蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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予告通り、今回は水着回です。
以下の点に特にご注意下さい。

① R15描写が入る可能性があります。
② いわゆる兄妹もの描写が入る可能性があります。

以上の点にご注意頂いて、どうぞ。


Depth014:「ビーチと問いと」

 最近、紀沙のことを考える時間が増えた。

 北は、ふとそんなことを考えた。

 

 

「急げ――――! 出航するぞ――――!」

「最終点検、もたもたするな――!」

 

 

 眼下では、巡航モジュールに換装した『白鯨』がある。

 すでにドックに海水の注入が始まっており、一面ガラス張りの壁が間に入っていなければ、強い潮の香りを感じることが出来ただろう。

 海水の中にすでに艦体の下3分の1を沈めた白鯨の艦体、その上部ハッチ周辺では、巡航モジュールの微細タイルの最終点検を行う作業員達の姿も見える。

 

 

 その中に、上陰の姿も見えた。

 ハッチ近くで艦長の駒城、そして海兵隊のクルツと何事かを話している様子だった。

 色々と、言い含めておくことがあるのだろう。

 

 

「まぁ、私も人のことは言えんがな」

「全くですな。いや、まさか貴方の方から声をかけてくるとは思いませんでしたよ」

 

 

 横須賀の地下ドックを臨む会議室、そこには北だけで無く浦上もいた。

 彼もまた派遣艦隊の一員として――と言うより、事実上の全権大使として――随行する予定の男だった。

 北、そして浦上。

 直接に戦場を共にしたことは無かったが、千早兄妹の父・翔像を知る数少ない人間の1人だった。

 

 

「てっきり、自分は上陰()()側だと思われていると思ってたんですがね」

「そう言うくだらん派閥思考に染まっていないと思ったから、呼んだのだ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいですがね」

 

 

 不意に、ガラス越しに視線を感じた。

 感じたと言っても視線に圧力があるわけでも無く、単に北が気にしたと言うだけだ。

 ドックと白鯨を繋ぐ橋にいる黒髪の女性――真瑠璃を。

 彼女はじっと壁際に立つ北に視線を向けており、北もまた彼女を見つめていた。

 北が静かに頷きを返すと、真瑠璃は背を向けて駒城達の下へと駆けて行った。

 

 

「それで、ご用件は? 見ての通り、出航が間近なもので」

「わかっている」

 

 

 ……顔を見ない日々が続くと、むしろ考えることが多くなる。

 年を取った証とでも言おうか、最初に会った時のことなどを思い出したりもするのだ。

 余りにも余りで、北をして捨て置けないと思ってしまう程だった頃のことを。

 あの少女の本質を、根っこの部分を。

 

 

 知っていて、北はイ404を紀沙に与えた。

 あの少女の心の奥底のどす黒い感情を、澱んだ気質を利用しようと考えた。

 そうすることが、全てにとって良いことだと確信していたからだ。

 

 

「浦上中将、頼みたいことがあるのだ」

 

 

 北はスーツの内ポケットからある物を取り出すと、指で挟んだそれを浦上に示した。

 訝し気な顔をする浦上、それは。

 

 

「……それは?」

 

 

 それは、一通の封筒だった。

 政府の印章が押された、封筒だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 言わずと知れたことだが、硫黄島は南の島である。

 そして今は夏、昼間の気温は留まる所を知らず――温暖化の影響もあり――高く、砂浜を照り付ける太陽はまさに肌を焼いてくる。

 しかし冬馬や杏平にとって、そんなものはさして気になるものでは無かった。

 

 

「……暑いな」

「ああ……」

 

 

 2人は、輝く白い砂浜に仁王立ちをしていた。

 共にトランクスタイプの水着を着用し、じりじりとした太陽の下、何かを待っている様子だった。

 砂浜には彼らが用意したのか、あるいは最初からあったのかはわからないが、パラソルやデッキチェア、シートや飲み物の詰まったクーラーボックス等が置かれていた。

 

 

「いやぁ、私も南の島でバカンスなんて初めてですよ」

「あ、僕ライフセーバーの免許も持ってるんで。溺れたら呼んでね」

 

 

 恋も良治もいた。

 ショートボクサータイプの水着を着用している恋はともかくとして、水着の上に白衣をわざわざ着ている良治は何なのだろうか。

 軍人だけあって冬馬達も含めて流石に良い身体つきをしている。

 だが杏平や冬馬にとっては、そんなことはやはりどうでも良いことだった。

 

 

 彼らにとって重要なことは、もっと他にあった。

 より重要なことは、完璧なまでの海水浴の準備では無い。

 準備とはいつだって、その後行われる本番のためにあるのだから。

 そして待つこと10分程――その間、炎天下の下で彼らは静かに待っていた――もしただろうか、ついにその時がやって来た。

 

 

「よっ、お待たせー」

「悪いね、準備させて」

「「「「キタアアアァァァ――――ッッ!!」」」」

 

 

 手を振りながらやって来た声に振り向いた途端、火がついたような歓声が上がった。

 こう言う場合も黄色い声と言えば良いのかはわからないが、とにかくそんな声だった。

 そして細身だが意外と豊かな胸元を黄色のビキニで覆ったいおりは、それに対して露骨に引いた顔をした。

 

 

 そして偏見かもしれないが、女性の感情は伝播する。

 いおりが杏平を呼びに来たのと同様、冬馬を呼びに来た梓もいおりと同じような顔をしていた。

 しかし、杏平や冬馬は気にしなかった。

 何故なら彼らにとって、この瞬間こそが何よりも大事なものだったのだから。

 

 

「おー! いつもタンクトップで見慣れてたからどうかと思ったけど、お前も結構イケてボッ!?」

「うっさい、死ね変態!」

「ヒャッハーッ! 梓姉さんの普段は軍服に隠れた素肌がたまらボッ!?」

「ふんっ!」

 

