あれから、ロジャーがクローディアを追い回さなくなった。強引な手段は反感を買うと理解したらしい。理由はどうあれ、クローディアには好ましい状況だ。
それだけでなく、ジャスティン=フィンチ‐フレッチリーと『ほとんど首なしニック』の襲撃事件から怪物の犠牲者はない。怪物は、再び永い眠りについたという噂が広まり始めていた。よって、ハリーを『継承者』と疑う者達は自然といなくなった。
スネイプの言葉を借りるならば、流行は去ったということだ。
模擬試験の日、クローディアは合格点ギリギリで補習試験を退き、安堵した。
ルーナは、合格点を余裕で突破していた。同じ1年生のシーサー達は偶然だとぼやいていたが、ペネロピー曰く、ルーナは非常に優秀らしい。
夕食前。『呪文学』の教室に呼び出され、フリットウィックから吉報が寄せられた。
「先日、行われた職員会議で怪物の脅威は去ったものと判断しました。つまり、ベッロを君に返すことになった。明日、私とスネイプ先生のところに行きましょう」
歓喜に体が打ち震えたクローディアは、フリットウィックを抱き上げその場を回転した。覚束ない足取りの寮監に何度も頭を下げ、体を弾ませながら教室を出た。
「クローディア、どうしたの? すごく機嫌良いわね?」
大広間前でハーマイオニー、ハリー、ロンに会い、ベッロのことを報せる。3人も喜びを分かち合い、一緒に万歳する。
「良いこと尽くめだね!」
はしゃぎすぎたハリーは、ズレた眼鏡を指差しで直した。
肩で息をするクローディアはハリーの顔を目にし、不意に思いつく。
「日記帳をベッロに見せるさ。それで、もしベッロが怒ったりしたら、処分するさ」
突然、その話を振られたハリーとロンはお互いの顔を見る。しばらく目を合わせて、納得して頷いた。
「……そうだね。ベッロが戻れば怪物のことが何もかもわかるんだ」
急にハーマイオニーは声を落とす。
「それなら私ね。思いついたの! ここだと誰かに聞かれるから、例の場所に行きましょう」
少しロンが嫌そうに顔を顰めた。
「一緒に行ったら、怪しまれるぜ。皆、別々に行こう」
4人は頷き合った。
「クローディア、日記帳は僕が明日まで預かるよ」
「わかったさ、例の場所に行く時に持って行くさ」
夕食中、クローディアはパドマとリサにベッロのことを報せる。リサは歓喜で目を潤ませ、パドマは待ちきれない様子で体を弾ませていた。
自室から日記帳を取りに戻り、クローディアは足早に廊下を歩く。
「戻ってきたの?」
背後からかかる夢見心地な声、一瞬、驚いて振り返る。
「ラブグッド。ベッロの話を聞いたさ?」
出来るだけ優しい声で、ルーナに返す。しかし、彼女は否定の意味で首を横に振る。細く幼い指は、クローディアの手元にある黒い日記帳を指差した。
「それ、危ないよ。捨てないといけないもン」
浮つきの消えたハッキリとした口調は、深く胸に届く。クローディアは手にある日記帳をルーナに見せつけた。
「これが何かわかるさ?」
視線を日記帳からクローディアに転じたルーナは、神託を告げるように慎重な頷きを見せる。
「あの子が持ってたよ。それ、危ないから捨てるように言ってたんだもン。あの子、捨てたから安心してた」
心臓が大きく脈打った。
ルーナの視線、クローディアの後ろを見ている。勢いをつけて振り返った。
曲がり角から、こちらを見ていたジニーと目が合う。焦った彼女はその場から駆けだした。
「あの子って……ジニーがこれを?」
確認してくるクローディアに、ルーナはゆっくり頷いた。
「ありがとう」
急いでジニーを追いかけた。
曲がり角の向こうにジニーの姿はなかった。空き教室や女子トイレを覗いて、クローディアはジニーを探した。
一度、グリフィンドール寮に向かおうと決めた。
「ミス・クロックフォード、少しお時間を頂きたい」
