桜花妖々録   作:秋風とも

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第97話「眠り」

 

 青年は、底の知れない罪の意識に囚われていた。

 良かれと思って取った行動が、結果として最悪の事態を引き起こしてしまった。助けたかっただけなのに、力になりたかっただけなのに。けれどもそんな彼の願いは、敢え無く打ち砕かれる事となってしまう。

 

 助けたいだとか、力になりたいだとか。そんなのは結局、彼の一方的な感情に過ぎない。相手が実際にどう思っていたのかなんて、まるで考慮出来ていなかったのだから。

 それ故に、ある意味この結末は必然だったのかも知れない。彼は最期の瞬間まで、自分の間違いに気づく事が出来なかった。自分自身の感情に支配されて、ただ直向きに一心になってしまっていて。視野が狭くなっていた。だから自分が犯していた罪を認識する事が出来なくなっていたのである。

 

 そして死の瞬間になって、彼はようやく罪を認識した。後悔した。けれど後悔する時は、いつだって手遅れで。今更どうこうした所で、既にどうしようもなくて。例え理不尽で不条理に思える結末なのだとしても、受け入れるしかなくて。

 

 全部、自分の所為だ。全部自分が悪い。自分という存在が、いつだって周囲の人間に不幸を振り撒く。

 バッドエンドを目の当たりにした彼は、そんなネガティブな感情に支配されてしまった。自分が死んでしまったという事実よりも、自分が周囲の人達を傷つけてしまったという現実の方が彼の心を蝕んでいたのである。

 酷く、歪な感情。とても歪んだ責任感。

 けれどもそんな感情が、彼の心を傷つけていた事に変わりはない。彼の心が、深く、あまりにも大きな傷を負ってしまった事に変わりはない。それこそ、自分自身で生前の記憶を殆ど封印してしまうくらいに──。

 

 自己防衛本能。無意識の内に彼は記憶を封印し、そして壊れそうな心を守った。それを逃げだと捉えるか、正当な判断だと捉えるか。結局は本人の心持ち次第なのだろうけれど。

 

(でも……)

 

 それでも、魂魄妖夢は思う。

 彼の取った行動は、最善とは言い難いのかも知れない。間違っていたのかも知れない。けれどそれでも、妖夢は彼の抱いた想いを否定なんてしない。

 助けたいという一心は、死の瞬間まで彼が貫いた確固たる意思なのだから。その結末がバッドエンドだったのだとしても、結局それは結果論でしかない。大事なのは、“どうすれば良かったのか”等という後悔ではなく、“これからどうすべきか”という想像の方だ。

 間違いという罪に気付く事が出来たのなら、その罪を償えるように行動を起こす。後悔よりも、そっちの方が余程有意義じゃないか。

 

 だから妖夢は岡崎進一を否定しない。

 彼が罪の意識に苛まされているのなら、その償いの為に共に寄り添って前へと進む。それこそが、今の妖夢が彼にしてあげられる最善だと思うから──。

 

「進一……」

 

 呟くように、名前を呼ぶ。

 そんな最愛の彼は今、ソファに座った妖夢の膝を枕にして穏やかな寝息を立てている。

 

 妖夢の力を貸してほしい。そんな風に相談事を持ち掛けてくれた進一は、罪の記憶を吐露するだけ吐露した後に、糸が切れたように眠りに落ちてしまった。想起に対する激しい拒絶反応を必死になって抑え込み、彼は最後まで話し切ってくれたのだ。

 それは、彼自身が封じていた記憶。底の知れない罪の意識。

 死の瞬間の記憶。思い出すだけでも吐き気を催す程に辛い記憶だっただろうに、それでも彼は強引に引き摺り出していた。どういった経緯があるにせよ、死の瞬間の記憶なんて必ずしも気持ちの良いものではないだろうに。

 

 けれども、進一は話してくれた。自分で封じた記憶の鍵を開け放ち、心の奥のそのまた奥を妖夢に見せてくれたのである。

 

 ──北白河ちゆりと、岡崎夢美。彼女らに対する罪と後悔。

 

 妖夢も知らなかった情報。あのタイミングでこの時代に帰還する事になった妖夢では、知り得るはずのなかった一つの真実。

 

 彼は。

 進一は、記憶を取り戻す事が出来たのだろうか?

