桜花妖々録   作:秋風とも

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第9話「意識の外側」

 

 蓮子とメリーが墓荒らしの犯人を捜索していた日と同日。周囲に夜の帳が落ちた頃、岡崎宅のリビングで夢美は項垂れていた。

 この時期と言えば、街中クリスマスムードで活気付く頃である。至る所がイルミネーションで彩られ、夜にもなると淡い光の数々で優しく包み込まれる。年に一度の聖夜祭だ。人々は皆胸を躍らせる心境を抱き、街は活気に溢れかえる。

 

 だけれども。夢美にはそんな事どうでもいいのである。クリスマスが近づこうが街が活気付こうが、今の夢美には関係ないしそれに振り回されるような事もない。

 それより何より。彼女にはもっと重大かつ重要な問題がある。

 

「……姉さん。いつまで落ち込んでるんだよ」

「落ち込むわよ! だって、だって……!」

 

 進一に声をかけられて、夢美はガバッと顔を上げる。ぷるぷると身体を振るわせて、遺憾さを惜しみなく滲ませながらも。

 

「妖夢の身体を調べたのに、魔力はおろか痕跡すら見つからなかったのよ! どういう事よ!?」

「いや、知らんけど……」

 

 夢美は荒れていた。荒れ果てていた。

 本人了承の上で妖夢の身体を調べたのは、今日の午前中の事である。夢美の仮説が正しければ、魔力とは物理的な“力”としての性質を持ちながらも、“物質”としての性質も併せ持っているはず。重力等と同じように物体の状態を変化させる作用もあれば、例えば火や水のように自然界に存在する元素のような一面も持っている。この物質としての状態が所謂『魔法』であり、それこそが実体化した魔力なのである。

 このように物質としての性質を持っているならば、どこかにその痕跡が残るはずなのだが――。実際はどうだろう。妖夢の身体のどこを探しても、そんな痕跡など見当たらない。例え魔法が使えなくとも、幻想郷で日々を過ごしてきたのならば、どこかで必ず魔法に触れているはずなのに。それを実証出来るような結果は、まるで得られなかった。

 しかも、だ。妖夢は半分幽霊と言う特殊体質であるのにも関わらず、その身体構造は驚くべき程に普通の人間そのものだったのだ。多少体温は低かったが。

 

 つまるところ、何が言いたいのかと言うと。

 目新しい発見を全くする事ができず、夢美は自棄になっているのだという事である。

 

「あの……。すいません、お力になれなくて……」

「いやいや。いいのよー、妖夢は気にしなくて。別にあなたの所為じゃないし。でもねー、こうも上手くいかないとねー、流石の私もそりゃあ荒れるわよ」

 

 そう言うと夢美は、グラスに並々と注がれた酒を一気に呷る。アルコール度数は決して低くない為、勢いよく流し込むとかなり喉がヒリヒリする。だけれども、夢美はそんな事お構いなしだ。まるで普通の水でも飲んでいるかのように、グビグビと飲み干してしまった。

 

「ぷはぁ! あぁ……荒んだ心にお酒が滲みるわぁ……」

「ところで、急性アルコール中毒という症状があるんだが……」

「そんなもの気にしてらんないわ! 飲まなきゃやってられないのよ!」

 

 ドンッと叩きつけるようにグラスを机に置きながらも、夢美は声を張り上げる。どうやら既に酔いが回っているようだ。頬を赤く染め、瞳をふにゃりと垂らしながらも。彼女は空になったグラスに再び酒を注ぐ。

 

「夢美様が荒れるのも分かるぜ。博麗大結界の方も、未だに進展なしだからな」

 

 そう語るのは、ちびちびと酒を口に運んでいたちゆりである。

 仕事が終わった後。身支度をして帰路に就こうとした矢先、彼女は少々強引に夢美に連れてこられたらしい。ヤケ酒に付き合え、と。まぁ、タダ酒が飲めるので少々強引とは言っても意外と満更でもない様子ではあったが。

 

「そうでしょそうでしょ!? 流石ちゆり! 話が分かる!」

「な、なんだかいつも以上にちょろくなってないか夢美様……」

 

 身を乗り出した夢美を見て、流石のちゆりも若干気圧され気味だ。酒が回った夢美のテンションは、いつも以上に高い。

 

「さあ! 進一と妖夢もバンバン呑みなさい! 今夜はお酒三昧よ!」

「あ、ああ……」

 

