蒼き鋼のアルペジオ―灰色の航路―   作:竜華零

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Depth013:「硫黄島」

 そこは、無数のモニターに囲まれた部屋だった。

 勘違いしてほしく無いのは、本当に()()()()()()()()部屋だと言うことだ。

 天井も床も壁も、全てがディスプレイとその枠で覆われた部屋だ。

 普通の人間が過ごすにしては、いささか狂気じみた空間だった。

 

 

「…………」

 

 

 そんな中に、異物が2つ。

 1つは割れた卵にも似た形状をした、不思議な機械だった。

 それはふわふわと宙に浮いており、少なくとも人類の科学力でこれを作ることは出来ない。

 西暦2056年になってもなお、人類は重力を無視する方法を見つけられていないのだから。

 

 

 そしてもう1つは、その不可思議な塊に腰掛けている女の存在だ。

 ふわふわとした髪質とは裏腹に、片眼鏡(モノクル)をかけた瞳はどこか冷ややかだ。

 何事をも見通しているが故に、あるいは何事もが予想の範囲内であるが故に、何かに飽いている。

 既知を親とし、退屈を友とし、結果を子とする。

 そんな顔をしていた。

 

 

「……暇ねぇ」

 

 

 そして実際、言葉にもした。

 (あで)やかとでも言おうか、しっとりとした声音だった。

 聞く者の耳に残る(しと)やかな声音は、一度聞けば耳朶(じだ)に残って離れないだろう。

 

 

「あーあ、自立稼動の工場まで作るんじゃ無かったわねぇ。工場もロボも自律しちゃったら、私が手を加える余地が無くなるっての」

 

 

 ごろり、と、奇妙な卵の上で寝転ぶ女。

 隙間から床に白衣が零れ、タイトな衣服に包まれた豊満な身体のラインが露になる。

 吐息を漏らすふっくらとした唇と相まって、酷く扇情的だった。

 そして四方のモニターの輝きが、薄暗い中で女の姿を晒す様は倒錯(とうさく)的ですらあった。

 

 

「――――ん」

 

 

 刹那の瞬間、一瞬だが、確かに女の眼が輝きを放った。

 比喩でも暗喩でも無く、物理的な現象として。

 電子の海、その一端が揺れるかのような輝きを得たのだ。

 

 

「これは、まさか。いえ、間違いないわ。これは、これは」

 

 

 そして響き渡る緊急(エマー)警報(ジェンシー)(コール)

 ある施設の内外の様子を映し出していた全てのモニターが朱に染まり、けたたましい音と共に黒と黄色の警告色を映し出した。

 明滅するそれは人の目には痛いだろうが、彼女の眼にはどうと言うことも無い。

 いや、そもそもにおいて。

 

 

「まさか……!」

 

 

 その施設はもはや、彼女にとって自分自身にも等しい場所。

 そんな存在が彼女を傷つけるはずも、傷つけられるはずも無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 実際のところ、気になってはいたのだ。

 この2年間、兄である群像がどこでどんな生活を送っていたのか。

 いや、「イ401で日本近海を巡っていたんだろう」と言う回答はこの際はナンセンスだ。

 何故ならば、どんなに適正のある人間でもずっと潜水艦で生活など出来ないからである。

 

 

 潜水艦乗りには、水上艦乗りには無い適性と言うものが求められる。

 一言で言うと、「陽の当たらない密室で不特定多数の他人と長時間過ごす」ことだ。

 いかに気心が知れていようが――軍の場合は、そもそも初対面と言うこともあり得る――長い時間を海中で共同生活をしていれば、ストレスも苛々も不満も溜まる。

 それらに対する耐性が無い限り、潜水艦乗りにはなれない。

 

 

「何と言うか……」

 

 

 それで無くとも、人間は長時間太陽の光を浴びなければ体調を崩しがちになる。

 生活面では霧の艦艇であるイ401やイ404は通常の潜水艦とは比較にならない程に充実しているから、その点では多少はマシだが、それでもやはり限界と言うものはある。

 結局、人は地面に足をつけて、太陽の下を歩いてこそなのだろう。

 

