IS~codename blade nine~ 作:きりみや
意外に治療は的確だった。
二人に半ば襲われる様な形だったが、治療自体は丁寧かつ的確であり、現在静司はあちこちに包帯が巻かれている。
本当はそのまま救護室へ連れて行かれる所だったが、静司の少し考え事をしたいという願いから移動はしていない。今日は色々あった日だ。おそらく二人も気を使ってくれたのだろう。但し、また無理してどこかへ行くといけないので監視はしていたが。
「なあ、本音。やっぱり重いんじゃないか?」
「大丈夫だよかわむー。それにちょっと嬉しいからおっけ~」
今は静司と本音の二人きり。シャルロットは飲み物を買いに行っている。そして静司は本音の膝の上に頭を乗せ、所謂膝枕をされていた。
「嬉しい? 体格的にキツイと思うんだが……それに少し恥ずかしい」
「駄目だよかわむー。こうやって見てないと直ぐにいなくなっちゃうもん」
「いやしかし仕事が……」
「さっき、しーわんさんから連絡あったよ。『爆弾は任せておけ。あいつは大人しくさせておいてくれ』だって~」
「ぬう……」
逃げ道を絶たれ静司も諦めた。体の力を抜き上を――本音を見上げる。彼女の制服はだぼだぼなので余裕があるが、それでも強調されている女性特有の膨らみが目の前にある事に少々顔が赤くなってしまう。
「ん~? どうしたのかわむー」
「いや、気にしないでくれ。それと……悪かった。そしてありがとう」
「ほえ?」
首を傾げた本音に静司は笑いかけた。
「謝罪は心配かけた事。今までも何度も言われてたのにな」
「うーん、確かに怒ったけれどかわむーの仕事が大変なのも分かってるよ? ただ、だからと言って無理しすぎないで欲しいな~って」
「どうだろうな。多分これからも無理はすると思う。だけど……そうだな。なるべく心配をかけない努力はするよ」
「……はぁ。かわむーは仕方ないね~。だけどそれもかわむーだもんね」
「悪いな」
呆れた様な本音に静司も苦笑で返す。
「それと感謝しているんだ。本音や、皆の言葉が無ければ俺は多分いつまでも気づかないままだったから」
確かに自分はblade9だ。しかし川村静司でもある。それをすっかり忘れていた。いや、気づいていなかったのかもしれない。自分という存在を確立するために、判りやすい『エージェントのblade9』という存在に縋っていた。その結果、川村静司という存在を蔑ろにしていた。そしてそれに気づいたのは学園での生活と皆の言葉あってこそ。それ故の感謝。
「けどかわむーがおりむーを斬り飛ばした時は私もびっくりしたよ~。その後は突然笑い始めたし」
「アレは……うん、忘れてくれ」
顔を逸らす静司の頬を本音の手が固定した。髪をかきあげ静司の眼をじっ、と覗き込む。それは以前一日中アニメを見た日にされた事と同じ。
「……うん。かわむー、良い顔になったね~」
そうか? と静司が首を捻ると、うんうん、と嬉しそうに頷く。
「けどかわむ~、これからどうするの?」
静司の悩みは解決したかもしれないが、他にも問題は山積みだ。特にアリーナでの一件は必ず突っ込まれるだろう。
「そうだな……まあ、なんとかするさ」
「……あやふやだね~」
「面目ない。……ところでいつまでこの格好なんだ?」
先ほどから頬に手を添えられたままだ。ひんやりとしたその感触は心地よいが、気恥ずかしさもある。
「もうちょっとかな~。しゃるるんが戻るまで~」
すっ、と本音が顔を降ろす。近づいてきた本音の顔に静司は慌てた。
「ほ、本音?」
「……」
目と鼻の先。至近距離で見つめられ静司も硬直する。先ほどからどうも様子がおかしい気がする。確かに彼女はよく抱き着いて来たりはするが、いつもより接触が多い気がするのだ。そもそもこの膝枕も、彼女らしくない気がした。
そんな本音はじっ、と静司の顔を見続けていたがやがて口を開く。
「ねえ、かわむー」
「な、なんだ?」
「居なくなっちゃ……やだよ?」
「……」
ああ、成程。
不安げに揺れる本音の瞳を見て、静司は自分の愚かさに気づいた。
本音は更識家の関係から静司の任務を知っている。学園に潜入して、織斑一夏や学生たちを守る、という任務。しかし今日の静司の行動からすればクビになってもおかしくない。何せ護衛対象を斬り飛ばした挙句、VTシステムと互角以上に戦ったのだ。少なくとも『素人の男性操縦者』としての潜入は失敗だろう。
