【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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39.「踊る少女戦線」

「師匠、指定のポイントに到着しました。次の指示を」

「うわぁ……人がいっぱいだぁ……」

 

 人里の遥か上空にて。普段ならば想像もつかない妖怪コンビが、地上の人々を見下ろしていた。

 物珍しそうに人間たちを観察しているのは、地霊殿の主古明地さとりである。旧地獄にはまず生きた人間などやってこないため、古い記憶にしか存在しなかったヒトの姿に若干の感動を覚えている様だった。

 幻想郷に似つかわしくない、耳に掛けるタイプの機械仕掛けを通じてここに居ない誰かに話しかけているのは、元月兎こと鈴仙・優曇華院・イナバである。どうやらマイクの向こうには永琳が待機しているらしく、何らかの指令を待っている様子である。

 

 事の発端は数分ほど前に遡る。

 

 地底での会合時、八意永琳と八雲紫はナハトの()退()を一目で見抜いていた。出自の解明や一部の者達との勘違いの解消など、ナハト自身の精神ダメージと恐怖の供給量の減少によって、元々残量を減らしていたナハトの容積は、看過できない限界ラインを迎えようとしていたのである。それを補填するために、賢者たちはある作戦を企てたのだ。

 

 それは紫の演説が届いていていない人里の人間を恐怖させる事で、ナハトへ一時的ながらも恐怖の供給を行う、いわば輸血の様な治療計画だった。

 妖怪は人間から恐れられるものだ。これは大昔から変わる事の無い摂理である。故に、恐怖の質は妖怪よりも人間の方が遥かに高い。人口は決して多くないものの、生み出される恐怖はナハトの内容量をセーフラインに戻す程度には十分だった。

 加えて、本作戦は秋の事件とは準備が違う。既に紫が各方面へ情報を送っており、ナハトへの誤解が生まれて余計な混乱を招かぬよう舞台が整えられていた。これで余計な波紋を出すことなく、計画を遂行出来るという訳だ。

 

「はい……はい……了解しました。では、失礼します。……ふぅ。久しぶりのこういう任務はやっぱ緊張するなぁ」

「それで、永琳さんはなんと――うう、そうですか。滞りなく決行ですかそうですか」

 

 心で受け答えする無言の鈴仙。どんよりするさとり。

 この二人が抜擢された理由は一つ。彼女たちの能力が無ければ、この作戦は絶対に完遂し得ないからである。

 

 片や心を読む能力。片やあらゆる波長を操る能力。八意永琳はこれらを応用し、『疑似ナハト』の制作を試みた。

 

 かつての永夜異変で、鈴仙はナハトの魔性を間接的に観測している。故に、再現の難しい『消滅の概念』の瘴気を波長という形でトレースする事が可能だった。つまりこの作戦の概要とは、波長操作でナハトの魔性を再現しつつ、さとりの想起を用いた()()を併用する事で、人里の人間に今回の騒動がナハトによるものだと信じ込ませ、恐怖を呼び起こすと言うものなのだ。

 いたってシンプルで捻りの無い作戦だが、急ごしらえで恐怖を回収するという点においては、これほど効果を発揮するものは無い。まさにシンプルイズベストであろう。

 

「あの、ところで鈴仙さん。あなたの波長操作って、彼の瘴気を再現しても平気なんですか? あれは確か『消滅の概念』? から生じた余波エネルギーらしいですから、鈴仙さんにも悪影響が……あ、永琳さんの安全テストをパスしたんですね」

 

 私、こういう試薬テストには慣れてるんですよ! ――何故かドヤ顔で鈴仙は言った(おもった)

 試薬テストってそういう行為じゃないと思うし、むしろ普段はどんな事されてるの? と内心頬を引き攣らせるが、口には出せないさとりである。

 

「それじゃ準備は良い? 背負うわよー」

「は、はい。よろしくお願いしま、ひゃっ!?」

 

 真っ黒なダボダボローブを着込んださとりの股下に潜り込み、鈴仙は肩車の要領で持ち上げた。ローブは二人を包み込むと、ナハトより少し大きい程度の身長となる。

 そそくさと、さとりは仮面を装着した。ボイスチェンジャー着きの変装アイテムらしい。瘴気を遮断するコンタクトレンズといい、目薬といい、地上の薬師とは何でも屋と同業だったのかとちょっぴり感動するさとりである。