 

 梓はドイツ系の血が混ざっているせいか、全体的に身長が高くがっしりとしている。

 豊満な肢体の下には確かな筋肉があり、躍動するそれは野生の女豹にも思えた。

 ストライプ柄のビキニにデニム地のショートパンツを合わせたタイプの水着は、大人の女性、それも鍛え上げられたアスリートのような肢体を慎ましやかに覆っている。

 

 

 まぁ、冬馬の鳩尾に的確に叩き込まれたその拳は、男性の腹筋を貫く程に強烈だったが。

 しかしうつ伏せに倒れた冬馬の右手は親指を立てており、それはいおりに脇腹を蹴られ仰向けに倒れた杏平の左手と同じ形をしていた。

 この2人、この短期間で心を通わせ過ぎである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 拝啓、北のおじ様。

 夏真っ盛りな今日この頃、おじ様はいかがお過ごしでしょうか。

 紀沙は今、南の島で海水浴に来ています。

 

 

「何で私、こんなことしてるんだろう」

「あらぁ、たまには息抜きも必要よ~」

 

 

 半ば現実逃避する気分で、紀沙は透けるような青空を見上げていた。

 ギラギラと輝く太陽は眩しく、自然と額に汗が滲む。

 人の手の入っていない浜辺はまさに天然のビーチであって、海水浴をするにはうってつけではあった。

 

 

 しかしそうは言っても、紀沙は軍人である。

 いくら上官の目が無いとは言え、またイ404が整備中であるとは言え、海水浴などして良いものなのだろうか。

 とは言え冬馬達に許可したのは紀沙であって、今さらどうこう言う資格は無かった。

 あおいが言うように、息抜きが必要と言うのも理解していると言うのもあるが。

 

 

『今後共に任務に当たる上で、互いの親睦を深めるのはとても大事なことなんだ。そのためには海水浴が一番適している、いやそれしか無いと言っても良い。と言うかこんな島でそれ以外に何がある? いや無い。だから艦長ちゃん、これは必要なことなんだ。この困難な任務を達成するためには、むしろ絶対に必要なことなんだ! わかってくれるか? いやわかってくださいお願いしますこの通りです何でもしますから……!』

 

 

 何よりも、冬馬の勢いに押し切られた。

 まさか土下座までされるとは思わなかった、そこまでされたら否とは言えなかった。

 そして今は杏平と一緒になっていおりや梓を拝み倒している、何が彼らにそこまでさせるのだろうか。

 正直、色々と諦めの境地に達している紀沙だった。

 

 

「と言うか紀沙ちゃん、ダメじゃない」

「え?」

「せっかくの海なのに、そんな格好じゃダメよ~」

 

 

 そんな格好と言われるのは、正直に言って心外であった。

 紀沙が着ているのは統制軍の作業着であって、上は半袖の白いシャツ、下は深緑色の作業用パンツと言う出で立ちだった。

 と言うのも、この後ドックに戻る気でいたのである。

 

 

「あのね紀沙ちゃん? トーマくんはね、貴女に休んで欲しくてあんなことを言ったのよ?」

「いや、あれをそう受け取るのはちょっと……」

「照れ隠しよ~」

 

 

 絶対に違うと思う。

 

 

「それに私、水着持って無いんで」

「あら、わたし達もよ~?」

「え、じゃあ、その水着は?」

 

 

 梓にしろ冬馬にしろ、そう言えば他の面々は水着を持っていた。

 あおいも、やけに布面積の少ない桃色のビキニを着ていて――と言うか、布が少な過ぎて色々とはみ出しやしないかと心配になる――白い肌を惜し気も無く晒していた。

 イ404への持ち込み品のリストはクルーの物も含めて頭の中に入っているが、水着は無い。

 まさか全員が予め私物として持ち込んだわけでもあるまい、と言うかそう思いたい。

 

 

「スミノちゃんに、ナノマテリアルで作って貰ったのよ~」

 

 

 その答えは予想していなかった。

 と言うか、ナノマテリアル万能過ぎだろう。

 いやそれ以前に、ナノマテリアル製と言うことは、何かが間違えば解けると言うことだ。

 それは非常に危険では無いだろうか、いや危険だ、危険なのだが。

 

 

「紀沙ちゃんの分も、たくさん作って貰ったのよ~♪」

「いや、本当に私は……って、うわ多っ!? 何たってそんなに作ったんですか……!?」

「選びきれなくて~♪ これなんてどうかしら? やっぱり10代の内に肌は見せなきゃね~」

「いや、その理屈はおかしいですし。それに着替えませんし」

「えぇ? でも401の艦長さんもいるわよ~?」

「え!?」

 

 

 若干のショックを受けた顔で、まさかと思い振り向いた。

 すると、そこには……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 千早群像は、仲間の要望に対しては割と寛容な方である。

 と言えば聞こえは良いが、単に本人に関心が無く、良く言って素直なだけだった。

 杏平の必死の提案――と言う名の懇願(こんがん)――にも、「そうか」と二つ返事だった。

 

 

「いや、すまない。キミの祖父のことについては、オレにもわからないんだ」

 

 

 そして紀沙と同じように作業服姿ではあるが、彼女のように働き詰めようと言うわけでは無い。

 今は端末も横に置き、パラソルの下、シートに座ってゆっくりしている所だった。

 なお、この場で水着姿の女性陣に対して特に反応を示していない唯一の鉄人(ぼくねんじん)だった。

 そんな彼が困惑の表情を示す相手、蒔絵だった。

 

 

「嘘だ! ローレンスはおじいさまがイ401に乗ってアメリカに行くって言っていた!」

「そのローレンスと言う人についても、オレ達は聞いたことが無いんだ」

「でも、ローレンスは……!」

 

