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序章
窓のカーテンを開き、私は月夜を眺める。月の美しさに魅入られているのではなく、脳が活性化して寝つけないからだ。
思いあたる原因を私は誰に対してでもなく、悪態をつく。
私がヴォルデモートの復活を目撃したことで、ドリスは『死喰い人』に狙われるのを恐れた。おかげで、外出禁止だ。『姿現わし』の試験も行けない。おまけに私宛の手紙も入念に確認される始末だ。
それでも、ダーズリー家にいるハリーよりは、失礼ながらマシだろう。
彼への連絡まで禁止された。
ドリス曰く、魔法界に関与せず、ハリーは心を休める必要があるそうだ。全く馬鹿げた発想にしか、私には思えない。あのダーズリー家で、ハリーが心身ともに安らげるなど、誰が本気で思うものか知りたい。彼も早く『隠れ穴』に移りたいだろう。
――休暇に入り、早二週間。
ルーナが送ってくれた【ザ・クィブラー】には、三校対抗試合に乗じてヴォルデモートが復活した記事が記載された。バーテミウス=クラウチの死についても、抜かりがない。
【日刊予言者新聞】も似たような内容だが、ヴォルデモートについて触れていない。まだファッジ大臣は、事を受け入れていない証拠だ。
しかし、ハリーの記事もない。これはリータ=スキータが記事を書けないせいだと思う。それにしては不自然すぎる。ハーマイオニーに相談しようとしたが、そんな内容の手紙は却下された。
電話がないことを不安がったハリーから手紙が来た。それにヴォルデモートに関する情報がないかという質問も綴られている。
返事に困り、私は時間を置いてから書こうとした。しかし、ヘドウィックは急かすように私の手を突いてくる。
「まあ。ヘドウィックがここにいるということは、ハリーから電話の催促が来たのですね」
台所にいたドリスはヘドウィックの鳴き声でこちらに来る。私を見た途端、ドリスは閃いた表情で代わりに手紙を書きだした。
長々と返事を待っていたヘドウィックに手紙をもたせ、飛び立たせる。見送った後、窓を閉めたドリスは意気揚々と告げる。
「明後日、ハリーとお出かけしましょう。私達と3人で」
突然だが、これに私は賛成した。
「ダイアゴン横丁に行くさ?」
「いいえ、マグルのデパートです。そうそう、お出かけの最中、魔法界のお話を禁止します。もし、魔法のマの字でも口にしたら、お出かけは中止しますよ」
本当に意外な思いつきである上に、奇妙な制限まで設けられる。不可思議に思いながら、私は承諾する。何処にでかけようと独りでいるハリーには良い気分転換になる。
いや、私の気分もだ。
校長先生の指示で何処かへ行ってしまった父と祖父から、いまだ何の連絡もない。ハグリットは連絡が出来ないと言っていた。
大人達の安否が私を不安にさせる。
当日、青いチュニックにジーパンを穿き、ウェストポーチを腰に着ける。白いリボンで髪を巻いて、支度は終える。ドリスの用意を確認しようと私は居間に降りた。
そこで私を待っていたドリスの恰好は非常に珍しい。普段の魔女の服装ではなく、何処にでもいるマグルの服装。しかも、全く違和感がない。
「失礼ね。私にも、マグルの世界に用事もあるんですよ?」
唖然とする私の反応に、ドリスは拗ねたように唇を尖らせた。
カサブランカとベッロに留守番を言いつけ、私とドリスは家を出た。
地下鉄を乗り継ぎ、目的の駅前でタクシーを拾う。その間、私は新聞の見出しやTVのニュースを気にかけたが、魔法界に繋がりそうなモノはない。
プリベット通りに入るとダーズリー宅前でハリーが腕組みをし、立ち尽くしている。私達を待ちわびていたのだ。タクシーをつけて降りたドリスがはしゃいでハリーに抱き着く。
「おはよう、ハリー。随分、待たせてしまったようね。さあお乗りなさい」
一瞬、ハリーはドリスの服装に戸惑う。私は後部座席に彼を手招きすれば、躊躇せず乗り込んできた。
