カズキ、そしてアリサの試練は終わる事はなく。
刻一刻と、近づいていた……。
「――完成だ」
闇の中で、男は視界に捉えた物体を見つつ、歪んだ笑みを浮かべる。
男の視界の前にあるのは、僅かに鼓動を繰り返す球体状の肉塊。
醜悪な見た目、けれどその肉塊は間違いなく“生きている”。
狂った笑みを浮かべながら、男はゆっくりとその肉塊を手に取り……。
――狂気に満ちた笑い声を上げながら、その肉塊を喰らい始めた。
「アリサぁ……待っていろ、すぐに私が…お前を抗神の手から救い出してやるからなぁ……」
■
唐突ではあるが、カズキは今少々困っていた。
今の所任務はなく、趣味である読書を自室で勤しんでいる彼ではあるが、今の状況はとてもじゃないが『静かに読書』といったものではない。
というのも、ベッドに腰を降ろしている彼の膝の上に、恋人であるアリサが座っているから。
強くもなく弱くもない、絶妙な力加減で抱きつきながら、アリサは先程から無言のまま。
膝に伝わる彼女の柔らかい身体の感触、鼻腔をくすぐる甘く優しい香りは、否が応でもカズキの“男”を刺激させ、彼はちっとも読書に集中できないでいた。
「……あのさ、アリサちゃん」
「はい、なんですか?」
「もしかして、暇なの? なら2人でこれからどこかに……」
「私の事は気にしないでください、カズキはカズキの好きなように過ごしてほしいですから」
「…………」
この問答も、一体何度目になるのか。
はっきり言って、気にするなという方が無理である、15歳とは思えない彼女の豊かな双丘に目を奪われ、既に彼の視界は本から遠ざかっている。
“触ってみたい”と思ってしまうのは、悲しい男の性であるのか。
しかし、カズキの鋼の精神はそんな欲求を必死で制止し、かといって彼女を自分から離れさせるという選択肢は、勿体ないと思ってしまう。
一体どうすればいいのだろう、まさしく八方塞がりな状況にカズキはなんだか泣きたくなった。
(……カズキ、困ってますね)
彼の体温や匂いを身体全体で感じながら、アリサはあからさまに困り顔を浮かべている恋人を見やる。
別に、自分の行動に対して嫌がっているわけではない、それはわかるしそもそも彼が嫌がる事をアリサは行わない。
だからこの困り顔は、きっと『手を出したいけど、出したら嫌われるかもしれないし、下手すると変態とかどん引きですとか言われそうだ』という意味合いが強いのだろう。
……まさしくその通りである、さすがと言うべきか恐ろしいと言うべきか。
だがしかし、アリサにしては……ほんの少しだけ、残念な気がしなくもない。
訂正、残念でしかなかった。
彼と恋人同士になってそれなりの月日が経っている、まあ実際は一年も経っていないのだが、少なくともアリサの乙女脳内では既に熟年のカップルなのだ。
だからこそ――彼が手を出してこないという状況は、彼女にとって不満点だったりする。
もちろん恥ずかしいという気持ちはあるし、彼女からそういった事を言うのは憚られた。
故に、カズキから誘ってほしいなぁ…とは思いつつ、アリサは積極的なアピールを行っているというわけで。
――尤も、アリサが急に積極的になった理由は、それだけではないのだが
「…………なんだか、今日は随分と積極的だね」
もう無理、限界、本を閉じベッドに投げ捨て、カズキはアリサの白銀の髪に触れつつ、彼女に問いかける。
「お嫌でした?」
「や、別に嫌ってわけじゃ……」
むしろ嬉しいです、そんな言葉がカズキの喉元までせり上がったが、どうにか我慢する。
「……私達、恋人同士になってから結構経ちますよね?」
「うん、まあ……」
「恋人同士になって、2人して任務で忙しいですけど、なるべく2人っきりの時間を作って……その、思い出とかも色々と作りました」
思い返すと、ちょっと恥ずかしいエピソードやらも存在して、アリサは顔を赤らめる。
それでも充分に幸せで、アリサとしても満足できないわけではない。