いきなりロックハートが声をかけてきた。無視しようとしたが、クローディアの腕を掴み、彼は空き教室に連れ込んだ。何故だが、彼は焦るような笑みを浮かべていた。
「私は急いでいます。後にして下さい」
「小耳に挟んだんだが、君は私の本に不満があるそうじゃないか? まるで私が書いていないみたいに他の生徒に吹聴していると聞いたよ」
くだらない話題だと、クローディアは舌打ちする。
「そんなどうでもいいことに私を引き止めないで下さい。ええ、言いましたよ。だって、その通りじゃないですか? どの本もまるで他人の体験談を書いているようにしか思えないんです! だって、あなた自身が魔法を成功させるところは、一度も見ていないのですよ。あなたに教わるくらいなら、フィルチさんが先生をしてくれたほうがいいです。あの人なら、魔法を使わずに闇の魔法使いと相対できるでしょうからね!」
これだけの罵詈雑言を受ければ、ロックハートは怒りを通り越して呆れると考えた。実際、彼は黙りこくっていた。
さっさと、クローディアは空き教室を出ようした。乱暴に出ようしたので肩が扉にぶつかり、ローブから手鏡や日記帳が落ちる。拾おうとした一瞬、動きをとめた。手鏡に映るロックハートが杖を構えていた。
身の危険を感じたクローディアは、反射的に杖をロックハートに突きつけて唱えた。
「エクスペリアームズ!(武器よ去れ)」
クローディアの行動が早く、ロックハートの杖は弾かれた。そのまま杖は教室の奥へと飛んで行った。
襲われかけた焦燥感の中、頭は不思議に冴えていた。
「まさか……本当に他人の話をでっちあげたんですか?」
ロックハートは引き攣った笑みを返した。まるで、罪を暴かれた罪人のような笑い方だった。
「じゃあ、あんたから手柄を取られた人達は……どうした?」
ロックハートの喉から唾を飲み込む音がした。それだけで、何らかの形で本当の英雄達は始末されたのだと悟った。それどころか、真実に気付いたクローディアを口封じの為に、杖を向けた。
「……最低……」
後ずさりしながら、ロックハートから距離を取り続けた。
「校長先生に話す。あんたなんか、学校から追い出してやる! そうさ、アズカバンにでも行くさ! そこで罪を償え!」
魔法使いの監獄、アズカバン。
その名を聞き、ロックハートは息苦しそうに喘ぎ出した。そして、奥にある自分の杖を取りに走りだした。
背を向けられた隙を突き、クローディアは空き教室を飛び出した。床に落ちていたはずの日記帳と手鏡がなくなっていることに気付かずにいた。
誰でも良いので人を見つけようとした。そういう時に限り、誰にも遭遇しない。フィルチでも幽霊でも、この際ならピーブスでも構わない。激しい動悸のままに、クローディアは疾走した。そのせいで曲がり角の向こうにいたハーマイオニーとぶつかった。
「クローディア、何処に行っていたの? 探したのよ」
心配そうなハーマイオニーを目にした途端、脈が穏やかな心音に変わっていく。全身が安心しているのだとクローディアは、深呼吸する。
「日記帳は持ってきた?」
指摘されて、気付く。
「あ、鏡と一緒に落としたさ」
「まあ、駄目よ。鏡はちゃんと持ってないといけないわ」
そういってハーマイオニーはポケットから手鏡を取りだした。何気なく、2人は手鏡を覗きこんだ。
瞬間に2人は震え上がった。背後に巨大な鱗を持った蛇の顔が蠢き、金色の瞳が鏡を通じてクローディアとハーマイオニーを見ていた。
悲鳴を上げる間もなく、2人の思考は途絶えた。
☈☈
その頃、ハリーとロンは周囲を警戒しながら約束の場所を目指していた。ハーマイオニーはクローディアを迎えに行ってしまったので、男の子だけでお手洗いに行くことが恥ずかしいからだ。いくら、何度も利用したといっても彼女達がいたからに過ぎない。