 

 心の奥から溢れ出てくる想いを言葉に変えて、進一は妖夢に伝えてくれた。我武者羅に、必死になって、彼は言葉を紡ぎ続けてくれた。

 けれども。我武者羅だったからこそ、一抹の不安が妖夢の胸中を駆け抜ける。

 

 ひょっとしたら、あくまで一時的な想起だったのではないだろうか。そもそも想起なのではなく、進一の中のある種の妄想が言葉として現れただけではないだろうか。そんな可能性を、無意識の内に考えてしまう自分もいる。

 

(……ダメだな、私)

 

 しかし妖夢は胸に手を当て、そして軽く頭を振るう。

 余計な不安など、払拭してしまうように。

 

(うん……。そうだよね。私が信じなきゃ、ダメだよね)

 

 悪い癖だ。どうにも自分は心配性な性質らしい。

 不安だろうと何だろうと、妖夢のやる事は変わらない。進一を信じる。ただそれだけだ。彼が今も尚、自分の過去と戦い続けていると言うのなら、妖夢はこうして彼の傍で帰りを信じて待ち続ける。そして彼が本当の彼を取り戻した時、思い切り抱きしめるのだ。

 

 彼は妖夢を信じてくれた。だから妖夢も彼を信じる。

 そう。彼ならきっと、大丈夫。妖夢を助けてくれた彼ならば、このくらいの逆境なんて乗り越えてくれるはず。

 

「だから今は、おやすみなさい」

 

 膝の上にある進一の頭を、妖夢は優しく撫でる。

 彼の表情は硬くない。記憶の断片を吐露していた時は苦し気な表情を浮かべていたのだけれども、今は幾分か穏やかだ。半ば強引に想起して、その疲労感からか泥のように眠りこけてしまっているのだけれども。

 少しでも、彼の役に立てていたら良いなと。妖夢は心の片隅でそう思うのだった。

 

(それにしても……)

 

 ふと、妖夢は思い出す。

 

「……『死霊』、か」

 

 進一の口から度々語られていた単語。八十年後の未来において、重要な意味を持っているらしいキーワード。

 死霊。単語の意味をそのまま捉えれば、要するに生霊の対義語という事になる。つまるところ死者の霊魂を示している訳だが──。

 

(でも、違う……)

 

 ニュアンス的に、妖夢もよく知る死霊とは同義でない事は確かである。

 進一は『死霊』の魔の手からちゆりを庇い、そして命を落とした。彼の言葉をそのまま飲み込めば、そういう事になる。

 確かに、霊の類の中には人の生命を奪える程に凶悪な力を持った個体だって存在する。少し前に人里で起きた連続殺人事件だって、その犯人は強い未練をこの世に残した怨霊によるものだった。故に霊が人を襲い、そして生命を奪う事に関しては特段違和感がある訳でもない。

 

 しかし、やはりどうにも解せない。

 何かを、見落としているような。

 

(『死霊』なんて呼称、初めて聞いたし……)

 

 恐らく、この時代にはまだ『死霊』と定義される異形は存在しない。今から約八十年の間に出現する何者かなのだろうけれど。

 

(そもそも……。進一はどうしてタイムスリップをしてしまったの……?)

 

 彼の口から語られたのは、『死霊』に殺されたという事実のみ。タイムスリップに関する情報は何も得られていない。

 

(『死霊』に殺されたらタイムスリップするのかな……? いや、でも……)

 

 違う気がする。『死霊』の襲撃はあくまで進一の死のきっかけに過ぎない。現時点での情報では、タイムスリップとの因果関係は確認出来ていないのである。

 だとすれば、何か他の理由が──?

