【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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第四章「侵蝕の兆し」
19.「いざ行かん、魔王の住まう紅き城へ」


 ――――ナハト覚醒の数ヶ月前

 

 

 ナハトがこの館を住処としていた大昔、彼は長い生の中で集めた蒐集品を、館のいたるところへ隠したらしい。私が普段居を構えている地下図書館の蔵書もその一つである。

 当時はスカーレット卿が紅魔館を治めていたにも関わらず、私には見当もつかない規模の品々が紅魔館の随所に眠っていると言う。

 

 そんな彼のコレクションの中には、希少な魔法素材も含まれていた。

 

 気が付いたのは、彼が眠りに就いた三年前の事だ。

 私が作った瘴気の作用を攪乱する腕輪を不慮の事故で壊したらしいナハトは、材料を自ら調達して腕輪の模造品を作って見せた。いずれも、希少性の高い素材を揃えて。

 一朝一夕で掻き集められる代物ではないので不思議に思い、材料を何処から仕入れたのかと尋ねたところで、隠し部屋と蒐集品の存在を知ったのだ。

 

 私は、眠る前の彼から魔法素材を使用する許可を得ていた。あの当時はまだ、別件の魔法研究に忙しかったものだから、素材が必要な時になるまで使用を控えようと保留にしていた……のだが、しかし案外あっさりと、その時が来てしまった。新たに開発の余地が見えた精霊魔法の発動に必要な素材が、幾つか足りないと分かったのである。

 その時は丁度、彼が眠りに就いて数週間が経過した頃だったか。眠っているところで悪いとは思ったが、予め許可を得ている私は早速秘密の倉庫を使わせて貰おうと腰を上げる事にした。

 だがここで問題が起こった。隠し部屋の場所は聞いたのは良いが、入り方を聞き忘れていたのである。我ながら何という情けないミスをしてしまったのかと頭を抱えたのは記憶に新しい。

 

 私は捨虫と捨食の魔法によって不老を体得している。故に時間に対して余裕はあるものだから、彼が目覚めるまで気長に待とうと、当時は楽観的に考えていた。けれどそろそろ四年も経とうとしていると言うのに、未だ目を覚ます気配を見せないナハトを待つのも辛いと感じてきてしまった。魔法使いにとって知識欲とは即ち原動力に他ならない。目の前に知識の未開拓地が見えているのにずっとお預けを食らっている様な状態では、長く持つはずも無かったのだ。

 

 結局のところ、私は自らの知識欲に負けた。なので現在、件の隠し部屋と侵入方法を自力で探し出す為に館を探索している真っ最中である。

 パートナーとして連れてきた小悪魔はと言うと、まるで宝探しを楽しむ子供の様に気分を上昇させながら隣を歩いていた。

 

「……あなた、やけに機嫌が良いわね。隠し部屋探しがそんなに楽しいの?」

「いやぁ、えへへ、何と言いますか。悪魔の性とでも言うべきなのでしょうか? 力の強いお方が残した秘密の財宝やらを暴くのって、無性に楽しくなっちゃうんですよね」

 

 金銀財宝がわぁっと出てきたら感動ですよ! と小悪魔は背の翼を動かしながら、興奮気味に気分を表す。

 悪魔は時折『罪』と結び付けられる存在である。この子は悪魔にしては力が弱く、更に悪魔の性と呼べるものがあまり強くない個体なのだが、ナハトのコレクションを暴けると来て強欲の性が刺激されたのだろう。

 まぁなんにせよ、働いてくれるのならそれに越したことは無い。モチベーションの向上は歓迎だ。

 

「ところでパチュリー様、それは一体?」

「ん? ああ、魔力の探知機よ。これで微弱な魔力の痕跡を追ってるの」

 

 私達の前を漂う青い球体に疑問を抱いた小悪魔へ答えを返しながら、私は球体を指で突く。レミィが秘密の部屋の在処を知らなかったものだから、こうして彼の残滓を辿って探し出すほか無いのである。

 ふと、青い球体がとある通路の壁で淡く光を放ち反応を示した。一見するとただの壁だが、ふむ、成程……。

 

「ここ……ですか? 私には壁に見えますけど」

「そうね、あなたの言う通りこれは壁よ。高度な隠蔽魔法が施してあるけれどね」

 

 だが、破れない程ではない。

 小悪魔に持たせた魔導書(グリモア)を受け取り、解呪に該当するページを導き出す。

 壁に触れた指先に神経を集中させながら、壁の存在を惑わせている術式を紐解く作業を始めていく。

 術式の解析――――完了。プロテクト解除。

 

「おおー!」

 

 小悪魔の拍手が通路へ響く。術を解かれた紅い壁は霞の様に消え去り、今まで目にした事の無い隠し扉が姿を現した。

 防護魔法を自らに施したのち、ドアノブへと手を掛け、開く。先に部屋らしきものは何もなく、暗闇が下方へ存在するのみの空間がそこにあった。

 即ち、底の見えない暗黒が先を支配する、秘密の地下階段である。

 

「うわーっ、うわわわーっ! 凄いですねパチュリー様! 本当に隠し通路が出てきましたよっ」

「そうね……って、待ちなさい小悪魔!」

「はい? ――――ひぃえっ!?」

 

 興奮した小悪魔が不用意に飛び出した瞬間、罠として仕掛けられていた魔法が発動し、廊下の奥から眩い光弾が放たれた。

 私は咄嗟に障壁を展開し、光の弾丸を打ち消す。驚いた小悪魔は激しく尻餅を着いてしまった。

 

「まったく、侵入者迎撃用の罠くらいあるに決まっているでしょう。気をつけなさい」

「す、すみません……つい」

 

