【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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24.「死灰はまた燃ゆ、不滅の如く」

 古風な魔法使いの少女、霧雨魔理沙は緩やかに飛行速度を落としつつ、一部薙ぎ倒された木々が散らばる森の中へ降りていった。

 細枝を潜り抜ける際にスカートが裂かれないよう注意しながら、枝の要塞をどうにか潜り抜ける事に成功する。地に足が着きそうな高度まで降下すると、魔理沙は箒を跨いで地面へと降りた。ザクッと積み重なった落ち葉のクッション音が静寂の森に反響して、驚いた昆虫たちは木の葉の影へと身を隠していく。

 ザクザクと、魔理沙はそのまま歩を進めた。足取りに戸惑いは無く、ただ一直線に、目指すべき場所へと彼女は移動していく。

 

 ()()が落ちたらしき爆心地まで辿り着くと、魔理沙は周囲の景色を一望した。

 一ヵ所だけ深く地面が抉れており、そこを中心として周囲の草木が破壊されている。突然放たれた極大のレーザーに吹っ飛ばされ、墜落した吸血鬼の着弾痕だ。

 しかしどこを眺めても、吸血鬼の姿は見つからない。穴の中には既に邪悪なヴァンパイアの姿はなく、あるのはどす黒い液体が、穴の外へ点々と続く道筋のみだ。

 

「……」

 

 手負いの獣を仕留める狩人のように、魔理沙は黒液の道標を辿った。

 日の光が差し込む場所を避ける様に続く痕跡に沿うと、やがて一本の巨木が目に入る。

 木の根元には、やはり吸血鬼の姿があった。

 ただし、おおよそ人型とは表しがたい有様である。衣服はぼろきれと化し、四肢の内三つは正常な形をしておらず、外から覗く肌は総じて酷いケロイドに覆われていた。

 

 こんな状態でも、視界に入れるだけで体の芯から震えそうになった。生理的に、本能的に、存在的に相容れない。そう直感で理解できる、禍々しい負の気配だ。

 だがしかし、このあまりにもみすぼらしい容貌からは、紅魔館で相対した時のような悍ましくも神々しい超越者の風格は感じ取れない。道路の真ん中で踏み潰されている虫の死骸のような、哀れむ事すら忘れてしまいそうになるほどの無力さを滲み出していた。

 

 魔理沙はミニ八卦炉を手に取り、構える。普段のナハトならば普通の射撃など何の意味も無いだろうが、魔理沙は確信していた。いや、それは一種の神託に等しかったのかもしれない。何かが囁くように魔理沙へ告げるのだ。今のナハトは取るに足らない存在だと。通常のショットでも、幻想郷に平和を取り戻す事が出来るのだと。

 魔力を八卦炉へ集中させていく。力を増幅させるタービンが唸りを上げた。光が瞬き、発射シークエンスの終了を告げる。

 

「……っ」

 

 しかし。

 寸でのところで、霧雨魔理沙は踏みとどまった。

 良心の呵責と言うべきか、理性のブレーキとでも言うべきか。魔理沙の心にある白の部分が、最後の引き金を引かせなかったのである。

 

「違う……こんなのは違う。私は、一体何をしているんだ? 幾らこいつが邪悪な妖怪でも、虫の息にまで弱っているのに、わざわざ嬲るような真似なんて……」

 

 頭を抱え、困惑の表情を浮かべて退がる。自分自身の行動を理解できていない様な素振りだった。まるで誰かにそそのかされた悪行に対し、最終局面で理性と倫理の目を覚ましたかの様に。

 

「そ、そうだ。霊夢に相談しよう。こういう案件は、本職の退治屋に任せるに限―――」

 

 だが次の瞬間、再び魔理沙の瞳から光が消えた。眉間に皺を寄せ、両手で頭を抱えて後ずさる。

 ポスッ、とミニ八卦炉が枯葉の絨毯へと落下した。

 

「づッ……!? い、痛……ッ!?」

 

 ぐらぐらと、視界が陽炎のフィルターを取り付けられたように揺れ動く。堰を切ったように脂汗が滲み出て止まらず、魔理沙は謎の苦痛に喘ぎ、遂にはその場にしゃがみ込んでしまった。

 

 秒とも、分とも解釈できない、空白の時間が清涼な森を支配する。

 

「………………」

 

 魔理沙の瞳は、八卦炉へと移っていた。親しい半妖の店主から作って貰った、大切なプレゼント。その縁取りを飾る退魔の煌めきを、ただただじっと見つめていた。

 乾いた唇が動く。手繰り糸に操られる人形のように、パクパクとした機械的な動きで。

 

「いいや。奴は、奴だけは、私がとどめを刺さないと」

 

 執念の()表情だった。果ての無い恨み辛みを抱えた復讐鬼のように、何が何でも命を刈り取らんとする恐ろしい虚無の表情。若々しい力に溢れていた筈の瞳は暗黒を湛え、そのどす黒い感情を注ぐかのように八卦炉へと視線を向けていた。

 ゆらり、と木漏れ日を弾く柔肌の腕が伸びる。胸の内から膿の如く噴き出る漆黒の意思に従うまま、魔理沙はミニ八卦炉を掴み取った。

 立ち上がるも、少女はスカートの落ち葉を払おうともせず、ただただ前へと前進していく。

 

「やらないと。私がやらないと、()()()()()()()()()()()。手の届かないところに行かれちまう」

 

