IS~codename blade nine~ 作:きりみや
週が開け月曜日の朝。自室でシャルロットが目覚めると、直ぐに部屋の違和感に気づいた。
「静司?」
部屋の両端にあるベッド。その片方に寝ている筈のルームメイトの姿が無い。どこかに出かけたのだろうか?
シャルロットは別に朝が弱いわけでは無い。しかし朝は静司の方が早い。そして彼はシャルロットが起きるのを確認してから毎朝外出している。一度話を聞いてみるとジョギングに出ている様だった。今日も同じ理由で出ているのだとは思うが、何時もは自分が起きてから一言告げていくので、不思議に感じたのだ。
「まあ、忘れてただけかな……?」
何はともあれ丁度良い。日によるが静司が戻ってくるのは6時半過ぎだ。今は6時な為、時間に余裕はある。
シャルロットは着替えを用意するとシャワールームに向かった。汗をかきにくい体質ではあるが、やはりそこは女子。朝に浴びれるのなら浴びたいと思うのが本音だ。最初は諦めていたが、静司の生活パターンがあまりにもキッチリしていた為、シャルロットも行動しやすかった。
川村静司は不思議な人間だ。こちらの事情など知ら無い筈なのに、助けられてばかりいる。普段はどこか一歩引いているようで、アリーナの出来事では誰よりも前に出て一夏や自分を守った。
彼の行動が、中身が分からない。どこかちぐはぐなルームメイト。
(けど……)
頭に手を乗せる。思い出すのは静司が病院から帰ってきた後の事。優しく、安心させる様に触れられた記憶だ。ほんの数秒の出来事だったが、記憶に強く残っている。
(お父さんが居れば、ああいうことしてくれてたのかな)
シャルロットには父親の記憶が無い。いや、正確には、父親に父親らしくされた記憶だ。愛人の娘として、密かに暮らしていた時は母と自分の二人だけ。母はとても優しかったが、やはりどこかで父親にも甘えたいと思う心はあった。しかしそれは不可能だった。何せ父親の顔を全く知らなかったのだから。
それを知ったのが2年前。母が死に、そして自分が愛人の子と知った日だ。その頃にはシャルロットも、自分の立場がどういうものか、理解できない程愚かでは無かった。そして出会った
反抗すべきだったのかもしれない。何故? と問いかけるべきだったのかもしれない。しかし母が死に、大きなショックと絶望の最中に現れた『父親』と言う肩書きに縋りたかったのも事実だ。例え、愛人の子でも結果を出せばきっと――。そうして自分は引き受けた。
だがどうだろう? 2年間、まるで道具の様に使われても文句の一つも言わなかったが何も変わりはしなかった。いや、むしろシャルロットが有能だと知ると、更なる無理を強いてきた。挙句の果てが、男装しクラスメイトの情報を盗むこと。
服を脱ぎ、鏡に映った自分の姿にシャルロットは暗い顔になる。映っているのは特別性のコルセット。女であることを隠す為の鎧。こんなもので自分は皆を騙している。まさに嘘の象徴とも言えた。
これを外して外に出れば、全てが終わる。あの人も、デュノア社も、そして自分も。何度も考え、そして出来なかった。覚悟も、勇気も、そしてそれを成す為の想いも無い、唯の自暴自棄。そんなことを今は無き母親が望んでいるとは思えなかったからだ。
ならば自分はどうすればいいのだろう? 答えは出ない。結局、流されるがままに学園生活を送っている。
このまま、何も命令も無く過ごせたら――
無理だと分かっていても考えてしまう。考えるだけならいい筈だ。それが、例え現実逃避でも少しだけ夢を見ても――
「っ、早く入らないと静司が帰ってきちゃう」
所詮夢だ。それは叶わない。それが分からない程子供じゃない。
シャルロットは首を振り、コルセットも脱ぐ。思いを水で全て洗い流すかのようにお湯を全開にして浴びつづるのだった。
『で、お前は外に居る訳か』
「そういうことです」
早朝のIS学園。その学生寮の屋上で静司は小さく伸びをした。勿論、いつ誰が来ても良いように警戒は怠っていない。
静司は毎朝同じ時間に外に出る。それは学生寮の付近に変わりか無いかを調べるためでもあり、そしてシャルロットの朝の準備をしやすくする為でもあった。以前聞いた話だと、汗はかきにくいと言っていたが、そこは女子。やはり気になるのでは? という自分の勝手な配慮だ。そして何より自分の心臓にも悪い。あんなドキドキした空間でじっとしてられるか!
澄んだ空気と朝日が気持ち良い、清々しい朝。これだけ爽快な朝だ、自分の悩みも解決できるような妙案でも浮かばないだろうか。
『今日雨降るらしいぞ』
「色々台無しにしないでくれませんかね」
はぁ、とため息を付く。分かっているさ。爽快なだけで解決するならどれだけ楽か。
『気分爽快になりたいなら技術部が開発した
「その手のネタは昨日で腹一杯ですよ。っていうか何やってんすかあの人たちは」
まさか商品化しないだろうな? と若干不安になる。あの人たちならやりかねん。いや、流石に誰か止めるか……?
