こうして、私達は出会う(完結)   作:珍明

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閲覧ありがとうございます。

感想欄にてリクエストにありました。
クローディアの両親の出会いです。母親視点になります。
残酷な表現があります。

限界集落という言葉が世間に広がるより、昔の話。


砂が如く祈る前

 

 間引きという言葉をご存じだろうか?

 植物を栽培する際、苗をより良く成長させる為に他の苗を抜く行為。

 しかし、この言葉が生まれる前から人間同士の間で行われていた。

 地方によっては『姥捨て山』、『子返し』と名が違うだろうが、詰まる所は同じ人減らしである。親を捨てた子は、子に捨てられる。子を捨てた親は、親に捨てられる。

 終わりのない連鎖は集団を生かす為に必要であり、枯れ葉が腐葉土となり木を育てるように当然の摂理だった。

 

 そんな話を私は祖母から聞かされる。

 この集落における間引きの習慣、顔も知らぬ曾祖父母は今は亡き、祖父の手で山奥に置き去りにされ、祖母の下の兄弟は乳飲み子だというのに谷の川へ投げられたのを何度も目にしたという。

「オラはここから出るわけにいかん、例え最後の1人になってもだ」

 訛りと共に意思の強い言葉で祖母は締めくくった。

「だけど、母さん。病気なったらどうすんだ? 父さんみたいに死なれたくねえよ。妻も母さんと暮らしたいと言ってくれてる。なあ、孫と暮らしたいと思わないか?」

 父は呆れた口調で説得する。

 一番若いのは祖母だけ、年寄りだらけの集落。街でに移り住んだ者により、一緒に暮らそうと提案されても頷く者はいない。

「皆、同じだ。オラ達がここを出ちまえば、死んじまった奴らにもうしわけねえ」

 ほとんど聞き取れない方言と訛りに涙が混じっていた。

 私は殊更おかしくて思わず、笑った。

「だったら、ここを捨てればいいじゃない。だって、捨てるのはお祖母ちゃんの番なんだからね。ほら、ちゃんと習慣に乗っ取ってるよ」

 祖母は驚きのあまり、硬直した。

 青褪めた父は反射的に私へ拳を振ろうとしたが、軽やかに避けた。

「……そうけえ……。オラの番か……」

 とても納得した笑顔で祖母は初めて移住に同意した。

 善は急げと3人は山を下りる。祖母の荷物は祖父の遺影だけだ。

 その様子は息子と孫を途中まで見送りに行くのとなんら変わりなかっただろう。しかし、微かな違和感を覚えていた者はいたかもしれない。

 岩がごつごつと目立つ山道を歩き、舗装された道路へと降り立つ。停めて置いた乗用車に乗り込み、父は上機嫌に発進させた。

「お祖母ちゃん、シートベルトは?」

「着け方がわからん」

 助手席にいる私は後部座席でシートベルトに悪戦苦闘する祖母を微笑ましく思った。

 窓の外は快晴、太陽は沈もうとしている。このまま行けば、30分足らずで町の我が家へ到着する。その前に公衆電話を見つけ、母に連絡しなければいけない。

 彼女はこれから始まる祖母との暮らしに胸を躍らせ、エンジン音の中に含まれる異音に気付かず、反対車線の谷側から流れ込んでくる無数の岩を目にした時には全てが遅かった。

 襲われた現実を受け入れた時、現状を理解する。

 横転した車がガードレイルをブチ抜いて僅かな均衡により、留まっている。少しでも動けば崖下へ真っ逆さまだ。

 あまりの恐怖に震え上がり、私の痙攣は治まらない。

「やめてくれえ」

 懇願する祖母の声がした。シワだらけの手が私を繋ぐシートベルトを外す。

「この子は、この子は町で生まれた子だ。関係ねえ」

 祖母は老人とは思えぬ力で私を押し、岩で割れたフロントガラスへ押し込む。私を車から出そうとしているが、それをすれば振動により車は落ちてしまう。

「行けぇ、行くんだ! 早く!」

 必死な祖母の力に押されなければ、私は指一本動かせなかっただろう。咄嗟に父を見た。顔面をフロントガラスに貫かれ、既に息絶えていた。

 されるがままに私は車から這い出た。

 ガラスに皮膚を裂かれたが、感覚が鈍って痛みがないのは幸い。無駄と知りながら、2人を求めて振り返った。

 轟音を立てて、車はガードレールを巻き込んで落ちた。

 車に纏わりついた岩や泥が夥しい人の手に見えたのは、目の錯覚だったかどうかは今でもわからない。

 

 ――助けを呼ばなければ!

 

 僅かに残った理性というより、2人を助けたい一心で私は歩いた。

 本人として全速力だったが、傍から見れば蝸牛よりも遅かっただろう。それでも、歩き続けた。

 日が暮れ、電灯を頼りに進む。公衆電話よりも先に民家へ辿り着き、残った力を振り絞って玄関を叩いた。その家の住人は私達親子が定期的に集落を訪れていると覚えてくれいた為、すぐに救急車と地元警察を呼んでくれた。

 今でも感謝している。

 

 病院に搬送され、私は警察に自分の住所を伝えた。血相を変えた母はすぐに駆けつけてくれた。

 車と父と祖母は崖下にて発見されたが、遺体の損傷が激しく運び出せない状態であった。あの集落の長はそんな2人の遺体を引き取り、葬儀まで取り仕切ってくれたそうだ。

 それを聞き、私は思う。あいつらは祖母の出発を許さず、祖母と父は殺された。落石は事故で偶然でもない。人為的な物だったに違いない。もしも顔を上げていれば、誰かを目撃していただろう。

