蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth083:「楊紫薇」

 

 空から見た時に、南シナ海には()()()()()()()

 ここで言う「花」とはもちろん植物の花のことでは無く、俯瞰(ふかん)で見た時にそう見える、と言うだけのことでしか無い。

 そして、そこにあるものは花などと言う和やかなものでは無い。

 

 

「全投射機、攻撃準備完了!」

「司令部からの指示を待つ。全投射機、そのまま待機せよ!」

「了解!」

 

 

 南シナ海は200以上の島や岩礁から成る内海であり、<大海戦>以前は世界有数の海上交通路(シーレーン)として各国の利害が衝突する場だった。

 そして今、そうした島や岩礁の一部では慌しく、そして物々しい動きが起こっていた。

 特に動きが活発なのは、いくつかの島や岩礁をコンクリート状の岩橋を繋いだ大人工島だった。

 

 

 中央の大きな島から放射状に岩橋が伸びているため、空から見ると花のように見える。

 良く見るとコンクリートの下に珊瑚の残骸のような物も見えて、これらの人工島が元あった島や岩礁の上に建てられたものだと言うことがわかった。

 温暖化で沈む島の機能を維持するために、盛り土やセメントで埋め固めたもののようだ。

 監視等や灯台、アパート、接舷用の桟橋や数千メートル級の滑走路等も見ることが出来た。

 

 

「……司令部より諸元情報きました!」

「良し、直ちに全投射機に送れ!」

「了解!」

 

 

 さらに良く見ると、人工島周辺の浅瀬に座礁した何隻もの船の残骸があった。

 よほど多くの船が投入されたのだろう、時間をかけなければすべてを数えることは出来そうに無い。

 どうやらそれは、最初から帰る気は無く、それでも物資を届けるために行われたのでは無いか、と想像することが出来た。

 

 

「全投射機、諸元入力完了!」

「良し、攻撃を開始する! 司令部の言う通りのポイントに投射せよ!」

「了解!」

 

 

 そして、人工島に設置された投射機――クレーンのような外観の、ドラム缶型の物体を投射する兵器――の周囲で、緑色の軍服を着た兵士達が耳を押さえる仕草をしていた。

 鈍い音を立てて、ドラム缶型の爆雷が持ち上げられていく。

 それが最も高い位置にまで持ち上げられた時、攻撃が号令された。

 

 

 そこからは投射機は一切止まることが無く、連続でセットされた爆雷が、放物線を描いて遥か遠方に発射されていく。

 本来は艦船上から投射するものだが、霧の海洋支配で制海権を失った結果、対艦ミサイルのように地上から攻撃可能な対潜兵器が発展した。

 この兵器は、そうしたものの1つだろう。

 

 

「それにしても、レーダーには何も映っておりませんが……本当にこの座標にいるんですか?」

「さあな、私にもわからん。だが……うちの()()()()も霧に劣らない化物だ。化物は化物同士、呼び合うのかもしれんな」

 

 

 遥か遠くの海面に向けて投射され続ける爆雷を目で追いながら、隊長らしき男はそう言った。

 その言葉の節々からは、どこか畏怖の色を見て取ることが出来た。

 それは敵に対する畏怖であり、そして同時に、味方に対する畏怖だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 流石の群像も、これには困惑した。

 1つは、単純に人類側に「攻撃された」と言う事実に対してだ。

 一応、認識してはいた。

 国際的には誰の物でも無い海域のはずだが、一部の国が管轄を主張していることは知っていた。

 だとしても、まさかイ号艦隊と知って攻撃を仕掛けてくるとは思わなかった。

 

 

「つーか、国際問題じゃねーのコレ!?」

「こちらが浮上していない以上、「敵の霧」か「味方の霧」か判別できなかったと強弁できる。大体、国際問題になるぞと言う脅しは、それを恐れている相手にしか通じない」

「冷静に言ってる場合か!?」

 

 