だからこそ彼女は『これからどうするのか』と聞いたのだ。なのに自分はちゃんと答えていない。これでははぐらかしたと思われても仕方ない。そしてそれが不安させたのだろう。
だから、
「それ」
「ほへ?」
本音の頬を突っついた。きょとん、とした本音に笑う。
「一緒に秋葉原に行くんだろ?」
「……あ、覚えててくれたんだ~」
「当たり前だ。どんだけ薄情な奴だと思われてるんだ俺は」
それに、と続ける。
「俺も学園から離れたくないさ。むしろこれからって所なんだ。だからこそ、『なんとかするさ』」
「か、かわむー? 悩み事が解決してスッキリしたのは良いけど、スッキリ通り越してちょっと適当過ぎるよ~」
「楽に、って言ったのは本音だろ? だからこれからもよろしく頼む」
そんな静司の言葉に本音も呆れた様に、しかしどこか嬉しそうに頷いたのだった。
『青春だねえ』
「青春すっねえ」
『青春ねえ』
そんな二人を生暖かい眼差しで見つめる三人。C1とC12。そしてC5だ。静司の様子を心配したC5がC12に様子を見るように頼み、現在二人の様子は映像を通してC5そしてC1にも届けられている。
「この映像、課長に届けたらどうなるっすかね」
『泣いて喜ぶんじゃないか』
『そのままイキそうね。いろんな意味で』
「C5。下品っすね」
『五月蠅いわよ小娘。あなたはもうちょっと女らしい喋り方をしなさい』
『どっちもどっちだ。ほれ、仕事に戻るぞ』
「了解っす。私もいい加減盗撮紛いの事は疲れたし」
『というか盗撮よね、これ』
『見ている時点で全員同罪だ。ほれ、デュノアの嬢ちゃんも帰ってきた。俺らも仕事に戻るぞ』
『はいはい。彼女の事、B9がどうするのか楽しみにしてるわよ』
こうして三人は元の仕事に戻って行った。因みにこのときの映像が後日EXIST内で広がり、三人は静司より過激なスキンシップを受けることになる。
「さて、では白状してもらおうか」
「その言い方だと自分が犯人みたいですよね」
あの後、しばらく本音と談笑したり、戻ってきたシャルロットが二人の様子を見てどこか機嫌悪そうにしたりと色々あったが、静司は今取調室に居る。無論アリーナの件についてだ。これは当事者たち全員がそうで、今は一夏達も事情聴取を受けている。とは言っても、ラウラのISが暴走し、それを止めたとしか言いようがないだろう。だが静司は少し違う。他の教師は下がり、今は千冬の一対一で事情聴取を――いや、この場合取り調べを受けている所だ。
「また以前の様にカニだのなんだの言うつもりでは無いだろうな?」
「やっぱ無理ですよね」
「当たり前だ、馬鹿者」
苛ついた様に千冬は机をコンコン、と指で叩く。
「答えろ、お前は何者だ?」
「川村静司です。知っているでしょう?」
「私の知っている川村静司という人間とは随分と印象が違うのだが?」
先ほどからずっとこの調子だ。静司の素性が気になる千冬とそれをかわす静司。平行線が続いている。
「お前のあの動き。あれはVTシステムと同じ……いや、それ以上に私と同じだった。VTシステムとは過去のモンド・グロッソの部門受賞者の動きをトレースするシステムだ。そんなことが、素人の筈のお前に出来ると?」
「人間やれば出来るんですね。俺もびっくりです」
(とは言った物もどうしたものか)
このままでは埒が明かない。納得のいく理由を挙げなければ千冬は納得しないだろうし、だからと言って正体を明かすのも駄目だ。
別に静司は千冬を信用していない訳では無い。教師陣の協力があれば任務はやり易くなる。だが植村加奈子の例もある。油断は出来ない。
なら千冬にだけ言うか? 彼女は一教師ながら過去の経歴から、学園でもそれなりの権力を持っている。
(いや、駄目だ)
織斑千冬は篠ノ之束と親交がある。彼女は口が軽いとは思えないが、不安要素であることは確か。下手は橋は渡れない。
結局は誤魔化すしかないという事だ。しかし、下手に誤魔化して怪しまれたら今後の活動にも支障が出る。
「ボーデヴィッヒも一夏も、大きな怪我は無かったんだ。それで解決になりませんかね?」
「なる訳ないだろう馬鹿者。直接戦ったボーデヴィッヒからも話は聞いている。言い逃れはさせん」
「ん、目覚めたんですか? 様子は?」
「後遺症も無く、安静にしてれば体の痛みも直に戻る。そして、話を逸らさせはしないぞ」
駄目か。まあ当然だ。