 祖母の声が頭に反響した。

 私は懇願により、見逃されたに過ぎない。それとも、祖母が言うように町の子供だったからなのかもしれない。

 何日経過しても、私は声一つ上げず、当時の担当医は失語症と診断した。

 退院が許されても、私は無気力で体も動かさない為、空腹を感じず、食事も取らずに部屋に籠る日々。

 事故の後遺症故、母や担任、同級生は心配して何度も励ましてくれた。純粋に私の身を案じているとわかっていたが、それに答えられなかった。

 怪我も病気もなく、ただそこにいるだけの私を責める声が増えて行った。

「辛いのはおまえだけじゃない」

「お母さんに迷惑をかけるな」

「本当は仮病じゃないのか?」

「いい加減にしろ」

 責められようとも、他人事のようにしか聞こえず、泣きも怒りもしない。やがて気味が悪いと関わりを断たれた。

 季節が何度も変わり、母さえも部屋に来なくなった。

 

 目を覚ましたら、病院にいた。

 母方の祖母が久しぶりに家を訪れ、衰弱状態の私を発見してやむなく病院へ運んでくれたのだ。

「もう無理! だったら、あんた達は面倒看なさいよ! 偶に来て帰る人が私を責めないでよ!」

 金切り声が聞こえても、何も感じない。祖母に同調する事も、母を庇う意思も起きない。

「母親が面倒を看ないと……」

「うちは……」

 祖母を中心とした親戚から、私を押し付け合う声が届く。それも仕方ないと理解していた。

 母は献身的に私を介護したといえる。でも、続けられるかは母親も何もないだろう。

 面会時間が過ぎ、病院が最も静かな時間になった頃。自分の眠る寝台に別の重みを感じ、瞼を開いた。

 無表情の母が私の首に手を伸ばす。動脈を塞ぐ感触に母は限界を迎えたのだと他人事のように理解していた。

 母の人生から、私は間引かれる。

 また祖母の声が反響した。

 

 ――死にたくない。

 

 久しぶりに湧き起った感情は生物として当然の本能。しかし、抵抗するには腕も持ちあがらない。

「いらんなら、私が貰おう」

 2人きりの病室に低い声が静かに通る。母は我に返ったように私から手を離した。

 病室の扉に小柄な男がいた。母よりも若い顔つきだが、私が知る誰よりも厳かな雰囲気を醸し出している。

「私が貰ってよいなら、このまま去るがいい。但し、二度と会うな」

 集落の長など比べ物にならぬ迫力に母は物怖じしても、私を振り返る。眉間に寄せたシワは解放を喜びのようで、手をかけるつもりはなかったと弁明にも見え、許しを請うているようにも思えた。

 結局、母は病室を去った。

 足音が聞こえなくなり、男の黒髪が突然に白髪になり、シワも老人の領域まで刻まれた。

「今から、ワシがお主の父親じゃ。名前はそうじゃな……祈沙。沙(すな)のような祈り……とでもしておこう」

 『父』は私の頭を撫で、そう呼んだ。

「……き……さ……」

 疑問が声に出て、驚いた。

 『父』はそれを承諾と受け取り、微笑む。妙に慣れていない笑い方だった。

「その名が馴染むまで眠っておれ。忙しくなるのはそれからじゃ」

 眠気が襲ってきた。

 気絶ではなく、穏やかな心地で瞼を閉じた。

 

 再び目を覚ませば、違う病院にいた。

 明らかに上等な素材で作られた壁や寝台、寝巻の肌触りも段違いだ。

 患者の名札を見れば、【日無斐 祈沙】とあった。

「おはようございます、日無斐さーん。具合はどうですか?」

 明るい笑顔の看護婦は当然のように私をそう呼ぶ。初めて、『父』は日無斐だと理解した。

「お……はよう、ございます」

 掠れていたが、ちゃんと声が出せた。

「さあ、今日からリハビリです! 体に負担をかけないように日無斐さんのペースでやっていきますからね!」

 看護婦から説明されたリハビリに覚えはなかったが、確かに栄養失調にある。しかし、以前になかった心の活力を脳髄から感じた。

 リハビリを受けながら、『父』がどんな人間が大体は把握した。田沢病院の創設者の一人であり、町の年長者達が先生と敬う存在。しかし、誰も正確な年齢を知らず、誰もそれを疑問に思わない。

 いくらなんでも異常だ。

 しかし、おもしろい異常だと感じた。

 自分の名前が『祈沙』だと自覚する為、何度も呟く内に語尾に「さ」が付くようになった。

 今にして思えば、私は両親から授かった名を思い出せぬ事に何の疑問も抱かない。異常なのは私自身だったのだ。

 季節が一巡し、退院した先は日本家屋そのもの、土蔵まである。

「……お父さんって歳はいくつなのさ?」

「100歳」

 荷物を解いて『父』と話せば、即答。胡散臭げに視線を返せば、肩を竦められた。

「すまん、サバを読んだ。多分、90かそこらじゃ……」

 何故、多めに言うんだろう。しかも、年齢の割にシワが少ない。

「……全然、見えないさ。妖怪か何かさ?」

「魔法使いじゃよ……、似たようなもんか」

 度々、『父』は魔法族の話をした。

 ダームストラング魔法専門学校に通っていたとか、田崎さんの家も魔法族だとか、大天狗・次郎坊に勝ったとか、冗談だと思った。

 当時の田沢院長が私の回診に来た時、確かめてみた。

「田沢さんのお宅は魔法使いなんですか?」

「ええ、そうです。といっても、祖父母の代から生まれていませんがね」

 田沢さんは天狗の一味だったが、明治維新の折に山から下りた。否、どんな修行を重ねても神通力に目覚めぬ故、破門されたというのが正しいそうだ。

「……しかし、そうか……弟子を取ったと思ったら……、本当にただの娘さんなんですね……」

 老齢でありながら、上品な美しさを感じずにはいられぬ院長は興味深そうに私を眺めた。

「でしたら、お覚悟を。あの男の身内になれば、魑魅魍魎から逃れられません」

 『父』は一度も誤魔化さず、本当の事だけ教えていたのだ。

「だったら……」

 脳裏に浮かんだのは、祖母と父。

 人智の及ばぬ力が本当にあるなら、何故、2人は殺されたのだろう。あの山にも住まう何かが、助けてくれても良かったはずだ。

 そんな考えが浮かび、私は悔しくて泣いた。

 