 

「…………っ」

 

 下唇を噛み、そして妖夢は軽く息をついた。

 ここであれこれと考えても埒が明かない。妖夢が持っている情報だけでは、幾ら考察を続けた所で結局は推測止まり。確たる証拠も何もない今、全ての謎を解き明かすのは難しい。

 

 それに。例え進一がどんな理不尽に巻き込まれていようとも、目指すべきゴールは変わらない。

 彼を元の時代に帰す。そして然るべき場所できちんと供養して貰う。それこそが魂魄妖夢の願い。永琳にも口にしたその想いは、未だ変わっていないのだけれど。

 

 ──でも。やっぱり。

 

「夢美さんと、ちゆりさん……」

 

 ふと、無意識の内に妖夢はその名を口にする。

 

「それに、蓮子さん達も……」

 

 彼女らの事を考えると、胸の奥が苦しくなる──。

 

「……ッ」

 

 妖夢はぐっと、再び口をつぐむ。膨れ上がる不安感を抑え込み、胸の奥の苦しさから必死になって抵抗する。

 幾ら気丈に振舞おうとも、それでもやっぱり不安だ。不安で不安で、仕方がない。本当に記憶が戻ったのか。自分を取り戻す事が出来たのか。八十年後の未来の世界で、彼の身に何が起きたのか。

 それに。残された人達は、一体どうなってしまったのだろうか。

 

(でも……)

 

 だからこそ。それら全てをひっくるめて、妖夢は信じ続けている。

 彼はきっと帰ってきてくれる。目を覚ましてくれる。例えどんなに理不尽で不条理な真実を突きつけられたのだとしても。彼は負けない。絶対に、負ける訳がない。

 

「私はずっと、信じてる……」

 

 そっと、妖夢は進一の手を握る。妖夢の膝で未だに寝息を立て続けている進一に対し、妖夢は強く想いを馳せる。

 

「だから……」

 

 強まる想いを言葉に変えて。

 魂魄妖夢は、口にした。

 

「いつまでだって、待ってるよ……」

 

 

 *

 

 

 プリズムリバー楽団はそれなりに名の知れた楽団だが、それはあくまで地上の幻想郷においての話である。

 例えばつい最近無名の丘で演奏会を開催した事もあったが、突発的な開催だったのにも関わらず多くの観客が集まってくれた。メルランが急にゴリ押しを始めた時はどうなる事かと思ったが、それでも結果的に成功という形になってホッとしている。これも日々応援してくれているファンのお陰だ。不愛想が常のルナサだが、これでも一応感謝しているのである。

 

 けれど地底が舞台だとその話は多少なりとも違ってくる。

 つい何年か前までぎっちぎちの不可侵条約に阻まれていたという事もあり、地底と地上との交流は殆ど絶たれていたと言っても過言ではない。今は緩くなったとは言え、それでも積極的に交流が行われているという訳ではないらしい。

 地上と地底は色々な意味で勝手が違う。完全に分かり合う為には、まだまだ時間が必要となりそうだ。

 まぁ、そのきっかけとなれる事を期待して、彼女らはこうして地底での演奏会を企画したのだけれども。やはり初めての試みだ。何が起きるのか予想も出来ず、多少なりとも不安感だって覚えていたのだけれども。

 

「いやー、大盛況だったねルナサ姉さん。最後はみんなすっごくノリノリになってくれたし」

「……うん。そうね」

 

 結果として、演奏会は無事に成功という形で終わりを迎える事が出来た。

 ニコニコ顔で声をかけてくるリリカへと向けて、頷きつつもルナサは答える。一時はどうなる事かと思ったが、ライブ中盤から終盤にかけての盛り上がりっぷりは地上でのそれと引けを取らない程だった。観客達も存分に楽しんでくれた事だろう。

 

 地上と地底は勝手が違うとは先にも述べた通りであるが、それは当然プリズムリバー楽団の知名度にも当てはまる。地上ではそれなりに名の知れた楽団ではあるものの、その名声はこの地底まで届いているとは限らない。精々、地上には騒霊達の楽団が存在するらしい、程度の知名度である。ヤマメという自称アイドルが知らなかった事からも分かる通り、チケットの事前販売分はあまり芳しくない売り上げだったと思うのだが──。

 

「……まさか当日券があそこまで売れるなんて」

「うんうん、予想外だったよね! 誰かが口コミで広めてくれたのかな?」

 

 これには流石のルナサも予想外の展開である。地底という性質上、ルナサ達はそこまで大々的にマーケティングは行えておらず、演奏会の規模もどちらかと言うと小規模だった。それでも当日になってあそこまでの観客が集まったという事は、メルランの言う通り誰かが口コミで広めたと考えるのが妥当であるが──。

 

「口コミってニュアンスは間違ってないと思うけど……。多分、姉さん達が因縁をつけてきた鬼を返り討ちにしちゃったのが大きいよね……。あれで興味を持ってくれた人が沢山いたみたいだし」

