蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth071:「クリミアへ!」

 不幸中の幸いと言うべきか、九死に一生を得たと言うべきか。

 あるいはその両方かもしれない。

 ロリアンが海中へと沈む最中、紀沙達の危機を救ったのは、イ404の航海に半ば勝手について来ていたイ15――トーコだった。

 

 

「ナノマテリアルの全体量が少ないんで、スミノの姐さんみたいに部屋とかを余分に作れたりはしないッス。手狭かもしれないけど、我慢してほしいッス」

 

 

 申し訳なさそうな顔で、トーコは言った。

 手狭と言うのは誇張でも何でも無く、イ15は潜水艦としての最低限のスペックしか持っていなかった。

 艦の大きさはイ404と二回りほど小さいくらいだが、内部構造には大きな差があった。

 まさに、()()()()()()()()ようになっているのだ。

 

 

 まず武装が無い、イ15のは魚雷発射管すら無いのだ。

 そして部屋数も無い、人間の乗艦を想定していないので物資もほぼ積んでいない。

 あるのは形ばかりの発令所と機関室、急遽作った家具の無い簡素な空間が2、3だけだ。

 正直、戦闘用の艦艇としては欠点しか無いと言うのが実情だった。

 元々ナノマテリアルをメンタルモデルに全振りしているところがあるので、仕方ないのだが……。

 

 

「……最悪だ」

 

 

 艦を――イ404を失った。

 『ビスマルク』姉妹に連れ去られた、のだろう。

 状況から言って、そう言うのが正しいはずだ。

 ただあの時のスミノからは、妙な話、スミノの意思を感じることが出来なかった。

 

 

 確かなことは、スミノと共にイ404の艦体も消失してしまったことだ。

 原因も理由もわからないが、致命的なことには間違いない。

 イ404は、紀沙達にとって失ってはならないものだった。

 戦闘手段としても、移動手段としても、また軍事資産としても。

 北から与えられた、すべての日本人にとっての希望だったのに。

 

 

「その、艦長(ボス)。これからどうするッスか」

「決まってる。追いかけるんだ」

 

 

 と言うか、そうする他無い。

 トーコで大洋は超えられない、物資すらないのだ。

 いや、物資はあるいは<緋色の艦隊>から補給できるかもしれないが、それでも大西洋・太平洋あるいはインド洋を越えて日本まで辿り着けはしない。

 だから、追うしかない。

 

 

「クリミアまで」

「いやあ、流石にそうはいかねーんじゃね?」

「え?」

 

 

 その時だった。

 紀沙は発令所の中央あたりで座り込んでいたのだが、不意に片手を取られた。

 そして、冷たい金属の感触と、金属が擦れ合うと言う小さな音。

 振り向いた、冬馬がいた。

 紀沙は、手錠をかけられていた。

 

 

「……え?」

 

 

 紀沙の目の前で、冬馬が肩を竦めていた。

 それは、いつもとまったく同じ調子で行われた動作だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 バタン、と、ドアを閉じた。

 閉めたのは冬馬で、映画とかで良く見る「おらっ、中で大人しくしてろ!」的に乱暴に閉めた。

 その後は腰に手を当てて、伸びをしながら身体を解した。

 ……もう少し、抵抗らしい抵抗があるかと思ったが。

 

 

「信じられない。そんな顔をしていましたね」

「まぁ、それだけ信頼されてたってことだろうけど~」

 

 

 そんな冬馬に声をかけて来たのは、恋とあおいだった。

 今回の冬馬の()()に協力した2人である。

 まぁ、反乱とは言ってもそれは紀沙から見た場合の話で、統制軍から見た場合にはそうなるわけでは無い。

 

 

 彼らは統制軍の軍人であって、紀沙の私兵では無い。

 私兵が主たる紀沙に叛旗を翻せば反乱だが、統制軍の軍人が同じ軍人に反対しても反乱ではない。

 そして今回の場合、冬馬達は統制軍のより上位の階層からの命令に従っただけだ。

 つまり、こうだ。

 

 

「千早紀沙に不穏の気配があったり、艦長たる任を果たせないと判断した場合には、これを拘束しすべての任を解くこと」

 

