――――少しだけ、時間を遡る。
それは、軌道エレベータのエレベータ・ルームで起きていたことだ。
「いやいや、ちょっと待ちなよって。無理だって!」
工作艦『アカシ』が、両手をぶんぶんと振りながら怒鳴った。
その『アカシ』の制止を無視してエレベータの軌道に触っているのは、『タカオ』だった。
宇宙に上がるためのカーゴはすでに存在しない、その上、軌道も途中で折れ曲がってしまっている。
はっきり言えば、軌道エレベータとしての機能を喪失していた。
それを、『タカオ』はどうにかしようとしているのだった。
『アカシ』からすれば、正気の沙汰では無い。
平時であればともかく、戦時に軌道エレベータを起動させることがいかに難しいか。
しかも再起動させれば、今は動きを止めている
「ちょっと、『タカオ』!」
「うるっさいわねぇ。私は上に行かないといけないのよ!」
そうやって揉めている2人を、『キリシマ』達が遠巻きに見ていた。
彼女達は『タカオ』に引っ張られる形でここまでやって来たのだが、流石にこれは無理だろうと思っていた。
一方で、無理と言われることを無茶で通すのが『タカオ』だと言うことも知っていた。
そして、結局は自分達が付き合わされるのだと言うことも。
「……で。実際、どうにもならないわけ?」
『キリシマ』が声をかけたのは、『ビスマルク』妹だった。
『タカオ』達がここにやって来た時から、ずっと上を見上げている。
まるで地上から宇宙の出来事を見守っているかのように、その姿勢で不動だった。
いったい何を見ているのか、同じ大戦艦であるはずの『キリシマ』にもわからなかった。
「仕方ない」
その『ビスマルク』が、嘆息した。
何かを諦めたかのような吐息が、『キリシマ』の耳朶を打った。
「重巡『タカオ』」
『アカシ』と揉めていた『タカオ』が、『ビスマルク』の方を向いた。
何よ、と言いたげな顔は、人によっては噴き出してしまうだろう。
『ビスマルク』はそう言うタイプでは無いので、幸い『タカオ』が怒り出すということは無かった。
「私の命を、貴女に預ける」
そして、『ビスマルク』の言葉に訝し気な表情を浮かべた。
『ビスマルク』は、もう一度嘆息した。
掌で、腰から下げた懐中時計を撫でている。
「急いで。千早群像には……千早兄妹には、貴女の助けがいる」
そこまで言われて、『タカオ』はふんと鼻で笑った。
当たり前でしょ、と言いたげな顔に、やはり『ビスマルク』は嘆息した。
◆ ◆ ◆
と言うようなことがあって、『タカオ』は軌道エレベータを上がって来たのだった。
より正確に言うのであれば、軌道エレベータを「艦体」に見立てて、『ビスマルク』のコアを軌道エレベータのシステムに直結したのだ。
大戦艦『ビスマルク』と演算力を、そのまま軌道エレベータの一時的な修復と使用に使った。
一方で、『タカオ』も無傷では無かった。
厳密には『タカオ』艦隊だが、カーゴ無しの生身で――もちろん、クラインフィールドの守護はあるが――打ち上げられる羽目になった。
それに何とか耐えられたのは、ひとえに『タカオ』が手にしている
「私には、責任がある」
何故そこまで、と問われれば、『タカオ』はそう答える。
責任がある、千早夫妻――翔像と沙保里に託されたと言う責任だ。
千早兄妹を
『タカオ』はそう誓約した、誓いを交わした相手が約定を違えない限り『タカオ』はそれを守る。
交わした相手はもういない、だからこの誓約はもはや永遠のものだった。
「アンタ達はどうするの?」
群像と、ついでにゾルダンとコトノに対してそう言った。
総じて、饒舌な人物では無い。
そして、ここ一番で長考しるタイプでも無かった。
答えたのは、群像だった。
「あの時……イオナは言っていたよ、言葉じゃなく目で」
イオナが消えた時、正直に言えば、群像は自分の足元が崩れていくかのような衝撃を受けていた。
