【完結】吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸

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17.「萃無双」

「ッはははっ、すげぇすげぇ! いやぁ、やっぱり私の目に狂いは無かったなぁ! 不意打ち出来る状況だったってのに、真正面からぶつかったどころか華扇相手に引き分けを捥ぎ取るだなんて、実に気持ちのいい奴だ! あいつが倒れる所なんてもう何十年と見てないよ! いいぞいいぞー! はははは!」

 

『密と疎を操る程度の能力』を使い、分身して一寸よりも小さくなったミニ萃香が、私の肩の上で手を叩きながら歓声を上げた。同じくしてこの崖上の席から一望できる霊峰では、本体である大きい方の萃香が健闘者二名を掲げて豪快な締めの言葉を飛ばし、闘技場のテンションを湧き立たせていた。

 

「……それで、萃香。奴の事について少し質問をしても良いかしら」

「あん?」

 

 奴とは無論、あの吸血鬼の事である。

 燃え上がる様な宴の喧騒に呑み込まれ、珍しく奴の異常な存在感がこの場から封殺されてはいるが、私の目には、あの男が一際強く視界の中心に映ったまま離れなかった。

 あまりに落ち着き過ぎているのだ。肝が据わったと言うより、凍ったと例えるべきか。おそらく彼にとって予想外だったのだろう、この演武宴を目の当たりにした当初は、彼も困惑の色を覗かせていたのだが、ある瞬間から突然、いきなり人が変わったかのように感情の色が消え失せた。まるで真夜中に蝋燭の炎で照らされた能面の様な、無機質で不気味な無表情が張り付いてしまっているのだ。

 その切っ掛けとして思い当たると言えば、萃香が行った開幕の儀――即ち、伊吹瓢の酒を茨木の百薬桝に注いで互いに酌み交わした、あの瞬間だろう。

 

 そこを不審に思い問い質したが、萃香はきょとんとした表情でこちらを見つめているのみだ。どうやら何かを企てていた訳では無いらしい。

 

「開幕の儀は、茨木の百薬桝で互いの調子を万全にすることが目的だった筈よね。なのに何故、彼が酒を口にした途端あのような状態に陥ったのか、説明してくださる?」

「んん? いや、アレに関しては特に悪巧みなんてしてないよ。強いて言うなら、あいつ吸血鬼らしいから私の血を酒に混ぜたくらいだけど。鬼の血を飲んだ吸血鬼はさぞや強いだろうなぁって思ってね、ちょっとしたサービスさ」

「…………なぁーに勝手な事してくれちゃってるのよ、この小鬼はぁっ!」

「いっ!? いいだだだだだだぁっ!? 止めろ摘まむな捻るな潰すなぁ!」

 

 ネズミをひっ捕まえる様に、肩の上の萃香を捕獲して思い切り捩じる。ただの焚火にガソリンを放り込むような真似をしてくれたこの腐れ縁には、少しばかりお灸が必要だ。

 

「萃香……あなた、桝の副作用を知った上でそんな事をしたの? 蛇足って言葉の意味を忘れちゃったのかしら」

「いや、何も考えなかった訳じゃないさ! 知っての通り、あの桝は少なくとも一晩経たなきゃ副作用は出ないんだって! それに紫も言ってたじゃん、百薬桝の効果は体に入った酒を取り除けば―――つまり私がボッコボコにして絞り出してやれば消失する筈だってよう! 私が責任もってアイツを八つ裂きにしてやるから大丈夫だってば!」

「あなたの実力を疑っている訳じゃないけど、そう言う問題じゃないの! 桝の持つ呪いに鬼の血……それもあなたの血なんて特上品を掛け合わせたら、ただでさえ予測不可能なあの化け物がどんな超常的存在に変異するか、分かったものじゃないでしょうって言ってるの!」

 

 華扇の所有物である茨木の百薬桝と言う特殊なマジックアイテムは、桝に注いだ酒をあらゆる怪我や病を治癒させ、怪力を授ける薬酒へと変化させる性質を持つ、まさに『酒は百薬の長』の言葉を体現するかのようなアイテムである。

 この一面だけを浮き彫りにしてみると非常に魅力的なアイテムなのだが、そんな美味い話がある筈も無く、勿論デメリットも存在する。桝の酒を飲んだ者には、ある副作用が生じるのだ。

 それは鬼化の呪いとでも例えるべきか。酒を飲んだ者は一晩程度経つと、鬼のように豪快で乱暴な性格へと変貌してしまうのである。更にこの時、恩恵の怪力もそのまま残っているため、周囲に多大な二次被害を発生させてしまうと言う厄介な側面を持つのだ。

 

 節度を持って普通に使用するのであれば、実はそこまで使い勝手の悪いマジックアイテムではない。だが今回は話が違ってくる。服用者はあのナハトなのだ。未知の領域が他の妖に比べてずば抜けて多く、八意永琳の話によればそもそも既存の吸血鬼に当て嵌まるかどうかも怪しいアンノウンなのである。

 万全の奴と闘いたいから桝を使うと言って聞かない萃香の我儘を聞くために、条件として決闘中に奴の体へ取り込まれた酒を分散させる程のダメージを与える様にと約束し、今回は漸く使用する許可を下せた。しかし萃香は、鬼の呪いを持つマジックアイテムの酒へ更に鬼の血を――四天王の頂点に君臨した最高峰の隠し味(鬼の血)を混ぜてしまった。

 もたらされる影響は、考えるに鬼化の呪いの増強と促進だろう。萃香の血と桝の呪いの相乗効果があの男に働き、怪物をさらに二回り近く大きな怪物へ成長させかねない懸念が生まれてしまった。

 

「でも私にしろナハトにしろ、暴走して手に負えなくなった時の予防策に、紫と藍へ協力を仰いだんじゃないか。紫と藍に華扇と天魔も居れば、流石にどうにかなるんじゃないかなぁ? 華扇は手負いだけど、そんな程度でへこたれる様な奴じゃないよ!」

「だからと言って予定を無視して余計な危険を生むんじゃありません。素直に反省なさいっ!」

「いだぁーっ!?」

 

 手加減無しの本気デコピンを萃香に食らわせる。小さいくせに思いの外萃香の頭が固かったせいで指がジンジンするが、お仕置きした側がダメージを負うとはなんとも情けないので当然顔には出さない。でも痛い。

 萃香はおでこを抑えながら、私を上目で睨み付けて来た。

 

「……紫。思ったんだけどさ、よくよく考えてみればアイツちょいとおかしくないかね?」

「何?」

「いやさ、ナハトの感情の起伏が異常なまでに無くなったのが桝と血の副作用によるものなら、矛盾していないかと思ってさ」

「……奴が鬼の素材を取り込んで落ち着き払っている現象そのものがおかしいって言いたい訳?」

「そうそう。鬼に近づくと言う事はつまり、平静なんてものの真逆を行くって事だからね。そりゃあまぁ、鬼の中には禅に精通する様な変わった奴もいるにはいるよ? けど鬼じゃない奴が鬼化なんてしたら、顔が能面になるくらい達観しちまうなんて絶対有り得ないんだよ。アレが副作用なら普通、逆の事が起こる筈だろう? 質の悪い酔っ払いみたいに、片っ端から暴れまわったりって具合にさ」

「それは分かっているわ。でも私は鬼ではないから、あなたほど鬼を理解出来ていない。だからあの症状が何なのか聞いたのよ。それも無意味だったみたいだけれど」

「だなぁ。残念ながら私にもさっぱりだ」

 

 でもデメリットばかりじゃない筈だ、と萃香は言った。

 

「桝の酒と鬼の血を飲んであんな状態に成った奴は今まで見たこと無いが、とにかく。アレが鬼化の副作用の一つだとすれば、程度の差はあれ間違いなく鬼化の症状が表面化してるんだろう。それはつまり、本性を曝け出す事に戸惑いが無くなるってことなんだ」

「……と言う事は」

「ああ、紫が知りたいナハトのホンネを知れるだろうし、私も私で、心置きなくやりたい事やれるって訳だよ。何せ、嘘が付けなくなる事と同義なんだからさ」

 

 ……萃香が言うのならば、それは間違いではないのだろう。

 彼女は良くも悪くも極端な性格をしている。確証が持てない話は決して真実だと語らず、逆に確信を得た事柄はきっぱりと断言する妖怪だ。人里で幻想郷の妖怪について書物を綴り続けているある少女は、鬼ほど誠実な妖怪はいないと評していた。故に萃香の意見は恐ろしく信頼性が高い。

 であれば、今は強制介入を慎み、暫く様子を見る方が吉なのだろう。どちらにせよ萃香が相手を務めるのだ。決闘とやらが終わるまでは、まだ安全だと見て良いか。

 念のため、頼まれていた非常用結界の起動を準備しておくよう、藍に思念による指令を送っておく。

 

「さぁて、そろそろあっちの私の準備も終わったみたいだよ」

 

 萃香は再び私の肩へ腰を下ろし、小さな瓢箪から酒を啜り始めた。零して私のお気に入りを汚してくれないと良いのだけれど。

 ぷはっ、と瓢箪から口を離した萃香は、口元を拭いながら流し目でこちらに視線を向けた。

 