 

「これはまた、凄いね」

 

 

 横須賀から南におよそ1200キロの位置に、その島はあった。

 最大標高は約170メートル、東西8キロ、南北4キロの小さな島で、平べったい台地の端にすり鉢状の山がひとつある特徴的な島だった。

 島の中央には旧航空自衛隊の滑走路があるが、そちらは風雨と植物に侵されて使い物になりそうに無い。

 

 

 しかし重要なのは、その()()だ。

 十数隻が同時に接舷できる島内の隠しドックは横須賀のそれと比べても遜色無く、ガントリークレーンや固定アーム、コントロールセンター、物資の集積・集配設備……元は旧海上自衛隊の基地を利用していたのだろうが、見る限り、細かな様式が統制軍のそれとは明らかに違っていた。

 

 

「ようこそオレ達の本拠地(ホーム)へ。我々はキミ達を歓迎する」

 

 

 桟橋を歩き終えると、一足先に上陸していたイ401のメンバーが紀沙達を出迎えてくれた。

 立ったり座ったりと体勢は様々で、迎える表情も笑顔だったり軽快だったり仮面だったり、色々だ。

 対する紀沙達もまた、様々であり色々だ。

 しかし、違う。

 傭兵と軍人、出奔した側と残った側だ、違って当然ではある。

 

 

「ええと」

 

 

 しかし、まぁ、とりあえず。

 艦長たる紀沙としては、ここで群像を始めとするイ401のメンバーに対して言うことは1つだった。

 彼女は自信を窺わせる表情の兄に対して、ひとまず言うべきことを言った。

 ぺこりと、頭を下げながら。

 

 

「お邪魔します」

「ああ、自分の家だと思って(くつろ)いでくれ」

 

 

 そんな真面目な妹に、群像は苦笑を浮かべたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その島の名は、硫黄島と言う。

 かつては自衛隊の基地があった要塞島だが、現在は、傭兵集団・<蒼き鋼>の本拠地となっている。

 ……統制軍に属する紀沙の立場からすると不法占拠と言うことになるのだが、すでに放棄された施設であるので、とりあえず気にしないことにした。

 

 

「うおおぉ……っべー。やべぇっておい。俺、硫黄島って初めて来たわ! おい、写真撮ろうぜ写真!」

「すまないが、写真はよしてくれないか。一応、そう言う規則なんだ」

「まぁまぁ、そう言うなって艦長ちゃんの兄貴さんよ。皆で撮ろうぜ写真、記念写真的な」

「あの、ちょっと冬馬さん。冬馬さんお願いですからちょっと落ち着いて……」

 

 

 そして、実際の所。

 日本の統制軍の艦船が硫黄島に帰港したのは、実に17年ぶりのことであった。

 

 

「さて、紀沙」

「はい、兄さん」

 

 

 梓が冬馬に連続膝カックンを敢行している様を横目に、群像が紀沙に声をかけた。

 

 

「とりあえず、数日はここに停泊する予定だ。白鯨も待たなければならないし、何より404の艦体の修復にも少し時間が必要だろう」

「それは、うん……そう、だね」

「ここにはナノマテリアルの補給設備もある、侵蝕弾頭の供給も可能だ。それからクルーの部屋だが、希望があれば施設内に用意する。どうせ余っているしな」

 

 

 イ404は、U-2501との戦闘でほぼ一方的に攻撃を受けた。

 中枢へのダメージこそ避けたものの――U-2501側が避けたと言う意味もあるだろうが――艦体表層部は深刻な損傷を被っている。

 艦体を縮める等して応急措置は可能だが、根本的な解決にはナノマテリアルの補給が必要だった。

 

 

硫黄島(ここ)でナノマテリアルの補給が出来るの?」

「ああ」

 

 

 言葉少なだが、群像は肯定した。

 ナノマテリアルの補給が出来ることは有難いが、しかし疑問もある。

 そもそも、ナノマテリアルとは何なのか?