 そう言うと夢美は、進一と妖夢の前にも酒を突き出してきた。

 と言うか。進一はともかく、妖夢は飲んでも大丈夫なのだろうか。容姿は精々十代中盤くらいにしか見えないのだが。

 

「……へ? お酒に年齢制限なんてあるんですか?」

「……成る程。承知した」

 

 幻想郷は進一が思っていた以上に無法地帯だったと言う事か。彼女曰く、幻想郷では未成年でも皆普通に飲酒しているらしい。いや、そもそも妖夢は半分人外であるため、実年齢と見た目は必ずしも一致しないようだが――。

 

「細かい事なんてどうでも良いのよ! それより早く呑みなさい! 呑みまくりなさい!」

「分かった分かった」

 

 いちいち突っかかるのも面倒になってきたので、ここはされるがままになる事にした。

 つまみを口に運びつつも、ひたすら酒を呷り続ける。酒の肴は枝豆の塩茹でや焼き鳥等と、そして夢美の愚痴である。やれ統一理論は認めないとか、やれ学会の連中は頭が固すぎるとか。そんな内容の繰り返しだ。グチグチと語り続ける夢美の身体は、不規則的に左右前後に揺れている。もうそんなに酔っているのだろうか。

 夢美には呑みまくれなどと言われたが、自分は程々にしておかなきゃなと進一は思う。姉弟揃って酔いつぶれるのは流石にまずい。それに、酔っ払った夢美を放置しておくのは、なんだか嫌な予感がするし。

 

 そんなこんなで酒を呑み続ける事一時間。ついさっきまで夢美が一方的に愚痴り続けていたはずなのだが、いつの間にか状況は一変していた。

 

「大体ぃ……、幽々子様は食べ過ぎなんですよぉ……! もう訳わかりませんよ……どこに入るんだって感じですよ……! お陰で白玉楼のエンゲル係数は高くなる一方で……」

「あぁ……、妖夢も苦労してんだな……。私もなぁ……、夢美様が肝心な所でポンコツだからなぁ……!」

 

 上司を持つ女子二人の愚痴合戦である。

 酒が回った所為で顕著に肌を赤くした妖夢は、いつも以上に饒舌だ。健啖家な主人の尋常ではない食い意地に、日々苦労させられているらしい。朝昼晩三度の食事に加え間食の量も凄まじいらしく、妖夢は一日に何度も食料の買い出しに駆り出されているとの事。確かに食事事情だけでそこまで重労働ならば、愚痴の一つや二つ出てきてもおかしくないかも知れない。

 

 それに対して、ちゆりだが――。彼女もまた、夢美の助手として日々苦労が絶えない身だった。

 

「バカと天才は紙一重なんて言うけどな、夢美様はまさにそれを体現してるぜ。なんて言うか、どこか抜けてるって言うか、天然なんだよなぁ……。天然のポンコツ?」

「ねぇ、ちゆり。目の前に本人が居るんだけど……? 丸聞こえなんだけど……!?」

 

 隠す素振りも見せずに夢美への不満を口にするちゆり。夢美はしょげた。

 確かに、夢美は天才である。元より頭は非常に切れるタイプで、飛び級に飛び級を重ね十代で院を卒業してしまった程だ。進一もどちらかと言えば頭は切れる方だが、流石に夢美には敵わない。

 しかし、だ。岡崎夢美は紛うことなき天才でありながら、同時にどうしようもなくどこか抜けている。

 

「まぁ、確かにな。論文発表の時にも、いきなり『宗教が世界を救う!』とか言い出したんだって? そりゃ笑われるだろ」

「な、何よ! 進一までそんな事言うの!?」

 

 折角科学的なデータの採取に成功しても、夢美は論文の構築がどこか決定的にズレている。オカルトの類が科学的、そして物理学的な研究テーマとして浸透しているのだとしても、幾らなんでも限度があるだろう。彼女はその辺の測りが壊滅的なのである。

 

「つまり、あれだ。夢美様はもう少し自制と言うか、自分を見つめ直して欲しいんだよなぁ……」

「そうですねぇ……。幽々子様も、もう少し食べる量を減らしてくれると助かるんですが……」

 

 いじけて酒をがぶ呑みする夢美と、しんみりと溜息をつく妖夢とちゆり。なんだか居心地が悪くなってきたので、進一は彼女達から目を逸らしながらも一人酒を決め込む事にする。

 

「しかも……! しかもですよ! あんなに沢山食べているのに、幽々子様のプロポーションは一向に崩れないんですよ!? 私なんてちょっとでも多く食べたらすぐに体重増えちゃうのに……! あまりにも理不尽ですよ! 不条理ですよ!!」