「まどろっこしい事を考えるのが紫の仕事だってのは分かってるけど、私があいつの本音を引き摺りだすからさ、こっから先はのんびり観戦と行こうじゃないか。あぁ、楽しみだなぁ。あの吸血鬼は一体どのくらい強いんだろうなぁ。()()()()じゃなきゃ良いんだけど」

 

 本当に楽しそうに、伊吹鬼はカラコロと笑う。それもそうだろう。彼女は私にこの()()の案件を持ちかけて来たその日から、この満月の晩を心の底から楽しみにしていたのだから。

 

 萃香が天魔と直接交渉してまでこの場を設けたのにはさほど捻られた理由など無い。他の妖怪へ奴の不鮮明な部分を明らかにすると言う開催理由は、私が表向けに考えた大義名分に過ぎないのだ。

 ただ彼女は、自らが全力で戦える場を設けたかっただけである。

 古来より鬼は、人間の宿敵としてその力を振るって来た。ところが最近は鬼の好む正々堂々とした猛者が減り、知恵を着け狡猾な手法を取る人間が多くなったため、萃香を筆頭とした鬼達は半ば人間に幻滅している傾向がある。加えてスペルカードルールの施行により、鬼はますますその内に秘める『鬼』を発散する手立てを失くしてしまった。これらの要因により、鬼は平和な地上から地底へと身を移して幾らか鬼の安息を得た経緯がある訳だが、やはり全力で戦えないと言うのは、鬼にとって中々の苦痛であるらしい。その点は逆にスペルカードルールの応用によって幾らか不満は解消されただろうが、それは例えるなら魚を水槽で飼う様なものなのだ。小魚ならば水槽の中でも全力で泳げるだろうが、(萃香)となると話は違ってくる。例えどれほど大きな水槽でも、鯨にとっては大海こそが最も力強く、そしてありのままで居られる環境なのである。

 

 つまり、萃香はスペルカードルールから解き放たれた闘いを望んでいた。己が持てる力を、なんの遠慮もなく振るう事の出来る機会を渇望していたのだ。

 

 それを実現するために、私と藍、そして華扇や天魔が招集された。山の四天王クラスの妖怪が本気を出せば、妖怪の山など砂の山と変わらない。むしろ被害が山だけで終われば御の字のレベルである。放っておけば周囲にまで被害が降りかかるのは最早語るまでも無い結末だ。だからこそ、舞台を整える存在が必要だった。彼女がどれほどの力を振るおうとも、山を守れる力を持った存在が。

 

 こうして私はこの場に腰を下ろしている訳なのだけれど……私には一つだけ、萃香に対して腑に落ちていない部分を持っている。

 至極単純に、萃香はナハトと言う異形をどの様に思っているのだろうか、と言う点だ。

 

 今更な事だが、彼女は奴に対して警戒心や恐怖の類を抱いている様に思えないのだ。八意永琳の弁によると、ナハトと言う吸血鬼の『素材』は万物の消滅――即ち消滅の恐怖の概念そのものであり、一度彼を認識すれば、例え恐怖を失くした不死身の蓬莱人だろうが、千年単位を生き抜いた大妖怪だろうが、古き時代の神々だろうが、問答無用で恐怖を呼び起こされてしまうとの事だった。

 それが、何故か萃香には見られない。どころか喜々として受け入れてすらいる様に思える。私でも、未だに奴を視界に捉えれば背骨の中心から全身にかけて氷結されていくかのような感覚に侵されてしまうのに。

 幾ら彼女がかつて日の本を揺るがせた大妖怪で、物事の疎密と濃淡を操る強力無比な能力を持つ萃香であっても、果たして欠片も恐怖を感じないなんてことがあるのだろうか?

 

 もし、彼女が奴の瘴気に対する対抗策を持ち合わせているのならば、それをこの機会に解析する事が出来るだろう。彼女の能力が有効かどうかも分かるかもしれない。この戦いで知れる事は多い筈だ。

 そう、知る事になるのは、なにも萃香の秘密に限った話ではない。あの男の真相についてもである。何せ異形の吸血鬼が戦う相手は鬼の頭とも言える存在だ。どこまでも直線的で、何よりも偽りを嫌う山の総元締めだった妖怪だ。今まで奴が置かれた状況とはまるで訳が違う。はぐらかしも、逃走も、一切合切通用しない。

 

 この晩で私は、きっと沢山の真実を目撃する事となるだろう。

 だから、さぁ、闇夜の支配者を名乗る吸血鬼さん。

 私にあなたの真の姿を、この場でよく見せてくださいな。

 

 

 体の節々が、ズキズキと悲鳴を上げている。二発もの大技をまともに食らった私の肉体は、吸血鬼異変以来の大ダメージに見舞われていた。

 特に脇腹からのコールが酷い。一撃目のドラゴンズクロウルを受けたところへ更に猛打を叩き込まれたのだから納得だ。彼女の手加減無しと言う言葉に偽りは無かったらしい。

 戦った者としては手加減をしてくれないのはありがたい事なんだけれど、効くものはやっぱり効くなぁ……。

 

「歩けますか?」

「あ……はは、すみません。補助、お願いします」

 

 萃香さんは華扇へ、椛さんが私へ肩を貸してくれて、なんとか闘技場を後にする事が出来た。滅茶苦茶体が痛いけど、反して気分は清々しいとさえ感じる。最近は、こんな風に誰かと思いっきりぶつかり合える機会なんて無かったから。

 まぁ、肝心の試合に勝つことは出来なかったのだけれど。

 

「……、」

 

 そう、勝てなかった。勝てなかったのだ。

 お嬢様の命令を無視して、おまけにあれだけ大見栄張っておいて、この体たらく。自分がなんとも情けなくなってくる。私は、ナハトさんとお嬢様の顔に泥を塗ったに等しいのだ。

 椛さんの肩を借りて、彼の前までなんとか歩を進めていく。けれど合わせる顔なんて無い。足取りが重いのは怪我のせいだけではないのだろう。

 勝てと言われたのに、報いる事の出来なかった私など、失望されて当たり前なのではないか。ひょっとすると、お前にはもう門番など任せないと首を撥ねられるかもしれない。そんな想像が、風船のように頭の中で膨らんでいく。

 

 ナハトさんとの距離が近くなるほど圧力を増す禍々しい瘴気に身も心も震わせながら、私は己の力量の無さを、心の底から嘆いた。

 そして、私を無言のまま迎えた夜の王に、項垂れたまま戦果を告げる。

 

「申し訳ありません。勝ちを、捥ぎ取れませんでした」

 

 声が震える。恐ろしいのは勿論の事、期待を裏切ってしまったと言う無念の感情が、渦を巻いて私を苛ませているのだ。

 顔を上げる勇気なんてない。どんな表情をしているかなんて、確認しようとするだけで恐ろしい。

 沈黙が、三途の川を彷彿させる程に長かった。

 

 

 

 

「……君と私が会った夜の事を、覚えているか」

 

 唐突に投げかけられたのは、予想に反したものだった。

 体がピクリと反応する。それは瘴気の禍々しい感触だけではない。彼の言葉そのものにあった。

 彼が私の前に現れた五百年前のあの夜を、私は一度たりとも忘れた事など無いのだ。長い妖怪生の中で、当時もっとも強い力を誇っていた吸血鬼すらも恐れ慄いた存在と巡り合った光景を、どうして忘れる事が出来ようか。

 

「あの時の君は、子供の吸血鬼に苦戦を強いられるほど弱かった」

 

 弱い、と言う言葉が刃の様に胸へ刺さる。

 しかし彼はその刃を引き抜くように、そっと私を諭し続ける。

 

「だが今の君は、山の仙人と相討つところまで奮闘してみせた。恐らくレミリアと同等――いやそれ以上の強者だろう、茨木華扇を相手にだ。それは、君が姉妹を守り通すために日々精進を怠らなかったが故の結果であり、証明なのだろう。少なくとも、私はそう考えている」

 

 ドクン、と心臓が強く波打った感触が、波紋状に広がった。

 心臓から送り出された血潮が、溶岩の様な灼熱感を伴って全身を満たした。

 

「改めて、レミリアとフランドールを君に任せた私の目に狂いは無かったと、確信できたところだ」

 

 

 

 

 

 気がつけば私は椛さんの手を離れ、痛む足腰を無理やり働かせて直立し、右拳を左掌へ当てていた。拳包礼と呼ばれる礼を、無意識の内に構えていた。

 言葉は出ない。絞り出そうにも、まるで声帯を失くしてしまったかのように喉から音が出てこない。ただ、胸の内側から湧き上がってくるこの感情は止まる事を知らなかった。

 今までの全てはこの瞬間の為に積み重ねてきたものだと言う確信が、無上の達成感を生み出した。それは例えようも無い歓喜となり、深く、強く、彼とお嬢様への―――紅魔への忠の心が固められていく。

 

「故に私から送れる言葉はただ一つ。――――見事だった」

 

 彼はそう私に囁くと、静かに横を通り過ぎていった。

 擦れ違いざまに回復魔法を私へ施し、武功を労うと言う、慈悲を施しながら。

 

 ああ。

 ああ、やっぱり。

 彼の言葉を信じ続けた過去の私は。

 お嬢様と妹様を、この身に代えても守ると誓ったあの夜の私は。

 

 

 間違って、いなかった……っ!