ハリーを真ん中に後部座席にドリスが座り、運転手に行先を指示する。
私は、ここにいると舌がザラザラした感触に襲われるので長居はしたくない。
すぐにタクシーが走り出したとき、運転手は私達を見回す。
よそ見運転は危険なので、やめて欲しい。
「勘違いだったら悪いが、以前もあんたらを乗せた気がする」
何故だが、私は緊張した。それはドリスの魔女衣装のせいだ。変な宗教団体に見えたかもしれない。
「ええ、以前一度だけ、タクシーを使いましたよ」
「やっぱりな。あのダーズリー家に行きたがる人は少ないし、あんたは魔女みたいな服着てたろ。それで覚えていた」
苦笑するドリスに、運転手は楽しそうに世間話をしだした。
「調子はどうさ?」
「缶詰状態だよ」
皮肉を述べるハリーはそれからずっと黙り込む。口を開けば、魔法界のことをドリスに聞きたくなるのだと、私は察した。私も口走ることを恐れて口を閉ざす。
運転手の暢気な声だけが車内を騒がせた。
――タクシーが運んでくれたのは、意外にも映画館だ。
「運転手さんがおススメの映画が放映? されているそうです。私こういう場所ははじめてですのよ」
周囲を見渡しながらドリスは声を弾ませ、映画館の看板を指差した。全く知らない題名に私は首を傾げ、視線でハリーに尋ねる。
「CMで見たよ。ベンジャミン=アロンダイトの交響曲を挿入歌しているって、バーノンおじさんは批判してたけどね。原曲の雰囲気が壊れるらしいよ」
「見る前から、そういうこと言わないでさ」
額を小突く私をハリーは、噴出しように笑う。映画館の受付でチケットを買いながら、ドリスはチケットがただの紙で作られていることに衝撃を受けていた。
「無くさないように、持っていないといけないわね」
両手でチケットを握りしめるドリスに、他の観客が小さく忍び笑いして行く。
「あらあら、売店があるわ。このコーラ? は、飲むと何が起こるんです?」
「飲むだけさ」
ハリーが摘まむものを選んでくれた。ポップコーンとコーラ、カルピス、オレンジジュースを手にして座席に向かう。座席にはほとんど人が入っておらず、本当におススメか疑問になる。だが、上映時間が迫ってくると人が集まりあっという間に満席だ。
「(本当に注目がある映画さ)」
「(ちょっと、楽しみだね)」
表情を弾ませたハリーは、ポップコーンを貪りだした。
上映が始まり、巨大スクリーンに映像が流れる。興奮したドリスが叫びそうになったので、私とハリーで口を塞ぐ。
それでドリスは静粛が義務だと理解し、自分の口を両手で塞いだ。
内容は超能力者の少女の話だった。少女は超能力で正義の味方として活躍し、町の人々から感謝された所で話は終わった。
口には出せないが、しょうもない話だ。これを見るくらいなら、セーラームーンの劇場版を観ていたほうがマシだ。魔法を見慣れているハリーは、ほとんど映像の完成度低さに苦笑していた。
映画館を出た時、ドリスは幸せそうに微笑んだ。
「とっても、おもしろかったわね。素敵な娯楽だわ」
曖昧に微笑んだ私に代わり、ハリーがドリスの肩を撫でる。
「さあ、次はお買い物よ」
そのままデパートまで歩いて行く。ドリスからはぐれない様に私達の手をしっかり握りしめていた。通り過ぎる何人かがチラッチラッと私達を見ていた。
――孫に過保護な祖母だと思われますように。
デパートに着いたドリスは早速、男性服売り場へ向かう。
「ハリー、どの服が着たいのですか?」
「選んでいいの?」
戸惑ったハリーにドリスは微笑み返す。
売り場を見渡したハリーは慎重に品物を物色する。サイズの違うズボン、シャツ、靴下、コートを見つめる彼の瞳が輝いていた。そして、恥ずかしそうにトランクスを一枚、持ってきた。
「それだけでいいの? なんて謙虚なのかしら」