 この場の状況とは何の関係もない言葉を、呪詛のように少女は呟く。一向に再生する気配のない吸血鬼の元へと辿り着くまで、ブツブツと、止める事無く。

 死骸のような吸血鬼との距離、およそ七メートル。しかし射程距離としてはこの上なく十分だった。万が一を警戒しつつ相対し、魔理沙は八卦炉を再びかざす。キン、と魔力の漲る音が木霊した。

 水分を失った少女の唇が、機械的な重みを伴い、動く。

 

「それだけは、嫌なんだよなぁ」

 

 魔法使いは、鋭い白光を躊躇なく撃ち放った。

 空を切り裂き、光の弾丸は一直線に突き進む。肉を焼き貫く球電は閃光となって、森にフラッシュを瞬いた。

 

 だが、しかし。

 

 光は吸血鬼を穿つことなく、進行方向に突如現れた空間のスキマの中へと吸い込まれてしまった。

 魔理沙の眉がピクリと上がる。何が起こったのかを理解すると、錆びたブリキの様に緩慢な動作で首を動かし、少女の眼は自分の背後へ向けられた。

 魔理沙の肩には、彼女の見慣れた小さな手が置かれている。

 数日に一度は目にする白袖。脇の部分だけ切り抜かれた特徴的な紅白の巫女服。艶の映える漆黒の髪。何物にも染まらない凛とした目付き。

 幻想郷のバランサーにして霧雨魔理沙の親友(ライバル)、博麗霊夢がそこに居た。

 

「魔理沙」

「……霊夢か」

 

 交差する少女の瞳。しかし直ぐに、魔法使いの眼は肩に置かれた手へと移った。

 

「何で止めるんだ? もうちょっとでこいつを退治できるのに」

「……」

「スキマが出て来たって事は、紫も居るな? なんだお前ら揃いも揃って。これで幻想郷の平和を取り戻せるんだぞ、折角のチャンスを棒に振ろうとするなよ」

「魔理沙、アンタ物凄く顔色が悪いわよ」

「そりゃあこんな化け物をずっと眺めてたら気分も悪くなるさ。阿求のアレに書いてたじゃないか。この吸血鬼は、他者から生気を吸い取るって。そのせいさ、きっと」

「そうかもね。ならアンタはここで去りなさい。後は私たちが引き受けるから」

「……あー?」

 

 魔理沙は振り返ると霊夢と面を合わせ、ぎょろりとした眼で巫女を見た。

 ただ事ではない。霊夢も直感で魔理沙の異常を察知する。恐らく強烈な邪気によって精神を乱されているのだろうと、博麗の巫女は明察した。

 魔理沙は肩をすくませながら言う。不満の色を、ありありと声に乗せて。

 

「なんだよなんだよ、結局手柄を横取りする気か? こいつは私と早苗が追い込んだんだ。最後のオイシイ所だけを持って行こうだなんて、そうは霧雨魔法店が卸さねぇぜ」

「私もアレを退治する気なんか無いわ、釘を刺されてるからね。用があるのは紫の方よ。アイツが決着を着けるみたいだから、私たちの出る幕は無いってワケ」

 

 だからアンタは早く帰って休みなさい、と霊夢は自分の肩をお祓い棒で叩きながら告げた。

 魔理沙は背後を一瞥し、紫が本当にナハトへ何かを話し掛けている場面を目撃すると、前髪を掻き上げながら『そうか』と呟く。あまりに冷淡な情動が表れていた。

 

「で、霊夢はどうするんだ。帰るのか?」

「いや、私はこのまま仕事よ。紫の用件が済むまで待ってる。アンタは先に神社に行ってて休んで頂戴。まだ幾つか焼き芋も残っているし、それでも摘まんでのんびりと疲れを――――」

「ああ、やっぱりお前は特別なんだ。こっち側に胡坐をかいている様な人間じゃあないんだよなぁ」

 

 クスクスと、魔理沙は笑った。愉快からくる音色ではない。自嘲とも呼ぶべき負の感情が粘着質を伴って、霧雨魔理沙という少女に纏わりついているかの様だった。

 顔を片手で覆いながらケタケタと笑う少女に、霊夢は怪訝な表情を浮かべる。

 

「……魔理沙?」

「お前は、私に無いものを沢山持ってるよな。才能も、力も、立場も、心も。だからお前は今、紫と共にいるんだ。そうじゃなきゃあ、私と一緒に帰ろうとするはずだもんな。これが壁って奴なんだろうな、きっと」

「アンタ、さっきから何を言っているの? まるで会話になってないわよ?」

「魔理沙さん、霊夢さん!」

 

 二人の間へ割り込むように、一つの影が掛け声と共に降り立った。魔理沙の後を追ってきた東風谷早苗である。

 霊夢は風祝の現人神を一瞥して、言った。

 

「ちょっと早苗、魔理沙に何があったの。明らかに様子がおかしいじゃない」

「それが……原因は定かではありませんが、恐らくあの吸血鬼の強い瘴気に当てられたせいで錯乱しているのではないかと」

 

 私の責任です、と早苗は零して、魔理沙へ謝る様に俯いた。

 そのやりとりを眺めていた魔理沙は、おいおい、と手を振りながら声を上げる。無論、瞳に光は無い。

 

「人を狂人扱いするんじゃない。私は冷静だぞ。頭の中は夏の晴天のように澄み渡ってるくらいだぜ」

 