 ほとんど何もわかっていないと言うのが、実情だった。

 

 

 そもそも霧がどこから来たのか、何を目的としている者達なのかも謎のままだ。

 2年間をイ401で過ごした兄は、そのあたりのことを何か知っているのだろうか。

 実際に聞いてみようと、続けて口を開きかけて。

 

 

「紀~沙~ちゃんっ」

「わっ」

 

 

 不意に、後ろから誰かが飛びついて来た。

 衣服越しに感じる柔らかさはどこか懐かしく、紀沙は驚いた顔で相手の名を呼んだ。

 

 

「いおりさん」

「久しぶり~、ちょっと背ぇ伸びたね」

「そ、そうかな? そんなに変わって無いと思うんだけど」

「うんうん、立派になっちゃって~」

 

 

 にししと笑う悪戯っ子な笑顔は、学院時代と何も変わっていない。

 スキンシップ好きなところも変わっていないようで、後ろから紀沙の両肩に手を置いて、覗き込むようにして笑顔を見せてくれていた。

 昔も良く「やっぱり抱きつくなら女の子だよね」などと言って、紀沙や真瑠璃に抱きついていた。

 

 

「あの……?」

「え?」

「あ、紹介するね。この子は静ちゃん、401のソナーをやってくれてるの」

「ど、どうも」

 

 

 そしていおりのすぐ傍に、静が立っていた。

 ストレートの綺麗な黒髪の――紀沙にしてみれば、憧れの髪型――可愛らしい女性だった。

 静は緊張しつつも、どこか好奇心をたたえた瞳で紀沙を見つめている。

 

 

(艦長のこととか、聞きたいなぁ)

 

 

 ただ元来、人懐っこい性格と言うわけでは無く、むしろ人見知りする方だ。

 だから結局もじもじするばかりで何も言えず、いおりの苦笑を誘うばかりだった。

 一方で紀沙はと言うと、()()ソナー担当と言う所に興味があった。

 興味と言うか、思う所、か。

 

 

「僧くん、相変わらずマスクなんだね」

「体質なもので」

 

 

 ただ401のクルーとこうして再会できたのは、素直に喜ばしかった。

 静だけで無く思う所はあるが、それでも、旧友との再会は幸福だと思える。

 ……ところで杏平と冬馬が固く握手を交わしているのだが、アレは何なのだろうか。

 何か通じ合うものでもあったのだろうか、ならば別に良いが、嫌な予感がしないでも無い。

 

 

 いずれにしても、硫黄島への寄港に関して特に問題は発生していなかった。

 群像を始めイ401のクルーは紀沙に好意的だし、イ404のクルーもイ401のホームで何か無茶をすることも無いだろう。

 だから、今の所は大きな問題は無い。

 ただ……。

 

 

「はーなーせー!!」

 

 

 ただひとつ、解決不能な問題を除いては、だが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 腕を振り払われたかと思った瞬間、良治は桟橋の手すりに足をかける蒔絵の姿を捉えた。

 蒔絵はそのまま跳躍すると、空中で一回転し、次の刹那には跳び蹴りの体勢で落ちて来た。

 良治の眼が、眼鏡の奥で驚愕に見開かれる。

 彼は片腕を盾にして蒔絵の蹴りを受け止めたが、体重の乗った重さに顔を顰めた。

 

 

(わ、割と強いぞこの()……!)