いよいよどうするかと悩み始めたが、不意に外が騒がしくなった。
『だ、駄目ですよ! 今は織斑先生が――』
『大丈夫だよ。私はこれでも偉いんだ』
『そういう問題じゃ……あっ!』
慌てて止める真耶を振り切って入出したのはぽっちゃりとした体形に人の良さそうな顔のスーツの男。
「桐生さんですか。何用ですか? 今は取り込み中なのですが……」
「やあやあやあ、織斑君久しぶりだねえ。直接会うのは数年ぶりかな?」
「昨年の暮れにも会っていますよ。それでご用は?」
「ふむ。実はそこの彼にね」
むっ、と千冬が静司に目を向ける。しかし静司としても桐生の登場は予想外だった。
「やあ久しいねえ静司君」
「……どうも」
どうやら顔見知りという事を隠すつもりは無いらしい。静司も静かに会釈する。
「知り合いなのですか?」
当然、千冬は反応した。桐生は相変わらずの笑顔で頷く。
「そうだとも。とは言っても、彼が男性操縦者と判明してからだけどね。
その言葉に千冬の眼が細まり、静司はぎょっとした。慌てて止めようとするが、桐生がそれを目で止める。任せておけ、という事らしい。
「ほう、表向きとはどういう事です?」
「実は彼はね、織斑一夏君が発見されるより先に見つかった『本当の世界初の男性操縦者』なんだよ」
「何……?」
「織斑君より先ですか……? けどそんなの」
場の雰囲気で戻るに戻れなかった真耶も呆けた様に呟く。
「知らないだろうね。だって公表してないし。彼の場合は発覚したのは小さな田舎町だったから一夏君程の大騒ぎにならなかったんだよ。ある企業が新開発した装備の試験運用で彼の居た街に来ててね。僕もちょっとした付き合いからその試験に同行してたんだ。で、休憩中、彼とその友達が見学に来てたので、サービスで近くで見せてあげたらその時に発覚! それでまあ、もちろん騒ぎにはなったけど、一夏君が不特定多数に見られたのに対して、彼の場合はほんの数人だったからね。その場で押さえこめた訳だ」
静かに千冬と真耶が聞いている中、桐生はぺらぺらと話を続ける。静司の内心は冷や汗ものだ。
「そこから揉めた揉めた。公表したらモルモット扱いにされかねない。いや、下手したら黙殺されてホルマリンかな? だけど放って置くには惜しい存在。それに僕もね、正直欲が沸いたんだ。彼の秘密を独り占めにして、色々調査してから公表した方が自分の株が上がる、ってね」
ふふふ、といかにも人の悪そうな笑顔で語る桐生に千冬が顔を顰める。
「で、揉めた結果彼はそこの企業の実験……というか早い話解析に協力する代わりに、公表はまだしない事になった。で、彼の安全は僕が確認することで保証する代わりに、そのデータは僕がもらって僕の今後の為に有効活用しようってね」
「そんな……」
真耶が悲しそうな目で静司を見つめる。確かに今の話だけ聞くと、碌な選択肢も与えられず企業に協力させられ、挙句の果てに桐生の出世の道具とされている様だ。――真相は全然違う為、真耶の労わるような視線に顔を引き攣らせながら、あははと笑うしかない。それが一層悲壮な姿に見えたのか彼女の眼が潤みだした。勘弁してほしい。
「で、色々データは取りつつIS訓練も行ったんだよ。その中で、織斑君のデータを参照してたからね。同じ動きはその為さ」
「……ではなぜ学園に入学を? 隠しておきたかったのでしょう?」
「それは君の弟のお蔭さ。一夏君が大々的に発表されたお蔭で男性操縦者という存在が大きく注目されるようになった。一夏君が学園に入学したんだ。もう一人が現れたら同じようにするのが自然だろう? 少なくとも研究所でバラバラホルマリン漬けの可能性は減った訳だ。いやー苦労したよ。いかに揉み消されず、上手く発表できるか。乗るしかない、この織斑一夏のビッグウェーブに! ってね」
あっはははは、と笑う桐生だが女性二人の視線は絶対零度に近かった。これだけ分かりやすい悪役になったのだ。彼女達からすれば同然だろうが、静司としては非常に申し訳ない気分になる。
「力を隠していたのもその為か?」
「……はい。下手に勘ぐられるとこれまでの事がバレて色々と面倒なので」
「そうか。事情は分かった。しかし桐生さん、私は少々あなたを見損ないました」
「それは残念だなあ。だけど学園の一教師に見損なわれたところで僕の人生には変わりないからまあいいよ」
(痛い! 非常に良心が痛い! というか桐生さん必要以上に悪役に成りすぎだ!)
