蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth087:「2年後」

 ――――海鳥が、穏やかに飛んでいた。

 時折、海面に覗く魚を狙っているのだろう、低空を飛んでいる。

 雲ひとつ無い快晴の下、それはまるで絵画のように完成された絵だった。

 それが、不意に崩された。

 

 

「――――!」

 

 

 何かを察したらしい海鳥達が、警戒の鳴き声を上げながら空高くへと逃げ出した。

 野生の勘は素晴らしいと言うべきか、すぐに海面が大きく盛り上がり始めた。

 そして下からの圧力に抗し切れなかった海水が、爆発した。

 黒い船首が水柱と共に海上に出て、次いで海中からどんどんと無骨な装甲に覆われた船体が出てきた。

 

 

 全長200メートル余りの、砲門を備えた軍艦だった。

 海上に完全に姿を見せると、その威容はますますはっきりとして、両側の装甲に幾何学的な紋様が浮かび上がる姿は神秘的ですらあった。

 しかしその(フネ)も海上に出ると同時に急発進したため、神秘性はやや薄らいだかもしれない。

 

 

「じ、冗談じゃ無い……って、の!」

 

 

 甲板に、少女が1人――いや、2人いた。

 1人は今口を開いて言葉を発した方で、黒字に赤金魚の浴衣を着た美しい少女だった。

 霧の重巡洋艦『スズヤ』、そのメンタルモデルである。

 その小脇に抱えられる形で、メイド衣装に身を包んだ黒髪の少女――『クマノ』がぐったりとしていた。

 

 

「気楽な哨戒任務だと思ったのに……!」

 

 

 『スズヤ』は逃げていた、怯えているようにすら見える。

 全速で海域から離れようとしているようであるし、何より違和感を感じるのは、『クマノ』の艦体がどこにも見えないことだった。

 しかし、この海において霧の艦艇を追える存在は存在しないはずだった。

 

 

 17年……いや、もう20年前になるが、<大海戦>以後、霧の艦艇は七つの海の覇者だった。

 霧の艦艇の航行を妨げられる存在は、この世界に存在しなかった。

 だがそれは、今では大分事情が異なっていた。

 今、彼女達は人類とは別の新たな脅威に直面していた。

 

 

「き……来たあっ!?」

 

 

 『スズヤ』が浮上したあたりで、再び水柱が立った。

 ただし次に現れたのは軍艦では無く、形容し難い何かだった。

 それは、かつてクリミアに現れた怪物に似ていた。

 不定形の黒い物体。

 表面は液体のように流動していて、時折、(あぎと)が伸びては消えて行く。

 

 

「あんな図体で、何で巡洋艦(こっち)より速いわけ!?」

 

 

 どう見ても、俊敏なようには見えない。

 しかし『スズヤ』が毒吐いたように、この怪物は水上をかなりの速度で進んでいた。

 クリミアの怪物よりもずっと小さい分、小回りが利くと言うことになるかもしれない。

 

 

「こんのお~~っ!!」

 

 

 『スズヤ』の甲板の垂直ミサイル発射管から艦対艦ミサイルが、側面装甲の射出口から魚雷が発射された。

 それらは一直線に怪物に向かい、次の瞬間には全てが命中した。

 しかし水柱と爆発の中から、黒い怪物が平然と飛び出して来た。

 いくらか体が抉れているが、不定形であるが故に、致命のダメージでは無かったのだろう。

 

 

「くううぅ……!」

 

 

 だんだんと距離が縮まり、追いつかれる、と『スズヤ』は思った。

 しかし、いよいよ怪物が『スズヤ』の艦体に手をかける、と言う瞬間に、それは起こった。

 光だ。

 『スズヤ』の艦体を掠めるようにして、光が走った。

 

 

「――――――――ッッ!!??」

 

 