一歩間違えれば、立ち上がれなくなっていただろう。
今は、クルー達も傍にいない。
だがイオナの目は、群像にそれを許さなかった。
ナノマテリアルの粒子となって消える直前まで、イオナの目は群像を見つめていた。
その目に押されて、群像は思わず立ち上がってしまった。
立ち上がってしまえば、後は歩くしか無いとわかっていたのだろう。
「私は別に、自分の艦がやられたからと言ってどうとも思わんな」
対してゾルダンは、自分の艦への愛着は無いと言った。
ただ……。
「だが、あの
千早翔像、ゾルダンもまたその名の下にいた。
千早兄妹を世に送り出し、ゾルダンを、そして『タカオ』にここに立たせている。
千早夫妻が世界に、歴史に与えた影響は、人類最大と言えるかもしれない。
あの2人がいなければ、世界は今日にも滅んでいた。
「まったく。どうして男の子ってそんな大仰な言い方が好きなのかな」
呆れて降りてきたのは、コトノだ。
彼女は両掌を上にしていた、そしてその掌に左右それぞれ1つずつ、『タカオ』が持っているものに似た輝きがあった。
妖精のようにひらりと現れたのは、『ヒュウガ』と『イセ』だった。
コトノが何をするつもりなのかを理解して、群像は頷いた。
「他の皆は……」
「大丈夫よ、あの子達が面倒を見てる」
「あの子達?」
「そう」
群像が疑問符を浮かべると、『タカオ』は得意そうな顔をして言った。
「
◆ ◆ ◆
この段階に至れば、もう隠す必要が無かった。
冬馬は、それはそれはもうペラペラと喋った。
まさに立石に水とはこのことで、包み隠さず余すところ無くと言った風だった。
「あんた達を排除しようとしたわけじゃない。ただ、邪魔をしてほしく無かっただけだ」
「邪魔?」
「おたくらの艦長がうちの艦長の作戦を知ってたら、止めに入るだろうってわかってたからさ」
格好をつけて話してはいるが、およそ冬馬の姿は格好良くは無かった。
身体に縄を巻かれていて、座らされている状態だった。
それでも
「あたしらは、一時的にアンタ達を止めてくれと命じられていたんだよ」
梓がそう言うと、猫の子のようにロムアルドの首根っこを持ち上げている――そうでもしないと大人しくならなかった、欧州の少年兵は侮れない――『アタゴ』が、わからないと言う顔をした。
確かに、わかりにくいかもしれない。
梓達の目的が排除では無く、いわば抑制だったのだから。
かち、と、拳銃は未だ梓の手の中で音を立てている。
正面の『アタゴ』だけでなく、横で気絶している――梓がやったわけでは無く、急に重力が発生して頭を打ち、脳震盪を起こして気絶しただけだ――杏平を解放している『マヤ』をも警戒している。
その上で、紀沙の作戦の全てを説明していた。
「そんな命令に、何の意味が……?」
「僕達も最初は反対しましたよ。危険だと。けれど、押し切られましてね」
恋もまた、僧を解放しながら話をしていた。
傍には『ヴァンパイア』のメンタルモデルがいて、『レパルス』は部屋の隅で恐る恐る様子を窺っている。
先を促す僧に、恋は実際にその通りにした。
「艦長はあれを……『アドミラリティ・コード』を手に入れた経験から、その方法を思いついたのだそうです」
手に入れたと言うより、受け入れたと言った方が良いのだろうか。
とにかく『アドミラリティ・コード』に触れた紀沙は、
人間の霧化が可能ならば、人間の
「そんなことが、出来るわけないじゃない」
「艦長は、やる気満々だったわ~……」
あおいは、上の衣服を脱いでいた。
座り込んで背中を晒している相手は『ハルナ』で、彼女は掌からナノマテリアルの光を発しながら、治療を施しているようだった。
蒔絵が心配そうな顔をしていて、あおいは「大丈夫よ」と微笑んで見せた。
いおりは、どうすれば良いのかわからないと言う顔をしている。
あおいは、いおりにも微笑んで見せた。
