蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth072:「セヴァストポリ」

 2057年1月、クリミアには冬が訪れていた。

 この時期のクリミアには珍しく晴れ間が続いており、普通なら対岸の陸地からでもクリミア半島の姿がうっすらと見えるはずだ。

 しかし現在、クリミア半島全体が深い霧に覆われていて、その姿を見ることは出来ない。

 

 

 そして今、クリミアには人類側の主力軍が集結しつつあった。

 米独露を中心とする精強な陸軍が、<騎士団>占領地を迂回しつつクリミア周辺に兵を進めたためだ。

 しかし互いを連合軍としていないこの進軍は、互いを敵とする歪なものにならざるを得なかった。

 このため今年のクリミアの冬は、世界的な冬の訪れを告げかねない程の危険水域に達することとなった。

 

 

 前年12月下旬に各地を発したロシア陸軍は、味方と合流しつつ北と東からクリミアを半包囲した。

 このロシア軍の北側部隊は1月初旬にウクライナ領を進みクリミア北西に達したドイツ軍と対峙し、塹壕陣地を挟んで10日余りの睨み合いを演じる。

 そして1月下旬、ポーランドにて再編されたアメリカ欧州軍がドイツ軍後方に布陣、別働隊がトルコ陸軍と共にコーカサス地方(ロシア国境)に展開し、独露両軍を牽制した。

 

 

 現地で互いの陣地への散発的な銃撃事件が相次ぐ中で迎えた、1月最後の日。

 それぞれの進軍開始から1ヶ月余りが経ってようやく、米独露三国の間に政治合意が成立。

 同日中に互いの軍への臨戦態勢が解かれ、クリミアの北西、北、北東に3つの軍を配置することが決まった。

 霧の海洋封鎖以後、こうした軍事連合が行われるのは初めてのことだった。

 

 

 そして新年2月。

 米独露を中心とする統合司令部がポーランドに置かれることとなり、中旬までには他の参戦国・支援国から司令部要員や調整官がワルシャワに派遣され、司令部としての運用を開始した。

 2ヶ月にも渡り目前の人類軍を野放しにする<騎士団>を訝しみつつも、ついに2月16日、ワルシャワ司令部はクリミア包囲軍に対し、作戦の開始を命令。

 

 

 翌2月17日、現地部隊の司令官による最終の会議が持たれた。

 後世の()()()()()()、司令官達は過去の因縁を脇に置き、目前の人類の脅威を排除すべく一致団結し、精力溢れる議論を戦わせたとのことである。

 彼らは、<騎士団>と言う脅威に共に立ち向かったのである――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――などと言うことも無く。

 

 

「てめーらが先、オレ達は後。それで良いなら参加してやっても良いぜ」

「勝手なことを言わないで貰いたい! 貴軍の方が戦車の数も多い、先陣は貴軍とするのが妥当だ!」

「いや、クリミアへの侵入路は幅5キロも無く戦車には狭すぎる。橋も落とされているのだから、航空基地の近いロシア軍が先に動くべきだ」

我が軍(ロシア)の作戦に後から参加しておきながら、何だその言い草は!」

よそん家(ウクライナ)の庭に勝手に居座っておいててめーらの作戦とか吐かしてんじゃねーぞ」

クリミア(ここ)は我らの父祖の土地だ!」

「待て、今はそんなことを話している場合じゃないだろう!」

 

 

 今回の対<騎士団>作戦に兵力を派遣したのは、アメリカ・ドイツ・ロシアだけでは無い。

 領土を侵されたウクライナ、モルドバ、ルーマニア等の周辺諸国に加え、ポーランド、チェコ等のドイツの同盟諸国、トルコ、ギリシャ等のアメリカの同盟諸国、そして位置的に大きく離れていながら日本。

 主力は米独露の数十万の軍団だが、その他の国々も数百から数千の兵を出している。

 

 

 とは言え百や千での兵力では作戦に影響を与えられるはずも無いので、ほとんどいないような物だった。

 だから、メディアに公開するような会議でも無い限り、作戦についての話し合いは米独露が密室で行う。

 とは言え過去も現在(いま)も、いがみ合って来た3国である。

 例えばアメリカとイギリスと言う組み合わせならまだ上手くやれたかもしれないが、これは無理だ。

 アメリカとロシア、ロシアとドイツ、ドイツとアメリカ。

 

 