「……不本意なんだけど」

「でも結果オーライだよね!」

 

 旧都に入るなり絡んで来た鬼の連中をルナサはメルランと共に返り討ちにした訳だが、あれのお陰で楽団の存在は旧都でも瞬く間に広まったらしい。鬼を一方的に下した連中がいる。それはどうやら地上から来た楽団らしい、と。そうして興味を持ってくれた旧都の住民が会場へと押し寄せ、当日券を購入してくれたという事だ。

 

 まぁ、ぶっちゃけ不本意な流れではある。こちらとしては降りかかる火の粉を払っただけ。別に好き好んで鬼をぶっ飛ばした訳ではない。それなのに()()()()()()()での知名度が広がってしまうなんて、色々な意味で面倒というか居心地が悪いのだけれども。

 

「……まぁ、確かに結果オーライね」

 

 それでも最後は、健全な演奏会として観客達も盛り上がってくれたのだ。初の地底ライブにしては、この結果は十分に御の字。成功と言ってしまっても差し支えないだろう。

 欲を言えば、この演奏会をきっかけに地上との確執が多少なりとも薄れてくれればいい。自分達の音楽で皆の笑顔が増えたのならば、それこそ楽団冥利に尽きるというものだ。

 

「ルナサ姉さん、ほっとした表情浮かべてる」

 

 リリカがルナサの顔を覗き込みつつもそんな事を言ってくる。

 

「……別に、表情なんて変えてないでしょ」

「まぁ確かに普段通り殆ど不愛想だけど……。でも姉妹だもん。ちょっとの変化くらい読み取れるよ」

「それは……」

「今日のライブ、手応えあったもんね。限られた人数だったけど、私達の音楽を届けられて良かった」

 

 表情に出したつもりはなかったのだが、どうやらリリカにはお見通しだったらしい。

 姉妹だから、か。確かにそうだ。自分達は三姉妹。それも楽団である。普通の姉妹よりも深く心が通じあっているだろうし、ルナサの微妙な表情の変化だって簡単に読み取られてしまう。

 リリカでそうなのだから、メルランだって同じだろう。彼女は頭が空であるように見えて、意外と感情の変化に敏感である。その癖して性格は子供っぽい。そんなメルランに表情の変化を悟られたら、間違いなく面倒な絡まれ方をされてしまう。

 

「…………」

 

 ウザいのは御免だ。逃げよう。

 ルナサは何も言わず、目的地へと足を早める事にする。

 

「あれ? どうしたの姉さん!? 何だか足が速いよ……!?」

「……うるさい。別に普通」

「いや普通じゃないよね!? 姉さん? 姉さーん!?」

 

 ──これはこれでウザい。どっち道ウザいなんて八方塞がりじゃないか。

 ルナサは溜息をつく。テンション高めな様子でメルランがついてくる。そんな姉二人の後に、苦笑しつつもリリカが続く。

 

 楽団としての演奏会を終えたプリズムリバー三姉妹は、旧都の中心部へと向かっていた。

 彼女らの目的地は灼熱地獄跡。その真上に建てられた旧都最大級の洋館──地霊殿である。その主、古明地さとりは地底に蔓延る怨霊達の管理を任されているらしく、立ち位置的には冥界の白玉楼にも近いかも知れない。

 プリズムリバー楽団の目的は旧都で演奏会を開く事。当初は地霊殿まで足を運ぶ予定はなかったのだが、事情が少し変わった。無事に演奏会を終える事が出来た今、やはり次に気になってしまうのは()()()()

 

「珍しいよね。ルナサ姉さんがそこまで興味を示すなんて」

「……そうかもね」

 

 リリカの言葉に対し、しかしルナサは否定しない。興味を示していると言えば、確かにその通りであるからだ。

 白玉楼の庭師と共にいる記憶喪失の亡霊。自分達と別れた後、彼はどうなったのか。記憶を取り戻す事ができたのだろうか。それが気になってしまって、ルナサは地霊殿まで様子を見に行こうとしている。

 妹二人には先に帰っても良いとは伝えたのだが、それでも一緒に行くと言って聞かなかった。彼女達曰く。

 