『特許は昨日取ったぞ』
「畜生間に合わなかった!」
『さて、話の続きだが』
俺は……無力だ。呻く静司を課長は華麗にスルー。まあこんな人達だし、と静司も直ぐに復活する。慣れとは恐ろしい。
『毎朝毎朝ご苦労だな。まだ更識家には伝えてないんだろう?』
「……ええ、まあ」
話とはシャルロットの件だ。静司はシャルロットが女であることを更識家に伝えていない。
『ふむ。まあこの件は任すと言ったから俺からとくには言わんよ。だけどお前の考えは知っておきたいと思っている』
「……」
『嬢ちゃんの境遇に同情した、という訳だけではないだろう。だが自分を捨て、道具の様に扱われている彼女に思う所があるんだろう?』
「……課長には敵いませんね」
『まだ2年だがお前の父親でもあるんだ。俺がわからん訳ないだろう』
ふっふっふっ、と課長が笑う。普段はおちゃらけているようだが、やる事はやるし気が利くのがこの上司であり、親である人の強さだ。そして自分の憧れでもある。
「正直自分でも迷っています。言うか、言わないか」
更識家との関係を考えれば言うべきだろう。シャルロットが脅威とは成り得ないと判断したが、それとこれとは別だ。
しかしそうなったら彼女はどうなる? デュノア社は批判を浴び、おそらくまともな経営は今後出来ないのではないか? 国内だけならまだしも世界中を騙したのだから。そしてそれは、たとえ強制されていたとはいえ、シャルロットも同様だ。世界中の批判の標的になるだろう。もしかしたら同情の声もあるかもしれない。だが、逆の声も確実にある。そしてどちらの数が大きいか。それは誰にも分からない。
『同情、妬み、悪意、善意、色々な物に晒されるだろうな。……正直言うとな、お前がそこまで他人を気にするとは思っていなかった。別にお前が冷酷非道だとは言わないが、任務の効率を優先すると思っていたからな』
「それは……すみません。私情が混じっているのは事実です。ただ――」
『自分でも何故そこまでするのか。正確な理由が良くわかってない、だろ。別に怒ってないさ。むしろ良い事だと思っている。だからヒントをやろう。お前はシャルロット嬢をどう思っている?』
妙な質問だ。静司は首を捻り考える。
「同級生兼ルームメイトであり、注意人物ですが」
『不正解だ。その答えを考えてみろ。そうすれば理由もわかる。では第二問』
「……」
『織斑一夏、他クラスメイトをお前はどう思っている?』
「護衛対象であり同級生です」
『またしても不正解だ。じゃあ第三問。先日の馬鹿共が布仏本音を侮辱した時、何故お前はキレた?』
「それは目の前であんなことを言われれば――」
『ならお前は見ず知らずの人間が侮辱されても怒るか? 唯の知り合いが侮辱されても怒るか? ちょっと良く話す人物が侮辱されて怒るか? お前は行動を起こす前に、何をどう考えて行動した?』
違うだろう? と課長は続ける。
『そこにお前の答えがある。お前が誰で、どうあるべきか。直ぐには分からなくても、見つける指針にはなる。だから静司、忘れるな。俺達の名の意味を』
「
『そうだ。EXIST。その言葉の意味は『存在』俺もお前も、そこに居る。それを忘れない事だ。……いやー久々にパパらしい事したな~。見直したか? どうだ?』
「アンタ色々台無しだ!」
えー、と不満げに口を尖らせる中年オヤジ。ああ、殴りたい!
『はっはっはっ、悩め悩め少年。それでこそお前を入学させた意味もあるってもんだ』
「は? どういう意味――」
『ひ・み・つ♪ ほれ、そろそろ戻る時間だろ? 通信終了!』
一方的に通信を切られ、一人残された静司であった。
コンコン。
『シャルル、俺だ』
「あ、静司お帰り。入っていいよ」
静司が許可を得て入ると、シャルルは既に制服に着替え髪を乾かしている所だった。その顔はほんのり赤い。
「ただいま。シャルルはシャワー浴びたんだな」
「うん。まだ時間もあるし静司も浴びると良いよ。今日もジョギング? いつもは声をかけていくからちょっとびっくりしちゃった」
「悪いな。ちょっと考え事してて忘れてた」
実際は課長から連絡が入ったために急いで出たため、忘れていただけだが適当に誤魔化した。シャルロットも特に気にした風も無く、そっか、と笑う。
「けど昨日は凄かったね。一日中アニメ見たの何て初めてだよ」
「俺もだよ。多少疲れたけどな」
あはは、と笑いながらシャルロットはふと思い出した。
「そういえば静司。いつの間にか布仏さんの事、本音って呼んでるね?」
「ん? ああ、そうだけど」
「仲が良いよね。もしかして――付き合ってるの?」
それは純粋な興味。しかし同時にシャルロットの中で何かが引っかかる。自分の発言に心に重石が乗るような、妙な感覚。
「そんなんじゃないよ。まあ良く話すのは確かだけど」
「そ、そうなんだ」
納得したような、そこか安心したようなシャルロットの態度に静司が首を傾げる。
「どうした? 様子がおかしいぞ」
「な、なんでもないよ!? ほら、早くシャワー浴びないと遅れちゃうよっ!」
「……? まあそうだな」
首を傾げながらもシャワールームに入っていく静司を慌てながらも見送る。そして考えるのは今の事。
何故自分は安心したのだろうか? 自分は静司とは唯の友人な筈だ。確かに気が利くし、色々助かっているのは確かだけど、そういう関係では無い。第一、今の自分は男としてここに居るのだ。それなのに――。
「……」
朝と同じように頭に触れる。静司が触れた場所。そしてそこに父性を感じてしまった自分がいる。それが原因だろうか? いや、決めつけるのは早計だ。そもそも静司は全然父親らしくない。そもそもわからない所だらけだし! うん、そうだ。この感覚はきっと気が利いた友人が離れてしまうのを恐れたに違いないそうに決まってるだからそうなんだってば!