 それもそうである。

 とは言え、群像は今回の相手――中国海軍――を、特に脅威とは思っていなかった。

 現状、爆雷による攻撃を受けている形だが、侵蝕弾頭や振動弾頭を持たない中国海軍の兵器ではイ号潜水艦の強制波動装甲を破ることは出来ない。

 だから爆発音と衝撃こと派手だが、ダメージと言う点で見れば全くの無意味だった。

 

 

「爆雷6、直上です!」

「ダメージは通らない。無視して構わない」

 

 

 そう、爆雷は放っておけば良い。

 問題は別にある、むしろそちらの方にこそ群像は困惑していた。

 すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 基本的かつ大事な点だが、イ401とイ404は()()()()である。

 人類のレーダーには、絶対に映らないはずだ。

 

 

「もしかして、霧が協力してる、とかか!?」

「その場合は、逆に攻撃が拙すぎる。効果の見込めない攻撃を続ける意味が無い」

 

 

 霧の協力はあり得ない。

 だが、霧の力なしに発見されるはずの無いイ号艦隊の位置を的確に割り出している。

 一見、矛盾する事態だ。

 戦略的にはイ号艦隊を攻撃する理由は無いし、戦術的にも意味が無い。

 

 

 まさか、こちらの正体に気付いていないのだろうか。

 不審船だから攻撃する、と言うマニュアル対応と言うことなのか。

 それにしては、いやそうだとしても、霧のイ号艦隊の位置を理解していると言う事実は動かない。

 つまり相手は、こちらの正体に勘付きながら攻撃を仕掛けてきている可能性が高い。

 

 

(現場の独断か……? まぁ、そちらの方がまだ説明はつく……か?)

 

 

 だが、独断にしてはリスクが高すぎやしないだろうか。

 仮にここでイ号艦隊が反撃に出れば、まず間違いなくこの海域から中国海軍の姿は消える。

 それは、中国海軍の方が良く理解しているはずだ。

 にも関わらず攻撃を仕掛けてくるのは、何か理由が、意味があるのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧の協力は無い、紀沙にはそれがはっきりとわかる。

 だからこれは、海上――と言っても、陸地だが――の中国海軍の攻撃で間違いが無かった。

 すなわち、人類が自分の意思でこちらを攻撃してきている……!

 

 

「ジョンさん、この海域の情勢はわかりますか」

「基本は他の海域と同じネ、霧の艦隊に封鎖されているヨー」

 

 

 もはや艦のアドバイザーと化しているジョンに発令所に来て貰い、南シナ海の情勢を確認する。

 霧の海洋封鎖は前提として、ジョンによると、現在この海域に留まっているのは中国海軍だけなのだそうだ。

 南シナ海は前世紀から境界の画定していない海域で、近隣国がそれぞれ権利を主張していた。

 前進基地を設営していた国も1つや2つでは無く、紛争の火種として長く懸案となっていたらしい。

 

 

「島と言っても小さいから、フードのプロダクションもままならないところがほとんどヨ。海を封鎖される直前に他のカントリーは撤退したヨ」

「その中で中国だけ残ったわけか、ひえー」

「補給も豪快ネ。船や飛行機をたくさん出して何隻かでも残って辿り着けばオーケーって感じヨ」

 

 

 それは確かに豪快だ。

 だが、それならば兵力自体は少ないはずだ。

 良くて数百人、下手をすれば数十人か。

 兵器や施設は太陽光をエネルギー源としたAI搭載型だろうから、そこまで人数は要らないはずだ。

 

 

 それに、輸送船に物資を満載して座礁させる、それを定期的に繰り返すとして、どれだけ切り詰めてもそれ以上の人数を年単位で養うことは難しいだろう。

 日米間のSSTOも振動弾頭のような「やましいもの」を載せていない限りは、いくつかは目的地に達している。

 だから純粋な補給と言うことであれば、船舶や航空機の座礁を見逃される、と言うこともあるだろう。

 

 