 

「準備が出来たら言ってね。里に波長を飛ばしていくわ」

「分かりましたっ」

 

 と言っても、ここからが至難の工程だ。少なくとも、引っ込み思案なさとりにとっては結構な試練と言えるだろう。

 想起を用いて演技をすると言ったが、もちろんこれは相手のトラウマを読んで弾幕として再現するという意味合いではない。想起するのは『相手の』ではなく、『自分に』なのである。

 つまり、さとりはさとりの中のナハト像(トラウマ)を自らに想起させ、ナハトという怪物へ成りきらなくてはならないのだ。

 しかしこういった役にハマらなければならない行為は、考えれば考えるほど分からなくなるもので。想起の基準点を決めかねたさとりは、うんうんと唸り声をあげた。

 

「うーん……違う……こうじゃない……もっとこう、ぬわーっ、どふぁーって感じの威圧感で……うぅーん」

「まぁ、あれですよサトリさん。そんな忠実にやらなくても良いらしいですから。要は印象だけ真似られれば万々歳なわけで」

 

 印象。

 その言葉が、さとりに発想を与える鍵となった。

 そうだ。鈴仙の言う通り、人間にナハトの特徴を植え付ける事さえ出来ればいいのだ。そうして人間たちの認識をナハトで埋め尽くせればいい。

 

 人が人を追憶の中から識別する際に、最も重要な要素とは何か? ――それは第一印象だ。初めて出会った時の第一印象は、後に相手を思い出す上で大事な羅針盤となる。例えば匂い。独特な香水をつけている人がいて、その匂いを別の場所で嗅いだ時、人は関連する人物を思い出す時がある。この性質を利用するのだ。

 

 万人がナハトに対し、抱くであろう第一印象。

 なんだ、簡単じゃないか。あの男を一目見れば、誰だって()()と思うに決まっている――さとりは第三の眼を包むように手を当てて、己が意識に集中した。

 精神を研ぎ澄ませ、心のイメージを皮膜の様に被せていく。自己暗示を繰り返し、さとりを『ナハト』へ変えていく。

 ローブの中の第三の目から、眩い光が漏れだした。

 

 

 ――――想起『闇夜の支配者』

 

 

 

「お、おい! 何だよあれ!?」

 

 人里の男が、彼方を指さしながら悲鳴を上げた。

 里の周囲で妖怪が暴れまわり、不安に駆られている人々は、その一声に意識を掻き集められてしまう。

 示された方角に、黒い幻影が君臨していた。暗き火の玉の様に巨大な黒布を靡かせながら、真夜中の空だと言うのにハッキリと姿形を映えさせていたのである。

 それが人の形をしたナニカであると、人々が認識した、その時だった。

 

「――――聞くがよい。檻の中で飼いならされた、哀れで矮小な人間どもよ」

 

 獣の様に低く、悪魔の様に悍ましい男の声が、里の全土へ響き渡ったかと思えば。

 尋常ならざる恐怖の波動が、人間の絶対安全圏を蹂躙した。

 膝から崩れ落ちる者がいた。暖かい液を股から流す者がいた。石像の様に硬直する者がいた。心臓を握り潰さんばかりの根源的恐怖の瘴気は瞬く間に人間たちを侵食し、心拍数を跳ね上げながらも血の気を悉く奪い去っていく

 だがしかし、誰一人として、その影から目を離すことは出来なかった。

 

「我が名はナハト。古より蘇りし闇夜の支配者、そして汝ら凡愚どもの王である。心して聞くがいい、人の子よ。幻想郷はこの余が乗っ取った」

 

 広く、広く、影の両腕が伸ばされていく。遠く離れているはずなのに、巨大な怪物が里を覆いつくしていくような錯覚を刻み込まれ、人々はたちどころに転倒した。

 

「頭を垂れ、余の誉れ高き名を恐れ敬うがいい。そして平伏し、涙と共に絶望せよ。これより先に一切の安寧は無く、汝らは余の所有物、奴隷として未来永劫生き続けるのだ。蹂躙を甘受し、肉の駒となって地を這い回るがいいぞ!」

 

 

 

 「――――させませんっ!」

 

 唐突に、魔性の言葉を裂く光が瞬いた。

 五芒星を象る新緑の閃光が闇を貫く。魔王は翻ってそれを躱すと、退魔の輝きを放たれた方向へ向き直った。

 