悶々とシャルロットが悩みこんでいると、携帯の着信音が響いた。こんな時間に誰だろうか? 疑問に思いつつ液晶に表示された名前を見て、シャルロットの顔が凍った。
出るか、どうか悩む。このまま無視してしまいたい。しかしそれは意味が無い。どうせ後から何度でも連絡は来る。ただの先延ばしだ。
着信はまだ続いている。無機質な機械音が重くのしかかる。このままでは意味が無い。それに静司にも聞かれてしまうかもしれない。
シャルロットは携帯を掴むと外に飛び出した。
「ん?」
静司はシャワールームから出るとシャルロットが居ない事に気づいた。だが鞄がある事から直ぐに戻ってくるだろう、と判断する。それでも念の為に確認してみる事にした。自分の携帯を取り出し、シャルロットにかけてみるが反応無し。
「ふむ」
どうするか。C1に連絡して場所を特定すべきかと考える。まるでストーカーだが、彼女が注意人物である事に変わりは無い。ならば直ぐに行動すべきだろう、と通信機を取り出そうとした時、ガチャリ、と静かに扉が響きシャルロットが帰ってきた。
「シャルル? どうし――」
2人は部屋に入る時必ずノックをすると決めた。そしてシャルロットは今までそのルールを破った事が無い。当然だろう、何より自分が助かっているのだから。しかし今はそれが無かった。不思議に思い、静司は声をかけようとし、しかし止まった。
「シャルル……?」
「っ! な、何かな、静司」
「何って、顔が青いぞ。大丈夫か?」
そう、シャルロットは顔面蒼白になって帰ってきたのだ。その瞳は揺れ、今にも崩れそうな脆い印象を与えた。だがシャルロットは首を振り笑う。
「大丈夫だよ。ちょっと湯冷めしただけかな?」
「……そうか」
とてもそうは見え無い。彼女のこの顔は別の何かだ。だとすれば何だ? 何を彼女をこうさせた? 先ほどまでは普通だった。ならば自分がシャワーを浴びている間に何かがあり、こうなったと考えるのが自然。だが何が起きたまでは分からない。それがもどかしく思えた。だからなのかもしれない。
「え? ……あの、静司? 何を――きゃっ!?」
まるで猫を掴むかのように、彼女の襟首を掴むとベッドへ向かう。シャルロットは何が起きているか分からず目を回して混乱していた。それを無視してベッドのそばまで行くとベッドへ放った。
「そんな顔で学園に連れていけるか。それにそんな状態のお前を連れてったらクラスの連中に俺が殺される。今日は大人しくしてるといい。朝食は持ってくるから大人しく、な」
わしゃ、とシャルロットの頭を多少強引に撫でると静司は部屋を出ていった。
部屋を出ると携帯を取り出しメールを打つ。
『シフト変更。子犬は怪我で休み』
それだけを入力し送信。通信する時間がない場合や、短いメッセージの際はこちらを使っている。簡易メッセージの送信を終えると静司は食堂へ向かった。
静司が出て行った後、シャルロットは一人ベッドの中で縮こまっていた。
分かっていたはずだ。自分の目的が何なのかは。だけどどうしてこのタイミングだったのか。淡い、儚い夢を描いたその後に現実と言う名の悪夢を突きつけられた。
電話の主は父親。内容は簡素に『役目を果たせ。その為の道具は預けた筈だ』とだけ。これが父と娘の久しぶりの会話だった。なまじ、電話の前に『父』というものを考えていただけに、この現実が彼女にショックだった。それなのに――
「……っ」
心配し、ベッドまで運ばれ、そして頭を撫でられた。それは幼い頃、母親がしてくれた事と同じ。そして父親は決してしてくれないであろう事。それが心をかき乱す。
何故、父は優しくしてくれないのか。
何故、母は死んでしまったのか。
何故、自分はここにいるのか。
何故、静司は優しくしてくれるのか。
愛人の子だから? 病弱だったから? 父の命令だから? ルームメイトだから? わからないわからないわからないわからない!
