【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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最終章「追憶する孤独の幻想賛歌」
31.「開闢の狼煙」


 

 紅魔館を囲むように存在する雄大な霧の湖。

 畔の影では数多の妖精たちが、本能に赴くまましっちゃかめっちゃかに暴れ回っていた。

 正気を保つ者を見つけては捉えようと追い回し、狂気に侵されていない者は混乱と動揺に急かされ逃げ惑う。さながら生者の血肉を求める屍が氾濫した世紀末の様だった。

 そんな中、森に向かって走る小さな影が三つ。

 

「い、一体なにが起こってるの!? また新しい異変なのかなっ!?」

「みんな急にどうしちゃったんだよーっ!? 何でいきなり喧嘩吹っ掛けてくんのさ!? ……あ、もしかしてアタイの最強の座を狙ってげこくじょーしてるつもりなのか? おう上等じゃいッ! 格の違いを思い知らせてくれるわ一列に並べーっ!!」

「大ちゃんこの馬鹿引っ張るの手伝って! 何だかよく分からないけど、一先ず逃げるが吉ってねっ」

 

 怯える大妖精。押し寄せてくる正気を失った妖精の群れへ、果敢にも氷剣片手に突撃しようとする氷精を羽交い絞めにし、撤退を選ぶ宵闇の妖怪。

 もはや誰が射撃しているのかも分からない百花繚乱の不規則弾幕が、混戦状態の戦場の様に飛び交っていく。

 

 

 

 

 春先には、鈴蘭が辺り一面咲き誇ると噂の無名の丘。

 人形の少女が、前触れも無く凶暴化した妖怪の魔の手から必死に逃げ回っていた。

 

「はわわ、はわわわーっ!? 皆ちょっと落ち着いて、ね!? 先ずは暴力じゃなくて言葉で話し合いましょーっ!?」

 

 唐突な襲撃でパニックに陥っていたメディスンは、前方の石に気付かず派手に転んでしまう。

 土埃を舞わせながらも、なんとか減速するメディスン。しかし起き上った時には、眼前に妖怪の鋭い爪が迫っていて、

 

「あ」

 

 ひゅっ、と無情な風切り音がして。

 ()()()()()()()()()()()()、サッカーボールの如く吹っ飛んだ。

 

 転んだメディスンよりも何倍も強烈なバウンドを繰り返しながら彼方へ横転していく妖怪を呆然と眺めつつ、メディスンは自分が誰かに助けられたことをハッと理解する。

 同時に安堵が荒野に芽吹いた苗の様に伸びてきて、それを咲かせんばかりに笑顔を浮かべながら、救いの恩人へお礼を言おうと振り返った。

 

「あ、ありがとうございま」

 

 ――まず、赤いチェックのスカートで覆われた足が見えた。

 なぞる様に見上げれば、緑髪紅眼の麗人と眼が合って。

 新緑の癖っ毛を靡かせながら、冬季の真ん中にも拘らず夏を彷彿させる傘を片手に微笑む絶世の美少女を、メディスン・メランコリーはしっかりと認識した。

 名を風見幽香。幻想郷ではその存在を知らぬ者はいない、極悪最強と名高い大妖怪である。

 どれくらい凄いかと言えば、メディスンがやけくそになって戦ってもデコピン一発で泣かされるくらいは凄い。と思っている。

 

 あれ? ひょっとして助かって無いかも。メディスンはメランコリーな気分になった。

 

「あの吸血鬼、またオイタをしたのかしら」

 

 誰に対してでもなく呟かれる、地獄の釜湯よりも煮えたぎった怒りの声。

 その圧倒的な気迫は、既に正気を失っている筈の魑魅魍魎を、無意識のうちに後退させていく程で。

 無論、足元のメディスンは半泣きだった。

 

「恨むなら貴方たちをそんな風にした元凶を恨みなさいな。そこまで面倒見れるほど、私は優しくなんて無いからね」

 

 

 妖怪の山、その麓にて。射命丸文と姫海棠はたては、仕事の休みが重なっていたのだろうか。珍しく二人で和気藹々と遊んでいた。

 いや、仲良く喧嘩中(あそんでいる)と言った方が正しいだろうか。

 

「ふはーはー! やっぱり撮影技術に関してはこの射命丸文に軍配が上がるようですねぇっ! 見なさいこの山の美しい雪景色を切り取った至高の一枚を! 念写に頼ってばかりの情弱隠者(ハーミット)には決して真似できない職人芸と言えませんかっ!? えーっ!?」