 黒い怪物が、形容し難い叫び声を上げた。

 光に解かされるように怪物の体が消滅していく、それは確かに怪物の核を貫いたようだった。

 光が一瞬で消え、後に残された――深くコの字に抉られていた――怪物の体が、大きく爆発した。

 再度の水柱は、今度は晴天の雨を周囲に降らせた。

 

 

「あ、あれは……」

 

 

 光が走った海面が、未だに戻ることなく抉れている。

 重力子を含んだ砲撃が行われた証左で、それは収束された超重力砲によるものだった。

 そしてその海の溝をずっと追っていくと、1隻の巨艦が姿を現した。

 周囲の光景に擬態して隠れていたのだろう、怪物を斃した今、それを解いたのだ。

 

 

 ただし、その艦は『スズヤ』とは少し様子が違った。

 確かに巨漢だが、隙間が覆い、良く見ると1隻の小ぶりな潜水艦の周囲を灰色の装甲が覆っている、と言う形の奇妙な艦船だった。

 霧の艦艇、しかし、そんな姿をしている霧の艦艇は1隻だけだった。

 その艦艇の名は、『紀伊』と言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ドックに戻ると、整備班の兵士から歓声が上がる。

 この2年間、ずっとその繰り返しのようなものだった。

 出撃し、()を倒して、帰還する。

 ほぼ、それだけの2年間だった。

 

 

「うおおお。やっぱ、すっげえかっけえ……!」

「また怪物をぶっ倒して来たんだってよ!」

「流石は住吉の娘だなあ」

 

 

 そんな声が、ドックのそこかしこから聞こえてくる。

 千早紀沙の世界一周からすでに2年、かつては「裏切り者の娘」と蔑まれていた紀沙が、今では国中から英雄として持ち上げられていた。

 むしろ皆、最初からそうしていたと言う風にしか見えなかった。

 面の皮が厚いと言うか、掌を返すのが早いと言うか、現金と言うか……。

 

 

(まぁ、そう思うのは俺がこっち派だからなんかね)

 

 

 紀沙についてタラップを降りながら、冬馬はそんなことを思った。

 2年の歳月は冬馬をさらに精悍にしていたが、髭を生やし始めたからか、佇まいに貫禄と言うか、渋さが漂い始めていた。

 陽に焼けた肌と相まって、海の男、と言う風である。

 

 

 しかし貫禄と言うか、()()と言う意味でなら、紀沙の方が増していた。

 見た目の話をするのなら、まず背が伸びた、身体つきも女性らしく曲線が出来てきて、出るべきところは出てきて――これは冬馬としては、率直に言って嬉しい誤算だった――引っ込むべきところは引っ込み始めていた。

 美しく成長していた、美貌と言う意味でなら相当なレベルだった。

 

 

「これで年上だったら言うこと無いんだけどなあ」

「はい? 何か言いました?」

「いんやなにもぶっ!?」

 

 

 脇腹に梓の拳が突き刺さる――こちらは、スタイル以上に突き刺さる拳の角度が成長している――のも、もはや日常茶飯事と言うか()常茶飯事だった。

 それで痛がるフリをする冬馬に紀沙が笑う、それは2年前と変わっていなかった。

 人間、変わらない部分はなかなか変われないものだった。

 

 

「さぁ、早く報告に行きましょう。()()をお待たせするのも申し訳ないですし」

 

 

 千早紀沙、階級は2年前と変わらず「代将」。

 2年前の時点で上がりすぎな部分があってので、今後数年はこのままだろう。

 それは、別に紀沙は気にしていなかった、今でも階級が高すぎると思っているくらいだ。

 統制軍在席時の父の階級が大佐だったことを思えば、なおさらだ。

 今、紀沙が気にしているのは……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この2年間は、あっと言う間に過ぎ去って行ったと言う気持ちが紀沙にはあった。

 その前にアメリカとヨーロッパを渡り、インド洋を横断した期間は1年にも満たないはずだが、そちらの方がずっと長かったような気がした。

 体感時間とでも言うべきなのか、そんな風に感じるのだ。

 

