蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth070:「響真瑠璃という女」

 

 響真瑠璃は、千早群像を愛していた。

 愛して、()()

 過去形となってしまうのは、真瑠璃がイ401を降りたためだ。

 しかし一方で、今でも想い人ではある。

 

 

(我ながら、意味不明ね)

 

 

 だが、人の感情とはそう言うものだ。

 近くにいたいと思いながら、同時に近付きたくないと思い。

 離れたくないと思いながら、同時に離れて痛いと思い。

 そして愛されたいと思いながら、こちらを見ないでほしいと思う。

 響真瑠璃にとっての千早群像は、そんな存在だった。

 

 

 愛しているのに近寄り難く、傍にいたいのに素直に慕うことが出来ない。

 妹の千早紀沙も歪んだ性格をしているが、真瑠璃にしてみれば、群像の方が病んで見える。

 紀沙が狭い塀の上を歩いているとすれば、群像は針の頂に立っている。

 どちらも不安定と言う意味では同じだが、前者と後者では中身が違う。

 それが、真瑠璃の千早兄妹への人物評だった。

 

 

「首相秘書、ですか」

 

 

 総理官邸、執務室である。

 横須賀の海を一望できる壁面ガラスを正面に、真瑠璃は立っていた。

 当然、統制軍の軍服を身に着けている。

 そして彼女の前には、車椅子に座った楓首相がいた。

 

 

『そうだ。是非ともキミに頼みたい』

「はぁ……」

 

 

 真瑠璃の返事は要領を得ないものだったが、無理も無かった。

 確かに今の彼女は役無しの上に所属無しであり、現在の統制軍において最も暇な人材だった。

 とは言え、流石に首相秘書を打診されるとは思わなかった。

 ちなみにこの場合の秘書は、政治家や官僚が就く秘書官では無く、文字通りの秘書だ。

 来客や電話の取次ぎ、お茶汲み、まぁそんなようなものだ。

 

 

『ピンと来ない。そんな顔だね』

「はい、正直……」

『はは、無理も無い。だが良ければ考えておいてほしい」

 

 

 楓首相は、どう言うつもりでそんなことを言い出したのだろうか。

 裏の無さそうな顔をしているが、政治家である。

 まして真瑠璃はイ401の元クルー、群像とのパイプ役になり得る。

 それを手元に置いておこうと言う、そんな事情が見え隠れしていた。

 

 

「今日は、そのお話のために?」

『いや、それはむしろついでのようなものでね。本題は、キミに仕事をして貰いたくて呼んだんだ』

「仕事ですか」

 

 

 辞令でも出せば良さそうなものだが、直接会ってまで伝えるような内容なのか。

 無言で先を促すと、楓首相は言った。

 

 

『キミにかつての母校に……旧第四施設に、行って欲しい』

 

 

 言われて、真瑠璃は流石に息を呑んだ。

 旧第四施設、あの事件のあった場所だ。

 楓首相はいったい、真瑠璃に何をさせようと言うのだろうか――――?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 旧第四施設は、厳密にはすでに建物は存在しない。

 広大な敷地だった場所には美しい白亜の広場と、それとは対照的な黒い慰霊碑があるだけだ。

 跡形も無い。

 遺構を残すべきでは無いか、と言う声は不思議と上がらなかったらしい。

 

 

「それでは、こちらでお待ち下さい」

「はい」

 

 

 真瑠璃はそう返事を返して、係員を見送った。

 そして臨時に張られた関係者用のテントを前にして、ほっと息を吐く。

 周囲にはそこかしこに人の気配があって、がやがやと急がしそうな声も聞こえてくる。

 真冬だと言うのに、不思議と熱気さえ感じる程だった。

 

 

「まさか、スピーチを依頼されるだなんて、ね」

 

 

 旧第四施設焼失事件の犠牲者達、その追悼式典だ。

 普通は事件当日にするものなのだが、犠牲者が余りにも多かったため――数十名の生徒が犠牲になった、遺族は数百名に上る――慰霊碑の建立日に式典を行うようにした、らしい。