静菜と『キリシマ』が、その様子を見守っている。
「艦長は
と言うより、無理だ。
いくら群像やゾルダンが戦術の天才でも、どうにもならないものはならない。
だからこその、紀沙なのだ。
『アドミラリティ・コード』の力のほとんどを得ている紀沙ならば、あるいは、と。
「そして、そうなったのね……」
賭けだったと、そう思う、大きな大きな賭けだ。
そしてその賭けには勝ったのか。
それとも、負けたのか。
それはまだ、わからないのだった。
◆ ◆ ◆
スミノは、想う。
他の者達にとっては賭けであったかもしれない。
だがスミノにとっては、こんなものは賭けでも何でも無かった。
当たり前なのだ。
「艦長殿の霧への憎しみを、みんな軽く考えすぎだよね」
新たに建造したイ404。
その発令所の中で、スミノは膝をついていた。
艦長の指揮シートに座る紀沙の手に、自分の手を置いていた。
紀沙は目を閉じて、ぴくりとも動かなかった。
イ404は、衛星軌道上を進んでいた。
どこを目指しているのかと言えば、
つまり、地球に喰い付いている触腕の胴体部分である。
そこに、一際強い反応があると――コアの反応があると、紀沙が言った。
「ボクにはわかっていたよ。たとえ誰であっても、艦長殿を食べ尽くせやしないって」
紀沙は、と言うより紀沙とスミノは、信じたのだ。
何を奪われたとしても、紀沙の憎悪だけは消えないと信じたのだ。
紀沙は自身の憎しみの強さを信じた、スミノは紀沙の憎悪の深さを信じた。
嗚呼、と、スミノは手の甲に頬を寄せた。
紀沙の手に、頬を寄せたような格好になった。
「今の艦長殿は、世界で一番純粋な存在だよ」
憎悪と言う毒だけが、残った。
他のものは消えてしまった。
毒の少女。
それは、確かにスミノの言う通り、世界で最も純粋な存在であったかもしれない。
そしてその毒は今、
けれど、その先は?
毒を以て毒を制したとして、残った強毒は何を成すと言うのだろう。
今の段階では、それはわからない。
ただ1つだけわかっているとすれば、
「その時は」
うっとりとした声音で、眠るように目を閉じて、スミノは言った。
まるで、女神に縋りつく信者のような姿だった。
そしてその表現は、あながち外れてもいないように思えた。
「その時は、まず最初にボクを
愛でも囁くような声音で、死を
それは何とも倒錯的で、紀沙に対するスミノの姿勢を示してもいた。
つまりスミノは、紀沙の憎悪をこそ望んでいるのだ。
紀沙の純粋な、霧への憎しみこそを愛していたのだった。
◆ ◆ ◆
賭けに勝ったにせよ、負けたにせよ。
紀沙の結果を待つだけと言うのは、出来ない相談だった。
「私が千早翔像に託されたこれは、最後のひとかけらなのよ」
『イセ』と『ヒュウガ』を核として、翔像――『ムサシ』が遺した『アドミラリティ・コード』のひとかけらを触媒に。
そして『タカオ』を始めとする多くの霧の演算力を用いて。
さらに超戦艦『ヤマト』を継いだ『コトノ』を、中枢メンタルモデルとして。
『タカオ』の手の中の『アドミラリティ・コード』が、第2ステーションの残されたドック跡で淡く輝いている。
第2ステーションに残されたナノマテリアルを集めて――つまり、第2ステーションの構成体が減るため、著しい勢いで機能が失われていく――1隻の艦の姿をとっていく。
それは、戦艦級や重巡級よりも遥かに大きな艦形をしていた。
「伝え聞くところでは」
その様子を見つめながら、ゾルダンは言った。
「超戦艦級のモデルとなった戦艦は、実際には2隻しか建造されなかった」
「ああ、『シナノ』は空母として建造されたからな」
そして、千早紀沙の霧携帯とも言うべき第四の超戦艦『紀伊』。
「だが一説には、四番目の名前は『紀伊』では無かったとも言われている」
もはや1世紀以上も昔の話だ。
正確な記録が残っているはずも無いし、口伝ですら伝わっているかどうか怪しい。