「相手は極めて小規模……意図は何……?」

 

 

 まぁ、それはそれで船や飛行機の乗員のことを気にしていないと言うことになるから、中国政府の方針には色々と言いたい気持ちも湧いてくる。

 だが、今それを気にしている場合でも無かった。

 問題なのは、どうして、そしてどうやって攻撃を受けているのか……。

 

 

「……へぇ」

 

 

 耳聡いと言うべきか、紀沙はスミノが漏らした吐息を聞き逃さなかった。

 感嘆と言うか関心と言うか、とにかくそんな風だった。

 だから紀沙は、スミノの眼が白く輝いているのを見て、迷わず飛び込んだ。

 ――――霧の世界に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 霧の世界に入った紀沙の意識は、イ404の目(センサーカメラ)と視界を共有した。

 するとその視界の端に、何かが見えた。

 小さく定期的に光を放っているそれは、パッシブタイプのソナーだ。

 受信した情報を絶えずどこかに送信しているようで、イ404が近付くと点滅が激しくなった。

 

 

「これは……」

「霧の支配する海で、よくもまぁ、こんなチマチマしたことが出来るよね」

 

 

 ふわり、と、スミノが紀沙の隣に来た。

 浅めとはいえ海中で、半透明の少女が2人並んでいる――紀沙の意識を形にすると、そう言う表現になる――姿は、ナノマテリアルの粒子の煌きと合わせて、神秘的にさえ見えた。

 そんな中で「視界」の範囲をさらに広げて見ると、似たような装置が色々な場所に見えた。

 

 

 ここまで見えれば、中国軍がどうしてこちらの位置がわかるのか、そのカラクリは大方読めてくる。

 要は、海底にセンサーを敷き詰めているのだ。

 センサー自体はチープな造りのもので良い、「何かが通った」ことが伝わる程度で十分だろう。

 魚で反応してしまうこともあるだろうが、潜水艦の動きはそれとは全く違うはずだ。

 確かに、スミノの言う通り、「チマチマとした」仕事だった。

 

 

「それでも、これだけの情報を統合するのはかなり大変なはず」

 

 

 海ひとつ分と言えば簡単だが、その情報量は膨大だ。

 しかもほとんどは魚やその他の漂流物で、ひとつひとつを吟味して潜水艦と比べなくてはならない。

 たとえ霧の艦艇でも、そこまではやらないだろう。

 中国はあえてその無茶を行っている、何のために?

 その理由はわからない、だが。

 

 

「霧への対抗策を考えているのは、日本だけじゃない」

 

 

 考えてみれば、当たり前の話である。

 ヨーロッパ諸国はお互いが脅威であったから、霧への対抗策は二の次になっている面があった。

 ただ()()()()が脅威では無い中国は、対霧の方策を考えていたのだろう。

 そして、日本とは別の方策を完成させつつある。

 

 

「どうするんだい?」

「もちろん、決まっている」

 

 

 海底に突き立てられたセンサー装置に掌を向けて、紀沙は言った。

 

 

()()()

 

 

 その向こう側にいる何か、あるいは誰か。

 南シナ海のすべてを掌握しようとする、中国海軍の対霧の兵器を見てやろう。

 そんな気持ちで、紀沙はさらに飛び込んだ(ダイブした)

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 中国と言う国は、時として他の国々とは一線を画する判断をすることがある。

 たとえば、<大海戦>以後の動きひとつ取ってもそうだ。

 ほとんどの国は、撤退可能な範囲にある島嶼部から自国民を本土へ移動させた。

 これはハワイのようなよほどの遠隔地で無い限り同様で、基本的に例外は無い。

 

 

 ところが、中国は別の選択をした。

 各国が退くのに合わせて、逆に海に進出したのである。

 南シナ海はその典型例であって、中国は<大海戦後>に海の版図を広げた唯一の国家だ。

 もちろん、そこには軍民に多くの犠牲を伴うことになった。

 だが中国と言う国は、それで揺らがない硬さがある。

 