 事件当日を避ける意味が真瑠璃にはわからないが、遺族会の方針なのかもしれない。

 

 

 ただ、思うところが無いでは無い。

 何しろ犠牲者達は真瑠璃にとっても級友で、何人かは直接親交があった生徒もいるのだ。

 真瑠璃と同じ空間で研修を受けていながら、犠牲になった者もいる。

 立場が逆だった可能性もある、そう考えると、自分は生かされたのだと言う気持ちも湧いてくる。

 何者に生かされたのかは、わからないが。

 

 

(神様だとしたら、何の基準で生かしたのか聞いてみたいわね)

 

 

 それにしても、と、真瑠璃は周囲を見渡した。

 式典用のテントばかりが建ち並んでいるが、数年前はもちろんこんな風では無かった。

 あの時に建っていた施設はもう何も残っていない。

 だから、実はあまり懐かしさのような物は感じていなかった。

 何と言うか、同じ場所だと思えなかったのだ。

 

 

「ん……?」

 

 

 その時、視界の端に気になるものを見つけた。

 見つけたと言うよりは、目の端に捉えた、と言った方が正しい。

 とにかくそちらへと目を向けた真瑠璃は、ぎょっとした。

 ――――()()()()

 

 

「ちょ……っ」

 

 

 厳密には違う。

 そうだ、あれは。

 あれは、学生時代の私だ――――。

 

 

「あ……っと。……っ」

 

 

 数年若い、海洋技術総合学院の制服を着た自分。

 見間違いだと断ずるには、余りにも良く似ていた。

 スカートの端が、別のテントの陰へと消えていく。

 真瑠璃は逡巡して周囲を見渡した後、しかしすぐに意を決して、駆け出した。

 過去の自分を、追いかけた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 待って!

 声には出さずに、そう呼びかけた。

 追いかけなければと思う前に、足が動いていた。

 不思議と、誰にも呼び止められなかった。

 

 

「いない? ……ここを通ったの?」

 

 

 追いかけている内に、敷地の端の方にまでやって来た。

 フェンスで仕切られていて、もうその先は山の中と言う場所だった。

 ここまで追いかけてきたところで、見失ってしまった。

 襟元の汗を手の甲で拭い、あたりを見渡せば、木々の間にスカートの端が消えるのが見えた。

 

 

 良く見れば、フェンスには人1人が通れるだけの穴が開いていた。

 軍事施設――慰霊碑しか無い敷地だが――の管理はどうなっているのだろう。

 しかし迷っている間に、追いかけている相手は山の中へと姿を消していく。

 真瑠璃は意を決して、四つん這いの体勢でフェンスの穴を潜り抜けた。

 

 

(痩せといて良かったぜ……!)

 

 

 などと埒も無いことを考えて、駆け出した。

 これも脱走罪になるのだろうか?

 そう思いつつも、走った。

 山の中に入り、細かな枝葉で肌を傷つけながらも、追いかけた。

 

 

 どれくらい走っただろうか?

 いい加減、疲労が溜まって足が止まり、それでも歩いていた頃だ。

 真冬だと言うのに上着を脱いでしまっているのは、それだけ駆けたことの表れだろう。

 むしろ、化粧の心配をした方が良いのかもしれない。

 

 

「……どう言うこと、これ?」

 

 

 だが、そんな心配をする必要も無かった。

 必要が無かった、と言うか、余裕が無かった。

 何しろ、彼女の目の前に広がっている光景が、そうした余裕を真瑠璃から奪い去ってしまったのだから。

 あり得ない。

 あり得てはならない、それはそんな光景だったのだから。

 

 

「第四施設……?」

 

 

 何を言っているのか、と思うだろう。

 第四施設――旧第四施設は、さっきまで真瑠璃がいた場所だ。

 厳密に言うと、さっきの場所に()()()はずの場所だ。

 それが今、真瑠璃の()()()()()()()