 

「報告は以上です、首相」

「……ご苦労だった。それにしても、件の怪物。出現するペースが少しずつ早くなっているようだな」

「私もそう思います。多分、時間が迫っているのだと思います」

 

 

 ()()

 ここで言う時間とはもちろん、()()()襲来までの時間だ。

 あれから2年、正確には1年と7ヶ月が過ぎている。

 正確な日時がわからない以上、常に警戒しておくしか無かった。

 

 

 今、人類の宇宙望遠鏡や人工衛星は、すべて外宇宙に向けられていた。

 これは宇宙開発力のあるすべての国々が参加していて、どこかで何かが見つかれば――ひどく曖昧なもの言いだが、仕方が無かった――すぐに各国政府に報せが入ることになっている。

 最も、宇宙から飛来する()()()に対して、人類に出来ることは多くは無いのだが。

 

 

「霧の協力もあって、目立った被害が無いのが救いだな」

「……そうですね」

「……気持ちはわかるが、今は一応、()()だ。それを忘れるな」

「はい」

 

 

 1年ほど前から、先程『スズヤ』達と交戦していた黒い怪物が現れるようになった。

 クリミアで見た怪物に似ているが、スケールは大分小さい、劣化コピーとも言うべき存在だった。

 もっと言えば『コード』に近い何かの影響を受けているから、ああ言う姿なのかもしれない。

 何かとは、やはり()()()だ。

 

 

 そして、霧だ。

 先程『スズヤ』を救う形になった紀沙だが、あれは人類と霧の秘密協定によるものだった。

 要するに()()()に対する相互援助、同盟の約束だ。

 2年前なら考えられなかったが、()()()の脅威が顕在化するにつれて交渉が進展し、半年前に霧の艦隊のいくつかと協定が結ばれるに至ったのである。

 

 

「報告はもう良い。自分の司令部に戻り、兵に顔を見せてやれ。それが提督の責務でもある」

「はい、そうさせて頂きます」

 

 

 紀沙はもう、一介の艦長では無かった。

 専用の司令部と艦隊を持つ――数十人の司令部要員と2隻の『白鯨』型潜水艦から成る――最年少の()()として、統制軍の海軍に所属しているのである。

 さらにイ404とイ15も変わらず紀沙を艦長認定しているため、非公式ではあるが、これは日本海軍最強の戦力と言って良かった。

 

 

「それでは、失礼致します。……()()()

「うむ、ご苦労だった」

 

 

 楓首相――楓前首相は、昨年に任期満了ですでに退任していた。

 後継は北で、今年は北政権の初年度にあたる。

 元々北の方が政治家としては実力者と目されていたから、交代と言うよりは、あるべき形になったと言った方がしっくり来る。

 そんな北に敬礼して、紀沙は首相の執務室を後にしようとした、そこへ。

 

 

「……今日は、イ401が戻ってくる日だな」

 

 

 イ401は日本を離れて、1年前から各地を訪れていた。

 霧の旗艦達を説得し、人類との協定に加盟させるための旅だ。

 そして今日、戻ってくる予定だった。

 しかし紀沙はそれには返事をせずに、そのまま退出した。

 後には、壁面ガラスの外を見つめ続ける北だけが残された。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 紀沙が去った後、北はこの2年弱を思い返していた。

 クリミアの戦いによってもたらされた、()()()の存在。

 遥か宇宙の彼方からこの地球(ホシ)を目指してやって来ると言う、荒唐無稽としか思えない話。

 それらがもたらされた国々は、()()()()大混乱に陥った。

 

 

 宇宙からの脅威、それも<霧の艦艇>や<騎士団>すらも凌ぐ大きな脅威だ。

 両者によって宇宙はおろか海への進出すら抑制されている人類には、対応する能力は無い。

 その時、北は翔像が<緋色の艦隊>を結成した本当の狙いを理解した。

 翔像とその子供達は、()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 

「千早は、そこまで見通していたのか」

 