 

「何だ、どうした!?」

「と、投射機、システムダウンです!」

 

 

 この人工島基地に駐屯している彼らは、そうした人間達だった。

 船舶による補給を除けば本国からの支援は無い、ほとんど棄民同然の扱いと言える。

 実際、駐屯兵はまず故郷には帰れない。

 <大海戦>以後の17年間、彼らはずっと南シナ海の人工島から外に出られていない。

 愛国心や勤勉と言うには、聊か異常に過ぎる。

 

 

「な、何者かがシステム内に侵入した模様です」

「何者かとは何だ!?」

「わ、わかりません!」

 

 

 あるいは、だからこそ、なのかもしれない。

 この南シナ海の人工島で正気を保つためには、「国の命令」と言う支えが必要だったのかもしれない。

 今の彼らにとっては、課せられた任務だけが心の支えなのだ。

 他のことは、何もできないのだろう。

 任務がなくなれば、おそらく立っていることも出来ないのだろう。

 

 

「再起動しろ、手動で切り替えるんだ!」

「わ、わかりました。ただ、少し時間が……」

「すぐにかかれ、すぐにだ!!」

「り、了解!」

 

 

 だから、それだけに彼らの動きは機敏だった。

 指揮官の命令に各部員が迅速に動き、止まったシステムの復旧に取り掛かろうとしている。

 ただ、それは難しい。

 絶海の孤島とも言うべき彼らの基地のシステムをわざわざ狙うような、そんな酔狂な勢力などいない。

 

 

 イ号艦隊が――彼らには知る由も無いが、イ404が――何かをしたのだと、皆が理解していた。

 ただ、それがわかったから何だと言うのだろう。

 彼らは国と軍が定めた任務とマニュアルに従うしか、他にすることが無いのだ。

 ――――そう言う意味で、その人工島には、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 他の国の軍事施設もそうだが、やはりこの人工島も独立したネットワークを形成している。

 規模こそ小さいが、それだけに強固でまとまりがある。

 並のハッカーであれば、まず侵入することは出来ない。

 しかし霧の力を持つ者にとっては、人類のセキュリティはあって無いようなものである。

 

 

「面白い情報配列だね」

 

 

 血管をイメージして貰えばわかりやすいだろう。

 ネットワーク内の情報は停滞しているわけでは無く、常に流れている。

 それは血管を流れる血液のようで、速いものもあれば遅いものもある。

 一定ですらなく、常に形を変えてそこに存在している。

 

 

 そんな中に、紀沙とスミノは意識を浮かべていた。

 視界の隅を流れていくのは、その情報を操っている人間でさえも認識していない情報の欠片だ。

 欠片とは言え、無限に近い量が集まっている。

 それらを視界の隅に収めるだけで、それこそコンピュータに匹敵する処理速度が必要になる。

 だが今の紀沙にとって、それはまさに一瞥で済むことだった。

 

 

「寄り道なんてしていられない」

 

 

 二重の意味で、そうだった。

 だから紀沙はぐるりとあたりを見渡した、膨大な情報の血流を眺めた。

 それらの血流が帰結する心臓部がどこなのか、良く見れば理解できる。

 ちょうど、医者が血の流れを探り当てる行為に似ている。

 

 

「ああ、あれだね」

 

 

 そして、スミノが指差した先。

 まるで、街中でスイーツ店を探すような気軽さだった。

 そちらに眼を向けた瞬間――スミノに教えられたことが、事のほか嫌だったようだが――紀沙の意識は、さらに奥へと進んだ。

 

 

 情報の血流の終点――いや、()()に向けて紀沙は跳んだ。

 その先に何があるのか、まずは見極める。

 おそらく、イ号艦隊の位置を掴んでいた海域全体のセンサー網を統括するシステムがあるはずだ。

 それさえダウンさせてしまえば、中国軍はイ号艦隊を見失うだろう。

 そうすれば、イ号艦隊は南シナ海を無事に通過することが出来るだろう。

 