 ――『家族』を無くしてから、初めて溢れ出た涙だった。

 

 院長は慰めなかった。ただ泣き止むまで傍に居てくれた。

 それから、『父』を訪れる人々の中で私を品定めする目つきの人は魔法族関係だとすぐに察した。最初は周囲の人に合せた風貌だったが、本性を表していき、着物を着た狐や猫、目玉だらけとか当たり前になって行った。

 お風呂場に河童が現れた時は、いろんな意味で腰を抜かした。

 

 ――そして、殺されかけた。

 

「本当に弟子じゃないんだー、うそー」

 血に濡れて呼吸も儘ならない私よりも、仕掛けて来た狸のほうが気の毒な程に狼狽していた。

 『父』は彼らと縁を切った。

「随分と親馬鹿になったねえ……、アタイも気を付けるとしよう。まだ、アンタとは繋がっておきたいからねえ」

「ワシの機嫌を取っても、返してやらんぞ」

 黒髪を背に流した狐が妖しく笑い、私の首に鼻を付けて匂いを嗅いで去った。

「すまんな、あの狐はワシに頭を取られておるからな。まだしばらく付き纏って来ようが……危害は加えて来んじゃろう」

 『父』は祈沙の年齢に応じ、学業への復帰を求めた。人間社会に返し、他にも誤解している連中に示せる為だ。

 狸から受けた傷の治療も兼ね、定時制に通わせて貰い、高卒資格を取得した。問題は職だった。

 長時間は歩けず、乗り物に乗ろうとすれば吐いた。院長曰く、歩く分は少しずつ良くなっていくが、乗用車に関しては一種のトラウマだろうと診断された。

 『父』のように世界を巡りたかったが、この身では室内での仕事に限られてくる。

「医者ってどうやってなるさ?」

 純粋な興味だった。

「……遺体を見る覚悟があるならな」

 告げられ、ゾッと寒気がした。そう、医術に関わるなら、死に触れるのは当然だ。多忙な毎日と魔法族との僅かな関わりに、過去を忘れそうになる。けど、一度も忘れたりしていない。

「……無理」

 逆流する胃液を吐かなかっただけ、自分を褒めた。

 理容師を選んだのは何気なく、ご近所の理容室さんは白衣を着ていたからだ。

 これも通信制にしてもらった。専門学校の寮もあったが、最近になって松葉杖がなくても歩けるようになったばかりだ。他人との集団行動はお互いに負担になるだろう。

 

 今年に入り、初めての回診日。

 院長に診て貰っている最中、居間にフクロウが乱入してきたのだ。

 流石にこれは吃驚した。

「随分と無粋じゃな……」

 疲労困憊のフクロウと共に『父』は土蔵に籠った。

「うちの嫁を寄こしましょう。あの方はしばらく出てきません」

 院長の宣言通り、一週間は出て来なかった。

 院長の嫁とは次男さんの嫁であり、入院中に世話してくれた看護婦さんだったから嬉しかった。彼女が帰るのを見計らったように『父』は土蔵から出て来た。

 滅多に見せぬ深刻さで問う。

「なあ、祈沙。おまえ、母親にならないか?」

 それから国境も世界観も越えた話をされた。

 イギリス魔法界、闇の帝王ヴォルデモート、時間を遡った『ホムンクルス』、アロンダイト兄弟、使い魔に託された遺言。途方もなく、実感は持てない。けど、理解すべきはただひとつ。

「……私がお母さんに……」

 祖母のように母のように、自分が『母』になる。

 正直、怖い。

 母のように限界が来たら、自分の人生から子供を間引く。拾ってくれた人がいたから、ここにいられる。

「祈沙」

 呼ばれて我に返る。生え際とコメカミ、喉の皮膚に汗が張り付く。

「ワシはちょうど娘が欲しかった。だから、おまえを貰った。おまえが決めればよい」

「……でも、私がならないと困るんじゃ……」

 私に意識は朧げで決断できない。だから、命令して欲しかった。恩人の『父』になら、どんな命令も耐えられるのだと信じた。

「親には自分で決めてなるもんじゃ」

 それ以上の会話はなく、私は座り込んで眠らずに一晩、そのままの姿勢で考え抜いた。今にして思えば、取るに足らない葛藤だったと言える。

 夜明けを迎える前に決め、ずっと待ってくれていた『父』に伝えた。

「母親になるさ」

「ありがとう」

 意外にも感謝され、祈沙はとても誇らしい気持ちになった。そして、まだ見ぬ我が子との対面を望んだ。

 