「五番目の超戦艦、艦種――
もちろん、史実においては潜水艦なわけが無い。
五番目だって存在しない。
しかしあえて、彼はその艦を五番目の超戦艦と呼び、また矛盾するが、潜水艦と呼んだ。
最も、宇宙空間において潜る海など無いと承知の上でそう呼んだ。
「この
すなわち、
第五の超戦艦、その名は
「さて、お前達はどうする?」
群像が声をかけた先には、イ404のクルー達がいた。
流石に縄を打ってはいないが――と言うより、縄を打たれていたのは冬馬だけだったが――近くにはいない、戦友では無いからだ。
「俺達は捕虜みたいなもんだぜ」
クルーの意思を代弁するように、冬馬が言った。
肩を竦めて、ウインクまでしている。
「好きにしてくれ」
それで、決まりだった。
紀沙を追いかける、全員で。
すぐに。
◆ ◆ ◆
どうしてこんなことになってしまったのだろう、と、思う者がいる。
蒔絵だ。
ほとんど無理矢理について来た彼女は、ある意味で、最も客観的にすべてを見ることが出来ていた。
だから思うのだろう、「どうして?」と。
どうして、紀沙がひとりで行ってしまったのか。
どうして、イ401とイ404のクルーが争ったのか。
どうして今、紀沙と皆が対立しかねない状況になっているのか。
そしてその問いに答えられる者は、残念ながら、誰もいないのだった。
「なんで、こうなっちゃったのかな……」
「何がだ?」
だから、つい口を吐いて言葉が出てしまった。
それが聞こえていたのだろう、『タカオ』艦隊のメンタルモデル……『ハルナ』が、声をかけてきた。
最初、蒔絵はびっくりした顔で『ハルナ』を見上げた。
ただ『ハルナ』が静かにしていたので、すぐに落ち着きを取り戻した。
「えっと、『ハルナ』……さん?」
「さんはいらない」
「じゃあ、『ハルナ』」
「うむ。それで、何が「こうなっちゃった」なんだ?」
蒔絵は、『ハルナ』を見ていると不思議と落ち着いてくるのを感じた。
男物のコートを羽織ったこのメンタルモデルに、少なくとも蒔絵に危害を加えようと言う意思は見えなかった。
「……大好きな人達が、喧嘩しちゃってるんだ」
しばらく言葉を探して、蒔絵はそう言った。
蒔絵の立場からは、結局、そうとしか映らないからだ。
紀沙も、他の皆も、蒔絵にとっては等しく大事な者達だった。
それがどうして争わなければならないのか、蒔絵にはどうしても理解できなかった。
「喧嘩――言葉や暴力による諍い」
「うん」
「なんで、と言うことは、原因がわからないのか」
「……うん」
「原因がわからなければ、対処は難しい」
言われて、蒔絵はまた落ち込んだ。
自分に出来ることは少ないと、言われたような気がした。
「……どうすれば良いのかな」
挙句、ほとんど初めて話すような相手に相談までしている。
幸いなのは、『ハルナ』が蒔絵の話を茶化さず、真面目に聞いてくれたことだ。
少しの間、考えた後、彼女は言った。
「喧嘩の解決法――仲裁。第3者による紛争解決手段」
「仲裁?」
「別称、仲直り?」
それを言うなら仲立ちだろうと思ったが、口には出さなかった。
ちょうどその時、『尾張』の建造が終わったようだった。
蒔絵と『ハルナ』が、それぞれの仲間に呼ばれている。
その間も、蒔絵は『ハルナ』の言葉を反芻していた。
仲直りの、仲裁。
それは蒔絵の胸の中にすとんと落ちて、いつまでも消えることが無かった。
何かを考える顔をする蒔絵。
もう一度、仲間に呼ばれて、ようやく顔を上げて駆けて行った。
その時には、何かを決意する顔になっていた。
◆ ◆ ◆
ぴくり、と、紀沙の手が震えた。
紀沙の手に触れていたスミノは、それで身を起こした。
「どうしたんだい?」
紀沙の瞼が微かに震えて、目が開く。
その瞳は、霧が力を最大化した時に発現した時のように、白く輝いていた。