 

「ああ、なるほど」

 

 

 そして、あっさりと辿り着く。

 辿り着くこと自体は、問題では無い。

 霧の力を持つ紀沙にとって、人間のネットワークの道を通り抜けることは難しくは無い。

 ただ、()()を見つけた時のスミノの声は。

 

 

「人間と言うのは、ここまで面白いことが出来るんだね」

 

 

 あまりにも皮肉気(シニカル)で、聞くに堪えなかった。

 そして紀沙の眼の前に現れた、統括システムの姿は。

 

 

『――――。――――。――――』

 

 

 無数の機械の管に繋がれた、小さな少女だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それは、電子(ネット)上のイメージでは無い。

 信号を遡って行った先にある空間があって、そこの監視カメラを通して視た姿だ。

 つまり、現実に存在している少女と言うことだ。

 スミノは「面白い」と評したが、紀沙にはそれを面白がるような感性は無かった。

 

 

 小さな少女だ、10歳前後と言ったところだろうか。

 髪の色は辛うじて茶色だとわかるが、無数のコードが接続されたフルフェイスマスクのせいで顔を見ることは出来なかった。

 ただひとつ言えることがあるとすれば、身体つきは華奢で、余りにも小柄だった。

 

 

「名前は(ヨウ)紫薇(ズーウェイ)、年齢は11歳。中華人民共和国河南省出身、人民解放軍の海軍特別少尉――相当官? ああ、生まれつき目と口が効かないのか」

 

 

 映画のスタッフロールでも読み上げるかのように、スミノは少女のプロフィールを読み上げていた。

 思い出したのは、蒔絵のことだった。

 蒔絵のようなデザインチャイルドと言うわけでは無いが、同じ気配を感じる。

 嗚呼、これこそ17年間の霧の支配が生んだ弊害では無いのか。

 

 

「はたして霧がいなかったとして、人間はこの子を人道的に扱ったかな?」

「何が言いたいの」

「わかっているくせに」

 

 

 ほら、と、スミノは楊紫薇と言う少女の方を指した。

 此方から彼方。

 紀沙達の側からは彼女の方を見ることが出来るが、彼女の側から紀沙達を認識することは出来ない。

 

 

「驚異的な空間認識能力と危機認識能力。まぁ、要するに知覚範囲が常人のそれを超えるって話」

 

 

 一言で言ってしまえば、そうだな、人間レーダーとでも言うべきか。

 海域すべてを認識してしまう能力を、才能という言葉ひとつで片付けてしまうのは難しい。

 何か人為的な、異常に人為的な何かを施さなければ、あり得ない超能力だった。

 哀れみ?

 いや、これはそう言うものでは無い。

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 ()()()

 紫薇は、じっとこちらを見つめていた。

 監視カメラを見つめているだけなのか、それともまさか本当に紀沙達を認識しているのか?

 もしそうだとしたら、驚異的なことだ。

 

 

「――――強制終了(シャットダウン)

 

 

 見るに耐えなくて、南シナ海を覆うシステムをダウンさせた。

 それは言うならば、目を手で覆うように。

 そんな優しい手つきで、紀沙はすべてを終わらせたのである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 楊紫薇と言う少女は、紀沙が考えた通り、デザインチャイルドと言うわけでは無い。

 人造の生命体と言うわけでは無く、元はどこにでもいる農村の娘だった。

 ただ両親を早くに亡くしたことで国営の孤児院に入れられ、そして当然のように軍の施設に移された。

 それは、紫薇が生まれながらに持っていた特別な才能が軍に見初められたからである。

 

 

 常人のそれを遥かに超える空間認識能力。

 盲目に生まれたが故に得たとされるその能力は、何も見ずに周囲に存在する物を把握してしまう。

 自分の真後ろに置かれた物体を、目を閉じたまま粘土で再現しろと言われて出来る人間がいるだろうか?