 

 

 それも、焼け落ちた当時のそのままの姿で。

 慰霊碑の敷地を抜け出し、フェンスを越えて山に入り、数十分かそれとも数時間かを走り、歩き続けて。

 それで辿り着いた先が、旧第四施設。

 広大な研修施設は焼け焦げた建物をそのままに、真瑠璃の目の前に存在していた。

 まるで、亡霊か何かのように。

 

 

「亡霊の方が、まだ良かったわよね」

 

 

 汗も、引いてしまった。

 もう、式典のことは気にならなかった。

 一方で、今すぐにこの場を離れるべきだと頭のどこかが警告を発している。

 これは、きっと見てはいけないものなのだ。

 

 

 だが、それでも真瑠璃は足を前へと進めた。

 亡霊の世界へと、足を踏み入れた。

 あの事件の当事者の1人として、そうせざるを得なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 施設を歩いている内に、疑惑は確信へと変わった。

 第四施設と壁面に描かれた建物は、おおよそ3分の1程が焼失してしまっている。

 屋根があった部分に大きなカバーを被せて、雨風が入らないようにしているようだ。

 他にも倉庫、備え付けの重機、艦船や航空機の見本、講義棟……あの頃のままだ。

 

 

「間違いないわ」

 

 

 そして、真瑠璃は恐ろしい事実に気がついた。

 自分が――自分達が今まで「旧第四施設跡」と思っていた場所は、()()()()()()()()()

 ほとんど隣にわざわざ造られた、()()()()()()()()()()()

 

 

 思えば、山中の施設の正確な座標など調べない。

 ここがそうだと言われれば、中腹と麓とか、そもそも山が違うとか、そう言う大きな差が無い限り「そうか」と思ってしまう。

 衛星で確認することも出来ない――霧がほとんどの衛星を撃墜してしまったから。

 自分も、群像も、そして紀沙も、皆も、騙されていたのだ。

 

 

「つまり、そこまでして隠したい何かがあるってことよね」

 

 

 しかし、真瑠璃はそれで怒りは覚えなかった。

 軍人、国家に仕える身である以上、国や政府が真実に蓋をする存在だと言うことは良く知っている。

 だから、ここでは怒らない。

 むしろ不用意にこの事実に踏み込んでしまった自分の方が、()()()()()()()()

 

 

(懐かしい)

 

 

 見るに耐えない、焼け焦げた場所だ。

 それでも真瑠璃は、今度こそ――慰霊碑の場所では思わなかった――懐かしい、そう思った。

 友達を談笑しながら歩いた道、物陰から想い人の様子を窺っていたあの頃。

 皆がいた、あの青春の時を思い出していた。

 

 

「でも、どうして? わざわざ慰霊碑を建ててまで誤魔化さなくても、立ち入り禁止区域にでも指定すれば良いのに」

 

 

 しゃがんで、黒こげになった石を拾う。

 それはまるで炭のようにボロボロと崩れてしまい、当時の熱量の凄まじさを物語っていた。

 時間が止まってでもいたかのようだ。

 その時、小さな物音が聞こえた。

 

 

「あ……!」

 

 

 焼け崩れつつある、旧第四施設本棟。

 そこに、いた。

 学院の制服を着た自分――の姿をした何者かが、施設の中へと入っていく。

 それを認めた真瑠璃はすぐに立ち上がって、今度は逡巡を見せずに追いかけた。

 ここまで来たら、行くところまで行ってみよう、そう思って。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 施設の中は、やはり事故後のままになっていた。

 埃が積もっていること以外は、事故直後と言った風に雑然としている。

 崩れたコンクリートや倒れた機材、消化剤の跡まで、そのままである。

 

 

「……っ。マスクでもあれば良かったわね」

 

 