 

 恋が言ったそれは、イ404のクルー達――イ404を失った今となっては、()クルーと言った方が正しいのか――に最初から与えられていた命令だ。

 これまではイ404の艦長として紀沙を立てて来た彼らだが、ことここに至って行動を起こしたのだ。

 イ404を失った以上、千早紀沙はもはや艦長ではない、と。

 

 

 と言って、クルー全員が賛成したわけでは無い。

 例えば梓は反対した。

 感情を優先しがちな彼女らしいが、砲雷長の出番のないイ15では彼女の発言権は無いに等しい。

 残る2人だが、こちらは賛成も反対もしていない。

 静菜は紀沙が身体的に無事ならばと言う考えで、良治はむしろドクターストップを望んでいる。

 

 

「イ号404がなくなっちまっちゃ、俺らが艦長ちゃんに従う義理はねーだろってな」

 

 

 ああ、と、冬馬は思いついたように頭を掻いた。

 

 

「もう、艦長ちゃんじゃねーのか」

 

 

 やーれやれ、と言いながら歩き去っていく冬馬の後ろ姿を、恋とあおいは並んで見送っていた。

 冬馬の姿から何を思ったのかはわからないが、おそらく、同じようなことを考えているだろう事は明白だった。

 何にせよ、ここまでの長い航海を、紀沙を頭に進んできたのだから。

 それがここまでだと思うと、何か思うところでもあるのだろう。

 

 

「あらぁ、見張ってなくて良いのかしら~?」

「艦内がこれだけ狭ければ、見張りの意味なんて無いと思いますよ」

「まぁ、それもそうねぇ」

「それに、縛ってくれと頼まれたので締め落として気絶させた良治くんの様子を見に行かないといけないですしね」

「やることが過激ねぇ」

 

 

 頬に手を当てて、呆れたようにあおいは言った。

 しかし、あまり深くは考えない。

 紀沙がいるだろう部屋のドアをちらりと一瞥すると、彼女もまたどこかへと言ってしまう。

 梓や静菜をからかいに行ったのだろう。

 

 

 冷たい?

 あるいは、心配していない?

 単純に、今後のことや未来に興味が無いのかもしれない。

 あおいと言う女性は、そう言う女性なのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「危機をチャンスに変える度量が無ければ、これからの海で生き抜くことは出来んよ」

 

 

 それは、イ404の消失を聞いた時の翔像の言葉だった。

 イ404の消失をいの一番に伝えた『ムサシ』ではあったが、翔像の反応は彼女が期待した程に強いものでは無かった。

 もちろん、紀沙がクルーの反乱を受けていることを『ムサシ』は知らない。

 

 

 ただ、翔像がかつて乗員の反乱を受けたことは知っている。

 それは10年前、翔像がイ401で――群像達とは異なり、100人近いクルーを乗せて――航海した時、そして彼が『ヤマト』と『ムサシ』と邂逅した時、翔像はクルーの一部に反乱された。

 まぁ、無理もないことだったろう。

 

 

「今以上に、当時の人間は霧に厳しかった」

 

 

 <大海戦>から、僅かに7年。

 記憶はまだ新しく、霧との戦争を知らない世代もまだ育たず、かつての繁栄を忘れるには早すぎて。

 それがいきなり「霧との共存」を目指し始めるのだから、そんなことを言い出した翔像に唯々諾々と従う者ばかりで無いことは、当たり前だった。

 翔像を撃った者も、いる。

 

 

「あの時は、どうやって収めたのだったかしら……?」

 

 

 最も、『ムサシ』がついていてみすみす翔像を害させるはずも無い。

 現に翔像は今日も元気に世界征服――かなり語弊がある――しているわけで、10年前にどうにかなっていたのなら、今日の世界はあり得なかった。

 あの時、『アドミラリティ・コード』の人類評定で世界は滅びていただろう。

 

 

 そして今、世界は同じような状況になろうとしている。

 あの呪われた土地、<騎士団>の本拠と化したクリミア半島の中枢でそれが起ころうとしている。

 『アドミラリティ・コード』の、三度目の覚醒。

 ヨハネス、翔像に続く第三の起動者が誰になるのかは、まだわからないが。

 