 小悪魔を起こし、火炎魔法を発動。明かりを確保した私達は、トラップ魔法を慎重に解除していきながら、徐々にではあるが確実に地下へと潜って行った。

 

「何だかいつもの紅魔館じゃない様な気さえしてきますね。初めて来る場所だからでしょうか? 心なしか肌寒いような……」

「地下だもの。上に比べたら気温は低いわ。……あら、思ったよりすんなり奥へ来れたわね」

 

 足元の魔法を解呪し終え、先を照らすと行き止まりが視界に映った。

 しかしこれで終わりではないだろう。今までの夥しい罠と隠蔽工作を見れば、何かが隠されていると猿でも分かる。後は、ここの壁にカモフラージュしているだろう秘密の部屋の入り口を暴けばいいだけだ。

 早速私は、行き止まり付近の調査に取り掛かった。壁に指を這わせ、微弱な魔力を探っていく。

 そうこうしていると、壁に隠蔽魔法が施されている箇所を発見する事に成功した。

 だが入口の魔法よりもプロテクトが固い。流石と言うべきか、中々時間が掛かりそうである。

 

「えっ」

 

 術の解析に全神経を注いでいた時だった。背後から素っ頓狂な小悪魔の声が、突然私の鼓膜を撫でてきた。

 何に驚いたのかは分からないが、解析の方が先だ。小悪魔を無視して作業を続行し、解呪を着々と進めていく。

 

「ちょ、ちょっといいですかパチュリー様」

 

 トントンと指で肩を叩かれ、集中が乱される。お蔭で解呪をほんの少し誤り、隠蔽魔法の防護機能が発動、解除番号とも呼べる記号の羅列が再構成されてしまった。あともう少しだったのに。

 半ばイラつきを覚えながらも、私は背後へと視線を向ける。

 

 目を、見開いた。

 

「あの、何でか分からないんですけれど、扉が出てきました」

 

 驚愕のあまり刹那の間、思考に空白が生じてしまう。

 動揺する小悪魔の細指が指し示す先に、古めかしい木製のドアが出現していたからだ。

 力が弱く、ナハトが施した隠蔽魔法を解こうものなら全力で取り組んでも数日はかかるだろうこの小悪魔が、あっさりと隠し扉を見つけてみせた。驚愕に値しない訳なんて無かった。文字通り度肝を抜かれたかのような気分にさえなった。

 それだけではない。彼女はこの扉を、ナハトの魔力残滓が反応しなかった箇所から発見したのだ。驚くには十分すぎる要素である。

 

「あなた、これどうやったの?」

「私にも何が何だか……。無意識に壁を触ってたら、突然扉が出てきたんです」

「なに?」

「本当なんですよ! 多分、偶然絡繰りを解除しちゃったんじゃないでしょうか」

 

 ……そんな事が有り得るのだろうか?

 魔法とは即ち学問である。故に、今までの隠蔽魔法や呪いなどの魔法に関係した『鍵』を紐解くには、ちゃんとした専門の理論に基づく方法を実践しなければ不可能なのだ。数学を勉強した事の無い者が、どうして数式を解けるだろうか。小悪魔が起こした現象はまさしくそれなのである。ビギナーズラックと呼ぶには、あまりに無茶と言える成果だろう。

 

 不審に思いながらも、私はドアノブへと手を触れる。無論防護魔法は施し済みの状態で。

 しかし私の警戒は見事に空振り、魔力や術の発動などの反応はとんと見られなかった。ひんやりとした金属の冷たさが、静かに肌を這う感触があるだけだ。

 ノブを捻り、ドアを押す。ぎこちない金具の音と共に、隠された空間が露わになる。

 

「これは……宝物庫?」

 

 絢爛な輝きを暗室の中で瞬かせるそれは、たった一言で表せる部屋だった。

 紅魔館にある平均的な部屋のサイズよりはかなり大きなもので、室内の至る所に、フィクションの中でしか目に出来ないような、金銀財宝の山がこれでもかと積み上げられていた。

 金貨銀貨は当たり前で、豪勢な宝石が幾つも散りばめられた装飾品や、さらには金の彫像なんかも点在している。整理を知らない財宝山脈は乱雑に置かれているものの、これこそが本来の光景なのではと思わされてしまうほど、目を見張る財の数々だった。外の世界に持ち運べば、これだけで博物館が建造されてしまうかもしれない。

 

 他に目に映る物と言えば、財宝から隔離されているように、中央で鎮座している黄金の台座くらいか。遠目からだが、どうやら小さな本と水晶玉らしき物が少々安置されているらしい。

 

 私はその極小さな範囲だけ、まるで時間が置き去りにされているかの様な印象を感じ取った。財宝にはそれなりに埃の層が重なっており、人が入らなくなって長い歳月を過ごして来たのだろう哀愁が伝わってくるのだが、あの台座にはそれがない。埃どころか、何の汚れすらも着いていないのだ。数メートル先の地点からでも、はっきりと確認出来る程に。

 

「何でしょう、この部屋。物凄いお宝の山なのに、どこか薄気味悪いですね……。見たところ、お嬢様の宝物庫なのでしょうか」

「かもしれないわね。それにどうも、私が求めている場所ではないらしい」

「えっ。この部屋は調べないんですか? 魔石の一つ二つ、転がっていそうですけれど」

「それは無いわね。ナハトはコレクションを分別する癖が染みついている。地下図書館が良い例でしょう? 彼が魔石と貴金属をごっちゃにしておくなんて有り得ないわ。他に魔石だけがある保管庫がある筈よ。だから、目に見えて不必要な場所まで物色するべきではないの」