 そんな状態だから、当然、空気が綺麗であるはずも無い。

 有害物質が空気に含まれている可能性もあるから、本当は無防備に入って良い場所では無いはずだった。

 実際、視界も余り良くない。

 普段から使っている携帯端末のライトを点けて、先に進んだ。

 

 

 それで、足元を照らした。

 すると案の定、積もった埃の上に足跡が出来ていた。

 やはり誰かがここに来たのだ、それも自分を導くために。

 あの過去の自分の姿をした何者かは、ここで何かを見せようとしているのだ。

 

 

「嫌な予感がする時ほど、重要なことの前振りだったりするのよね……おっと」

 

 

 何かに蹴躓(けつまず)きそうになって、一歩跳んだ。

 それは、作業用パワードスーツの腕だった。

 見てみれば、白く大きな無骨なスーツがいくつか転がっている。

 避難の際に放棄されたものだろう。

 

 

 マスク代わりになるかと思ったが、余りにも古く、状態も悪そうだった。

 それに、エネルギーだって残っていないだろう。

 仕方なくハンカチを口元に当てて、真瑠璃は足跡を追った。

 足跡は施設のエントランス奥に続いていて、そのまま通路へと出た。

 

 

「暗いわね。気をつけないと」

 

 

 当然ながら施設のエネルギー供給はカットされているため、通路に照明など無い。

 足跡を追いながら、慎重に進む。

 時折、扉越しあるいはガラス越しに、通路沿いの部屋にライトを向けた。

 埃の舞う雑然とした室内、と言う共通項を確認できただけだった。

 

 

『火だ! 下層から火が出てる!』

『逃げろ!』

『押すな、押すなって!』

『いやああああっ!!』

 

 

 あの時の惨状が、脳裏を掠める。

 当時は真瑠璃も逃げ惑うことしか出来ず、群像や僧のように救助活動などをする余裕も無かった。

 ただ、自分の身を守ることで精一杯だった。

 罪悪感が無いわけでは無いが、多分、何度同じ状況になっても結果は変わらないだろう。

 

 

「風……?」

 

 

 通路を進んでいくと、正面から風が吹いていることに気付いた。

 それだけでは無く、先の方に光も見えた。

 外か? だがまだ施設の半ばにも達していない。

 小走りに駆けて、光を目指した。

 

 

「ここは」

 

 

 通路を抜けると、やはり外だった。

 ただ中庭とかそう言うものでは無く、天井が焼け落ちていたのだ。

 カバーで大体は覆っているようだが、どこかに隙間があるのだろう。

 どうやら管制室のようで、1段下に広い空間があった。

 いくつものモニターや機材が見えるが、どれも破棄されていて真っ黒だった。

 

 

 空を見ると、カバー越しに見える太陽はすでに傾き始めていた。

 式典は、とうの昔に始まっているだろう。

 楓首相には申し訳ないことをしたなと、今さらながらに思った。

 その時、カバーの端で何かがきらっと輝くのが見えた。

 何だろう、と思う間に、管制室の扉から別の通路へ駆け込む女生徒(自分)が見えた。

 

 

「ちょっと、あなた!」

 

 

 そう叫んで、数歩動いた時だった。

 つい一瞬前までいた場所で、火花が散った。

 オレンジ色が弾けた瞬間、遅れたように音が耳に届いた。

 真瑠璃は、その一瞬で何が起きたのかに気付いた。

 ――――狙撃だ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 狙撃だと判断した瞬間、真瑠璃の動きは早かった。

 「逃げる」と「追いかける」を同時に行うために、真下の管制室へと飛び降りた。

 着地と同時に転がって衝撃と勢いを殺す、その間に狙撃の銃弾が2発ほど後を追いかけてきた。

 

 

(……統制軍!?)