「マジかよそれ……! 確か、その幽々子って奴は亡霊なんだっけ? やっぱその辺が起因してるのか? 何であれ羨ましいぜ……!」

「本当ですよ……。もう、胸は大きいのにウエストはほっそりしてて……」

「胸……。あぁ、胸か……」

 

 そう言うとちゆりは、げんなりとしながらも自分の身体を見下ろす。自らの平坦な胸に手を添えながらも、溜息。

 

「辛いな……」

「はい……」

 

 どんよりとした雰囲気が、より一層強くなった。

 妖夢はまだしも、ちゆりの成長期は年齢的に既に終わっているだろう。つまりこれ以上()()()がないと言う事であり、いくら待っても無駄と言う訳で。それを目の当たりにした彼女の絶望は、まさに海より深い。

 そんな中。いよいよ話題に入り込めなくなってきた進一は、何も言わずに一人で酒を呷る。彼女達を極力視界の外に追いやって、別の事を考える事にした。

 

 そう言えば、あれから蓮子達はどうなったのだろう。猫耳のコスプレイヤーは結局見つからなかったようだが、まだ諦めてないのだろうか。明日にでも聞いてみるか。

 そっぽを向きながらも進一がそんな事をぼんやり考え込んでいると、

 

「何どんよりしてるのよ二人共。そんなに悩む事じゃないでしょ。別に胸なんか無くたって……」

「う、うるせえ! 乳袋は黙ってろ!!」

「なっ!? 誰が乳袋よ誰が!」

 

 酒を吹き出しそうになった。

 やさぐれた夢美が何気なく放った一言は、ちゆりの地雷を全速力で踏み抜く言葉だった。酒がだいぶ回っている所為で、ちゆりはいつも以上に感情的である。机をぶっ叩きながらも立ち上がる彼女は、上司に対して謙るという事を知らない。

 

「大体……! 私だってそこまで大きくないでしょ!? 普通よ普通!」

「ほう……普通、だと? それはあれか? 持ってない私達に対する当て付けか……?」

「宣戦布告ですねこれは……!」

「上等だぜ……! おい進一! パイプ椅子持って来い!」

「いや俺を巻き込むなよ」

 

 酒に酔った勢いで巻き込もうとしないで欲しい。ぶっちゃけこの話題はできればあまり触れたくない。と言うか、そもそもパイプ椅子なんてこの家にはないし。

 

「いいわ……そこまで言うんなら、相手になってあげる。私がいつまでも黙って殴られるだけとは思わない事ね……!」

「お、おい、姉さん……?」

 

 そんな中。声調を低くした夢美が、ゆらりと立ち上がった。妙なオーラを纏わせて瞳をギラつかせるその姿を例えるならば――幽鬼。完全にキレている。今なら魔法でもなんでもぶっぱなせるのではないだろうか。

 進一が嫌な予感を覚え始めた頃、厄介な事に血気盛んなちゆりが飛びついてきた。

 

「お? やるか……!?」

「ええ、こっちこそ上等よ……! 一方的にボコスカと殴られて、私もそろそろ黙ってられないわ! 今日の私は……一味も二味も違うわよ?」

「へっ! 面白い、かかってこい!」

「私もお供しますちゆりさん!」

「……なんだこれ」

 

 最早進一にはついて行けない世界である。バチバチと火花を散らす夢美とちゆりに、完全にちゆりとの共同戦線を決め込んだ妖夢。そんな妙な関係の中で板挟みにされた進一は、居心地が悪いなんてものじゃない。いっそ蚊帳の外にして欲しいくらいだ。

 

 それからは、まぁ。

 夜も更けてきたと言うのに、乱痴気騒ぎの連続で。酒の所為でいつにも増して深夜のテンションがおかしくなり、怒号と喚声が跋扈するカオスな空間が生成されて――。

 

 そんな彼女達から進一が反面教師にした事は一つ。

 お酒は程々にしましょう。

 

 

 ***

 

 

「酷い目に遭った」

 

 翌日。殆んど快眠出来なかった進一は、目覚めの悪い朝を迎えていた。

 飲酒はしていたが、昨晩の事はかなり鮮明に覚えている。科学的に再現した擬似魔法がどうのこうのと言って夢美が妙な物体を取り出した辺りで、流石に割って入った進一の手によって事態は沈静化された。パイプ椅子(メインウェポン)を持っていないちゆりではキレた夢美を止める事は出来なかったようだが、進一は一応肉親である。力技でゴリ押す以外にも、夢美を止める術は心得ているつもりだ。