何の前触れもなく、ハリーは氷のような冷たい声が這いずるのを聞いた。
[今度は……殺す……引き裂いて……八つ裂きにして]
恐怖で慄き、ハリーは叫ぶ。
「あの声だ!」
「え! じゃあ、怪物が近くに!?」
ロンは狼狽し、咄嗟に折れた杖を構えた。
「とにかく、約束の場所に行こう。2人ともいるはずだ!」
誰に見られるのも構わず、ハリーとロンは急いだ。
しかし、お手洗いの前にはモップを手にしたフィルチが床を磨いていた。
「なんで、こんな時に」
歯噛みするロンをハリーは叱った。
「あそこにフィルチがいるなら、2人もいないよ。僕らもレイブンクロー寮に、行けないね。場所知らないから」
行き詰ったハリーが右往左往している。
「あ、ハリー! ロン! 良かった!」
喜んだ声でネビルが2人の後ろから声をかけてきた。フィルチから隠れていたため、思わずロンがネビルの口を塞いだ。
「なんだよ、ネビル!」
「大変だよ! とにかく来て! 本当に」
理由も話さず、ネビルはハリーとロンの腕を引っ張った。あまりにも強い力に、2人は抗えなかった。引きずって連れられたのは、医務室だ。
医務室の前にいたマクゴナガルが凄まじい形相で、ハリーとロンを見た。叱責を受ける気がし、反射的に2人は背筋を伸ばした。
「御苦労さま。ミスタ・ロングボトム。もうお行きなさい」
ネビルは医務室を一瞥し、黙ってマクゴナガルに従った。
ネビルがいなくなると、マクゴナガルから厳格さが消えて憐れんだ瞳でハリーとロンを見下ろした。こんなにしおらしい教頭は、初めて見た。
「2人に見せたいものがあります、少しショックかもしれません」
椅子にフリットウィックが座っていた。彼はハリーとロンを見て、マクゴナガル同様に憐れんだ眼差しを向けてきた。
その理由がすぐにわかった。寝台に、クローディアとハーマイオニーが横たわっていた。生き生きとしていた2人の姿が彫像のように変わり果てた。
「ハーマイオニー……、クローディア……」
ハリーの体中にある臓物が大きく痙攣した。驚くことも忘れたロンは、力なく口を開くしかない。
「廊下で倒れているところをロックハート先生が発見しました。最近、生徒の間で鏡が流行っているそうですが、それも2人と一緒に落ちていたそうです」
マクゴガナルの説明が、ハリーの耳には他人事のように聞こえる。それでも頭は、状況を整理していた。
「先生、鏡の他に何か落ちていませんでしたか?」
「いいえ、何も」
クローディアはトム=リドルの日記を持っていたはずだ。それが彼女の傍にないなら、誰かが持って行ったに違いない。もしかすると、日記帳を取り戻す為にクローディアは襲われた可能性がある。
次に耳を直撃したのは、廊下から医務室に近づく声であった。
[あいつだ、現れた。近い]
「ベッロ?」
ハリーが振り返れば、スネイプが血まみれのベッロを抱えて入ってきた。すぐにマダム・ポンフリーが空いた寝台を勧めた。スネイプは割れ物に触るような繊細な手つきで、ベッロを寝台に寝かせた。
「スネイプ先生、何があったのです?」
血に汚れたベッロを目に、マクゴナガルが不安そうに口元を押さえる。
「我輩にも、検討がつかん。突然暴れだし、硝子を突き破ったのです。破片で体が傷ついたのも構わず何処かに向かおうとしておりました」
スネイプは、興奮したベッロに手をやり、落ち着かせようとする。
ハリーには検討がついていた。先程の声を聞いたベッロが、居ても立ってもおれず行動に出ようとしたのだ。やはり、怪物はバジリスクかもしれない。だが、巨大な蛇が城を闊歩する方法だけが思いつかない。それについて、ハーマイオニーが何かに気付いていた。
厳しい表情でスネイプは、クローディアが横たわる寝台を一瞥する。
「マダム・ポンフリー、すぐにミス・クロックフォードを囲んで頂きたい。いまのベッロには見せられん」