 

「あの時は、私にとっては『ヤマト』と決裂したことの方が印象的だったからね」

「ムサシ、ここにいたのか」

「あら、お父様」

 

 

 本当はもっと前から気がついていたが、探しに来てほしくて、『ムサシ』はあえて気付いていないふりをしていた。

 そして、それは翔像もわかっていてわざわざ呼びに来たわけだ。

 甘え、である。

 

 

(ああ、思い出した。確かあの時は……)

 

 

 スキップ気味に翔像の後をついて行きながら、『ムサシ』はようやく思い出した。

 10年前、翔像がどうやってクルーの反乱を収めたのか。

 あれは、確か――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 もはや、目も当てられないと言って良いだろう。

 今の紀沙の状態である。

 状態と言うのは肉体的な意味では無く、むしろここでは精神的な状態の方が問題だった。

 そして今の紀沙の心は、千々に乱れている

 

 

(いったい、何が駄目だったんだろう)

 

 

 冬馬達が、あくまで命令で乗艦していることは知っていた。

 上に与えられた「部下」であったことは理解していたつもりだし、年少の上官と言う立場だからこそ、気をつけていたはずだった。

 それとも、長い航海の中で勘違いをしてしまったのだろうか。

 

 

 統制軍の軍人と言うだけでは無く、共に死地を潜り抜けてきたことで、絆が生まれてきたと思っていたのは、勘違いだったのだろうか。

 紀沙がそう思っていただけで、冬馬達は大人として合わせていただけだったのだろうか。

 だとしたら、何て滑稽なのだろう。

 

 

(頑張ってきたつもりだったんだけどな)

 

 

 冬馬達から見ると、それでも不足だったのかもしれない。

 それに思い返してみれば、何度も攫われては救出されている始末だ。

 海戦にしても、必ずしも勝利していない。

 功績など無いに等しく、実績など皆無同然、愛想を尽かされるのも仕方が無いのかもしれない。

 

 

(それとも、この身体のせいかな)

 

 

 良治ですら自分を見放すのだから、むしろこちらがメインなのかもしれない。

 掌を握り、そして広げる。

 思い通りに動くこの肉体は、しかし以前のものでは無い。

 ナノマテリアル製の身体部品――()()()()()だ。

 

 

(ああ、じゃあ……仕方ないよね)

 

 

 誰だって、こんな化物の下で働きたくなんて無いだろう。

 自分だって嫌だ。

 と言うか、いないだろう。

 人類で、こんな……こんな。

 

 

 霧の下で働きたいなんて、誰も思わない。

 

 

 嗚呼、と、蚊の泣くような声が少女の唇から漏れた。

 何ということだろう、どうしてこんな風になってしまったのだろう。

 運命なんてものがあるのならば、心の底から憎悪する。

 どうして、よりによって、私に。

 心は人間だなんて言ってみたところで、何の慰めにもならない。

 

 

(いっそ)

 

 

 不穏な考えに囚われて、紀沙の瞳が妖しい輝きを放つ。

 しかしその輝きこそが、紀沙の心を苛む元凶と言う事実は、さらに彼女を追い詰めた。

 いっそこの瞳、潰してしまおうか。

 そう思って両の掌を見つめた、その時だった。

 

 

「……! ……!」

「うん?」

 

 

 くぐもった音、と言うか声が上から聞こえた気がして、紀沙は顔を上げた。

 そこにはイ15の天井が見えるばかりで何も無いが、継ぎ目が全く無かったそこへ、不意に正方形の継ぎ目が出来たのである。

 声は、そこから聞こえてきている。

 それどころかガタガタとその一部分が動いたかと思うと、間の抜けた音と共にカパッと開いたのだ。

 

 

「やっと抜けた――――!」

「うう、あんま無理させないでほしいッス……」

 

 

 そこから顔を出したのだ、まずイ15ことトーコと。

 そして、逆さまになっても聊かも快活さを失わない。

 刑部蒔絵が、くりくりとした目を紀沙に向けて、見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 目の前で、何やら蒔絵とトーコが喧嘩していた。