 結果として夢美は大人しくなり、それに伴ってちゆりも静かになってくれたので、あのカオスな空間にようやくピリオドが打たれたのだった。

 

「す、すいません……。私も酔っ払っちゃって、つい……」

「いや、まぁ……。あの二人に比べたらまだマシな方だったな妖夢は」

 

 妖夢は早々にダウンしてしまった為、暴れていたのはほぼ夢美とちゆりだけである。酒気を帯びたあの二人は、自制というものを知らない。特に夢美は酷い。

 

「それにしても……昨晩の進一さんは凄かったですよね……」

「……うん? 何がだ?」

「い、いや、だって……。夢美さんがあの状態からあそこまで萎縮しちゃうなんて……」

 

 そう語る妖夢は随分とオドオドしている様子だ。

 何をそんなに怯えているのだろう。別に、進一は取分け妙な事をしたつもりはない。ただ、夢美にちょっと()()()をしただけだ。ちゆりのように、いきなりパイプ椅子でぶん殴る方が余程非常識でバイオレンスだと思うのだが。

 そう言えば。昨晩ちゆりを家まで送った際に、彼女も進一を見て妙にビクビクしていたような気がするのだが、あれはなんだったのだろうか。

 

「ところで、ちゆりさんは大丈夫なんでしょうか? 結構お酒も回ってたみたいですけど……。一人暮らしなんですよね?」

「ん……まぁ、大丈夫だろ。ちゆりさんは結構酒に強いからな。酔っ払って妙な行動を起こす事はない」

「そ、そうですか……?」

「ああ。それより心配なのは姉さんの方だ」

 

 ちゆりについては問題ない。それよりなにより、進一が危惧しているのは姉の状態である。

 

「夢美さん? 何か問題でもあるんですか?」

「まぁ……問題だな。実は姉さん、あんまり酒に強くないんだよ。それなのにあんなにガブガブ呑んじまって……。っと、噂をすればなんとやらだな」

 

 進一が説明を開始すると、丁度良いタイミングで階上から足音が聞こえて来た。どうやら、夢美が起きてきたらしい。しかしその足音のリズムはどうにも不規則で、覚束無いような印象を受ける。まるで、フラフラと今にも転んでしまいそうな。

 

(やっぱそうなってるよな……)

 

 その足音を聞いただけで、進一は夢美の状態をなんとなく察した。酒に弱いはずの彼女が見境なくあそこまでガブ呑みして、あろうことか夜遅くまで乱痴気騒ぎ。その翌朝、一体どんな状態に陥るか。想像するのは容易かった。

 進一は呆れ顔を浮かべながらも、程なくしてリビングに辿り着いた夢美を出迎える事にする。

 

「おはよう。姉……さ、ん……?」

 

 思わず言葉を失った。

 

「お……おは、よう……。進、一……」

 

 そこにいたのは案の定、二日酔いで顔を真っ青にした夢美である。扉の縁に身を委ね、今にもリバースしそうな表情で必死に口を抑えるその姿は、つい今しがた進一が想像していたそれと完全に一致する。だが、一つだけ完全に想定外かつ衝撃的な要素が目の前の姉には含まれている。

 それは、彼女の格好。服装だった。

 

「ゆっ……ゆゆゆゆ夢美さん!? な、ななななんて格好してるんですか!?」

 

 顔を真っ赤にした妖夢は、完全に呂律がおかしくなっている様子。まぁ、純な少女である妖夢では、そんな反応をしてしまうのも無理はないだろう。肉親である進一でさえ――いや、肉親だからこそ非常に反応に困る。

 

 今の夢美の格好は、下着の上にワイシャツを一枚羽織っただけの超薄着だったのだ。この寒い時期にも関わらず。

 

「へっ……? どこか変なの……?」

「ど、どう見ても変ですよ! 破廉恥です!」

「おい姉さん……。まさかその格好で寝たのか? せめて寝巻きに着替えろよ……」

 

 羞恥よりも先に呆れが大きく来る辺り、流石だなと自分でも思う。普段はかなり律儀な癖に、酒に酔うと途端にこれである。だから程々にしておけと、あれ程言ったのに。

 

「うぅ……覚えてないわ……」

「……だろうな」

「うええ……気持ち悪い……。お腹の底から何かが迫り上ってきそう……」

 