 

 口に出してみると、そのようにも思えるし、そうでないとも思える。

 結局、真意は翔像本人にしかわからないのだ。

 それにこの事態は、一般の人々には知らされていない。

 奇しくも、クリミアの人々が全滅していたことが情報統制をやりやすくしていた。

 

 

「霧との協定など、とても公表できたものでは無いからな……」

 

 

 それも、イギリスと<緋色の艦隊>が結んだ安全保障条約が先鞭となった。

 その前例があればこそ、人類と霧は対()()()の相互援助協定を結ぶことが出来たのだ。

 もちろん協定には主体が必要だから、人類は海洋封鎖で活動停止状態にあった国連を復活させた。

 人類と霧の協定は、国連と霧の旗艦達との間で結ぶ形式になっている。

 

 

 最初から協定に参加してきたのは、欧州方面の2艦隊――『フッド』と『ダンケルク』の艦隊だ――だけだったが、先ほども言ったように、群像が霧を説得して回った。

 その結果、クリミア戦前に壊滅した霧の黒海艦隊を除く7方面15艦隊の内、過半数の8艦隊が協定に賛同するようになった。

 残りの7艦隊も敵対的と言うわけでは無く、様子見と言うことなのだろう。

 

 

「まだ完全では無いが、人類が海に出られるようにもなってきた」

 

 

 この2年弱で、状況はそこまで変わったのだ。

 人類と霧の共存。

 <大海戦>の時代を知る者としては、信じられない思いだった。

 だが<大海戦>以後に生まれた世代が、あの地獄の時代を知らない世代が、大人になろうと言う時代だ。

 もう自分達の出番は終わろうとしているのかもしれない、北はそう思った。

 

 

「だが、あの娘はそれを受け入れまいな……」

 

 

 自分には責任がある、と、北は思っていた。

 年端も行かぬ1人の少女を修羅に堕とした、その責任が。

 「住吉の娘」などと、いつしか称賛とも嘲笑とも取れるような呼ばれ方をされるようになった責任。

 いずれ取らねばならないと、そう思っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 もちろん、情勢が変わったのは日本だけでは無い。

 翔像のいるヨーロッパも、この2年弱で政治的状況が一変していた。

 まず最初に言えることは、欧州大戦の完全講和が成立したと言うことだ。

 ドイツ北東部ミュンスターで締結されたこの講和条約により、各国は欧州大戦以前の国境を再確認した。

 

 

 表向き、この講和条約は議長国ドイツの主導によって結ばれたことになっている。

 しかし実際には、もはや霧の欧州艦隊と一帯になった<緋色の艦隊>の戦力を背景に、翔像が強力に推進したものだった。

 翔像の存在がなければ、大戦のわだかまりを残す各国がこれほど早く講和することは無かっただろう。

 

 

「痩せたな、ゾルダン」

「いえ、アドミラルほどでは」

 

 

 <緋色の艦隊>の本拠地は、あくまでイギリスだった。

 海を押さえつつ大陸側に影響を与えるには、イギリスと言う国の立地は理想的なのだ。

 そんな国で、翔像はヨーロッパを睥睨していた。

 表向きになっていないだけで、ヨーロッパの覇者は彼だった。

 超戦艦『ムサシ』の威容(ハリボテ)があればこそ、可能だったことだ。

 

 

「私が欧州を動けない分、お前には随分と無理をさせている」

 

 

 太平洋で群像が協定への参加を霧に呼びかけていたように、ゾルダンは大西洋で同じようなことをしていた。

 大西洋の北は翔像が押さえていたので、ゾルダンの担当は大西洋の南部である。

 そこに拠る2つの霧の艦隊に対して、協定への参加を促していたのである。

 ゾルダンはけして多くを語ろうとはしなかったが、タフな交渉であったことは間違いなかった。

 

 

「いえ、人類のためです。それに誰かがやらねばならないのであれば、私がやります。それが望みでもあります」

「すまないな」

「それは、仰らないで下さい」

 