 

 困り顔を浮かべる群像に、嘘は無い。

 それが蒔絵にも伝わったのだろう、彼女は悔しげな顔で群像に背中を向けた。

 そのまま走り去る蒔絵の姿に、群像は難しい顔をする。

 正直に言えば、蒔絵の存在はそのままリスクになる。

 

 

 イオナやヒュウガの話を聞く限りは、そう言う判断になる。

 ただ、群像にとっての最大のリスクはそれでは無かった。

 彼にとっての最大のリスク、それは……。

 

 

「に、に……に!」

「うん?」

「――――ニイサン!?」

「うおっ!?」

 

 

 後ろから大きな声がして、さしもの群像もビクリと肩を震わせた。

 何事かと振り向けば、そこにいたのは紀沙だった。

 いや、別にそれは大したことでは無い。

 妹がそこにいると言うだけで驚く程、群像は薄情では無かった。

 

 

「…………」

「あ、あの……」

 

 

 ただ、妹の姿には驚いた。

 水着姿である。

 いや、別にそれも驚くべきことでは無いのかもしれない。

 ただ意外と言うか、見慣れていないだけだ。

 

 

 露出の少ない、キャミソールとホットパンツを合わせたタンキニと言うタイプの水着だ。

 もちろん、群像に女性用の水着の種類がわかるはずも無い。

 桃色の生地に白の水玉が入った水着で、スカート部がフリル状になっている。

 少し子供っぽいと思えなくも無いが、可愛いらしい水着だ。

 正直、作業服と露出の度合いは変わらないはずだが、紀沙はゆでだこのように顔を紅くしていた。

 

 

「どうかしたのか、紀沙?」

 

 

 それでもとりあえず、声をかけた。

 と言うより、他にするべきことが思い浮かばなかった。

 

 

「あ、あの……あのね? あの、あああの」

「ああ」

 

 

 そして、何だか良くわからないが、とりあえず待った。

 何か言いたいことがあると言うのはわかったから、言ってくるのを待った。

 別にそれは苦では無かったし、目を泳がせて視線を合わせない紀沙がおかしくもあった。

 いったいこの妹は、何を言い出すつもりなのだろうか。

 

 

「あの……あの、これっ!」

「うん?」

 

 

 後ろ手に隠し持っていたらしいそれを、群像の顔の前に突き出す。

 若干下がりながらそれを見る群像、紀沙が両手で差し出した小さなボトルには、パッケージにこう書かれていた。

 

 

「これ、これを、ぬ、塗ってくれないかな!?」

 

 

 ――――サンオイル、と。

 

 

「……」

「…………」

 

 

 何となく、沈黙が場を支配した。

 紀沙は目を閉じてオイルの容器を差し出しているため、群像の顔を窺い知ることは出来ない。

 どんな顔をすると思ったのかは定かでは無いが、当の群像は純粋な驚き以外の表情を浮かべていなかった。

 

 

 彼は女性顔負けの長く綺麗な指先で顎に触れると、少し考え込むように眉を動かした。

 オイルのパッケージをじっと見つめて、何かを思いついたのだろう、顎から指を離す。

 そして、言った。

 

 

「その水着の構造だと、少し塗りにくいんじゃないか?」

「……ッ!」

 

 

 何故か、妹は脱兎の如く逃げ出した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あおいさん、これやっぱり何か違いますよ……!」

「あらぁ? おかしいわねぇ~」

 

 

 顔を真っ赤にして詰め寄る紀沙に対して、あおいは頬に指を当てて首を傾げた。

 それから、ああ、と言う顔をして傍らの衣装箱からごそごそと何かを取り出すと。

 

 

「やっぱり、水着がダメだったのね~」

「違いますよ! そもそも何で兄さんにオイル要求なんですか、そっちの方が間違ってるでしょ!? あとこの水着は可愛いじゃないですか!」

「じゃあ、次はお姉さんの選んだ水着にしましょうね~」

「聞いてくださいよおおおぉ!」

 

 

 余りにも興奮しすぎて、地団太を踏みかねない程だった。

 いや、実際に踏んでいる。

 紀沙はそれだけ理不尽を感じていたのであって、他にそれを表現する術を持っていなかった。

 少し離れた位置で、兄がこちらをじっと眺めていると言うことに気付けない程に。

 

 

 加えて、あおいが取り出した水着に顔色がさらに紅くなる。

 何しろあおいが選んだ水着は、ビキニタイプの赤い水着だった。

 いわゆる三角ビキニと呼ばれるタイプで、当然、その分だけ布地は少ない。

 今の水着が普通の洋服と遜色無いレベルであると思えば、かなり過激な部類に入るだろう。

 

 

「これなら結び目も紐だから、オイルを塗って貰う時にも邪魔にならないわぁ♪」

「邪魔にならないわぁ♪ じゃないですよ! ダメです、大体それ私の下着(インナー)より布地が少ないじゃないですか!」

「あ、今の声マネ可愛いわぁ。ね、ね、もう1回言って?」

「ああぁもおおぉ……!」

 

 

 遊ばれている、いや弄ばれている。

 それがわかっていても、口ではどう頑張っても勝てそうに無かった。

 そしてあおいが自分の選んだ水着を本気で紀沙に着せようとしていることも、わかっていた。

 しかし、紀沙は断じてあんな露出度の高い水着を着るつもりは無かった。

 

 

「良い? 紀沙ちゃん」

 

 

 ところが、至極まじめな顔をしたあおいが紀沙の両肩を掴むと、余りにも真剣な顔に思わず口を閉じてしまった。

 未だかつて無いあおいの雰囲気に、思わず生唾を飲み込んでしまった。

 

 