 

 

 普通に考えて、それ以外に無いだろう。

 迂闊(うかつ)だった、ガードの部隊がいないわけが無かった。

 秘密を知った――かもしれない――真瑠璃を、見逃すはずが無い。

 響真瑠璃がどんな人物かも、良く知られているだろう。

 

 

「……ッ! 1人、ってわけは無いわよね」

 

 

 管制室の機材を盾に、過去の自分が消えた扉を見据える。

 そこまで行くには、機材から身を晒して駆けなければならない。

 難儀なことだが、このままここに身を隠していても、撃って来ている側の相手がここまで探しに来ないとも限らない。

 

 

 いずれにせよ、攻めなければならないのだ。

 すぅ、と息を吸った。

 胸に手を当てて、目を閉じる。

 足がまだ痺れている、痺れが無くなった瞬間に走るつもりだった。

 

 

(二段構えで行きましょう)

 

 

 上着を脱いでいたのは幸いだった。

 真瑠璃はその場でストッキングを脱いだ、素肌が露出するが恥じらっている場合では無い。

 そしてストッキングを上着の中に入れてくるむと、重さを確かめるように上下に揺らした。

 足の痺れが弱くなったことを確認すると、腿を何度か揉み解し、上着を持ち上げた。

 そして、投げた。

 

 

 投げた瞬間、上着が爆ぜた。

 

 

 パァンッ、と乾いた音がして、裂けた上着とストッキングが散乱する。

 散乱する生地の中を突っ切るように、真瑠璃は投げた。

 そのすぐ後ろ、銃弾の風さえ感じる真後ろを、弾丸が擦過するのを感じた。

 やはり、狙撃手は1人では無かったのだ。

 

 

(と言うかこれ、無事に宿舎まで帰れるのかしら!?)

 

 

 よしんば帰れたとしても、無事に過ごせるとは限らない。

 この()()()旧第四施設に足を踏み入れてしまった段階で、真瑠璃の運命は決まってしまったのかもしれない。

 まさに、迂闊だった。

 

 

(でも今はっ、とにかくあそこまで!)

 

 

 足を止めれば撃たれる。

 それがわかっているから、今は走った。

 滑り込むようにして、扉を潜って管制室の外へ出た。

 物理的にも滑り込んだので、剥き出しの素足のあちこちを擦ってしまった。

 

 

「いったぁ……まぁでも、とりあえずは助か」

 

 

 助かった、と言う言葉は最後まで言えなかった。

 何故ならばドアを潜って通路に出た真瑠璃は、何者かによって、後ろから口元を押さえられて、羽交い絞めにされてしまったのだから――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 正直、もうダメだと思った。

 自分はこのまま消されてしまうのだと、絶望した。

 それくらい、今ここで捕まると言うことは最悪の事態だった。

 

 

「――――ッッ!!」

 

 

 こんな時に心に浮かぶのは、やはり群像の顔だった。

 頭と心はいつだって群像のことで一杯で、()()()()()離れてしまった今でも、真瑠璃は群像のことを想っている。

 たとえこの気持ちが、過去形でしか語れなくなってしまったとしても……。

 

 

「ちょっと、大丈夫ですから」

 

 

 とか何とか世を儚んでいると、思ったよりも淡々とした声が耳元で聞こえた。

 小声で囁いている様子からは、とても真瑠璃を捕縛しようと言う意思は感じられなかった。

 

 

「良いですか? 手を離しますが決して声を出さないでください。慌てず、焦らず、私について来てください」

「…………」

「ある御方より、貴女を無事に外に出すよう命じられています」

 

 

 後ろから聞こえる声に、視線だけを横に向けて、真瑠璃はこくこくと頷いた。

 それを確認した後、真瑠璃の口元を覆っていた手が離れた。

 口元を撫でながらゆっくりと後ろを振り向くと、そこに黒の無骨なスーツを着込んだ女性がいた。

 黒のショートボブの髪型の女性で、これといった印象が無いのが印象的な相手だった。

 

 

「ひとまず安全な場所まで移動します。お話はその後で。良いですね?」

 

 