 5日後、寝惚けた私は庭にいる『父』と知らぬ人――物語に出てきそうな王子様がいた。

「ああ、おはよう。ちょうど良い、言っておった『ホムンクルス』が来たぞい」

 月のように輝く金髪、藤色の瞳、健康的に白い肌が絵から抜け出たように現実味を帯びない。私はきっと初めて男に身惚れてしまった。

「私……この人のお母さんになるさ?」

「違う、そうじゃない。こやつはコンラッドじゃよ」

 即座に否定し、『父』はコンラッド=クロックフォードを紹介した。

「ワシが言っておるのは――」

 皺だらけの手が滑らかそうな白い手元を指差す。その手にあるガラスの筒、胎児が液体に包まれていた。

「……この子が……」

 『ホムンクルス』、液体の僅かなうねりが胎児の胎動を教え、知らずとガラスに触れてみた。

 

 ――生きている。

 

 ガラスの筒を『父』はひょっいと取り上げた。

「おまえが母になるように、コンラッドも父になる……。此奴がどうーーしてもと言うんでな」

「……ん? え? それって……」

 彼と結婚する。いきなり、夫と子が出来た。

「それ以外にもいくつか条件を足した」

 ひとつ、コンラッドと子供は小学校卒業まで日本に住む。

 ひとつ、その間のイギリス内の協力者達とは『父』以外は連絡を断つ。

 ひとつ、イギリスに発つ際、私は日本へ残る。

 質問や疑問はあったが、コンラッドがここにいる時点で決まっているのだろう。

「ワシは今から、孫作りに勤しむ。コンラッドは時折、ここに来てはおまえと慣らす。来年の今頃には一緒に住むからのお。――手を出すなよ」

 最後だけ、『父』はコンラッドに向けて言い放つ。彼は肩を竦めて答えた。

「そういうことでしたか」

 気配もなく背後に現れたのは、院長だ。吃驚した。

「ご結婚、おめでとうございます。よく許されましたねえ」

 意味深に笑う院長から『父』は目を逸らす。

「……根性は認める」

 その根性を如何にして認めたか、想像しようとすれば脳髄が拒否した。

「主治医として、ご懐妊は許可できませんが、成程――大方の事情は呑み込めました。初めまして、婿殿」

 院長はコンラッドと挨拶を交わし、その間に『父』は土蔵へ入り扉を閉めてしまった。

 コンラッドはずっと外国語で話し、喋り方も機械音のように一定。父親が『ホムンクルス』だから美しいのか、イギリス人故の美しさか、本当に綺麗だと思った。

 ただ、日本語しかわからない私とどう過ごすつもりか、疑問だ。

「彼には日本語学、貴女にはイギリス英語をお教えしましょう」

「え? わ、私も?」

 院長の宣言に狼狽する私をコンラッドは奇妙な視線を向けられ、恥ずかしくなる。それが純粋な敵意だったと、邪険くらいしか知らなかった私は感じ取りようがなかった。

 

 月に一度、コンラッドはいつの間に客間へ現われ、院長の授業を受けては半日ほどで帰って行く。彼は院長とは話すが、私とはトイレの場所を聞く時、書斎に入りたい時、襖を壊した時、しか話しかけて来ない。時折、左腕を気にする素振りを見せるが意味も知らない。彼の態度はブラウン管の画面に映る人のように遠かった。

 私もコンラッドとの接し方がわからず、人の事を言えた義理もない。不安も不満も浮かばない。

 

 年末の大掃除と年越しの準備にすら、『父』は土蔵から出て来ない。

 周囲に助けられながら、私は御節を作る。材料の配分を間違え、急いでスーパーへ買い足しに行かなければいけなくなった。

「手伝う」

 玄関で靴を履いている最中、コンラッドは片言の日本で提案して来る。愛想の良い綺麗な顔には「不本意」と書かれていた。

「あ……あり……じゃなかった。センキュー」

 商店街まで歩く道は雪が積もり、雪掻きにより開かれている。

「日無斐さーん、買い物でしたら、うちの車に乗っていきますか?」

「いいえ、今日は……連れがいますから」

 佐川さんの誘いを丁寧に断る。コンラッドは通り過ぎていく車や自転車を眺め、観察していた。

 徒歩二十分の距離、商店街は年始年末の為に大賑わい、そこへ現れた金髪の麗しいコンラッドは注目の的だ。

「ありゃ、日無斐さんとこのお嬢さんだ」

「じゃあ、あの外国人は先生のお客さんか、流石、先生は顔が広い」

 離れないようにコンラッドの腕を掴み、目的の物を買った。

「売り切れてなくて良かったさ」

 そんな感想と共に帰路へ着く。普段の買い物より時間がかかったが、この時期は当然だ。

「貴女、車に乗れない。自転車、乗れない」

 重い声が耳に届き、脳髄に伝わる。憐みの感情と共に責めを感じた。

 私は母親になると決めた。『ホムンクルス』の為に用意された親という役割。我が子が歩む大まかな道筋は聞き、理解しているつもりだ。

 けど、夫婦になるのとは違う。私はコンラッドの人生を知らない。彼の父が『ホムンクルス』であり、その父と同じ存在である『ホムンクルス』が我が子になるSFな話だ。彼がどんな想いで父を受け入れたか、知らない。

「……あんたさ、私に怒っているんでしょうさ。私、謝らないさ。あんたが私を気に入らなくても、私は母親になるさ。上手くやろう、お互いに」

 負けられない。

 私なりの宣戦布告をコンラッドは真剣に受け止めた。

 正式に一緒に暮らす際、私の年齢を伝えたら、驚かれた。私も彼が五歳も年下だと思いもしなかった。

 

 忘れもしない7月。

 

 ――愛しい娘をこの手に抱いた。

 