 死人のように顔を青くしながらも、にっこりと微笑む霧雨魔理沙。それはまるで、無理やり力を注がれ動かされている呪い人形の様な印象を二人の心へ植え付けた。

 誰がどう見ても、彼女の言動に説得力などある筈も無く。

 

「……彼女がああなったのは、私が吸血鬼の討伐へ誘ってしまったからです。妖怪の恐ろしさを甘く見た私の責任なんです。治療はこちらで引き受けます。守矢の二柱の浄化ならば、精神に巣食った邪気を取り払う事が出来るはずですから」

「……分かった。アイツの事、任せたからね。あんなシケた面、魔理沙には似合わないし」

 

 明確な怒りを滾らせながら、霊夢は早苗の肩を叩く。怒りの矛先は早苗に対してのものでは無い。昔からの幼馴染、腐れ縁、友人――どの様な言葉でも表せて、どの様な言葉でも表す事の出来ないたった一人の存在を狂わせた、件のヴァンパイアに対してだ。

 本来ならば、霊夢が直々に退治へと名乗り出る所だろう。しかしあの吸血鬼は、紫曰く犯人ではないという。霊夢の眼にはどう見ても()()()()にしか見えないのだが、紫を深層部分で信頼している霊夢は、一先ず紫の行動を信じてみる事にしたのだ。

 

「話は済んだのか」

「ええ、アンタの看護計画は済んだわ。さっさと守矢神社に行って療養してきなさい。今のアンタは放っておけない」

「そんな面倒な事するより、そのお祓い棒で私をぶん殴りゃ一発で目が覚めるだろうよ」

「……八卦炉なんか構えてどういうつもり?」

「元からこういうつもりだぜ。アイツは始末しなきゃならない。だけど、紫もお前もなんだかんだで甘いからな。奴が弱り切っている今、確実に私がとどめを刺してやるんだよ」

 

 その為には、と魔理沙は繋げて。

 八卦炉を、手に取った。

 

「まずお前らが邪魔だ。早苗が裏切るとは思わなかったが、まあいいさ。いつも通りの弾幕ごっこで白黒つけるとしようぜ。私が勝ったら後の行動に口を出すな。いいな」

 

 宣戦布告。同時に魔理沙は箒へ跨り、ふわりと宙に浮かび上がった。帽子を整え、いつものように懐からカードを取り出す。宣告用のスペルカードである。

 

「早苗、ここは私に任せて。アイツをぶん殴って正気に戻してきてやるわ」

 

 霊夢も応じて、地から足を離した。

 ふわふわと浮かぶ博麗の巫女と魔法使いを、早苗は不安そうに胸へ手を当てながら、見守る以外に選択肢など残されていなかった。

 ぎゅっと、唇を噛む力が強くなる。

 

 

「また随分と、派手にやられましたわね」

 

 中華風のドレスに身を包む大妖怪、八雲紫は、視線の先に崩れ落ちている吸血鬼へと声をかけた。

 返事は無く、どころか呼吸音すらない。妖怪の身であるから呼吸などそもそも必要ないのだが、傍目から見れば死んでいると勘違いされても何ら不思議ではない状態だ。

 パチン。扇子の閉じる音がした。

 

「聞こえているのでしょう? あなたがこの程度で冥府へ逝ってしまうような妖怪だとは到底思えませんわ」

「…………ゆかり、か。久しぶりだな」

 

 亡者の様な呻き声が、皮も唇も失った歯だけの口から弱々しく吐き出された。

 かつて紫へ多くの危機感を与え、その危機感に見合う力を見せつけてきた異形の吸血鬼。如何なる攻撃をも退け、妖怪最強種たる鬼の頂に立つ少女の奥義を受けてなお、涼しい顔を崩さなかった不死身の怪物が、目に見えて衰弱している。それは少なからず、紫の内心に動揺を与えていた。

 

 ナハトは対物理において、どんな妖怪よりも不死に等しい存在と言える。首を切られようが爆発四散しようが、常識をかなぐり捨てた再生能力で復活してしまうのだ。場合によっては蓬莱人よりもしぶといのではと、紫が錯覚させられる程である。

 そんな彼が、一向に修復可能な傷すら治す気配も見せず、木の根元で崩れ落ちている。妖怪の常識から測るに、精神へダメージを負っているのは明白と言えるだろう。ナハトにとっての『毒』の侵食とはまた違う、かつてない事態を前に思わず紫は身構えた。

 

「四年ぶりですわね。……その傷、治さなくていいの?」

「はは。今はどうも治す気分になれなくてね」

「そう……」

「……やはり君も、私を追いやりに来たのかい?」

 

 血を吐くように、ナハトは声を振り絞った。喋ることすら億劫であると、言外に語っているかの様に。

 

「いいえ。ただ改めて、あなたに聞きたい事があるだけですわ」

「それは、奇遇だね。私も君に色々と尋ねたい事があるんだ」

 

 間が開く。しかし以前と違うのは、両者の間に腹の探り合いが全く無い所か。――否。正確には、二人の立場が完全に逆転していると言うべきか。

 この二人の関係性は、四年前に生まれた紫からの敵意に始まっている。悍ましい瘴気と、それに反した冷静過ぎる立ち振る舞い――総じて『気味が悪い』と言える未知の吸血鬼に対し、紫はあの手この手で真意を暴こうと躍起になっていた。

 だが彼女の求めた『真実』は四年前に姿を現し、紫がナハトへ向ける敵意の矢印は、とっくに消滅を迎えている。

 