ぐるぐると出口のない思考の迷路にシャルロットは一人迷い続けていた。
それからどれ程の時間が経っただろうか。
重い体を持ち上げるように、シャルロットは起きあがった。どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。机にはトレイに乗った朝食がラップに包んである。横にはメモが置いてあり『昼飯は冷蔵庫の中』とだけ書いてあった。
フラフラとした足取りで冷蔵庫に向かう。中には小さな鍋に入った雑炊があった。わざわざ食堂で作ってもらったのだろう。
「やっぱり……静司は優しいよ……」
だけど自分はもうここには居られない。どの道、行動を起こさなければ国へ強制的に戻されるのだから。光を失った目でゆらり、と机に視線を向ける。そしてゆっくりと近づき、鍵の掛かった引き出しを開けた。
そこに入っていたのは小さな箱。その箱を手に取り蓋を取る。出てきたのは携帯端末だ。但し、ただの端末では無い。ハッキングと言う犯罪に特化した、最初で最後になるであろう、父親からのプレゼント。それを手に取り部屋を出ようとして、立ち止まる。
自分以外、誰もいない部屋を振り返り、薄く、今にも消え入りそうな笑顔で告げる。
「ばいばい」
一言、それだけを告げるとシャルロットは人気のない寮の廊下へ出て行くのだった。
コンクリートに囲まれた小さな部屋。窓は無く、あるのは扉と鏡のみ。そんな陰気な部屋の中央に男が椅子に縛り付けられていた。両手両足は拘束され身動きが取れず、目も口も塞がれている。
そしてその男の横ではC1が煙草を吹かしていた。
「さて、そろそろ色々と語ってくれると助かるんだがね」
「……」
「おっと、そのままじゃ喋れんな。ほれ」
男の眼と口の拘束具を外す。その瞬間、縛られた男が声を荒らげた。
「貴様らに語る事は何もない!」
「何も無い事は無いだろう。こちらは色々訊きたいしな。例えば――どうやってIS学園の警備情報を手に入れた、とかな」
「ふんっ」
拘束されているのは先日学園襲撃を試みた男たちのリーダー格だった。静司によって意識を奪われ、昏倒した男が次に目覚めた時は既にこの部屋に居た。そしてC1による尋問が始まったのだが、男は口を割らない。
「……なあ、俺はさ、本当なら今頃若いピチピチ女子高生を監視するって言うとても崇高なお仕事があるんだよ。それがこんなおっさんと二人きりだぜ? いい加減にしてくれないか」
「黙れ。男としての矜持すら失った愚図共が!」
男が激昂するがC1はやれやれ、と首を振る。
「あのなあ、もしかして勘違いしているかもしれないが、俺達にも矜持位あるぞ? だからこそお前はまだ無事なんだ。昨日一日はとても優しい尋問だっただろ? いきなり拷問かますほど非道じゃないつもりなんだ」
実際は捕らえた連中の処理と更識側との折衝で忙しかったのが理由だが、それは言わない。このリーダー格以外の連中の尋問もあったのだ。あらかた重要な事は訊き終えているが、最後に一つ、重要な事は他の連中は知らなかった。それ故に、口の堅そうなこの男の本格的な尋問を始めたのだ。
「もう一度、噛み砕いて訊くぞ。お前たちに情報を持ってきた男、そいつはどこに行った?」
「……」
「だんまり、ね。仲間は売らないって考えは嫌いじゃないが、仕方ない」
C1はため息を付くと懐から箱を取り出す。中に入っているのは大小様々な針だった。そのうち一本を手に取ると男に向かって告げる。
「まずはこれからいってみようか」
「馬鹿が、そんな針で――」
男を無視してC1は無造作に針を男の腕に突き刺した。瞬間、
「あ゛ぅ゛がっ、ああああ!?」
凄まじい激痛は男に走り悲鳴をあげた。
「ただの針だと思って油断したか? 針治療ってあるだろ? あれの逆みたいなものでな、人間の痛覚のツボみたいなものもあるんだよ。そこを上手く付けば、この通り」
もう一本、針が刺さる。再び男が悲鳴を上げ暴れようとするが拘束されている為、それは叶わない。
「これの良いところは目に見える傷が目立たない事だ。そして一度刺してしまえば痛みは継続的に続く。さて、それを踏まえた上でもう一度訊こう。お前達に情報を持ってきたのは誰だ?」
「ぎぅっがぁっ、だ、があああ!?」
「んー、聞こえないな。言う気が無いならもう一本――いや、五本くらい行こうか。
言う気が無いのではなく、言えない。それが分かっていながらもC1は針を追加する。容赦はする気は無い。まずは徹底的に恐怖を植え付ける。
「あ゛かじゃ、じゃい!? ――がっ―っ!? ―ぃ――っ!?」
「呼吸しずらいだろ。そういう点を突いた。まあ死んだら人間それまでだ、頑張って俺が聞こえるように答えてくれれば、早く済む。はい、三本追加~」
「っ―――ぃ――っ! ――――――――っ!?」
文字通り、声にならない悲鳴が部屋に響き続けた。
「ノリノリでしたねー先輩」
尋問を終えたC1を待っていたのはどこか不真面目そうな後輩の笑顔だった。
「そら俺の女子高監視ライフを滞らせたんだ。あれ位は当然」