 紫薇にはそれが出来た、軍はある特別な装置を造ることで彼女の能力を軍事に利用した。

 それが、いわゆる「人間レーダー」としての紫薇である。

 

 

「海底の探知装置との全リンクが切断されましたか。流石にそう上手くはいきませんね、隊長」

 

 

 無数のコードが接続されたフルフェイスマスク。

 首に――脊椎に埋め込まれているように見える――コネクタから引き抜いて、紫薇はマスクを外した。

 汗の雫と共に、大きな溜息が吐き出された。

 汗で張り付いた前髪を指先で弄りながら、目を閉じたままで紫薇は振り向いた。

 見えているかのようだが、把握していると言った方が正しい。

 

 

「上層部はあわよくば拿捕と言うところまで望んでいたようですが。レーダーの性能だけで上手くいくなら漁師は必要ありませんしね、隊長」

 

 

 彼は紫薇の副官だった。

 と言っても、隊長と副官の立場ではあるが、他に部下はいない。

 なので実質、副官の任務は紫薇の世話と調()()と言うことになる。

 最も、紫薇はこの特別に設えられた仕事場(クリーンルーム)から外に出ることは出来ないのだが。

 

 

「まぁ、そうは言っても費用対効果と言うものもありますから。成果が出せないとここの電気も止められてしまいますしね、隊長」

 

 

 デザインチャイルドのような人造の生命では無いが、生まれ持った才能を科学で強化されている。

 いわゆる強化人間だが、肉体的には極めて脆弱で、誰かの庇護がなければ生きていけない。

 まぁ、紫薇自身にそうした常人じみた感情があればの話しだが……。

 

 

「楽しかったですか、隊長」

「…………」

「そうですか。それは良かったですね」

 

 

 傅くように手を取って、副官は紫薇の手を両手で握った。

 慈しみの声音は、どこか姫と従者を思わせた。

 確かに、紫薇はある意味で姫の扱いを受けていた。

 類稀な才能を持つ、霧に挑むために造られた、極東のサヴァンの姫として。

 人類の、悪徳の1つとして。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 子供の頃、世界はもっと単純だと思っていた。

 どこかに倒すべき巨悪がいて、悪いやつをやっつければ、それで平和な世界がやって来るのだと思っていた。

 幼い時に聞く御伽噺は、みんなそんなお話だった。

 けれど身体が大きくなり、それに伴って視野が広くなって来ると、そうでは無いのだと思うようになった。

 

 

 この世界に、(たお)すだけで世界平和をもたらすような巨悪など存在しない。

 いや、それも少し違うのかもしれない。

 巨悪は存在する。

 確かに、この世に存在してはならない人間やプロジェクトは存在する。

 刑部蒔絵のプロジェクトがそうであり、楊紫薇のプロジェクトがそうである。

 

 

「でも人間は、悪に依存して生きているんだね」

 

 

 巨悪を除くと、困る人間がたくさんいる。

 身体が大きくなるにつれて、紀沙はそのことを肌で感じるようになった。

 例えば、兵器。

 人殺しの手段など、無い方が良いに決まっている。

 

 

 紀沙は良くある陰謀論に組する人間では無いが、それでも兵器を使った行為――戦争によって利益を得ている人間がいることは知っている。

 それはつまり、兵器と戦争と言う悪徳が誰かが生計を立てる上で必要視されていると言うことだ。

 これを悪徳だと糾弾するのは容易い、だが、それなら今の世界をどう説明すれば良いのか。

 世界中の国々が、お互いや霧の艦艇から生き延びようと軍事に血眼になっているこの世界を。

 

 

「優勝劣敗、つまりはそう言うことだろう? 気に病むことは無いさ。人間が道徳的で高位の生命体だなんて、それこそ人間の思い込みだよ」

 

 

 善性を。

 人の善性を、紀沙は信じている。

 無機物に過ぎない霧には無い、素晴らしい人間の善意を信じている。

 