買い物カゴに下着を入れたドリスは、ハリーに似合う靴下を適当に見繕い、レジに行く。暇つぶしに同じ売り場にある他の男性用下着を見渡し、彼に勧める。
「あっちの黒ビキニにしたら、どうさ?」
紐としかいいようもない下着を突きつけられ、ハリーは耳まで真っ赤に染める。
「絶対、嫌だよ。そうだ、自分で着たら? そっちのもう一サイズ小さいヤツとか?」
負けじとハリーは、他の黒ビキニを私に突き出して対抗した。
「クローディア、そんな下着はまだ早くてよ」
黒ビキニを押し付けあう2人を見て、ドリスは呆れて果てる。私とハリーはお互いの顔を見合わせて肩を竦めた。
その後、ハリーの提案でデパート内の見学をする。買い物がしたいのではなく、多くのモノが見たいだけだ。
食品売り場や家具置き場を巡るハリーは初めて外出する幼子のように、はしゃいでいた。
ハリーの日常が如何に狭く閉じ込められた環境なのか、思い知らされた。
帰宅する時間が迫り、ハリーは目に見えて元気をなくしていく。
気持ちはわからないではない。しかし、私はドリスがハリーをダーズリー家に帰さないのではと心配になってきた。勝手に保護者から取り上げたら、警察沙汰になる。
タクシーを探す最中、ドリスは慰めるようにハリーの頬を撫でた。
「21日よ。ハリー」
突然の言葉だが、それは私の誕生日だ。
「うちにいらっしゃい。そのとき、全てをお話ししましょう。何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、あなたが知りたいことを全てをね」
「今すぐじゃダメ?」
焦るように尋ねるハリーの口をドリスが優しく人差し指で塞ぐ。
「その日こそ、肝心なのよ。ハリー、クローディアが17歳になるときこそがね」
意味深な口調でドリスは、ハリーから手を離す。
ハリーは視線で私に尋ねてきたが、何のことかわからない。首を横に振る私に彼は何も返さなかった。
タクシーの運転手は行きがけの人と同じだった。また行きがけのときと同じように運転手は、ずっと世間話していた。
「どうだい、映画はおもしかったろ? 俺も息子と見に行ったんだが……」
「映画って素晴らしいモノですねえ。だって、こっちに手を振らないんですもの」
素直に疑問するドリスを運転手は、おもしろい冗談だと笑う。
ハリーもまた黙っていた。その手に今日の買い物を詰め込んだ袋を抱きしめていた。
プリベット通りに着き、ハリーを下した。
「21日に、必ず」
「ええ、迎えに来ます。今日のようにタクシーに乗ってね」
冗談っぽくドリスはウィンクする。それでハリーは嬉しそうにドリスを抱きしめた。
「今日は、本当にありがとうございました。楽しかったです」
次いで、ハリーは私に抱き着いてきた。戸惑う私は、どうにか彼の背中を撫でた。
私達を乗せたタクシーが走る。ハリーは私達が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。私も彼が見えなくなるまで、硝子の向こうを眺め続けた。
帰宅した私は、ベッロを撫でながらドリスに何気なく尋ねる。
「私が17歳になることが肝心ってどういうことさ?」
居間に灯りを点けていたドリスの肩がビクッと跳ねる。ゆっくりとドリスが私を振り返ったとき、暖炉が碧の炎を燃え上がらせた。
誰かが来たのかと、私とドリスは注目した。誰も出て来ない。代わりに暖炉の薪に、モリーさんの首が浮かんでいた。
緑の炎がモリーさんの形を取っていると表現すべきだ。
驚いた私は、思わずベッロの胴体を握りしめた。
「ハリーを連れ出したなんて、どういうつもり! 抜け駆けだわ!」
モリーさんの首は、ドリスに向かって怒鳴ってきた。
「クローディア、自分の部屋に行っていなさい。早く!」
大声を張り上げたドリスは、私を階段へ追い立てた。拒もうとすると、ベッロが私の腕を二階へと引っ張っていく。
部屋に上がった私は、床に耳をつけて下の階の様子を探る。