 

 

 多分、そんなことを考えているんだろうなと思いつつ、紀沙はそれを見つめていた。

 すでに身体検査は済ませているので、蒔絵が隠し持っていた怪しげな薬品――筋弛緩剤や睡眠剤――は取り上げているが、あの身のこなしを見る限り、意外と武道の心得があるのかもしれない。

 と言って、医務官とは言え軍人の良治が遅れを取る程でもあるまい、その意味では心配していない。

 

 

 だが正直、複雑である。

 本来ならばどこかの部屋に軟禁しておくべきなのだろうが、それもしていない。

 相手は幼い女の子であるし、それに紀沙にとって軟禁と言う行為は出来れば避けたいものだった。

 軟禁なんて、するものでは無い。

 

 

「さて、問題はあの子だな」

「うん……」

「何か話は聞けたのか?」

「何も聞けて無いよ、「おじいさま」を探してたってことだけ」

 

 

 念のために健康診断をしたのだが、見た通り元気過ぎる程に元気だ。

 しかし心を開いてくれているわけでも無く、むしろ警戒心バリバリの状態で、それ以上のことは何も話してくれていない。

 だから、ほとんど何もわかっていないも同然だった。

 

 

 いや、本当はわかっている。

 蒔絵の情報について、自分達には知り得ないことを知っているだろう存在。

 スミノ、彼女により深く話を聞けば良いのだ。

 しかし紀沙はそれをしない、したくないのだ。

 艦長としての資質にもとる行為だとわかってはいて、それがストレスの基にもなっていた。

 

 

「…………ふぅ」

 

 

 群像も、段々とそうした紀沙の心理がわかって来たのだろう。

 聡明な彼は紀沙のスミノ――より言えば、霧への感情についても理解していた。

 そして、自分が言葉をかけるべき問題では無いことも理解していた。

 彼がもう少しだけ愚鈍であったなら、紀沙は救われていたのだろうか。

 

 

「イオナ、ちょっと良いか」

「ん、何だ群像」

 

 

 いや、ある意味で彼は愚鈍であったのかもしれない。

 それは一を聞いて十を知ることが出来る彼の、もしかしたらほとんど唯一の欠点と言えたかもしれない。

 例えば、そう。

 群像がイオナに声をかけた時、紀沙がどんな顔をしていたのか。

 彼は気付くことも、察することも出来なかったのだから。

 

 

「刑部蒔絵と言う名前で、何か気付くことは無いか?」

「オサカベマキエ? ん~……」

 

 

 瞳の虹彩を輝かせて、イオナは良治にローキックを喰らわせている蒔絵を見つめた。

 蒔絵の身体構造をスキャニングすると同時に、人類のネットワークの中から該当すると思われる情報をリストアップする。

 日本政府の国民番号リストの中には、それらしい該当者はいなかった。

 

 

 だからイオナは、名前では無く蒔絵の身体構造――特殊な脳構造――から情報を辿った。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、該当する技術を見つければ後は早い。

 素性(プロフィール)はともかく、蒔絵がどう言った存在であるのかはわかった。

 

 

「彼女は……」

「……<ゲノムデザインプラン>。その7番目の成功例、通称<デザインチャイルドナンバー7>。先端工学に特化した脳構造と身体を与えられた素体ですわ」

 

 

 イオナを遮って、涼やかな声が聞こえてきた。

 その人物は施設側からこちらへとやって来ており、明らかに紀沙や群像達と違い、最初から島にいたことがわかる。

 照明の輝きに片眼鏡がキラリと輝き、染み1つ無い白衣を翻して歩いている。

 

 

「つまりその子は、人間よりもむしろ私達に近しい存在と言えるわ」

 

 

 その女性は群像達の前までやって来ると、にこやかな笑顔と共に片眼鏡を指先で押し上げるような仕草をした。

 まるで、そうすることが当たり前と思っているかのような仕草だった。

 

 

「こんにちは艦長、遅いお戻りでした。そして初めましての方々はお初に。私は『ヒュウガ』、この硫黄島の管理を任されております」

 

 

 にこりと作り物めいた笑顔を浮かべる彼女は、自らを『ヒュウガ』と名乗った。

 ――――霧の大戦艦『ヒュウガ』、そのメンタルモデルである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 大戦艦『ヒュウガ』と言えば、霧の艦艇の中でも名の知れた存在である。