「いや、流石にルナサ姉さんを一人地底に置いて帰るのは心配だよ。幾ら姉さんが強いとは言え、地上や冥界とは訳が違うんだよ?」

「そうそう! 姉さんコミュニケーションもまともに取れないんだから!」

 

 ──との事だった。

 メルランの一言は余計だが、こうなってしまっては幾らルナサが拒んでも彼女らはついてくるだろう。それが判っているだけに、ルナサは早々に説得する事を諦めた。別に無理を言って帰って貰う程の事でもないし、ついてきたいのなら勝手についてくれば良い。

 

 そんなやり取りを交わしつつも旧都を進む事数分。今回は先ほどの鬼のような連中に絡まれる事もなく、ルナサ達は件の洋館に辿り着く事が出来た。

 噂に聞いていた通り、幻想郷にしては比較的珍しい洋風の建物である。ルナサ達が普段生活をしているのも廃洋館ではあるが、イメージ的には同じでも規模はこちらの方が上であろう。怨霊の管理を任されているだけあって、権力的にも上の方に位置するのだろうか。

 

「うーん、取り合えず到着した訳だけど……」

 

 そんな西洋風のお屋敷を前にして、リリカが零す。

 

「でもアポ取ってないよね? いきなり訪ねちゃっても大丈夫なの?」

「そうだけど……。別に、ちょっとあの亡霊について訊くだけでしょ。それなら問題ない」

「何でそう言い切れるんだろ……」

 

 ジト目のリリカはやや呆れ気味である。ルナサは思わず顔を逸らした。

 確かに彼女の言う通り、アポイントメント等は特に取っていない。つまりは急に押し掛けたような形になってしまっているのである。リリカの危惧は最もなのだろうけれど。

 

「大丈夫だよリリカちゃん! 感じ良く訪ねれば、あっちだってきっと快く迎え入れてくれるはずだよ!」

「いや、でも……」

「よーし、善は急げだね! ごめんくださーい!」

「あ、ちょ、メルラン姉さん……!」

 

 やたらとノリノリなメルランが勝手に先導を始める。ぎぃっと音を立てて、無遠慮に正門を開けてしまった。

 メルランのテンションに普段はウザがる所だが、今回ばかりは彼女の陽気さが何よりもありがたい。こういった場面では、明るく接した方が物事は円滑に進められるものだ。ルナサよりもメルランの方が適任であろう。

 

 二人の後に続くような形で、ルナサも先に進む事にした。

 正門にあたる部分を抜け、熱気の籠った庭園を抜けて中心の洋館へと足を向ける。門番のような人物も見当たらなかったので、館のドアを直接ノックしてみるしかない。──この洋館の管理体制はどうなっているのだろう。地上の紅魔館には一応門番がいると言うのに。

 

 と、変わらず遠慮もなしにメルランがドアをノックしようとした直前に。

 

「あれ? 楽団のお姉ちゃん達だ!」

 

 庭園の方から聞き覚えのある声が流れ込んできて、ルナサ達は足を止めた。

 振り向くと、トコトコとこちらに駆け寄ってくる小さな女の子の姿が確認できる。ルナサ達とも顔見知りである覚妖怪の少女──古明地こいしである。ルナサ達の姿を認めた途端、彼女の表情はパァっと明るくなった。

 相も変わらず無邪気で人懐っこそうな印象を受ける少女。そんな彼女に対して真っ先に反応を示したのは、プリズムリバー三姉妹の賑やか担当であるメルラン・プリズムリバーだった。

 

「あ、こいしちゃん! さっきぶりだね!」

「うん! どうしたの? 旧都で演奏会をしてたんだよね? どうなったの?」

「ふふーん、演奏会なら大盛況で幕を下ろす事が出来たよ! 観客の皆も存分に楽しんでくれたみたいだし、もう大成功だね!」

「おー! 凄いね! 流石は幽霊楽団のお姉ちゃん達だね!」

 

 ぱちぱちと拍手をしつつもそんな事を口にするこいし。自分達は騒霊なので“幽霊楽団”という表現は微妙に間違っているのだが、まぁ、態々揚げ足を取る必要もあるまい。ルナサだって、楽し気な子供に水を差すような行為をするつもりはないのである。

 