全力で土下座したい気分だったが、ここでそれをしたら全てが台無しだ。
「だがそうなるとこれからどうする気だ? お前の力は多くの生徒や教員が見ている。今まで通りなら逆に不自然だ」
「それは……なんとか考えます。とりあえず今日は疲れました」
これは本音だ。そもそも怪我もしているのだ。仕事も無い以上、大人しくしているのが一番良い。
そんな静司の心境を読み取ったのだろう。その後、2,3問の質問の後静司は解放された。
「失礼します」
「じゃあねー織斑君」
静司、そして桐生が部屋を出ていく。校舎内を出口へ歩く中、静司は小声で礼を告げた。
「ありがとうございました」
「ふふふ。気にすることは無い。君たちのお蔭で僕が相当助かっているのは事実だからね。たまにはこういうのも引き受けるさ。まあまだ怪しんでるとは思うけど、後は自分で何とかしたまえ。いやーしかし織斑君の視線は凄かったな。こう、ゾクゾクする感じ? 何か芽生えそうだよ」
「折角感動してたんだから最後までカッコつけて下さいよ……」
小声で話しつつ、二人は帰るのだった。
二人が帰った部屋の中、千冬は目を瞑り考え込んでいた。
確かにありえない話では無い。一夏がモルモットにされず今こうしてられるのは自分や、束の力が大きい。もし何の後ろ盾も無ければ黙殺されていたかもしれない。実際、シャルル・デュノアも一夏が発見されるまでその存在を隠していた。
「だが、だからと言ってあそこまで模倣できるものか?」
桐生はどんなに追及しても、企業名までは教えなかった。『いずれわかる』との事だ。故にどんな企業かは知らないが、VTシステム以上の模倣を学ばせる訓練プログラム。それは脅威ではなかろうか? そしてそれを成す川村静司の能力はかなり高い筈だ。確かに同情する点は多いが、まだ安心はできない。
「しばらくは注意が必要か……」
今後の方針を決めると千冬は静かに部屋を立ち去った。
『トーナメントは事故により中止となりました。但し今後の個人データ指標と関係する為、全ての一回戦は行います。並びに――』
「一回戦だけかあ。けど僕たちはその一回戦があんな事になったけどどうなるのかな?」
「流石にやらないんじゃないか。ボーデヴィッヒも直ぐに戦えないだろう」
「静司もね」
静司とシャルロットは寮の自室でテレビを見ていた。とは言っても、通常のテレビ番組で無く学園の校内放送であり、そこでは連絡事項が先ほどから繰り返し流れている。
取り調べは静司が一番長引いた為、静司はあの後直接部屋に帰ってきている。その後、一夏達がやっては来たが、『今日は疲れてるから』と言い訳し無理やり帰した。しかしその分明日一気に追及されると思われるので憂鬱だが。
因みに学園に仕掛けられていた爆弾は全て回収された。C1達と更識家が念入りに調査したので間違いないらしい。
「静司は怪我してるんだからあんまり暴れちゃだめだよ。また説教するよ?」
「分かってる。大人しくしてるさ」
「よし」
シャルロットがにっこりと笑う。だが静司は不思議でしょうが無い事がある。一夏達は追い返した。しかしシャルロットは同じ部屋なのに、何も追及してこないのだ。いや、確かに治療の際に色々と説教されはしたが、暴走したラウラを止めた事に関しては何も突っ込まなかった。それが不思議でしょうがない。
「なあシャルル」
「なあに? 静司」
「……いや、なんでも無い」
「? 変なの」
いっそ直接何を考えているか聞いてみようかと思ったが、やめる。聞いてこないのならそれが一番良いだろう。そう考えた静司の顔をシャルロットはじっ、と見つめていた。
「……」
「な、なんだ」
もしや、やはり訊いてくるのだろうか? と考えた静司だが、シャルロットの口から出たのは全く予想できなかった言葉。
「静司、よく見ると髪が酷いことになってるね」
「え? ……ああ、そうかもしれないが」
確かに今の静司は中々酷い事になっている。シャワーは浴びて、汚れは落ちたが、所々焼け焦げたり、半端に短くなっていたりという状態。アリーナの戦いの結果だ。