 とりあえずは、頷くしかなかった。

 このままここにいると狙撃手側がやって来る可能性もあったし、この女性のことも気になったからだ。

 それに、「安全な場所」はそれほど遠くは無かった。

 どうやら比較的マシに燃え残っていて、施錠が出来る部屋と言う意味だったらしい。

 

 

 通路をしばらく進み、2つ曲がったところ。

 その室内に2人で息を潜めて、少しの間沈黙が続いた。

 とりあえず安全と判断したのか、相手の女性が真瑠璃へと目を向けて来た。

 

 

「お話をすると言いましたが、故あって所属などは明かすことが出来ません。予めご承知下さい」

「そう。そうでしょうね、貴女のことは何て呼べば?」

「工藤由那……単に工藤とお呼び下さい。響大尉」

 

 

 普通に考えて、どこかの特殊部隊の所属だろう。

 海軍では無いような気がするだけだ、纏っている空気が海軍や海兵隊とは違う。

 ()()()()()()()()、だ。

 そして当然、工藤は真瑠璃のことを知っている。

 

 

「お気づきかとは思いますが、今、響大尉は大変危険な状況にあります」

「ええ、見てはいけないものを見たみたいだから」

「ご賢察です。ただ、今はそのことは考えず。自分の指示に従って速やかに脱出して下さい。ある御方より貴女を陰ながら守るよう、命令を受けています」

「その人のことは、当然教えて貰えないのよね?」

 

 

 問うと、沈黙が返って来た。

 まぁ、そうだろうなと思う。

 明かせるのであれば、工藤が自分の素性を隠す意味が無い。

 誰が気を遣ってくれたのかはわからないが、少なくとも敵で無い者がいると言うのは、助かった。

 

 

「さぁ、響大尉。ここもいずれは見つかります。自分が先導致しますので」

「ごめんなさい。お気遣いは有難いのだけど」

 

 

 ただ、今はまだこの第四施設から脱出するわけにはいかなかった。

 怪訝そうな表情を浮かべる工藤に、真瑠璃は言った。

 

 

「過去の私を追いかけないといけないの。だから今は、まだ脱出は出来ない」

 

 

 自分は、見てはいけないものを見ている。

 しかしまだ、()()()()()()()()()()()()

 だから、真瑠璃はまだ脱出することは出来なかった。

 

 

「…………」

 

 

 そして意外なことに、工藤は実力行使してでも、と言う姿勢は見せなかった。

 かなり困惑している様子ではあったが、それだけだった。

 もしかすると、そこまで強制的な命令は受けていないのかもしれない。

 少しの間考え込んだ後、工藤は言った。

 

 

「……わかりました。ですが、自分が本当にこれ以上は無理だと判断したら従って下さい」

「ついて来てくれるの?」

「この状況では仕方ありません。ここで揉めて時間を浪費するよりは良いと判断しました」

「……ありがとう」

 

 

 真瑠璃がお礼を言うと、工藤はちょっと驚いた顔をした。

 その表情が今までの薄い印象とはまるで違っていて、初めて、真瑠璃は笑顔を浮かべることが出来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

副管制室(サブコントロール)よ」

 

 

 目的地はどこかと聞かれて、真瑠璃は迷わずにそう答えた。

 第四施設に来た時にどこへ行くべきか、真瑠璃はすでに知っていた。

 千早姉妹と、あの誰も適わなかった完全無欠のトップ――天羽琴乃の最期の場所だ。

 その場にはいなかった真瑠璃だが、後から聞いて知っている。

 

 

 運命の時、運命の場所。

 そんな詩的な言葉とは裏腹に、その後に起こったことは悲劇だった。

 失ってはならない者を失った兄と、置いて行かれた妹、そして……。

 そして、自分達にとってのすべての始まりの場所だった。

 

 

「ルートはわかりますか」

「ええ、大丈夫よ。副管制室の場所だけは、忘れたことは無いの」

「行ったことが?」

「いいえ」

 

 

 苦々しさと共に、真瑠璃は言った。

 

