25.「木枯らしと共に」
「ふぃ~、つッッッかれたぁぁぁ……」
紙の声がペラペラと聞こえるだけの、紅魔館地下図書館。そんな静謐の空間にて、疲労をこれでもかと盛り付けた呻きが染み渡った。
まるで大変な力仕事を終えた大工が風呂場で漏らす様な声を漏らした張本人、レミリア・スカーレットに対し、その妹君であるフランドールは分厚いハードカバーの世界から顔を上げ、どこか呆れた様な視線を寄越す。
「どうしたのお姉様。そんな急に場末のおっさんみたいな声出して」
「あー、いや、ちょっとねぇ。これを作るのに魔力を注ぎ込み過ぎたのよ」
明らかに力の抜けた声を絞り出しながら、レミリアはくたくたになった指でテーブルの一ヵ所を指し示す。
そこには、妙に力を漲らせた蝙蝠が。
「なにこれ。お姉様のプラモ?」
「流石にこんなケモケモしてないわ。これはアレよ。おじ様追跡用の使い魔を弄ってたのよ」
「…………うわぁ」
「いや待って、何で生ごみに集る油虫を見る様な目を私に向けるの? 言っておくけどストーキング的な意味で使う訳じゃないから!」
妹から氷河期の永久氷塊よりも冷え切った眼を向けられた姉は激しく手を振りながら弁解する。幾ら何でもそこまで心酔はしていない。レミリアの親愛度を測るならば、あくまで親戚のおじさん程度である。
ならば何故追跡用の
レミリアは咳払いをしながら、人差し指を立てつつ妹と向き合った。
「フラン。おじ様が地底へ追放されるって話は聞いたわよね?」
「うん……」
表情が曇る。フランドールとしては、何故あの完全無欠にして絶対無敵ともいえる吸血鬼が罠にかけられた挙句、地底へ追いやられなければならなかったのかが甚だ理解し難いらしい。
フランドールは吸血鬼にしては非常に穏やかな性分の持ち主である。紅魔館の住人を誰よりも大切に思う彼女にとって、小悪魔とナハトが誰かに踏みにじられたという事実は、握り拳から血が滲んでしまいそうになるくらい屈辱的なものだった。
それを理解しつつ、姉は手を叩き乾いた音を鳴らして諫める。ここで血を昇らせては、話になるものもならない。
「はい、暗い顔にならない。私が振っといてなんだけど、一先ずおじ様の問題は横へ置いておきましょう」
「ん」
「でよ、フラン。昔の記憶をちょっと掘り起こしてみて頂戴? 具体的にはおじ様が単身外出した時の事を、全部」
「それがどうかしたの?」
「如何なる理由であれ、今までおじ様が一人家を出て、何も起きなかった事なんてあった?」
「……あー」
聡明なフランドールは理解した。姉が何故、目の前の蝙蝠一匹に疲弊を表す程の魔力を注ぎ込んでいたのかを理解した。
ナハトは先日の件を含めると、過去に三度紅魔館から外出している。そしてその全てにおいて、彼は大きな問題の渦中に巻き込まれていた。否、引き起こす火種になっていたと言った方が正しいかもしれない。
とにかく、彼は何かしら騒動を引き起こす性質がある。それも些細なものではなく、全てが一大事件と謳える様な大騒ぎだ。しかしレミリアやフランも含めて、今まで起こった事件の詳細を知る者は数少ない。例外的に妖怪の山の件では美鈴が付き添ったが、やはり口伝では知れる情報には限度がある。そこでレミリアは、先日の小悪魔事件を省みて、自らの
要約するとつまり、災厄的トラブル製造おじさんの監視である。
「なるほどね。確かに私も昔から気になってたなぁ。何でおじさまって行く先々で大問題を起こして帰ってくるのかが。いえ、原因は分かり切ってるんだけど、経緯がね」
「大体はあの威圧感のせいなのでしょうけれど、流石に今回ばかりは別の要因が絡んでるとみて間違いないからね。あの山での一件だってそう。でも私たちはその一部始終を見ていなかった。だからおじ様に何があったのかが分からないし、あの小悪魔の事件を引き起こした
「そこで今度は私たちの
吸血鬼の持つ固有能力に、体の一部を蝙蝠化させて使い魔とする力がある。彼らは普段、本体から魔力を供給されるため活動停止に陥る事はまずないが、それはあくまで本体が近くに居る場合のみに限られる。本体から離れれば離れるほど魔力の消耗は激しさを増し、加えて本体からの供給量も落ちてしまうのだ。であれば当然、活動能力は着々と鈍っていき、いずれ魔力切れを起こして消滅へと至ってしまう。