「前から思ってたけど静司って髪が長いよね。そっちの方が好きなの?」
「いや、単純に切ってないだけだ。最後に切ったのはいつだったかな」
正直覚えていない。ここに来るまでは長期任務に入っていたから少なくともその前だ。うーむ、と静司が考えていると不意にシャルロットが手を叩いた。
「そうだ、僕が切ってあげようか?」
「ん?」
「うん。静司が良ければ切ってあげるよ。というか切りたいな」
どうかな? と提案され静司も少し考える。元々髪は対して気にしていなかったので、目つきの悪さを隠すのに役に立てばいいという程度。それも今の状態ではそのままの方がかえって悪目立ちしてしまう。
「じゃあ頼むかな」
まあ対して問題は無いだろう、と結論付けシャルロットに頼んだ。これが後日予想しなかった問題を起こすことになるが、今は二人とも気づいていなかった。
「静司、動かないでね」
「OK」
静かな室内。床に新聞紙を引き、首から下はレインコート。立て鏡を前に椅子に座った静司の髪をシャルロットが切っていく。時折、「んー」や「むぅ……」と唸りつつもシャルロットは器用に静司の髪を整えていた。
「上手いもんだな」
「そう? 人の髪を切るのは初めてだからちょっと緊張してるんだ」
「そうは見えないな。まあ、そんなに気にする方じゃないし思うようにやってくれていい」
「む、そうはいかないよ。折角だから格好よくしてあげる」
どうやら、シャルロットの何かを刺激してしまったらしい。先ほどより一層真剣になったシャルロットが静司の髪にハサミを入れる。
「……」
「……」
静かな時間。しかしどこかシャルロットが悩んでいる様子でもあった。やはり話を聞きたいのだろう。あえて気づかない振りをしようかとも考えたが、ふと考え直す。
(課長に答えを出す前に、言っておくべきだ)
「なあ、シャルル」
「何? 静司」
「以前、俺が言ったこと覚えているか?」
静司のその言葉にシャルロットの手が止まる。
「それって、僕が女だってバレた時の事?」
「そうだ。俺はその時『好きにすればいい』って言ったよな? あれを取り消す」
「え……?」
鏡に映るシャルロットの顔に不安が浮かぶ。
「やっぱり……、僕は国に戻るべきってこ――」
「違う」
ぴしゃり、と遮る。それだけは絶対に違う、と意思を込めて続ける。
「取り消すとは言ったがそうじゃない。俺が言いたいのは……」
「……静司?」
突然黙りこくった静司にシャルロットが首を傾げる。だが静司はそれに気づいていなかった。と、いうのも、もしかしたら今から言う事はものすごく恥ずかしい台詞な気がしてきたからだ。
「あー、そのだな。だから……えーと」
気まずい雰囲気になっていく。シャルロットも段々と顔の不安の色が濃くなっていく。静司が言いにくそうにしているので、悪い話だと勘違いしているのだろう。このままではどうにもマズイ。しかし言いづらい。段々と焦り始めた静司と更に顔が暗くなっていくシャルロット。それが静司の焦りに拍車をかけ、思わず静司は言い放った。
「つ、つまりだな、許さないって事だ」
「へ?」
「居なくなるのは許さない。捕まるのも許さない、って事……で」
(………………)
俺は何を口走っているのだろうか? なんだこの許さないって何様だおい。
「そ、それってつまり……」
「あー、えっとそのあれだ! つまりシャルルにも幸せになる権利はある訳で、俺も折角出来た友人を失いたくない訳で、つまりはそういう事なので―――あぁ! もう! まどろっこしい! つまりはここに居ろって事だ! そういう事だ、文句あるか!?」
「な、なんで静司が怒ってるの!?」
「知るか!?」
もはや半ばヤケクソだ。だが本心でもある。こんな面白い場所で出会って出来た
シャルロットは静司の物言いに唖然としていた。そして、
「静司は……やっ、ぱり無茶苦茶……だよっ」
ぽたり、と涙を流しながら、くしゃくしゃの笑顔で笑う。
「無茶苦茶で、奇妙で、意外に馬鹿っぽくて、しかも適当で」
「いやいやちょっと」