「さすがEXISTきってのロリコンっすね。そこに痺れも憧れもしませんが」
うるせえよ、とC1は後輩を頭を叩いた。
「痛っ、暴力反対!」
「今の今まで尋問を黙認していた奴の言葉じゃないな……しかし予想以上に早かったな。もう少し粘るかと思ったが」
「先輩の尋問とうい名の拷問はえげつないっすからね。あの人再起できますかね?」
「そこまで酷くねえよ。あれは一時的な痛みは凄いが後遺症には残らない」
「トラウマにはなると思うんすけど」
それで、と男から聞き取った情報を整理する。
「情報を持ってきたのは20代後半の若者。名は柿崎哲也ね。コイツの情報は?」
「調べましたが特に犯罪歴は無いっす。ただ、何度か女性と問題を起こしてるっす。そのどれもが、非常に男に不利な決着してますね」
資料を見ながら「うわーえげつないなー」とぼやく後輩を見やりため息を付く。
「今に始まった事じゃないが、やっぱりそういう理由か」
「現代社会の闇っすよ。女尊男卑。篠ノ之博士は意図してこういう風にしたんすかね?」
「それは本人にしか分からないだろうよ。まあいい、本社へ連絡。柿崎哲也の拘束に向かう」
「了解っす」
時間は少し戻る。
「え? シャルルは休みなのか?」
「ああ、体調が悪そうだから休ませた」
朝は食堂で雑炊を依頼したり、それを部屋に持っていったりと忙しかったので、教室についたのは時間ぎりぎり。それから1限目の休み時間に静司は一夏達に報告していた。話を聞きつけた本音、セシリア、箒。そして何故か1組に居る鈴がやって来る。彼女はかなりのペースで1組に来ているが自分のクラスは良いのだろうか? と時たま疑問に思うが、言ったら怒られそうなので静司は黙っている。
「心配ですわね」
「アンタらと違って儚そうだもんね」
「おい、鈴。どういう意味だ」
「お前たちが図太そうだ、と言う意味だろう」
「……眠……眠……帰宅……ベッド」
鈴の言葉に箒も同意する。本音だけは眠そうに頭をフラフラさせていた。だが、一夏は納得いかないようだった。
「俺だって儚さや繊細さを持ってるぞ。なあ、静司?」
いや、それはどうだろうかと静司は悩む。少なくともあれだけ身近な女性に熱烈アピールされても気づかずにいるのはある意味図太さではなかろうか。少なくとも俺には無理だ。というかいい加減気づいてやれ一夏。見ているこちらは彼女達に同情してしまう。
「おい、静司。何で何も言わないんだ?」
「一夏、俺が言えるのはただ一言だ。鏡見てこい」
うんうん、と頷く女性陣に一夏は本気でわからない、と言った様子で頭を捻る。そんな一夏を無視して静司はいよいよ倒れこみそうな本音を支えていた。しかし周りももはや見慣れた光景なので軽くスルーしている。
「けど心配なのは確かね。後で見舞いに行こうから」
「それはいいですわね。川村さん、お邪魔しても大丈夫ですか?」
「……ああ、大丈夫だとは思う。一応帰ってからシャルルにも体調聞いてみるよ」
「それがいいだろう。悪そうだったら今日は安静にした方が良いだろうし、見舞いも見送るべきだろう」
箒はそう言うが、静司が考えたのは別の事。朝のシャルルは確かに顔色が悪かったが、それは体調の性では無い事は予想していた。いや、正確には原因は別にあり、連鎖的に体調が悪くなった可能性もあったが。
ならば原因は何か? おそらくは精神的なものだろう。だが何をあそこまでシャルルを追い詰めたのかが分からない。そしてあの時のシャルルは何をするかも分からない不安な雰囲気を秘めていた。それ故に無理やりにでも休ませ、C1達にもシフトの変更を依頼したのだ。本当なら自分が近くに居れば良かったが、護衛対象である一夏が学園に来ている以上、優先されるのはそちらだ。現在は仲間達が寮を監視している筈だ。
「っと! そろそろ時間ね、私は帰るわ」
「ああ。所で次は何だっけ?」
「忘れたのか一夏。次は植村先生の授業だぞ」
うげぇ、と一夏が顔を引き攣らせる。
「俺あの先生苦手なんだよな。厳しいのは当然なんだけどピリピリしているというか」
「そうですか? 私は真面目で熱心な先生だと思いますけど」
「そうだな、あれ位の緊張感があっても良いだろう。一夏が軟弱なだけだ」
「いや、なんというか俺達にだけ特に厳しいような気がするんだよなあ」
一夏が気にするのも無理はない。確かに植村加奈子の授業において、一夏、静司、シャルロットは良く指名される。そして答えられないと辛辣な言葉で叱ってくるのだ。そして静司、シャルルに比べて座学の成績が良くない一夏は良い的だった。
「一夏さん達は特殊な立場ですから、先生方もより一層厳しくされてるのでは?」
「うーん……」
「ほら、そろそろ先生来るから準備した方が良い。本音もそろそろ起きよう」
静司の言葉を皮切りにセシリアたちは席に戻る。本音もフラフラとした足取りで机まで行くと突っ伏した。大丈夫だろうか? と席を見やると、隣の生徒が任せろ、と言わんばかりにピース。静司も手を振ってよろしく、と応えた。