 そう口にする夢美は猫背気味かつ血色が悪い。本当に具合が悪いらしく、その足取りはかなり重かった。真っ直ぐに歩く事など到底できないようで、ふらふらと大きく蛇行してしまう。よくそんな状態で階段を降りられたものだ。

 

「あぁ……、なんであなた達は全く二日酔いしてないのよぉ……。妖夢なんて、凄く真っ赤になってたじゃない……」

「わっ、私は元々色白ですので、お酒が回ると顕著に赤くなっちゃうだけで……。別に、そこまで弱い訳じゃ……」

「俺は姉さんと違って、見境なく呑みまくってないからな」

「うっ……、自業自得と言う事ね……」

 

 そこが分かっているだけまだ救いようがあるというものだ。これに懲りて、少しでも酒の量を減らしてくれれば良いのだが――。まぁ、望み薄だろうと進一は思う。一度や二度自分に火の粉が降りかかった程度で、夢美が考えを改める訳がない。そうでなければ、あそこまで魔力に執着したりしないだろう。こればかりは、進一でもどうしようもない。

 

「うわあぁ……。気持ち悪い、気持ち悪いよぉ……。助けて進一ぃ……!」

「まったく……。いくら次の日が休みだからって、あれは流石に呑み過ぎだ。……ちょっと待ってろ。二日酔いに効く薬を持ってきてやるから」

 

 頼りなく弟に縋り付く姉をいつまでも見ているのは流石に堪えられないので、さっさと薬を渡してやる事にする。戸棚から薬箱を取り出して、目的の薬の捜索を開始した。風邪薬や傷薬、そして絆創膏やガーゼなどの類ははいくらでも見つかったのだが。

 

「……しまった。薬切れてた」

「えぇ……!?」

 

 折り悪く酔いの薬のみ切らしてしまっていた。

 これには進一も表情を曇らせる。まさかここまでピンポイントに薬がなくなっていたとは。盲点だった。あらかじめ確認しておけば良かったと、後悔するがもう遅い。

 

「そんなぁ……どうすれば良いのよぉ……!?」

「どうすればって……」

 

 本当にどうしたもんかなぁと進一が頭をひねらせていると、

 

「あの……お薬でしたら、私が買ってきましょうか? 確か、この時間でも営業している薬局店ありましたよね?」

 

 そう自ら買って出たのは妖夢だった。

 進一は記憶を探る。この辺りでこの時間でも営業している薬局店と言えば、やたら24時間営業をアピールしているあの店の事だろう。しかし、あそこまでは少し距離があったはずだ。歩いて行けなくもないが、やや骨が折れる。

 

「いや、でも……。ちょっと遠いぞ? ここは俺が……」

「いえ、大丈夫です。私、毎日鍛錬しているので体力には自信があるんですよ。これくらい、どうって事ないです」

「そ、そうか……?」

「はいっ。その間、進一さんは夢美さんの介抱をしててくれませんか?」

 

 進一は夢美へと視線を向ける。うずくまって唸り声を上げる今の彼女は、放っておけば本当にぶっ倒れてしまいそうだ。確かに、誰かが介抱してやる必要がある。

 それに。夢美が相手であるならば、妖夢よりも進一の方が適任だろう。それならば。

 

「分かった。よろしく頼む」

「了解です! 早速行ってきますね」

 

 そう言い残してリビングから去ってゆく妖夢を見送った後、進一はうずくまる夢美に肩を貸した。

 妖夢が薬を買って帰るのを待つにしても、こんな所でうずくまったままにしておく訳にはいかない。それに、この格好も問題だ。このままでは、下手をすれば風邪を引く。

 

「ほら、しっかりしろ。取り敢えず、部屋に戻って着替えるぞ。その格好じゃ寒いだろ?」

「うっぷ……。うぅ、ダメ……。気持ち悪くて無理ぃ……! 進一、着替えさせて……」

「子供かっ! 着替えくらい自分でしろ」

 

 まったく。本当に、世話のかかる姉である。

 

「あ」

「ど、どうした……?」

「……ヤバい、吐きそう」

「なっ……ま、待て! と、とにかくトイレだ! トイレまで我慢しろ!」

 

 ――世話のかかる姉である。

 

 

 ***

 

 