何だこれは? 涙を流しながらも笑うシャルロットに罵られているのだろうか? 状況が特殊すぎて対応しきれない。
「それでも―――優しい」
「……」
「静司にね、あんな風に言ってもらえてとても嬉しい。なんだろうね? 今までの悩みが全部吹き飛んじゃう位に、嬉しいんだ」
「……そうか」
うん、と涙を指で拭いながらシャルロットは笑う。
「僕もね、静司に言おうと思ってたんだ。僕もここに残りたい――ううん、残るって」
先ほど悩んでいる様にしていたのはその事か。静司も静かに頷く。
「言おうと思って、けど中々言えなくてね。髪を切りたいって言ったのも、きっかけになるかなと思ったんだ。だからね、僕もちゃんと言うよ」
鏡に映るシャルロットが静司の頭に顔を埋める。そして耳元で小さく、しかしはっきりと言った。
「僕もここに居たい。ここで僕らしくありたい。だから……これからもよろしくね、静司」
「……当然だ」
ぎゅっ、と一度だけ静司の肩が強く掴まれる。しかしそれも直ぐに外れシャルロットは顔を上げた。
鏡越しに映ったその顔は涙で目を赤くしながらもとても幸せそうな顔をしていた。
『つまりそれがお前の答えか』
「はい。blade9でなく、俺自身の答えです」
いつもと同じ寮の屋上。シャルロットには友人との電話だと言って抜けてきた。余り動き回るなと注意されたが、直ぐに戻るから、と許可も得た。
『ほう、お前自身ねえ』
「そうです。blade9が演じる川村静司でなく、川村静司そのものの答えです。俺はシャルロット・デュノアを学園から追放する様な事はしません」
『それは彼女が任務の支障にならないと確信したからか?』
「それもあります。しかし、最大の理由は俺がそうしたいからです」
これが自分の答え。この答えに課長がどう反応するか、静司は緊張していた。任務の観点からすれば、彼女の存在は特にメリットは無い。デメリットも無いが、居ない方が何事も起きないのは確かなのだ。
数秒の沈黙。そして、
『そうか……。じゃあそれでいこう』
あっさりと許可が通った。
「は? 課長? 自分で言っておいて言うのもあれですが、そんなに軽く」
『別に問題あるまい。忘れたのか?
「いや、確かに言いましたが……ってまさか」
『その通り。言葉だけでなく、彼女の処遇に関しては全権がお前に委ねられていたんだよ。だから言っただろ? 任せると』
笑いながら得意げに話す課長にぐうの音も出ない。つまりここに来るまでにしてきた緊張は無駄だったという事か。
『ふはははは!』
「何なんですか一体」
『いや、やっぱりお前を学園に入れたのは正解だと思っただけだ。良い顔になったんじゃないか』
「ボケてるんですか? この通信は声だけですよ?」
『だから『じゃないか』と言ったんだ。それに息子の事だぞ? 全てお見通しだ』
「切ります」
『照れるな照れるな。だがこれで終わりじゃないぞ。いつまでも彼女が男だと騙せられるとは思っていないな?』
「でしょうね。今はIS学園の特性を利用して乗り切るとして、卒業後が問題ですが……それはゆっくり考える事にします。彼女の意見もありますし」
『その言い方だとまるで恋人みたいだぞ』
「茶化さないで下さい。自分で言った手前、最低限の責任は取るだけですよ」
『……それ彼女の前で言うなよ。絶対に勘違いするから』
はぁ、と課長がため息を付く。
『いいか静司。別に卒業後の事だけじゃない。彼女の父親との事もあるし、何よりデュノア社だ。事が露見すればあの会社は確実に潰れる。元々経営危機だった所に大スキャンダルだからな』
それはそうだろう。デュノア社長がこんな危険な手段を選んだのも、そもそもそれが原因だ。そしてデュノア社が潰れるという事はシャルロットの後ろ盾も無くなるという事だ。そして没落していく父を、彼女が何とも思わないという事は無いだろう。
『そこで、だ。実は前々から進めていた計画がある。これで彼女だけでなく、お前の問題も解決し、俺達にも得がある』
「計画……?」
静司の問題。この場で言うなら、アリーナで露見した実力の事だろう。千冬や真耶には説明したが、それで解決とはいかないだろう。何せ結局企業名は秘密にしたのだから。