ならば逆に、予め魔力を沢山注いでおけばどうだろうか? それも幼いとはいえ、元々種族からして莫大な魔力を保有している吸血鬼が、疲労困憊になってしまうほどのありったけの魔力を。
事情を把握したフランドールは『なら私も魔力注ぐ!』 と冬服の長袖を捲り上げながら息を巻いた。
暫くして、へとへとになったフランドールは糸の切れたマリオネットのように机へ突っ伏した。顔が思い切り机と激突して鈍い音が図書館へ響いたが、別段苦悶の声は無い。あるのはやり遂げた感満載のサムズアップと、二人の吸血鬼に猛烈なドーピングを施されたせいで、若干ハイになりながらナハトを追いかける蝙蝠の後姿だった。
◆
つい先日まで秋だったかと思えば、もう冬の色に染まりかけている幻想郷。
まだ完全とは言い難いものの、ここ最近気温は明らかな下り坂を見せていた。息ははっきりとした白を纏い始め、色彩を失った枯葉を引き連れた木枯らしが足元を寒々しく撫でに来るほどである。過ごした時間はどうあれ私が幻想郷の冬を体験するのは初めてなので、いつもこの時期から始まるのかどうかは知らないのだが、そんな私でも近い内に雪の到来を予感してしまうほどだ。
そんな中、私は地底へ繋がる底の見えない縦穴を一直線に下っていた。
この先に広がっているのは旧地獄。いわば廃棄された地獄の跡地だ。なんでも映姫の所属する地獄は大昔にスリム化を狙って一部の土地を切り離したらしく、現在そこには地上に住めない――つまり一癖も二癖もある古来からの妖怪たちが住み着いており、地上とはまるで違う、完全に力がものを言う世界になっている……とは紫の弁だ。
しかしどうにも妖怪の影は見えない。早くも数百メートル近く下っている筈なのだが、岩肌に住む化生の類を一人も見かけないのだ。こんな薄暗くじめじめとした環境を好む妖怪の一匹や二匹、居てもおかしくない筈なのだが、単に私の思い過ごしなのだろうか。
「む」
と、言ってる傍から体が何かに引っかかった。弾性を持つその障害物はゴム糸のように私を勢いよく引き戻し、暗闇の中で宙ぶらりんにされてしまう。
よく見れば、腕に粘着性を持ったきめの細かい糸が絡み付いていた。性質は蜘蛛の糸とよく似ている。微弱な妖気を感じることから妖怪のもので間違いないだろう。旅の始まりから巨大な蜘蛛の巣にかかるとは、何とも間抜けな有様である。
「……むう。家主は留守か。では悪いが、斬らせてもらおう」
暫く静止してはいたものの、不思議な事に巣の主が一向に姿を現さなかった。なので糸を魔剣で切断し、そのまま降下を再開することにした。もし巣の主が言葉の通じる妖怪だったのならば地霊殿への行き方を訊ねたかったのだが、残念である。
ふと。また漸く降下していると、視界の奥から光が差し込んでくるのが見えて。
それを感じた時には、既に我が身は地底空間へと足を踏み入れていた。あの縦穴も相応に広かったとはいえ、その穴が一つの毛穴程度かと思えてしまうほど、広大な地下空間が姿を現したのである。
恐らく地底世界の外れなのだろう現在地からは果てを覗くことすら叶わず、ここは最早別の次元に存在しているのではないかと錯覚するほどの領域を誇っている。奥には数多の灯篭が爛々と輝く町が広がっており、話に聞く『旧都』の存在を認識させてくれた。
映姫は確か、地霊殿は旧都の中心に建っていると言っていたな。ならばあそこを目指せばいいのだろう。流石に私が空を突っ切って行けば警戒されること請け合いなので、ここからは徒歩で向かおう。門番か何かが居れば事情を説明して通してもらう事にすればいい。映姫の伝達が行き渡っているのであれば、そこまで揉め事は起こらない筈だ。
地へ足を下ろした私は、旧都のある陸へ続く橋に差し掛かった。精巧に設計された木材が織り成す、純和製の橋である。
カン、カン、カン、と子気味の良い靴音の独奏に耳を傾けつつ橋を渡り、ただひたすらに旧都を目指して歩き続けた。
しかし、以前紫から耳にしていたほど人気に溢れた場所ではない様だ。暗く冷たい環境は実に