 つまり、立場が逆転しているその真の意味とは。

 今度はナハトが、紫へ疑念の矢印を向けている事なのだ。

 

「聞きたい事、ね。どうぞ先に質問してくださいな」

「……先ず一つ目だ。君は私の情報を縁起によって操り、眠りに就いている数年間、幻想郷へ私の悪評を広めていた。これに相違は?」

 

 初手で確信を貫かれる。しかし紫は動じない。この言葉を投げかけられる未来を、彼女はとうの昔に想定していたからだ。異常な洞察力を誇る吸血鬼が、縁起の真実にずっと気づかない筈がない。それが遅いか早いか、タイミングの問題であったに過ぎないのだ。

 そして同時に、今は()()を教えるべきではないと紫は判断した。

 ナハトが精神にダメージを負っている今、彼の目的と最大の矛盾を孕む『ナハトの本当の真実』を告げるのは愚策以外の何ものでもない。今度こそ完全に、存在を崩してしまいかねないからだ。

 

 嘘で誤魔化しても仕方がない。もとよりこの吸血鬼に嘘など通用しない。ならば可能な真実を伝えるのみだろう。それが、今紫が選べる中で最善手なのだ。

 だから紫は、簡潔に答える事を選択した。

 

「相違無いわ。私がやったのは、事実よ」

 

 淡白なアンサーに、鈍重な息を吐く音が交差していく。混じり合う白と黒は、灰に塗れた()を生み出した。

 

「……そうか。ノーと答えてくれるのを、仄かに期待してはいたのだが」

「確信は無かったのね。つまり、誰かから縁起のウラを耳にしたに過ぎないと」

「風見幽香から聞いたんだ。君は、幻想郷のバランスを保つために縁起の編集を担っているのだと。……私を知らない筈の著者に情報を与えた者が居るとは思っていたが、まさか、君だったとは。私の真実を知る、数少ない理解者だと思っていたのに」

 

 川のせせらぎのように静かな号哭。ナハトの体から一層力が抜けていくのが、声だけでもありありと紫へ伝わる。

 次だ、と彼は諦める様に言った。紫は無言のままに受け入れた。

 

「話は変わるが、私は見ての通り襲撃を受けた。襲撃に至った者達の根底には君の縁起も一枚噛んでいた様子だったが、まぁ、そこはあまり重要ではない。妖怪の悪評が広まったと言う事は、退治しようとする者は必ず現れるからだ」

「……」

「問題なのは、それ以外の手法で私を貶めようとしている者が現れた事だよ」

「……と、言うと?」

「君ならもちろん知っているだろう? 力の弱い妖怪が、次々とミイラにされている事件さ」

 

 紫の眼が細まっていく。ナハトの声にも、僅かな力が込められた気配があった。

 

「その被害に、館の司書が遭った」

「……!」

「厳密にはミイラ化が起こった訳ではない。彼女は突然、何者かに乗り移られたかのように行動し、私を人里へ誘き出したのだ。実際彼女はどう言う訳か、怨霊に乗り移られていた。無論それで終わりではない。彼女は、人里の中心で私に襲われている風体を装ったのだよ。客観的にシチュエーションを例えるならば、『怪物が、命乞いをする少女を情け容赦なく追いつめている』……と言った所かな」

 

 ――八雲紫は、人間の里に一種のスパイを紛れ込ませている。座敷童と呼ばれる妖怪たちがそれだ。彼女らは家に幸福をもたらす物の怪であるため人間から親しまれやすく、そこを逆手にとって、人里の情報を収集する役目を担っている。

 

 紫は、博麗神社からこの森に移動するまでの僅かの間、座敷童から報告を受けていた。妖力を介した通信からでもひしひしと伝わるほど怯えた様子で、『先ほど恐ろしい妖怪が現れ、人里で暴動を引き起こした』と。

 伝えられた外見の特徴、吸血という行為、そして尋常ではない恐れ具合から、紫は直ぐにナハトによるものだと理解した。だが同時に困惑もした。山での一件で無害だと分かった吸血鬼が、幻想郷で唯一人間を襲ってはならない不可侵領域を攻めた理由が、まるで見当もつかなかったからだ。

 

 何か理由がある筈だ。そう信じて、紫は真意を訪ねようと対面した。その結果がこれだ。こんな経緯を、一体誰が予測できようか。

 

「……怨霊に対する拒否反応で肉体(こあくま)が枯渇していく中、()は圧巻の演技力で見事に演出してくれたよ。傍目から見れば、どう足掻いても私が悪者に映ってしまうミッドポイントを」

「…………」

「お蔭で、それを目撃した風見幽香や魔理沙、守矢の巫女にまで襲われてしまったよ」

 

 流石の紫も、想定の範囲外でしかなかった。

 

 縁起による悪評の余波で、人里の退治屋が名乗りを上げる可能性は予測していた。こればっかりは致し方ない事なのだ。昔から妖怪と人間は敵対関係にあり、人々の心を脅かす妖怪は退治される宿命にあるのだから。

 だがその敵意すらもナハトにとっては糧となる。更には幻想郷のシステム上、ナハトほどの実力があれば完全な退治に至る事はまず有り得ないために、根本的な生命を脅かされる危険性は無に等しい。表現的には『懲らしめられる』だけに過ぎないのだ。

 そして彼へ向けられる敵意の範囲も、精々人間から恐怖を向けられる程度で収まる筈だった。何故なら幻想郷で暮らす力の強い妖怪は、幻想郷縁起の裏を知っているから。どれほど大仰な噂が流れても、『何か賢者に意図があって恐怖の操作が施されてるんだな』程度の認識しか、幻想郷に馴染んだ妖怪からは持たれないのである。