 

「無いわ」

 

 

 そもそも、副管制室そのものはもう存在しないはずだ。

 だから厳密には、目的地は副管制室があった場所、と言うことになる。

 崩落し、その崩落の中から()()()()()()紀沙だけが助かった。

 天羽琴乃の遺体は、ついに発見されなかったと言うのに。

 

 

 真瑠璃と工藤は、慎重に移動した。

 常に物陰に隠れながら、照明は点けず、音を立てないよう気をつけた。

 当然、移動速度は遅くなるがやむを得ない。

 真瑠璃を消そうとしている相手が何人いるのか、工藤も知らなかったからだ。

 幸い、誰にも見つかることなく目的の場所まで辿り着くことが出来た。

 

 

「どう言うこと……!?」

 

 

 目的地に辿り着いた時、すでに太陽は沈みかけていた。

 そして、やや煤こけた格好になった真瑠璃達の前に、副管制室を備えた建物が(そび)え立っている。

 ()()()()()()()

 先程も言ったが、副管制室を備えていた建物は事件時に崩落している。

 もう存在しない。

 

 

「建て直した……? いいえ、そんなはずが無いわ。ここだけ直す意味なんて無いはずよ」

 

 

 そして、直感した。

 ()()()

 政府は()()を隠すために――きっと、()()()()()()()()()()()()――わざわざあんな慰霊碑を建てたのだ。

 この……。

 

 

「……ッ! 響大尉!」

 

 

 この、おそらくは()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!

 

 

「お下がりを!」

「待って、まだ」

 

 

 まだ、ここではまだ。

 そう思って歯噛みする真瑠璃を押し留める工藤。

 そんな2人の身体中に突き刺さるのは、狙撃銃の照準用に投光された赤外線だった。

 赤い線の先端が、2人の急所に何本も突き立っている。

 

 

「まだ……!」

 

 

 それでも、建物へと視線を向ける真瑠璃。

 ただ、彼女にもわかっていた。

 これ以上は、一歩も前に進めないのだと言うことに。

 イ401を降りてしまったことで、その資格を失ったとでも言われるように――――……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――二重スパイ?」

 

 

 流石に眉を潜めて、上陰は楓首相を見上げた。

 1日の最後の報告に楓首相を訪ねるのは、軍務省次官である上陰の義務のようなものだが、今日に限って引き止められたのである。

 この時点で、上陰としては「何かあったのだな」と察することが出来た。

 

 

 そして出てきた話題が、旧第四施設の慰霊式典である。

 楓首相も上陰も参加していない――元々、楓首相は身体のこともあり、そうした場ではビデオメッセージを送って済ませる場合が多かった――式典だが、式典自体は厳かに行われたと言う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『響くん以外にも当時の生徒はいるからね』

 

 

 ただ、代役を用意していたと言うことは、ある程度()()()()ことを予測していたと言うことだろう。

 いや、本当のことはわからない。

 首相にまで昇りつめた男の頭の中など、読み切れるはずも無いのだ。

 

 

「それで、響真瑠璃が二重スパイと言うのは……?」

『ははは。まぁ、二重スパイとは言ったが彼女は別に諜報員と言うわけじゃない。だから実のところは、二重でも無ければスパイでも無いのだがね』

「……イ401と、繋がっていたと?」

『イ401と言うよりは、千早群像くん個人との繋がりと言った方が正しいだろう』

 

 

 真瑠璃はイ401の元ソナーだ。

 群像達と共に日本を出奔した彼女が、どうして日本に戻って来たのかは上陰も疑問に思っていた。

 帰国当時、真瑠璃は統制軍の取り調べで「艦長・千早群像について行けなくなった」と供述していた。

 そしてすぐに、イ401での経験と<蒼き鋼>の情報を提供する条件で恩赦が成った。

 

 