「う、うっぜええーっ!! でもそう言うアンタにゃこんな写真は撮れないでしょ!? そら、透き通るような清らかさに心洗われる冬の川の水中写真よ!! どう? 寒がり鴉がここまで光度と角度を調節しつつ水中を綺麗に撮れるかしら!? むぅーりぃーよぉーねぇーッ!! そもそも文のポンコツカメラじゃあ水の中に入った瞬間おじゃんになるのが関の山だしぃぃーーっ!?」

「むっきいいいいいい!! 私だって次のお給料入れば河童に防水加工して貰えますもん!!」

「文が防水加工されなきゃ意味ないっつーの!! あ、じゃあ私が河童特製耐水袋に詰めて差し上げましょうか? 文は重いしおっぱい無いからすぐ沈没して良い写真が撮れそうよねっ! おめでとう!」

「こ、こ、このクソ天狗……っ! 最近人が気にしてる体重と胸事情にまで触れやがったな……!? これはもう怒髪冠を衝いたって奴ですよ弾幕でぶっ飛ばしてやるから表出ろ!!」

「上等よけっちょんけちょんにしてくれるわァーッ!!」

「あ。スペルカードは四枚で良いですか!?」

「良いよ!」

 

 どうやら、どちらの撮影能力が上かで争っている様子である。割といつもの光景なので、何故か付き添わされてしまった白狼天狗の犬走椛も、別段仲裁に入るつもりは無い。血が上った二人の八つ当たりに巻き込まれ、椛まで額の血管が切れてしまうこと請け合いだからだ。

 しかし、今回ばかりは事情が異なった。

 

「お二人とも、ちょっとよろしいですか」

「止めないで椛! このどんぐり頭は乙女の尊厳と記者のプライドを踏みにじったんです! ここで決着を着けなければ腹の虫が収まらない!!」

「そうよ! 遂にこの山の煽り魔と雌雄を決する時が来たの! 邪魔しないで!」

「囲まれてます。どうもただ事ではなさそうですが、保留としておきますか?」

 

 その言葉で、ぎゃあぎゃあと騒いでいた二人はすぐに我へと返った。

 伊達に賢人と名高い鴉天狗ではない。椛の声色が示す迫真さから異常事態をすぐさま察知し、沸騰した脳漿を一気にクールダウンさせたのだ。

 

 三人の周囲を――いいや、それでころかこの渓流一帯を、山の同胞たちがまるで統率がバラバラな山賊の様に乱雑な輪で取り囲んでいた。

 目を餓えた獣の如く爛々と輝かせる彼らに理性の類は見当たらない。共に山で生活を営み、祭りで騒ぐ仲間たちが、まるで何者かに操られているかのような仕草で佇んでいるのである。

 

 瞬間。警告も予兆も予備動作も無く、紛れ込んでいた河童の一人が、超高水圧の水鉄砲で文の烏帽子を狙撃した。

 間一髪で風のガードを纏い、水の弾丸を跳ね除ける文。跳弾した弾は付近の地面を抉り飛ばし、その威力が状況が冗談では無いと三人へ教えてくれた。

 

「事情が全然読めないんだけど、ちょっとヤバそうな雰囲気じゃない……? どうしちゃったのよ皆、流石にジョークにしては質悪いわよ」

「むしろジョークなら大団円ですね。エマージェンシー……何かの異変でしょうか? 山の同朋が我々を攻撃するとは、撮影より前に上へ報告する必要がありそうだ」

「ならば、まずは包囲網を突破しましょう。事の詳細が掴めぬ以上、出来るだけ皆を傷付けないように――――っと、来ますよ! 構えてっ!」

 

 

 

「はっはっは、なんだお前ら、私に黙って随分面白そうなこと企んでるみたいじゃないか」

 

 浄土の蓮すら色褪せる繁華の街。地の底の京、旧都にて。

 とある居酒屋での出来事だった。

  

「てか本当、どういう状況なんだいこりゃ。何かの記念日だっけ? うーん、私も別に誕生日って訳じゃないしなぁ。あ、もしかしてこの前太助のとこの(ちん)逃がした犯人と思われてるのかね? 違うぞー。確かに鴆って食べたら美味いのかなとは思ったことあるけど、私は盗んだりしてないからな」

 

 一本角の四天王、星熊勇儀はカラコロと快活な笑みを零しながら独り言ちた。

 しかしそんな彼女は今、簀巻きの如く全身を強靭な糸でぐるぐる巻きにされ、さながら蜘蛛の巣に絡み取られた獲物の様に、店の大黒柱へ貼り付けられていた。

 周りを囲うは、歪んだ光を瞳へ宿す鬼の一行。どうやら、共に宴会していた最中に突然騒動が起こった様だ。

 