「ハリーは危険な状態なのよ! 襲われでもしたら、どうするの!!」
「今日はディーダラスが護衛についていると知っていたから、出かけたのよ! ハリーったら、おかわいそうに、ずっと閉じこもりきりで私に感謝してくれたわ!」
モリーおばさんに反論するドリスは、語調を強くしている。
「あの家にいることがハリーを守ることになると、ダンブルドアがおっしゃっていました!」
「タングが護衛でなかったときを選んだわ! 私だって考えています!」
凄い罵り具合に、私はタングという人を気の毒に思う。もっと盗み聞こうとした私をベッロが邪魔をしたので、中断するしかなかった。
夕食に呼ばれたとき、ベッロは私が階段を下りることを許してくれた。食卓に置かれたラジオからドリスの好きな歌手魔女の曲が流れていた。
「クローディア、誕生日のことですがスネイプ先生をお呼びしました」
シチューを口にした私はドリスのとんでもない発言に噴出した。構わず続ける。
「誕生日には、ハリーとスネイプ先生に来ていただかなければなりません」
テーブルナプキンで口元を拭きながら、私に怪訝する。
「皆、吃驚するさ」
「クローディア、こんな時期です。皆さんを呼ぶのは少々、危険ですよ。とくに国を越えねばならないパドマ達はね」
誕生日なのに友達が呼べない。これに私は隠さずに落胆した。
「大切なことなのです。わかってください」
それ以上の会話はなく、黙々と食事は続けられた。私も何も言いたくなかった。
正直、誕生日を祝っている状況でないと私にもわかっていた。それにハリーに全てを話すためにここに呼んだならば、スネイプ先生も同じ理由で呼んだのではないかと悟ったのだ。
――私の誕生日が来た。魔女が成人する17歳の誕生日だ。
視界が暗いと思いきや、ベッロが私の頭に覆い被さっていたせいだ。私の起床に気づいたベッロは床を這いずり階段を下りていく。目を擦り、時計を見るとまだ夜明け前だと知る。もう一寝入りしようかと布団を被ろうとした。
――パキンッ。
枕元で鈍く壊れた音がする。何事かと、私は起き上ると部屋の灯りが勝手に点けられた。
机には【ザ・クィブラー】、英国時間を教える卓上時計、思い出を飾るアルバム、日本時間を示した腕時計がある。腕時計が何かに潰されたように、ヒビがあった。秒針はピクリとも動かず、ただ止まっている。
〔うそでしょうさ〕
今日まで壊れる素振りすら見せなかった時計の姿に、私は絶句する。
まだこの時計を失いたくない私は、ドリスに直してもらおうと急いで階段を下りた。
私が降りてくると、ドリスは勢いよく振り返ってきた。眼球が飛び出さんばかりの形相に足は竦む。
そのまま、一分近く、お互いを凝視し合った。ようやくドリスが慎重に私へと歩み寄ってくる。
「もう平気なの? 苦しくない?」
まるで、私が重傷を負ったような目つきだ。
「何もないさ。時計を直してもらおうと思って、起きただけさ?」
平然と答える私に、更にドリスは目を見開く。
「何も? ベッロはあなたに何もしなかったというの?」
「起きたら、顔に乗ってたけど、噛まれたりとかしてないさ」
怪訝する私にドリスは暖炉の傍にいるベッロを一瞥する。もう一度、私を心配する視線を送る。
段々と苛々してきた。
構わず、ドリスは小さく頷いて私の肩を叩いた。
「何もないなら、そのままで」
「お祖母ちゃん、何かないと困るなら教えて欲しいさ!」
私の大声を聞いても、ドリスは物ともしない。
「ハリーとセブルスが来たら、教えます。約束したはずですよ」
「でも、私がベッロに何かされたなら今、教えないといけないことがあるはずさ」
何もされていないから、知る必要がないなどあるはずがない。
もう一度、ドリスはベッロを一瞥する。
「お2人が来たら、全て話します。……クローディアが耳も塞ぎたくなるようなことも話さねばなりません。それで、……もし、ヴォルデモートから逃げたいと言っても、私は責めたりしま――」