 

 故に明確なデメリットと言えば、ナハトの真の目的である『友達探し』が人間に対してのみ不可能となる程度で収束する予定だったのだ。死の淵から引き摺り上げる代償としては格安と言えるだろう。

 

 しかし現実はミイラ化の被害に紅魔館の住人が遭った挙句、その原因である怨霊が感染者を操り、意図的に吸血鬼を貶めるというイレギュラー極まりない展開が起こり、事態は急速降下を始めてしまっていた。

 

 予想の枠を超えたイレギュラーは、未来への道筋に歪みを生む。それは今回、風見幽香の敵対と言う形で現れた。だがこれはまだ表面上の問題に過ぎない。『人里でナハトが他者を襲った』という場面は、風見幽香に収まらず他の妖怪にも波紋を及ぼすことだろう。何故なら人里は妖怪共有の命綱であり、だからこそ妖怪不可侵の地として扱われている特別な場所だからだ。誰かが我が物顔で蹂躙して良い場所ではないと、暗黙の了解が敷かれているからだ。

 それを、不可抗力とはいえナハトは破った。これがどう言った余震を生み出すか、想像に難くはない。

 

 ミイラ事件における初めての情報と事例。これから起こるだろう不測の事態の数々。未知の脅威の発覚。

 それらの要素は、紫の思考速度をさらに加速させる燃料となった。

 

「だが重要なのは私の被った損害ではない。重要なのは小悪魔の事例から、一連の事件にある確定要素が生み出された事だ。それは君にも分かるだろう?」

「――事件は偶発的かつ自然的に起こったものでは無く、第三者の介入によるものである。それも、明らかな悪意と敵意を交えた目的を持った人物が、暗幕の裏に隠れている」

「その通り。……君も知るように、怨霊には他者を操る力など無い。せいぜい憑いた者の心を負へ引き摺りこもうと誘いかけるだけだ。人の体を使った演技などもっての外さ。そんな所業はむしろ西洋悪魔の仕業に等しいだろう。だが実際に小悪魔へ巣食っていたのは怨霊のみだった。他には何も存在しなかったのだ」

「……」

「ならば何故、怨霊は小悪魔の体を精巧に操れたのか? 彼女には使えない魔法を展開できたのか? 意思を持って被害者を演じたのか? ――――これだけの材料が揃っていれば、深く考えずとも分かる。小悪魔は、怨霊越しに操られていたのだと」

 

 怨霊の常識から考えるに、当然の如く辿り着く答えと言える。

 彼らは思考すら保てなくなるほど負の感情に呑み込まれた罪人の魂だ。他者をその人物であるかのように操るなど出来はしない。とり憑かれた人間が明瞭な言葉を発音できなくなったり、錯乱したような動作を取るのが良い例だろう。単純化された魂魄が、肉体で複雑な意思を体現するのは不可能なのだ。だからこそ、霊とのシンクロを高めるための方法として交霊・降霊術が存在するのである。

 

 しかし小悪魔に憑いた邪魂はそれを可能としたという。であれば考えられるのは、怨霊を媒介して遠隔操作を施した者が居るという事だ。小悪魔をハードと例えるならば、怨霊はコントローラー。黒幕はプレイヤーと言ったところだろう。ナハトの証言によって、紫の黒幕説は正しいと証明されたと言える。

 そう。この事件は間違いなく、何者かが裏で糸を引いている。更にナハトの証言で絞り込めたのが、ナハトを追いつめる事で益を被る人物であるという事だ。

 

 だがその事実を、ナハトの目線で裏返せば。

 その矛先は、言うまでもなく一人へ向けられる事となる。

 

「私は、幻想郷に来て日が浅い。時は四年と過ぎ去っていても、体感で言えば半年も過ごしたかどうかすら怪しい身だ」

「……」

「だから私の持つ情報には限りがある。私の知らぬ者は幻想郷にまだ沢山住んでいることだろう。けれど、その中でも犯人像は絞り込めるものだった」

 

 つまり、と、ナハトの崩れかけた肉体が、ここで初めて動きを見せた。

 比較的形を保っている左手が、幽鬼のようにゆらりと伸びる。人差し指が紫にぴたりと照準を合わせた、そのまま彫像のように固定された。

 

「万物へ干渉する境界操作の力を持ち、私の悪評を振りまく何らかの行動理由を持つ君こそが、怨霊を操っていた張本人なのではないのかね?」

 

 身内を穢された事に対する、途方もない憤怒。信じた者から裏切られた消失感。あらゆる激情がナハトの内側で渦巻いているのだろう。それは如実に、周囲の環境へ現れていた。ボロ雑巾の様なナハトの周りに生える草花たちが、膨大な邪気によって一気に萎縮を始めたからである。

 

 そんな圧力によるものとは全く別の、体の中心を穿つ様な衝撃が紫を襲った。心の臓腑が、一層跳ね上がったのを感じ取った。

 

 ナハトの指摘に対して図星だったわけではない。事実、彼女は全くの無罪なのは間違いない。

 紫の胸に堪えたのは、ナハトから陰謀の黒幕として疑われたという現実であった。

 それは過去、紫がナハトへ行ってきた行為の反射に他ならず。だからこそ、紫に突き付けられた人差し指の槍は、大きな意味を持って彼女の胸を貫いたのだ。

 