 この先、どんな苦難に見舞われようとも自分の意思で未来を織りなして欲しいから、「来織」と名付けた。

 コンラッドは「アイリーン」という名に拘ったが、『父』は却下した。渋々、彼は自分の名と同じ「C」から始まる名前「クローディア」と名付けた。

 

 育児とは想像以上に精神的消耗が激しく、連日連夜、夜泣きと授乳でほぼ徹夜。

 出産すれば、三か月以上はホルムンバランスが崩れた影響下にある。私は外から「もっと我が子に優しく、余裕を持って」などと助言して来る人達が非情で残酷に思えた。

 かと言っても、抵抗も出来ない我が子に暴力を振るう奴など、山に捨てられてしまえばいいと割と本気で思った。

 来織が熟睡していても、私の頭で泣き声が反響して止まない。コンラッドも目の下の隈が悲惨だ。彼も予想以上に育児に協力的で、気絶した私の代わりに何度も来織にミルクを上げたり、おしめを替えてくれた。

「おまえら、デートして来い」

 仏頂面で『父』は遊園地のチケットを渡し、私達は田沢さんの運転で連れて行って貰った。このデートはどうやら、次男さんのお嫁さんが口添えしてくれたとわかった。

「車、乗れるようになった?」

「後部座席ならさ」

 コンラッドの皮肉に応える気力はまだあった。

 本当に久しぶりの遊園地。

 平日は家族連ればかりで疎ら、コンラッドはとにかく目立った。

 観覧車やメリーゴーランド、ジェットコースターの列に並べば、前にいた人が譲ろうとする程だ。勿論、丁重にお断りして順番を待った。

 轟音を立てて、レールに発射される。それを眺めたコンラッドは妙に口元が強張っていた。

「もしかして、怖いさ?」

 意地悪な気分で問えば、コンラッドは目を合わさない。寧ろ、逸らした。

 私達の順番になり、座席へ座る。解放された頭上は車とは完全に違う。シートベルトを着用し、コンラッドの様子を盗み見れば、既に顔面蒼白状態だった。

「お……降りるさ?」

「大丈夫、緊張……」

 言い終える前に発射の笛が鳴り、スタッフが座席を一列一列確認して容赦なく発射された。

 背を押す浮遊感が胸を高鳴らせる。

 

 ――気分爽快!

 

 歓声を上げている間に終わってしまった。

「おもしろかったさ!」

 隣にいたコンラッドに声をかければ、白目を向いていた。彼に肩を貸し、遊具の外へ出た瞬間、青くなった唇から酸の匂いが撒かれた。

 失礼ながら、笑いのツボが押されて爆笑してしまう。

「いい男が台無し……」

 私が濡らしたハンカチで口元を拭ったコンラッドは悔しさを露に睨み返した。

「箒なら……箒なら負けない」

 負け惜しみも可愛かった。

 日が暮れる前に家まで送ってもらい、『父』は来織で出迎えてくれた。

「気分転換になったようじゃな」

「先生、婿殿に嫉妬とかみっともないですよ」

 微笑んでいるのに、目が笑わぬ『父』に田沢さんは呆れた。

「おまえとて、嫁さんに妬いておるじゃろうが!」

「ほらほら、来織ちゃんが起きてしまいますよ」

 見事に話を逸らした田沢さんは私達を家に入れさせ、コンラッドは私に耳打ちした。

「今夜、箒に乗せる」

 耳がこそばゆかった。

 

 すっごく仏頂面の『父』に頼んで時間を貰い、コンラッドに連れられて庭へ出る。彼が手首を振るった時、掃除用の箒が吸い込まれて来た。

 箒を鮮やかに滑らせ、コンラッドは箒に跨る。地面に足が付いていないのに、箒ごと浮いた。

「魔法使いって本当に箒に乗るさ……」

 感心する私をコンラッドは視線で呼ぶ。2人も乗れば箒が折れたり、落ちたりする可能生など、色々と緊張に強張りつつも、彼の後ろへ腰かけた。

「その体勢、落ちる。もっと、掴まる」

 コンラッドは私の両手を自分の腰へ導き、指先で私の手をトントンッと叩く。何故か、手の組みが外れなくなった。

「これなら、落ちない……!?」

 私が言い終える前に、浮いた。

 

 ――屋根の上より、ご近所を見渡すより、家々の明かりが一目に納まるより、空の雲に手が届く。実際の雲は触れられず、残念だが、そこから見下ろした地上の電飾は自ら輝く宝石のように美しい。

「……魔法使いみたい」

 私の口から言葉通りにコンラッドは魔法使いで、魔法の力で箒に乗り、空を飛んだ。

「――フフッ」

 息を溢す笑い方、下げた瞳と弧を描く口元。

 コンラッドが初めて見せた感情の籠った嬉しそうな笑顔。私が心底、彼に惚れた瞬間でもあった。

 

 それから、コンラッドは台所に立ってくれるようになった。彼の料理はとても美味しかった。

 時折、2人で夜空の空中を箒で散策した。

 私達はお互いの話を何気なく行った。私は祖母の集落と間引きの習慣、コンラッドは家族や魔法学校での生活。

「あんた、お母さん生きているのさ? ええ……ずっとお母さんに挨拶していないけど……、酷い嫁だって思われてないさ?」

 てっきり、父子家庭だと思い込んでいた。

「トトが会わせたがらない。ドリスが万一、奴らに捕まれば、私がここにいるという情報だけしか漏らさないようにする為。……母もわかっている……。私がイギリスを出ると言った時、セブルスだけでも連れて行けと言って……、自分は最初から残るつもりだった」