 

 実際、無理をさせていると思った。

 何しろ、翔像が心から信頼できて、かつ仕事を任せてしまえるような部下はほとんどいないのだ。

 あるいはゾルダン自身が、群像への対抗心のようなものを持っているのかもしれない。

 それを利用している、と言うと、流石に言い過ぎだろうか。

 そして翔像は、さらに難しい任務をゾルダンに与えようとしていた。

 

 

「<騎士団>を?」

「ああ、中東のどこかで今も活動しているらしい」

 

 

 クリミアの戦いの後、<騎士団>はヨーロッパから姿を消していた。

 しかし()()()との衝突の時には、<騎士団>の戦力も必要になるはずだった。

 霧の艦隊はそれはそれで強力な戦力だったが、懐に飛び込まれると脆さが出る、<騎士団>はまさにそこを突いて霧の黒海艦隊を圧倒したのだ。

 しかし、彼らは今どこにいるのか知られていない。

 

 

 人間と違って、物資の流れから居場所を見つけると言うことも難しい。

 こう言う手合いを見つけるには、一種の嗅覚にも似た感覚がいるのだ。

 翔像は、ゾルダンにはそう言う嗅覚を備えていると思っていた。

 これは教えられるものでは無く、天性のものが必要だ。

 

 

「彼らにも協定の参加を呼びかけると? 流石に欧州が難色を示すのでは?」

「そちらは私が何とかする。多少恨まれるかもしれんが、大したことは無い」

 

 

 そして、ゾルダンにはその天性のものがある。

 それは、息子の群像も同じだった。

 だが、娘の方は……いや、持ってはいるだろう、だが。

 目を閉じている者には、見えるものも見えないのだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イ404が横須賀に帰還した翌日、イ401がドックへと入港した。

 と言っても、2隻が同じドックに入るわけでは無い。

 イ404は艦隊の編成に伴って専用のドックを与えられており、その特務性から、他の艦とは離されているのだ。

 だからドックに入港しても、群像がイ404の姿を見ることは無い。

 

 

「ひゅーっ、相変わらずご大層なドックだね」

「元々<大反攻>のために蓄えていた戦力を収めるためのものだ。それに、この2年で霧の締め付けも前ほどでも無くなった。つまり拡充する余地があったわけだ」

「でも、まだみんな貧乏なままなんだろ?」

「まぁ、な」

 

 

 何よりも軍事が優先される、今はそう言う時代だった。

 ただそれも、あと少しで何とかできるような気もしていた。

 人類との協定にあと3つか4つの霧の艦隊が賛同してくれれば、不可能では無いはずだ。

 戦争を終わらせて、後は海運を含めた物流を回復させれば、人類は飛躍できる。

 

 

 海の覇権は霧が握れば良いと、群像は考えていた。

 一方で非軍事分野での海運については、人類側の自由航行を認めて貰う。

 今、群像が密かに進めている交渉は、最終的にはそう言うものだった。

 海を軍事で使えない――霧は空路も撃墜してくるから、実質は海路・空路の両方になる――と言うのが、ここでは重要なのだった。

 

 

「お帰りなさい、群像くん」

 

 

 杏平を伴ってタラップを降りて行くと、いつかのように真瑠璃が出迎えた。

 これには、群像も少し驚いた。

 遠巻きにこちらを窺う整備兵は見慣れたものだが、真瑠璃がわざわざ出迎えに来ると言うのは、なかなか珍しいことだった。

 

 

「響、何かあったのか?」

「いえ、変わったことは何も。ただ、紀沙ちゃんが昨日戻ってきているから、教えてあげようと思って」

「……そうか」

 

 

 真瑠璃は、今は紀沙の艦隊の司令部要員の1人だった。

 事務方の取りまとめのようなことをしていて、紀沙の留守時の責任者と黙されている。

 霧に関係した人間は、大体にして主要な場所に取り立てられる。

 これも、最近の時流であると言えた。

 