「まったく話にならん! 貴様らと同じテーブルに着くなど時間の無駄にしか思えん!」

「そりゃこっちの台詞だっつーの。てめーらに足を引っ張られてちゃ、オレの可愛い兵隊の命がいくらあっても足りねーよ」

「歩調を合わすつもりが無いと言う意味なら、私も両方に同意したいところだ」

 

 

 ロシア軍、イヴァン・グロモフ陸軍中将、指揮兵力約8万人、他別働部隊3個師団。

 ドイツ軍、マルグレーテ・カールスルーエ陸軍中将、指揮兵力約5万人、他後方部隊2個師団。

 アメリカ軍、コリン・シュワルツコフ陸軍中将、指揮兵力約4万人、他別働部隊2個師団。

 会議に参加しているのはこの3人と通訳のみの、完全な密室会議であった。

 

 

 後世の記録によれば、当時の通訳達は「3人は一目会った瞬間から、己が何をすべきかを悟った」と異口同音に語ったと言う。

 それがために3人が過去の因縁を超えて協力したと言う美談が残ったのだが、実際のところ、通訳達が言ったのはそう言うことでは無かった。

 つまり3人は互いの最初の一言目で、「部下を守らなければ」と言う認識で()()()()のだ。

 

 

「うわっ」

 

 

 会議全体に殺伐とした空気が漂い、このままでは決裂かと通訳達が心配――実を言えば、彼らは中将達の言葉を訳すのにかなりマイルドな表現を使っていた――していた時だった。

 密室会議のため、参謀達が外に出て切れていたモニターの1つが、突然復活した。

 じろり、と、3人の中将がそちらを見やった。

 通訳達と違って落ち着いているのは、何となく()()とわかっていたからだ。

 

 

『――――長い割に、結論が出ないようですね』

「そりゃあ、面子が揃ってない内にまともに会議なんてするわけねーだろ」

 

 

 モニターから聞こえて来た声に、マルグレーテはシニカルに笑った。

 そこに映っていたのは、サングラスを着けた東洋人だった。

 彼の名前を、マルグレーテはそのまま言った。

 

 

「アドミラル・チハヤ――千早翔像」

 

 

 翔像の参加により、会議は三者から四者へと形を変えて再会となった。

 中心になったのが誰なのかは、言うまでも無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「作戦を説明する」

 

 

 イ401の発令所でそう告げたのは、当然のこと艦長の群像だった。

 彼はすでに黒海に身を潜めていて、ロシア領海からクリミア半島の様子を窺っていた。

 群像自身はドイツ軍と共に陸地を通り、イ401はドーバー海峡から地中海を経由して黒海に入った。

 ギリシャ側は<騎士団>が浸透していて危険だったが、トルコ沿岸を通ることで避けた。

 

 

 隣国まで近付かれてトルコ政府は相当の危機感を持っていたらしく、イ401、そしてアメリカへの協力姿勢を隠さなかった。

 そして何よりイ401の黒海進出を助けたのは、『ダンケルク』を中心とする霧の地中海艦隊だった。

 『ダンケルク』艦隊は今や、霧の中で最も親人類派と言えるだろう。

 

 

「まず<騎士団>の支配領域だが、事前情報の通り霧に覆われている。これは霧の艦隊の強制波動装甲にも似た仕組みを持っていて、外からでは中の情報は一切得ることが出来ない」

 

 

 海上には『ムサシ』と『フッド』、<緋色の艦隊>と霧の欧州方面艦隊も合流している。

 本来は黒海には黒海の霧の艦隊が配置されているのだが、昨年後半、連絡を断ってそれきりらしい。

 黒海は外洋と違って狭く、陸上の<騎士団>からの攻撃を受けやすかったのが原因だった。

 だからこの戦いは、霧の艦隊にとっても味方の復讐戦と言うことだ。

 

 

「バリアみたいなもんってことか?」

「いや、どうやら物理障壁と言うわけでは無いようなんだ。情報のみが遮断されている。これはクリミア半島全体と、西に伸びた<騎士団>の占領地にも見られる現象だ。ただクリミア以外は点で押さえているばかりで、街が無い場所などは霧で遮断されたりはしていない」

 

 

 それどころか、<騎士団>の西進は止まっていた。

 何かを目指すように西へ西へと進んでいた<騎士団>だが、まるでその必要がなくなったかのように、進軍が停止したのだ。

 そして群像は、「まるで」では無く、実際に必要が無くなったのだと判断していた。

 