「一体それは?」
『簡単に説明するとだな―――』
通信機越し、課長から語られた内容に静司は呆れてしまった。余りにも強引と言うか、大胆すぎたからだ。
「本気……なんですね。けどそれだと俺は――」
『男性操縦者の川村静司。そうやって生きていくのならいずれ通る道だ。この件は前々から桐生とも話している。アイツも賛成しているさ』
「だからあんなにペラペラと嘘が付けたのか……」
千冬に詰問された時の事を思い出し、今度こそ呆れた。
『それにお前の任務の目的は護衛と囮。多少やり方が変わってもそこは変わらんよ。多少、
「……まあ確かに下手な誤魔化しよりはそれが良いんでしょうね。……多分」
『そういうことだ。では俺は準備に入る。これから忙しくなるぞ、俺もお前も』
「良いですよ。俺が望んだ結果に近づけるならやってやりましょう」
『いい返事だ。では通信を終了する』
通信機をしまい、柵に寄りかかりながら空を見上げる。雲一つない星空。それをただぼぅ、っと眺めて居たが、不意に屋上の扉が開いた。その人物はゆっくりとこちらに近づき、やがて静司と同じように柵に身を預けた。
静司は空を見上げたまま問う。
「もう歩き回っていいのか?」
「ああ。問題ない」
静かに応えたのはラウラだ。彼女はどこか穏やかな表情で静司と同じように空を見上げている。
「お前こそいいのか? 怪我をしていた筈だ」
「大丈夫だ。それほど重症じゃない」
黒翼が生体再生してるしな、とは流石に言わない。
ラウラも「そうか」と呟く。
二人はそのまま少しの間、静かに空を眺めていたが、不意にラウラが口を開いた。
「教官にな、叱られた」
「へえ、なんて?」
ラウラが突然そんな事を言うのに驚いたが、静司は先を促す。
「私は教官にはなれない。だからラウラ・ボーデヴィッヒになれ、とな」
「……それは叱られたというより、励まされたんじゃないか?」
前半だけなら確かに叱られている様だが、後半も聞くとそうとしか思えない。
「そうか。そうかもしれない。全くズルい姉弟だと思わないか? 言いたいことを言って、こちらの心をかき乱してくるのに、肝心なところは自分で考えろと言う。悩み抜いて自分を見つけろなんて言ってくるんだぞ?」
「それを厳しさと取るか優しさと取るかお前次第だろ。……いや、一夏はそこまで考えてないかもしれないが」
「はは、違いない」
面白そうにラウラが笑う。出会ってからの印象が印象なので静司は内心かなり驚いていた。
ひとしきり笑ったらラウラが不意に声のトーンを落とした。
「私が暴走したアレはVTシステムという。過去のモンド・グロッソの部門受賞者の動きをトレースする違法なシステムだ」
「……へえ」
「私が教官になりたいと、私が望んでいたからだろうな。知らぬうちに取り付けられていた。正直に言おう。暴走状態の中でも多少の意識はあった。そして私は――喜んでいたんだ。教官と同じ動き、同じ技を使えることに」
自嘲するようにラウラが笑う。
「望んだものを手に入れたと。これで教官になれたと。……しかし次第に恐怖も感じるようになってきた。確かに教官にはなれたが、私と言う自我はどこに行くのだろうか、と。虫の良い話だとは分かっている。しかし私が教官そのものになったら私はどこに行くのだろうか? 不意に疑問に感じた途端、それが恐怖となった。結局私は教官になりたいと思っていながらも、自分を捨てきれていなかったんだ」
「……」
ああ、お前もか。
ラウラの話を聞きながら、静司は笑いそうだった。馬鹿にしているわけじゃない。自分と似たような事で悩んでいる人物がこんなにも近くにいたからだ。
「いいんじゃないか」
「何?」
「確かにお前は暴走した。それを喜んだかもしれないが、今は違う。ならそれでいいじゃないか」
「しかし私は――」
「人に言われるまで気づかなかった? 別にそんなの普通だろ。少なくともその件に関しては俺はお前の味方だな」
何せ自分だってそうだったのだから。
ラウラはきょとん、としていたが、やがて「そうか」と少し嬉しそうに笑った。