「はぁ、成程」

「おまけにこの部屋からはナハトの魔力残滓が見当たらないし、過去の紅魔館には多くの吸血鬼が居たそうだから、ナハトやレミィ以外のヴァンパイアが秘密の金庫を作っていたとしても不思議じゃあないわ。あなたの言う通り、レミィのへそくり金庫の可能性も高い。よって目的地とは別物だから探る価値無し。分かった?」

「うーん、残念です……ちょっとこの金貨の大山にダイブしたかったんですけれど」

「飛び込みたいならレミィに聞いてからにしなさいな。それよりもナハトの反応がある対面部屋の方が気になるわ。まずはそっちから探るとしましょう」

 

 

 

 

 

 改めて隠蔽魔法を解いたところ、対面の部屋は魔力を持つ鉱石を多数保管していた部屋だった。この広すぎる館中を探し回らずに済んだ事は、ある意味幸運だったと言えるだろう。

 

 

 

 ――――現在

 

 

 

「魔理沙さん、一緒に魔王を討伐しに行きませんかっ!」

 

 

 

 緋想の異変が幕を下ろし、暫く経った中秋の早朝。昨晩の霧が残した露が未だ渇き切っておらず、少しばかり冷え込む秋らしい明け方の事だった。

 魔法の森に蔓延する胞子の害を最小レベルにまで落とす魔法薬を飲んだ私は、いざ魔法薬の調合に使える素材を探しに行かんと我が家の玄関を開けた訳なのだが、何故か家の前に最近幻想郷へ越して来たばかりの現人神が立っていた。しかも私の姿を目にするやいなや一瞬の内に私の手を掴み、訳の分からない勧誘をして来る始末である。

 胞子は大丈夫なのか? と言った疑問は、まぁ問題なさそうなのでさておき。

 取り敢えず私は、新参者の東風谷早苗と晴れやかな挨拶を交わす。

 

「おはよう早苗、今日は清々しい朝だな。最近の調子はどうだ? お前が幻想郷に来てそろそろ一年経つ頃だが、馴染めてきたか?」

「えっ。あ、はい。お蔭様で徐々にですが、皆さんに受け入れて貰えて信仰も増え、大分安定してきましたよ」

「おっ、そうか。そりゃあ良かった。なぁなぁ、折角だから今度神社に寄ってもいいか? 守矢神社引っ越し一周年記念に何かパーッとやろうぜ。勿論私も酒と食い物を持っていくからさ」

「わぁ、良いですね良いですね! それ是非やりましょう!」

「よっし、そうと決まれば早速準備だな! 私とお前らだけじゃあ何だか寂しいし、他にも何人か声掛けとくよ。早苗の方からも頼むぜ」

「まっかせてくださーい! ああー久しぶりの宴会楽しみだなぁ。今から張り切ってしまいますね!」

「ははは、私も楽しみにしてるぜ。じゃあ神奈子と諏訪子にもよろしくなー」

「はーいっ」

 

 企てた宴会を成功させるため、早苗はウキウキした笑顔を浮かべながら空を飛んで去っていく。おそらく、今から守矢の二柱を筆頭に四方八方へ開催の旨を伝えに行くつもりだろう。

 私も手を振りながら離れていく早苗へ応じる様に笑顔を浮かべて見送り、実に晴れ晴れとした気分の中、再度素材探しへ向かおうと足を動かした。

 ああ、それにしても、宴会楽しみだなぁ。

 

「――――ってちょちょちょちょ! そうじゃないんです待ってくださいよ魔理沙さん!」

「チッ」

 

 どうやらあしらわれた事に気がついてしまったらしい。勘の良い奴め。折角厄介払いと宴会の約束を同時にこぎつけて好調だったのに。

 大慌てで旋回してきた早苗は、私の前にふわりと降り立って行く手を塞いでしまう。邪魔だそこをどけ。

 

「なんだ? 私の用はもう済んだぜ」

「いや用があるのは私の方ですよ!? 本題の魔王討伐です、魔王討伐」

 

 ……さっきから引っ掛かっていたのだが、その魔王ってのは何なのだろう。果たして幻想郷にそんなけったいなモノが居ただろうかと、思わず首を捻って考えてしまう。けれど残念ながら思い当たる節は無い。強いて言えばレミリアが当て嵌まるのかもしれないが、アイツは魔王なんて雰囲気が似合う柄じゃないだろう。確かに昔はギラギラしていたけれど、今ではすっかり丸くなってしまっているのだ。この前なんか宴会で悪い飲み方をしたのか直ぐに酔っぱらってしまい、咲夜の膝上で可愛らしい寝顔を披露していた程である。アレが魔王なら、異変時の霊夢の方がよっぽど魔王らしい。

 

「その、なんだ。さっきから連呼してる魔王ってのは一体全体何なんだ?」

「あれ? 魔理沙さんもしかしてご存じない?」

 

 意外そうに驚く早苗へ、私は首肯を示す。すると早苗は、来た時からずっと握りしめていた一枚の紙を徐に広げた。

 それはどうやら、幻想郷縁起の一ページを写したものらしかった。どうやって複製したのかは知らないが、紙面には阿求の筆跡をそのまま盗み取ったかのように精巧な字で、恐らく何かの妖怪についての説明が綴られている。

 

 早苗は羅列する文を指差しながら、

 

「これです。ナハトという名の恐ろしい吸血鬼の事ですよ。随分前から里で有名らしいのですが、知らなかったのですか?」

「ナハト……? あーそう言えば、そんなのちょっと前に流行ったなぁ。まだ噂されてたんだなソレ」

 

 腕を頭の後ろで組んで、私は苦笑いを浮かべる。

 

 大体四年くらい前の事だっただろうか。ある日突然、阿求が血相を変えて幻想郷縁起を人間の里中にばら撒いた事があった。今まで阿求がそんな行動をとった事が無かったものだから、私も霊夢も疑問符を浮かべたものだ。