つまり、紀沙は常時霧の力を最大限に使用していると言うことだ。
座っていたのは、休んでいたのだろう。
紀沙が立ち上がると、正面のモニターに光が入った。
漆黒の空間と、蒼く輝く楕円の惑星。
そのどちらでもない、禍々しい物が蠢いていた。
表面を地球の色に変えて偽装しているが、間違いなく、
「なるほど。わかるよ、艦長殿。
紀沙は今、『アドミラリティ・コード』を通じて
だから
そこを目指している。
紀沙の意識はもうほとんど表に出てこないが、それでも目的を遂げようとする意思だけが、身体を動かしている。
「さて、どうしようか」
攻撃する、と言うのが第一の手だが、こちらの戦力は1隻だけだ。
いくら超戦艦『紀伊』の力を使ったとしても、
事態はもう、力のぶつかり合いでどうにかなる局面では無いのだった。
「ただ……」
正面を向いている紀沙とは反対の方向に、つまり後ろを向いて、スミノは微妙な顔をした。
これはスミノにしては珍しいことで、どこか口惜しいと言うか、苦笑と言うべきか、そんなような顔だった。
想定の一部はあったけれども、可能性は高くなかった。
そんな表現が、一番ぴったりと嵌まるかもしれない。
「ただ、力のぶつかり合いをしたい奴らもいるみたいだね。艦長殿」
紀沙からの返事は無い。
彼女はただ、正面の
それで良かった。
それ以外の些事は、スミノが面倒を見てやれば良いのだ。
「さて、どうしようか」
さっき言ったことと同じことを、違う意味で口にした。
どうしようかと言いつつ、スミノはすでに答えを出していた。
つい、と腕を動かす。
すると、発令所の各々の計器に火がともる。
俄かに、イ404の発令所が騒がしくなっていった。
◆ ◆ ◆
追撃戦、と言うことになるのだろう。
ただし、これ程に奇妙な追撃戦も無かった。
何故ならば、少なくとも開始当初は、双方に戦いの意思が無かったためである。
「紀沙と話がしたい」
『尾張』の――ほとんどイ401の発令所と同じ作りの――発令所で、群像はそう告げた。
モニターには、それも全てのモニターに映っているのは、スミノだった。
スミノの薄い笑みの貼り付いた顔は、群像の言葉に微動だにしなかった。
『艦長殿は今、とても忙しいんだ。お前達なんかに関わっている時間は無いよ』
群像も、戦う、とはっきり決めていたわけでは無かった。
そもそも、別に群像は
戦いは否定しないが、戦いを好んでいるわけでは無い。
戦える力があるのだと示すことはあっても、それは対話の前段階に過ぎない。
これまでもそうだったし、これからも、そして今もそうだ。
「聞いてくれ、スミノ」
それにしても、『尾張』のクルーも不思議なメンバーだった。
イ401とイ404、そして『U-2501』のクルーを寄せ集めた即席のメンバーだ。
そしてはっきり言って、元々のイ401のクルー以外はとても信頼できたものでは無かった。
実際、イ404のクルーは状況次第では群像に牙を剥くであろう。
「紀沙は今、自分ひとりで何もかもを片付けようとしている。だがそれは、自分自身を滅ぼす道だ」
かつて、紀沙は霧のすべてを滅ぼしたいと言った。
その中には当然、
霧に関係するすべてを、紀沙は消すつもりなのだ。
紀沙がどう言う方法を取るつもりなのか、群像には良くわかっていた。
人間が自分自身を滅ぼす方法など、たったひとつしかない。
紀沙は今、究極の自殺を選択しようとしている。
「スミノ、お前は紀沙の艦だ。だがそれだけじゃないはずだ、お前と紀沙の間には、はっきりとした形の
スミノは、紀沙の言うこと以外は聞かない。
紀沙のためにしか、動かない。
それは、群像とイオナとはまた違った形の絆から来ているはずだった。
「お前だって、紀沙を慕って……」
『慕う?』
ここで初めて、スミノの表情に変化が見られた。
一瞬、何を言われたのかわからないと言った表情。
