったいなぁ」

「……ッ!?」

 

 背後から突然そんな声が聞こえて、進一は思わず飛び退いてしまう。弾かれるように振り返ると、そこには一人の幼い少女が佇んでいた。

 襟と袖にフリルがあしらわれた上着。花の柄が描かれたスカート。そして頭に被る、鴉羽色の帽子。いつからそこにいたのか、彼女は少々呆れ気味の表情を浮かべている。

 

「なんだよ、お前……」

 

 今の今まで、こんな少女はどこにも見当たらなかったはずだ。それなのに、気がついたら進一の背後に――。

 

「まったく……貴女に任せてたんじゃ、時間がいくらあっても足りないよ」

 

 たじろぐ進一を余所に、少女は三度笠の女性にそんな言葉を投げかける。この少女、あの女性の仲間か何かなのだろうか。いや、そんな事よりも。

 

(なんだ、こいつ……)

 

 この妙な感じ。見た目は幼い少女なのに、その容姿とは不相応な強い何かを感じる気がする。貫禄? いや、違う。威圧感? それも違う。

 そんな物とは異なる、もっと根本的な()()

 

「こんにちは! 初めまして!」

 

 少女が声をかけてくる。進一はゴクリと唾を呑み下した。

 

「貴方の名前は?」

「名前……? 岡崎、進一……」

「へぇ……。進一、ね。私は古明地こいし! よろしくね!」

「あ、ああ……」

 

 つい名乗ってしまった。いや、ちょっと待って。古明地こいし?

 

(こいつ、妖夢が言っていた……)

 

 十中八九、先日妖夢が出会ったという少女と同一人物と考えて間違いないだろう。珍しい名前の少女である。二人も三人もいるとは思えない。

 しかし妖夢から聞いてた話では、彼女は三度笠の女性を知らないと答えていたはずなのだが。この様子では、どう考えても二人は知り合いである。

 と言う事は。こいしと名乗ったこの少女は、やはり嘘をついていたのだろうか。

 

「さて! ちょっと時間がないから、色々と端折っちゃうね? 実は、貴方の力を貸して欲しいの」

 

 進一の思案など露知らず、こいしはそう投げかけてくる。我に返った進一は、首を傾げながらも。

 

「力?」

「そう。力」

 

 頷くこいし。間髪入れずに、進一が口を挟む。

 

「ちょっと待てよ。力ってなんの事だ? なぜ俺なんだ」

「あれれ? 惚けたって無駄だよ? 能力だよ。貴方が持っている能力」

「能、力……?」

 

 能力。そう言われて進一が真っ先に思い浮かべるのは、一つ。

 

「なんでお前がそんな事を……」

「それは企業秘密って事で」

 

 何が企業秘密だ。

 年相応の無邪気な笑みをこいしは浮かべているが、それが却って不気味さに拍車をかけている。そもそも、なぜ彼女は能力の事を知っているのだろう。会ったのは今日が初めてだったはずなのに。

 

 いや。この際そんな事はどうでもいい。何であれ、進一の答えは一つである。

 

「他を当たってくれ。そもそも、何の役にも立たないだろ。こんな能力……」

「ふーん……。一応、自分の能力を自覚はしてるんだ」

「……? 何を言って……」

 

 飄々とした表情を浮かべながらも。こいしが歩み寄ってくる。

 

「実はね、私も持ってるんだ。能力」

「なっ……」

「『無意識を操る程度の能力』。この能力を以てすれば、人の無意識を弄る事も、その領域を垣間見る事もできるんだよ」

 

 「もっとも、最初は上手く扱えなかったんだけどね」と。そう語るこいしを見ていると、心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われる。

 何かが根本的におかしいと、それだけは分かる。だけれども、逃げ出そうとは思わない。――否。“逃げ出す”という選択肢に、意識を傾ける事ができない。

 

「私には、貴方の事なんてお見通しだよ?」

「なんだと……?」

「貴方は自分の能力を自覚しながら、それをひた隠しにしようとしている。でも意識してそうしている訳じゃない。言うなれば自己防衛本能。つまり無意識……」

 

 そう口にするとこいしは、にやりと笑った。

 

「それなら、私の管轄だね」

「ッ!?」

 

 急激に、奇妙な感覚に襲われた。

 胸の奥から何かが這い上がってくるかのような感覚の後、突然ぐわんと視界が揺れる。肌をつつく冷気も、漂う腐敗臭も。徐々に感じる事が出来なくなり、意識が遠のいてゆく。

 

(な、に……!?)