 

「人間は確かに善行を行う、でも同時に悪性をも持つ。何とも複雑で、わかりやすい存在なのだろうね」

 

 

 ああ、憎らしい。

 この身体(ナノマテリアル)になってから、スミノの囁きがより五月蝿く感じる。

 それはまだ、紀沙の意識が人間側にあることの証明でもあった。

 そして、だからこそ以前の自分との間で強いズレを感じる時がある。

 以前の自分であれば、こうまで人間の善悪について心が揺れることが無かったはずなのだ。

 

 

「人間って、無能だろう? 艦長殿」

 

 

 霧の力、ナノマテリアル。

 人体の再構成さえ可能にするその力は、全能感とも言える感覚を行使者に与える。

 人間から霧への移行過程にあればこそ、無能とまでは言わなくとも、不便からの解放は強く意識する。

 人間がいかに不完全な存在であるか、強く印象付けられてしまう。

 

 

 それが、紀沙には苦しかった。

 

 

 もし人間と霧が逆の立場だったして、おそらく彼女達はデザインチャイルドや強化人間のような如き存在は生み出さないだろう。

 その必要が無いからだ。

 そして、そんなことを考えてしまうこと自体が。

 紀沙にとって――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イ404がベトナムを出航したと言う報せを受けてから、上陰は佐世保に入っていた。

 佐世保は分散首都のひとつ、長崎政府が管轄している一大港湾都市だ。

 九州においては、SSTOの発射場と並んで最重要の拠点とされている。

 かつては、イ401が補給に使用していたこともある。

 

 

「……そろそろか」

 

 

 腕時計を見つめながら、上陰はそう言った。

 出発の時は横須賀から見送ったが、彼は一足先に佐世保で出迎えることにした。

 横須賀まではまだ日数がかかるので、佐世保で先に話をしておいた方が良いと考えたのだ。

 空路で先に横須賀に戻り、色々と手配しておけば、後がより効率的になるからだ。

 

 

 佐世保の早朝は、空が暗く肌寒い。

 コートを着ているとは言え、スーツ姿では防寒には程遠い。

 それでも表情ひとつ変えないのは、役人根性とでも言うべきなのだろうか。

 そして上陰の呟きを聞いていたわけでも無いだろうが、佐世保郊外の丘から見下ろしていた彼の視界に、水平線に煌く光を映した。

 

 

「来たか」

 

 

 携帯電話を操作して、コールをかける。

 通話先は、佐世保の首相官邸の夜勤職員だ。

 2コール待つこと無く、相手が通話に出た。

 相手も上陰の電話を今か今かと待っていたのだろう。

 

 

「ああ、私だ。早くに悪いが、首相に報せてほしい」

 

 

 光は、水平線に浮上した潜水艦からの信号だった。

 そして今の時期、海から佐世保の港に入って来る艦艇は他にいない。

 同時に、偶然だろうが、陽が昇り始めた。

 急な明るさに目を細めながら、上陰は通話口の向こう側の相手に言った。

 

 

「イ号艦隊が……イ404が戻った。横須賀と札幌にも至急連絡してくれ。ああ、頼んだ」

 

 

 イ404の帰還。

 それは<大海戦>以後の世界において、「帰還」と言う二文字だけでは表せない程の偉業だった。

 傭兵的存在の<蒼き鋼>とは違い、イ404は日本の正規軍なのだ。

 この意味は、けして小さいものでは無い。

 

 

「いったい、どんな顔をするようになったのかな」

 

 

 だんだんと近付いてくる潜水艦の姿を見つめながら、上陰の呟きは早朝の風の中に消えていった。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

やっと日本に帰り着きました。
実に60話以上かかりました、作中時間でも1年近くかかった気がします。
世界一周って結構かかりますね(違)

次回からはまた日本でのお話になりますね。
そして最終決戦……に行けるのか?(え)

それでは、また次回。

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