 

 当の阿求曰く、幻想郷でとんでもなく危険な妖怪の存在が明らかになったらしくて、その危険性や対抗策を載せた縁起の号外を至急配布していたのだそうだ。

 どんな奴が載ってるんだと記事に目を通してみれば、私も霊夢もとんと心当たりの無い――いや、霊夢はチラッと見た事があるかもと言っていたか。とにかく記事の脅威度と反比例して全く噂に聞かない妖怪だったものだから、何故阿求がそんな妖怪の情報を手に入れたんだと霊夢と共に問い詰めた記憶が微かに残っている。

 

 だがそこで阿求がゲロッたのは『突然現れた紫から聞いた』と言った証言だったため、私と霊夢は直ぐに警戒を解いて解散した。

 何故かと問われれば、理由として霊夢が『紫は妖怪だけど、人間の里へ絶対に危害を加える様な真似はしないわ。そもそも暗黙の了解として人里不干渉のルールを妖怪どもへ植え付けたのは他ならないあいつ自身だし、紫自身動くこと自体が稀だもの。何か考えがあるんでしょ』とあっさりスルーしたのが大きい。アイツが危険ではないと判断した物事は、意外と大事にならないのだ。

 

 それになにより、紫の奴は何を考えているか分からない胡散臭さの塊みたいな妖怪だけれど、考え無しに行動を起こす愚者では無いと私も知っているからだ。これが低級妖怪の起こした陰謀ならば何かしらの悪意を疑っても不思議ではないが、紫なら一周回って信用できる。いや、本来は信用しちゃ不味いんだけれども。

 あとはまぁ、強いて述べるならば、何故かは分からないのだが私は『ナハト』に関する話を聞くと無性に恥ずかしくなったり悪寒が止まらなくなったりしてしまうのだ。この不可解な現象が不気味で、なるべく関わりたくないからそっぽを向いていたのも、究明に乗り出さなかった理由の一つだろう。

 

 とまぁそんな訳で、人里から退治や原因究明の依頼などが特に舞い込んでこなかった事も重なって、私達の記憶からはすっかりと消えてしまっていたのである。

 

 

「で、お前は大昔の流行を掘り起こして一体全体どうしたいんだよ。まさかソイツを見つけ出して退治、そこからあわよくば名声を広めて信仰獲得……ってな具合に余計な企みを抱いてる訳じゃないよな?」

「うぐっ……」

 

 図星である。風祝は頬を引き攣らせて一歩後退した。

 誤魔化すようにこほん、と早苗は咳払いをして、

 

「ええっと……実のところ半分は正解です。信仰拡大の狙いが無いと言ったら嘘になっちゃいますから。でも、もう半分は違います」

「ほう、その心は?」

「依頼されたんです。里の方から」

 

 意外な返答に思わず眉を顰める。今更なんでその吸血鬼の討伐依頼が湧いて来たのか、そして何故よりにもよって守矢神社に託されたのか。そもそもあの吸血鬼は今、確か紫とかその辺りに封印されたと言う話ではなかったか。

 疑問はどんどん湧いて来るが、一先ず話を聞くことにした。

 

「実は最近、妖怪の()()が里の内外で頻繁に見つかっているそうなんです。それも殆ど生まれたばかりか、準じて力の弱い妖怪ばかり」

「なに? 妖怪の死体だと?」

「はい。いずれも干物の様な状態で、表情は恐怖に歪んだ惨たらしい有様だったと」

 

 ……そいつはまた妙な話だ、と私は眉を顰めた。

 妖怪は肉体に縛られ難い存在だ。無論、だからと言って死なないなんてことは無い。ただ妖怪が()()()()()のは獣上がりの妖怪、即ち精神では無くまだ肉体に存在の比重が傾いている妖獣や付喪神と言った、依代に依存する者のみなのだ。

 天狗や河童など一部の例外を除いて、普通妖怪にとっての死とは雲散霧消、消滅である。だからこそ妖怪の死体なんてものが残っていれば、結構な騒ぎになったりする。それも惨たらしい状態だったのであれば、里の人間が不安を煽られるのも仕方のない事だろう。

 

 けれど私が気になるのは、誰が何の目的で妖怪を殺めて、どんな方法で死体を残すよう仕組んだのか、だ。

 

「妖怪の死体が残るとは珍しいな。それも干からびてなんて」

「でしょう? 退治されるなりなんなりして存在を保てなくなったのであれば普通、綺麗さっぱり消えて無くなっちゃうはずですよね。弱小妖怪であれば尚の事です。それなのにミイラ状態とは言え残っていた」

「しかも被害者が人間じゃなくて妖怪ってのがまた引っ掛かる。確かに退治屋は博麗の巫女(博麗霊夢)だけじゃなく何人か里にいるが、依頼でもされない限り妖怪狩りなんて恐ろしい真似をやる筈がないしメリットも無い。そもそも退治屋の犯行なら妖怪は消滅するか、封印されて何かしらの器に封じ込められている筈だからな」

「そう。そこで依頼者さんは、これは逆に人外の仕業ではないかと考えた訳です」

 

 先ほどまでのお茶らけた表情とは一変。守矢の風祝は真剣な眼差しをこちらへ向けた。

 しかし成る程、少しずつだが事の全容が見えて来た気がするぞ。

 

 犯人は里の退治屋とは考え難く、霊夢は有り得ないのは言わずもがな。早苗の勢力でもないと見ると、これは人外の犯行の可能性が高くなる。

 次に目的だが、人外の凶行だとする仮定を鑑みると、少しばかり目的が絞られてくる。

 妖怪が妖怪を襲うのは縄張り争いや決闘か、もしくは力の略奪が主な動機だ。ミイラの様なカラカラの変死体が残った点から考えるに、憶測だがオカルトなエネルギーを根こそぎ奪われた為に、抜け殻の肉体が残った可能性が高い。