閑散とした空気を訝しみながらも、私は旧都の入り口らしき場所へと辿り着いた。
石造りの立派な門がそびえ立っており、私を無言で出迎えた。外観から門であると察する事は容易なのだが、その巨大さ、壮大さは最早城の領域である。これを他に例えるなら、アレが相応しいだろう。極東の
さておき、こんな壮大な門が在るのであれば関守がどこかに居てもおかしくはない。苔一つ生えないほどに清掃管理されていて、かつ扉が閉まっているのに無人と言う訳は無いだろう。おそらく美鈴の様な門番が――――
「おっと」
やはり居た。正面に二人と、見晴らし台からこちらを見つけ、警告を知らせる鐘らしきものを鳴らそうと慌てふためいている妖怪が。
だがこのまま鐘を鳴らされればまた厄介な事になりかねない。なので警鐘を鳴らされる直前に気付かれぬよう極細の魔力針を放ち、鐘を侵食。組成を作り変え、音を発しないガラクタへと作り変えた。
別に映姫の助言を無視している訳では無い。むしろその逆である。ここで騒ぎを立てれば、いつもと同じような顛末を迎えるのは自明の理だから先手を取ったのだ。後は無抵抗を示しつつ正門の番人と接触し、地底代表の古明地さとりから私に関する伝令を受けていないかを質問すればいい。受けていないのであれば退散して再び機会を伺えば良いし、受けていれば招き入れて貰えるだろう。毎度ながらこの瘴気さえ無ければこんな面倒を掛けずに済むのだが、もう今更と言ったところか。
両手を上げてホールドアップの姿勢を取る。そのままゆっくり歩きながら、遠方から声を張って門番に事情を説明する事にした。
「旧都の門番よ、冷静に話を聞いてくれ。私の名はナハト。地上から追放された一妖怪だ。決して敵意ある者では無いよ」
流石に近づきすぎるとまた警戒されてしまうので、一先ず距離を取った状態で静止する。
再び、言葉を投げる。
「古明地さとりから『ナハト』に関する情報を聞き及んだ者はいないかね? もし居るのであれば、私が新しく地霊殿へ招かれた者だと分かって貰えるはずだ。居なければ潔くこの場を去ろう。繰り返すが、私は決して仇なす者では無い」
もし全く情報が行き渡っていなければいつも通り非常にマズい状況へ転がり込んでしまうのだろうが、今回ばかりは話が違う。私の影響性を深く理解しているあの閻魔様が仲介を担ってくれたのだ。友人と遊ぶ約束を取り付ける様なちょっとした伝言程度である筈がなく、予測通り門番たちは私に関する情報を持っていたのか、何処か合点を得た反応を示してくれた。
ジェスチャーを交えながら『そこで待て』と私へ告げ、門番たちは町の中へと消えていく。
暫くして、彼らは一人の女性を連れて戻って来た。と言う事は、あの少女が町の代表なのだろうか。
「おーい、こっちへ来な!」
太鼓の様に力強く、張りのある少女の声が私を呼んだ。応じて、私は声の元へと静かに向かう。
門前で私を出迎えたのは、星の模様が入った赤い一本角が特徴的な鬼の少女だった。着崩された和装は花魁のそれを彷彿とさせるが、艶やかな立ち姿に反して眼つきは凛とした鋭さを帯びており、腰まで伸びる黄金の頭髪も、金糸と言うよりは獅子の鬣の様な雄々しい印象を受ける。
妖艶で剛健な印象と言い、鬼らしき容貌と言い、どことなく萃香と似た雰囲気があるのだが、その関係性や如何に。
「話はさとりから聞いてるよ。あんた、上を追い出された夜の鬼なんだって?」
怖気もせず、敵意も出さず、軽快さを含んだ声色で少女は問う。いかにも、と私が返事を返せば、少女は二カッと歯を覗かせて、長袖から覗く細腕をこちらへ伸ばした。
「星熊勇儀だ。別に肩書があるって訳じゃないが
「私はナハト。聞いての通り、地上を追いやられた哀れな吸血鬼だよ。こちらこそよろしく」
にこやかに握手を交わせば、『あー……なるほど。萃香の言ってた通りだ』と呟かれた。推測通り、やはり萃香とは既知の仲だったらしい。
「なにか萃香から聞いていたのかい?」
「まあね。確かお前さん、萃香とちょっと前に殴り合ったんだろう? 以前飲みの席で話を聞いてね。その時萃香が『尋常じゃない雰囲気に見合って恐ろしく強いヤツだけど、気色悪い程に礼儀正しい怪物』とあんたを評してたもんで、それを実感しただけさ」