 

 

「だいたいねー、アンタが不便過ぎるのよ。何よ部屋数3って、武装ゼロって、馬鹿じゃないの!?」

「うっるせーッス! 演算力は全部メンタルモデルの形成に振ってるんッス!」

「じゃあメンタルモデルやめれば良いじゃん!」

「スミノの姐さんと絡めなくなるでしょ――――がッス!」

 

 

 非常に盛り上がっている様子で、元気の良いことだった。

 正直、今の紀沙の心には眩しすぎて、響く。

 とは言え、言葉をかけるタイミングがなかなか見つからない。

 そうしていると、紀沙の様子に気付いた蒔絵がトーコの顔を手で押しのけて「むぎゅッス!?」。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 と言ってきた。

 身体的には問題ないので、とりあえず「大丈夫」と答えた。

 

 

「よっし。じゃあ、早速ここから出ましょ」

「……出てどうするの?」

「決まってるでしょ、アンタの艦を取り戻すのよ。まぁここにいる子を取り返すって変な話だけど」

 

 

 トーコを指差しながら、蒔絵はそう言った。

 取り戻す、取り返す。

 正直ピンと来ていない様子の紀沙に業を煮やしたのか、トーコの首に腕を絡めて。

 

 

「この子よ、この子。発令所を取り返して、コントロールを奪い返さなきゃ」

「い、一応、今でも……うぷっ。艦長(ボス)認定は千早紀沙になってるッス」

 

 

 イ15を自分の艦だなどと、考えたこともなかった。

 それどころか、仲間だと思っていたかどうかも怪しいくらいだ。

 いや、そもそもそう言う問題では無い。

 紀沙は、もう動くつもりは無かったのだから。

 

 

「悪いけど……」

「……!」

 

 

 沈んだ表情を見せる紀沙の手を、蒔絵は掴んだ。

 そうすると、蒔絵の目を正面から見つめざるを得なくなる。

 真っ直ぐな目だった。

 強い瞳だった。

 

 

 今の紀沙には、直視に耐えない。

 それでも蒔絵は、紀沙を見つめ続けた。

 逃げることは許さないと、小さな身体で告げていた。

 

 

「アンタ、行きたいところがあったんじゃないの?」

 

 

 行きたい場所、確かにあった。

 辿り着きたい場所があった。

 帰って来ないのならば、こちらから行ってやれと思っていた。

 今の、蒔絵のように。

 

 

「こんなところまで来て、諦めるの? アンタが目指してた場所って、その程度だったの!?」

「…………」

「悔しくないの? ――――悔しいんでしょ? だったら、こんなところに閉じこもってちゃ駄目よ!」

「…………」

「それに、約束してくれたじゃない! わたしを」

 

 

 ……ッ。

 駄目だ。

 

 

「わたしを、お祖父さまのところに連れていってくれるって!」

「……無理に決まってるじゃんか」

「なんで!?」

「お祖父さまなんて、この世に存在しないから!!」

 

 

 それは、言ってはいけないことだ。

 わかっているのに、口を突いて出てしまった。

 余りにも真っ直ぐに来られて、言い訳が出来なくて、逃げ道がなくて。

 苛立ちにかっとしてしまって、思わず口走ってしまった。

 一度口を突いて出てしまえば、決壊してしまえば、どうしようも無かった。

 

 

「いない人間に、どうやって会いに行けるって言うんだよ!」

「……わよ」

「会えない! だって刑部蒔絵なんて、どこにもいない! いるのはデザインチャイルド、家族なんて、どこにも、いないんだ!! だったら会えるわけないでしょう!?」

()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 ――――ッ!

 

 

「わたしはデザインチャイルド! 刑部博士の造り出した人造生命! そんなこと、()()()()()()()()!」

 

 

 知らないはずが無い。

 どうして両親がいないのか? どうして使用人はロボットばかりなのか? どうしてあんな広い家に閉じ込められているのか?