そしてそれは、次の瞬間には別のものに変わっていた。
眉を寄せ、軽く唇を尖らせ、吐息をひとつだけこぼす……つまり。
「……ぷっ」
◆ ◆ ◆
笑った。
スミノは笑った。
笑って笑って、お腹を抱えて笑い転げた。
数十秒か数分か、笑い――嗤い続けて、ようやく立ち上がった。
あー、笑った嗤った。
「ボクは艦長殿を慕っているわけじゃないよ、千早群像」
モニターに向かって、スミノはそう言った。
そもそもスミノは霧であって、慕情や愛情とは程遠い存在だ。
そこにそう言ったものを見ると言うことは、結局は、群像が霧を――特に霧のメンタルモデルを、人間と同じものとして扱っていると言うことだった。
それはそれで、美しい話ではあった。
一つの答えではあっただろう。
だがそれは結局、問題の本質を見ていないと言うことでもあった。
人と霧が、絶対的に違う存在なのだと言うことを。
「ボクはね、艦長殿に惹かれているだけなんだ」
だってそうだろう? と、スミノは言う。
スミノは紀沙に魅せられている。
その純粋なまでの、破滅への道行きに。
『破滅……?』
「千早紀沙の道を、それ以外の何を以って表現しろと言うんだい?」
父に捨てられ、母と引き離されて、兄に裏切られて。
霧への復讐を決意して、そのために霧の力と言う汚泥の中へ身を投じることも厭わなかった。
それなのに、同じ思いだと信じていた周囲の人々は、メンタルモデルの登場によってあっさりと対話を志向し始めた。
その時の紀沙の絶望に、少しでも思い至った人間がいただろうか?
「処女雪に、黒い一雫が増えていく。ひとつひとつが滲んで、段々と全体を黒く染めていくのさ」
それでも、歩みだけは止めなかった。
歩くのをためてしまえば、汚泥の中に身を沈めるしか無い。
だから歩いた、歩き出したさ。
その先に破滅しかないと、わかっていたとしても。
誰もが諦める中、紀沙だけは諦めなかった。
霧をこの世界から消し去る、
そうでなければ、自分がこれまで歩んできた意味が無い。
絶望を耐えて堪えて、歩き続けてきた意味がなくなってしまう。
たとえ、たとえそれが。
「たとえそれが、自分自身の滅亡を意味するのだとしてもね」
スミノは、それを見つめる者でいたいのだった。
だから、それを邪魔しようと言うのであれば。
「それを止めようと言うなら、千早群像。力尽くで止めてみるしかないよ」
力を以ってして、排除してしまえ。
スミノが手を振るう、するとイ404の装甲が開き、火器が露出した。
すでに装填されていることは、イ401の側でもわかっているだろう。
だから、スミノは笑顔を浮かべて。
「
そのすべての火器が、火を噴いた。
ミサイルとレーザーが、宇宙空間を疾走した。
◆ ◆ ◆
戦闘は、突然始まった。
イ404の側から、砲火を向けてきたのである。
それはかつてない程に苛烈で、特にミサイルなど、ミサイル自身に備えられた小型ブースターで方向を変えながら進んできていた。
地球では出来ない、無重力空間であるが故の精密機動だった。
「対空!杏平、ロムアルド!」
「おっしゃ!」
「アイアイ、キャプテン」
『尾張』のクルー編成は、イ401のそれにロムアルドとフランセットを加えたものになっている。
すなわち、火器管制とソナーの人出が増えたと言うことだ。
今も2人で対空兵装を動かして、接近してくるミサイル群をひとつひとつ撃墜していった。
レーザーと実弾で、物量で叩き落したと言ったやり方だった。
だがレーザーは、撃墜と言うわけにはいかなかった。
これは回避し、あるいはクラインフィールドで受けなければならない。
この操艦は、僧がやった。
体調は万全では無い、それでも操艦は確かだった。
「こちらに背を向けたままの攻撃か」
群像の隣には、ゾルダンがいた。
指揮権を主張するようなことはしなかったが、立っているだけで群像に緊張を与えてくる。