うむ、萃香らしい手加減抜きのストレートな人物評価である。考えてみれば力の強い神魔の類は傲慢不遜かつ尊大な性格をした者が大多数を占めているので、力と人格が釣り合っていない私は極めて異色かつ不気味に映るのかもしれない。成程、快活な性格をした萃香や彼女が渋い顔をする訳である。恐らく私の性格は鬼と根本的に相容れないものなのだろう。だがしかし今からこの性格を変えるなど不可能に近いので、相性の問題として受け入れる他ない。無念。
「しかし惜しいね。
「承知した。では道案内をよろしく頼むよ」
「おう。任せな」
門の内へ招かれ、石床が果てしなく続く都町へと足を踏み入れた。
予想した通り、町風景は京とよく似ている。しかし幾らか近代的な様で、橙に輝く灯篭の他にも、酒場や屋台に住人の住処の行燈が、暗い地の底のイメージを拭い去るほど明るく照らしていた。建築様式も千年前と比べればかなり発達した方式を採用している様で、古き良き雰囲気を保ちつつ繁栄の香りを感じさせるその光景は、旧地獄という前身からは想像も出来ない活気に満ちあふれている。
カランコロン、と少し前を歩く勇儀の下駄が鳴る。それもまた風流を誘う。
「ところで、君は闘えないと言ったが何か事情でもあるのかね? いや、別に一戦交えたい訳では無いのだが」
「あー……それはね、ちょっと前にここへ来た閻魔様と約束しちまったからなんさ。近々ここへ来るだろう吸血鬼と会った時は決して戦わず、地霊殿への道案内に徹するって忌々しい約束をね。こんな事情が有りでもしなきゃあ、お前さんを見た
「そうだな、だからこそ不自然に思ったのさ」
「あっははは、よく分かってるじゃんか! しかし不自然繋がりで言えば、お前さんも相当違和感のある存在に見えるけど? これでもそれなりに長生きしてるが、視界に入れただけで鳥肌が立つ様な覇気の持ち主だってのに、ここまで冷静沈着なヤツは見た事が無いねぇ。しかも
……ふむ。一瞬萃香の様な、流砂の如くサラサラとした悪意なき罵倒を吐かれたのかと思ったが、少しばかり引っ掛かる部分のあるセリフだ。
よくよく考えてみれば、彼女の言う通り『男』で『長寿』な妖怪は、今では非常に珍しい存在になっている。何故かと聞かれれば、それは女型との性格や生存能力の差のせいによるものだろう。
男型の妖怪は基本、人間と同じく大雑把な性格の者が多数派を占める。そこに妖怪基本法則の一つである『年齢=強大さ』の事実を鑑みると、雑な性格に力を手にしたが故の傲慢さが加算され、重ねに重ねた油絵の様に癖が色濃くなっていくのである。スカーレット卿がまさに典型的な例と言えるのではなかろうか。
これが年齢を重ねた男型妖怪の珍しさと何の関係があるのか? 答えは至ってシンプルだ。今述べたように、この性格が生存能力に大きく差を開けるのである。
男型の妖怪は女型と比べても尊大かつ不遜だ。おまけにプライドも相応に高く、酷く高飛車な者が多い。すると必然的に人間へ行う悪事は過激化していき、加えて彼らは『矮小な人間なんぞに負ける筈がない』と潜在意識から信じ込むようになっていく。これが慢心と油断、そして人間の討伐対象となるシチュエーションを自ら産み出してしまい、結果、数と技術の化け物たる人間にあっけなく討ち取られてしまうのである。なんともマヌケだと思うだろうが、事実そのせいで彼らはめっきり姿を消した。どんな生き物であれ、ある程度のしたたかさとプライドを捨てる柔軟さを持たなければ、自然淘汰の波からは決して逃れる事は出来ないのだ。
これらの背景を踏まえると、なるほど、私が皆から過剰に不気味がられる原因の一つがまた解明された気がしてきた。瘴気だけでなく、性別と性格にも問題があったのだ。レミリアの様に女性妖怪ですら相応にプライド高いのに、更に一回りも二回りも傲慢な筈の男型が物腰柔らかでは、違和感も強まると言うものである。
……ん? となると、つまりアレか。傍目から見れば性格も性別も雰囲気も能力も全てにおいて不気味かつ理解不能で不信感満載なこの私は、存在そのものが友達作りに適していないと言う事が証明されたも同然ではないのか?