 

 

 

 手のひらに治癒魔法の術式を展開する。小さな魔法陣からは穏やかな緑の光が溢れ、蛍火の様な癒しの光球を生み出し、闇夜を漂っていく。

 私は労いを込めて、レミリアの誇る紅魔の門番へその手をかざした。

 癒しの魔法が傷を塞ぎ、疲労を拭う。しかし魔法は万能でこそあれ全能の代物では無い。回復魔法では、精々治癒能力を促進する程度が限界だ。それでも、妖怪の頑丈さと相乗効果が生まれて大分楽になることだろう。

 何故か拳包礼の形から身動ぎ一つしなくなった美鈴の横を通り過ぎ、私は闘技場へと赴いていく。

 

 しかしなんだろうな。この得体の知れない奇妙な感覚は。

 

 酒を煽った頃からだろうか。奇妙な事だが、アルコールを摂ったにも関わらず異様に頭が冴え渡っている。開放感に満ち溢れているとでも言うべきか。まるで全身を縛っていた鎖が全て千切れ飛んだかのように身軽で、そしてどこか火照る様な、例えるなら精神に燃料を投下されたとばかりに、今すぐにでも雄叫びを上げてしまいそうな猛烈な熱と清々しい気分が、私を包み込んでいるのだ。本当に叫んでしまいそうなので、実のところ頑張って表情を引き締めていたりする。

 

 私は別段酒に強いわけではない。かと言って、いくら萃香の酒が非常に強いものだったと言えども、一杯ひっかけた程度で酔いが回るほど貧弱でも無い。故に酔いの症状とは考えにくいのだが、はてさて、なにかあの酒には絡繰りがあったのだろうか。

 まぁ、別段支障は無いだろう。萃香の律儀で嘘を嫌う性格からして毒を盛られたとは思えないし、何より数ヶ月近くぐっすりと寝て起きた晴夜の様に気分が良いのだ。

 

 妙に高揚した心境のまま、私はリングへと足を下ろす。感覚が鋭敏になっているのか、いつもより星の輝きが増している様に感じた。いや、それだけではないか。客席全体から、眩い白の瞬きが点滅しているところからみて、カメラのフラッシュによるせいもあるだろう。

 それを鑑みても、普段より眩しいと感じるな。

 

 しかも、どうやら感覚や気分にだけ変化が起きている訳では無いらしい。

 やはり、少しばかり酔ってしまったのだろうか。そんな筈はないと思いたいのだが、目立つことは疎ましく思っていた筈なのに、今は注目の集中線を浴びているこの状況が何とも心地よく感じてしまっている。今までこんな感覚が私を支配した事は無かった。

 実に、清々しい気分だ。

 

「なんともまぁ、見事なまでに落ち着いてるねぇ、吸血鬼さんよう」

 

 私の直線状に立つ、二本角の少女が値踏みをする様な笑みを浮かべて呟いた。出合った頃とは異なり、頬も染まっていなければ呂律もキチンと順転していて、萃香の体から溢れる様な酒気がさっぱりと消え去っていた。どうやら素面になったらしい。

 

「祭りの熱気に当てられないとは、とことん珍妙な妖怪だねお前さんは」

「いいや、これでもかつてない程に高揚している。まるで霊格の高い生娘の巫女(シャーマン)の血でも飲んだかの様に力が漲るのだ」

「……混ぜたのは私の血なんだけど……まぁ、万全ならそれでいいや。ようし! ここらで一丁、祭りのフィナーレを共に飾ってやろうじゃないかっ!」

「望むところだ」

 

 歓声が炸裂する。山の妖達は活性を取り戻した火山のように、内側から噴出して止まらない熱を声として形に変えて、怒号の如く解き放っていた。既に私に対する恐怖も何もかもは塗り潰されてしまった事だろう。今まで公衆の面前に私が立った場面で、これほどまでの熱狂ぶりを見た事は無い故に容易に察せる。妄執に憑かれた狂信者や殺意に呑まれた討伐隊のものとは違う、盛宴の喧騒がそこにあった。

 

「それじゃあ紫、景気のイイ音頭を頼む!」

『はいはい――――八雲の名の下に、鬼「伊吹萃香」と吸血鬼「ナハト」の決闘を許可する』

 

 凛とした紫の声が晴夜を抜ける。雲が晴れ、絢爛な中秋の満月が霊峰を彩った。

 

『いざ、尋常に勝負!』

「だァァらッッしゃあああああああああああああ―――――ッ!!!」

 

 ゴングと共に先手を取ったのは、鬼の少女の方だった。

 声量だけで大気を震わせる豪胆さ、まさしく砲声。音波による波動を撒き散らしながら、大地を蹴り飛ばした萃香は砲弾の如きスピードと破壊力を引き連れて、一気に私の元へと跳躍し、杭を打ち込むように拳を振るった。

 泥酔していた少女のものとは思えない挙動に面を食らうが、咄嗟にグラムを生成し、萃香の振るう剛拳を受け止める。

 

 だが、ガラスを殴り割ったかのような高周波と共に、黒い剣は呆気なく砕き割られてしまった。

 

 もともと耐久性はそこまで高くないグラムではあるが、魔力を絶えず注げば紫と幽々子の弾幕豪雨を凌ぎきれる程度の実績はあった。それをこうも容易く木端微塵にするとは、素の身体能力――特にパワーはレミリアら吸血鬼を軽く上回っていると見て間違いないだろう。

 一本ではまず持たない。展開できる限界、十五の剣で相手取らねば即座にやられる。

 

 背から射出する様にして、私は扇状にグラムを展開する。

 それを目撃した萃香は、玩具を貰った子供の様な輝きを瞳に宿した。

 

「純粋な魔力の塊をそんなに具現化出来るなんて、なんっだいそりゃ!? ははははっ! いいね、いいねぇ! もっともっと楽しませておくれよなぁっ!」

 

 着地した萃香は、すぐさま私の懐へと潜り込んだ。

 次の瞬間、猛烈なインファイトの衝撃が私へ襲い掛かった。

 怪力の鈍重そうな印象と反する、視認する事すら困難を極める突きの連打。それは拳を弾丸とした機関銃の連続射撃に他ならなかった。一撃一撃に骨肉をミンチへ変える威力の籠められた猛打撃が、瞬く間に何十何百と叩き込まれる。

 

「ちぇいやっ!」

 

 分厚いゴムを思い切り殴りつけた様な轟音と共に、フィニッシュブローが私の鳩尾へ突き刺さった。内臓、肉、骨を全て混ぜ込まれ、筆舌に尽くしがたき悍ましい感覚が全身を蹂躙する。それだけでは飽き足らず、鬼の持つ破壊のパワーは私の体を軽々と吹っ飛ばし、遥か彼方の空へ放り出してしまう。

 空中で無理やり回転を加え、態勢を立て直す。同時に破壊された肉体の修復を行い、着地に成功する事が出来た。

 その間の追撃を警戒したものの、萃香は呆れた様な目でこちらを見てくるのみで、行動に移ってこなかった。どうしたのだろうか。今は彼女にとって絶好のチャンスだっただろうに。

 

「……お前さんよう、今の攻撃、やろうと思えば躱せただろう? いや、その大量の剣で反撃することだって出来た筈だ。なのに何でやらなかった?」

「大した理由じゃない。君の姿に少々重なるものがあったから、少しばかり躊躇が生まれてしまっただけだ。それが隙に繋がったに過ぎない。私の過失だ」

「………………はぁ、うん。分かった。じゃあ配慮してやる」

 

 その言葉を皮切りに、萃香に物理的な変化が訪れた。

 小柄な童女ほどでしかなかった萃香の体は、一度霧状に分解されるとみるみる質量を増していき、そして再び形を成した暁には、私を軽々と見下ろせるほどにまで巨大化してしまった。数値で表せば、身の丈三メートルほどと言ったところだろうか。

 しかし彼女の変身は、なにも巨大化しただけに留まらなかった。華奢だった少女の肉体は、全身の筋肉が隆起した筋骨隆々な巨躯へ、そして健康的な白肌は血染めの如く紅蓮に染め上げられたのである。

 獅子を思わせる黄金の輝きを月光で照り返す長髪が振り乱され、獰猛な鋭さを帯びた鬼神の瞳は月下でなお存在感を失わない。牙は夜を引き裂かんばかりの凶暴なものへ変化を遂げた。

 それはまさに、伝承の絵巻物に描かれる、人々を恐怖のどん底に陥れた『鬼』の姿に他ならなかった。

 成程、童女の姿と伝承の鬼の容姿に乖離が生じていたのは、人間の恐怖による幻覚のみではなくこの様なカラクリがあったが故なのか。

 

 ざわざわと、周囲の妖達の動揺が露わになった騒ぎが耳へと入る。かく言う私もそうだった。妖怪が肉体に縛られないのは重々承知していることだが、ここまで変化のギャップが激しいと驚かざるを得ない。

 

「この姿は昔、人間を脅かすように考えたものだったんだけど、まさか人攫いをしなくなった今日になって変身するとは思わなかったねぇ」

 