 

 周囲の音も聞こえなくなってゆく中、こいしの無邪気な声だけが頭の中に響く。

 

「大丈夫。全部私に委ねてくれればいい。貴方は何も意識しなくていいんだよ」

 

 自分が自分じゃなくなっていくような。例えるならば、そんな感覚。

 

「さぁ……。貴方の無意識を解放して」

 

 全部。何もかも。溶けてゆく。

 

「そして私に見せてみてよ。貴方が持っている『眼』を」

 

 その言葉を最後に。進一の意識は途絶えた。

 

 

 ***

 

 

「思ってたより遅くなっちゃったわね……」

 

 太陽が西の地平線に沈み、空が黄昏色に染まる頃。ようやく課題を片付けたメリーが、街中を歩いていた。

 目的地は岡崎宅。今日は皆でクリスマスパーティだが、まさかこんな事になってしまうとは。クリスマスイブの日に課題をやる羽目になるなど、どうして想像出来よう。秘封倶楽部の活動に注力しすぎて、蔑ろにしてしまった自分が悪い訳だが。

 

「どうして蓮子はあれできっちり済ませてあるのよ……」

 

 メリーよりも積極的に活動に参加しているように見えた蓮子だったが、けれどもあれで大学の課題もしっかりと熟しているのだから驚きである。その律儀さを、もう少し時間管理の方にも傾けてくれれば。

 

(ま……ここでぶつくさ言ってても仕方ないか)

 

 一人で駅前通りをトボトボと歩いていたメリーだったが、ここは気持ちを入れ替える事にする。折角のクリスマスパーティ、楽しまなきゃ損である。

 凝り固まった身体を伸ばしながらも、メリーは歩を進める。ふぅと息を漏らしながらも、何気なく向けた視界。そこに、あるものが飛び込んできた。

 

「……ん?」

 

 道路を挟んだその先に、見知った人物が一人。どこかに向かおうとしているのか、ふらふらとした足取りで歩く彼は。

 

「進一君……?」

 

 今まさにメリーが会いに行こうとしていた人物の一人、岡崎進一その人である。

 なぜ彼がこんな所に、それも一人でいるのだろう。今頃は既にパーティの準備を進めている筈の時間帯なのだが。ひょっとして、買い出しにでも行く途中なのだろうか。

 ともあれ、見かけたからには声をかけてみるべきだろう。

 

「進一君!」

 

 そう名を呼びながらも、メリーは道路を横切って進一に走り寄った。

 

「こんな所で会うなんて、奇遇ね。丁度、貴方の家に向かうところだったのだけど」

「……メリーか」

 

 立ち止まる進一。しかし、なぜだか視線はこちらに向けてくれない。

 もしかして。少し来るのが遅れたから、怒っているのだろうか。

 

「ごめんなさい、中々課題が片付かなくて……。でも、もうバッチリよ。遅れた分、私もしっかり準備するから」

「…………」

 

 彼は何も喋らない。メリーは段々不安になってきた。

 

「ね、ねぇ進一君? そ、そんなに怒ってるの……?」

「…………」

「そりゃあ……、課題を蔑ろにしてた私が悪いんだけど……」

「…………」

「ちょ、ちょっと進一君? 少しくらい反応してよ」

 