カーテンがクローディアを囲った。
「さあ、もう行きましょう」
マクゴナガルも重苦しく告げ、ハリーとロンの背中を押す。
[あいつが、誰かを襲う。あのときのように]
ベッロは、ただ叫ぶ。その度に傷口から血が溢れてくる。
(もう襲われた……、襲われたんだよ……)
クローディアが襲われたなどと、言えるわけがない。胸が苦しくなり、ハリーは耳を塞いでベッロの声を遮断する。
グリフィンドール寮の談話室までマクゴナガルに送ってもらったが、激昂したベッロの声が、ハリーの耳元を付き纏っていた。
☈☈
職員室に集合した教職員一同は、ダンブルドアから新たな犠牲者2人の報せに言葉を失った。
「そんな、あんまりだ! ドリスが不憫すぎる!」
沈黙の後、ハグリッドは巨体を濡らして泣き喚く。
「落ち着くのじゃ、ハグリッド」
ダンブルドアが優しく窘める。
「もうすぐ、マンドレイクが成熟します。そうなれば、ミス・クロックフォードも他の子も…ミセス・ノリスも元通りですよ」
スプラウトがフィルチを一瞥してから、温厚な声でハグリッドの大きな背を撫でる。
「グレンジャーとクロックフォードのご家族には、どのように?」
マダム・フーチが震える手を握り締める。
「真実を報せるのじゃ。『蘇生薬』の件も含めてな。さて、こうなってしまっては、理事会が干渉してくるじゃろう。皆、どんなことがあっても、動じてはならん」
見透かした蒼い瞳が職員室を見渡した。誰もがその瞳を真っ向から、受け止めた。フィルチさえもダンブルドアと目を合わす中、ロックハートは俯き加減で口元を隠していた。薄く笑う唇を隠すためだと、誰も気づかない。
ただ1人、ダンブルドアだけがロックハートの様子に勘付いていた。
☈☈
ハグリッドは、重く寝台に腰掛ける。
(アラゴグが怪物のことを話してくれりゃ……、いや、ダメだ……。魔法省はアラゴグを信じてくれねえ)
見るとはなしに、食卓を見つめる。そこでクローディアとハーマイオニーの談話している姿が浮かんだ。
最後に話をした時、クローディアはクィレルから手紙の返事が来たと喜んでいた。ハリーとロンは彼女がクィレルと手紙のやりとりをしていることに驚いていた。
無邪気なクローディアの笑顔がかつての親友ボニフェースと何度も重なった。
(やはり、アラゴグがあの時、恐れてたヤツと同じなのか?)
嘆息するハグリッドを心配したファングが、小さく鳴き声を上げる。ファングの頭を撫でながら、遠い昔の日々を思い返す。
ホグワーツに入学して間もない頃から、同級生からの小さな嫌がらせを受けることが度々あった。ハグリッド自身は、それを気に留めてなどいなかった。
魔法学校の魅力や、『暗黒の森』の住人達との関わり合いが楽しかった。
ある日、ハグリッドの教材が湖に投げ捨てられていた。巨大イカに食われる前に、教材を回収しようとした。しかし、巨大イカは思いのほか邪魔してきたので、少し時間をかけて格闘した。
奮闘の末、巨大イカはハグリッドに服従の意を示した。
〝すごいじゃないか!〟
木々の陰から、ハグリッドには劣るがそれなりに長身の上級生が興奮したように弾ませながら、姿を見せた。
その足元には一メートルにも満たない紅い蛇が寄り添っていた。
〝どうやって手懐けたんだ? カッコイイな!〟
駆け寄ってくる上級生の瞳は、炎のような温かさを持った赤だ。
〝俺、ボニフェース=アロンダイトだ! ハッフルパフだ! おまえはルビウス=ハグリッドだろ! 知っているぞ!〟
屈託のない笑みに、ハグリッドの胸中は不思議な安堵感に包まれた。
〝……そうだ。俺は、ルビウス=ハグリッドだ〟
出来るだけ胸を張ったが、緊張して声は震えていた。
構わず、ボニフェースは紅い蛇を抱き上げた。蛇は鎌首をもたげて、ゆっくりお辞儀した。