 件の薬局店は、歩いて数十分の所に位置している。

 閑静な住宅地を抜け、進一が通学等に利用している駅も通り過ぎてひたすらに突き進む。周囲がだいぶ賑わってきた辺りで、それは見えてきた。

 中々に大きな薬局店である。所謂全国チェーン店というヤツで、品揃えも中々に豊富だ。よく見ると菓子類やインスタント食品も扱っているらしく、どうやら薬だけの専門店という訳ではないらしい。

 

 それはさておき、早いところ目的の薬を購入するべきであろう。夢美のあの様子を見る限り、だいぶ具合が悪そうだった。市販の薬がどれほど効くのかは分からないが、まぁ、無いよりマシである。

 

「えっと、二日酔いに効く薬は……これかな?」

 

 意外と簡単に見つけられた。取り敢えず必要分だけ手に取って、足早にレジに向かう。お金を支払ってお釣りを受け取り、妖夢は薬局店を後にした。

 助かった。ここまで簡単に見つけられたのは幸いだろう。後は早いところ帰宅するだけである。

 

「夢美さん、大丈夫かな……?」

 

 突き刺さるような寒気の中、妖夢は独りごちる。二日酔いもそうだったが、あの格好も問題だ。この寒さの中あんな薄着で眠ってしまっては、更に体調を崩す可能性もあるのではないだろうか。進一が介抱しているので大丈夫だとは思うが、やはり心配になる。

 早く帰ろうと、ビニール袋を片手に持って妖夢は歩を早めようとした。

 

「……ッ!」

 

 妙な気配を感じたのは、その時だった。

 まるで、電撃でも走ったかのような。或いは背筋が急激に凍りついたかのような。そんな悪寒をその身に感じ、妖夢は反射的に振り向く。この感じ――覚えがある。確か、あれは先月末。博麗神社を探しに行ったあの雑木林で。帰り際に突如として感じた気配と、同じ――。

 

「あっ……!」

 

 薬局店を後にして、妖夢が歩いてきた大通り。そこに、妙な格好をした人物がいた。

 この現代では似つかわしくない、白と緑を基調とした和装だった。見た感じどうやら女性物のようだが、例えば振り袖のように淑やかな印象ではなく、どちらかと言うと激しく動き回る事を前提とした作りのように見える。何よりも目を引くのは頭の三度笠で、それを深く被っているため表情は全く読み取れない。

 

 着ている服やその体格から女性である事は分かる。しかし、あまりにも奇妙だ。今のご時世、あんな服を態々身に着けて出歩く者などまずおらず、一度街に足を踏み入れれば途端に注目の的である。事実、妖夢がそうだった。

 しかし、どうだろう。すれ違う人々も、駆け回る子供達も。誰一人として、彼女に不審の目を向けていない。まるで、彼女の姿に全く違和感を覚えていないような――。いや、そもそも彼女の存在を意識していないような、そんな感じ。彼女の存在を認識し、そして違和感を覚えているのは妖夢だけで、その他多勢の人々は彼女を意識の外側に追いやっているかのような印象を受けた。

 

 これには妖夢も警戒心を研ぎ澄ませずにはいられない。この感じ、明らかに“非常識的”だ。目の前にいる女性には、こちらの世界の常識では得心出来ない何らかの力が働いている。そんな気がする。

 なんだ、彼女は。姿形はどう見ても人間だが、普通の人間とは何かが決定的に違うような気がする。まさか、幻想郷の住民?

 

「あの、貴方は……」

 

 一体、何者なのか。思い切って聞いてみようと、妖夢が口を開いたその時。三度笠の女性は、おもむろに踵を返してしまった。歩を進め、人混みをすり抜け。何も言わずに去ってゆく。

 

「ま、待って!」

 

 妖夢は慌てて彼女を引き止めようとする。本当に彼女が幻想郷の住民であるとすれば、この上ない手がかりと成り得る。是が非でも話を聞かなければならない。

 あの女性と同じように、妖夢も人混みをすり抜ける。何度も衝突しそうになりながらも、ようやく抜けたその先で。彼女が曲がった角に、妖夢は飛び出した。

 

「あ、あれ……?」

 

 だけれども。そこにあの女性の姿はなかった。

 何も変わった所はない、ごく常識的な風景である。もうすっかり見慣れた街並みに、違和感なく溶け込んでいる人々。そしてクリスマスムードを醸し出している、至るところに飾り付けられたイルミネーションの数々。しかし、それでは駄目だ。妖夢が求めているのは、こちらの世界における非常識。あの三度笠の女性に、話を聞かねばならないのに。

 いくら周囲を見渡しても、彼女を見つける事は出来なかった。

 

(見失った……?)