 誤解が解けたと思ったら、今度は誤解を被せられる立場となった。

 実に皮肉的だと、紫は自嘲を込めて薄く笑う。それを隠すように扇子を添えた。

 

「君なら幻想郷の住人に細工を施すなど容易いだろう。君なら地獄の怨霊を引き連れてくるなど造作も無いだろう。……答えてくれ、紫。君は黒なのか、白なのか。どっちなんだ?」

「――成るほど。貴方の言う通り、私も十分容疑者足り得るわね」

 

 紫に降り注いでいた木漏れ日が消えていく。陽が雲に隠されたらしい。薄暗い森の中は、またさらに影を深めていった。

 一陣の風が吹く。ブロンドの髪がふわりと揺れた。

 

「けれど私は何もしていない。正真正銘の白よ」

「……!」

「確かに怨霊の操作も、やろうと思えば出来ない事は無い。けれど私は、何の罪もない子へ怨霊を植え付けて利用するほどの畜生に堕ちた覚えはないわ」

「……そうか。君は黒幕ではなかったのか。そうか、そうか」

 

 心の底から湧き上がる安堵が、ほうっと漏れ出したかの様な相槌。ナハトにとってこの問答は、余程超えていて欲しくない一線だったのだろう。

 滲み出る安堵は、吸血鬼の体を少しばかり修復させていく。

 

「予測が外れて安心したよ。ああ本当に安心した。やはり君はそんな真似をする妖怪ではなかったのだな」

「……今の言葉だけで、私を信じられるの?」

「勿論だとも。それに今私が述べた要素は君を容疑に挙げるなら十分だが、決定打に欠ける。幻想郷へ深い愛情を持つ君が、たかだか私程度を追いやるために住人の命を犠牲にして、自らこの楽園を荒らす様な手段へ打って出るとは到底思えなかったのだ」

 

 だから、信じられる。

 ナハトは満足そうに、その一言で締め括った。

 

 ――つくづく紫は思う。何故彼は、ここまで温和な性格を持って生まれてしまったのだろうかと。何故、噂に違わぬ極悪非道の吸血鬼として生まれなかったのだろうかと。

 

 度の過ぎた許容の精神を持ちながら、内包する真髄は博愛と真逆を行く代物。心から求めるは血肉どころか友人との安寧であり、しかしそれを得ようとすれば命が蝕まれてしまう始末。

 妖怪の常識から考えれば、ナハトと言う男の(さが)は歪極まりないものだ。真に理解を得た紫でさえも、不気味だと感じてしまう程に。

 それ故に、紫や永琳の知る真実は、あまりにも残酷無比な凶器と成り得るだろう。

 

 心の底から、紫は哀れなお人好しに対して歯噛みした。

 どうして彼は、冷酷残忍な妖怪として生まれてくれなかったのだろうかと。

 

「しかし一つだけ、気になる点がまだある」

「何かしら」

「君は、何故私の悪評を振りまいたんだ? 君の事だから何かそうしなければならない理由があったのだろうが、私には皆目見当もつかなくてね。その訳を教えてくれないか」

 

 答えを告げるのは簡単だ。だがそれは、苦渋の選択であった。

 今のナハトは、再会時よりは精神的に回復している様子である。しかしだからと言って、ナハトの真実を簡単に吐くのは愚行でしかない。むしろ悪手ですらある。

 紫はこれまでの会話や経験から既に理解していた。ナハトはどれだけの嫌悪や敵意を向けられようともビクともしないが、『一度信頼した者から裏切られる』行為を酷く苦手とするのだと。

 事実、それは正鵠を射た解釈だった。

 

 喉から手が出るほど友人を欲しながらも、自らの性質によって中々願いの叶わないナハトは、友人というものを神聖視している節すらある。だからナハトは『自分の性質を理解してくれた筈の紫が悪意を持って貶めに来た』という誤解に対し、精神的に多大なダメージを負ったのだ。それもついさっき人間からの誤解によって得た莫大な恐怖によるカバーがあって尚、体力の減衰にまで至るほどに。

 

 つまり。

 

 信頼していた者から裏切られたと勘違いして、肉体の再生が億劫になるほどの傷を受けたのであれば。

 親愛を得れば得るほど命を蝕まれるという究極の矛盾を突きつけられた場合、一切の混じり気も無い絶望の闇へ突き落としてしまいかねないのである。

 絶望と言う感情は、物質に依存する人間ですら魂のバランスを崩してしまう強力な毒だ。それが精神を主軸とする妖怪に降りかかった場合など、ましてや更に精神的要素を強めたナハトの場合など、敢えて語るまでも無い。

 

 ――普通の者ならばここで、まず絶望しても体を保てるよう、一旦()へ帰して()()を補充し、再び引き入れてから説明すればいいのでは、と考えるだろう。しかしそれはもう取れない選択なのだ。四年前の一件で重傷を負い、永琳の応急処置で一命をとりとめたナハトは、その生命を食つなぐ代わりに『幻想郷の恐怖』へ馴染んでしまっているのである。プラグの形が変わったと考えればいい。永琳の施術によって『幻想郷』と言う名の差込口へ適応した結果、外のコンセントには接続出来なくなったのだ。

 

 こうしなければ完全な崩壊を迎えていたとはいえ、退路を断たれたも同然と言える状況である。彼は幻想の箱庭の中で、己が性質を克服しなければならなくなった。しかも時間は無限にあらず有限であり、今も刻一刻と死の闇に向かって行進を続けている有様だ。