〝こいつは、アグリッパだ。カッコイイだろ? 俺がつけた名前だからな〟
歳も寮も違うというのに、ボニフェースは生徒の中で最もハグリッドを対等に扱った。そして、退学が決まった日、悲しみ惜しんだのも彼だけだ。
〝ルビウス……、ごめんな。俺、何の力にもなれなくて……〟
我が事のように涙してくれるだけで、ハグリッドは十分だった。
ファングの呻き声で、我に返ったハグリッドは頭を振る。
(蘇生薬が出来るまで、医務室だけでも守らねえとな)
深呼吸をし、ハグリッドはボーガンの手入れを開始した。
☈☈
レイブンクロー寮の談話室は生徒で犇めき合い、幽霊も壁の絵もフリットウィックからの決定事項に耳を傾ける。
「全校生徒は夕方6時までに、各寮の談話室に戻ること、例外はありません。授業は全て必ず先生1人が引率します。食事は談話室で行います。今後、如何なる部活動も休止と致します」
『灰色のレディ』がフリットウィックの頭上で浮かぶ。
「それはいつまでなの?」
「一連の事件の犯人が捕まるまでです。それが成されない場合、学校の閉鎖もありえます」
項垂れるフリットウィックに誰も何も返さなかった。
フリットウィックが談話室を去ってから、しばらく沈黙が続いた。
ロジャーは、クローディアの襲撃を知らされてから真っ青な顔色で壁にもたれ続けていた。これ程まで落ち込んだ彼に、相応しい慰めの言葉が思いつく者などない。ペネロピーは他の監督生と目を合わせ頷きあう。
7年生の監督生が立ち上がる。
「大体の人間が、ハリー=ポッターを犯人と決め付けていたことは知っている。俺もそうだ。だが、クロックフォードは、去年、彼と共に『例のあの人』に立ち向かった、いわば戦友だ。故にハリー=ポッターは犯人ではない。いま最も怪しいのは、スリザリン生だが、こんな時だからこそ、スリザリン生との揉め事は起こさないようにするんだ。先生達も気を張り詰めているので、余計な諍いは迷惑になる。最低でも、スプラウト先生のマンドレイク薬が出来るまでだ!」
監督生の演説に、疎らな拍手が起こった。
だが、ルーナは手が取れるのではないかと思う程、激しく拍手する。それに対し、1年生は奇異の目で、ルーナを軽視する視線を送っていた。
その日の内に、理事会の申し出でダンブルドアが学校を不在になった。ハグリッドも過去の件から魔法省に容疑をかけられ、アズカバンに送られた。
復活祭の休暇は、休暇とは言えなかった。寮と図書館以外は何処にも行けず、2年生は3年生の選択科目を決める時期だが、学校が閉鎖の危機に立たされた状態でハリーはマトモに選ぶ気にもなれなかった。休暇中にハグリッドがくれた蜘蛛のヒントを辿ろうにも、今は身動きが十分に取れない。碌に探すことも出来なかった。
新学期になり、教職員の引率がしやすくするため、全校生徒の授業の時間割が大幅に変更された。
『魔法薬学』の授業は不気味な程、静まり返っている。
ハッフルパフはジャスティン=フィンチ‐フレッチリー、レイブンクローはクローディア=クロックフォードの2人を欠き、教室にいる生徒達の気分が沈んでいるのもある。
一番の理由をパドマは、クローディアを叱咤するスネイプの声がないことだと踏んだ。
スネイプの授業は緊張するが、ほとんどはクローディアに注意が行くので多少は気が楽だった。
今は違う。いつ誰がスネイプの逆鱗に触れるのか、わからない。
これは一種の精神的拷問でもある。
エロイーズが粉の分量を間違えていることに気づき、急いで測り直していた。だが、スネイプは獲物を見つけた獣のように、間髪いれずに注意した。
その様子に竦んだサリーが火の加減を強くしたので、大鍋から焦げた匂いが教室に充満した。
授業後、全員集中力を使い果たしていた。重い足を引きずりながら、スネイプの引率で地下教室を出る。