 具体的に言えば日本近海の巡航艦隊の旗艦の1隻であり、現在で言えば『コンゴウ』と同格の存在だった。

 あの『キリシマ』や『タカオ』を麾下に置いていたと言えば、凄さが伝わるだろうか。

 

 

 統制軍においては、ヒュウガと彼女の指揮する艦隊はまさに、自分達の身を締め上げる大蛇の尾であった。

 しかし彼女がこうして硫黄島にいることからわかるように、ヒュウガとその艦隊はすでに存在しない。

 イ401とそのクルーによってヒュウガが撃沈され、艦隊が解体されてしまったからだ。

 その報せがもたらされた時の統制軍の衝撃たるや、言葉に出来ないものがあった……の、だが。

 

 

「ああっ、イオナ姉様! ヒュウガは、ヒュウガは姉様のお帰りを一日千秋の想いでお待ち申し上げておりましたぁ――っ!」

 

 

 ……なんだあれ。

 何と問われれば、起きていることは明らかである。

 ヒュウガが跪いてイオナのお腹のあたりに抱きつき――メンタルモデルの外見的には、ヒュウガの方はずっと背も高く大人びている――頬をすり寄せている、イオナの衣服の中に手を差し込んでもいた。

 明らかに、親愛のハグと言うには情熱的に過ぎた。

 

 

「……兄さん、何あれ」

「ん? ああ、ヒュウガはイオナのことを気に入っているんだ」

「え、あれってそう言うことなの?」

「まぁ、確かに独特な所はあるな」

「独特……?」

 

 

 あれを果たして独特と呼んで良いのだろうか。

 今やイオナに顔を踏まれて嬌声すら上げているヒュウガだが、あんなのに海洋封鎖されていたとか思いたく無かった。

 スミノやイオナと比べても、余りにも感情表現がぶっ飛んでいる。

 

 

 そして兄である群像は、それに慣れているのか――あるいは、単純に気付いていないのか、実に鷹揚(おうよう)な態度で接しているようだが。

 正直なところ、紀沙には理解し難い存在だった。

 仮にスミノがあんな風であれば、紀沙はイ404に乗っていなかったかもしれない。

 

 

「ヒュウガ、良く島を守ってくれたな」

「ああん、姉様ぁ……んぁ? ああ、はい艦長。ご無沙汰しております。ええ、半年間特に何事も無く、ここは平和そのものでした」

 

 

 群像が声をかけると、ヒュウガはイオナに顔を踏まれたまま手を挙げた。

 やはりと言うか何と言うか、ダメージを受けたりはしていないようだった。

 

 

「早速ですまないが、イオナの整備を頼「姉様ぁっ!」「こっちじゃない、あっち」む。それから――イ404の修復と整備も同時に頼みたい」

「404……?」

「ボクだよ」

 

 

 いつの間にそこにいたのか、紀沙の隣にスミノが現れた。

 彼女はヒュウガと目を合わせると、いつも通りの笑顔を浮かべて。

 

 

「よろしく、ヒュウガ」

「――――ええ、よろしく」

 

 

 容姿だけはイオナにそっくりなメンタルモデル、スミノ。

 そんな彼女の登場に、意外か、あるいは予測通りか、ヒュウガは特に騒がなかった。

 ただイオナの靴跡を頬に残したまま、虹彩の輝く瞳を細めていた。

 その視線は、スミノから外れることが無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 そう言えば、霧の艦艇の整備風景を見るのは初めてだ。

 結局のところ、横須賀やその他での人の手による整備や補給は、霧の艦艇にとっては意味の無いものだったのだと、そう思える光景だった。

 灰色の艦体の下層部が縦に割れ、装甲を左右に広げて展開している光景。

 

 

「……余り見ないでくれないかな、流石に恥ずかしい」

 

 

 とは言え、頬を染めてそんなことを言われるとげんなりとしてしまう。

 幼めの外見の少女が恥ずかしげに顔を赤らめる姿は、それは確かに可愛らしいのかもしれないが、紀沙にしてみればそれが「スミノである」と言うだけで全てが台無しだった。

 ちなみに今何をしているのかと言うと、スミノ――いわばイ404の分解点検である。

 