「これはね、日本のためなの。国益のためなのよ」

「こ、国益?」

「イ401は千早群像艦長の下、目覚しい活躍を見せているわ。元々はどっちも日本に属していたのだから、戻ってきてくれたら日本にとってこれ以上の利益は無いし、紀沙ちゃんだって嬉しいでしょ?」

「そ、それは、まぁ……」

 

 

 むしろそれは、紀沙が今1番望んでいることでもある。

 兄が戻ってきてくれるなら、紀沙はどんなことでもやってのけるだろう。

 それだけ、紀沙が群像に向ける感情は強いのだ。

 

 

「だからこそ、これは紀沙ちゃんにしか出来ないことなの」

「いや、だからそこは別に関係な」

「お兄さんを説得できるのは紀沙ちゃんだけなの、スキンシップはそのためにもとても大切なことなのよ。別に無理ならオイルは良いけれど、でも頑張ってる姿を見せることくらいはしないとダメなんじゃないかしら?」

「え、あ、う?」

「これはね、本当に紀沙ちゃんにしか出来ないことなの。何千万人の日本人の中で、紀沙ちゃんだけが出来ることなの。恥ずかしいのはお姉さんにも良くわかるわ。でもね、頑張って欲しいの。わたしも紀沙ちゃんがお兄さんと一緒にいらせるようになってくれたら、とても嬉しいから……」

「あ、あおいさん……」

 

 

 哀しげに顔を伏せるあおいに、紀沙は感極まったような声を上げた。

 まさか、この年長のクルーがそこまで自分と兄のことを考えてくれていたとは。

 そう思うと、何だか拒否していた自分の方が悪いことをしているような気にもなってくる。

 紀沙は意を決すると、あおいの手から水着を受け取って。

 

 

「わ、わかりました。や、やってみます」

「本当!? ありがとう紀沙ちゃん、さ、さ、気が変わらない内に着替えてらっしゃい!」

「は、はい」

「頑張ってね~♪」

 

 

 手を振って見送るあおい、その表情は実に晴れ晴れとしていた。

 そのまま、簡易の脱衣所になっている岩陰に紀沙の姿が消えるまで、手を振り続けていた。

 彼女の表情は上機嫌そのもので、あおいは鼻歌さえ歌っていた。

 

 

「……っとに、趣味悪い」

 

 

 すると、対照的に不機嫌な声が背中から聞こえた。

 振り向けば、そこにはあおいと良く顔立ちの似た少女がいた。

 

 

「あら、でも嘘は言って無いじゃない? 情に訴えて落ちない男の人っていないと思うし~」

「うちの艦長は、そう言うタイプじゃ無いわよ」

「あ、そうなの? 知らなかったわ~」

「……相変わらずよね、アンタのそう言う喋り方。苛々するからやめてって、何度も言ってるでしょ」

 

 

 嫌悪、いおりの表情を表現すればそう言うことになるだろうか。

 そんな妹に対して、あおいは笑顔で振り向いた。

 珍しく逃げ出さない妹に対して向ける笑顔は、とても温かい。

 ――――しかし、瞳の奥には冷え冷えとした何かが顔を覗かせている。

 

 

 それがわかっているからか、いおりは舌打ちを隠さなかった。

 3歳差の姉妹、同じ技術班、浜辺で水着と言う開放的な状況にあっても、両者の間には海溝よりも深い溝があるのかもしれなかった。

 それがどのようなものなのかは、余人には窺い知ることは出来ない。

 

 

「でも、いおりちゃんだって一緒じゃない。だって……」

 

 

 海溝の向こうから、姉は言った。

 

 

「だって、貴女だって紀沙ちゃんを連れて行こうって、艦長さんに言わなかったんでしょう?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 賑やかだなぁと思いつつ、静は他の喧騒からは距離を置いていた。

 先程まではいおりも一緒にいたのだが、杏平達に声をかけに行ってから戻って来ない。

 だから今、パラソル付きのデッキチェアに座っているのは静ひとりだった。

 

 

「千早紀沙……っと」

 

 

 紺色のAラインワンピース、静らしい大人しめのデザインの水着を着用している。

 だがほわほわした当人の雰囲気とは裏腹に、二の腕や足首はきゅっと締まっており、メリハリのあるウエストからお尻へのラインと相まって、露出の少なさの割に清潔な色気を醸し出していた。

 そして意外と肉付きの良い太腿の上には、小型のノート型端末を乗せている。

 

 

 そこに映し出されているのは、呟きの通りの少女の情報だった。

 紀沙――何やら、向こうでからかわれている様子だが――については、静以外のクルーは直接的に知っているが、途中参加の静はそうでは無い。

 話に聞くことは出来るが、やはりそれだけではわからないこともあるのだ。

 

 

「海洋技術総合学院、首席卒業。へー、凄い人なんだ」

 

 

 軍直轄の学校を首席で卒業すると言うのは、それはつまりエリートと言うことだろう。

 しかも与党幹事長の北議員の後見を得て、異例のスピード出世まで果たしている。

 若年のため派閥と言う意味では弱いが、一軍人としての地位は確立しつつあるのかもしれない。

 ちなみにこれは統制軍の第二級機密情報に当たるが、静はそれを普通に閲覧していた。

 

 

 ただこれだと履歴書に書いてあることはわかるが、プライベートなことはわからない。

 静が知りたいのは後者であって、余り意味の無いハッキングと言えた。

 まぁ、それは静自身の趣味でもあるので別に構わないのだが。

 

 

「ねぇ!」

「わっ」

 

 

 その時、耳元で大きな声が響いた。

 

 

「あ、ま、蒔絵ちゃん?」

「貸して!」

「え、ちょ、ちょっと!?」

 

 

 蒔絵だった、今は硫黄島で――厳密には、イ404で――保護している女の子だ。

 水着では無く、この暑い中、スパイ映画の登場人物のような衣服のままだ。

 目深に帽子を被ったまま、静の端末を奪うようにひったくった。

 流石に驚く静だったが、相手が子供と言うこともあって強くは言い出せない様子だった。

 

 

(あれ、この子……?)