 

 いずれにせよ、クリミアの状況は外からではわからない。

 このまま攻撃を開始しても、過去のロシア軍のように失敗に終わる可能性がかなり高い。

 だからこそ、まず内側から攻略する必要があった。

 

 

「内側からって、どうやって?」

「もしかして、私達で潜入するんですか……?」

「いいや、オレ達はここで待機だ。と言うより……」

 

 

 イオナのサポートが無い今、群像達には並の潜水艦程度の戦力しか無い。

 この状態で霧と同等かそれ以上の相手と戦うのは、余りにもリスクが高い。

 だから、<騎士団>の霧のフィールドを解く役目は他に任せていた。

 

 

「……もう、中にいる」

 

 

 ()()()が<騎士団>のフィールドを解除した時。

 その時こそ、人類側がクリミア半島へ総攻撃を開始する時であり。

 群像達が――群像が、イオナを取り戻すべく戦うべき時だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 思ったよりも、どうと言うことも無く入り込むことが出来た。

 ボンベの口を離して、新鮮な空気を大きく吸い込んだ。

 ぴったりと身体に張り付くウエットスーツの襟元を引っ張りながら、紀沙は周囲を警戒していた。

 冬の海の冷たさからか、頬は青白く、赤みがほとんど無かった。

 

 

「ぷはっ。やばいくらい冷てぇ」

「……流石に堪えます」

 

 

 後からついて来たのは、冬馬と静菜だ。

 紀沙達3人は海沿いの岩場に身を隠すようにして、上陸したところだった。

 あの、クリミア半島へ。

 上陸したのは、セヴァストポリ南方の海岸である。

 

 

 ナノマテリアル製のボンベを捨て、ウエットスーツを脱ぎ、防水の荷物袋の中から乾いた衣服を取り出した。

 この気候でいつまでも濡れたままでは風邪どころでは無いし、ウエットスーツで動き回るわけにもいかない。

 なお冬馬は一部始終をガン見していたが、静菜に延髄を打たれて2分ほど気絶させられていた。

 

 

「恋さん、聞こえますか」

『……感度良好。良く聞こえます、艦長』

「良かった。ナビお願いします」

『承知しました。お任せください』

 

 

 イ15は、もちろん海中で待機している。

 沖合いは深い霧に遮られていて見えないが、不思議なことに、内側は快晴時のように視界が開けていた。

 どうやらあの霧は、フィールドと言うよりはカーテンに近いようだ。

 そして着替えを終えて冬馬が起きた頃に、紀沙達は岩場を進み始めた。

 

 

 程なく幹線道路に出たが、雪が薄く残った道に独特の跡が残っていた。

 考えるまでも無く普通の車のタイヤとは異なるそれは、キャタピラによるものとわかった。

 つまり<騎士団>の戦車が走った跡であり、それも複数あった。

 濃淡があるのは、時間帯によるものだろう。

 

 

「どっちに進む?」

「左です。セヴァストポリの街は西側にあるので」

 

 

 そのまま数キロ進んだところで、海沿いに何かを見つけた。

 元々ビーチだったらしい砂浜に、黒い大きな塊が流れ着いていたのだ。

 流れ着いたと言うよりは、砂浜に乗り上げたと言った方が正しいのかもしれない。

 何しろ見つけたのは、タンカーかと思えるくらいに大きな船だったのだから。

 

 

「恋さん、これは」

『……艦形を照合しました。イ15のデータベースによると、霧の大戦艦『セヴァストポリ』の艦首部分です』

「おい、艦の側に何かあるぞ。ってか、あれは……」

 

 

 霧の大戦艦『セヴァストポリ』と言えば、『コンゴウ』や『フッド』と同じ霧の旗艦の1隻だ。

 それが何故、クリミアの海岸に座礁しているのかはわからない。

 しかし、ただならぬことだと言うことは理解できた。

 何故ならば……。

 

 

「……ひでぇことしやがる」

 

 

 冬馬の一言が、全てを物語っていた。

 そして、この時ばかりは紀沙も否定はしなかった。

 いくら霧が敵だとは言っても、憎い相手だとは言っても、メンタルモデルだとは言っても。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()、流石に何も言えない。

 

 

 だから紀沙は、冬馬が()()を下ろすのを止めなかった。

 静菜が彼女を砂浜に埋めるのも、止めなかった。

 砂浜に横たえられた彼女の姿を見なかったもの、嫌悪からでは無く配慮からだった。

 クリミア上陸で最初に見るものがこれとは、夢にも思わなかった。

 ――――前途には、まさに霧が立ち込めていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 セヴァストポリは、広大な街だ。