 

 ヒュウガが奇妙な機械に乗って宙に浮かび、オーケストラの指揮でもするかのように両手を忙しなく動かすと、それに合わせてイ404の装甲が開き、またキラキラとした粒子が舞う。

 良く目を凝らしてみれば、同じ輝きを放つ糸のような物がヒュウガの十本の指から伸びていた。

 どうやらそれがイ404の艦体と繋がっているようだが、紀沙には良くわからなかった。

 

 

「ねぇ、兄さん」

 

 

 ここは、まるで霧の島だ。

 何処(ここ)からも其処(そこ)からも、霧の気配が濃い。

 

 

「どうして、硫黄島(ここ)にはナノマテリアルがあるの?」

 

 

 そもそも。

 

 

「ナノマテリアルって、何?」

 

 

 謎、未知の物質、霧だけが知覚できる存在。

 人類は未だにその正体はおろか、それがどこから来ているのかもわかっていない。

 

 

「まぁ、実のところを言えば、オレ達にも良くわかっていないと言うのが実情だ」

 

 

 ポケットに手を入れて立ち、イ404の点検作業を見上げながら群像が言った。

 2年と言う間を霧と共に過ごしても、霧のことはわからないことの方が多いと。

 

 

「ナノマテリアルについてわかっていることと言えば、オレ達が知るどんな物質よりも流動的かつ柔軟で、極めて代替性と汎用性が高いと言うことぐらいだ。そして……海中にしか存在しない」

「海中?」

「ああ。と言っても、同じ海中でも濃度の濃い場所薄い場所があって、海ならどこにでもあると言うわけでも無いらしいんだが……イオナ」

 

 

 そして、ああ、まただ。

 胸にちりちりとした違和感を覚えて、紀沙は兄の視線を追いかける。

 そこには当然のように、あの銀髪のメンタルモデルがいた。

 それこそ当たり前のように、群像の傍らにいつもいる。

 

 

「お前たち霧にとって、ナノマテリアルはどう言うものなんだ?」

「……うーん。こう、何と言うか、お前たち人間にとっての空気、いや血液と言った方が近いな」

「血液?」

「お前たち人間は、血液を循環させることで生命を維持しているだろう? それと同じだ」

 

 

 普段は意識することは無いが、自らの内に確かに存在する生命の源。

 失われれば動けなくなり、しかし輸血等の方法で補給すれば復調する。

 なるほど、確かに霧にとってのナノマテリアルと共通する部分もある。

 そして、もう一つ。

 

 

 霧であるイオナにすら、ナノマテリアルの由来はわからない、と言うことだ。

 何故か? では問おう。

 ――――貴方の身体に流れる血液は、どこから持ってきたものですか?

 その問いに答えられる人間が、はたしてこの世に存在するだろうか。

 群像の問い、そして紀沙の疑問は、霧にとってはそう言う類の質問なのだろう。

 

 

(……そう言えば)

 

 

 ぼんやりとイ404の点検作業を見上げながら、紀沙は思った。

 そう言えば、スミノもそう言う問いかけには「人間の言葉で説明するのは難しい」と言っていた。

 あれは、そう言う意味合いも含んでいたのかもしれない。

 

 

「何かな、艦長殿?」

 

 

 そう思って視線を向ければ、いつもの薄っぺらな笑顔。

 意味も何も無い、ただ答える気が無かったのだと、そう思えてきた。

 

 

「ボクに何か、聞きたいことでもあるのかな?」

「……何も無い。強いて言うなら静かにしていて」

「そうかい。……それは残念」

 

 

 片や、感情を押し殺したかのような声。

 もう片方は、どこかつまらなそうな、不貞腐れたような声。

 それら2つの声を耳にして、群像は妹の横顔を見つめた。

 そこに映っていた色を、はたして彼は今度こそ読み取れただろうか。

 かつて幼馴染の少女――琴乃に「人付き合いがなっちゃいない」と言われた、彼は。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 平べったく、端の山の存在が特徴的な硫黄島。