 

 まさか、そんな。こんな短時間に、こうも簡単に巻かれてしまうなんて。

 角を曲がったその先は、遮蔽物のない一本道だ。人通りこそ多いと言えど、あの格好ではそう簡単に見失う事などあるはずがないのに。まるで、今まで幽霊とでも対面していたんじゃないか。そんな可能性も考えてしまう。

 いや、しかし。もしかしたら、本当に見落としているだけなのではないか。そう思い、めげずにキョロキョロと視線を泳がすが――。結局発見には至らなかった。

 

「ねえ、なにしてるの?」

 

 挙句の果てには通りかかった一人の少女に冷ややかな目で見られる始末。頬が熱くなるのを感じた。

 

「へっ……!? あ、う、ううん。なんでもないよ?」

「ふーん……」

 

 確かに。今の妖夢は傍から見れば挙動不審だ。胡乱に思われても仕方がないと言えばそうなのだが、まさかこんなに小さな子にまでこんな反応をされてしまうとは。

 恥ずかしい。進一の前で妙な失敗をしてしまった時とは、また違った羞恥心がある。

 

「え、えっと……その……、そうっ! ちょっと人を捜してて、でも直ぐに見失っちゃって……だから、あの……」

「……? あははっ! 貴方おもしろーい!」

 

 笑われた。死にたい。半分死んでるけど。

 

「人を捜してるの? なら、私も手伝ってあげようか?」

 

 後ろで手を組んでそう口にする少女は、頭に被る鴉羽色の帽子が特徴的である。襟と袖にフリルがあしらわれた上着に、花の柄が描かれたスカートを身についている。見た感じ、歳は精々十歳前後くらいだろうか。邪気の無い笑みを浮かべるその表情からは、歳相応に純粋無垢な印象が垣間見える。

 度重なる不測の事態に妖夢は少し面食らっていたが、冷静になって考えてみるとこれはありがたい提案なのではないだろうか。あの女性から妖夢が感じていた違和感。周囲の他の人々が、彼女を意識していないような感覚。もしもこの少女もあの女性を認識していなかったのだとすれば、妖夢の違和感は確かなものだったと言う事になる。

 

「それじゃ、一つ聞いてもいいかな?」

「うん。いいよー」

 

 快く引き受けてくれた。取り敢えず、この少女に確認してみる事にする。

 

「この辺で、変な格好をしている人を見なかった? 具体的に言えば、三度笠を被ってて……。あ、三度笠って分かる? 竹の皮で作られた帽子みたいな物なんだけど……」

「竹の皮で作られた帽子?」

 

 妖夢の説明を聞き、少女は首を傾げる。そして「うーん……」と少し唸った後、

 

「わかんない」

 

 彼女は首を横に振った。

 この反応。やはりこの少女にもあの女性は認識されていなかったのか。いや、認識云々以前にそもそも見えていなかった可能性もある。妖夢にだけ、見えている存在――。まさか、本当に幽霊か何かだったのだろうか。或いは、彼女に何らかの能力が働いていた?

 

「……そっか。ありがとう」

 

 とにもかくにも、これではあの女性の跡を追う事はできない。彼方から現れてくれるのを待つしかないか。幸いにも、彼女が妖夢の前に現れたのは雑木林の時を含めて二回目である。再び接触してくる可能性も、十分ありえる。

 

 取り敢えず少女にお礼を言った妖夢は、自分がお使いの途中である事を思い出した。

 いけない。早いところ帰って、この薬を夢美に届けなれければ。いつまでも道草を食っている場合ではない。

 

「ごめん。私、急いでたんだった。もう行くね」

 

 少女に軽く会釈をした後、妖夢は踵を返す。あの女性の事は気になるが、今は薬を持って帰る事が先決だ。とにかく、早いところ来た道を戻って――。

 

「……ねぇ、知ってる? 人の持っている意識って、意外と簡単に左右されちゃうものなんだよ」

「……えっ?」

 

 突然背後から投げかけられた言葉を前に、妖夢は思わず足を止める。振り向くと、当然そこにいたのはさっきの少女。相変わらずの無邪気な笑みに、表裏も見られないような表情。

 しかし、なんだろう。何かが、おかしい。

 

「例えば、さ。この街並みを見てみてよ。クリスマスムードに包まれた、辺り一面のイルミネーション! きっと夜になったら、光の装飾の数々で優雅に彩られるんだろうね」

 