「何奴!?」

「誰と聞かれてはしょうがない。名乗りを上げさせてもらいましょう」

 

 一陣の風があった。粉雪を舞いあげ、吹雪へと昇華する疾風があった。

 旋風の中心には少女がいた。青白を基調とし、脇の露出は怠らない巫女装束。カエルのカチューシャに、若葉色の髪を一房束ねる白蛇の髪飾りは信仰の証。水玉模様の青いスカートは星空の如く、灯篭の火を反射する。

 

「人を照らすは善なる光。信仰は儚き人間の為に。――さぁ、ご照覧あれ! 守矢の二柱より加護を受けし、絶対退魔の風祝! 東風谷早苗、ここに推参ッ! ですっ!」

 

 ばちこーん、とカラフルな煙幕が背後に立ち込めそうなポーズと共に、幻想郷二人目の巫女が姿を現した。

 どよめきが訪れ、暗雲立ち込めた人里へ希望が灯る。

 何だか大げさに気圧されるように、魔王はたじろぎながら絶叫した。

 

「おのれモリヤめ、ハクレイと共にまたしても余を邪魔するか!」

「ええ、あなたの悪事は何度だって阻止してみせます! 霊夢さんがあなたの部下たる四天王を相手している今! この私が、あなたを成敗してくれましょう!」

「生意気な小娘がァァーッ!!」

 

 百花繚乱、千変万化の華麗な弾幕が星空に負けじと咲き誇る。火花が散り、閃光が砕けて爆ぜた。豪華絢爛な弾幕と圧倒的な近接攻防は、冬の寒さを丸ごと吹き飛ばしていく。

 気が付けば、人里からは守矢コールが上がっていた。

 

「とりゃあああ――ッ!!」

「ぬゥあああああああああああああッ!!」

 

 ズバヂィッ!! と稲妻が炸裂する様な音と共に、巫女の幣と魔王の腕が何度も何度も激突する。その度に火の粉が舞い、歓声が沸き上がった。

 終いには、額がくっつく程に鍔迫り合いが始まる。ぎりぎりと、ギチギチと。幣とローブが拮抗し、金属同士を擦り合わせるかのような高周波が耳を劈いた。

 

「(えっと、次の手筈は何でしたっけ早苗さん?)」

「(あ、この後私を蹴り飛ばしてください。派手に吹っ飛んでやられたフリをして、劇の谷場を作りますので)」

「(りょーかいです。怪我しないでくださいね?)」

 

 力と力が肉薄する闘いの中、二人はどういう訳か、()()のシナリオについて話し合っていた。

 

 そう。守矢神社側もまた、八雲紫から(まこと)を得て、八意永琳のシナリオに組み込まれた役者だったのである。

 ナハトの恐怖を植え付けるだけでは、過度なストレスによって人間側に精神的障害が生まれかねない。波長を真似ただけの贋作とはいえ、本来ならば相対しただけで発狂するような恐怖と嫌悪の塊なのだ。力ある者ならばいざ知らず、ただの人々にはあまりに荷が重すぎる。

 そのケアとして考案されたのが恐怖の緩衝材、つまるところヒーローの存在だった。博麗の巫女が動けない今、守矢神社の早苗を起用する事で勧善懲悪劇を披露し、余剰な恐怖を中和しようと言う魂胆である。

 

「(……けどその波長、ちょっとキツいです。トラウマが刺激されて、うぇっ、なんだか気持ち悪くなってきました……っ)」

「(ちょちょちょちょなに青褪めてるんですか絶対ここで吐かないでくださいよ!? それ射線上に丁度私の顔があるんですから波長緩めるんで我慢してください後生だから!?)」

「(あ、これ蹴られたら戻しちゃうかも。いや戻しますごめんなさい)」

「(フリ! 蹴るフリですから! そんな直ぐに諦めないでお願い!?)」

「おのれェ……ッ!! 神に祈る程度しか能の無いシャーマン風情が余と同じ宙に立つなど、万死に値する不敬であるぞ! 地を這う虫ケラは虫らしく、潰れ砕けて土の肥やしになるがよいわァ――ッ!!」

「(サトリさんもちょっと役にハマり過ぎじゃないですか!? あっちょ上で暴れないで振動が早苗さん刺激しちゃいますからやめてええええええっ!!)」

 


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