 淡々と話しながらも、ドリスとセブルス。この2人に関する事柄だけは、柔らかい雰囲気で話した。

「ねえ、私もイギリスに行っちゃ駄目さ? 英語も上手くなったしさ」

「……ダメ、君はマグルだ。危険すぎる」

 とても冷たい声。足手纏いだと言われている気がした。それだけ言わねば、きっと私は勝手に着いて行った気がする。夫と娘、家族と一緒にいられるなら、きっと出来た。

 コンラッドは『父』に告げ口し、私は居残りが役目だと念押しされた。

 

 来織は毎日、他の子供達と同様に育っていく。『父』も完全な祖父馬鹿のくせにまだ3歳の子に『三枚のお札』の話をしたり、入園が決まった時は「ワシが面倒見るもん!」と騒いだり、本当に平穏な日々だった。

 異変を感じたのは、来織からだ。

 町で最も年長者であり、『父』の最初の患者と言われているオバサン。来織はこの人だけは執拗に嫌っていた。

 理由を知れたのは、コンラッドの見慣れない傷。包丁の刃で切られた傷、彼が料理中にこんな状態になるなどありえない。オバサンに会った時だけだと気づくのが遅れる程、あの人は私と『父』には本当に親切だった。

 

 ――夫と娘が傷つけられている。

 

 自らを恥じ、許せず、悲しみに涙が溢れる。感情が抑えられず、夜中に泣き起きてはコンラッドが「大丈夫だ」と慰めてくれた。

 情けないが私は『父』に助けを乞い、『皆』と集会を開いた。

 院長などの人間もいれば、いつぞやの黒髪の狐や幽霊と表現したくなる透明な人もいる。だが、『父』以外には妖怪達は視えないように感じた。

 私とコンラッドは『父』の後ろに控えさせられた。

「あの婆さんは元々、余所者が嫌いなんだ。町内で新入りが来れば、いつもイビっている」

「あの人間は婿殿を憎んでおるえ。娘殿に自分の親族を宛がおうとしておった」

 木本さんの発言に被るように狐も喋る。

「余所者嫌いに加え、祈沙お嬢さんを狙っていたか……」

 すると、佐川さんがまるで狐の発言が聞こえているように答えた。

「好き嫌いはどうにもなりませんが、暴力はやめませましょう。何なら、腕の一本でも折りましょう。隣の市で老人ホームが建設されたとも聞きます。ぶち込みましょう」

「祝言を上げておらぬもの、婿殿を認められん一因。お主程の男の娘ならば、余計に」

 環さんの発言に幽霊が被らせる。

「あの人も良い歳だ。しかし、余所者だらけの施設で大人しく入ってもらえないんじゃない? 夫婦の大事な式をあの人の為に行うのはねえ……どう思いますか? 院長先生」

「何も気に入らん性分ですから、無意味になります。それどころか、コンラッドに恥を掻かせようと失敗させます」

 木下さんの問いに院長は答える。狐達が忍び笑いだす。

「奴の……」

 『父』が静かに口開けば、皆、黙った。

「奴に関してはワシが始末をつける。誰も手を出すな」

 怒っている。

 何に関してか、それとも全てか、『父』は怒っていた。

 

 ――一月も経たず、オバサンは亡くなった。

 

 オバサンの葬儀、『父』は誰にも気付かれないように泣いていた。

「治してやれず、すまん……」

 最初の患者だから思い入れがあり、そんな相手を『父』が何かをしたと思えなかった。

 私は葬儀の手伝いと『父』を慰めるのに追われ、来織とコンラッドのやりとりを知らなかった。

「あいつがやった」

 2人きりなった瞬間、コンラッドは来織を批難した。

 私は来織に対し、申し訳なかった。母親の私が護り切れず、娘に自らオバサンを間引かせてしまった。

「あいつは人殺しだ」

 コンラッドの吐き捨てた言葉に私の背筋が熱くなり、眩暈が起こる。祖母と父が死んだ時にまで記憶が遡った。

 

 ――人殺し? あいつらと同じ? 違う、これは間引きだ。マビキハコロシジャナイ――

 

「違う、間引いただけ――、人殺しじゃない。この暮らしを守る為に、不必要な者を間引いただけ」

 私の視界が揺らぎ、それでもコンラッドから目を離さない。この口から零れる言葉を彼は驚きと憐れみを持ち、私を抱きしめた。

「殺しだよ。どんなに言い訳しても、殺しなんだ。どんなに不必要だと感じる相手でも、殺してはいけない」

 耳に囁かれる息は謝罪も含まれ、私は震えた。

 脳髄、手足、臓物、全てが震えた。

「だったら、どうしたらいい? ……限界が来たら……どうしたらいい?」

 

 この暮らしに限界が来たら――、終わりが来た時にどうすればいい?

 

 唐突に浮かんだ自分勝手な疑問。口にしたか、表情から読み取ったか、彼の耳に届いていた。

「終わりは来ない、限界もない。ずっと続くよ。私達がやめない限り」

 穏やかな声が終わっても、コンラッドは私を離さない。震えが止まった。

 男の人を抱きしめた経験がない故、彼の腰にそっと手を添えた。

 私は来織に対し、オバサンの話は一切しなかった。それが娘のトラウマとして心に刻まれるとわかっていても、慰めも諌めもしない。いずれ、自分の犯した罪の重さを自覚した時が償いの時なのだろう。

 

 来織の小学校入学を機に、私は自動車の運転免許に挑戦した。仮免に8回落ちたり、一年かかったけどもなんとか合格した。

 運転の練習にコンラッドを連れ出し、何度もドライブへ行く。運転中、彼は翻訳の仕事を休めずに紙の束が車内を自由自在に比喩的にではなく、舞う。

「そんなに派手に魔法を使ったら、ご近所さんに見られちゃうさ」

「見えないようにしているよ」

 不遜に笑うコンラッドはとても楽しそう、私はとても幸せだ。

 