 妖夢は視線を泳がす。確かに彼女の言う通り、街中はイルミネーションで満ちている。夜になってそれらが一斉に点灯されたら、さぞ壮麗な光景が浮かび上がる事だろう。

 

「それに比べて、道端に落ちているこの小石」

 

 そう口にしながらも、少女は足元に落ちていた小石を拾い上げる。

 

「なんの変哲もない、凄く有り触れたただの小石。今こそ私が掲げてるから、貴方はこの存在をしっかり意識できているだろうけど、夜になって街中のイルミネーションが一斉に点灯されたらどうなると思う? 皆の意識はイルミネーションの方ばかりに向けられちゃって、この小石は見向きもされなくなるだろうね」

 

 それは、ごく当たり前の事である。壮麗で、かつこの時期にしか見られないような優雅な光景が目の前に広がっているのにも関わらず。どこにでもあるような、何の変哲もない足元の小石を態々意識するような者など、まずいないだろう。

 皆誰もがイルミネーションへと意識を向け、足元に転がる石ころは意識の外側――無意識へと追いやってしまう。

 

「貴方が感じている違和感は、それと似たようなものだよ」

 

 手に持った小石を滑り落としながらも。少女は妖夢に向き直る。

 

「貴方の探し人は消えてしまったんじゃなくて……無意識の領域に、追いやられてしまったのかも」

 

 妖夢の頬を、嫌な汗が撫でた。

 違和感だとか、不審感だとか、それらが混ざり合ったかのような胡乱な感覚が妖夢の中で渦巻いて、自然と身体を硬直させる。息をするのさえも忘れそうになり、心臓が五月蝿いくらいに高鳴り続けた。

 この少女。やはり何かがおかしい。聞いているだけで翻弄されそうになってしまうのに、言葉一つ一つに重みがない。何かが、欠けている。

 まるで。心が、籠っていないような――。

 

「……なーんてね!」

 

 張り詰めた緊張感を打ち壊すかのように、少女は声を上げた。ニコッと浮かべる少女の笑みを目の当たりにすると、自然と妖夢の緊張も解けてしまう。

 なんだったんだ、今のは。妙な術にでもかかっていたのではないだろうか。

 

「どうしたの? 凄い汗だよ?」

「い、いや……別に、なんでも……」

 

 なんでも、ない?

 なぜ自然とそのような言葉が出てきたのだろう。なんでもない訳がない。今の今まで、妖夢は奇妙な感覚に囚われ続けていたはずなのに。それでも、自然と、意識もしない内に。言葉が漏れる。

 この状況を例えるならば。

 

(無意識が……操られている……?)

 

 

「ふふっ……。やっぱり、貴方おもしろーい!」

 

 少女はそのまま踵を返し、軽快な足取りで歩を進める。

 

「今日はここでお別れだけど、貴方とはもっと沢山お話ししたいな。そうだ! 自己紹介、まだだったよね?」

 

 数歩進んだ所で立ち止まり、おもむろに振り返って。

 

「私の名前は古明地(こめいじ)こいし」

 

 無邪気な――だけれども、どこか妖しげな。そんな笑みを浮かべた。

 

「よろしくね。――半分幽霊のお姉ちゃん?」

「なっ……!?」

 

 慌てて伸ばした妖夢の手は、虚しく空を掴む。気がつくと、その少女は姿を消していた。

 放心状態に陥りながらも、妖夢は辺りを見渡す。しかしどこを探しても、少女の姿は見当たらない。まるで、最初からそこには誰もいなかったかのように。本当に忽然と、行方をくらませてしまった。

 妖夢は息を呑む。この感覚、三度笠の女性を見失った時と全く同じだ。今の今まで視界に捉えていたはずなのに、ある一瞬を境にしてその行方を追えなく――否、存在を意識できなくなる。突発的に、けれどもどこか意図的に。意識の外側に、存在が追いやられてしまう。

 

(なんなの……一体……?)

 

 分かる事と言えば。こいしと名乗ったあの少女は、少なくとも普通の人間ではないという事だ。メリーや蓮子のように特殊な能力を持っているのか、或いはそもそも人間ではないのか。妖夢が半人半霊だと見抜いた辺り、何らかの非常識に関わっていると見てまず間違いない。

 無意識が操られているような感覚。もしもこの感覚が、あの少女が持つ能力によるものなのだとすれば。

 

(古明地……こいしちゃん……)

 

 妖夢は再びその名前を頭の中で反響させる。

 胡乱な違和感を胸中に抱きながらも、茫然自失と立ち竦む事しかできなかった。


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