 最盛期には50万人の人間が居住していた一大市域で、これは日本の宇都宮や倉敷に相当する規模だ。

 工業も盛んである一方、農業や観光業も盛んであった。

 現在は大分人口も減少しているが、それでも一大都市であることに変わりは無い。

 

 

 特に、ロシア黒海艦隊の本拠地として有名だ。

 近隣国のウクライナやトルコとの間で争奪を繰り返してきており、その関係だけで歴史絵巻が数本は出来るだろう歴史を持っている。

 とにかく古くて大きい街なのだ、少なくとも……。

 

 

「……誰も、いない?」

 

 

 少なくとも、街角に誰もいないなどと言うことはあり得ない。

 しかし、そのあり得ないはずのことが、紀沙達の目の前で起こっているのだった。

 

 

「まだ昼前だぜ? 誰もいないってのはおかしいだろ」

「……建物の中も見てみましょう」

 

 

 遠目に海上の霧が見えるだけで、セヴァストポリの上空は快晴だった。

 ここに来るまでの道中、『セヴァストポリ』の残骸以外のものは何も無かった。

 人が通らないことも訝しんだが、<騎士団>占領下で行動を制限されているのかと思った。

 しかし都市内部にあっさりと入れたことで、その考えが間違っていたことに気付いた。

 

 

「この家にも誰もいねえ」

「スーパーにも店員すらいませんでした。そちらは?」

「公園にも誰もいなかった。明らかに様子がおかしい……」

 

 

 30分ほど近所を探してみたが、結果は同じだ。

 街路樹、石畳の通り、小豆色が多い屋根の民間住宅地。

 緑豊かなセヴァストポリの街は、落ち着いたヨーロッパの街そのものだ。

 他の街なら、カフェで人々が談笑していたりの一場面くらいは見ることが出来ただろう。

 

 

 しかし、この街にはそれが無い。

 まったく無い。

 人っ子ひとり存在しない。

 数十万人の人間が生きる都市で、これは明らかに異常だった。

 想像してみて欲しい、同程度の人口を持つ横須賀や尼崎から人間が1人残らず消えたらどう見える?

 

 

「不気味ですね」

 

 

 静菜がそう言うが、実際には不気味どころでは無い。

 紀沙は耳元に手を当てて、イ15の恋と通信した。

 

 

「恋さん、私達のいる場所はセヴァストポリで間違いありませんか?」

 

 

 ……一瞬、返事に間が空いて、紀沙は緊張した。

 <騎士団>の霧のフィールドに覆われたクリミア半島は、霧の力をもってしても不明な部分が多い。

 通信が途絶した場合に備えて行動パターンはいくつか考えてあるが、しかし通信が確保できているかいないかではミッションの成功率は大きく違ってくる。

 

 

「恋さん?」

 

 

 もう一度呼びかけると、冬馬と静菜もやや緊張した面持ちで紀沙を見ていた。

 彼らも、この状況での通信の不調が何を意味するのかを良く理解しているのだ。

 しかし慎重に返信を待っていると、思っていたよりもあっけなくそれは来た。

 

 

『はいはーい。大丈夫、そこは間違いなくセヴァストポリの街だよ!」

 

 

 どっ、と疲れが出てきたような気がした。

 何故なら通信機の向こうから聞こえて来たのは恋の落ち着いた声では無く、どこか姦しい幼い声だったからだ。

 具体的に言えば、それは蒔絵の声だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナビゲーターの交代は、蒔絵の希望だった。

 軍人では無い蒔絵にやらせるべき仕事かと言わると厳しいが、しかし彼女が見た目以上に優秀なのも自明だった。

 デザインチャイルドの頭脳は、多様な情報を一度に処理することが出来る。

 

 

「そこは間違いなく、セヴァストポリの街だよ。座標からして間違いない。今の人口は大体30万人くらいだから、誰もいないって言うのは確かにおかしいよね」

 

 

 最終的には、恋の判断による。

 自分がやるよりもずっと紀沙達の役に立つとの判断だ。

 もちろん本人のやる気に押されたと言う面もあるが、実際、艦長のシートに座り複数の端末を操作している蒔絵を見ると、間違いで無かったと思う。

 

 

 今、紀沙達(ビーコン)がどこにいるのか?