「クロックフォードがどれだけ必要かよくわかったよ」
スネイプに聞こえないように、ザカリアスがアーニーに耳打ちする。
「そういう問題か? 必要とか、そういうことは関係なく、元気になって欲しいと思うけど?」
悪態付くアーニーに、ザカリアスは肩を竦める。
「それよりも、僕はハリーに次に会うときは、謝らないといけない。彼がハーマイオニー=グレンジャーを襲うなんてことはない」
「やっと、わかったにえ?」
エロイーズが嘆息する。
「ハリーはクローディアの言うとおり、犯人じゃなかったのよ。やっぱり、……ドラコ=マルフォイかしら? 彼はベッロを執拗に狙ってたし」
慌ててスーザンが、ハンナの口を塞ぐ。
瞬間にスネイプの視線が振り返ったので、全員素知らぬ顔で口を閉ざした。
☈☈
午前の授業を終えたスネイプは医務室へと赴く。扉を叩けば、マダム・ポンフリーが緊張した声で相手を確認する。校医は慎重に周囲を警戒し、スネイプを招き入れた。
「ベッロの具合はどうなっておりますかな?」
「傷は全て消えました。もう大丈夫でしょう。もともと、鱗が一枚切れた程度だったのが幸いです」
肝心のベッロは、用意された寝台にいない。クローディアの寝台に目をやれば、その下でトグロを巻いている。
「確かに、問題はないようですな」
寝台の下を覗き込むスネイプは、小さく息を吐いた。ベッロに手を伸ばすが、無視された。
「もうしばらく、安静にしておればよいものを」
「傷が治ってから、ずっとこの調子です。余程、悔しかったんでしょうねえ」
哀れむマダム・ポンフリーは、ベッロの餌皿を寝台の下に置いた。皿には、ベッロの好物のネズミのから揚げだ。目を輝かせたベッロは、一口で平らげた。
「本当に、問題ないようだ」
起き上がったスネイプは、石化したクローディアを一瞥する。生気なく硬直した少女は動き出す気配もない。ベッロはこれを守っている。
(……ポッターなどと、関わるからだ。愚か者め、コンラッドの娘なのだぞ……もっと慎重にせんか)
スネイプは目を閉じる。瞼の裏にはコンラッドの姿が浮かんだ。彼が歩くと、その後ろをベッロが着いて行く。それが当たり前の光景だった。
〝セブルス、知っているかい? こいつはね、敵味方の判断が付くんだ。僕らの敵をベッロは判別できるんだよ。だから、こいつが危険を感じるところには絶対に行っちゃいけない。命の保証はできない。だから、あのルーピンが月に1度、何処に行こうとしているかなんて、気にしちゃダメだ〟
思わず顔を顰めるスネイプは、瞼を開く。マダム・ポンフリーに声をかけられるまでクローディアをただ見つめ続けた。
☈☈
パドマがリサ、サリー、マンディ、セシルと図書室で試験勉強に勤しんでいた。ハンナが周囲を警戒しながら、パドマ達の席に腰掛けた。
「『薬草学』のときに、ハリーがロナルド=ウィーズリーと相談しているのを聞いちゃったの。彼ら、何か探ってるみたいよ」
声を顰めるハンナに、パドマは真剣な表情で宙を見やる。
「多分、ハグリッドの無実を証明しようとしてるんだわ。私もハグリッドは違うと思う。あの人、ベッロがとても懐いていたから」
急にリサが体を跳ねらせる。
「ベッロは犯人に心当たりがあるのでは、ありませんか? クローディアが襲われた日、箱を壊すほど、暴れたと申されていました」
「そうよ、ジャスティンが襲われたときも教室から抜け出した! きっと、犯人が近くにいたから」
声が大きくなったサリーは、マダム・ピンズの視線に口ごもる。
「でも、私に何が出来る? マンドレイクの成長促進させる? 蘇生薬を作る? 蛇と話す?」
マンディの言葉に、4人は勢いよく振り返る。
「ハリー=ポッター」
セシルの呟きに、5人の考えは一致した。
閲覧ありがとうございました。
主人公がログアウトしました。次回から、ハリー視点でお送りします。