「ありゃ、こいつも違うのか。ならお前さんは心当たりあるかい? キスメ」

「ののの呑気に笑ってる場合じゃないでしょ勇儀!? 私達、三百六十度どこからどう見ても間違いなくヘヴィーでデンジャーな状況に巻き込まれてるって! いくらなんでも記念日のお祝いや尋問にしては過激すぎない!?」

「はは、違いない」

 

 勇儀と反対側へ逆さまに括りつけられているのは、鶴瓶落としのキスメである。彼女はぷるぷる体を震わせて、涙目になりながら勇儀の豪傑さを嗜めていた。

 

「うう、久しぶりに思い切ってみんなとお酒飲もうかなって、頑張って外れの家から出て来たのにっ。それなのに、なんで今日に限ってこうなっちゃうのようぅ……!」

 

 グスッ、と鼻を啜る音がした。どうやら引っ込み思案な性格なのか、勇気を振り絞って参加した宴会だったらしい。それで厄介事に巻き込まれたとなれば、運が悪かったとしか言いようが無いだろう。

 そんな彼女の不幸も憂鬱も、まとめて吹き飛ばさんばかりに豪鬼は笑った。

 

「なぁに、時にこんな荒事も乙なモンさね。近頃は平和過ぎてむしろ退屈だったくらいだ、偶には縛り上げられるのも悪くはない……が、せめて祭りの趣旨くらい聞かせちゃ貰えないかねぇ? ヤマメ、パルスィ」

 

 剣呑な鬼の視線の先に、二人の少女が立っていた。

 片や碧眼の鬼神。嫉妬の怨念を操る橋姫、水橋パルスィ。

 片や病魔の首魁。鬼に匹敵する怪力無双(つちぐも)、黒谷ヤマメ。

 

 両者とも、最近まったく姿を見かけなかった勇儀の友人である。

 散々地底を練り歩いて探したのに見つからず、なのにいきなり酒飲みの席へやって来たかと思えばあっと言う間に糸を繰り出し、勇儀とキスメを拘束してしまったのだ。おまけについ数分前まで盃を交わし語らい合っていた仲間たちが豹変してしまう始末。流石の勇儀もこれには苦笑い。

 

「しばらく顔を見せないと思ったら、まったく。悪戯は大いに結構だが、贅沢言うならせめて真正面から決闘吹っ掛けて欲しかったなぁ。二人いっぺんでも良かったのに。なんならここにいる全員まとめて掛かって来ても」

 

 瞬間、炸裂音。

 勇儀の頭上が、一人の鬼が撃った光弾で焼け焦げた音だった。

 笑顔が消える。

 牽制と敵意。二つの意思を汲み取った一角鬼は、薄く、薄く、白煙の息を吐き出した。

 

「――テメエ、何(モン)だ」

 

 天下の名刀、童子切安綱にすら匹敵する鋭い眼光を、ヤマメたちへ切り掛かる様に差し向ける。

 それは決して友人へと向ける眼差しではない。全く別の知らない誰か、それも勇儀が()()()()()()()()()に対して向けられる、軽蔑と嫌悪、怒髪の眼差しに他ならなかった。

 

 尋常のものならば失禁したのち卒倒にまで追い込まれかねない覇気を一身に受けながらも、当の二人は動じない。

 ただ、にちゃりと。少女らしからぬ粘々とした笑みを浮かべるのみだった。

 

 

「ちょいやーっ!!」

 

 甲高い掛け声。ついで、砲撃の如き爆発音が轟いた。

 地盤が揺れる。衝撃は波となって大地を襲う。木々が悲鳴を上げて泣き叫び、僅かに余っていた枯葉は全て雪の絨毯に吸い込まれた。

 けれど不思議な事に、強烈な地震が発生したにもかかわらず、周囲への被害はせいぜい葉っぱが落ちた程度で。

 よくよく見てみれば、地震もごく一部でしか起こっていない様だった。

 

「ったく。地上の俗物風情がこの私に挑もうなんて、千年早いってのよ」

 

 震源地に、華々しい衣装に身を包んだ少女が居た。

 晴天のような髪を持つ、黒いハットを被った乙女。名を比那名居天子と言う、天界に住まうれっきとした天人だ。読みは『てんし』であって『てんこ』ではない。

 

 フンッ、と強気に鼻を鳴らす。しかしその瞳は、どこか楽しそうに揺れていた。

 と言うのも、襲い掛かって来た魑魅魍魎の群れを能力を使ってバッタバッタと薙ぎ倒し、無双の勝鬨を上げていたところだったからだ。退屈な天界生活に常日頃から辟易している天子にとって、良い刺激にはなったのかもしれない。