 聡すぎる頭脳を持つ蒔絵が、そのことを疑問に思い、調べないはずが無い。

 

 

 そして、辿り着けないはずが無い。

 普通の人間なら不可能だが、刑部蒔絵には出来る。

 優秀だから。

 天才として造られた彼女にとって、凡人のセキュリティなど意味を成さないから。

 だから。

 

 

「それでも! わたしはアンタを信じてる!!」

 

 

 だから、嘘でも祖父に会わせてくれると言ったことが嬉しかった。

 自分に与えられた「天才」で、助けたいと思うほどには。

 

 

「わたしをお祖父さまに会わせてくれるって、信じてる!!」

 

 

 信じてる。

 それは、言葉の暴力と言うには余りにも眩しくて。

 紀沙の胸中に、重すぎる一撃となって、確かに届いたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 信じると言う文字には、ひとつの意味しか無い。

 しかし一方で、信じると言う()()には、いくつもの意味がある。

 この場合の蒔絵の「信じる」と言う意味は、存在しない祖父に会わせてくれると言う、言葉通りの意味にはならない。

 

 

 信頼すると言うことだ。

 成功や失敗はどうでも良く、約束を守ることすら埒外に置いている。

 信じ抜くと言うことだ。

 紀沙は必ず言ったことを()()()()と、一片の曇りも無く信じ抜いているのだ。

 刑部蒔絵と言う少女は、それくらには紀沙に()()()()()

 

 

「信じてる、か」

 

 

 実績も無い、そしておそらく実力も無かった。

 スミノが消えたその瞬間に、何も出来なくなってしまう。

 でも、まだ全てが無くなってしまったわけでは無い。

 少なくとも、蒔絵は信じてくれている。

 たった1人でも自分を信じてくれているだけで、人はこんなにも力を得るものだったのか。

 

 

「……なら、しょうがないかな」

「じゃあ」

「うん」

 

 

 ようやく笑って、紀沙は頷いた。

 単純すぎるかもしれない。

 でも、今はそれくらいで良いのかもしれない。

 それに、このまま終わりたくないと言う気持ちも、確かにあるのだから。

 

 

(たとえ、人で無くなってしまったとしても)

 

 

 それでも、人類にかける思いは本物だったから。

 だから紀沙は、もう少しだけ頑張ってみようと思った。

 それに、きっと紀沙も()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「さて、じゃあまずはそうだな。えー……トーコ」

「は、はいッス!」

 

 

 それまで黙っていたトーコが、呼びかけられてびしっと敬礼した。

 海軍式でも陸軍式でも無いそれは、とりあえず形だけ真似てみたと言う感じだった。

 まぁ、いちいちそんなことは指摘したりはしない。

 重要なのは、紀沙がトーコを使ってやろうとしていることの方なのだから。

 

 

「貴女、とりあえず死んでくれる?」

「…………え?」

 

 

 溜めも何もなく言われた言葉に、トーコは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 それは彼女の演算力が低いからと言うばかりでは無く、もっと根本的な原因があった。

 要するに、紀沙の言葉が意味不明だったのである。

 しかし咀嚼(そしゃく)するように言葉を反芻して、トーコは何とかその意味するところを理解した。

 そして。

 

 

「え、ええええ――――~~っっ!!??」

「五月蝿い」

「酷いっ!?」

 

 

 いったい、紀沙はトーコを使って何をしようと言うのか。

 それは良くわからないが、一つ確かなことは、彼女が立ち直ったと言うことだった。

 1人のデザインチャイルドの少女によって。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 碇冬馬と言う人間は、意外と素直でわかりやすい人間である。

 海軍に入ったのは釣りが趣味だからだし、料理を覚えたのは唯一の肉親である姉が出来ないことだったからだし、煙草が好きだが艦内は禁煙だから皆の前で吸ったことは無い。

 女性は年上のムチムチ系が好みだが、好かれるのは決まって年下の女の子だった。

 

 

「あー、やっぱ壊れてるかー。まぁ、思いっきり海水に浸かっちまったもんなー」

 

 