 

「会っていかないの?」

「いろいろと予定がある」

 

 

 嘘だった。

 いや、厳密には嘘とまでは言えない、実際に色々と予定が入っている。

 しかし、実の妹と顔を合わせられない程に忙殺されているのかと言えば、それはやはり嘘なのだった。

 顔を背けていると言われても、仕方が無いだろう。

 

 

 一方で、群像はそれが一概に悪いことだとは思っていなかった。

 何人かの人間が自分たち兄妹の間を取り持とうとしてくれているが、酷い言い方になってしまうが、余計なことだと群像は思っていた。

 群像は群像の、紀沙は紀沙の道がある。

 それだけのことだと、群像は思っていたからだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 と、言うような話が、方々で行われているはずだ。

 宿舎の屋根に座ったまま、スミノは様々なところで交わされている会話を聞いていた。

 基地内の集音装置をジャックすれば、そのくらいのことは簡単だ。

 むしろ最近では、基地内の主だった人間もスミノに聞かれていると言う意識でいるようだ。

 

 

「刑部博士の霧の技術の解析は目を見張るものがあったけど、逆に言えば、彼の技術こそが人類の限界点だとも言えるね」

 

 

 結局、意識を肉の器から離すことが出来ない人類には、霧に追いつくことは出来ないのだ。

 それを改めて理解できたと言うだけでも、刑部博士の行為には意味があったと言える。

 いや、追いつくと言う言い方も違うな。

 人と霧は、結局、同じ場所にはいないのだ。

 

 

 それでは、自分は何のために紀沙の傍にいるのか。

 もちろん、自ら望んでそうしているのだ。

 スミノは自分の意思で紀沙を選び、その傍に侍っている。

 何故と問われても、スミノには「選んだから」と言う回答しか用意できない。

 強いて言えば、()()()()()()からだろう。

 

 

「イ401が千早群像を選んだように?」

「……おやおや、これはこれは」

 

 

 誰にともなく、問いかけてみる。

 そして、少しだけスミノから視点をズラしてみる。

 そうすると、屋根の陰に隠れて見えなかったものが見えるようになった。

 黒ずくめのプロテクターを装備した、十数人の兵士だった。

 全員が、事切れていた。

 

 

 不思議なもので、紀沙の名前が知られるようになればなる程、こう言う輩が増えるのだった。

 毎日とは言わないが、それなりの頻度でこう言う輩はやって来る。

 もちろん紀沙も知っているだろうが、スミノは何か言われたことは無かった。

 ただ、紀沙が北の屋敷に帰らずに宿舎に泊まるようになった理由は、これだろうと思っていた。

 誰かを待っているのだと、スミノにはわかっていた。

 

 

「いったい、いつやって来るのかと思っていたよ」

 

 

 黒い海の怪物……()()()の気配を色濃く感じ始めて、しばらく立つ。

 スミノは昼となく夜となく空を見上げていたが、気のせいか、星の瞬きが強くなっているような気さえしているのだ。

 そんな折、いつか来ると思っていた訪れ人が、ようやく訪れた。

 スミノは、そんな()()に笑みさえ浮かべて見せたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――()()()()()()()()()()、幾夜が過ぎただろう。

 習慣と言うべきか、紀沙は任務や雑務が無ければ、ほぼ決まった時間に床に入ることにしていた。

 特に意味は無くて、強いて言えば北の生活習慣がいつしか移ってしまっただけだ。

 とは言え、もう紀沙はほとんど寝ている振りをしているだけだった。

 

 

(目を閉じて横になるだけでも楽になるって、どこかの本に書いてあった気がするけど)

 

 

 まぁ、それは間違いでは無い。

 ただそれは、普通の状態であれば、と言う話だろう。

 今の紀沙の状態は、スリープ状態のコンピュータに似ていた。

 画面が落ちているように見えても、実は動き続けている、そんな状態だ。

 