 しかし、折よくこいしが来てくれて助かった。彼女なら、あの亡霊について何か知っているはず。

 

「それで? 皆はどうして地霊殿に?」

「……私達は」

「進一さんに何かご用ですか?」

「え?」

 

 要件を尋ねてきたこいしに対しルナサが答えようとするが、不意に第三者の声が流れ込んできて彼女は思わず言葉を呑み込んだ。

 話しかけてきたのは、こいしの後に続くような形で現れた一人の少女。天真爛漫なこいしとは違って落ち着いた印象の少女だが、その容姿はどことなくこしいと似通っているように思える。紅藤色の髪。眠たそうな表情。フリルが多くあしらわれた衣服。そして何より気になるのは、赤い管で繋がれた眼のような器官。

 

 第三の眼(サードアイ)。つまるところ彼女は覚妖怪。という事は。

 

「あっ。ひょっとして、こいしちゃんのお姉さんの……?」

「ええ。古明地さとりです。成る程、貴方達がプリズムリバー楽団ですか。よろしくお願いしますね」

 

 リリカが尋ねると、彼女は頷いてそう答えた。

 古明地さとり。成る程、彼女が噂に聞く地霊殿の主か。背丈は小柄なリリカと同じくらい。一見すると子供にしか見えない姿をしているが、そこはやはり怨霊の管理を閻魔より任される身。容姿相応に子供らしいこいしとは対照的に、どちからと言うと達観した雰囲気を漂わせる少女である。

 

 しかし、なぜ彼女達は庭園の方から現れたのだろう。地霊殿の玄関はここではないのだろうか。

 

「いえ、玄関はそこで合ってますよ。今は訳あって、ちょっと庭園の方で時間を潰していたんです」

「……あなた、私の考えている事が」

「ええ。読めますよ。覚妖怪ですので」

 

 まだ何も言っていないのに、さとりはルナサが抱いていた疑問の答えをずばり口にしてしまった。

 ルナサは思わず第三の眼(サードアイ)を一瞥する。これが覚妖怪の持つ能力というヤツか。何も口にせずとも考えている事が伝わるなんて、何とも不思議な感覚である。

 

「不思議、ですか。この『能力』を前にして大抵の人は真っ先に気味悪がるものですが、そういった反応はちょっぴり珍しいですね」

「別に……。『能力』なんて千差万別でしょ。一々気味悪がってたら埒が明かない」

「ふむ……。そういう考え方ですか」

 

 気味が悪いと言うのなら、スキマ妖怪の『能力』だとか博麗の巫女の鋭すぎる勘だとかの方が余程気味が悪いと思う。ちょっと心を読まれるくらい、ルナサにとっては大した問題にならない。

 

「姉さんはコミュニケーション能力に難があるからね! 寧ろ心を読んでくれた方が、喋る必要なくなってありがたいんじゃないかな?」

「……うるさい。余計なこと言わないで」

「えー! 結構重要なことだと思うけどなぁ」

 

 この妹、ルナサに喧嘩を売っているのだろうか。

 まぁ、コミュニケーション能力云々に関しては、メルランの言葉も強くは否定出来ない。ルナサが積極的に喋るタイプではない事は事実だし、喋る必要がなくてありがたいという気持ちも微かに存在している。

 けれど、流石にいつまでもこのままではいけないという気持ちだって確かに存在しているのである。ルナサだって悪癖の自覚はある。

 

「ふふっ。皆さん、姉妹仲がよろしいんですね」

「あ、分かっちゃう? そうなの! 私達、仲良し三姉妹なんだ!」

「ウザい……」

 

 抱きついてくるメルランをルナサは引っぺがす。

 というか、この覚妖怪もなに茶々入れてくれちゃってるんだ。このままでは本当に話が進まない。

 

「……とにかく、地霊殿の主であるあなたが出てきてくれたのなら話は早いわ。私達の要件、心を読めるあなたにはもう伝わってるんでしょ?」

「ええ。貴方達……というよりも貴方の要件ですよね、ルナサ・プリズムリバーさん?」

「……まぁ、そうかも」

 

 ぎょろりとした第三の眼(サードアイ)に見据えられつつも、ルナサは頷いて答える。覚妖怪である彼女の前では、嘘や誤魔化しなど意味のない行為である。

 

 そんなさとりはルナサから目を逸らすと、今度はメルランとリリカの方へと視線を移す。赤い管で繋がれた第三の眼(サードアイ)。それがメルラン達を一瞥すると、眠たそうなジト目だったさとりの表情が一瞬だけ変化した。

 

「……っ」

 

 何かに、驚いたような表情。

 けれどの次の瞬間には、彼女はどこか納得したような表情を浮かべていて。

 

「成る程……。そういう事ですか」

「…………」

 

 ──心を読まれた?