―――ドオオオンッ。
家全体が激しく揺れられた。地震かと思ったが、窓の外に見える家々には何の変化もない。獰猛さを露にしたベッロも辺り構わず、吠えた。止まり木で眠っていたカサブランカも翼をはためかせて動揺した。
ドリスだけが事態を把握していた。
「そんな馬鹿な! ここを知られるなんて!」
恐怖に慄いたドリスが私を強く抱きしめた。何が起こっているのかを確認するため、私達は息を殺して様子を窺おうとした。
瞬時に扉が乱暴に叩かれる。否、蹴られるような音だ。
「ここを開けたまえ! いるのは、わかっているぞ!」
低い男の声に聴き覚えがある。あのルシウス=マルフォイの声だ。
疑問よりも予感がした。彼1人ではない。
仲間がいる。もしくは彼らの主人を伴っている恐れがある。
戦慄でいて、高揚のような感覚が募った。それが伝わったのではないだろうが、抱きしめるドリスの腕が更に力を込める。
手先を震わせていたドリスは深呼吸した。
「この家の中では『姿くらまし』できません」
今まで聞いたことのない強い意志が込められた。初めてドリスから「老女」という印象を消し去った。戸惑う間もなく、私にドリスは囁き続けた。
「私が中に招いている間に、庭に出なさい。そして『姿くらまし』するのです。ベッロは『煙突飛行術』で、あなたが逃げたように偽装します」
指示を受けたわけでもないのに、ベッロは暖炉の『飛行術粉』を尻尾でヒトツマミする。ドリスが杖を振るうと、二階に通じる階段が最初から無かったように消え去った。カサブランカは窓から去っていく。
「三つ、数える!」
警告の声が響く。
抱きしめていたドリスの手が離れ、私は危険を感じ取った。
「お祖母ちゃん」
腕を掴もうとする私に、ドリスは窘めるように額にキスをくれた。途端に私は自分の身体が視界から歪んでいく感覚が襲ってきた。
「あなたのお祖母ちゃんであったことを私は、誇りに思います。何があっても、コンラッドを……セブルスを信じなさい。あの2人を信じきるのです」
声を出そうにも、口どころか喉が動かない。喋ることを封じられたのだと理解した。
「三ッ!!」
マルフォイの声が叫ぶと同時にベッロは暖炉に碧の炎を燃えあがらせ、突っ込んでいった。
――ドタンッ。
玄関扉が吹き飛ばされ、向いの窓へと叩きつけられた。そのせいで硝子が四散した。
戸口に立っていたのはマルフォイだ。嫌味な程に高価な黒い衣服を身に纏い、黒いリボンで長い髪を縛っている。
室内を見渡し、マルフォイは暖炉の残り火に気づく。
「なるほど、小娘を逃がしたな。ドリス」
忌々しげに睨みつけてくるマルフォイに、ドリスは意に介さず落ち着き払っていた。本当に私が目の前にいることに気づいていない。
「淑女の家に、粗雑な方法で現れた方に会わせません」
手厳しく返されたマルフォイは、蛇を模した杖先をドリスへ突きつけた。しかし、マルフォイはすぐに杖を下す。
理由は、戸口に立つ蛇より悍ましいヴォルデモートが足を踏み入れたからだ。
ヴォルデモートを目にしても、ドリスは態度を崩さずに堂々と胸を張る。
「お初にお目にかかりますわ。トム=マルヴォーロ=リドル」
「貴様は俺様の名を知らんようだな」
歯を見せて睨むヴォルデモートをドリスは苦笑する。
「夫があなたをトムと呼んでおりましたもの。それ以外に相応しい呼び名はありません」
あまりにも毅然としたドリスの態度に、私は呆気にとられる。以前、マルフォイの名を聞いただけで怯えていた彼女とは別人に思えてしまう。
「ここに、あなた達が来る理由はありません。出て行きなさい!!」
女性とは思えぬ声量が放たれたとき、私の身体が動き出した。
私の意思とは反する行動に戸惑ったときに気づく。ドリスが額にしてくれたキスが、私を彼らの眼から隠し、更に私の行動を操っているのだ。私は扉を失った戸口を通り過ぎて行く。