 データと実際に紀沙達が見ているものは、本当に一致しているのか?

 内外の通信はどこまで正確なのか?

 霧のフィールドに察知されないために、持続的かつ不規則に専用回線の数式配列を変える必要もある。

 

 

「ぶふっ、くっ……」

「あまり笑えないで貰えますか」

「ご、ごめ……くふっ」

 

 

 けして、「変わって、()()()()!」と言われてショックを受けている間にどかされたわけでは無い。

 それは確かに四捨五入すれば30代だが、まだ20代である、おじさんは厳しい。

 まぁ、蒔絵くらいの背丈の子供からすれば大人の男性はすべからく「おじさん」で一括りなのかもしれない。

 

 

 閑話休題。

 梓が笑いを堪えきれずにいるのはとりあえず置いておくとして、蒔絵の才能と能力は瞠目(どうもく)すべきものがある。

 少なくともオペレーターとしては、恋よりも遥かに上だろう。

 あるいは、もしかすると本当に艦長に向いた素質を持っているのかもしれない。

 

 

「誰もいない……街の人はどこに行ったのかな。でもこっちから街のシステムにはどこも繋がらないから、そもそもライフラインも動いていないみたい。嫌な予感がする」

 

 

 それはそれとして、セヴァストポリだ。

 30万人もの人々が住んでいた大都市にも関わらず、実際には誰もいない。

 どこかに避難したのか、それとも<騎士団>に連れて行かれたのか。

 今の段階では、考えても想像の域を出てこない。

 

 

「気をつけて」

『わかった。何かあったらまた連絡する』

 

 

 とにかく、今はこのイ15が繋いでいる通信だけが頼りだった。

 これも切れてしまえば、3人の回収すらままならなくなってしまう。

 まさに命綱だ。

 だから蒔絵も、他のクルーも、細心の注意をもって見守っているのだった。

 

 

「……ん。なに? 国際チャネル?」

「ああ、始まったようですね」

 

 

 予定時刻だ。

 国際チャネルで、連合軍が作戦の開始を宣言したのは、そんな状況の時だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 正直に言えば、表向きその宣言はさほどの衝撃力を持っていなかった。

 かつてイギリスと<緋色の艦隊>が安全保障条約を結んだと発表した時に比べれば、まだ衝撃は弱かった。

 何しろ過去3度も同じような発表があり、そして悉く失敗に終わったのだから。

 

 

『全世界の皆さん、こんにちは。我々連合軍は今日、人類の国土を不当に占拠する侵略者に対する歴史的な作戦を発動しました。今日と言う日は人類の歴史において、忘れられることの無い日となることでしょう』

 

 

 遥かヨーロッパの地――連合軍司令部があるワルシャワからの国際放送――からの映像を閣議室のモニターで見つめながら、楓首相はしかし「今回は成功するかもしれない」とも考えていた。

 何故ならば、今回は過去の3回とは条件が違うからである。

 今回の第四次クリミア作戦には、過去には無かったものがいくつもある。

 

 

 まず、国際的な支持だ。

 クリミア半島は歴史的に近隣国で争奪が繰り返された土地で、ロシア軍の行動に異を唱える国も多かった。

 しかし今回はアメリカやドイツ等の欧米諸国との合同作戦であり、表立って反対する国は少ない。

 より言えば、アメリカもドイツも今回は上手くいくかもしれないと思って、干渉してきたとも言える。

 

 

『20カ国を超える連合軍参加国、支援国が、直接的・間接的に我々を支持・援助してくれています。この作戦に関係する全ての国々が、世界の安全と平和のためにその義務を果たすことを宣言したのです。これは、かの<大海戦>以来のことであります』

 

 

 そして何よりも、戦力の質の違いである。

 最もこちらは公になっていないので、傍目には変わらないように見える。

 と言うよりも、一般の人々は夢にも思わないだろう。

 まさか今回の作戦が、人類と霧の共同作戦だなどとは。

 

 

『我々は連合軍の兵士1人1人が、世界中の人々から尊敬と賛辞を受けるだろうと確信しています。何故ならば彼らは、その命を投げ出して史上最悪者の侵略者と戦う勇者であるからです。同時に、我々は彼らのご家族の心の安寧を祈ってやみません』

 

 