やがてチャイムが鳴るのとほぼ同時、植村加奈子がやって来た。いつも通り、時間ピッタリの登場だ。
「それでは授業を始めます。……デュノアさんはどうしましたか?」
眼鏡越しのキツイ目つきが静司を射抜く。確かに一夏の言うとおり男子には遠慮が無いタイプの人間に思えた。
「体調不良で休みです。申請は出ています」
「……確認しました。ですがIS扱う者として体調管理は必須です。皆さんは気を付けるように。では教科書を開きなさい」
冷たく言い放つと植村加奈子は授業を開始した。
昼休み。いつもの様に鈴が一夏達の所へ行くと、そこでは男二人が燃え尽きていた。
「ちょっと、アンタらどうしたの?」
「ああ、鈴か……」
「心にダメージが、な」
「はあ?」
訳が分からない、といった様子の鈴にセシリアが苦笑いで説明する。
「鈴さんが帰った後、今日は植村先生の授業だったのですが、今日は一段と厳しかったもので」
「この二人は特に集中砲火されたのだ」
「かわむーもおりむーもへとへとなのだよ~」
流石の箒もやや憐れむように二人を見ていた。
「あー成程。あの先生キッツイもんねー」
鈴も納得したように頷く。植村加奈子の厳しさは評判で、苦手な生徒も多いのだ。
「俺、あの先生の突き刺すような視線が苦手だ……千冬姉とはまた違った恐ろしさがある」
「私もあの先生はあんま好きじゃないわね。けど授業内容はしっかりしてるのよね」
「それでも苦手な物は苦手だ……」
一夏が呻くが鈴は「はいはい、早く食堂行くわよ」と急かすため、よろよろと立ち上がる。そんな中、静司のポケットから短い着信音が響いた。
「メールか? マナーモードにしとかないと授業中に鳴ったらヤバいぞ」
「ちょっと忘れてた。気を付けるよ」
答えつつ画面を見やり、静司の眼が細まった。
「悪い、ちょっと友人から電話寄越せって内容だった。先に行っててくれ」
「おう。席は取っておくぜ」
「いや、長引きそうだし俺は適当にパンでも買ってくよ。気にしなくていい」
「そうか……。じゃあまた後でな」
一夏と別れ、静司は学園内を歩く。昼休みの為あちこちに生徒は居るが、大抵場所は決まっている。人が居る場所を避け、たどり着いたのは校舎裏のゴミ捨て場だ。ヤンキー盛りの若者ならまだしも、花も恥じらうエリート集まるIS学園生が、わざわざ昼休みに訪れる場所では無い。それでも一応警戒しつつ、通信機を取り出す。
「こちらB9」
『こちらC5。こうやって話すのは久々ね』
「C5? C1はどうしたんだ?」
『C1はちょっと別のお仕事中。それよりも子犬の件で報告があるわ』
子犬、つまりシャルロットの件だ。自然と静司に緊張が走る。
『結果だけを報告するわ。対象を見失ったの。ごめんなさい、こちらのミスよ』
「何だって?」
静司は自分の仲間を信頼している。だから彼ら彼女らが手抜きをしたとは考えられない。ならば要因は別の何かだ。
そもそも外から学園を、しかもその寮を監視するのには限界がある。肉眼など不可能だし、監視装置にも限界はある。できることは学園、学生寮内の警備システムを利用した、要所要所の監視。それに静司が新たに設置したセンサー類での監視だ。これでも大分マシになった方ともいえる。何故なら更識家の協力を得ている為、学園の警備システムに干渉できるようになったからだ。勿論、寮のカメラを監視する際はC5等女性が行っている。
そして寮の出入り口などは全て監視されている筈だ。それなのに見失ったという事が静司には驚きだった。
『私たちの監視しているカメラは学園の警備システムをそのまま借りた物。だけどついさっき、そのシステムに一時的に不具合が見られたわ。その直後から彼女の姿が見え無い。因みにその間に外部から敵が侵入した形跡はないわ』
「っ!」
それはつまりシャルロットが何かをした可能性が高いという事。彼女は行動を起こしたのだ。
『今の所私たちに指令は来ていない。今は念の為、侵入者が居ないかチェックしている所よ。以前も課長が言ったと思うけど、私たちは企業の戦略や、IS開発競争までには関わる気は無い。だからこのまま彼女の行動を無視することも出来る』
勿論、彼女が護衛対象に何かをするのなら話は別だけどね、とC5は続ける。
「……」
どうするべきか。シャルロットが一夏を狙うか? いや、それは無い。一夏の周りには常に専用機持ちが2人居る。シャルロット1人でどうにかできるとは思わないし、そもそもただの情報収集ならそこまでする必要もないだろう。今一番可能性が高いのは、シャルロットが学園側から情報を引き出そうとしている事。しかしそうなると、静司達が干渉する理由が無い。あくまで、織斑一夏と他学園生を守るのであって学園を守るのではないからだ。
そして学園側からシャルロットがデータを引き出せたとしても、男性操縦者関してはたいした情報は無いし、白式もただの最新鋭機という結果。つまりデータを持ち帰られても、デュノア社のIS開発が進むかもしれないだけ。それこそ関係の無い話だ。
だがもしバレたら? シャルロットの行動が学園側に察知されたらどうなる?