ないのだが……そろそろ、次のステップに進んでも良いのではないか、そう思うのだ。
次のステップ、その言葉が何を意味するのかを理解し、カズキの顔を赤く染まっていく。
次のステップとは、即ち……性行為。
女性が子を成すために必要であり、三大欲求である性欲を満たす為の行為だ。
カズキとて、それを考えなかったわけではない。
恋人である以上は、必ず避けては通れない道であると同時に、アリサと恋人同士になってから……いつか行ってみたいと、彼自身が思っていた事でもある。
「私、厭らしい女だと思われるかもしれませんけど、それとなくアピールをしてきました。
けど、カズキは一向に手を出してくれなくて……あ、でもそれはカズキが悪いとかそういうわけじゃないですからね!」
カズキは自分を大切にしてくれているだけ、優しい彼なのだからむしろ当然の反応である。
ただ……やはりどこか寂しいと感じてしまう辺り、やはりアリサも性行為に対して積極的である証。
「…………」
「単刀直入に訊きたいんですけど、カズキは、その……私と、セッ……セッ……」
「待った、それ以上はちょっと恥ずかしすぎるから言わないで」
顔から火が出そうなほど赤いアリサを制す、彼女を見てるとこっちまで恥ずかしくなりそうだ。
……妙な雰囲気が、辺りを包む。
2人して顔を真っ赤に染め、どうしようどうしようと考えるが……妙な雰囲気が消える事は当然なく。
「…………ごめんね、アリサちゃん」
空気を切り裂いたのは、カズキの謝罪を含んだ言葉だった。
「僕もね、考えた事が無いわけじゃなかった……君の事は好きだし大切な存在だ、いつかは……そういう事をする時が来るかもしれないと、思った時もあったよ」
自分は男で、彼女は女。
惹かれ合い、身体を求め合うのは必然ともいえる運命なのだ。
では、何故カズキはアリサの身体を求めず、我慢を重ねてきたのだろうか。
彼が意気地なしであるというのも、理由の一つに当てはまるが……割合を考えると、微々たるものだ。
好きだから、大切だからこそ、安易に手を出してはならないというのも、理由の一つ。
――しかし、彼が性行為を行わない一番の理由は別にある。
「――僕は、アラガミだから」
たった一言、けれどその一言は……彼の心中を理解するのに、充分過ぎた。
アラガミだから、人間ではないから、性行為など行えばアリサの身体にどんな影響を及ぼすのかわかったものではない。
それが恐くて……カズキはどうしても一線を越える事ができなかった。
「……カズキ」
やはり、とアリサは内心自分の予想が当たったと零す。
彼が自分を求めない理由、それをなんとなく察していたが……予想通りであった。
もちろん、アリサとて彼の気持ちはわからないでもないし、自分を大切に想っているというのもわかる。
わかる、が……それでも、自分を求めてほしいと思ってしまうのは、我が儘なのだろうか。
彼の首に両手を回し、アリサはギュッと力強く彼の身体を抱きしめる。
「大丈夫ですよ。きっと、根拠はありませんけど……大丈夫だと思います」
だから、私を求めて?
熱っぽい視線で、どこか懇願するようにアリサは言葉ではなく態度で訴える。
「アリサ、ちゃ……」
それ以上、言葉が続く事はなく……どちらからともなく口づけを交わす。
「ん…ちゅ、ちゅ……」
触れ合うだけのものではなく、互いの欲をぶつけ合うかのような貪欲な口づけ。
男としての本能が、彼女を求めていると自覚すると、カズキは止められなかった。
ずっと我慢してきた、けど彼女の想いは自分と同じものであるとわかってしまった以上、我慢などそれこそ瞬時に弾け飛ぶ。
押し倒した、それを自覚した時には既に、彼の視界はアリサの顔で埋め尽くされた。
アリサの白銀の髪がベッドに広がり、愛用の帽子はぱさり、と地面に落ちる。
「…………」
このまま、行為に励もうと思ったらもう止められない。
―――まだ早い。
―――彼女とは、生きる限りずっと共に居るのだ。
―――まだ15だぞ?