 もっとも、操られている妖怪勢からすれば災難な話ではあるのだが。命があるだけ儲けものだろう。

 

「こんな所で何をされているのですか? 総領娘様」

「あら、衣玖。あんたも来てたの」

 

 遠目からでも一目で分かるほどボリューミーな羽衣を纏った少女が、天子の背後へ音も立てずに降り立った。

 彼女の名は永江衣玖。伝承に登場する天女をそのまま切り出した様な風貌をしているが、実は竜宮の使いと呼ばれるれっきとした妖怪だ。

 立場や種族的に考えると、天女は天子の方が該当するのだろう。しかし立ち振る舞いを見る限り、なんだか逆の様に思えてくる。

 

「いつも雲の中をふよふよして地震の時くらいしか姿を現さないアンタが、何でここにいるの?」

「今仰られた通りですよ。()()が来るから皆さんにお伝えしようと思って来たんです。その道中、総領娘様をお見かけしたので立ち寄ったのですわ」

「……もしかして、私?」

 

 やべっ、と天子は顔を引き攣らせた。何を隠そう天子はいわゆる()()()()なのである。博麗神社をぶっ壊して、さらに建て替えられた神社を後々利用しようと悪巧みをした結果、激怒した妖怪の賢者さんに思い出すのも憚られるようなお仕置きをされてしまった過去を持つ。

 故に、また騒動を――それも災害クラスの被害を起こした張本人だと扱われてしまえば、もっともっとキツい折檻をされるかもしれないと想像してしまったのだ。

 

「いえ、違います。もっと悪いものです」

 

 ぶるぶる震え出した天子に反し、衣玖の答えはノーだった。思わず安堵し、天子は胸を撫で下ろす。

 ……ん? じゃあ私は普段ふつーの悪いものとして扱われてるってこと? そんな疑問符を頭上に浮かべた天子だが、まぁいいやと直ぐに頭から掻き消した。

 

「この気質が混じりに混じった変な奴らが関わってる感じ?」

「左様です。……なにやら、彼方から良くない空気を感じるのです。それが、彼らを昂らせている元凶かと」

 

 天子の持つ宝剣、緋想の剣は気質を見極める特性を持つ。また、衣玖は種族の役割と能力もあってか、流れや空気を読む力を持っている。

 故に彼女たちは、事の異常とその震源をなんとなくながら察知していた。

 同時に、地上の案件だからと言って放って良い問題ではないとも。

 

「ま、退屈しのぎには丁度いいわ」

 

 今もぞろぞろと、周囲から活発化した魑魅魍魎たちが集まってきている。

 天子は、それを愉快そうに受け入れた。

 悪事を察知したとは言ったものの、比那名居天子は細かな事情などどうでも良いのである。彼女にとって重要なのは、自分が退屈であるか否か。それだけだ。

 故に、恰好の暇つぶしにありついた天子は、にひっ、と百万ワットの笑顔を浮かべた。

 

「ほんじゃまぁ、一丁派手に暴れさせてもらうわよっ!」

 

 緋想の剣が焔の如く輝きを増し。

 次の瞬間、天人少女は疾風迅雷の天災と化した。

 

 

『早苗、人里の方は大丈夫そうかい?』

「はい、今のところ侵攻の様子はありません」

 

 人間の里、その上空にて。守矢神社の風祝は、念話で二柱と話し合いながら周囲を見守っていた。

 原因は言わずもがな、幻想郷で同時多発的に発生した騒乱だ。守矢神社が位置する妖怪の山でも事件は起きており、事の詳細を察知したらしい二柱が早苗を人里へ向かわせたのである。

 始めは人里でも同じような騒動が起こっていると思っていた。その場合は、諏訪子と加奈子の力を振るうことも厭わない覚悟でいた。

 しかし、予想は大きく裏切られる。

 里の周辺では、確かにそこかしこから騒ぎは聞こえている。しかし里の中では何一つ、蟻の喧嘩すら起こっていないのだ。

 

「不気味に静かです。里の内部は本当に平和が乱れる気配を見せません。私が見張る必要も無いんじゃないかってくらいに」

『……うーん。どうも妖精や下級妖怪が強い力に当てられて興奮してるってわけじゃなさそうだね。乱れる狂気に理性ある悪意を感じるよ』

『確かに、普通なら妖精の一匹や二匹が入ってきてもおかしくないのにね。きな臭い。前のミイラ事件と似た、嫌~な雰囲気だ』

 

 一見無秩序な力の流動に見えて、どこか統率された動きを感じる矛盾した動乱の様子は、人為的に引き起こされたモノで間違いないと、二柱に確信をもたらした。

 