デュノア社は破滅。そしてシャルロットも碌な事にならないだろう。だが、それもまたblade9には関係の話。そうその筈だ――。
「……例の、無人機は?」
以前、クラス対抗戦で学園を襲撃した謎の無人IS。3機の内、1機は静司が完全に破壊。残り2機は静司達EXISTとIS学園がそれぞれ回収している。静司が確認したのは学園側が回収した物だ。
『相変わらず学園の地下にあるわ。箝口令が敷かれたとはいえ、『謎のISの襲撃』はどこも察知している。無人機とは気づいていないでしょうけど、アリーナの遮断シールドを破るほどの威力を持ったIS。確かに彼女がそれを狙った可能性もあるわね』
「……アレの存在は危険だ。それに白式のデータが織斑一夏に危害を与えるきっかけになりかねない」
そう、だから――
「シャルロット・デュノアの所在を至急確認してくれ」
『ふふ、了解。B9、これは仲間としての私からのアドバイスだけど、もっと正直になりなさい』
「いきなり何を――」
『秘密よ。彼女の居場所はこちらで突き止めるから貴方は貴方の仕事をしなさい』
それだけ告げるとC5は通信を終了した。
無人機の存在が危険? 確かにそうだ。しかしアレの保管場所などそれこそ最高機密。そうそう簡単に知れるものでは無い。
白式のデータ? それこそとっくに流れていてもおかしくない。何せあの博士が関わったIS。弱腰の日本政府が何も情報提供していないとは思えない。
こんなこと、C5も分かっている筈だ。それなのに自分の願いを聞いてくれた。だが、何故あんな事を頼んだのか。それが分からない。それがただ無性に静司を苛立たせるのだった。
ドアを蹴破り、部屋に突入する。銃を油断なく構え、周囲を見渡し――C1は眉を潜めた。
「先輩強引っすよ、ってうわっ……」
後から部屋に入った後輩が驚いた様な声を上げる。
「死んでますね……」
夕方の曇り空から漏れるわずかな光。それだけが光源の薄暗い室内の中央に男が倒れている。
「そうだな……。C12、お前パソコンを調べろ」
「了解っす」
2人とも動揺したのは一瞬。直ぐに仕事に戻る。C12と呼ばれた女はデスクのパソコンへ。そしてC1は床に倒れている男――柿崎哲也を確認する。
8畳ほどのワンルームマンション。その中心で柿崎哲也は頭部に血の花を咲かせていた。その隣には拳銃が落ちている。死体の状態から死んだのは数日前だろう。
「自殺か……もしくはそれに見せかけた他殺か」
状況だけ見れば自殺だが、それは詳しく調べなければ分からない。C1は立ち上がると部屋の中を見渡す。
整理整頓が行き届いた簡素な部屋だ。ベッドと机。そしてテレビぐらいしか置いていない。衣服は押し入れに収納しているらしく、酷く無機質な部屋だった。
「ふむふむ。ん……? 先輩! 来てください」
「どうした?」
後輩が何かを見つけたらしい。手招きするC12に近寄ると彼女は画面を指さした。
「これ。例の連中とのやり取りっすね」
「……そうだな」
C12が開いたのはメールソフト。その受信トレイにはこの部屋の主と、捕らえられた男たちとのやり取りが記録されていた。
「んー、しかし変っすね。パスワードは勝手に解除しましたけど、それにしても簡単に繋がりが見えてきました」
「寄せ集めとは聞いていたが、確かに簡単すぎるな…………待て、その最後から2番目、開いてくれ」
「了解っす」
開かれたのは先週の土曜日。昼頃のメールだ。タイトルは『至急』となっている。
『計画は失敗。Tも捕まった。もう駄目だ、俺は先にいく』
「仲間への連絡ですかね?」
「おそらくな。送信先を調べられるか?」
「勿論っす」
C12が男のパソコンと、自分の携帯端末を弄る。
「……出ました。住所は……うわ、近いっすね。IS学園のすぐそこですよ。えーと、この住所の住人は……『植村加奈子』っすね」
「何?」
C1が眉を潜める。
植村加奈子、それはIS学園の教師の名前だ。
そのまま端末を操作しながらC12が続ける。
「この植村加奈子と柿崎哲也は何度か会う約束してますね。――って先輩?」
C12が首を傾げるがC1は待て、と手で制す。
植村加奈子。IS学園教師。確かに彼女なら学園の警備情報を手に入れられる可能性は高い。そしてB9からの情報によると男性差別の疑い有りとの事だ。そしてその人物は今もIS学園に居る。そしてこのメールを見ているという事は、自分たちが追い詰められている事を知っている筈だ。
「くそっ!」
即座に通信機を取り出し社へ連絡を取る。
『――はい。こちら――』
「C1だ! 課長とB9に至急連絡! IS学園教師、植村加奈子を直ちに拘束しろ!」
天気が悪くなってきた。
シャルロットは1人膝を抱えて天井の向こう、ガラス越しに空を見上げていた。
寮を出てから数時間。学園の監視システムに干渉し、一時的に不能にした後、シャルロットは走ってここ、第2アリーナガス管理室に逃げ込んでいた。
正直見つかると思っていた。しかし、父親から渡されたこの端末は相当優秀だったらしい。シャルロットは誰にも、そして監視カメラにも見つかる事は無く、ここに入る事が出来た。流石腐ってもIS開発の大企業。作るものは確からしい。だが、こんなものを作る力があるならもっと別の事に費やせば、そうすれば自分がこんな事をする事も無かったのに。そう感じずにはいられない。
「何しているんだろう、僕は」
泣き笑いの様な顔でシャルロットは携帯を取り出す。その電源は切ってある。今は誰の声も聞きたくなかったのだ。