 その裏で『父』とコンラッドは着々と準備を進めていく。『父』は知らぬ間に外国へ発ってはすぐ戻る。そうして、諸外国に住む友人・知人の魔法使い達との盟約を結んでいった。

「盟約って随分とおおがかりじゃないさ?」

「そりゃあ、そうとも。ワシが若造を始末して終わる話ではないからのお。若造を完膚なきまでに叩きのめし、尚且つ、二度と残党どもが復活の希望を持たぬようにせねばならん。出なければ、犠牲者は増え続けてしまうんじゃ」

 闇の帝王を若造呼ばわりする『父』はコンラッドを一瞥した。

「それって、過去に戻ったりする人の事さ?」

「あえて伏せたんじゃが、つまりはそうじゃ。あのクソ婆……もといルクレース=アロンダイトのような愚か者が現れては堪ったもんではない」

 急に無感情な態度で言い放つ『父』はその魔女に対し、何の情も抱いておらず、寧ろ、凍りつく程に冷たかった。

「どうして、そのアロンダイトさんは……自分で過去に行かなかったさ?」

「決まっておろう。仕損じて自分が消えたくなかったからじゃ。孫に押し付けたのも、失敗を考慮して消えても良い存在だと思っておったんじゃろう。……あ奴はそういう奴じゃ」

 目を伏せる『父』は何処までも冷たい態度であった。コンラッドは無言で同意を示し、話題を変えようと内ポケットから丸い物を取り出した。

「これの模様、何が良いかな?」

 丸い薬入れ、製作中らしくまだ無地だ。コンラッドお手製の軟膏を入れておくそうだ。

「そう言われたら、……藤が良いさ」

「藤? 桜じゃなくていいのかい?」

 意外そうに返され、私は勝手に照れる。

「……コンラッドの瞳……、藤の花と同じ……紫だからさ」

 正直に答え、コンラッドは雷に打たれたように目を見開いていた。

「ワシはもっと凄い物を用意できるわい!」

 対抗意識を燃やした『父』は魔法界でも貴重品と自負する『解呪薬』を引っ張り出してきた。

「そうじゃ、オリジナルがまだ残っておったな。万一に備えて持たせておかねば」

「今まで忘れていたんですか?」

 途端、冷静になった『父』にコンラッドは呆れた。

 余談だが、『父』が『解呪薬』を入れる為の紅い印籠を作った時、黒髪の狐が烈火の如くブチ切れていた。何故なら、その材料が狐の頭蓋骨そのもの。『解呪薬』程の強力な魔法薬はそれ相応の材質で保護しなければならない。

「頭を取ったって……そういう意味?」

 どう見ても、狐には頭は付いている。しかし、好奇心は猫を殺す。追及はやめておいた。

 

 薬入れへの彫り物を完成させ、コンラッドは見せてくれた。

「とっても綺麗さ。薬を入れるだけなんて勿体無いさ。誰に渡すつもりさ?」

「……クローディアに持たせておくよ。今夜も一緒に空を飛ぼう」

 久しぶりのお誘いに私は嬉しさと何か言い知れぬ予感を覚えた。

 月の明かりが近く、空気は澄んでいて美味しい。私達は箒の上で迎え合わせになった。

「ずっと聞きたかった。君はどうして、私達に関わろうとしたんだい? トトからは君には事情を説明して、母親を引き受けたとしか聞いていない。君自身は何が目的だった?」

 口調は淡々としているが、質問には私への興味が込められている。もっと早く聞かれても良かったが、コンラッドによってはそこを意識する程の価値がまだなかったのだろう。

「母親になるって決めたさ……。魔法界とか魔法族とか、関係なく、私がお母さんになるって……理由なんて昔も今も変わらないさ……」

 コンラッドの気を引く為でも、建前でもない。自分の中にある本音だ。彼は瞬きもせず、私をただ見ていた。

「……コンラッドは……どうして、来織のお父さんになろうと思ったさ?」

 私の質問で我に返り、コンラッドは一瞬、目を伏せた。

「セブルスを救いたいからだ」

 以前から話してくれたコンラッドの友達。

「……闇の帝王から友達を助けたいって事さ?」

「違う、あの女の呪縛からだ」

 憎々しげに歪んだ顔に私は恐怖した。私の怯えに気づき、コンラッドは自らの手で覆う。律するように肩で深呼吸しても、声から憎悪は消えない。

「セブルスはハリー=ポッターの母親……リリーを愛している。その息子を護る為なら……セブルスはなんでもする。リリーがいない今、セブルスはそれ以外の生き方を無くしてしまった……」

 コンラッドは闇の帝王ではなく、殺されたリリーなる女性自身を心底、憎んでいる。あまりにも理不尽にして、見当違いな感情に言葉を失った。

「……待って、私達が会う前にあんたは『予言』というか、闇の帝王が凋落するって知っていたでしょうさ? その話をセブルスさんには……」

「出来なかった……、言えば、セブルスはリリーを庇って死ぬ。そういう奴なんだ……。わかっていた……。ポッターが滅ぼすと聞いた時から、……セブルスかリリー、どちらかしか生き残れないとね」

 つまり、コンラッドは2人の命を天秤にかけ、セブルスを選んだ。そのセブルスもいずれ、ハリーの為に死ぬのだろう。彼は虫食いの遺言を知った時から、そこまで推測したのだ。