―――自分の一時の感情に、流されるな。
浮かんでは消えていく、カズキの理性が告げる言葉。
わかっている、わかっているのだ。
それでも、求めるように自分を見つめるアリサの潤んだ瞳を見てしまったら……理性や道徳など、何の意味も成さない。
顔をゆっくりと近づける、アリサもその意味を理解して瞳を閉じ……。
「おーいカズキー! 一緒にバガラリー観ねえかー?」
迷惑?何それおいしいの?とばかりに、カズキの部屋のチャイムを連打しながら、場を「これでもか、これでもか、えいえいっ!!」と言わんばかりにぶち壊したコウタの声で、2人はあと数センチといった距離で見事に石化した。
あれー、いねえのー?という呑気な声が尚も聞こえ、そこでようやくカズキは覚醒して……ピターも裸足で逃げ出す程の恐ろしい表情を浮かべた恋人に気づいた。
まさしく鬼と呼ぶに相応しい、いや……鬼の方が可愛いとまで言えるまさしく羅殺の形相。
無言でカズキは彼女から離れ、アリサはゆっくりと起き上がり、夢遊病者のような足取りで入口へと向かい、扉を開けた。
「あっ、アリサもいたのか。一緒にバガラリー観ない?」
哀れコウタ、アリサの表情に気づかず尚も脳天気な事をのたまっている。
ある意味図太いその精神に、カズキは賞賛を送りつつ友人に合掌を送った瞬間。
「ぶへぇっ!?」
パンッ、ではなくズバンッ、という割と洒落にならない音が響き、コウタの顔がブレた。
強靭なまでの遠心力と、スナップを効かせたアリサのビンタが、まったく身構えてなかったコウタの左頬に炸裂。
「がぼっ!?」
すかさず反対側の頬にもビンタを叩きつけるアリサ、ちなみに速すぎて彼には見えなかった。
その後も、アリサは無表情のままパンパンパンパン……カズキが止めるまで往復ビンタをやり続ける事となり。
マジ泣きしたコウタが、暫し「ごめんなさい……ごめんなさい…」と呟き、アリサのビンタがトラウマとなってしまったのは言うまでもない。
■
「――ほんっっっっっとに信じられませんよ、そう思いません!?」
「は、はあ……」
「なんですかその気の抜けた反応は? こっちは真面目に訊いてるんですよ!?」
「ひぃっ!?」
アリサの剣幕に、アネット涙目。
「ま、まあまあアリサさん、落ち着いて……」
「他人事だと思って軽はずみに言わないでください!!」
「ご、ごめんなさい!!」
カノンも涙目になり、その傍らに居るブレンダンはため息をつきつつ、早く帰りたいと切に願った。
現在、彼女達4人は地下街エリアにて任務の最中である。
……明らかに緊張感が抜けているが、既に討伐対象であるアラガミ達は、アリサの八つ当たりという名の殺戮によりズタボロにされた。ヴァジュにゃん涙目。
速攻で討伐が完了してしまい、回収班が来るまで待機する事になったのだが、カノン達3人は不幸にもアリサの愚痴を聞かなければならない羽目となり、現在に至る。
はっきり言って勘弁してほしい、とはいえ怒りのアリサに「愚痴なんか言うんじゃねえよ、ゴラァ」などと言えば、速攻で鉄拳が返ってくるのは目に見えていた。
カノン達3人にできる事は、ただただ彼女の怒りが収まるのを待つだけである。
「で、でも……アリサさん、急に大胆になったといいますか……」
「…………」
別に、大胆になったわけではなく、今の今までカズキに進言しなかっただけだ。
求められないのは確かに不満ではある、だが決して今の現状に満足していなかったわけではなかった。
だから、アリサは焦る事もせずゆっくり恋人同士を楽しんでいこうと思っていたのだが……。
ローザの変化により、カズキが悲しい決意を抱き……アリサは、そんな彼の決意は認めたくなかった。
まだ可能性が消えたわけではないのに、そのような決意を抱くなど悲しいではないか。
それに、このままその決意を行動に移してしまえば……間違いなく、カズキの心が壊れてしまう。
そんな事はさせない、だからアリサはどうにかしてカズキからその決意を消してやりたい。
……卑怯なやり方だ、そう思うがそれで彼が守れるなら構うものか。
無論、彼女の名誉の為に言っておくが、彼に迫ったのはそれだけではないのだが。
「……そろそろ、回収班が到着する頃だな」
ブレンダンの呟くような声に、カノンとアネットは安堵の表情を浮かべ、アリサはもう少し愚痴りたかったと文句を零す。
しかし、もうすぐカズキに会えると思考を切り替えると、アリサはすぐさま嬉しそうに綻ばせる。
僅かばかりだが、残っていた緊張感が今度こそ完全に消えてなくなり、しかし――帰還する事は叶わなかった。
「………?」
違和感、それを覚えたのはアリサただ一人、カノン達は尚も談笑を続けている。
気のせいか、一瞬そう思ったアリサであったが、一度感じたソレを見逃す事はできず、自然と身構えた。
何かが来る、だがこの感覚の形容しがたさは一体何だ?
ただ違和感、それに尽きる感覚はおよそ人間が感じ取るようなものではない。
それは即ち、アリサのアラガミ化による探知能力に他ならず、気が付けばアリサは皆に叫ぼうとして。
――耳をつんざくような雄叫びが、場に響いた。
「なっ――!?」
「なんで……!?」
驚愕が、カノン達を包み込む。
当たり前だ、突如としてヴァジュラが現れたのだ、任務の内容とはまるで違う。
身構える4人だが、更に反対側からこちらに向かってくるアラガミの存在が。
(グボログボロまで……いきなり気配を感じるなんて、どうなってるの!?)