 ナメクジに塩を振りかけると一見溶けたように見えるが、実は水分を吐き出させられただけで極限に萎んだ本体が残されている様に、干からびる程エネルギーを吸い取られた事で、存在の比重を僅かな肉体の方へ傾けられたのではないだろうか。

 更に恐怖に歪んだ表情を浮かべて死んだと言う事は、被害者は命を一瞬で吸い取られたのではなく、徐々に徐々に追い詰められて引導を渡されたと言うケースも想定できる。恐らく、まるで歯が立たない敵から一方的に嬲られたのだろう。

 

 これらの要素から導き出される空想上の犯人は、弱小妖怪ならば手玉にとれるような上位の妖怪であり、力を吸い取る能力を持った存在であり、力を吸い取る理由を持つ者で、悪趣味な事に弱い者いじめを行う様な残酷極まりない性格をした人外である。

 つまり、

 

「それで依頼者の推測した答えが、件の吸血鬼って訳か」

「はい。当たってます」

「でも変だな。確か噂のヴァンパイアは紫に封印されているんだろう? あいつの封印を破って復活出来るとは到底思えないんだが」

「私もそう思っていたのですが、この記事を見てください」

 

 早苗が一つの項目を指し示す。そこには、ナハトと言う吸血鬼が積み上げて来た悪行の数々についての記載があった。

 目を通せば、吸血鬼異変の黒幕説と共にこんな一文が。

 

『彼は幻想郷を手中に収めようと暗躍し、賢者との激闘の末封印された』

 

 ――封印()()()

 他ならない、あの紫の手によって。

 それなのに、永夜異変の時期にて一度封印が破られていると言うではないか。

 

「これは……!」

「ええ、破られているんです。妖怪の賢者が仕掛けた堅牢な封印を、この吸血鬼は自力で破って出てきているんですよ」

「こいつが封印を破れる可能性は十分って訳か」

「それだけじゃありません。ここに記されている賢者の施した『親愛と恐怖を逆転させる封印術』ですが、四年前よりも効果が薄まっていると依頼者さんは考えています。私は四年前の幻想郷を知らないので何とも言えませんけれど、依頼者のお方が危惧するほどには、里の中で以前より噂されなくなったのではないでしょうか」

 

 そりゃそうだ。なにせアレは四年も昔の出来事なのだ。今日まで皆がナハトとかいう吸血鬼を恐れてビクビクしているなんて事があったら、それは最早精神的な流行り病の領域である。

 

「てことは、封印の力が弱まって逃げ出していても不思議じゃないと」

「そうなりますね。そして最近の連続干からび死体事件です。強力な封印を破る時に使ったエネルギーを、吸血鬼が補充しようとして行った凶行の残滓と考えれば……」

 

 ――合点が行く、って訳か。

 

 ぞわりと、全身の鳥肌が一斉に芽吹いた感覚があった。それは、直面してしまった事態の深刻さを私の脳ミソが真に理解した証拠に他ならなかった。

 本当ならばとんでもない事だ。あの阿求が危険度『最高』と定義して、里の住人全員の耳にタコが出来るくらい警告して回っていた妖怪が復活しているかもしれないなんて。それだけじゃなく、早苗の話では里の内側にも奴が訪れている可能性があるだなんて。

 

 第二次吸血鬼異変。

 

 私の脳裏に、不穏な気配が浮かび上がって来る感触があった。

 

「……と、深刻に話し込んじゃいましたが、これはあくまで依頼者さんの仮説の領域であって別にそうと決まった訳ではありませんからねー」

 

 一瞬前の重苦しい雰囲気は何だったのか。まるで先の会話は通り雨だったとでも言わんばかりにコロッと表情が一変し、人懐こい笑顔を浮かべる早苗。思わず脱力してしまった。

 私はズレた帽子の位置を正しながら、

 

「まぁ、大まかな事情は把握した。んで? 推理タイムの次は一体何をやろうってんだ」

「だから、そこで魔王討伐ですよ」

 

 いや何でそうなる。

 早苗に依頼したらしい人間が、奇怪な事件の発端をナハトと結び付けて恐怖し、退治を依頼したのは分かった。けどそれは早苗の言う通り机上の空論に過ぎない。阿求が記述した様な妖怪が本当に解き放たれていたとしたら他の妖怪勢も黙ってないだろうし、そもそもあの紫が封印の突破を見過ごすとは思えない。件の吸血鬼が紫を出し抜けるほどの力と知能を持っているのであれば話は別だが、そこまで強力な妖怪なら犯行の証拠を残すとは考え難い。

 

 私が言いたいのは、依頼者の推理は一見事件の真相と合致していそうで穴が開いていると言う事だ。いや、完全に否定出来るかと問われればまた違うんだが、これ以上続けると泥沼になるので思考を切り替える事にする。

 さておき。何故早苗は今、近所の森へ冒険に出かけようと意気込む少年の様に目を輝かせながら、魔王討伐などと張り切っているのだろうか。

 

「不確定要素だらけなのに、全部無視して紅魔館へ乗り込もうってのか?」

「実のところ、事件の真相について私が出来る事は殆どないんです。というより本筋は神奈子様と諏訪子様が調べて下さるそうなので、私は別件で動いている訳なのですよ」

「その別件が館へ行く理由だと?」

「はい。言ってしまえば、この依頼はクライアントの不安を取り除けば良い訳ですからね。先人がかつて妖怪退治の証として、視覚的効果が得やすくなるよう動物のミイラを偽りの証拠として用いた様に、依頼者さんが安心出来る『素材』を発見できれば良いのです。例えば魔王の所有物とか、体の一部とかね。後は二柱がやってくださいますから」