 ある意味、ナハトは幸運だったと言える。もし八雲紫と八意永琳からの理解を得ていなければ、とっくの昔に死滅を迎えていただろうから。

 

 ……もしこの状況から一発逆転を掴み取るのであれば、ナハトというプラグを再び戻せるような、()()()()()()()()()()()の協力が必要不可欠であると紫は考えている。彼の性質とは、それ程までに厄介極まりないのである。

 

 だから紫に喋るという選択肢は無い。今のナハトへ真実を伝えるなど、切れかけの命綱へ刃を入れる行為と同等なのだから。

 

「ごめんなさい。今は言えないの」

「……どうして」

「貴方の推測通り、私には悪評を広めなければならない理由がある。けれど信じて欲しい。私は決して、私怨の様な下卑た感情で貴方を貶めている訳では無いのだと」

「……不可抗力、と言う事かね」

「そうとも言えるし、そうとも言えない。でもこれは、今の貴方に必要不可欠な処置なの。貴方の望みを知った今でもそれは変わらない。いえ、だからこそこれは必要な事なのよ」

 

 緩やかな沈黙が二人を包む。

 破ったのは、ナハトの方だった。

 

「分かった。今はその言葉を信じよう。けれど、いつかその訳を話す事が出来るようになった暁には、私に教えると約束してくれないか」

「ええ、勿論ですわ」

 

 再び静寂。今度は紫が封を切った。

 

「さて。次はこの状況をどう切り抜けるかですが」

「ああ……」

 

 一先ず問題を横に置き、二人は目先の壁へと意識を向けた。

 壁とは即ち、ナハトを取り囲む四面楚歌の状態である。

 

 今のナハトの立場は、幻想郷において大罪を犯した下手人に等しい立ち位置にある。罠に嵌められたとはいえ、第三者からすればどう見繕っても妖怪不可侵の人里を蹂躙しようと目論んだ怪物に外ならず、更にはミイラ事件の主犯としても扱われつつあるのだ。おまけにスパイスを加えるならば、捏造された数々の前科も合わさって印象と信憑性は地の底にまで墜落している。最早『疑われる』と言う段階をスキップして『判決』にまで持ち上げられている程である。

 

 しかも最悪なことに、今現在紫たちをあらゆる勢力から遣わされた式神や使い魔が、動植物に扮して彼らを四方八方から監視している始末だった。木の陰からはこっそりと、四季のフラワーマスターまでもが様子を見守っているという退路の塞ぎぶりだ。

 言うまでもなく、彼女たちは伺っているのだ。幻想郷を管理する者が、目の前の大罪人を前にどの様な処遇を下すのかを、ひっそりと待っているのだ。

 

 今までの会話は全て境界操作によって遮断していたため、外にナハトと紫の関係性は明るみになっていない。しかしこれからどうするべきか、と紫は首を捻った。

 

 全体から見れば、今のナハトは幻想郷のバランスを崩しかねない天敵であり、反して紫は幻想郷を守る守護者である。八雲紫は一個人である以前に、幻想郷の戒律としての立場もあるのだ。冤罪を拭い去れる確かな証拠が無い以上、紫が不自然にナハトを擁護するのは愚策であろう。下手な対応を取れば、紫の失脚を狙う妖怪から揚げ足を取られて下剋上を起こされかねない上に、最悪の場合、二人が徒党を組んでこの事件を仕組んだのではと疑いの眼を向けられてしまうかもしれない。そうなれば完全な詰みへと嵌る。ナハトは紫や永琳のバックアップによって幻想郷へ居住する事が許されているも同然であり、それが失われればナハト自身は言わずもがな、紫が保ってきた幻想郷という理想の国が根底から崩壊しかねないのだ。

 

 一見飛躍し過ぎている発想だが、ナハトの精神を歪ませる瘴気の前では十分起こり得る未来である。紫は過去からそれを、嫌と言うほど学習していた。

 と言う事は、だ。この場の監視者達に不必要な混乱の波紋を生ませず、紫の立場も崩すことなく、かつナハトをこの窮地から抜け出させる選択が必要となってくるだろう。

 窮地の中、紫の頭脳がかつてない程の速さで回転する。あらゆるパターンから無数の未来を仮想し、取捨選択を繰り返しながら、最善手を炙り出していく。

 やがて答えは、一つの道筋となって導き出された。

 

「ナハト」

 

 パチンと、扇子の閉じる乾いた音が弾けた。

 

「八方面を敵対者に囲まれた現状を打開する作戦が、一つだけあるわ。協力して頂いてもよろしくて?」

 

 

「ち、くしょ。やっぱり、本気のお前にゃ敵わない、か」

 

 ピチュン。

 独特な被弾音と共に、魔法使いの帽子が枯葉の山へと落下する。遅れて少女もまた、落ち葉のクッションへ身を埋める結果を迎えた。

 弾幕戦は、博麗霊夢の勝利に終わったのだ。

 

 墜落した魔理沙に駆け寄る早苗。同じく、魔理沙の元へ舞い降りる霊夢。

 

「魔理沙さん!」

「……気を失っているだけみたいね。当たっただけじゃ普通こんなことにはならない筈だけど……。思っていた以上に弱っていたのかしら」

「直ぐにでも治療を!」

「悪いけど任せるわ。どうやら、私の出番がまた来たみたいだから」

 