そして実際、イ404の攻撃はゾルダンの言ったような形で行われていた。
こちらを侮っていると言うよりは、「構うな」と言う警告のようなものだった。
『気に入らないわね』
モニターの中からそう告げてきたのは、『タカオ』だった。
超戦艦『尾張』は、単一の戦艦と言うよりは複数艦の融合艦と言った方がよかった。
ちょうどイ404が追加装甲を得て『紀伊』と化すように、イ401はオプション艦との融合によって『尾張』となるのだ。
そしてそれぞれの区画に、『タカオ』艦隊のメンタルモデル達が配置されている形だ。
「気に入らないなら、どうする? 『タカオ』」
『決まっているじゃない。
群像の言葉に、『タカオ』は当然と言う風に応じた。
『尾張』の各所で、火砲に火が入っていく。
それにしてもと、群像は思った。
名古屋でぶつかった時には、まさか『タカオ』と共に戦う日が来るとは思っていなかった。
『タカオ』はイオナよりもずっと我が強いが、それだけに峻烈で、手を引かれているような頼れる部分があった。
新鮮さの中に、群像はいた。
◆ ◆ ◆
反撃の苛烈さに、スミノは舌打ちした。
イ401――『尾張』の攻撃は、スミノが先に行った攻撃よりも濃密で、また緻密であった。
スミノはレーザーで『尾張』側の操艦を制限しつつ、精密誘導ミサイルで叩こうとした。
それは一見派手だが、一方で威力を分散させているとも言えた。
対して『尾張』の攻撃は、一点に集中してきた。
それもイ404の完全な死角側、真後ろ、要するに機関部を狙ってきた。
あまりイメージが湧かないかもしれないが、霧の戦闘には「防御」が少ない。
特に霧同士の戦闘の場合、クラインフィールド以外に有効な防壁がほとんど無く、またフィールドが飽和してしまえば完全に無防備な状態になってしまう。
「航路を修正。ミサイル再装填」
だから、回避するか撃墜するかしかない。
つまり、攻撃しかない。
だがたとえ、たとえどれだけ不利になろうとも、
背を向けたまま、振り切ってくれる。
「さっきよりも密度を上げて攻撃する。根競べだよ」
モニターの中の『尾張』は巨艦だ、広大な宇宙空間で隠れられはしない。
ならば単純な殴り合いだ、根競べとはそう言う意味だ。
そして、そう言う勝負でスミノは誰かに負けるとは思っていない。
自分はイ404、何もかもに耐えてきた千早紀沙の
「
その時だった。
「……なに?」
先の反撃とは違う方向から、攻撃が来た。
それはほんの数発のミサイルに過ぎなかったので、すぐに迎撃した。
単発、かつ単調な攻撃だったので、防ぐのは難しくなかった。
だが方向が問題だった、真下からだったのである。
かと思えば、真上――つまり真逆の方向からも来た。
そちらからの攻撃も、簡単に打ち払った。
『尾張』は今も背後にいる、精密誘導とも違う。
そして散発的な攻撃に意識を向けていると、『尾張』がこちらの機関部を
「……ッ!」
ぎっ、と、メンタルモデルが奥歯を噛んだ。
『尾張』の狙いが、はっきりとわかったからだ。
「小娘に、戦術の何たるかを教えてやるとしよう」
『尾張』の発令所でゾルダンがそう言ったが、もちろんスミノの耳に届くことは無い。
ゾルダンと『U-2501』が得意とした戦術だ。
最初の反撃の際に、ステルス状態のミサイルポッドでも展開しておいたのだろう。
『尾張』には複数の霧のメンタルモデルがいるのだから、スミノのセンサーを掻い潜ることも難しくは無いはずだった。
「ピンガーを」
ピンガーを射出し、隠れている敵戦力の位置を把握する。
そして、圧倒的な火力で以って殲滅する。
イ404の、千早紀沙の破滅への歩みを止められるものか。
止めさせてなるものかと、スミノは奥歯を噛んだ。
◆ ◆ ◆
群狼戦術の恐ろしいところは、気が付いてもどうにもならないところにある。
自分の周りに敵が何人いるか?