「……お前、意外と腹黒いんだな」

「失礼な。依頼者さんの不安は取り除かれて信仰は増え、神奈子様と諏訪子様のお力で事件の内容も明るみになって解決しますし、良い事尽くめで素敵な作戦じゃないですか」

 

 それに、もし魔王が復活していたら倒せばいいのです。封印で弱っているでしょうし、勝機は十分にありますよ――――そう言いながら、早苗は幣を威勢よく振り回す。

 まぁ、一応こいつなりにちゃんと依頼を解決しようとしているのは理解出来た。だが紅魔館へ行くならまた別の問題が顔を出してくる。次はそこを攻略せねばならないのだ。

 

「言っておくが、今の時間から正面突破するのは相当キツイぞ」

「ええ? 吸血鬼は日光が苦手だから陽が上っている内は弱る筈ですよね。むしろ好機なのでは?」

「ところがどっこいそうじゃない。あの館のお嬢は無理やり叩き起こされるのが大嫌いなんだよ。攻め込めば確実に、美鈴から始まって妖精メイドやら咲夜との弾幕戦へ発展するだろう? その音で起きたらさぁ大変だ。安眠を妨害されて怒り狂ったレミリアが、寝ぼけ頭かつ手加減無しの殺す気弾幕で大歓迎してくれるんだぜ」

 

 しかも運が悪けりゃ妹と一緒にな、と付け加えたら、早苗の笑顔が大きく引き攣った。幾ら凄い神様二柱の加護を持つ現人神と言えど、本気になった吸血鬼を相手にするのは怖ろしいだろう。これは私や霊夢の様に館と深く関わった事のある者しか知らない裏事情……と言うか、攻略法の一つなのである。

 以前私も昔早苗と同じ考えで昼に押しかけた事があったが、あの時は本当に死ぬかと思った。レミリア安眠妨害激怒事件以来、私は館へ行く時はもっぱら夜と決めている。私の睡眠時間が削られて肌にダメージを負う危険性があるが、命には代えられない。

 

 もっとも、ここのところずっと紅魔館には行ってないのだけれども。何故かあの館に忌避感が出来てしまったのだ。理由は分からないが。

 

「……だ、大丈夫ですよ! 正攻法じゃなければいいんですから。ほら、魔理沙さんそういうの得意そうですもん。裏口から忍び込むとか泥棒みたいな真似事が」

「おい」

「要は見つからなければいいのですよ。スニーキングミッションって奴です。目立たず騒がず、影を縫うように目的(ミッション)のみを遂行する蛇になるのです」

 

 ……駄目だこりゃ。どう説得しても折れそうにない。

 任務を遂行しようと燃え上がる強力な意思に加えて、彼女の持つ好奇心が不屈の実行力を生んだらしい。早苗は霊夢と違ってかなりアクティブな性格をしているが、こう言ったところの頑固さは似通っているのではないだろうか。やはり巫女は巫女なのか。

 

 奮闘しようと意気込む早苗が、一度やると決めたらテコでも動かない霊夢の姿勢と重なって見えたせいか、これ以上抵抗しても無駄だと私は悟った。どうやら、今は私が折れるべきシチュエーションらしい。

 一息。

 

「うーん……忍び込むのは別に問題ないが、館中をサーチ出来る美鈴が居るからなぁ。裏から潜入しても一発で気付かれるぜ」

 

 もっとも、弾幕ごっこで一戦交えて撃破すると本人が()()使()()()見逃してくれる場合もある。むしろそっちの方が多いと思うのは、私の気のせいでは無い筈だ。レミリアは良い部下に恵まれているなぁとつくづく思う。

 けれど事実、あの館は潜入し続けるのもまた難しい。例え美鈴が見逃してくれてもその先には時を操る超人メイドが館をうろついているし、数多の妖精メイドの目もある。

 奴らに見つかれば最後、弾幕ごっこへ突入からのレミリア起床、そして手加減無用の大暴れと言うデスコンボは免れられないだろう。

 

 それを説明して尚、早苗は胸を叩いて誇らしげな笑みを浮かべた。

 

「そこで私の奇跡ですよ」

「……あー、そう言えばそんなチカラの持ち主だったなお前」

 

 そう、東風谷早苗は『奇跡を起こす程度の能力』を持つ現人神なのである。力の原理としては、神奈子や諏訪子の力を借りて自然現象に関する奇跡――例えば恵みの雨や神風など――を引き起こすものであるらしい。

 

「だがお前の能力って、御神籤(おみくじ)の大吉が当たるだとかそういった幸運に作用する代物じゃないんじゃなかったか?」

「ええ、少し前まではそうでした。でも最近、力にちょっぴりと変化が起きたんです」

「変化?」

「はい。この力は元々、神奈子様と諏訪子様のお力を借りて発動させていた能力でした。だから(けん)(こん)に関する奇跡が主な効力だった訳なのですが……ここのところ、二柱だけでなく私自身にも信仰が集まっている様でして。そのせいなのかどうも力の境界が曖昧になっちゃって、お蔭でほんの少し変質しちゃったんです」

 

 具体的には軽い詠唱だとアイスの当たり棒を引けるくらいになりました、と早苗は締め括った。アイスの当たり棒が何なのかよく分からないが、とにかく微々たるものながら運勢に干渉できるようになったと考えていいのだろうか。だとしたら、相当心強いのだが。

 

「これを駆使して人に出会う確率、言うなれば巡り合わせの運を下げられるかどうか、ちょっと頑張ってみます。もっとも見つからないなんてのは流石に不可能ですから、ちゃんと忍んでいないとあっさり発見されちゃいますけどね」