「リリーさんに……話さなかったわけさ?」

「……ポッターと結婚するなと頼んだよ。聞き入れて貰えなかった」

 聞き方によっては熱心に説得しなかったように聞こえる。

「だからって……リリーさんは死にたかったんじゃないでしょうさ……。それなのにそんな言い方……憎むなら、いい歳こいて闇の帝王なんて呼ばわれている人なんじゃないさ?」

「……闇の帝王にそんな価値はない。セブルスの生甲斐にすらなれなかった」

 ゾッと背筋に寒気が走り、胃が痙攣した。コンラッドにとっての価値観はセブルスを中心としていた。それが元からなのか、後からなのか判断できない。だが、今の彼はセブルスを救う為の道筋を描き、自分自身さえもその布石にすぎないのだ。

 あるいは親友の愛する人を救えなかった罪悪感と贖罪がここまで歪ませてしまったのかもしれない。

「酷い……そんな事に来織を巻き込むなんてさ。あんたは最低の父親さ!」

 非難の感情が言葉となり、涙が溢れて罵った。

 ようやく、コンラッドは自分の顔から手を離す。美しくも残酷なまで無邪気な笑顔で嗤ってみせた。

「私はセブルスが自分の人生を取り戻してくれるなら、なんでもする」

 それは私への宣戦布告に聞こえた。

 この話を私は『父』にしなかった。すれば、この生活が最悪の形で終わる。そんな予感があったからだ。結局、最低な母親は私だった。

 

 歳月は容赦なく経ち、来織は小学校を卒業した。

「おまえが入学することは、生まれた時から決まっていたんだよ。日本の教育制は面倒だね」

 決められた台詞を舌に乗せるコンラッドは本心にも聞こえる。中学校への進学はなく、勝手に決められたイギリスへの旅立ち。来織は泣きじゃくった。

 私の腕で泣く娘が闇の帝王なんて意味不明な者達と戦わされる。だが、頭の隅でコンラッドは目的を遂げるまでは来織の命を完全に保証するという確信があった。

「嫌、行きたくない!!」

 せめて、表向きの事情を話すべきだったと後悔した。

 来織が寝静まってから、私達は3人で集まった。

「国内の状況を把握するまで、ドリスに会うなよ。魔法族関係の建物にも近寄らせるな」

「ホテルは既に取ってあります。義父さんこそ、我慢できずにホグワーツに乗り込んで来ないで下さいね」

 確認し合う2人が遠く、他人事のように聞こえていた。

 

 ――来織を連れて行かないで――

 

 湧き起る言葉だけは言ってはいけない。私はただ黙っていた。

 

 空港に行く為、来織は車に荷を詰め込む。居間へ向かえば、準備万端のコンラッドが私を待っていたように出迎えた。

「ありがとう」

 いつの間にか――否、ずっと傍にいたコンラッドは私に囁いた。

「引き留めないでくれて、ありがとう」

 麗しい顔に笑みはないが、確かな感謝を感じる。文句も不満もあるけども、言葉に出ない。

「……セブルスによろしく……」

「祈沙……どうか、元気で」

 いつかの夜のようにコンラッドは私を抱きしめ、首筋を押える。私の吐息が食べられた。

 唇を塞がれた場合、呼吸をどうすれば良いかわからず、その間、息を止めた。

 初めての口付だった。

 

 離陸していく飛行機を見送る。

 安全な位置まで離れていても、エンジン音は心臓に響く。私が勝手に緊張してだけかもしれない。

「コンラッドは……ワシが考えるより、おまえを大事に思うておる……」

「お父さんが来織よりも、私の心配しているなんて驚きさ」

 励まそうとしてくれる『父』へ少し意地悪に返す。『父』は殊更おかしそうに笑った。

「本当に駄目なら、行かせはせん。ワシらが育てた来織じゃ、きっとやっていける」

 私よりも『父』のほうが来織を信頼し、理解している。見習わなければいけない。遠くで心細い娘を信じ、連絡が取れる際は勇気づけ、弱音を聞く。

 

 それが一緒に戦えない私の役割なのだから――。




閲覧ありがとうございました。
本編前のいわゆる前日譚でした。

●『私』の父と祖母
 戦後まで間引きの習慣が行われた集落出身。
●『私』の母
 集落に最も近い町の出身。
 娘の看病に疲れ、トトに引き渡した後は自分の縁戚と縁を切った。
●日無斐 十悟人
 義父を喪っした後、自分の血脈を探す内に『私』へ辿り着く。但し遺伝子検査等はしていない為、確証は何もないが娘とするならば『私』しかいなかっただろう。
●コンラッド=クロックフォード
 三日三晩の戦いを経た後であり、『闇の印』を消した為に神経が尖がっていた。
 最初は『私』の存在が計画を妨げる可能性が高く、トトが日本を離れられない原因として恨んでいた。
●黒髪の狐
 とある理由でトトに『頭』を取られた状態の妖狐。しかも、『解呪薬』を納める印籠の材料にされた。
 現在、印籠はスネイプが持っている。
 『W・W・W2号店』開店に大いに貢献した。
●狸
 『私』を弟子だと勘違いして洒落にならない悪戯をした為に、トトから縁を切られた。
 『W・W・W2号店』開店に少なからず、貢献した。
●田沢院長
 当時でも珍しい女性院長。
 老いても麗しく、迫力も強い。
●田沢次男のお嫁さん
 元看護婦、『私』が入院中の担当だった。
●木本、佐川、環、木下
 院長の部下であり、田沢病院創設時からの古参の医師達。魔法族に関わりないが、トトの事は医師として敬っている。
●オバサン
 クローディアのトラウマの一因。
 トトにとっては、この町で最初に看た患者。
 

 

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