 屈強な見た目に反して鈴の音の様な少女の声がやけに響く。見た目が変化しただけで中身は変わっていないのだろうか。狐や狸が得意とする変身の陰陽術と類似したものなのかもしれない。

 

「まぁ戦えるなら何だろうと構わないさ。さぁ、これなら心置きなくお前さんもやれるよなぁ、もう手を抜く様な真似なんてしないよなぁっ!?」

「ッ!」

 

 突如視界を真っ赤な岩石の様なものが覆いつくし、絶大なインパクトをもたらした。それは巨大化した萃香の拳に他ならなかった。

 瞬時に地を蹴り、大鬼の打ち下ろしを回避する。彼女の拳は霊峰へ軽々と突き刺さると基盤を放射状に捲りあげ、怒涛の土煙を発生させた。視界が白に覆われる。私はすぐさまグラムで扇風し、砂煙を取り払う事で視界を取り戻した。

 だが、次の瞬間。

 

「■■■■■■■■―――――――――――ッッ!!」

 

 神話の巨人と匹敵する猛烈な怒号と共に、闘技場を包む煙幕が突き破られた。丸太の様な剛脚から放たれるキックが暴風を生み、周囲一帯へ衝撃波を撒き散らして蹂躙したのだ。

 瞬発的にグラムを二本手に取り、まともに食らえば肉片一つ残らないだろう蹴りを受け止める。あまりの剛力に足元の地面が凹んだ感触があった。木端微塵に砕けそうな剣を補うべく全力で魔力を注ぎ込みながら、背後に漂う十三もの刃を萃香へ一気に突き立て、穿つ。

 

「!? いっだぁ!?」

 

 萃香の悲鳴が上がり、足の力が弱まる。その隙を逃さず、私は萃香の足を蹴り飛ばし、思い切り地面へと転倒させた。巨大な建造物が倒壊したかのような衝撃が山を揺らし、動物たちが一斉に周囲の森を後にしていく。

 

 かつてフランドールに寄生していたスカーレット卿の魂のみを切り刻んだ様に、グラムは肉体へ突き刺した刃から指向性を持った魔力を押し流す事で、精神体のみにダメージを与える事が出来る。妖怪は肉体に縛られにくい存在であるが故に効果は高く、グラムは言うなれば妖怪殺しとも言える性能を発揮するのだ。鬼とてただでは済まないだろう。

 けれど私の予想に反して、萃香は獰猛な笑みを浮かべるのみ。

 

「ッはぁ! 痛いなぁ! そうそう、その意気だよナハトォ! もっとだ、もっと私に鬼の喜びをくれ! もっともっと血肉を湧き立たせておくれ!!」

 

 嗤う萃香の次の一手に、自分の眼を疑った。

 萃香の体中に突き刺さっていたグラムが、幻想郷中に轟かんばかりの咆哮と共に筋肉の収縮だけで呆気なく圧し折られ、霧散し空気へ解けてしまったのだ。

 

 確かにグラムの耐久性は高いとは言えない。だが今の魔剣は肉体を、ひいては物質そのものを透過出来るよう調節してあった。精神のみを切り裂くためにわざと透過していたと言うのに、それを彼女は完全な物理で叩き割ったのだ。一体全体どんな手品を使ったと言うのか。

 一瞬の混乱が私の思考を貫き、淀ませる。それが彼女へ先攻を譲る隙を生み出してしまう。

 

「密」

 

 萃香は徐に人差し指と中指を合わせ、陰陽師が術印を結ぶように手を振るった。微かながら放たれた妖力の波動が、私の肌をざわりと撫でる。

 その時だった。

 吹き散らされた筈の砂煙が物理法則を無視した凝縮を始め、空中で大小さまざまな土塊へと変化していったのだ。

 砂は圧縮されるだけに留まらず、膨大な熱を帯びて朱に染まり、ただの土の球だったはずのものは、終いに骨すらも溶かし尽くすだろう溶岩球へと変貌を遂げた。

 私の周囲を、彗星の如く溶岩球が旋回し始める。ぐるぐると、徐々に徐々に回転する速度が増していく。

 唐突に、時は来た。

 

「密!!」

 

 鬼の号令が晴夜へ轟き、流星の大演武が開幕した。四方八方からランダムな軌道を描く溶岩球が次々と、まるで意思を持った生き物のように私めがけて襲い掛かる。

 当然十五の魔剣で応戦する。だが相手は、斬り伏せたところで霧散する妖力の弾では無い。自然物質、溶岩の塊だ。斬ろうが叩き伏せようが瞬時に萃香の力によって修復、果てには分裂し、自動追尾弾としてさらにその凶悪さを増していった。

 

 これでは埒があかない。いずれジリ貧に追い込まれてしまうだろう。ならば術には術を、自然には自然を。即ち、溶岩に反する自然を魔法としてぶつけてやれば突破できる。

 

 剣を手放し、半自動操縦で溶岩球を打ち払いながら、両手のひらに意識を集中する。魔導書(グリモア)があれば万全なのだがこの際贅沢は言えない。質は劣るが、即席で対抗するとしよう。

 

「凍れ」

 

 両手に水色の魔法陣が生み出される。それは呪文と魔力の制御を受けると猛吹雪を吐き出す砲身となり、極低温の息吹を辺り一面に撒き散らした。

 空気が凍り、氷霧の幕がばら撒かれる。絶対零度の銀幕に触れた溶岩は次々と熱を奪い取られ、砕け、物言わぬ岩石へと戻されていった。

 しかし当然、萃香もただ無力化されていく光景を眺めるだけでは無いワケで。

 

「むむむむむぅ~~~~~せいやぁっっ!!」

 

 一際力強く術を編んだ萃香は、これまでとは一線を画す巨大さを誇る溶岩塊を頭上に作り出すと、私めがけて一気に撃ち放った。

 その一撃、まさに隕石。場違いな感想だが、小惑星が眼前にまで迫っていた時の恐竜は、こんな心境だったのではないだろうか。

 しかし、成程。レミリアが苦戦を強いられたと言うのも頷ける実力だ。萃香は間違いなく紫と同等クラスの大妖怪だろう。あらゆる法則に縛られず、思うがままに個を振るう事を許された絶対強者。椛やにとりが怯えていた理由も今なら分かる。

 

「撃ち落とせ」

 

 十五のグラムを連続発射し、加えてブリザードを一斉放射しながら隕石を迎え撃つ。溶岩塊は体積を削られ凍り漬けにされると共に減速を始め、間一髪のところで落下を食い止め―――――

 

 

「疎」

 

 

 刹那、爆散。

 食い止めたはずの溶岩塊は、内部から破裂させられたかのように爆発四散し、未だ高熱を帯びている中身を思い切り私へぶちまけた。

 至近距離に居た私は、当然の如く溶岩のシャワーを浴びるハメになる。肉が溶け、骨が黒い煙を上げた。全身の感覚器官が焼き尽くされ、思考能力以外の全てを奪い取られていく。

 幸い、今夜は満月だ。満月時の吸血鬼は蓬莱人と匹敵する不死性を誇る。故に微かな余裕が生じ、ほんの一瞬だけ、彼女の奇妙な力について考察を行う余地が開けた。

 

 彼女の攻撃……物体の圧縮と爆散――いや、分解か? 思い返せ。彼女は体を霧状にして別の形へと作り変える事を可能としていた。更に彼女の圧縮は膨大な熱を発生させ、分解は物体を霧散させるまでに至る。どんなものであろうとも自由自在にだ。

 つまり、彼女の力の正体は、

 

「構造? ……いや、密度を操るのか、君は」

 

 溶岩を払いのけ、膨大な魔力で強引に体を修復しつつ、宙へ飛び上がり、再生が終わると同時に着地する。私と目線を合わせた萃香は、異形の顔を愉快そうに歪めた。

 

「ほんと、鬼の私も呆れちまうくらいの不死身具合だねお前さんは。ああ、能力については概ね正解だよ。私は密と疎を操れるんだ。物体だけじゃあなく、応用すれば人を集めたり散らしたり出来るし、もっとやればこんな事だって出来る」

 

 パチンと、指を弾く音が一つ。

 途端に、音が消えた。

 正確には、観覧席から聞こえていた喧騒が、防音壁を隔てたように遮断されたのだ。

 

「周りの音を()遠にした。これで私達の声は向こうへ届かないし、逆に向こうの音もこっちにゃ届かない」

 

 萃香は続ける。

 

「さぁて、この機会にお前さんへ問答タイムといこうかね」

「問答だと?」

「ああ。紫からお願いされていてね、お前さんに聞きたい事があるんだと。私はまどろっこしい言い方は嫌いだから、単刀直入に聞くよ」

 

 萃香は鋭い黄色の爪を生やした指を、をこちらへ突き付けて、

 

 

「お前さん、一体何が目的で幻想郷へやって来たんだ?」

 

 

 本当に、ただただシンプルに、私へ一つの疑問を送り付けた。

 

「聞いた話だと、お前さんは結界を自分から乗り越えてやってきたそうじゃないか。外に忘れられて送られて来たんじゃなくて、自らの意思で。そこン所が紫は気がかりなんだとさ」

 