「無いよりはマシと考えるべきか。まぁ十分だろう」

「おおっ、その反応、同行して下さると言う訳ですかっ?」

「お前ひとりで行かせるわけには行かないだろ。直ぐにレミリアからボコボコにされる未来が見えてる様なもんだからな。紅魔館初心者の早苗を私がサポートしてやるよ」

「流石っ! やっぱり魔理沙さんに頼んで正解でしたよ!」

 

 早苗は今にも飛び跳ねそうに喜びながら、ようしそうと決まれば早速乗り込みましょう今こそ魔王に天誅を下す時が来たのですーっと意気込んで、幣をぶんぶんと振り回す。

 その様子を眺めつつ、やれやれだとは思いながらも、内心楽しみに感じている私も居た。ここの所刺激の無い生活が続いていたし、一丁ここいらでスリルとハプニングが起こる冒険をするのも悪くない。人生はいつでも冒険の連続なのだから。

 

 

 

 

「そう言えば、何で霊夢とかじゃなくて私を誘ったんだ?」

「いやー、やっぱり同業者へ無暗に助けを乞う訳にはいきませんし、それに……」

「それに?」

「……やっぱり魔王の城へ攻め込むパーティには、魔法使いのポジションが必要不可欠だと思うのですよっ!」

 

 あとは剣士とか格闘家とか、近接ファイターが居ればなお良かったのですが――とぼやく早苗は、やっぱりよく分からない奴だった。 

 

 

 四年間に渡るブランクと言うものは、存外厄介なものであるのだなとつくづく思い知らされる今日この頃。

 目覚めを迎えて早くも数週間が経とうとする中、私は情報の収集に明け暮れる毎日を送っていた。

 無論、私の知らない空白の幻想郷について、である。

 

 助かる事に、輝夜が幻想郷の日々の出来事を綴った(ふみ)を眠りに就いている間も送り続けてくれたお蔭で、その手紙が幻想郷が辿った四年間の経緯を把握するのに大変役立った。私は良い友人を持ったものだとつくづく思う。今度何らかの形で礼をせねばなるまい。

 もっとも、輝夜の手紙だけで全てを知れた訳では無いので、館の住人を筆頭に聞き込みを行ったり、射命丸文の書いた新聞を読み解いていく事で精査を重ねている最中ではある。何故か館の者達が余所余所しくなってしまったので聞き込みに苦労を強いられたが、まぁ仕方のない事だろう。魔性を浴びる事の無かった四年の空白が溝を生んでいても不思議ではない。私の瘴気とはそういうものなのである。むしろ数百年の果てに再会したレミリアとフラン、そして美鈴が私を許容しただけ奇跡と呼べるのだ。

 

 さておき、四年の間に幻想郷は様々な変化を迎えていたらしい。私が知った粗筋は、六十年に一度起こると言う結界の異変、新たな巫女と神社の出現、レミリア達の月への侵攻や博麗神社の倒壊事件と言ったところだろうか。うーむ、こうして出来事を並べてみるだけで、眠っていた時間がとても惜しく感じてしまう。

 

 中でも守矢神社と言う新たな勢力の幻想入りに立ち会えなかったのは痛い。これは私が歓迎の音頭を取って神社との友好を深め、引っ越して来た神々へ私が人畜無害な吸血鬼である事を表明すると共に、友人をゲット出来るかもしれなかった数少ないチャンスだったのだ。相手は神なので不審な妖怪代表と言っても過言ではない私を無条件に嫌悪するかもしれないが、モノは試しと言う奴である。意外と成功していたかもしれない。確率は須臾に等しいだろうが。

 なんにせよ、最大の機会を逃した事実は大きい。今ではすっかり私の悪評が広まってしまっていると容易に想像がつくし、イメージの塗り替えは非常に難しくなった事だろう。

 

 次いでレミリア主催の月面旅行――即ち輝夜や永琳の故郷へ彼女達が出向いた出来事である。月がどの様な所なのか実に興味を惹かれたものだ。残念ながらレミリアが月の話題を口にする事を酷く渋った為に深く聞き込めなかったものだから、余計に気になってしまった。果たして彼女は何を目撃したのだろうか。

 

 そして極めつけに、幻想郷中に花が咲き乱れたと噂の異変である。

 幻想郷縁起曰く、約六十年周期のペースで幻想郷を包む大結界に綻びが生じ、外の世界との繋がりが一時的に生まれる事で小さな異変が起こるらしい。今回は外の世界から大量の魂がこちらへ溢れ、彷徨う魂魄たちが植物に宿る事で四季折々の花が一斉に咲く現象が起こったと言う。大元の原因は、外の世界で戦争が起こったり災害に見舞われたり、とにかく大規模な事件が起こって多くの命が失われてしまったからだそうだ。

 こう言っては不謹慎なのかもしれないが、四季の草花が一挙に輝く光景を拝む事が出来なかったのは非常に残念でならない。自然の摂理に反する現象とは言えど、さぞ壮観な風景が広がっていた事だろう。ほんの少しくらい焦げても良いから、一度日の下で眺めて見たかったものだ。

 

 とまぁ長々と回想を述べてはみたものの、私が声を大にして言いたいのは、貴重な経験を得られる機会を失くした事が大変惜しいものであったと言う事だ。惰眠を貪るとはまさにこの様な事態を指すのだろう。幾ら萃香との戦いで無意識に力を使い果たしていたらしいとは言え、あまりにもあんまりな結果である。

 

「…………」

 

 さておき、今の私は療養のため強制リハビリ中の身だったりする。具体的には体が本調子を取り戻すまでの間――四年前の私を診てくれたらしい永琳からの伝言曰く数ヶ月――館から出してもらえなくなったのだ。