 その上でそんなリアクションを取っているという事は、彼女はこちらの()()を理解したという事なのだろうか。

 

「お姉ちゃん……?」

「あっ……。ううん、何でもないの。気にしないで」

 

 心配そうな声を上げるこいし対し、さとりは優しく頭を撫でながらもそう()()()()

 そして今度は、改めてルナサ達へと向き直ると。

 

「ごめんなさい。つい、いつもの癖で……。ここまで覗き見るつもりはなかったんですが……」

「……別に、謝る程の事じゃない。読まれたって私は気にしないし」

「そ、そうなんですか……?」

「言ったでしょ? ()()()()って。それはつまり、こういうこと」

 

 そう。古明地さとりの『能力』ならば、説明するより話が早い。──いや、()()()とでも言うべきか。ルナサ達の心を読み、そして納得をしてくれた古明地さとりなら、こちらの考えだって理解してくれるはず。

 

「はぁ……。貴方って、見かけによらず豪胆というか何と言うか……。私が貴方の想像通りの人物でなかったらどうするつもりだったんですか?」

「だったらそもそもリスクを冒してこんな所まで足を運んだりしない。あなたの事はリサーチ済み。旧都でライブを開くんだから、それなりの地位を持つ人物の事くらい事前に調べておいたつもり」

「それは……。ふふっ、信頼してくれて痛み入りますね」

 

 くすくすと笑いつつも、さとりはそう口にする。

 話が分かる人物で助かる。色々と手間が省けるというものだ。何せこちらは事情が事情だ。普通に口で説明しようとすると、少しばかり面倒な事になる。

 

「え? なに? ルナサ姉さん、何の話なの?」

 

 イマイチ状況を呑み込めていないリリカが、ルナサにそう尋ねてくる。

 ルナサはリリカを一瞥する。小首を傾げた彼女は、少し困ったような表情を浮かべていたが。

 

「別に。妹を持つ者同士の、ちょっとした以心伝心というか」

「な、何それ……? どういうこと?」

「……別に」

「別にって……。もうっ、そればっかり。まぁ、いつも通りのルナサ姉さんと言えばその通りだけど……」

 

 それ以上、リリカはルナサに追求する事を諦めたようだ。肩を窄めつつも、呆れ混じりの表情を浮かべている。リリカには悪いが、今日のところはこれで納得してもらう事にしよう。

 

「さて、進一さんですよね? 確かにここ地霊殿に迎え入れていますよ。でも今は訳あって、お話できる状態ではないと思います」

「……訳?」

「はい。彼が記憶喪失なのは皆さんご存知ですよね? そんな記憶を取り戻す為に、進一さんは奮闘している最中なんです」

「奮闘、ね……」

「ええ。ですから、今は妖夢さんと二人っきりにさせてあげませんか?」

 

 成る程。大凡の状況は察する事が出来た。

 ルナサが気になっている事は、進一が記憶を取り戻す事が出来たのか否かなのかという事。現在進行形で想起を試みる真っ最中なのだとすれば、無理に押し入るつもりはない。

 

「実は私達も、進一さんがお話出来る状態になるまで時間を潰していた所なんです。……進一さんの事が気になるのなら、貴方達もご一緒にどうですか? お茶とお菓子くらいなら出しますよ」

「そうね……」

 

 進一の事は気になるが、どうすべきだろうか。

 今日はこれ以上の予定はない。次の演奏会だって、開催はまだだいぶ先だ。ここで進一の事を待ってもいいのかも知れないが、果たしてそこまでする程の事だろうか。

 

 進一は、()()()とは違う。

 

 四季映姫だって、そう言っていた。だとすれば、()()()()を続けた所で意味なんてないのかも知れない──。

 

 と、あれこれ思考を働かせていたルナサだったが。

 