 

 2つの世界――現実の世界と霧の世界、あるいは物質の世界と電子の世界――を意識している今、仮に現実の世界で眠りについたとしても、もう1つの世界では活動し続けているのだ。

 霧が眠らないように、紀沙もまた眠らない。

 だから今の紀沙にとって、ベッドに横になると言う行為は形以上の意味を持たないのである。

 目を閉じていても、()は開いている。

 

 

「…………」

 

 

 しかし今夜は、少し様子が違うようだった。

 頬に風が当たるのを感じて、紀沙は目を開いた。

 そしてそのまま上半身を起こし、シーツから足を出して、ベッドに腰掛ける姿勢になった。

 肩にショールを羽織り、そこで初めて顔を上げた。

 

 

 ベッドに入る前には閉めていたはずの部屋の窓が、何故か開いていた。

 ただ、紀沙は別にそれで危機感を感じたりはしなかった。

 風が冷たいと感じることも、()()()()

 スミノがいるので、わざわざ防犯する意味も無い。

 やはり、これも習慣と言うべき行為に過ぎなかった。

 

 

「こんばんは」

 

 

 窓枠に座るようにして、1人の少女がそこにいた。

 姿は、以前と少しも変わっていない。

 変わりようが無いと言った方が良いのかもしれない。

 いずれは、紀沙もそうなるのか。

 

 

「……もっと、早く来ると思ってたよ」

「ごめんね」

 

 

 別に謝罪が欲しかったわけでは無かった。

 それに、会いに来なければそれはそれで良いと思っていた。

 決めていたことは、自分からは会いに行かないと言うことだけだ。

 そんな紀沙に、訪れ人はすまなそうに言った。

 

 

「決心がね、なかなかつかなかったんだ」

 

 

 そう言った少女は、海洋技術総合学院の制服を身に着けていた。

 まるで、()()()のように。

 前髪を分厚く切り揃えた髪型も、細いが豊満でもある体躯も。

 かつて憧れさえ抱き、同時に疎ましくも感じていたその整った容姿も。

 

 

「天羽琴乃……いや。霧の超戦艦『ヤマト』のメンタルモデル、『コトノ』」

 

 

 名前を呼ばれて、コトノはやっと笑顔を見せた。

 ただしそれは、どこか寂しげなもののように紀沙には思えたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 理由は無い。

 ただ、いつか会いに来るだろうと思っていた。

 根拠の無い予測に過ぎなかったが、外れてはいなかった。

 コトノは、紀沙に会いに来た。

 

 

「…………」

 

 

 コトノが黙って差し出したものを、紀沙はじっと見つめていた。

 それは淡く優しげで、しかし力強い輝きを放っていた。

 球体のようでもあり立方体のようでもある、輝きが増したかと思えば消えてしまいそうに見えることもある。

 形状すら流動的で、存在すら変幻、それはそう言うものだった。

 

 

「……それは?」

「『ヤマト』だよ」

 

 

 コトノの両掌の中で、ふわりと浮かんでいるそれのことを、コトノは『ヤマト』と呼んだ。

 そうだとでも言うように、輝きが一瞬だけ強くなった。

 『ヤマト』、それは霧の総旗艦の名前だった。

 

 

「『ムサシ』と千早のおじさまと同じ。『ヤマト』の力はほとんど私が貰っちゃった」

 

 

 残っているのは、<総旗艦(ヤマト)>と言う名前だけだ。

 それを、コトノは紀沙に差し出している。

 

 

総旗艦の座(これ)を、紀沙ちゃんに」

 

 

 総旗艦の座と、コトノは確かにそう言った。

 それは、霧の艦隊すべてを差し出すと言っているのに等しい言葉だった。

 当然、コトノがそれを理解していないわけが無い。

 『ヤマト』のコア――オリジナルの『アドミラリティ・コード』の欠片には、それだけの意味がある。

 

 