 ……と言われても、という所が率直な感想だった。

 何をしに来たのかと聞かれれば、友人が欲しかったからに他ならない。外ではまずコミュニケーションそのものが不可能で、どれだけ長い年月を渡り歩こうとも希望が見えなかったが故に、ここへ流れ着いた。それだけに過ぎないのだ。

 だから、ここであらぬ誤解を招かないように、私も直球で核心部分を語る事にした。

 この時の私には、何故だか心中をそのまま暴露せねばならないという強制力のようなものが働いていた。

 

「私が幻想郷へ来たのは、友となってくれる者を探す為だ」

「……すまん、何だって?」

 

 呆ける萃香。間に流れる微妙な空気。予想通りの反応である。しかしここで挫けてはいけない。押し通すのだ。私に纏わりつく認証のすれ違いを、今ここで取り払う一歩を踏み出すのだ。

 こんな機会、そう滅多に訪れるものではない。千載一遇のチャンスは、是が非でもものにしなければ。

 

「理解してくれるまで、何度だって言おう」

 

 一際深く、息を吸いこんで、

 

 

 

「私は友達が欲しいだけだ。この疎ましい我が力を恐れず接してくれる仲間が欲しい。ただそれだけなのだよ」

 

 

 

 

「力を恐れない……仲間が欲しい……だって?」

 

 萃香が能力を使って音を遮断してから、数秒の事だった。それまで意気揚々と私の肩で酒を飲み耽っていた萃香は声を震わせながら、なにやら唐突に独り言を呟いた。

 何が起こったのか、私は彼女へと尋ねる。

 

「奴はなんと?」

「あいつが……幻想郷へ来た理由ってさ、自分を恐れない友達が欲しいからなんだって。嘘じゃない、本当だ。あいつは今、確かにそう言ったよ」

 

 ―――――――――――――――は?

 一瞬、私はとうとう耄碌してしまったのかと脳が揺らいだ。思考が焼き切れ、真っ白になった空間が脳裏に広がる錯覚さえ覚えてしまった。

 

 

「冗談ではないのよね」

「私を誰だと思っているんだい」

 

 説得力を伴う鬼の一言が、有無を言わせず私を黙らせた。言葉の裏があるのかとありとあらゆる婉曲した解釈を試みても―――どう足掻いても、答えは一点に絞られてしまう訳で。

 

 つまり、本当にナハトは友達が欲しいだけなのか?

 計算高く狡猾で、私と幽々子を欺いたほどの、あの魔王の様な男が?

 有り得ない。そんな答えは決して有り得ない。そうであるなら今までの奴の行動は全てなんだったのか。

 そう、有り得ない。絶対に絶対に有り得ない。

 

 

 ……有り得ない、筈なのだけれど。

 

「…………………………………」

 

 反論しようにも、材料が無いのもまた事実だった。

 否。たった今萃香の発言と行動によって材料を全て叩き潰されたのだ。なにせ今のナハトは鬼の血と茨木の百薬桝の複合作用が効いている状態である。加えて萃香自身が……あの天下の嘘嫌いである萃香が、こうして『嘘だ』と憤らずに受け止めてしまっている。

 それの指し示す所は、つまり。

 奴の友達が欲しいと言う発言は、嘘偽りの無い本心だと言うワケで。 

 

「…………成程、友達、友達か。言い得て妙成りって所だね……くっくっくっくっくっくっ。ふふ、ふはは、あはっ、あっははははははははっ!!」

 

 

 唐突だった。

 私の思考を遮る様に、どこか意気消沈としている様子だった萃香が、何の前触れも無く高笑いを炸裂させたのだ。

 しかしその笑いに、喜びや愉快と言ったプラス方面の感情は一切含まれていない。

 それどころか、この乾き切った大笑いは。

 まるで、呆れを通り越して自暴自棄(ヤケクソ)になってしまっている様で。

 

 彼女は瓢箪を私の肩へと置き、酒器を離した手で顔を覆った。

 

「ああ、なんて、なんて―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――なんて、不愉快な野郎なんだろうね」

 

 

 

「ふざッッッけんじゃねぇぞ吸血鬼ィッッ!!!」

 

 

 

 我慢の限界だった。

 奴と麓で会った時から自分の気持ちを抑え、堪え、蓋をし続けてきたけれど、もう無理だった。臨界点は突破した。今の奴の一言が、私の爆弾へ無慈悲に点してしまったのだ。

 

 私には、大嫌いなものが三つ存在する。

 一つ目は嘘つきな奴。これはもう言うまでもないだろう。問答無用の論外って奴だ。

 二つ目は弱い奴。私は強い奴が好きだ。体が弱くても心の強い奴は好きだ。でも心も体も弱い奴は思いっきりぶん殴りたくなる。

 三つ目は臆病な奴。中でも特に、本当は強いのに自分の力を拒絶して、強者の責任も何もかもを全部放り投げて、自分自身の強さと影響力にビクビク怯えながら、嫌わないで怖がらないでーって周りの顔色を窺い続ける奴なんざ反吐が出る。

 

 その三つ目にたった今当て嵌まってしまったのが、ナハトだった。本当はそうじゃないと信じたかったけれど、明らかになってしまった。なってしまったんだ。

 大いに期待していた分、裏切られたと言う事実の刃が心の奥まで突き刺さって、そのまま引き裂かれたかのような傷を生んだ。

 本当に、本当に期待していたんだ。それはもう、思わず童心に返ってしまいそうになるくらいには。

 

 私が奴を初めて見た時、どうしようもなく心が躍ったものだった。今の幻想郷は少しばかり平和過ぎるから、道行く存在全てに喧嘩を売る様に瘴気を振りまくアイツは、まるで味気の無い料理を一級品に仕立て上げてくれるスパイスみたいに思えたんだ。

 だってこの私が……百戦錬磨のこの伊吹萃香が、たった一目見ただけで体の芯からブルっと来てしまう様な、真正の化け物だったんだから。

 もちろん、今の幻想郷が嫌いって訳じゃあない。霊夢たちと神社で宴会したり、のんびり日向ぼっこしたり、時々悪戯して怒られる様な日常も良いけれど、鬼の私にはほんの少し物足りない節があったのもまた事実だ。

 だからこそ、怒涛の威圧で妖怪どもの心を一切合切縛り上げ、ただ道を歩くだけで木端どもを百鬼夜行に纏めて引き摺りこんでいた永夜のアイツを見つけた時は、長らく探し求めていた最上の馳走を見つけたかのような、得も言われぬ感動があったものだった。

 

 事実その期待通り、ナハトは凄まじいの一言に尽きた。放たれる圧迫感は力の弱い有象無象ならばあっという間に屈服させて配下にしてしまうその風格は、まさにカリスマの具現。肝心の力量は紫と幽々子のタッグを軽くあしらう程の強靭さを持ち、私の他にも覗き見をしていた連中へ、その圧倒的な力を大胆に示して見せた程だ。

 こいつは大当たりだと、私は直ぐに確信したさ。平和な空気に牙を抜かれる前の、大昔の妖怪がまだ残っていたんだって、信じて疑わなかった。アイツなら、長い事空きっ腹にしていた鬼の腹を満たしてくれるだろうって、本当に本当に期待を寄せていたんだ。

 

 でもそれが、段々疑惑的なものに変わっていってしまった。

 

 切っ掛けは奴を張り込もうと決意した時からだ。私は、奴が一体全体どんな妖怪なのか、気になって気になって仕方がなくなって、逐一奴を観察する事にしたんだ。強者を知ろうとするのは鬼の性だ。私はその性質が特に強い。今だって、破格の強さを誇る人間の霊夢にも夢中になっている。お蔭で勇儀の奴には猛者マニアなんて言われたっけか。あいつも他人の――いや、他鬼(ひと)のこと言えない癖になぁ。

 ともかく、私は奴を徹底的に観察した。人間の猛者を選別していた昔を思い出す様で、観察していた時は実に愉快なものだったよ。

 

 でも、そんな私の興奮に反して館の中でのナハトは、まるで呑気したおっさんそのものだった。

 

 ギャップが凄まじかったんだ。傍目から見れば第六天魔王みたいな野郎なのに、妖精どもに自ら茶や菓子を振る舞おうとしたり、それで逃げられてしょぼくれたり、図書館の小悪魔の仕事を手伝おうとして逃げられてまたしょぼくれたり、それで魔法使いに仕事の邪魔をするなと怒られていたり……挙げていったらキリが無いが、およそ自分が高位の妖怪だと自覚していない様な行動ばかりとっていた。いや、あれは気弱だとでも言うべきか。

 仕草に覇気と瘴気は有れど、姿勢は軟弱。あえて例えるなら、目も眩むようなド派手な衣装に身を包んだ凡骨だろう。そんな印象が脳裏を過った記憶を、今でも鮮明に覚えている。

 いやいやそんな事があるもんか、こいつは間違いなく、私と同じ百鬼夜行を総べる真正の怪物だ――――そう自分に言い聞かせながら、諦めずにずっとずっと観察を続けた。これらの行動はカモフラージュで、隠している怪物としての尻尾はまだあると信じて、それを掴むために一日中張り込んだ。

 だけど結局、私の期待が報われる事は無かった。

 