「気丈な女よ。ボニフェースが見初めただけのことはあると認めよう。こんな場所に隠れていたとは盲点であった。ここは――」
嘲笑するヴォルデモートが言葉を続けている。しかし、聞きとれなくなった。
逃げたくない。足を止めようとしても、身体は私の言うことを聞かない。ならば、助けを呼びに行くしかない。足が庭の芝生に触れた瞬間、私はウィーズリー家の『隠れ穴』に行くべきだと強く思った。
光速する視界の先は見覚えのある台所だ。無事にウィーズリー家に『姿現わし』出来たと確認した私は自分の身体を見下ろす。姿は歪んでおらず、喉も声が通る。
「ロン!!」
大声を張り上げて叫んだが返事はない。そんなはずはない。休暇に入って皆、家にいるはずだ。
「ジョージ!! フレッド! ジニー!」
螺旋階段を見上げ、焦燥感に私はひたすら叫んだ。
「誰か! いない!?」
――全く、反応がない。
荒い私の息だけが部屋を満たしている。室内を見渡すと、まるで何日も家を空けたような雰囲気が漂っていた。そして、柱にかけられた時計を目にし、私は更に呼吸を荒くする。
家族全員の針が【外出中】を指していた。
「こんなときに!!」
八つ当たりと自覚し、私は悪態つく。いつ戻ってくるかわからない人達を待つ余裕はない。
しかし、『姿現わし』は記憶で知る場所でなければ、行くことが出来ない。何故、こんなときの為に他の魔法族の家を知っておかなかったか責めた。
〝ディーダラスが護衛についていると知っていた〟
不意に私は思いつく。ハリーの周辺には、彼を護衛する魔法使いがいる様子だ。目を瞑り、私は脳内で鮮明にハリーの家を思い浮かべる。
――ハリーの家に、どうしても、助けを呼びに行く。
視界と肉体が引きつけられる感覚が起こり、『姿現わし』は正常に作動した。
光速の感覚から放り出されたとき、アスファルトの地面に叩きつけられた。全身が打ち付けられるより、足が激痛に襲われる。まるで身が削がれたような痛みだ。
私は悲鳴をあげないように唇を噛みながら、寝巻のズボンを捲る。
私の脚が切り取られたように、白い骨を晒していた。
「クローディア!」
耳にハリーの声が聞こえた。頭を動かすとダーズリー家の向かいの家から、ハリーが血相変えて飛び出してきた。すぐにハリーは私の身体を抱き上げる。彼の胸に体重を預け、私は痛みに叫ばないように唇を動かした。
「……ルシウス=マルフォイが、ヴォルと、うちに来た……。お祖母ちゃんが、逃がしてくれた。ロンの、家に……行ったけど、誰も、いなくて……」
震えた私の声を必死に聞くハリーは、私の足を見て戦慄する。
「もういい、もういい、喋らなくていい、喋らなくていいから」
泣きそうな声でハリーは、私を持ち上げようとする。
「無理に動かすんじゃないよ」
焦りの混じった知らない声でハリーは、振り返る。猫を抱えた老女が手早く私の足を見る。
「うちに運ぼう。そのほうがいい。いいかい? ゆっくりだよ」
「ありがとう、フィッグさん」
苦しみに顔を歪めたハリーは、慎重にフィッグさんの家へと私を運んだ。玄関先から、猫の匂いが充満する廊下を通り、私は居間のソファーに寝かされる。
「どうしたら、いいんだ? この脚は、ルシウス=マルフォイが?」
私の手を強く握ったハリーが息苦しそうに尋ねてくる。
「それは『姿現わし』で、『バラけ』たんだよ」
落ち着いた口調で、フィッグさんは居間の戸棚を探り出した。驚いたハリーは、フィッグさんが『姿現わし』という言葉を知っていることに衝撃を受けていた。
私は、脚の痛みで動揺している余裕がない。
戸棚から木製の小箱を見つけ出し、その中から『ハナハッカのエキス』と書かれた小瓶を取り出した。小箱を棚に置き、フィッグさんは小瓶を私の脚に近づける。栓を抜いて小瓶の中の液体が『バラけ』た箇所に三適、降り注がれる。
バラけが修正される感覚は、激痛だ。呻かないように私は自分の手を噛んで耐えた。ハリーが暴れそうになる私の体を押さえてくれた。緑ぎみの煙が傷口から燻り終えると、そこには数年前のような古傷が残った。