うむ。改めて辛い現実を突きつけられたせいか、なんだか猛烈に死にたくなってきたぞ。
新しい心の傷を自動的に刻みながらも私は勇儀と談笑を交えつつ、旧都の中心部へ辿り着いた。
即ち、目的地たる地霊殿である。勇儀が指を指して『アレさね』と言ったので間違い無い。
徐々に近づいて来る地霊殿の外観は、今しがた通り過ぎた和風街道とは真逆の道をいく西洋風の館であった。しかも、まるで町から隔離されているかの様に少しばかりの平地を挟んで建っているので、その違和感は一層浮き彫りとなっている。しかし、紅蓮一色でまさに悪魔的本拠地な雰囲気を醸し出す紅魔館とはまるで違う、正統派な洋館のその姿は、幻想郷に来てさほど長居をしていない身であるにもかかわらず、どこか懐かしさを感じずにはいられなかった。やはり私の故郷は西の大陸であるらしい。
「おーい、例の奴を連れてきたよ。入っていいかい?」
やっとこさ到着するやいなや、勇儀は門に向かって徐に語り掛けた。紅魔館の様に門番が居るのかと思っていたのだが姿が見えないので、彼女が誰に話しかけているのかと首を捻っていると、視界の端で影が動いている事に気付き、眼をやった。
門の上に、鳥が居た。ただの鳥では無い。人間の子供程度なら余裕で攫ってしまいそうな大型の猛禽類である。確か、扇鷲だっただろうか。
どうやら、勇儀が話しかけていたのは彼(?)らしい。番鳥は私と勇儀へ刃物の如く鋭い眼光で一瞥すると、けたたましい鳴き声を上げながら館の方へ去っていってしまった。怖がられたのだろうか。
「入っていいみたいだね」
いいのか。
「それじゃあ私の役目はここで終わりだ。さとりの私室は館の二階、東棟の最奥にある。結構分かり易いからすぐ見つかるよ」
「勝手に入っても構わんのかね?」
「はは、とことん礼儀正しいなぁ。妖怪同士でそんなの気にする奴なんてお前さんくらいだぜ。普通は火車が迎えに来るんだけど、この様子だと別の仕事で外れてるみたいだし入っていいよ。大丈夫、館の連中はお前さんが来ること知ってるし、あの鳥公が知らせてくれるだろ」
「ふむ、そうか。何から何まで恩に着る。とても助かった」
「礼なら今度拳で返してくれれば十分さね」
「では、パンチの利いた酒でも持っていこう」
鬼の活気ある笑い声が響く。私は別れ際に、彼女へ一つ質問を投げる事にした。
「ところで、君は旧都の代表格と言っていたね。地底では顔は広いのかい?」
「あん? あー、まぁそうだねぇ。少なくとも旧都で私の顔を知らない奴はいないだろうよ。それがどうかした?」
「最後に一つ、訊ねておきたい事があるんだ。この地底で、怨霊への干渉術に長けた西洋出身の者はいないかね?」
――――そう。私は別に、呑気を抱えて地霊殿へ引っ越して来た訳では無い。それはあくまで紫の作戦上仕方なく演出している行動に過ぎず、目的はあくまで地底に身を潜めているかもしれない黒幕の捜索である。
しかし地の利も無ければこの地に住まう者達と面識も何も無い私は、地底世界に対する情報が圧倒的に欠如している。なのでまず初めに、この世界と馴染み深い者から情報を得る必要があった。勇儀はまさにその適役だ。鬼故に嘘は吐かず、しかも映姫の根回しもあって敵対していない中立な立ち位置にある彼女は、この右も左も解らない旧地獄におけるキーパーソンと言っても過言ではない。故に私は、旧都の立地、全体構造、人口、町の中心的種族、魔法や術に関する異能分野の文化、私が幻想入りを果たした時期から今まで起こった旧都での出来事などなどなど、彼女から談笑と共に情報を出来うる限り搾り取ったのだ。
そして締めがこの質問である。私や紫が思い浮かべる、犯人の全体像だ。これに該当する者がいるならば、先ず第一容疑者として把握する事が出来る。後は外堀から証拠を埋めていけばいい。
彼女は暫し首を捻った後、頬を掻きながら言った。
「うーん、思い当たんないねぇ。大和の地獄跡地にあたるここじゃあ当たり前の事だけど、西出身の奴は本当に少ないんだ。加えて怨霊との交渉に長けてる奴となれば、すまんが全く心当たりがない。大和以外の出身で良いなら、大陸由来に一応いるにはいるんだけどねぇ」
「ほう。念のため伺っても?」
「こう、後ろに二つ輪っかを作ってる青髪の仙人さ。名前は確か、えーっと……にゃんにゃん?」
……それは、果たして名前なのか?