 

 

 凄まじい速度でタイピングを始めた蒔絵、静は後ろから画面を覗き込んだ。

 画面の上でも、目で追うのがやっとの速度で情報が入力されている。

 そして映し出され始めた情報に、静の表情に緊張感が見て取れた。

 

 

(これ、硫黄島(ここ)のサーバーに……!)

 

 

 蒔絵が行っているのは、先ほど静が行っていたことと同じだ。

 つまりはハッキング。

 ただし、今度は硫黄島――要は、自分達の情報を盗み見ようとしているのだ。

 静が止めなかったのは、驚いたと言うのもあるが、蒔絵が見ようとしている情報がイ401や自分達のことでは無く、単に施設の監視画像を覗こうとしていただけだったからだ。

 

 

 誰かを探そうとしている?

 そう考えるのが妥当だろう、だが、この硫黄島に自分達以外の人間は存在しない。

 ならば誰を探しているのか、静はそれを知ろうとしたのだった。

 だが、流石に見られては不味い区画と言うのも存在するわけで……。

 

 

「「あ」」

 

 

 不意に、静と蒔絵の声が重なった。

 何故ならば、蒔絵の弄っていた端末の画面がブラックアウトしたからだ。

 黒く染まった画面に次に光が灯った時、そこにはアニメ調のキャラクターをデフォルメしたイラストが映し出されていた。

 あれは確か、杏平やイオナが気に入っているアニメのキャラクターだったか。

 

 

<おいたは、だ・め、よん♪>

 

 

 吹き出しに、そんな台詞が描かれていた。

 それが妙にイラついたのだろう、蒔絵は怒った顔で端末を閉じた。

 そしてそれをそのまま放り投げてしまったので、静が慌ててキャッチした。

 すると、その時だった。

 

 

 ばしゃん。

 

 

 蒔絵が頭から水をかぶった。

 いや、しょっぱいので海水だろう。

 またかぶったと言ってもバケツで水を落としたわけでは無く、撃たれたと言った方が正しい。

 ぐっしょりと濡れた蒔絵が、後ろを振り向くと……。

 

 

「へいへーい、蒔絵ちゃんビビってるぅ!」

 

 

 水鉄砲を持った冬馬達の姿があって、彼らは囃し立てるように手招きをしていた。

 静が苦笑を浮かべる中、蒔絵の瞳に炎が灯ったことは言うまでも無い。

 静は思った。

 あ、この子煽り耐性ゼロだ、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 末恐ろしい子供だ。

 いや、成長調整をされているようだから、もしかしたら見た目通りの年齢では無いのかもしれない。

 イ401とイ404、2隻の装甲を同時に開いて整備と補給を施しながら、ヒュウガはそんなことを思った。

 

 

「アンタ達は良いの? 遊んで来なくて」

「はは、私は遠慮しておきますよ。体質的にも、海水浴と言うのは悪くないのかもしれませんけどね」

「……自分は、職務中ですので」

 

 

 イ401もイ404も、1人ずつクルーが残っていた。

 見張りと言うわけでは無い、そもそも意味が無い。

 メンタルモデルが離れていたとしても身体は身体、艦のセキュリティが切れているわけでは無い。

 無人の状態で侵入されたとしても、2個小隊くらいなら2分とかからず殲滅できるだろう。

 

 

 それでも残っているのは、それを踏まえても警戒しているか、単に気になるだけか。

 群像達に撃沈されて以後、人間心理を学び続けているヒュウガにとっても気になるところだ。

 メンタルモデルの成長を促すには、人間の中に入り込むのが1番効率が良いのかもしれない。

 井の中の蛙は大海を知らぬ、己の世界で思索するだけでは得られないものもある。

 

 

「それで、艦長は硫黄島(ここ)を放棄するつもりだって?」

「ええ。おそらくここに我々の拠点があることは、すでに霧にも知られているでしょうし」

 

 

 僧が言う通り、硫黄島がイ401の拠点であることは、すでに公然の秘密だった。

 何しろ沖合いに重巡洋艦が来て監視しているのだ、バレていないわけが無い。

 となれば、位置のバレた潜水艦基地など格好の的でしか無い。

 早々に放棄して移動すると言うのは、その意味では正しい判断と言える。

 

 

「他に拠点がある、と言うことですか?」

 

 

 そこで、静菜が口を挟んできた。

 イ404のクルーの居残り組であって、彼女が小首を傾げると、顔の半分を覆う前髪がさらりと横に流れた。

 

 

「いえ、ありませんよ。寄港地ならいくつかありますが、ナノマテリアルが補給できるような拠点はここだけです」

 

 

 そして、僧は特に気負った様子も無く答えた。

 そもそも、ナノマテリアルが補給できるポイントの大半は霧の拠点とイコールだ。

 硫黄島のような例はまさに例外であって、その意味では貴重な拠点ではあった。

 逆に言えば、貴重なだけの拠点だった。

 

 

「つまり事実上、これが最後の補給になりますね」

「…………なるほど」

 

 

 アメリカに向かう以上、硫黄島に拠点がある意味は無い。

 千早群像はそこまで考えて硫黄島を放棄するのか、補給の可能性を――つまり退路を消してまで、この振動弾頭輸送計画に賭しているのか。

 静菜はそう考えて、しかし表情には出さず、艦の整備を行うヒュウガの背中を見つめていた。

 

 