 それは数十キロ先からでも観測でき、見つけてしまえば他の島々と同様、どうと言うことも無い島に思えた。

 少なくとも、硫黄島を観測する霧の艦艇にとってはそうだった。

 

 

「あはっ☆ 着いた、着いたよぉ!」

 

 

 広大無比な灰色の海上、そこに「黄色い」と表現するに相応しい甲高い声が響き渡った。

 ()()()()()()17、8歳程度の見た目だろうか、サイドテールの赤い髪が目を引く少女だった。

 だが少女の足元には200メートルを超える鋼の艦体があり、他に人気は存在しなかった。

 まして彼女の服装は赤い金魚が染め抜かれた黒の浴衣、余りにも場違いだ。

 

 

 彼女は額に手を当てて、彼方を見るような仕草をしている。

 実際、その視界は数百キロ先にまで及ぶ。

 水平線に微かに顔を覗かせる島であろうと、彼女の眼を以ってすれば隣にいるが如くだ。

 波頭に揺れる艦体の上で、それに合わせてサイドテールが揺れた。

 

 

「でもこれ以上近付くと、ヒュウガに感知されちゃうよねぇ。なら、これ以上は近付かない方が良いかなぁ? ねぇ、どう思う?」

「『…………』」

 

 

 霧が、立ち込める。

 灰色の海面を白い靄が這い、指で白絹を撫でるかのように広がりを見せていく。

 当然のこと、それはサイドテールの彼女の周囲にも及んでいる。

 いや、そもそもの発生源が彼女――達、だ。

 

 

「…………」

 

 

 左隣、少女と良く似た艦形の艦艇がいた。

 重厚な連装砲を5基備えた重巡洋艦であり、その甲板にはやはり1人の少女が立っている。

 黒のロングヘアに、シックな白黒のエプロンドレスを身に纏った少女だ。

 蝋で固めたように表情が動かない代わりに、頭の猫耳がピコピコと動いていた。

 彼女の名はクマノ、霧の重巡洋艦『クマノ』のメンタルモデルである。

 

 

『…………』

 

 

 そして右隣、他の2艦よりやや細身で長い艦形の艦艇だ。

 霧の濃度が他の2艦よりも多く、そしてこちらにはメンタルモデルの姿は見えない。

 ()()の名は『チョウカイ』、重巡洋艦でありながらメンタルモデルを形成していない異色の霧の艦艇である。

 

 

「攻撃すれば良いって? あはっ、そうだよねぇ。でもダメだって。勝手なことするとコンゴウ様が怒るもん」

 

 

 そして浴衣の少女はスズヤ、霧の重巡洋艦『スズヤ』のメンタルモデルだ。

 彼女達3人は今スズヤが言ったように、コンゴウの命令で硫黄島に進出して来ていた。

 コンゴウは緻密な計算や戦術を好み、予定外を嫌う。

 また彼女達は兵器、命じられたこと以上をすることはそもそも好まない。

 

 

「コンゴウ様が怒ると、本気で怖いんだから。何で皆、そんな簡単なことがわからないんだろうねぇ。ヒュウガもイ401もイ404も、何で人間なんかと一緒にいるんだろうね」

 

 

 なのでそれ以上は近付かず、適度な距離を保った位置でスズヤ達は投錨した。

 霧の重巡洋艦3隻の監視と巡回、それは嵐の到来を予告するには十分なものだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 こう言うことも、九死に一生と言うのだろうか。

 横須賀沖に通じる水道、浦賀は、数隻の霧の艦艇による戦闘の爪痕を未だ残していた。

 透明な箱でも上から押し付けたかのように切り立った海水に――外から海底が見える、端から落ちる海水はまるで大瀑布――水底に覗く鋼の残骸。

 

 