まぁ、大陸出身や仙人というワードから察するにあちらの民間信仰における尊称、
「……ああっ、思い出した。青娥だよ青娥。あいつは青娥娘々と名乗っていたね。そいつ以外に海外出身の怨霊使いに長けた奴は居ないよ。なんだい、探し人かい?」
「そんな所さ。答えてくれてありがとう」
ふむ。会心の一手とは行かなかったが、一応のところのターゲットは絞れたか。西洋出身でないならば可能性は低いだろうが、あとで念のため当たってみるとしよう。それに西出身が非常に少ないと知れただけ収穫である。
勇儀から青娥娘々をよく見かける場所と残りの西出身者に関する情報を聞き出し、私は勇儀に再度礼を告げてその場を立ち去ろうと踵を返した。
しかしその時勇儀が私の背へ声を投げたため、直ぐに私の進行は阻まれてしまう。
「なぁ。私からも質問、いいかい?」
「もちろん。構わないとも」
「……旧都へ来る途中、縦穴と橋を通って来ただろう?」
「ああ」
「道中、お団子髪の土蜘蛛とか、緑の眼をした橋姫とか見なかった? 二人とも金髪で、背丈はこんくらいだ」
手で大まかな身長を現しつつ、勇儀は言う。対して私は肩を竦める事しか出来ない。土蜘蛛も橋姫も伝承に名を載せる著名な妖怪たちだが、地底に来てからは一度も遭遇していないのだ。
「残念だが、心当たりはないな。縦穴には巨大な蜘蛛の巣があったが主は居なかったし、橋にも人影は見当たらなかった」
勇儀は『そうかい』と呟くと、少し残念そうな面持ちのまま去って行った。察するにその二人は友人か何かで、しばらく姿を見ていないのだろう。
それにしても、友人か。私が幻想入りを果たした頃から――否、もはや数えるのも億劫になるほど大昔から求め続けている大業であるが、この地底での生活においてそれを求められないのが残念でならない。
何故なら、今の私は他人を疑うべき立ち位置にあるからだ。
黒幕の性格は、小悪魔の一件で非常に狡猾かつ冷酷無比であると分かっている。加えて高度な技術を悪意で加工し、計画の下に振るう知性を持つ。そんな人物は、基本的に異常な執念と警戒心を兼ね備えている場合が多い。事実、あの紫すら手古摺らせるほどの猛者なのだ。仮に私が友人をここで得たとして、その信頼が曇りガラスとなって黒幕から視点を逸らせてしまった、なんてことが万が一にでも起これば話にならない。故に、私は四季映姫のサポートによって先見の嫌悪を幾許か拭い去れているこの状況下でも、友人を得ようと行動するのは自重しなければならないのだ。
まぁ、今私の置かれている状況が『そんな事をしている場合ではない』と言うのは十二分にも理解している。そもそも映姫の影響があるからと言って友人が出来ると決まった訳でも無いのだから、そこまで重視する必要は無いのだが……やはり灰塵に等しいレベルで惜しいと感じてしまうものなのだ。それを取り払う為に、こうして正論と言い訳を混じり合わせ、自分へ言い聞かせているのである。
私は最後の溜息を吐き出しながら、勇儀に教えられたさとりの私室へと移動を開始した。
「……?」
……はて。気のせいだろうか。
一瞬。なにやら視線を感じた気がしたのだが。