 永琳から事情を伺ったレミリアによると、私は自身の存在を繋ぎ止めるのが難しくなるほど力を消耗していたらしい。四年も熟睡していたところから、当時の私がどれだけ悲惨な状況だったか用意に察する事が出来るだろう。今までこんな事は無かったのだが、私もとうとう年になってしまったと言う事なのだろうか。無茶が禁物になってしまうとは、存外虚しく感じてしまうものである。

 

「……退屈だな」

 

 自然と、潤いを失った吐息が漏れ出していく。

 情報収集をしているとは言え、基本は本当に暇なのだ。紅魔の住人が各々の役割をこなしている中、独りアウェイな今の私が他に許されたモノと言えば読書か館内の散歩、そしてフランがチルノ達友人へと振る舞う料理の材料にスパイスを加える作業くらいである。見方を変えれば完全に隠居した老人の生活だろう。椅子に座ってただボーっと紅茶を飲んでいる今の状況など、正にそのものではないか。

 このままでは精神が腐ってしまいそうである。今となっては、私が擬似生命を与えた魔本さえ恋しく感じてしまう様にさえなってしまった。ただ、あの本は丁度私が目覚める数ヶ月前からさっぱり見られなくなったとパチュリーが言っていた事から、恐らくただの本に戻ったのだろう。偶然が生んだ産物で、あるべき形に戻ったとは言えども、やはりどこか寂しく感じてしまう。

 

「おじ様」

 

 ふとした拍子にノックが響いたかと思えば、、鈴の音の様に澄んだ声と共にレミリアが姿を現した。

 

「君がここへ来るとは珍しいな。一体何の用だ?」

「これ、天狗の新聞。今フランが調理中で手が離せないから、代わりに私が持ってきたのよ」

「新しく届いたのか。わざわざありがとう」

「妖精メイドに頼んでも怖がって行きやしないし、他は手一杯だったみたいだから私が動いただけよ。気にしないで」

 

 どこか余所余所しく、レミリアは手をひらひらと振った。

 やはり私が目を覚ましてから様子がおかしい。何かを隠している様にも見える。

 いい機会だ。ここで腹を割って話してみるとするか。

 

「……君は、私に何か隠している事があるのではないかね」

「……、」

「そう緊張しなくていいさ。別に咎めている訳じゃないんだ。ああ、折角だからお茶でも飲んでリラックスして行くのはどうかな。丁度、新しいブレンドの感想を第三者から聞きたかった所だ」

「折角だけど、今日は遠慮するわ。ごめんなさい」

「そうか。まぁ時間が空いたらいつでも来なさい。歓迎しよう」

「ありがとう」

 

 それじゃあ、と言い残して、レミリアは足早に私の部屋を去って行った。

 やはりと言うか、レミリアは何かを隠している様だ。昔から本当に隠し事の分かり易い子である。しかし無理に聞く必要も無いのだ、今はそっとしておくとしよう。彼女は彼女で何か考えがあるのだろうからな。

 まぁ至極楽観的に考えれば、ただの反抗期の様な気がしなくも無い。四百年越しの反抗期とは、どういった反応を示せば良いのだろうな。成長を喜ぶべきなのか不思議な所だ。

 

 さておき、折角持ってきてくれたので、早速新聞へと目を通す事にした。

 

「……む、怪死事件?」

 

 すぐさま目に映ったのは、デカデカとした文字でピックアップされている出来事の内容である。なんでも妖怪の干からびた死体が各地で発見される事件が多発しているらしい。奇妙な事だ。妖獣や付喪神でもない限り、妖怪の死体が残る事は稀なのに。

 

 しかしこれは、不謹慎かもしれないが良い暇つぶしになるかもしれない。この様な怪死事件が起こったとなれば十中八九人外の仕業、つまり異変かその類だろう。わざわざ人間が危険な妖怪の死体を放置するとは考え難い。であればその内博麗の巫女が動くのだろうが、彼女が解決するまでの間、犯人がどの様な人物か推理するのも悪くないかもしれないな。

 要は安楽椅子探偵の真似事である。咲夜や美鈴から適当に情報を入手して貰って、そこから考察するだけだけのごっこ遊びと言ったところか。だが別に犯人を捕まえる訳では無い。幻想郷では、妖怪が起こした怪事件の解決は巫女の専売特許なのだ。私が解決するのは筋違いと言う奴だろう。

 

 そうと決まれば早速、協力者を集めるとしようか。精神的な惰眠から醒める、いい刺激になりそうである。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷の、どことも知れない大地に少女は居た。

 

 薄桃色の日傘を差す緑髪の少女が視線を向ける先には、土が捲れ荒れ果てた草原の上でのた打ち回り、もがき苦しむ妖怪の姿。

 少女は苦しむ妖怪を助ける素振りなど欠片も見せることなく、ただただ冷ややかにその光景を見下ろし続けている。

 やがて足掻き続けた妖怪は、ふとした拍子に石像の如く動かなくなり、

 

 ――劇的な変化が起こった。

 

 今の今まで血色を保っていた妖怪の肉体はみるみる萎び始め、何百年もの年月を過ごしたミイラの様に乾き朽ち果ててしまったのだ。

 その光景はまさに、吸血鬼から全身の血液を吸い取られていく獲物の様で。

 ものの数秒もしないうちに、少女の眼前には変わり果てた妖怪の死体が出来上がった。

 

「……、」

 

 暫し死体を眺め続けていた少女は何を思ったか、遺骸の足を恐れも無く引っ掴むと乱雑に遺体を引き摺り始め、土を擦る音を生々しく立てながら、何処かに姿を消し去ってしまう。

 

 後に残されたのは、何事も無かったかのように黄金色の草葉が揺れ踊る、一つの原風景のみだった。

 


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