 何度も言うが、表向きは人類だけの()()()()だ。

 しかしこの作戦には、千早翔像とその子ども達が秘密裏に参加している。

 <緋色の艦隊>のバックアップがあれば、作戦の幅は相当に広がるだろう。

 アメリカやドイツが「今回こそはもしや」と思い参戦してきたのも、要はそこだ。

 日本では存在感の薄い<騎士団>だが、それでもその脅威の程はここまで聞こえてくる。

 

 

『全世界の皆さん、我々はけして戦いたいわけではありません。しかし非道な侵略者が現れた時、我々は戦わなければなりません。そして我々は勝利します。その条件は我々の結束と、全世界の皆さんの支援です。我々の自由と正義のために。神よ、我々と我々の守る人々にどうか加護を与え給え』

 

 

 衝撃力は無い、が、浸透する力はある。

 モニターの中で演説するお飾りの連合軍司令官――実質は現場の3人の中将の合議体制だ――を見つめながら、楓首相はそう思った。

 ただ問題は、人類の根っこの部分まで浸透するかどうかだ、と。

 

 

 それはつまり、要は勝つかどうかだ。

 勝てば、多少の犠牲を容認してでも人類は前に進むだろう。

 だが、もし負ければ。

 その時は――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 人類の高らかな宣言を、その存在は確かに聞いていた。

 ただしそれは世界中で発生している()の1つと言う認識であって、宣言だとか声明だとか、そう言う意味のある()()として聞いているわけでは無かった。

 つまるところ、無視……と言うより、深く聞いてすらいなかった。

 

 

 いや、そもそもその存在にはっきりとした意思は無かった。

 ただ存在しているだけ、と言った方が正しい。

 何故ならその存在の意識は、長い時間を経る中で磨耗し切ってしまっていたからだ。

 もしかすると、意思とか意識とか、そう言う表現すら正しくは無いのかもしれない。

 

 

「――――調整終了」

「……だんだんと、間隔が短くなって来たわね」

 

 

 中世のイタリアの詩人が著したところによれば、地獄とは漏斗(ろうと)状の構造をしているらしい。

 その場所は、まさに漏斗状の構造をしていた。

 底から見上げると、上へ上へと大きくなっていく特徴的な構造だ。

 逆に言えば下へ行く程に小さくなり、最底辺は20メートル四方の四角い空間になっている。

 底には、海水が溜まっていた。

 

 

 溜まっているとは言っても、成人男性の膝ほどまでの深さでしかなく、そこまで大仰なものでは無い。

 ただしその周囲は、大仰と言うよりも、異形だった。

 金属の(つる)がそれこそ植物のようにとぐろを巻き、おそらくは岩石や地層だっただろう壁に大小の蔓が壁を覆い尽くしていた。

 それは人工的であり、同時に植物的でもあり、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。

 

 

「人類が攻めてくるようですが、わかっていますね」

「あの御方は今、肉体と精神を整えるために眠りについています。それが終わるまでは、何人たりともこの聖櫃に入れてはならない」

 

 

 そして蔓の間に鬼灯(ほおずき)の如く灯りが揺れて、最底辺の中心にある大きな蔓の塊――「聖櫃」と示された物体――があり、良く見れば階段や手すりのような物も見える。

 言葉を信じるのであれば、誰かが眠っているのだろう。

 言われて見れば、人間大の大きさをしているようにも見える。

 

 

「さぁ、行きなさい。<騎士団>よ」

「あの御方を求めて群がってくる者達を、悉く排除しなさい」

 

 

 鬼灯達の輝きが、一際強くなる。

 その輝きの下に、一瞬人の形をした影が姿を見せた。

 そして聖櫃の前に唯一立つ2人の少女、あの『ビスマルク』姉妹の命令と共に、彼らは光の線となって上へと消えた。

 

 

 それを見送った後、『ビスマルク』姉妹の視線が同じ場所へと向く。

 先程は「唯一」と言ったが、実はもう1人、聖櫃の側に()()()()()()()()()()

 『ビスマルク』姉妹とは違う、銀の髪の彼女は、瞳を閉じたままそこにいた。

 そんな彼女に、『ビスマルク』が言う。

 

 

「貴女にも役に立って貰いますよ」

 

 

 言われて、そのメンタルモデルの少女は、ゆっくりと目を開けた。

 そして。

 その両の瞳には、一切の光が無かった――――。




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

と言う訳でクリミア編です。
ここを超えると最終章まであと一歩なので、頑張りたいと思います。

それでは、また次回。

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