「わっ、ホントに? 丁度お腹が空いていた所なんだー! それじゃ、お邪魔しまーす!」

「ちょ、メルラン姉さん……! ちょっとは遠慮した方が……」

「いえいえ、お気遣いなく。遠慮は無用なので大丈夫ですよ」

「…………」

 

 ルナサの思考など露知らずと言った様子で、メルランが勝手に話を進めてしまっていた。

 まぁ、予想は出来ていた展開である。ルナサが幾ら頭でっかちな思考を進めた所で、結局はメルランには敵わない。天真爛漫でどこまでも真っ直ぐなメルラン・プリズムリバーの無邪気さを前にすると、ルナサの思考なんていつだって敢え無く瓦解してしまうのである。

 溜息をつき、そしてルナサは軽く肩を窄める。メルランの前では、憂慮するのも馬鹿らしく思えてきてしまうのだ。まぁ、そんな彼女の明るさのお陰でルナサも気持ちが楽になっているのだが──。それを口にするとまた調子に乗りそうなので、今は黙っておく事にする。

 

「いやー、さとりさんは親切だなぁ。優しいお姉ちゃんがいて、こいしちゃんは幸せ者だね!」

「うん! 自慢のお姉ちゃんなんだ! 私、そんなお姉ちゃんの事が大好き!」

「ふふっ。ありがとう、こいし。お姉ちゃんもこいしの事が大好きだよ」

「えへへー!」

 

 さとりに頭を撫でられ、嬉しそうに笑顔を浮かべるこいし。そんな彼女らの様子をニコニコ顔で眺めるメルラン。

 何ともほのぼのとした光景だ。古明地姉妹は、本当に仲の良い姉妹であるらしい。この地底で生活をしているという事は、彼女らにもそれなりに陰のある過去が存在するはずなのだが──。今の二人の様子からは、そんな陰湿な雰囲気など微塵も感じられない。

 

 いや。暗い過去があるからこそ、なのだろうか。

 それ故に姉妹の間には強固な絆が存在し、そして今のような関係性が形成されている。互いが互いを信頼し、そして互いが互いを想いやっている。良質な姉妹関係。過程はどうあれ、姉妹として本来あるべき姿。

 そんな二人を見ていると、何と言うか。

 

 ──ちょっぴり、羨ましい。

 そんな気持ちが、微かに心の中を過ってしまって。

 

「姉妹……」

 

 その時、そんな呟きがルナサの耳に流れ込んできた。

 零したのはルナサではない。彼女の隣で古明地姉妹の様子を眺めていた、もう一人の妹。リリカ・プリズムリバーは、ぼんやりとした表情を浮かべていて。

 

「リリカ?」

「……え?」

 

 声をかけると、リリカは我に返ったように一瞬だけ目を見開く。

 少し、自分でも驚いているかのような表情。けれど彼女はすぐに苦笑して、困ったように首を横に振ると。

 

「あっ……。う、ううん。何でもない。何だかちょっと、ボーっとしちゃっただけで」

「でも……」

「そんな事より! ほら、ルナサ姉さんも早く行こっ。遠慮しなくても良いって言ってくれたし、さとりさんも待ってるよ?」

 

 ルナサが何か言い終わるよりも先に、リリカは捲し立てるようにそう口にする。

 彼女から伝わってくるのは、困惑。そしてほんの少しの焦り。どうしてこんな気持ちになってしまったのだろうと、自分が抱く想いさえも十分に理解出来ていない様子で。

 

「リリカ……」

 

 一抹の不安感。けれどそれでも、ルナサはそれ以上の何かが出来る訳でもない。

 頭を振るう。余計な憂慮を払拭する。そしていつも通りの平静を取り繕って、ルナサはリリカに続くように古明地姉妹の元へと足を向けた。

 

「……ホント、相変わらず」

 

 古明地姉妹へと歩み寄る。そして声をかけてきたのは、メルラン・プリズムリバー。

 普段はやたらとやかましい癖に、この時ばかりは珍しく落ち着いた様子で。

 

「結構心配性だよね、姉さんは」

「…………」

 

 余計なお世話だと、ルナサは心の中でそう思った。




人気投票、妖夢ちゃん1位ですか。
ようやく時代が追いつきましたね……。

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