 潜水艦が淡い輝きを放ちながら装甲を展開し、ナノマテリアルの粒子があたりを舞う。

 資材や部材が宙を進み、クレーンやハンドアームが次々に装甲を修復していく。

 人間ではあり得ないそんな光景を、残った右目に映していた。

 

 

「余り時間も無いだろうしねー」

 

 

 そして、ヒュウガ。

 人間達に背を向ける彼女の瞳の虹彩は、淡い霧の輝きを放っている。

 イ401に――そして、イ404に向けられるその視線。

 敬愛する艦に酷似するその姿に、ヒュウガは目を細めている。

 

 

 イオナと同型艦だと言う、イ404。

 しかし彼女記憶領域に、知る限りの400型潜水艦に、その名称は()()()()()

 だが、確かに霧として目の前に存在している。

 イ404、スミノ。

 

 

 ――――アレはいったい、何者なのか?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 思わず、うつ伏せの体勢のままで口を塞いだ。

 頬の紅潮は耳にまで達していて、紀沙はそれが相手に知られはしないかと気が気では無かった。

 恥ずかしさの余りか、あるいは固くなっているのか、肩がふるふると震えている。

 

 

「ああ、悪い。冷たかったか?」

「だ、だいじょぶ、です」

「そうか?」

 

 

 紀沙は今、シートの上にうつ伏せに寝転んだ体勢でいた。

 赤いビキニタイプの水着は上下共にワンポイントのフリルリボンがあるだけで、それ以外は薄い布地だけで構成されている。

 繋ぎ目は頼りなさげな紐のみであって、これに着替えるだけで何十分かけたかわからない。

 

 

 しかし、この期に及んで退くに退けなかった。

 正直、二重の意味で恥ずかしい。

 第一に、こう言う水着はあおいのようにメリハリのある身体付きで無いと貧相さが際立つと言うこと。

 第二に、それを兄の前で着て見せていると言うことだ。

 本当にどうして、こんな状況になってしまったのだろう。

 

 

(れ、冷静に考えたら、やっぱり絶対おかしい……!)

 

 

 冷静に考えなくともおかしいと言う点に気付けなかった時点で、今さらであった。

 それに、背中にオイルを垂らされた状態で――ひやっとした感覚に、思わず声を上げてしまった――身を起こすことも出来ない以上、紀沙はうつ伏せの状態を維持するしか無い。

 ――――が。

 

 

「ひぁっ」

「うわっ、何だ?」

「な、ななな、何だって。兄さんこそ、何で水着の紐解いちゃうの!?」

「いや、オイルを塗るのに邪魔だったからな」

 

 

 流石に、背中の紐がしゅるりと解かれる感触には身を跳ねさせた。

 抗議の声を上げるも、何の邪心も無い顔で「邪魔だった」と言われれば反論も出来ない。

 そう言われてしまえば、拒否する方がおかしいような気持ちになってしまった。

 上体を起こすことも出来ず、言葉も見つからず、群像はきょとんとした顔をするばかり。

 この朴念仁が! と叫び出したい衝動を堪えに堪え、紀沙は頭の位置を戻した。

 

 

「じゃあ、行くぞ」

「は、はい」

 

 

 ヤバい。

 この会話だけで、何故か死ぬほど恥ずかしい。

 

 

「んぅ……っ」

 

 

 即座に、両手で口を押さえる。

 人肌の柔からいものが背中でぬるりと動く感覚に、妙な声を上げてしまった。

 恥ずかしい、死ぬ。

 聞こえていないだろうか、聞こえていないに違いない、聞かないでお願いします。

 

 

 しかもその後も、人肌――要は群像の掌だが、それが肩甲骨から腰のあたりを上下して、その度にぬるぬるとしたオイルが肌の上を滑っていくわけで。

 掌が脇腹に触れたり、結い上げて露になった首筋を指先が掠める度に、紀沙は身をビクビクと震わせた。

 その度にん、ん、とくぐもった吐息を漏らし、もはや頬や耳どころか肩先まで紅潮してしまっている。

 

 

(あまり動かれると、やりにくいんだが)

 

 

 当の群像は何を考えているのかと言えば、そんなことを考えていた。

 彼にして見れば、「妹に頼まれてサンオイルを塗っている」以上でも以下でも無い。

 いや、それ以外に何があると言うのか。

 そして真面目な彼は当然、一度快諾した以上は最後までやり切るつもりだった。

 

 

 背中から腰にかけてを一通り塗り終えて、一旦、手を離した。

 紀沙が身体から力を抜いた気配がしたが、特に気にすることなく掌に新しいオイルを垂らした。

 それをしばし掌の上でならすのは、先程は冷たくて紀沙が驚いた様子だったからだ。

 妙なところで、気遣いの出来る男であった。

 ただし、そのまま手前側の太腿(ふともも)に触れた途端、紀沙に睨まれることまでは予測していなかった。

 

 

「~~~~ッ!」

「いや、そんな顔で睨まれてもな。オイルは全身に塗らないと意味が無いだろ」

「~~~~ッ!」

「おい、足をばたつかせるな」

 

 

 膝裏から足首にかけて掌を一気に滑らせた時が、1番反応が大きかった。

 くすぐったいのか何なのか知らないが、陸に引き揚げられた魚のようにバタバタしていた。

 口を押さえているので声こそ上げていないが、群像にとっては余り意味が無い。

 作業が進まない、群像はどうしたものかと考え込んだ。

 

 

 一方の紀沙はと言えば、一杯一杯であった。

 もはや当初の目的もどこか彼方へと飛んで行き、そもそも何故こんなことになったのかと考え、諸悪の根源であるところのあおいを頭の中で罵倒しまくっていた。

 そして恥ずかしさの余り、浜辺の熱気とは別の意味で身体が熱を持ち始めて――――。

 

 

「群像、それは何をしているんだ?」

 

 