 もちろん、統制軍も真瑠璃が本当に群像達と切れたわけが無いと思っていた。

 だから彼女の行動や通信については常に監視がついていたし、真瑠璃もそれは気付いていたはずだ。

 それでも真瑠璃が群像達とコンタクトした様子は無く、『白鯨』に乗船する頃には監視もほぼ形だけのものになっていた。

 だが、それは盛大な思い違いだった。

 

 

『霧の通信技術を用いられては、我々には痕跡すら見つけられないだろう』

 

 

 つまり、こう言うことだ。

 真瑠璃はイ401との量子通信が可能な――日本の、いや人類の技術力では傍受することも出来ない――携帯端末を使用して、群像達と頻繁に連絡を取り合っていた。

 上陰としては、笑うしかない。

 

 

 何しろ群像と最初に出会った時、上陰は群像が横須賀に来ない可能性も考慮していた。

 だから素直に横須賀にやって来た時、感心と言うか、感嘆したものだ。

 何のことは無い。

 真瑠璃からの情報提供を受けて、群像は統制軍が自分達を害さないと知っていたのだ。

 だから、無造作に横須賀にやって来たのだ。

 

 

『それまで頑として首を縦に振らなかった響くんが、イ401帰港の直前に『白鯨』に乗船することを快諾してくれたことも、まぁ、あからさまと言えばそうだった』

「それも群像艦長の指示で、と言うことでしょうか」

()()()()、だそうだがね。駒城艦長によるとそう言う言い方をしていたそうだよ』

 

 

 いや、もしかすると日本政府が<蒼き鋼>を恩赦することも知っていた可能性がある。

 2年もの間、横須賀に近付かなかったのは()()()と言うことか。

 それも、真瑠璃が――霧の技術を搭載した携帯端末を持った真瑠璃が、統制軍内部の情報を流したのだろう。

 なるほど、二重スパイか。

 

 

「群像艦長に我々の内部情報を流し、一方で我々の輸送作戦に欠かすべからざる人材として協力する」

『正直、公安にスカウトしたいと本気で思っているよ』

 

 

 しかし、群像にとっても真瑠璃にとっても、おそらく想定外だっただろう。

 上陰達が、霧の量子通信の技術をある程度獲得してしまっていたことは。

 最も、上陰達の量子技術はイ401によって『白鯨』に搭載されたものを解析したものだった。

 群像達にとっては、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『流石は、デザインチャイルドの生みの親と言うべきかな』

 

 

 刑部博士、おそらくは現在、人類で最も優秀な科学者の1人だ。

 彼は今、デザインチャイルドの未来と引き換えに霧の技術の解析を進めている。

 『白鯨』の量子通信の研究も、そのひとつだ。

 

 

『とは言え、今回のことは少し困ったな。響くんは失うには惜しい人材だし、一方で()()()()()()()のことは出来れば知られたくない』

「わかります」

 

 

 つまるところ、これは楓首相が暗に「上手くはからってくれ」と言っているのだ。

 第四施設の警備部隊と、真瑠璃の護衛につけている兵士。

 どちらも官邸の直属であって、「施設に侵入した者を処理する」・「真瑠璃を守る」と言うそれぞれの命令がぶつかってしまった形だ。

 官邸直属の兵士同士の内紛など、表沙汰には出来ない。

 

 

『まぁ、なるようになる、か。群像艦長達の帰還も、そう遠いことでは無いだろうしね』

 

 

 なるようにする、群像達の帰還まで。

 理解した。

 それが官僚の仕事だ。

 そうして深々と頭を下げながら、上陰は思った。

 ――――楓首相は、わざと真瑠璃に第四施設を見せたのではないか、と。




読者投稿キャラクター

工藤由那:ライダー4号様

有難うございます。


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

こうして情報を小出しにしていくのって、ライトノベルっぽくて好きです。
でも正直もどかしいので、最初から全部出したい気持ちもあります(え)

と言うわけで、真瑠璃回でした。
それでは、また次回。
次回からは紀沙達の方に戻ります。

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