 とは言え、コトノはそんな冗談を言うような性格はしていない。

 彼女は本気で、紀沙に霧の総旗艦の座を明け渡そうとしている。

 紀沙が未だに霧を憎んでいることを承知しているだろうに、そうしている。

 誰かに馬鹿にされているような心地に陥ったとしても、仕方が無いだろう。

 辛いのは、その「誰か」が明確で無いことだった。

 

 

「何で、わざわざ私に? そのままお前が……コトノが持っていれば良いじゃない」

「私じゃあ、宝の持ち腐れだよ。今までも総旗艦らしいことなんて何もしなかったんだから」

「なら、私より兄さんに渡せば良いじゃない」

「群像くんは」

 

 

 その顔と声で「群像くん」などと言われるのは、どうしても慣れなかった。

 

 

「群像くんには、無理だよ」

「何で。兄さんは霧がす……融和的だし、向いてるんじゃないの」

「でも、群像くんは本当の意味では人を信じていないから」

 

 

 確かに、そう言うところはあるかもしれない。

 未だに群像はイ401のクルー以外と交流を持つことは無いし――イ401のクルーも、果たして「交流」できているのかどうか――唯一、霧のイオナとだけは気脈を通じている。

 そう言う意味では、コトノの言葉は間違っていない。

 しかし、だ。

 

 

「それなら、霧嫌いの私ならなおさら駄目じゃない」

「紀沙ちゃんだから、良いんだよ」

 

 

 何が、と言う苛立ちが紀沙の中に生まれた。

 いや、それはずっと以前からあった。

 2年……いや、スミノを得てからずっと、事あるごとに思っていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 霧が憎い、霧が憎いと、ずっと言動で示してきたはずなのに。

 どうして群像では無く、いつも自分なのか。

 いい加減に腹立たしくもなってくる、例えばだ。

 例えば総旗艦の座を受けて、すべての霧に「自沈しろ」と命じたら、どうするつもりなのだろうか。

 いや、思うだけで無く、紀沙は直接そう口にしようとした、すると――――電話が鳴った。

 

 

「……もしもし? ああ、恋さん。どうしました、こんな時間に……?」

 

 

 放っておくことも出来ず、コトノの脇を擦り抜けて、電話に出た。

 紀沙の宿舎に電話をかけて来る相手は、大体が軍関係である。

 しかもこんな時間だ。

 案の定、相手は軍の……と言うか、恋からだった。

 

 

「……え?」

 

 

 受話器を耳に当てる紀沙の背中を、コトノが見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その日、世界中の国々で()()は観測された。

 ()()()()()()()

 言葉で表現しようとすると、そう言うことになる。

 言っておくが、月食では無い。

 

 

 月食はあくまで、一定の時間、地球が太陽と月の間に入ることで起こる現象だ。

 しかし今は、月食の予想時期では無い。

 地球と月、そして太陽の位置関係からして、月食が起こることはあり得ない。

 だからもし月に影が差すとすれば、地球以外の()()が間に入ったと言うことになる。

 

 

「さて、人類が数多持つ滅亡の予言を成就させる時が来た――――の、かな」

 

 

 ()()を見上げながら、スミノは揺らぐ月光の下、妖しく嗤った。

 伸ばした両手は、まるで何かを迎え入れようとするかのように、掌を上に向けていた。

 月に差した影は徐々に大きく、どんどんと濃くなっていく、まるで生き物のように。

 まるで、月を喰べているかのように。

 

 

「さぁ、人類の皆さん」

 

 

 ――――滅亡の時(やつら)が来ましたよ。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
2年後編のプロローグ的なお話でした。

そして皆様、「やつら」投稿ありがとうございます。
締め切りは20日ですので、是非とも応募下さい。
皆様が応募すればするほど、バッドエンドの確率が高まります(え)

それでは、また次回。
なお次回ですが、来週は私のリアルの都合で投稿をお休みさせて頂きます。
次の投稿は再来週です。よろしくお願い致します。

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