「よく耐えたもんだ。並みの大人でも卒倒もんだよ」
小瓶を小箱にしまいながら、フィッグさんは安堵の息を吐く。
「あなたは、魔女なんですか?」
ようやく、ハリーが呻く。
「出来損ないのスクイブさ。この薬は万が一に、持っとるんだよ。まっ、使ったのは初めてだがね」
廊下に出たフィッグさんは、階段を上がっていく。降りてきたとき、その手には毛布が抱えられていた。その毛布を私に被せたフィッグさんは、ハリーの唇に指を突きつける。
「聞きたいことがあるんだろう? ダメだよ、ダメ! ダンブルドアのお言いつけで、ハリーに何も話さないことになってるんだ。本当なら、あたしがスクイブだってことも、明かしちゃいけねんだから!」
「ダンブルドアを知っているの?」
意外そうに呻くハリーに、フィッグおばさんは指を更に強く突きつける。
「あたしだって、辛いんだ。なんでも喋って聞かせてやりたいが、ダメなんだ! 聞き分けておくれ」
「助けを……呼んで、お祖母ちゃんが……」
フィッグさんは静かにするように求めた。
「おまえさんは寝るんだよ。足を応急処置しただけなんだから、安静にしてな。それにしたって運がいいよ。バーノンがハリーを預けて出かけた後だったんだ」
何処が運がいいのだ。
誰かに報せて救援を求めたかった私は、無理やり起き上ろうとする。慌てたハリーが私をソファーに押し付ける。
「僕がヘドウィックで皆に報せるよ。ここで待ってて……」
落ち着かせようとハリーが私を窘める。
しかし、ハリーが言い終える前に居間にある暖炉が碧の炎を燃えあがらせた。
その炎の意味を理解している私達は、緊張した。『死喰い人』が追いかけてきたのだと一瞬、思ったからだ。
しかし、その炎から現れたのは、革製の衣服を着こんだシリウス=ブラックだった。
「ああ、もう! 勝手に『煙突飛行術』を使うなんて!」
安心したフィッグさんは、シリウスに悪態をつく。飛び跳ねるように喜んだハリーは、私の手を離してシリウスに抱き着こうとした。
しかし、シリウスから放たれる重い雰囲気に、ハリーは思いとどまった。
「シリウス、どうしたの? そうだ、ドリスさんが危ないんだ。ヴォルデモートがクローディアの家に」
火が着いたように話すハリーをシリウスは、手で制する。
眉を寄せたシリウスはフィッグさんに挨拶してから、ハリーを私の傍に座らせた。
「報せを聞いて、すぐに家に行ったよ。だが、残念ながら私たちが着いたときには、もう遅かったんだ」
心臓が鼓動を強くする。その鼓動が喉を通り、口から出そうな錯覚が私を襲ってきた。
事態を察したハリーは、笑顔を取り繕う。取り繕っても無駄だとわかっていただろう。
「何言っているの? シリウス、助けに行ったんでしょう? ねえ?」
笑顔が強張ったハリーは、拳を握りしめる。
私は無意識にハリーの拳に手を乗せた。彼の肩に手を置いたシリウスは、唇を動かし暗い声を出した。
「ドリスは、死んだんだ」
フィッグさんが短い悲鳴を上げた。
心臓が破裂して体内を震わせる感覚が私を襲う。その震えが喉を刺激し、私は抑えきれず嘔吐する。胃には何も入っていなかったため、胃液だけが床を汚した。
「嘘だ……、嘘だよ。シリウス、嘘だって言ってよ! 嘘だああああ!!!!」
現実を否定するハリーの絶叫が私の耳を打つ。そのままシリウスの胸を乱暴に叩き、涙を零さず喚いた。
シリウスは黙って、ハリーの行動を受け止める。
私はそれを他人事のように見ていた。信じたくなかった。あの家に帰れば、ドリスが待っているだと思い込みたかった。
(そうだったさ、腕時計を直してもらうわないといけないさ……。お祖母ちゃんに……)
食卓に置き去りにしてきた腕時計のことを私は、ぼんやりと考えていた。
閲覧ありがとうございました。
ドリスさん、今までありがとう。