それがわかったからと言って、対処のしようもあるはずが無かった。
「狼は群れで狩りをする」
一撃のダメージは少なくとも、攻撃されれば無視は出来ない。
振り払っても、一度体勢を整えざるを得ない。
そこを叩く。
再び、『尾張』の砲撃がイ404の機関部を穿った。
「イ404との距離、およそ3000」
「このまま距離を詰めて、航行不能に追い込むんだ」
紀沙が
そして、今のところそれは出来そうだった。
ただ問題は、その後にどうするかと言うことだ。
イ404を止めたとして、紀沙と直接対面したとして。
それで、どうなるものでも無かった。
何か決定的なことをしなければならないとして、果たして出来るのか。
群像としても、決めているわけでは無かった。
「迷うな」
不意に、ゾルダンがそう言った。
「艦長が迷えば、クルー全員が迷うことになる」
「そんなことは、言われなくてもわかっている」
「艦長!」
その時だった、僧が声を上げた。
正面を向けば、状況が変化していた。
イ404が、回頭しつつある。
こちらに横腹を見せて、悠々と、だ。
「撃沈するつもりなら、好機だ。が……」
「ああ、オレ達はイ404を撃沈したいわけじゃない」
背を向けていたイ404、あっさりと『尾張』の方を向こうとしている。
何故かは、わからない。
だが群像は、それまで感じなかった意思をイ404の動きから感じた。
つまり、スミノ以外の意思を。
「艦長殿……」
「スミノ」
千早紀沙の意思を、だ。
そして、紀沙は目覚めていた。
余りにも外が騒がし過ぎて、
相手が群像以外であれば、あるいは無視を続けたかもしれない。
バツの悪そうな顔をするスミノに、紀沙は言った。
「超重力砲を」
良いのかい、とは今さら聞かなかった。
紀沙がそれを命じるなら、スミノに否やは無かった。
「わかった」
イ404――『紀伊』の周囲に、独特な形状の追加装甲が出現する。
ナノマテリアルの圧縮体であるそれらは一つの砲塔を形成する、無数のレンズの共鳴とスパークが、宇宙空間に走った。
それは当然、『尾張』からも見えていた。
『上等じゃない』
『タカオ』は、受けて立った。
地球でも見せた、合体超重力砲である。
『タカオ』艦隊の全てのコアを直列させて、蓄積されたエネルギーを砲弾とする。
その規模と迸りは、『紀伊』のそれと比べて全く遜色が無かった。
『紀伊』、そして『尾張』が発するエネルギーは、空間を歪曲さえしている。
宇宙空間が、地球が、歪んで見える。
『尾張』はたった1つの『アドミラリティ・コード』と無数の霧の力を束ねて。
『紀伊』はほとんどの『アドミラリティ・コード』をひとりに集めて。
膨大な、巨大な力をそれぞれ相手に向けていた。
「宇宙が震える程のエネルギーが、正面からぶつかる」
『コトノ』は、すべてを見ていた。
彼女自身は『尾張』の中枢を担っていて、開戦から今まで、千早兄妹の戦いを見つめていた。
そんなコトノが、この戦いを見て想うのは。
「――――許せなかったんだね、最後まで」
それだけだった。
結局は、それがすべてだった。
許し合えと、人類の道徳は教えている。
だけど、許せなかった。
そして古の伝承は、許し合えなかった者がどうなるかを教えている。
赦しを与えることを拒んだその先、その結末はいつだって、ひとつしかない。
物語の
――――滅び、だ。
何もかもを、2つの巨大な光の衝突が打ち払ってしまった。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
この物語も、いよいよ終わりの時が近づいて参りました。
予定ではあと2話、次回の最終話と次々回のエピローグで終了します。
想定よりも半年近く伸びましたが、何とかここまで来ました。
これも皆さまのおかげです。
と言いつつ、申し訳ないのですが来週もお休みです。
次回投稿は再び2週間後、隔週投稿になってすみませんが、リアルが忙しく……。
いずれにせよ、今月で本作も終了となりますので、皆々様、もう少しだけお付き合い頂ければと思います。
それでは、また次回。