「後は知っての通りだ。暴走状態の私をお前と、一夏が止めた。そして教官に叱られた。だがお前に問いたい。私を止めた時のあの力、あの腕。そしてあの夢」
まさか意識があったとは。それにラウラはあの空間に静司が居た事を気づいている。だとすれば攻撃を受け止めた左腕と、泣き叫ぶ少年の左腕を関連付けるのが道理。
「できれば聞かないでいてくれると助かるんだがな」
「それはお前が教官と同じ動きをした事もか」
「ああ」
ラウラはおそらくある程度感づいている。静司という存在の異常さを。確信的な情報を一番持っているとからだ。だが、
「わかった。ならば問わない」
大人しく引き下がった事に静司は驚いた。そんな静司にラウラは笑う。
「お前には借りがある。暴走した私を、救ってくれた借りだ。だから聞かない」
「それはありがたいが……しかし止めたのは一夏やシャルルもだぞ」
と、不意にラウラの顔が赤くなった事に気づいた。そして彼女は視線を逸らしながら小さな声で静司に聞いた。
「そ、その一夏なのだがな。私を……守ってくれるそうだ」
「そういえばそんな事を言っていたが」
だが今までのラウラからすれば『貴様如きが? ふざけた事を言うと殺す』と返しそうなものだが、どうにも様子がおかしい。
「あ、あのだな。私は軟弱な男などに興味は無い。無いのだが……一夏はその私を倒しただろ? 無論、お前やデュノアの力あってこそだが。しかしだな、その」
もじもじと、頬を赤く染めて何やら呟くラウラを見て、静司は気づいた。
(精神が不安定な状態で、助けられて、甘い言葉をかけられて……つまりは吊り橋効果的な?)
少なくとも目の前に居る人物は、冷たい目で殺すと宣言していた軍事でなく、ただの少女。しかし今までとのギャップが激しすぎやしいないだろうか。
「あー、つまりは……惚れたのか」
「ば、馬鹿者! そんなストレートに言うやつがあるか! ……やはりそうなのだろうか」
「少なくともそうとしか見えん」
「そ、そうか。やはりこれがそうなのか。……なあ、私はどうしたらいい?」
「俺に聞くなよ……。友人にでも……って」
「そうだ。私には友人は居ない」
故に相談できる者も居なく、初めての感情に戸惑った挙句、静司に聞いたと。
「いやいや、そこで何で俺なんだ?」
「お、お前なら口は堅そうだと思ったからだ!」
それは信用されたという事で喜ぶとこだろう。しかし突然恋愛相談されたところで静司にはどうにもならない。だがずーん、と沈んだ様子のラウラは正直哀れだった。
「そうだな、ドイツ……部隊の仲間なんてどうだ?」
「それも少し考えたが、今まで私は隊長として威厳のある立場、振る舞いを心掛けていてな、こういう話をするにはちょっと」
「気にしなくていいんじゃないか? つまり今まで仕事上の付き合いしか無かったってことだろ? この機会に正直に話して打ち解けてみたらいいんじゃないか?」
そうすれば自分は恋愛相談からは解放される。
「そうだろうか……?」
「おう。なんでもやってみろ。悩めとも言われたんだろ? 自分で悩んで、その考えを話してそれでそいつらとも仲良くなれれば良いことづくめだ。だからそっちに聞くと良い」
「お、おお! そうだな。やはりお前は一味違う様だ。感謝するぞ
「お、おおぅ?」
「ふむ。ではこうしてはいられん。早速聞いてみよう。ではな、静司! また明日会おう!」
決めるが否や、ラウラは奔って扉へ向かう。そのまま帰るかと思ったが不意に振り返った。
「言い忘れていた。色々と感謝するぞ静司! それとその髪型も似合っている! お前とはいい友になれそうだ!」
言うだけ言って帰って行った。残された静司は余りにものラウラの変わりっぷりに終始唖然としていた。
「春……だねぇ」
実際はもう春は終わり6月に入っているのだが。
少なくとも明日は騒がしくなるだろう。主に一夏周りで。だがそれも良いだろう。精一杯一夏をおちょくってやろう。自分だって楽しむと決めたのだから。
薄く笑みを浮かべながら、静司も部屋へと帰るのだった