ソードアート・オンライン 〜直死が視る仮想世界〜 作:プロテインチーズ
あれから《片手剣》使いと別れた第一層迷宮区二十層に俺はいた。
俺の眼を駆使すれば最速で迷宮区をクリアする事も苦ではない。ただこの眼にも弱点はある。
それは本来、人間ならば視えない『死』が理解出来てしまう俺の脳に負担がかかるという事。
幸いにしてこの《アインクラッド》は仮想世界だ。つまり全てデータの塊だ。その『死』は多少の差はあれど全て均一なのだ。唯一、違うのは現実世界でも稼働しているプレイヤーのみ。
つまり、使いすぎると通常の攻略以上に負担がかかりすぐに疲労が溜まってしまう。
それでも俺は攻略の中で最速らしい。
迷宮区の行き止まりに辿り着いた。いや、正確には行き止まりではない。それは天井まで届きそうな巨大な扉。間違いない、これは《フロアボス》の部屋だ。
(ようやく、辿り着いた。俺の伽藍堂を埋めてくれる存在!)
俺は躊躇いなく《フロアボス》の部屋へ足を踏み入れた。
これまで戦ってきたどんな敵よりも威圧感がある。
二メートルを軽く超えた巨体は血のように赤黒く、隻眼もまた爛々と赤色に爛々と光っている。
そいつは俺を待ち受けていたかのように玉座に座っている。
確か、名前は……《イルファング・ザ・コボルドロード》
そして、その周りにいる取り巻きどもは《ルインコボルド・センチネル》だったか?
恐らく、《βテスター》達がご親切に作成してくれたガイドブックに書いてあった。ボスの欄については適当に見ていたから詳しくは覚えていない。《イルファング・ザ・コボルドロード》は取り巻きを連れ、斧と円盾を構え、突撃をしてくる。
周りの雑魚どもは魔眼がある俺にとって問題はない。すぐに着ている鎧ごと胴体を切断してやった。俺の相手はお前だけだよ。
ーーーさぁ、殺し合おう、コボルドの王よーーー
その時、攻略組トップ層であるディアベル率いるパーティーは迷宮区の攻略をしていた。そして、その作業も半ば終わりを迎えていた。
「そろそろですね。ディアベルさん」
「あぁ、迷宮区も二十層まで来ているし残るは……《フロアボス》だけだ!」
ディアベルの言葉にパーティー内の仲間に緊張が走る。《βテスター》でもある彼はそれを秘密にして攻略していた。もし、それを打ち明ければどんな反応が返ってくるか想像するだけで恐ろしかったからだ。しかし、そんな《βテスター》の彼でも一日でも早くみんなと現実に帰れるように攻略に勤しんでいた。いや、《βテスター》だからこそ。ビギナー達では出来ない事が出来る立場である自分こそ率先して攻略すべきと考えていた。
この迷宮区も攻略も自分達が最速だろう。情報通な《βテスター》達はソロも多くその速度は順調とは言い難い。
とある腕利きのプレイヤーの事が気がかりだった。彼が行った工作も効いていない。それでも自分達は前へ進むしかなかった。
「一旦、部屋を発見したら明日あたりでも攻略会議をしようと思う。みんな、それまで気を抜かないでくれ!」
そのハッパ掛けにパーティー内は再びを気合いを入れ直すのだった。
そして、彼らがそろそろ迷宮区二十層を踏破しそうになった時だった。
「おい、あれを見ろ!」
パーティー内の仲間が迷宮区の一番奥を指差した。
するとそこは巨大な扉が開いた状態の大部屋があり、そこに敵《mob》と一人のプレイヤーが戦っていたのだ。
「あれは……ボス部屋じゃねぇか! 誰が戦ってんだ!?」
迷宮区は《βテスター》と同じ作りになっている。ボス部屋の位置が同じなら恐らくあれは《フロアボス》の部屋だ。
中にいるのは《イルファング・ザ・コボルドロード》とその取り巻きの《ルインコボルド・センチネル》だった筈。
しかし、中にいるのは《イルファング・ザ・コボルドロード》とソロで戦っているプレイヤーらしき人影。
《フロアボス》の強さははっきり言って他の《mob》と比べて桁外れに強い。これが普通のMMOならばただの力試しですんだが、ここはデスケームだ。ソロで挑むなど自殺志願者のする事だ。
彼を助けるか見捨てるか。ディアベルの中でその迷いはすぐに終わる。
「彼を援護するぞ!」
パーティー内で動揺の声がする。確かにこのメンバーで《フロアボス》に挑むのはかなりきつい。いや、はっきり言って不可能と言っていい。ディアベルもその事は理解している。
「無理に倒さなくても良い! 彼が逃げれるだけの時間を稼ぐ! 彼を逃したら俺達もすぐに撤退だ!」
確かに彼を助けても利点はなく寧ろ危険を犯す事を考えればかなり損をすると言っても良い。
それに全てが損な訳ではなくここまで来る程のソロプレイヤーは間違いなく腕利きでそのお礼の報酬も少なくない額にはなるという計算もなくはない。
(元《βテスター》である事を隠している俺が精々出来る事はこれくらいだ……)
ディアベルの言葉に動揺が収まり、みんな決意が固まったようだ。仲間達にその心情を悟られないように《フロアボス》の部屋へ急いで向かった。