 霊夢の視線が射抜く先には、八雲紫と木の根元に転がっている異端の吸血鬼。そして、花の大妖怪と恐れられる少女の姿があった。

 紫と目が合う。こちらへ来なさいと、言外に訴えかけている様だった。霊夢は己が直感を信じるままに歩を進め、紫の元へと合流を果たす。

 

「揃いましたね」

 

 役者が揃うのを待っていたかのような口ぶりだった。どうにも胡散臭い空気が漂うせいか、霊夢の直感が『コイツ絶対にロクなことを考えてない』と警鐘を鳴らしてくる。

 しかしここはぐっとこらえて、霊夢は紫のアクションを待った。

 

「さて、この吸血鬼の件についてですが」

 

 紫の言葉は、この場に立つ霊夢と幽香にのみ向けられたものでは無かった。周囲で監視の眼を向けている、鳥や動物の姿を模した式神――その先で胡坐をかいて座っている者達に語り掛けているのだ。

 さながら、バラエティ番組のメインキャスターのように。

 

「知っての通り、この者は再三の忠告を無視した挙句、際限のない愚行を重ね、あまりにも罪を犯し過ぎた。よって、私はこう処断する事に決めました」

 

 話に一旦区切りが入った、その時だった。

 おもむろに、紫の腕が空気を薙ぎ払ったのだ。

 手に握られた紫色の扇が、空間を切り裂く様に振るわれる。それは刀の様に鋭い切れ味を伴った衝撃波を打ち放つと、唯一残されていた吸血鬼の腕を無情にも一閃した。

 

 音も無く、斬り飛ばされた腕が宙を舞う。流血も伴わない生々しい塊りを紫は掴み取ると、それを霊夢へ投げ渡した。

 わわわっ、と急に厄介なものを押し付けられたせいで巫女の少女は混乱した。忌々し気に紫を睨みつけ、少女は怒声を張り上げる。

 

「ちょっと! こんなのどうしろってのよ!?」

「それを封印して神社に祀っておきなさい。そして皆に退治を果たしたと伝えるのよ。情報が広まれば、人里の喧騒は自然消滅を果たすでしょうから」

「は? 人里の、喧騒……?」

「後で説明してあげるから、今はただ頷いて頂戴。重要なのはここからなのです」

 

 紫は扇を突きつけ、声高に彼女は謳う。妖美なる覇気と共に、冷徹な審判を叩きつける。

 

「悪逆の吸血鬼ナハトよ。貴方を地底の奥底へ封印します。自分が引き起こした暴挙の数々を、暗い地の底で悔いるがいいわ」

 

 

 

「――協力して頂いてもよろしくて?」

 

「……ふむ。この有様を打破できるだなんて、むしろ願ったり叶ったりだよ。是非協力させてほしい。どんな作戦なんだい?」

 

「まずは確認から。ナハト。あなたは今、自分の置かれている状況はちゃんと理解出来ているかしら?」

 

「そうだな……。少なくとも汚名返上の機会と材料を悉く潰されていて、かつ今すぐにでも磔刑に処されそうな崖っぷちにあるとは理解している」

 

「それを踏まえたうえで考えて頂戴。このままでは、貴方を心底危険視した妖怪たちが徒党を組み、いずれ追いやりに来るでしょう。これは人間も例外ではありません。もしそうなれば、そこに居る博麗霊夢や()()()()()貴方を撲滅する刃となってしまう」

 

「? ……ああ、そうだった。君には脅かしてはならない役柄があるのだったな」

 

「ええ。……ごめんなさい、事が大きくなりすぎている以上、私は思うが儘には動けないの」

 

「いやいや、協力してくれるだけでも十分過ぎる程だ。むしろ謝るのは私の方さ。……それで、作戦とは?」

 

「それについてですが、これは貴方の立場を許容範囲まで戻させるものではありません。現状、ここからの一転攻勢は不可能に近い。だから先んじて、冤罪を払拭する為の材料を揃える必要があるでしょう」

 

「つまり、まずは黒幕を暴かねばならないと」

 

「その通り。そして此度の事件は怨霊が中核を担っています。しかしながら、幻想郷に怨霊が発生してしまうような環境は殆ど無い。なので私は、あれら全ては地底からやって来たものではないかと考えています」

 

「地底……以前君が言っていた場所か。確か、地獄の跡地が広がる洞窟世界だったか?」

 

「ええ。地底は怨霊がここと比べ物にならないほど往来跋扈している環境なの。なにせ旧とは言えど地獄ですからね」

 

「黒幕が数多の怨霊を数多く用意、使役している以上、地底に居座っているもしくは関係している者の可能性が高いという事か。ああ、だんだん話が読めてきたぞ。挽回のチャンスに恵まれない以上、真犯人を探し出して検挙しなければならない。それが出来るまで私は幻想郷の大罪人であり続けてしまう。であれば――」

 

「その立場を利用して、貴方を地底に送り込むのよ。表面上は追放という形でね」

 

「無暗に戦闘や混乱を生じさせることも無く、君の立場も守られる。双方で尽力すれば、いずれ犯人を炙り出せる」

 

「そう、貴方は地底で」

 

「君は地上で」

 

「「黒幕を追いつめ、探し出す」」

 

 

 

 

 

「……だがその前に、先ずは周囲を鎮静化させる必要があるな。私が健常では、皆の不安も拭えまい」

 

「ええ。だから申し訳ないのだけど、(ソレ)を一つ貰えないかしら」

 

「? ……成程、物的証拠か。勿論さ、持って行ってくれ」

 


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