結局、自分は父親に従う道を選んだ。もう、どうすれば分からなく、結局どうなっても良いと思ってしまったのだ。そしてどうせ自棄になるなら、最後に、一言でもいいから父親に褒められてみたい。そんな儚い思いが彼女を動かしていた。
彼女の目的はアリーナの端末。そこにはクラス対抗戦での記録が残っているのでは? という考えからだ。白式が中国の専用機と戦い、そして謎のISとも戦った場所。黒い翼のISが現れたのもこの近くだ。
謎の襲撃ISと黒い翼のISは箝口令が敷かれている為、表向き情報は無い。しかしあれだけ多くの生徒が目撃し、黒い翼のISは空中で戦闘していたのだ。その姿は目撃されている。それでも、IS学園は不干渉が鉄則の為、表向きは平穏だが、裏では多くの企業や機関、国家が情報収集を行っている。そしてそれはデュノア社も同様だ。当日のアリーナの映像はどこも狙っている。勿論、そうそう簡単に見つかるとは思っていないが、何かヒント位はあるかもしれない。ただ、それだけの理由だった。本当はそんなものはもう無いと分かっていてもだ。
今は遠くからISの機動音や銃声が聞こえる。最初は緊張したが、そもそもこんな場所には人はめったに来ない。せいぜい点検の業者が来るくらいだろう。それがわかると気にはならなくなった。動くのは夜と決めている。だからあともう少しだけ、ここでじっとしていればいい。
「……雨だ」
見上げていた天井に水滴が落ちる。その数は次第に増え、やがて豪雨となった。ぼんやりと見上げながらふと思う。
「静司達……どうしてるかな」
自惚れかもしれない。しかし彼らは自分を探している様な気がした。きっと心配しているだろう。そしてそれが分かっていながらここでこうしている自分が酷く罪深く思えた。
もういい、もう何も考えたくない。
そんな逃げの感情に任せてシャルロットが目を瞑るのだった。
それからさらに数時間後。
雨は止まず、更に強くなっていた。窓の向こうは完全な暗闇。月明かりすらない夜の闇の中、シャルロットは立ち上がった。その眼には光は無く、幽鬼の様でもあった。
彼女は携帯端末を取り出すと、あらかじめセットしてあったプログラムを実行する。これで監視カメラの映像はダミーに切り替わった筈だ。後は動くのみ。
ゆっくりとした足取りでガス管理室から出る。目指すのはアリーナの管制室。一般生徒は立ち入り禁止のそこになら何かあるかもしれない。
ゆっくりと、誰も居ない暗闇のアリーナの廊下を歩く。そして管制室までたどり着くと、端末からカードを抜き、それを入口の電子ロックに通す。だが、
「え……?」
ピー、というエラー音と共に弾かれた。おかしい。このアリーナに逃げこんだ時は使えた筈だ。ここだけ厳重になっているのだろうか?
「これは予想外ですね」
「っ!?」
突然の背後からの声に驚き振り向くと、そこにはよく知った顔が居た。
「植村……先生?」
「幼稚な干渉があったので気になって見に来れば、貴女でしたか。シャルロットさん」
「何故それを!?」
今度こそ、息が止まるかと思った。何故、この先生は自分の本当の名前を知っている? そもそもなぜこんな所にいる? そして何故、そんな冷たい目をしている?
「私の主はまだそれほど興味を持っていませんでしたが、次の研究題材を探すのも部下の勤め。男性操縦者については調べていましたが、貴女には驚かされましたよ。これは社長の命令ですか? ご苦労なことですね」
「そんな……」
知っている。この女は全てを知っている。そして今のこの現場も見られた。
全てが終わった。
「絶望している所申し訳ありませんが、折角の専用機と適性ランクです。別の実験に使えるでしょうし、貴女も頂くとしましょう」
そこで初めて女が笑う。それは植村加奈子という人間を知っていれば、目を疑う様な、感情に溢れた、悪意に満ちた笑み。
「あなたは……誰?」
「さあ、誰でしょう? 行きなさい【ブラッディ・ブラッディ】」
突時女の周りに巨大な機械の棺桶の様な物が現れる。それが開いたかと思うと、抵抗する間もなくシャルロットを飲み込んだ。
最後にシャルロットが見たのは、悪魔の様な笑みを浮かべる、女の顔だった。
「さて、私も仕事をしましょう」
女はシャルロットを飲み込んだ棺桶を従えアリーナの地下へ赴く。物資搬入口。IS予備パーツ安置所。ガス管理室。下水道入口。下へ下へと向かいたどり着いたのは行き止まり。但し、その壁の横には配電盤に偽装された電子ロックがあった。
女は電子ロックに触れると数桁のコードを打ち込む。ロックが解除され、扉が開く。女はそれが当然の様に中へ進む。その先にあったのはエレベーターだ。
パネルを操作し。最下層へ。静かな駆動音と共に大型エレベーターが降りてゆく。
やがて最下層に付くと、薄暗い通路を挟むように左右に部屋が広がっていた。そこに彼女と、彼女の主の目的の物がある。再び笑みを浮かべて女が進みだした、その時だった。
「っ!?」
一瞬感じた殺気。それから逃れるように体を前に投げ出した。直後、
ギィィィィィィッン!
一瞬前まで自分が居た場所を切り裂くかのように、エレベーターの天井を突き破り何かが落ちてきた。その何かは床に激突すると轟音と震動。そして激しい殺気をまき散らしながらゆっくりと立ち上がる。
全身を覆う漆黒の装甲。
両手両足に装備された獣の様な巨大な鉤爪。
そして上に伸びるように立たせた鋼鉄の漆黒の翼。
装甲の装甲をなぞる様に、真紅の光が表面を走る。
かつて、学園を襲撃したISを圧倒的な力で叩き伏せた漆黒のIS。【黒翼】
それの持つ殺気が女を射抜き、吠える。
「その箱の中身、返してもらう!」
地下での戦いが、始まる。
シャル自暴自棄モード突入