まるで地面から生えたかのように、アラガミが突然現れるなど明らかにおかしい。
異常な状況、だがそれに対し驚きだけを見せている場合ではなかった。
――ヴァジュラとグボログボロ、相手はそれだけではないのだから。
アリサの探知能力が、この2体以外のアラガミの気配を感じ取り、冷たい汗が頬を伝う。
このままでは押し切られ全滅する、しかもカノン達ではこちらに近づいているアラガミの場所を探知できない。
迷いは一瞬、何をすべきか覚悟を決めて、アリサは駆け出す。
「アリサさん!?」
「まだこっちに近づいてきてるアラガミが居ます、私はそっちを対応しますので皆さんはこのアラガミ達をお願いします!!」
「そっちを対応するって……くっ!?」
慌ててアリサを追おうとするカノン達だったが、襲いかかってきたヴァジュラ達に阻まれ、強引に戦闘状態へ。
とにかく倒さねば、アリサの無事を祈りながら、カノン達は迫るアラガミ達に狙いを定めた。
■
「はぁ……はぁ、はぁ……はぁ……」
荒い息を繰り返しながら、アリサは右手でしっかりと神機を握りしめながらも、瓦礫に背を向け座り込む。
周りの熱で瓦礫の温度も上がっているが、今の彼女にそれを気にする余裕は無かった。
――アリサの周りには、彼女を囲むように倒れているアラガミの死骸の群れがある。
ヴァジュラ、グボログボロ、ボルグ・カムラン、セクメト。
いずれも大型アラガミばかり、カノン達の元に向かわせない為にアリサはたった1人で相手をし、そして勝利した。
類い希なる才能と、努力の末に勝ち取った戦闘技術を存分に生かしながらも、やはり無傷で終わらせる事は叶わなかった。
愛用の帽子は見るも無惨に破け落ち、腕やわき腹などからは血が流れ、息は荒く数ヶ所血を乱暴に拭った跡がある。
見るからに痛々しい、恋人のカズキが見たら間違いなく鬼気迫る表情で心配される程だ。
だがそれでも彼女は生きているし、意識とてはっきりしている。
むしろ、これだけのアラガミをたった1人で相手をして、生きている事態普通ならば奇跡に等しい。
……その奇跡は、無論彼女が優秀なゴッドイーターだから、という理由だけではなかった。
「――――、ぁ」
アラガミの死骸をふと視界に捉えるアリサ、その表情は……まるで出来の良い細工のように、無機質なもの。
――彼女は気づいていない、自らの瞳が赤く染まっている事に。
彼女は理解できていない、アラガミの死骸を……豪勢な食事として見ている事に。
立ち上がり、死骸に近づいて神機を振り下ろす、肉の一部が彼女の足元に落ちた。
それを、のろのろとした動きで掴み上げて――口を開き、咀嚼する。
生臭い、けれど決して不快ではないとアリサは思い、何十回という咀嚼を繰り返した後……ごくりと喉を鳴らしながら呑み込んだ。
刹那、彼女のオラクル細胞が僅かながらも活性化を果たし、それと同時にアリサは自らの行いに自嘲した。
アラガミ化が進んでいると言われた日から、いつかはこんな日が来るとわかってはいたものの、実際にこのような行為に走ると恐怖を抱くより笑えてくる。
口内に残った血が、つー…と顎へと伝い、ぽたりと地面に落ちた。
しかし、アリサにとってそんな事はどうでもよく、人間では無くなった自分自身に対しため息を零していた。
まあ仕方ない、こうなってしまった以上、カズキのようにアラガミと生きるとしよう。
瞬時に頭を切り替えるアリサ、ショックではあったものの、すっかり図太くなった彼女の精神は悩む事と悲観する事を中断。
……それが良いのか悪いのか、彼女自身も判断がつかないが、悩むよりはマシだろうと自分を納得させる。
さて帰ろう、少し楽になった身体で、アリサはその場から離れようとして。
「アリサ」
背後から、少ししわがれた中年男の声で名を呼ばれ、ぴたりと立ち止まった。
「…………」
一瞬、その声に驚きを見せ、すぐさま納得したように小さく頷きを見せるアリサ。
……いつか、あの人が再び自分の前に現れるかもしれないと思っていた。
死体は発見されていないし、身柄も確保されていないのならば……どこかで生きていて、自分の前に現れると。
尤も、アリサにとって後ろに居る人物との再会は欠片もしたくなかったものの、きちんと決着を着けなければならないと己に言い聞かせ、振り向いた。
「……まだ、生きていたんですか」
視界の先に見えたのは、予想通り……あの男。
絶対零度の冷たい瞳を向けながら、アリサは自分にとって因縁の相手である男の名を呼んだ。
「――――オオグルマ」
To Be Continued...