 他に部屋が無いためか、あるいは別に隠す必要を感じていないのか、冬馬はイ15の通路でしゃがみ込んでいた。

 その手にはアンテナらしき物がついた小型の通信機があって、冬馬はそれを逆さにしたり横に立てたりしていた。

 振れば直るかもと思っているあたり、意外とアナログ派なのかもしれない。

 

 

 それでもあおい達に頼む気は無いのか、使えないなら使えないで諦めている様子だった。

 こだわっていないと言うか、そもそもやる気が無いように見える。

 最後には通信機を放って、壁に寄りかかって座り込んでしまった。

 何をするでもなく、ぼうっとしている。

 

 

「ま、良く頑張った方だろうよ。あのお嬢ちゃんもよ」

 

 

 それは、冬馬が心底から出た言葉であったかもしれない。

 これまでいろいろあったが、紀沙が気を張っていたことは冬馬も直に見て知っている。

 だから、今回のことは良い機会だったのでは無いかとも思っていた。

 まぁ、一方で――聞き分けが良い子だなと、少しがっかりしたのも事実だった。

 

 

「…………うん?」

 

 

 などと思っていると、背中に違和感を感じた。

 もやもやとした感触が背中全体に広がってくるので、最初は壁が固いせいかと思っていたが、どうも違う。

 むしろ、何か別の生き物が背中と壁の間でもぞもぞしているような……って。

 

 

「なんだ? ……って、お? おお? え、ちょっと待って怖い怖い怖い」

 

 

 背中の様子を見ようとして、それが出来ないことに気付く。

 いや、それどころか、壁から背中を引き離すことも出来ない。

 と言うか、がぱあっと壁が変改して大きな口のような形になった。

 ここまで来ると、ちょっとしたホラーである。

 

 

「な、なんだああああああっ!?」

 

 

 そして、冬馬は逃げることも出来ずに壁に食べられてしまった。

 正確には、壁の向こう側に突如として穴と通路が出来て、エアーで吸い込まれてしまったのだ。

 通路――スロープを少しの間滑り落ちて、そして次に視界が開けた時には……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イ15はナノマテリアルの総量の少なさから、出来ることには限りがある。

 そう聞いていたのだが、冬馬の目の前に広がっている光景は、それを否定するものだった。

 豪奢な装飾が施された室内にはシャンデリアまであり、しかもテーブルには食事の用意までされていて、テーブルクロスには銀の食器が並べられていた。

 

 

 椅子は9つ。

 蒔絵とジョンの席もあり、彼女達を含む全員がすでに席についていた。

 冬馬が他と違う点があるとすれば、ロープで縛られていたことだ。

 もちろん、イ15に縄のロープなどと言う気の利いたものがあるわけが無い。

 

 

「えーと、これはいったいどう言うことですかね?」

 

 

 裏切り者! と言いたげな顔で冬馬が見たのは、恋とあおいだった。

 2人はもちろん縛られてなどおらず、むしろどちらもいつものように笑顔を浮かべていた。

 ある意味、笑顔と言うのは便利な仮面だ。

 

 

「あらぁ。お姉さん、別にトーマくんに賛成なんて言ったことはないけど~?」

「それに加えて、僕は常に強い者の味方なんですよ」

「お前らサイテー!」

 

 

 ただ、特に冬馬に敵対する意思も無いわけだ。

 あおいは「反対もしない」し、恋に至っては「紀沙が冬馬より強い立場を得た」と教えてくれているのだから。

 こう言う会話は、慣れと度量が必要だ。

 

 

(さーて?)

 

 

 恋とあおいは今言った通りだ。

 蒔絵と梓は元々が親紀沙なので、むしろ舌を出して「ざまぁ」と言った様子だ。

 ジョンは不干渉なのか謎のラップを口ずさんでいるし、静菜はしれっとした顔でいる。

 良治はやや顔色が悪そうだが、これは紀沙の()()以後、常にそうだとも言える。

 8人目は冬馬自身、そして9人目――最奥、()()の席には当然。

 

 

「海草のスープです」

 

 

 当然、空席のそこに紀沙はいない。

 代わりに、後ろからスープの入った深皿が冬馬の前に置かれた。

 湯気を立たせるそれは、まさに作り立てであることを示している。

 繰り返すが、そんな設備はイ15には無い。

 無いはずだ。

 