『早苗、龍神様の像の眼は?』

「はい、赤いです。真っ赤っか。これは異変で間違いないかと」

 

 里の一ヵ所に、幻想郷の最高神である龍神を祀る像がある。この像は不思議な機能を持ち、眼の色によって、幻想郷へ起こる出来事を予知する事があるのだ。例えば、眼が青くなるとそれは雨の前触れだと言われている。

 そして赤は予測不能の事態――すなわち、異変の到来を告げているのだ。

 

「早苗さん!」

 

 下方から女性の声が聞こえた。応じるように下へと視線を向ければ、里のワーハクタクの姿が。

 彼女は両手でメガホンを作り、遥か上の早苗に向って必死に声を張り上げる。

 

「周辺の状況はどうですかーっ!」

「問題ありませーん! 少なくとも、里は安全みたいですー!」

 

 急いで降下しながら早苗も返答する。上白沢慧音の返事が来るより早く、早苗は地に足を着けて、

 

「そちらの方はどうでしたか?」

「特に問題は……やはり妙ですね、周辺一帯からはこんなにビリビリとした空気を感じるのに、里で何もないだなんて。かえって気味悪くすら思えてくる」

 

 まるで四年前のあの夜の様だ――慧音は早苗に聞こえない程度の声量で呟いた。

 

『取り敢えず、早苗はそこで待機してて。もし妖怪が暴れ出したらとっちめておやり』

「分かりました」

 

 念話を終え、早苗は幣を下ろしながら、暗くなった空を見上げる。

 気持ちの悪い気配が漂っているのに、今夜は満天の星空だ。澄んだ冬の空気が、一層星々の輝きを引き立てているのだろう。

 守矢の風祝は、冷たくなった手に息を吐きかけながら、星の川をなぞっていくように、ある方角へと視界を移していく。

 薄っすらと見える、赤い鳥居が立つ神社へと。

 

「霊夢さん、この異常事態に動いているのかしら……?」

 

 

「…………」

 

 胸騒ぎがする。

 寝間着へ着替え、さぁいざ床へ就くぞーと言わんばかりの頃だった。博麗霊夢は強烈な悪寒に身を駆られ、自分へ覆い被さっていた布団を蹴り飛ばすと、服が乱れるのも構わず脱兎のごとく母屋を飛び出した。 

 裸足が雪の絨毯を踏みしめる。刺すような冷感が足の裏を襲うが、今はそれどころではなかった。そんな物がどうでもいいと思えるくらい、博麗の直感が警鐘を打ち鳴らしていたのである。

 博麗神社は幻想郷を一望できる位置に存在する。霊夢はその景観を頼りに、胸で暴れるブザー音の正体を探るべく、必死になって眼を動かし続けた。

 

 ところどころで、夜の闇を食い破る光の群れが見えた。弾幕ごっこの光弾に酷似しているが、規則性がまるでなく、そもそも美しさを感じない。弾幕戦のスペルカードを使っているのなら、遠目から見ても綺麗だと刷り込まれる美麗さを感じる筈なのだ。

 しかもそれが、一ヵ所ではなくありとあらゆる場所で吹き上がっているときた。

 最早考えを深めるまでもない。異変である。

 

「……ったく、どこのどいつよ! こんな時間にバカ騒ぎを起こしてるド阿呆どもはッ!!」

 

 間髪入れずに母屋へ戻り、衣装を投げるように脱ぎ捨てた。

 枕元へたたんでいた正装を引っ掴むと手慣れた様子で袖を通し、あっという間にいつもの博麗霊夢が出来上がる。

 締めにキュッとリボンを結び、お祓い棒を鞭のように振るって調子を試す。

 一寸前の呑気な少女の面影はなく、幻想郷きっての異変解決の専門家、博麗の巫女が顕現した。

 

「さて、どこへ行ったもんかしら」

 

 悩んだ霊夢は徐にお祓い棒を床へ立たせると、軽く指で弾いて押し倒した。

 ぽすん、と。棒が倒れて雪を凹ませた方角へ霊夢の首が動く。

 

「あっちは紅魔館か。……またレミリアじゃないでしょうね」

 

 相変わらず行き当たりばったりな道標を頼りに霊夢は飛んだ。別段確証なんてものはない。ただ、彼女の勘と霊夢を取り巻く運命が、そちらへ行けと導くのだ。

 だから霊夢はそれに従った。逆らうことなく、流れる空気に身を任せる雲のように、示された道を突き進むことを選んだのだ。

 

 

 一向に止む気配の無い胸騒ぎが、どうか気のせいでありますようにと祈りながら。

 

 


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