 ――――そして、即座に冷えるのを感じた。

 すっと、身体の芯から熱が引いて行く。

 声の主はイオナだった。

 彼女はパラソルの下までやって来ると、群像が差し出したオイルのパッケージをじっと見つめた。

 

 

「オイルを塗っているんだ、肌の傷みや日焼けを抑えてくれる」

「ほう、肌の保護剤か。なるほど、後で私にも塗ってくれ」

「ああ、構わないぞ」

 

 

 その会話に、それまで高揚していた何かが冷めていく。

 

 

「ところでお前、その水着はどうしたんだ」

「ヒュウガが用意していた」

「そうか。まぁ、ちょうど良かった……のか?」

「どこか変か?」

「いや。良く似合っているよ、イオナ」

 

 

 客観的に見て、オレンジ色のモノキニの水着――ワンピースタイプだが、背中の上部が大きくカットされている――は、幼めな外見のイオナには良く似合っていた。

 悪意のある言い方をすれば、造り物めいて見える程に。

 そしてそれは、事実として造られたものだ。

 

 

 紀沙は肘を立てて起き上がろうとして、水着の上を外されていたことを思い出す。

 嘆息して拾おうとした時、横からそれを抜き取られた。

 流石に驚いて顔だけで追うと、グレーのセパレートタイプの水着――胸元に統制軍のマークが白で染め抜かれているのが、嫌味に見えて仕方ない――に身を包んだスミノがいた。

 

 

「ねぇ、艦長殿。どうして水着を脱いでいるんだい? これは海での正装なんだろう?」

「人を露出狂みたいに言うな!」

「と言うか、水着と下着の違いがボクにはわからないよ。人間はどうやって呼び分けているんだい?」

「ちょ、返して! 持っていかない!」

 

 

 スミノが立ち上がって水着をしげしげと眺めるものだから、紀沙は起き上がってそれを奪い取った。

 羞恥心が成した行為だったが、いかんせん、状態が不味かった。

 起き上がって腕を振る以上、自然、腕は上がっていることになるので。

 

 

「あー……紀沙、落ち着け。流石にそれは不味い」

「え?」

 

 

 この時、群像は人間の顔が青ざめてから紅潮するまでの最短時間を知った。

 そして正面からそれを見ることになった群像が、1番の被害者となった。

 2人のメンタルモデルは、ガラス玉のような瞳でそれを見ていたと言う。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 硫黄島の星空は、横須賀のそれとは比べ物にならない程に美しかった。

 星座を探すのも億劫になるくらいに星々が煌いていて、ずっと見ていても飽きないと思えた。

 気分がもっと良い時であれば、実際にそうして過ごしていたかもしれない。

 

 

「まぁ、元気をお出しよ艦長殿」

「…………」

 

 

 浜辺は、焚き火で煌々と照らされていた。

 いわゆるキャンプファイヤーと言う奴だろう、紀沙はこれも初体験だった。

 しかし今は、それすらも素直に喜べない。

 キャンプファイヤーの周りではしゃいでいる――どこから調達したのか、花火まで持ち出して――冬馬達ですら、今は憎らしい。

 

 

 浜辺でガン見して来たことは忘れない、全員大嫌いだ畜生。

 ただ物理的な制裁は群像以外は梓やいおりがやっていたので、これ以上しようとは思わない。

 それに、蒔絵だ。

 蒔絵は今は杏平や冬馬達と花火を振り回してはしゃいでいる、ロケット花火を人間に向けるのはどうかと思うが、元気そうに遊んでいる姿にはやはりほっとする。

 

 

「あのデザインチャイルド、どうするんだい?」

「…………」

「ボクは良くわからないけれど。キミ達にとって、振動弾頭の開発者を連れてアメリカに渡るのは不味いんじゃないのかい?」

「…………」

 

 

 刑部蒔絵、人造人間(デザインチャイルド)

 人工的な遺伝子・成長処置を施され、自然では無い形で生まれた子供。

 思考能力・身体能力が通常の人類と比べ飛躍的に高くなっており、超人と言うべき存在だった。

 しかしどれだけ言葉を飾ったところで、それは禁忌の技術だった。

 

 

 そして蒔絵は与えられた思考能力を十二分に発揮し、振動弾頭の基礎理論を完成させた。

 今、紀沙達が運ぶ振動弾頭、霧への切り札、それを造ったのはあんなにも小さな女の子だった。

 その事実は、紀沙が扱うには余りにも大き過ぎた。

 紀沙とて人類が、いや日本と言う国がそこまで綺麗な存在では無いことは理解している。

 人が人を捨てねば生きていけない今の時代、禁忌だからと手をこまねいていられない事情もわかる。

 

 

(……でも)

 

 

 でも、胸の内に広がる苦い味は隠しようも無い。

 口の中には夕食として食べているカレーの味が広がっているはずなのだが、ルーの味はほとんど感じられなかった。

 珍しく天然物のジャガイモとニンジンが入ったカレーだけに、もったいないことではある。

 

 

「ところであのデザインチャイルド、処分(ころ)すのかい?」

「ッ!」

 

 

 余りと言えば余りの言葉に、それまで無視を決め込んでいた紀沙も反応した。

 怒りの感情を込めた目で、睨みつける。

 それに困惑したのは、スミノの方だった。

 眉を潜める横顔が、焚き火の明かりに照らされる。

 

 

「どうして睨むのさ。役目を終えた道具が処分されるのは、むしろ当然だろう?」

「あの子は、道具じゃない」

「どうして? ()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 道具として生み出しておきながら、道具じゃないと言う矛盾。

 それは兵器として生まれたスミノにとっては、とても理解できるものでは無かっただろう。

 そして、人間である紀沙にも答えようの無い問いかけだった。

 

 

「……理解できないね」

 

 