 

「いったいどう言う手品を使ったのか、教えて貰っても良いかい?」

「特に大したことはしていないです」

 

 

 紀沙が――エプロン姿で――そこにいて、全員に配り終えたスープを自分の席にも置いていた。

 

 

「イ15のメンタルモデル、「トーコ」に、引っ込めと()()()だけです」

 

 

 簡単なことだ。

 イ15の演算力がカツカツだったのは、無理にメンタルモデルを形成しているからだ。

 メンタルモデルの形成は、口で言うよりもずっと演算力を使用する。

 何しろ人間ですら自分の肉体の全容を解明できていない、それ程に人体とは複雑な構造物なのだ。

 イ15程度の潜水艦の演算力では、おそらく全体の9割近くを割いてようやくと言うところだったろう。

 

 

 だから、メンタルモデルを捨てさせた。

 メンタルモデルさえ引っ込めてしまえば、イ15は霧らしい能力を使用できる。

 艦内の設備形成もそうだし、穴を開けて別の部屋と部屋を繋げることなど造作も無い。

 海草の採取や海水の淡水化、塩すらも抽出することが出来る。

 そして、何よりも重要なことは。

 

 

「イ15は現在、自身をイ404を旗艦とする()()に所属する艦と認定しています。故に、旗艦艦長の私を艦隊司令(ボス)として承認しています」

「なーる。でもそれじゃあ足りないだろ。イ404は消失したんだから、艦隊もクソも無い」

「いいえ。イ404は()()()()()()

 

 

 自らの胸に手を当てて、紀沙は言った。

 イ404は自身(ここ)にいる。

 すなわち。

 

 

「――――私の身体の4分の1以上は、すでにイ404のナノマテリアルで構成されています」

 

 

 紀沙がちらりと良治を見れば、彼は青い顔で頷いてくる。

 それを振り払うように視線を冬馬へと戻して、紀沙は言った。

 

 

「よって、私は今もイ404の艦長です」

「……つまり、俺らのボスってわけだ」

「間違っていますか?」

「いや、()()()()良いじゃん」

 

 

 自爆すら厭わぬ突撃。

 それはイ404の、千早紀沙の基本戦術(モットー)

 自身を憎むべき霧と例えた紀沙の姿は、まさにそれだった。

 

 

「どう言う心境の変化?」

「変化なんてしてないですよ、霧は今も大嫌いです。でも」

 

 

 対面の席の蒔絵を見つめる、頷いてきた。

 スプーンを手の中で弄びながら、紀沙は言った。

 

 

「負けるよりはマシです。立ち止まるよりは遥かにマシです。私は、皆にもそうあるよう求めます」

「……了解だ、()()

 

 

 ()()()を外して、冬馬は言った。

 その瞬間にナノマテリアル製のロープが外れて、冬馬は席を立った。

 他の面々も――何故かジョンも周りの雰囲気に流されて――立ち上がり、一様に敬礼した。

 スプーンを逆手に持ち、紀沙は言った。

 

 

「本艦はこれより地中海、そして黒海に入り、ロシア政府との盟約を果たすべく行動に入ります。同時に、イ号404()()の奪還作戦を敢行、戦闘力の完全回復を図ります」

 

 

 目的地は?

 決まっている。

 

 

「目標は、クリミア――――」

 

 

 真っ白なテーブルクロスが、さっと地中海を中心としたヨーロッパの地図に変わる。

 ちょうど、紀沙のスープ皿の位置に目的地があった。

 そこへ、逆手に持ったスプーンを叩きつけた。

 

 

「――――セヴァストポリ!!」

 

 

 スープが飛び散り、地図を濡らす。

 それは、クリミア半島の勢力図を塗り替えているようにも見えた。

 まるで、紀沙達がこれからしようとしていることを暗示しているかのように。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――そして、混乱の1年が終わりを告げる。