しかし、彼らの決意は辿り着く頃には無駄になる。
「なっ! どうなってんだ、これは……」
ディアベル達が《フロアボス》の部屋に辿り着いた時は既に遅かった。彼らはその光景を信じられないでいた。
駆けつけた時には《イルファング・ザ・コボルドロード》と対峙していた蒼い眼をした《短剣》使いのプレイヤーのHPが0になった……のではない。
寧ろその逆だ。《イルファング・ザ・コボルドロード》のHPが確認出来る距離まで近付いた時には既にレッドゾーンまで達していたのだ。それも右肘から先がなく、持っている筈の円盾もなかった。
そして、彼らが手を出すまでもなく《短剣》使いがその刃を振るい手を下した。それだけで《イルファング・ザ・コボルドロード》の上半身と下半身を二つに両断した。
そして、その一撃でHPが0になり、やがて青いポリゴン片となって虚空に消えた。
《Congratulations!》
そして、彼の勝利を宣言するシステムウィンドウが表示された。それがディアベル達が見た光景が間違いなく事実であるという証拠だ。
《短剣》使いは勝利したというのに気怠げで億劫そうに振り返った。何故かその眼は戦闘中は澄んだ蒼色であったのに今は黒色だった。その浮世離れした雰囲気を持つプレイヤーの名前は《Shiki》といった。
「……少し良いかい?」
沈黙が支配したこの部屋でディアベルが辛うじて声を発した。
「うん、何か用か?」
その高い声からは喜色が全く感じられない。
そこで初めてそのプレイヤーの顔をまじまじと見た。美少年とも美少女ともいえる中性的な顔立ちをしている。そこは先程まで死闘を繰り広げていたプレイヤーとも思えない儚さがあった。
「ここに《フロアボス》がいた筈何だが……君一人で倒したのかい?」
その質問の本質は即ち、《フロアボス》に挑んだのは複数人で、生き残ったのが目の前にいるシキというプレイヤーだけという仮説の確認だ。
「あぁ、俺一人で挑んで、一人で倒した。それが?」
億劫そうな態度から彼の言っている事は間違いなく事実だと分かった。
「もう一つ確認だが、失礼を承知で聞くよ。君は元《βテスター》かい?」
規格外の強さを持つ《フロアボス》にソロで勝利するなど元《βテスター》しかいない。最もディアベルはそんなプレイヤーなど心当たりはなかったが。
この質問に仲間達がピリピリとした雰囲気をしていた。
《βテスター》と言えば《はじまりの街》でビギナー達を見捨てたという印象が強いからだ。その事実に胸がチクリと痛むが今はそんな事を気にしてる場合ではない。
「いんや、俺はビギナーだ……そろそろ行っていいか? 第二層のアクティベートしときたいし」
さらに驚きの事実が発覚する。シキは反応を聞く前に、もう用はないと言わんばかりに《フロアボス》の部屋を後にした。
「あ、そうだ。これをやるよ」
第二層への階段を上ろうとするシキは思い出したように、振り返り何かを取り出した。それは防具らしき黒いコートだった。
「俺は防具に興味ないからな。あんた達の方が有効に使ってくれそうだし」
「……これは?」
「さっき戦ったボスのLAボーナス」
「なっ!?」
首を傾げながら防具を見る彼らのさらなる驚愕。元《βテスター》のディアベルからすればどれも強力なアイテムであるLAボーナスを無料で他のプレイヤーに渡すなど考えられないからだ。
「さ、流石にそれは……」
「良いんだよ。この何とかって防具、俺の趣味と合わないし。無理にとは言わないし、要らないなら他の奴に渡すけど」
たしかにディアベルは《フロアボス》のLAボーナスを狙っていた。その為にとあるプレイヤーへの工作をしていたのだが……
(彼はこの防具の価値が分かっているのか?)
説明を見ると、この層で手に入れられる防具では破格の性能を誇っている。
「それはこれの価値が分かった上で言っているんだね?」
「説明なら見た。あんたらもここまで来たんならそこそこ強いんだろ? だったら下手なプレイヤーに売るよりあんたらが使った方が良い」
そこに嘘偽りがなく、結局ディアベルはその話に乗ったのだった。しかし、ディアベルも年下と思われるシキから無料で受け取る訳にはいかないと、ある程度の金額を払い、買い取った形となった。
シキはごねたが、その決意が強いと分かると渋々受け取った。それでもどこかの店で売った時の本来の金額の事を考えるとかなり割安になったが。
こうして、この《ソードアート・オンライン》が開始されて、一ヶ月になろうとした頃、第一層が攻略され第二層へのアクティベートがされた。
そして、それを行ったのが、ソロプレイヤーであると全プレイヤーに爆発的に伝わった。そのニュースは人々を驚嘆させ歓喜した。
このSAOというゲームの難易度を知っているプレイヤー、特に元《βテスター》達は到底信じられなかった。
それでもほとんどの人々はゲームクリアへの希望を見出し、彼の事を《孤高の英雄》と呼んだ。