 これでは、船舶の通行すらままならないだろう。

 最も、人類の船舶が水道を通ることはほぼ皆無ではあるのだが。

 そしてこの世の奈落とも言うべきそんな場所に、タカオはイ400とイ402を伴ってやって来ていた。

 目的は一つ、キリシマたち派遣艦隊との合流のためである。

 もちろん、彼女達が日本沿岸に近付くことを邪魔する者は存在しない。

 

 

「いやぁ~、死ぬかと思ったよ! あれが死の恐怖って感情なんだね!」

「実際、かなり危なかった」

 

 

 欠片も恐怖を感じていない顔でそう言うのは、マヤだった。

 艦体はイ401の超重力砲によって吹き飛んでしまい、今の彼女はメンタルモデルだけの状態である。

 どこかでナノマテリアルを補給するまでは、この状態でいるしか無い。

 ちなみに半壊したハルナの艦体をナノマテリアルに還元していなければ、メンタルモデルすら維持出来なかっただろう。

 

 

 そしてハルナもまた、キリシマの甲板上にる。

 彼女自身はマヤ程ダメージを負っているわけでは無いが、航行に支障が出ているため、ナノマテリアルを回収してキリシマに積み込んでいた。

 敗戦処理と言えば、まだ聞こえは良いのだろうか。

 

 

「すまないな、わざわざ」

「……いえ、私達はついて来ただけなので」

 

 

 400の知る限り、キリシマは我が強く直情的な傾向がある。

 そのキリシマが会うなりそんなことを言うものだから、率直に言って驚いた。

 良く言って、妙に素直な様子だった。

 メンタルモデルを得て少なくない時間を過ごした今、キリシマは400の知らない何かを得たのかもしれない。

 

 

「ナノマテリアルの回収は済んだのか?」

「まぁな、時間だけはあったからな。ただ、おい、あれはいったいどうしたんだ?」

 

 

 402の問いかけには鷹揚に返した。

 しかし、その後でキリシマは別の方を見た。

 そこにはさっきまでマヤがいたはずなのだが、今は姿が見えない。

 

 

 何故、姿が消えたのだろう。

 その疑問はすぐに氷解した、マヤは甲板から消えたわけではなかった。

 こともあろうに、彼女は押し倒されていたのだ。

 マヤを押し倒した人物、それは――――。

 

 

「マヤぁっ! アンタ何て姿に。でも無事……じゃないけど、とにかく無事で良かったぁ!」

「え、えええぇ? た、タカオお姉ちゃん何? 何で!? どうしたの!?」

「どうしたじゃないわよ、バカ! 心配したんだからね!」

 

 

 タカオだった。

 彼女は無事なマヤの姿を認めるや否や突撃――もといハグをして、勢い余って押し倒してしまったのである。

 一方のマヤはと言えば、尻餅をついた体勢で目を白黒させながら、腕の中でわんわん泣くタカオを見ていた。

 

 

「……いや、本当になんだよアレは。本当にタカオか? あんな奴だったか?」

「それが、ここに来る途中で何か妙なプログラムをインストールしてからあんな調子でな」

「変なプログラム?」

「ええ、何と言いましたか、確か……」

「ああ、マヤ。無事で良かったああぁっ!」

「う、うええええぇぇ?」

 

 

 小首を傾げて、400は言った。

 背景では未だタカオがマヤを抱き締めていて、そして自身は402と手を繋いだままで。

 

 

 

 

「――――シスコンプラグイン、とか」

 




投稿キャラクター:

カイン大佐様:スズヤ(霧)
haki様:クマノ(霧)
ゲオザーグ様:チョウカイ(霧)

有難うございます。


最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
つまり今回から、タカオは私の代弁者となるわけです(え)
シスコンプラグインの恐ろしさを見せてくれるわ~。

と言うわけで、次回こそ水着回です。
よーし、やるぞー(ふんす)


P.S.
単行本12巻を読みました。
やっべーかっけー、と言うわけで遅くとも来月には原作に追いつくと思います。
そこからが勝負ですね!

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