 日を追うごとに、薄皮を引き剥がしている感触があった。そうしている内に、私はあの分厚い瘴気の裏側にある本性を見抜いてしまった。でも私はずっとそれを押さえつけていた。答えを保留するなんて鬼らしからぬ行動だったのは自覚している。普通なら認めちまうところだけれど、言わば奴は極上の酒だったものだから、手放すのが惜しくて躊躇してしまった。それに、確固たる証拠も無かったものだから、余計に拍車が掛かってしまったんだろう。

 だけど今、アイツの一言で確信してしまった。奴の本質がとうとう浮き彫りになってしまったんだ。

 

 

 ナハトの奴は、自分の力を受け入れきれず完璧に拒絶しちまってるだけの、ただの軟弱野郎なんだって。

 

「……お前さんよう。そんな甘ったれた事を、いつまで続けるつもりなんだ?」

 

 ナハトは強い。持ってる力だけなら紫と同等か、それ以上のインチキ野郎だ。今でさえ、ナハトは私の攻撃をまともに食らっても顔色一つ変えやしなかった。素直に認めるよ、ナハトは恐ろしく強い妖怪だと。

 でも肝心の心が駄目だ。アイツは、自分の強さを全然受け入れられていない。強者が持つべき責任を、どっかに放り投げてしまっている。

 

 力を持つものには相応の責任が降りかかる。当然だ。そうでなければ強さなんて意味が無くなる。強者が強者らしく振る舞い、弱者がそれに歯を剥いて抗って、そして強者を打倒するからこそ、『強弱』の持つ美しさは形を成すのだ。だから、強者が弱者にまで腰を低くするなんて、最大の侮辱行為だと私は思っている。

 そして奴はその侮辱行為を行っていた。己の強さを拒否して、強者らしく振る舞う事も、弱者に挑まれる事も恐れて逃げた。自分の力が、そしてそれを恐れて人が離れていく孤独が、怖くて怖くて仕方が無いからだ。

 現に奴は、孤独を埋めるために積極的に他者と関わって、拒絶される様なら直ぐに諦めて退くを繰り返し続けていた。紫と幽々子の時も、椛の時も、にとりの時も――――私の、時も。

 何故なら、自分の底を曝け出すのが怖いから。曝け出して、今以上に他人から疎まれるのが恐ろしいから。ありのままの自分なんて受け入れられるわけが無いと、諦めて眼を背けてしまっているから。

 

 その考え方を否定するつもりは無い。でもそう考えるなら、他者と関わるなんて止めてしまえと思うんだ。独りで生きていくのもまた強さだろう。しかし奴は、惨めたらしく我儘に温もりを求めた。自分の力を拒絶してるのに、自分が自分を受け入れられてないのに。奴は自分自身が恐れている部分を刺激しない、都合の良い配下(ともだち)を欲しがった。独りよがりな百鬼夜行を欲しがった。

 

 そんな甘ったれた態度なんざ、反吐が出る。

 

「なぁ、ナハトよう。お前は自分の生まれ持った力について考えた事はあるかい? ああ、『なんでこんなもの持って生まれてしまったんだろう』だとかそう言う事を聞いてるんじゃあないよ。自分の力と接して受け入れようとしたことがあるか、それを聞いているんだ」

「……、」

「当ててやろうか。大方、自分の力を捻じ伏せようとするか、見てみぬフリをしようとするか、背を向けて逃げようとすることしかしなかった。違う?」

 

 ナハトは身動ぎ一つしない。肯定も、否定も示さない。それは、文字通りの黙認を表していた。

 ビキッと、額に青筋が走る感覚が鮮明に走り抜けた。

 熱い息が、込み上げてくる。

 

「お前さんは強い。この私の攻撃をあれだけ食らって平然としていられるお前さんはとびっきり強い。なのによう、どうして逃げるんだ? 何で恐れられる事から逃げるんだよ。……まさかそんな臆病な姿勢のまま、本気で子分(ともだち)が百人出来るなんて思っちゃあいないよね?」

「…………、」

「だとしたら甘い。甘すぎるぞ吸血鬼。幾らお前に『目にされただけで怯えられる瘴気があるから』なんて逃げ口があってもな、お前がそんなんじゃあ着いて来るものも着いてきやしないさ」

「……!」

 

 酒を飲んでから能面の様だったナハトの顔に、動揺の色が初めて浮かび上がった。

 それは、核心を突かれた奴が必ず見せる表情に他ならないもので。

 

「ナハト。真の仲間ってもんは、互いの全部をひっくるめて笑って受け止めてやれるような、そんな奴の事を指すんじゃあないのか? お前が手紙でやりとりしてる、あの竹林のお姫様みたいにさ」

「ッ」

「お前とあの姫の間に何があって同士になったのかなんざ私は知らないし、知った事じゃない。でもこれだけは分かるよ。姫はお前の本性を、瘴気なんてちっぽけなモンに惑わされずに見てくれた筈だ。そして着いて来てくれるようになったはずだ」

 

 指を突きつける。私の怒りの槍を向ける様に。どうしようもなく不甲斐ないこのヴァンパイアへ、真実を気付かせてやる様に。

 

「それこそがッ!! お前さんがこれからも真に望むべきものだろう!? 真に見つけ出すべきものだろう!? お前さんにはもう既によう、本当の意味で着いて来てくれる奴が居るんじゃねぇか。なのになんでお前はっ! 不自然に媚びへつらって自分を隠すんだ!? そんな腕輪で自分を抑え込んでしまうんだ!? なんで……なんで、自分の全てを晒けだして、拒絶されるだとかそんな小さいもんは全部無視して、ありのまま本気でぶつかってやれば良いって事が、分かンねえんだッッ!! 仲間が欲しい? その為にはよう、まず自分が自分を受け入れなきゃ話にならねぇって事が、どうして理解出来ねえんだよッ!!」

 

 百鬼夜行は、自分の都合の良い玩具(ともだち)を並べる行列なんかじゃない。己の魅力に惹かれ、憧れた奴らを、頭が責任もって引っ張っていって、そうして出来た隊列を言うんだ。

 なのに、頭が弱気になってどうする。頭が自分を受け入れられなくてどうする。頭が行列の真ん中に入っちまってどうする。

 そんなんじゃ駄目だ。仲間なんて出来っこない。頼りにならない頭に着いていく奴なんざいる訳無い。わざと腰を下げる様な行為は、着いて来てくれる奴への裏切りでしかないんだ。だから堂々としなくちゃいけない。理想を見せてやれるように強く在らなくちゃいけない。

 それこそが、強者の責任って奴なのだから。

 

「怯えてねぇで前を向け」

 

 後ろを向いて前を歩く頭がいるか。

 

「ありのままの自分を受け入れろ」

 

 自分を受け入れきれない奴が、どうして手下に認めて貰えるってんだ。

 

「そして何度でもぶつかって仲間を引っ張り込め! お前だけが持つ魅力で引き込んで見せろ! ナヨナヨしてんじゃねぇ、自分を曝け出す事を恐れてんじゃねぇ!! そうしたらいつか、お前に着いて来る奴が絶対に現れる。そう言うもんなんだよ! 姫の時だってそうだったんじゃねぇのかよ!」

 

 どれだけ疎まれたっていいじゃないか。嫌われ者万歳で良いじゃないか。確かにお前さんは仲間を得るのが難しいかもしれない。でも大勢嫌ってる輩がいるその中で、お前に着いていきたいと思ってくれた奴を、引き込んでやればいいだけの話じゃねえか。

 そいつらさえいれば、お前の後ろには百鬼が着いたも同然。そうじゃあないのかい、ナハト!

 どこに、怯える必要があるってんだ!

 

「そうやって、作って行けばいいだろうが! テメエのッ! 他の誰でもない、テメエだけのッ!! 百鬼夜行ってヤツをよ!!」

 

 

 

 核心を突いた彼女の叱責は、私が今まで目を逸らして来た物全てを固め上げた鈍器を使って殴り飛ばしたかのような衝撃となり、私の内部の隅々にまで響き渡った。

 お蔭で、乾いた息が自然と漏れ出す。

 それは自分に対する、呆れとしか言えない感情の表れで。

 

「……そうだな、まったくもって君の言う通りだ。どうやら私は、長い時間の中で耄碌しきっていたらしい」

 

 まさに頭を殴られた気分だった。言葉と言う衝撃が、かつてない程に重く感じた。銀のナイフで心臓を突き刺される事よりも、直射日光を浴びる事よりも、深く重く強烈に、言霊の力が浸透していった。

 だがそれと同時に、パズルのピースがカチリと嵌った様な、もどかしさが消えた感触も確かに感じた。私だけでは辿り着けなかった境地へ辿り着いた、奇妙な爽快感が私を包み込んでいた。

 

 本当に、萃香の言う通りだ。私は自分を相手にぶつける事を心のどこかで恐れ、忌避していたのだろう。今まで誰も受け入れられなかったのだから、これからもそうだと無意識に守りへ入ってしまっていた。拒絶されればすぐそこで諦めていたのが良い証拠だ。友人を欲する余り、私は恐怖を抱かれる姿を――恐怖の吸血鬼としての自分を恐れていたのだ。他者へ悪影響しか与えないこんな私が友人なぞおこがましいと、腹の底で否定していたのかもしれない。

 