 言葉を発するどころか殆んど反応もしてくれない進一。そんなに怒る事ないじゃないかと、メリーはちょっぴりムッとしそうになるが、彼女は直後に違和感を覚える事となる。

 何も喋らず、反応もほぼゼロ。話を聞いているかどうかも怪しい。傍から見れば、確かに怒っているようにも見えるが――。何がか、いつもと違う。

 

「し、進一君……?」

 

 メリーが不安感をジワジワと胸に抱き始めた所で。ようやく、彼は口を開く。

 

「メリー。お前に頼みたい事があるんだけど、いいか?」

「……へ?」

 

 いつにも増して重苦しい声調で、進一はそう口にする。メリーは息を呑みながらも、おずおずと、

 

「頼みたい事、って……?」

「パーティ、先に始めてて欲しいんだ。俺の事は別に待たなくて良いからさ」

 

 淡々とした口調。冷たく、まるで感情が籠っていないかのような声色。

 メリーの背筋に、悪寒が走る。

 

「あぁ、それと……蓮子の携帯に電話して、この事を伝えて欲しい。スマホ、家に忘れてきちまったみたいで……」

「ちょ、ちょっと待って! 待ってよ……!」

 

 堪らず、メリーは口を挟んだ。

 

「どういう事? 先に始めてて欲しいって……! 一緒にパーティするんじゃないの……!?」

 

 進一の様子が明らかにおかしい。こんなの、いつもの進一じゃない。何かが、決定的に違う。

 胸中に抱く違和感と不安感を確かなものにしながらも、メリーは声を張り上げる。そこでようやく、進一は視線を向けてくれた。

 

「…………ッ!?」

 

 途端に。息をするのも忘れそうになる程の衝撃が、メリーに走った。

 

「悪いな。少し、用事ができたんだ」

 

 メリーは何も言わない。否、何も言えない。

 身体が石みたいに動かない。心臓が五月蝿いくらいに高鳴り続ける。呼吸もまともにできなくなる。それくらいの、強い衝撃。

 

(進一、君……その眼は……!)

 

 それは。滅多な事では見せる事もないはずだった、彼の持つ能力。

 

「それじゃ。後は頼んだぞ、メリー」

「あっ……!」

 

 気がつくと、進一はメリーのもとから立ち去ろうとしていた。ひらひらと手を振って、メリーに背を向けて。おもむろに、歩を進め始める。

 

「待って!」

 

 反射的だった。強ばった身体を無理矢理動かし、メリーは手を伸ばす。行かせてはいけないと思った。ここで止めなければならないと、そう思った。だからメリーは一歩踏み出し、手を伸ばして進一を引き止めようとする。

 しかし。

 

「おっと。邪魔はさせないよ?」

「……えっ?」

 

 ()()が割り込んできた。

 メリーの胸元にも届かぬ程の背丈しかない、幼気な少女。分かったのは、それくらい。彼女の存在をしっかり認識するより前に、メリーは突然奇妙な感覚に襲われた。

 

「うっ……」

 

 立ち眩みのような感覚である。瞬間的に頭の中が揺さぶられ、足元がふらついて倒れそうになる。しかし、そんな感覚は一瞬だった。倒れまいと足を地に踏みしめると、案外あっさり平常に戻る事ができた。

 何だったんだ、今のは。何か変な術にでもかけられたかのような。

 

「あ、あれ……?」

 

 ふるふると頭を揺すりながらもメリーが顔を上げると、そこには既に少女の姿も、進一の姿も見当たらなかった。メリーが伸ばした右腕は進一を捉える事はできず、ただ虚しく空を掴むだけに終わる。

 メリーは慌てて周囲を見渡す。見失ったのはたった今。まだ遠くには行ってないはず。きっとこの近くにいるはずである。

 

「進一君……どこ……!?」

 

 だけれども、彼の発見には至らない。忽然と、煙みたいに。どうしようもないくらいにあっさりと、彼の姿は消えてしまった。

 

 クリスマスイブ。曇天の寒空の下、メリーの必死な息遣いだけが虚しく響いていた。


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