 自らもカレーをスプーンの先で突つきながら、スミノは言った。

 理解できない、と。

 丸太を椅子に、キャンプファイヤーで賑わう浜辺の皆を見やりながら、舌先で言葉を転がすように。

 そして、嘆息。

 

 

 そんな2人に、影が差した。

 顔を上げると、そこにエプロン姿の群像がいた。

 何とも珍妙な格好に、毒気を抜かれてしまいそうだ。

 彼はほとんど手付かずでカレーが残っている紀沙の器を見ると、片眉を潜めた。

 

 

「食べないのか?」

「……食べる」

 

 

 昼間のことがまだ気まずく、つい返事が素っ気無いものになってしまう。

 元々、別に怒っていたわけでは無い。

 ただ恥ずかしかっただけだ、後は甘えのようなものだろう。

 まぁ、群像がこれっぽっちも気にした様子が無いのは、それはそれでアレだが。

 

 

「ああ、そうだ! ボク、キミにどうしても聞いておきたいことがあったんだよ!」

 

 

 だが、ここで意外なことが起こった。

 スミノが喜色を浮かべて、群像に目を向けたのである。

 紀沙は口を開きかけた、止めようとしたのだが、それよりも群像が「何かな」と応じるのが早かった。

 そして、スミノは言った。

 

 

 

「キミはどうして、艦長殿を連れて行かなかったんだい?」

 

 

 

 ――――浜辺から、音が消えた。

 焚き火の音さえしなくなった、と言うのは、流石に穿ち過ぎか。

 しかしそれまで騒いでいたイ401やイ404のクルー達が一斉に口を閉ざすあたり、それ程だったと言うことだろう。

 蒔絵だけは首を傾げていたが、特に声を出すことは無かった。

 

 

「キミはどうして、2年前、艦長殿を置いて出奔したんだい?」

 

 

 それは、誰もが思うことだった。

 2年前も、そして今も。

 

 

「出奔って言うのはわかるんだ、ボクや401も霧の出奔者と受け取れなくも無いからね」

 

 

 ひとりうんうんと頷くスミノの声は、むしろ能天気に思える程に明るかった。

 群像は紀沙を見た。

 紀沙は、群像を見なかった。

 俯いたその表情を、群像は窺い知ることは出来なかった。

 

 

「でも、わからないんだよ。千早群像、キミは出奔する時に海洋技術総合学院とやらの同級生を何人か連れてるよね、今のクルーのほとんどがそうなのかな?」

 

 

 2年前、群像はイオナとクルー達と共に日本を出奔した。

 それ事態は意外な程に冷静に受け止められた、父親と言う前例があったからだ。

 ただ、誰もが腑に落ちない点がひとつ。

 それは、妹である紀沙を連れて行かなかったこと。

 

 

「ボクも良くわからないけれど。普通、そう言う時はまず1番に家族に相談するものなんじゃないかな?」

 

 

 そしてそれは、誰よりも紀沙が考えていたこと。

 

 

「妹を信用していなかった? 役立たず? 足手まといだと思っていたのかな? でも学院のデータベースの成績表によると、他のクルーと比べて優れてる箇所はあっても取り立てて劣っている箇所は無いよね?」

 

 

 それは、紀沙自身が何度も考え抜いたこと。

 

 

「じゃあ、何だろう。危険だから連れて行かなかった? ああ、でもそれだと他のクルーは危険でも構わないってことなのかな? そうじゃないなら、なおさらこの理由は違うよね」

 

 

 何度も、考えた。

 自分に何か足りないものがあったのか、至らない点があったのか。

 優しさだったのか、甘さだったのか、それとも他に何かあったのか?

 兄に、千早群像と言う天才に選ばれなかった理由が。

 

 

「ねぇ、どうしてだい?」

 

 

 何度も考えた、何度も何度も考えて考えて考えて。

 それでも答えは出なかった、だから考えるのをやめた。

 ただ、信じることにした。

 兄にはきっと、何か考えがあったんだと。

 

 

 自分に何か非があるのでは無く、何か連れて行けないような事情があったんだと。

 だって、そうじゃないとおかしいじゃないか。

 あの兄が、父が出奔し母が軟禁され、2人きりで、他に頼る者も無かった兄が、そんな。

 わざわざ自分を連れて行かない理由なんて、どこにも無いじゃないかと。

 

 

「どうして、妹だけ連れて行かなかったんだい?」

 

 だから。

 

「どうして、妹だけ置いて行ったんだい?」

 

 スミノ。

 

「どうして、妹だけ置き去りにしたんだい?」

 

 余計なことを。

 

「ねぇ、今、どんな気持ち?」

 

 しないで。

 

「どんな気持ちで今、艦長殿の前に立っているのかな?」

 

 やめて。

 

「置き去りにした相手と何事も無く過ごすって言うのは、どんな気分なのかな?」

 

 やめろ。

 

「ねぇ、教えておくれよ。どうして自分が妹に恨ま」

 

 ――――!

 

 

 紀沙がスミノへと視線を流し、髪を逆立たせかけたその刹那。

 水平線の彼方から、紫色の光が飛来した。

 




最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。

最初に言っておきますが、私は後悔していない(え)
1万5千を突破した文字数が何よりも雄弁と言うね、もうね。

と言うわけで、アニメ視聴者の方は何となく流れが読めているでしょうか?
次回は、アニメで言うあのお方来襲回です。

そして容赦しない娘、スミノ。
何だか、紀沙のヤンデレポイントが着々と溜まって行っているように思えるのは、気のせいなのでしょうかね……。
その内、群像かイオナを刺しやしないかと私がヒヤヒヤしています(問題発言)
……ところで関係ない話ですが、私は闇堕ちヒロインと言うのも好きでしてね?

それでは、また次回。

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