 なんと愚かな思想か。それでは一体輝夜は何だったのかと言う話になってくるではないか。この考え方こそが、彼女への裏切り行為に他ならないと言うのに。

 我ながら呆れて声も出ない。今までコミュ障記録の歴史的数値を打ち出し続けていたのも納得である。

 上っ面だけの私を示したところで一体何の意味があるのか。例え上辺だけで受け入れられたとしても、それは私を瘴気だけで恐怖し、忌避する者となんら変わらないではないか。輝夜の様な者であるからこそ友人としての意味があると言うのに、私はそれに気付けなかった。必要のない部分まで飢えてしまっていたのだ。

 

 こんな無様な真似はもう終わりにするべきか。私は、今ここで、己の恐怖を克服せねばならない。

 嫌われる事を恐れるのではなく、受け入れる。当たって砕けろの精神である。シンプルながらこれ以上に無い最適解だろう。

 必要以上に欲張らず、しかし理想は捨てずに気高く堂々と。私の友人であることが誇らしく思える様な、そんなヴァンパイアでなくてはならんのだ。

 ならば手始めに、忌々しい殻を破り捨てるとしよう。

 

「もう、この腕輪など必要ないな」

 

 萃香の猛攻からも障壁を掛けて守って来た腕輪を、私は取り外し、そして握り潰した。途端に、私から放たれる瘴気の純度が増していく感覚が訪れる。観客席から悲鳴が上がった。取り返しのつかない恐怖を私に抱いてしまった者もいるだろう。

 だがそれがどうした。私は、ありのままの私でいる。ありのままで、長い年月がかかろうとも誤解を解いて見せよう。

 もう恐れない。無意識の恐怖は克服した。

 

「心から感謝を、伊吹萃香。君のお蔭で私は成長する事が出来た」

 

 私が行く道の過程で何度忌避されても構わない。ただ私が真摯であればそれでいい。諦めなければ、いつか輝夜の時の様に巡り合えるだろうから。

 しかし、百鬼夜行か。言い得て妙成りだな。妖怪の身として分かり易く砕いた言葉で説教して貰えるとは、恐悦至極、感謝の至りである。彼女が妖怪の上に立っていたらしいのも納得だ。

 

 ―――百鬼夜行(友人百人)、作ってやろうではないか。真正面から、皆が私に抱く印象のすれ違いを、解消していこうではないか。

 

「敬意を表し、一切の加減を捨てて君の相手を務めよう。もう君を侮辱する様な真似はしないとここに誓おう。――――見ろ、萃香。これが私の全力だ」

 

 本物のグラムを、最大本数の十五本まで展開する。体から溢れる尋常ではない魔力の圧で空気が歪み、足元の地面へ亀裂が走った。だが躊躇はしない。それが非礼であると、たった今思い知った所だからだ。

 魔力を解き放ち、魔術を発動。霊峰に含まれる土の魔力をベースとした金属魔法から大小様々な剣を何十何百と生成し、更に魔法を重ね掛けする。精霊魔法の持つ五大属性を始めとするあらゆる性質が、魔法の剣へ植え付けられていく。

 千紫万紅の彩りを放つ刃の輝きはあらゆる角度から萃香へと向けられ、スポットライトの様に彼女を照らした。

 

 戦闘準備は、これ以上に無く万端となっただろう。

 

「……私が、この勝負に勝った暁には」

 

 ザリッ、と土を踏みしめ、大きく腕を広げた。

 我が背後で浮かぶ魔法と剣を指揮するコンダクターの様に。

 

「我が友となれ、伊吹萃香」

「―――――――――――――――――」

 

 萃香は一瞬、これまでにない程に大きく目を見開いて。

 

「この私に、お前の手下(とも)になれだって……?」

 

 獰猛な笑みを、鬼の顔に刻み込んだ。

 それは悍ましくも怖ろしく。だがしかしどこまでも痛快な、喜色に溢れた豪傑の笑顔だった。

 

「―――――上ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお等ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうッッッ!!!」

 

 咆哮、炸裂。鬼は地を蹴り山を揺るがし、私は全魔力を一斉放射する。

 刹那、私と萃香は疾風迅雷の如く激突した。

 

 

 初めに動いたのは、紅蓮の鬼だった。

 霊峰を踏み砕かんばかりに蹴り飛ばし、三メートルもの巨躯が披露出来るとは思えない勢いで、萃香は標的たる吸血鬼に向かって突進した。弾幕(あそびどうぐ)は使わない。彼女は己が身一つでナハトを粉砕し屈服させる事だけを頭に置いた。

 その様子を、ナハトは黙って見届けない。数秒も経たずに自らを細切れにするだろう鬼を迎撃すべく、あらゆる属性を帯びた魔法の剣へ主人(ナハト)からの指令が下される。

 

 萃香の視界から、ナハトの背後へ待機していた刃が霞の様に姿を消した。

 瞬間、インパクト。肩、腹、足、腕、顔面――――あらゆる部位に魔法の刃が殺到した。ある刃は灼熱で萃香を焼き焦がし、ある刃は鬼の肉体を凍結させ、ある刃は傷口から命を埋め込みドス黒い蔦を体へ食いこませ、ある刃は落雷に匹敵する大電流を流し込んだ。

 百花繚乱の輝きが瞬く。混沌とした属性剣の衝突は互いに融合し合い、過負荷は爆発となって鬼を巻き込む。

 

 だがしかし、鬼はそれでも止まる事を知らなかった。

 

 肉体に傷はある。けれども表面を削り取ったのみに過ぎない。萃香の持つ『密と疎を操る程度の能力』が、萃香自身へ神話の武具すらも寄せ付けない圧倒的な強度を与えたのだ。

 驀進する鬼は豪雨の如く襲い掛かる猛攻を突き破り、吸血鬼の元へ易々と辿り着く。

 暴帝の瞳が、魔王を穿つ。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオアアアア――――――――ッッ!!」

 

 音をも破裂させる咆哮が山を蹂躙した。

 萃香の剛腕が顕現させた剣へ更なる指令を与えようとするナハトを捕え、力任せに右腕を引き千切る。けれどナハトも止まらない。十のグラムは萃香の背へと突き刺さった。

 激痛が萃香を内側から侵食していく。妖怪殺しと言えるグラムとの相性は、萃香にとって最悪の一言に尽きるのだろう。

 だが怯まない。止まらない。退かない。

 たかが全身を引き裂かれる程度で、かつて山の四天王として君臨した暴虐の王は蹂躙の手を休めなどしない。

 千切った腕を放り投げ、拳を強く、堅く、花果山の大岩のように握りしめる。萃香はその凶器を、力任せに振り下ろした。

 ナハトもまた、残された左腕で鬼の一撃を受け止める。力は流動体の様に受け流され、霊峰がクレーターと亀裂を刻まれ悲鳴を上げた。空気が弾け鎌鼬を生むと、更なる傷を闘技場へと叩き込んでいく。

 

 鬼と吸血鬼の鍔競り合いは、鬼の方へ軍配が上がった。

 

 ギリギリと膠着していた状態から、ナハトの体が不安定に揺らいだ。その瞬間、萃香は渾身の力でナハトの体を地面へめり込ませた。

 血袋が弾けたように赤が舞う。萃香は勝機を逃さず、重機の様な威力を秘めた無数の拳を叩き込んだ。

 念入りに、念入りに。不死身の怪物へ回復する隙すら与えず、打つ、打つ、打つ。

 とどめと言わんばかりに、萃香は剛腕を一際大きく振り上げて。

 

 

 

 ―――――その腕が、振り下ろされる前に掴み取られた。

 

 萃香は、自らの意思に反して失速した腕へと眼球を動かし。

 何が起こったのかを把握すると。

 驚愕に、大きく眼を見開いた。

 

 千切り飛ばした筈の腕が、まるで巨大な蛭の様に萃香の剛腕に食らい付いていたのである。

 吸血鬼のものだった腕は異常なまでに伸展され、萃香の腕全体に大蛇の如く巻き付いており、肘だった部分から生え伸びた蝙蝠の様な翼が羽ばたく力で、萃香の腕の力を相殺していた。

 異形の腕は、萃香を食い止めるだけでは終わらなかった。

 ボコボコと、生理的嫌悪感を催す異音が吸血鬼の腕から発生したかと思えば、肉が蠢き、骨格までもが異常な速度で組み替えられた。瞬く間に五指は針のような鋭利さを獲得し、手のひらに八目鰻を思い起こさせる異形の口が形成される。

 萃香が呆気にとられていた瞬間、怪物の腕は奇声と共に萃香の皮膚を食い破り、五指の針を突きさすと、鬼の血液をポンプの様に吸い上げ始めた。

 

「邪魔ッ!!」

 

 肉塊と化した地面のナハトを掴み放り投げると、萃香は異形の排除を優先した。

 蚊を叩き潰すように手を振るう。しかし着弾よりも早く異形は腕を離れ、投げ飛ばされた主の元へ羽ばたき、特上の血を届けてしまう。

 腕が同化すると同時に、既に体が再構成され始めていたナハトの肉体は、まるで映像の逆再生でも行っているかのように修復された。

 衣服すらも元通りに回復した不死者を前に、萃香は半ば呆れ気味に頭を掻く。

 