 混沌とした情勢の中で暮れた2056年を、後世の人々は「始まりの年」として記憶することになる。

 そして続く新年、2057年を、同じく人々は「終わりの年」と呼ぶ。

 2年、あるいは2年にも満たないこの期間は、後の人類史において一際目を引くこととなる。

 

 

 この2年の狭間とも言うべき年末の1週間と新年の1週間、諸勢力は静かに、しかし激しい動きを見せることになる。

 その動きのすべてはある地点に結びつき、そしてピークを迎えることになる。

 この時期、動きを見せていたのは概ね以下の勢力だった。

 

 

「欧州軍との連絡が回復しつつあるわ。霧の包囲が弱まっているのね」

「そうだねリズ、何かが変わりつつある。僕もそう思うよ」

 

 

 ――――アメリカ。

 ホワイトハウスは年末にアメリカ欧州軍との通信を回復したと発表、10年ぶりに欧州への回帰を宣言。

 10万近い在欧兵力を今なお維持するアメリカの回帰は、欧州情勢を巡る新たな因子となるだろう。

 

 

「さて、いよいよだな中佐。彼女達は辿り着けるかな……?」

「それはわかりませんが、我々はあくまで所定の計画に従って準備を進めるだけです」

 

 

 ――――ロシア。

 ロシア大統領府はアメリカの欧州軍復活の発表翌日に声明を発表。

 第四次対<騎士団>解放作戦『スヴォーロフ』の実施を宣言すると共に、周辺国に協力を求めた。

 陸軍中心のこの作戦が過去3度と同じように失敗に終わるのか、諸国はロシア軍の動静を注視していた。

 

 

アメリカ野郎(ヤンキー)にもロシア野郎(イワン)にも好きにゃさせねえ。ここはオレらの家(ヨーロッパ)だぜ、<騎士団>の奴らのついでに叩き出してやるよ」

「<蒼き鋼(こちら)>としては、人類同士の争いは控えてほしいな」

 

 

 ――――ドイツ。

 マルグレーテ・カールスルーエ少将を中将に昇進させた上で、ドイツ政府は彼女に3個師団から成る1個軍団を与え、東進させる。

 名目はバルカン方面の同盟諸国の救援だが、その動向を周辺諸国は固唾を呑んで見守った。

 そしてマルグレーテの傍には、東洋人の少年の姿があったと言う。

 

 

『さて、<大反攻>の狼煙となるのか。それとも全く別の方向に転がるのか』

「様々な想定をして、いかなる動きにも対応できるようにはしていますが……」

 

 

 ――――日本。

 この1年台風の目として注目を浴びてきたかの国は、この時点では沈黙を保った。

 しかし、ある意味で彼らは今回の事態でも中心にいる。

 たった1隻の潜水艦の存在だけで、彼らは世界の中心に存在できるのだった。

 

 

「進路を地中海に取る。総員、戦時のつもりで当たれ」

「<緋色の艦隊>に遅れを取るな! 『ダンケルク』と合流するぞ!」

 

 

 ――――千早翔像提督麾下<緋色の艦隊>及び『フッド』麾下霧の欧州方面艦隊。

 人類だけで無く、霧の勢力も動いた。

 それが人類側には包囲の緩みと映ったが、姿を消した彼女達に人々は不安の眼差しを向けていた。

 いったい、奴らは次にどこに現れるのか?

 

 

「よ――し、まだ生きてるみたいね。待ってなさいよ、今度こそすぐに行くわ!」

「あ、タカオお姉ちゃん待ってよ~~っ」

 

 

 ――――霧の重巡洋艦『タカオ』中心の、()()()艦隊。

 総旗艦『ヤマト』の庇護の下にあった彼女達もまた、()()()()へ向けて出航する。

 今、世界中の人々が注目するその場所へ。

 その場所の名を、何十億と言う意思が頭の中で、あるいは声に出して、こう呼ぶ。

 

 

 ――――クリミアへ!




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

これでロリアン編は完全に終了、次回からクリミア編になります。
はたしてイ15で攻略できるのか。
様々な勢力が入り乱れることになる現場で、紀沙は<騎士団>に挑むことになります。
幼○戦記ばりの劣勢になりそうです。

それでは、また次回。

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