「お前さん、いくら妖怪とは言えちと不死身過ぎやしないかい?」

「これでも吸血鬼なんだ。血と満月さえあれば何度でも蘇るさ。……ところで、余所見をしている場合かね」

 

 萃香はナハトの言葉に促され、周囲をぐるりと見渡した。

 霊峰の至る所に、どす黒く変色した血だまりと肉片が散乱している。萃香の攻撃によって爆砕されたナハトの遺留品だった。

 それら全てに、先ほど萃香へ襲いかかりそして跳ね除けられた、魔法の剣が突き刺さっている。

 

 萃香が理解を得るよりも早く。

 変化は、明確に訪れる。

 

 どんな理屈か原理か、萃香がその現象を納得する事は叶わなかった。

 ありのまま起こった事態を解析するならば至極簡単な事だ。ありとあらゆる箇所に飛び散ったナハトの血肉が黒く変色し、底なし沼の様に剣を呑みこんだかと思えば、それらが千変万化の異形へ生まれ変わったのである。

 やがて黒い泥状の肉体を持った様々な獣や人形の怪物達が、みるみる萃香を包囲してしまった。

 異形は顔と思わしき部分に複数形成された、ストロベリームーンの様に妖しく輝く眼球を全方位から萃香へ向け、飢えた獣の如き唸り声を上げる。

 

 異形の主は指を掲げ。

 朱天の鬼は笑みを浮かべた。

 

「ここは既に私の領域だ」

 

 パチンと、軽快に指が弾かれて。

 異形の軍勢が、鬼の元へと殺到した。

 

 背筋も凍る雄叫びを上げ、鬼の血肉を貪らんと迫る異形の群れ。それを前に伊吹鬼は三日月の如く口を引き裂き、歯を剥き出して大いに笑う。

地獄よりも地獄らしい光景だったが、それは萃香にとって豪華絢爛な舞踏会場となんら変わらなかった。

 歓喜が、無双少女に渦を巻く。

 

「しゃらくせぇッッ!! だァああああららららららッッしゃあああああああああああああああああ――――――――ッ!!」

 

 音すら共に粉砕する神速の突き(ラッシュ)が骨肉を爆砕し、山を削り飛ばさん威力を秘めた蹴りが異形を悉く破壊する。天蓋を砕かんばかりの轟音が連続して発生した。

 奥義や妖術などの小細工は何もない、ただ力任せに、感情的に体を振るうだけの鬼の暴力。それは計算などでは測る事の叶わない絶大な破壊を刻み付けた。

 一対多数と言う、傍から見れば絶対的不利な状況を拳一つで打ち砕き、突破する。それが伊吹萃香という鬼である。単純なフィジカルで蹂躙を可能とするが故に、彼女は山の四天王として恐れられたのだ。

 

 その闘争、まさに天下無双の豪傑が如く。

 

 だが壊せど潰せど、異形は飛び散った肉片から更なる分裂を繰り返し、一向に減る気配を見せることがない。それどころか次第に萃香の攻撃を掻い潜り、浅くない傷を次々と刻み始めていた。

 肉を裂かれ、骨に食らいつかれ、赤が舞い、悪魔の使徒に鮮血を奪われていく。

 それでも尚、鬼は牙を剥いて嗤った。

 

「ッははは! こりゃキリが無いなぁっ! ならこれならどう、だいっ!!」

 

 萃香は肉弾戦を止め、体に巻き付く大仰な分銅付き鎖を引っ掴むと、円を描く様に全力で振り回した。

 あまりの威力にハリケーンの如き暴風が周囲一帯へ襲い掛かる。八雲紫が力の境界を逆転させ無力へ変える結界を闘技場に張り巡らせていなければ、今頃山は更地と化し観客席の妖怪は全て息絶えていた事だろう。

 紫の実力とそのサポートを理解しているからか、萃香から遠慮や加減と言う文字が完全に弾け飛んでしまっていた。

 

「そうらァッ!!」

「ぬん!」

 

 纏わりついていた異形を全て塵へと変えた萃香は、加速した分銅をナハトへと叩きつけた。ナハトは二つのグラムと共にそれを受け止め防ぎ切る。

 だが力は萃香の方が上である。全て受け止めきれないと悟ったナハトは相殺しきれなかった力を受け流すと、勢いよく独楽のように旋転しながら鎖を切り飛ばし、上空へ分銅を放り投げた。

 分銅の落下と同時に、ナハトはそれを萃香へ向けて蹴り飛ばす。吸血鬼もまた、鬼に匹敵すると謳われた怪力の持ち主である。四天王の長であり、自身の身体強度を跳ね上げられる力を持つ萃香には及ばずとも、分銅を砲弾とするには十分な脚力だった。

 

 分銅は風切り音を吹き散らしながら猛進し、萃香の鼻先へと激突した。

 

「ぐっ!?」

 

 衝撃が頭蓋へと染み込まれ、視界に星が瞬いた。その隙をナハトは見逃さず、一気呵成に突撃を始める。

 天高く跳躍し、両手へ刃を生成する。漆黒の瘴気を纏い、常闇の迫撃砲と化したナハトは勢いに身を任せるまま、胸元めがけて躊躇なく剣を突き立て。

 

 バキンッ。

 

 肉を突き破ったものとは思えない、硬質な音が辺りへ響き渡った。

 ナハトの思考の行く先へ、通行止めの看板が突き立てられる。

 

 音の正体は目に見えていた。萃香の精神へ直接斬り付けられる筈だったグラムが、萃香の衣服にさえその刃を通すことなく真っ二つに砕き折れたのである。

 物体を透過し、精神体のみを切り裂く筈の魔力剣が、刺さるどころか呆気なく食い止められた。

 それは、長過ぎる年月を生き抜いた妖怪にも予想外の事態だったのだ。

 

 密と疎を操る程度の能力。即ち、密度を操る力。

 

 萃香は分銅が直撃した瞬間から、ナハトの刃すらも通さないほど体を高密度に変化させていた。これが、刃を防ぎ切ったトリックの正体だったのだ。

 萃香はグラムの性質と相性が最悪だった。天敵と言っても差し支えない。しかし同時に、グラムの持つ無敵とも言える性質に対する萃香の能力も、火と水の様に最悪な組み合わせだったのである。

 その真実に気づいた時にはもう遅く。ナハトはまるで新聞紙に叩きのめされたハエのように、萃香の剛腕によって闘技場の端まで吹き飛ばされてしまった。

 

「……こりゃあ、決着つかないねぇ。参ったな」

 

 萃香はナハトが着弾した方角へと眼を向けた。

 硝煙の中から、衣服までも修復されたナハトが姿を現した。息も切れておらず、どころかダメージも無い。いくら満月の下では絶好調になる吸血鬼と言えど、鬼の目から見ても異常過ぎると言える再生能力に、内心萃香は舌を巻いた。

 

 戦況を見る限り、萃香は力と耐久性で軍配を上げているが、速さと再生能力はナハトが圧倒的に勝っている。今は萃香の方が力押ししている状況だが、時間を掛ければジリ貧に追い込まれるのは萃香の方だろう。その前に早期に決着をつける必要があると小鬼は悟った。

 だがナハトは、恐らくこの世に塵一つ残さなくするレベルの攻撃を当てなければ倒すことが出来ない。奴は血液の一滴でもこの世に残っていれば、自慢のプラナリアの如き再生能力を披露してくれるだろうから。

 火力が要ると、萃香は唸った。ナハトを倒すにはナハト自身を葬り去る事に念頭を置くのではなく、ナハトもろとも山を粉砕し、周囲一帯へ致命的なダメージを与える程の、絶対的な火力が必要だ。こう言った不死身に近い妖怪には特有の精神的弱点を突く方法もあるが、それはあくまで虚弱な人間が強大な妖怪を退治するために存在する美しき手法である。妖怪が妖怪を打ち倒すと言うシチュエーションにおいては適切でないと、萃香の闘いにおける美学が選択をかなぐり捨てた。

 ならば、選ぶべき答えはただ一つ。

 圧倒的なパワーを持って、有無を言わさず捻じ伏せるのみ。

 

「お前さんの実力、よーく分かった。実力だけは認めるよ。うん、素直に凄い。そこだけは見込んだ通りだった」

 

 萃香の体が、みるみる内に萎んでいく。やがて彼女は元通りの童女へと姿を変えた。

 ただし、肌は未だに血を浴びたように朱色に染まったままだ。体表からは謎の熱が放出されており、尋常ではない雰囲気を醸し出している。

 空気を歪めるほどの熱が陽炎を生み、月下の鬼を妖しく揺らめかせた。それはさながら酔いの揺らぎである様に。

 

「お前さんに敬意を表して、私の奥の手を見せてやろう。スペルカードルールなんて遊び用なんかじゃない、正真正銘の、鬼の奥義って奴を」

 

 腰を落とし、萃香は赤熱する拳を地面へ置いた。

 足腰に最大限の力を籠め、彼女は能力を使って何かを掻き(あつ)めていく。中心の萃香へ、砂埃や小石が引き込まれ始めた。

 引力の原点に君臨する鬼の頭領は、血走る眼球で不死身の吸血鬼へと狙いを定め、口角を釣り上げ牙を剥く。

 

 

 

「四天王奥義」

 


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