彼女の運命は変えられず、そして結末も……変える事はできない。
アラガミが、地に伏せる。
血溜まりを生み出しながら、プリティヴィ・マータがその生命活動を停止した。
「終わりましたね、カズキ」
刀身に付着した血を振るい落としながら、アリサはカズキへと声を掛ける。
「アリサちゃん、どこか身体に違和感とかない?」
「大丈夫ですよ、むしろ調子がいいくらいなんですから」
「本当に?」
「本当ですってば」
そう答えつつ、アリサはつい苦笑を浮かべてしまう。
彼は優しいから、ちょっと心配性なくらい自分の事を心配してしまうのだ。
しかし無論アリサは不快だとは思わない、恋人が心配してくれているのだから、逆に嬉しいと思っている。
……だが、今回ばかりは彼の心配性な部分も決して大袈裟なものではなかった。
その理由を理解するには、話をエイジスでのアルダノーヴァとの戦いの後まで遡らなければならない。
アリサの瞳の変化を見て、カズキは半ば強引にサカキによる精密検査を受けさせたのだが……。
「――アラガミ化が進んでるね」
サカキの第一声は、カズキにとってあってほしくないと思っていた内容と、同じものだった。
「……博士、どういう事だ?」
驚愕しつつも、同席していたツバキが厳しい口調でサカキを問いただす。
だが普段の食えない笑みを浮かべながら、サカキはまるで世間話をするように、ツバキの問いに答えた。
「言葉通りの意味さ、アリサ君の身体はアラガミ化が進んでいる。
カズキ君のような完全なアラガミには程遠いが、身体のごく一部にとあるアラガミとよく似た反応を見せていたんだ。
今回、カズキ君から報告を受けた瞳の件や身体能力の向上も、アラガミ化が進んでいるからこその恩恵だろうね」
実に興味深いと、サカキはあくまでいつもの調子を崩さない。
「だが、何故……」
「おそらく、アナグラにアラガミが侵入した事件の際だろう。
アリサ君は不完全な自分の神機を使用した、その時に神機の偏食因子が彼女の腕輪を通して侵食してしまったんだろうねぇ。
けど本来なら偏食因子の捕食によって、アリサ君はアラガミになっていたはずなんだけど……新型故なのかな、見事に適合してしまっている」
カズキに続いて二人目の奇跡だ、生粋の研究バカであるサカキにとって、喜ばない道理はない。
「博士、喜んでる場合か! アリサは一体どうなるのですか?」
「現状ではまだなんとも言えないね、わかってるとは思うけどこんなケースは世界中探しても例がない。
カズキ君のように、完全にアラガミ化を果たしながら人としての自我を残すか、それともアラガミになってしまうか…………いやすまない、軽率な発言を許してくれ」
「…………いえ」
どこか、こうなっていたと思っていたからか、カズキの中でその事実はあまり驚きに値しない。
だが、この先どうなるかわからないという不安が、彼の心を確実に蝕んでいく。
大切な彼女の最悪な未来、それを想像しただけで叫んでしまいそうだ。
「…………」
一方、アリサもカズキと同じように、サカキの言葉にさほどショックを受けていなかった。
そもそも、彼女の神機にはヴァルキリーの一部が埋め込まれているし、何度か感応現象でアラガミであるローザと話しているのだ、自分が普通の状態ではないという自覚は一応している。
それに、自分が人としての意思を失わずに居られるのは、ヴァルキリー……ローザが力を貸してくれているような、そんな気がするのだ。
だから恐くはなかったし、なにより……カズキが隣に居れば問題ないと思っている。
「……とにかく、この事は誰にも言うな。わかったな?」
『わかりました』
――これが、カズキがいつも以上にアリサを心配するに至った経緯である。
「カズキ、心配してくれるのは嬉しいですけど、ちょっと心配し過ぎですよ」
「心配するのは当たり前だよ、この先どうなるかわからないのに……」
「わからない事をあれこれ考えても、しょうがないないですよ」
「そんな楽観的な……」
「私がこんな風に思えるのは、たとえ何があってもカズキが私を助けてくれると信じているからですよ」
「…………」
ずるい、とカズキは思う。
心の底から信じ切った瞳で、そんな事を言われたら……何も言えなくなってしまうではないか。
でも、彼女の言い分の方が正しいかもしれない。
もちろん楽観的には考えられない、けど現状では何もできないなら……。
何があっても彼女を守り助ける、その誓いを破らないように決意するだけだ。
「前の私なら、きっと発狂してたでしょうね。両親の仇であるアラガミに自分がなっているなんてわかったら。
でも、今の私は1人じゃないから……カズキが居てくれるから、ちっとも不安じゃないんです」
アリサは微笑む、その表情には言葉通り微塵の不安も感じられない。
絶対の信頼を自分に抱いてくれている、それを理解してカズキは顔を逸らし頬を掻いた。
「カズキ、どうして視線を逸らしたんですかぁ?」
「……なんでもない」
「なんでもないなら、どうして顔を赤くしてるんですかねー♪」
「……アリサちゃん、わかってて言ってるでしょ?」
軽く睨むが、アリサはくすくすと悪戯っぽい笑みを浮かべるのみ。
「こーら」
「きゃー」
左腕でアリサを捕まえ、抱き寄せるカズキ。
やがて2人は顔を見合わせ、お互いに笑みを浮かべ合った。
「そろそろ、帰りますか?」
「そうだね、そろそろ――――っ!!?」
背後に反射的な勢いで神機を振るう。
刹那、重い衝撃と共に甲高い金属音が辺りに響いた。
「えっ――」
アリサは一瞬呆け、カズキは右腕が痺れる感覚を味わいながら、瞬時に思考を戦闘用に。
「っ、が――――っ!!?」
脇腹に、大砲でも撃ち込まれたかのような衝撃が走り、カズキは吐血しながらまるで矢のように吹き飛んだ。
「っ、――――!」
そこでようやくアリサも動く、一秒にも満たない時間で全力の斬り上げを行い――その一撃は空を切る。
だが、その隙にアリサは地面に倒れたカズキの元へ。
彼に駆け寄った時には、カズキは咳き込みながらも立ち上がり……。
「なっ!!?」
「えっ!!?」
自分達を襲った相手を見て、目を見開きながら驚愕した。
『――ローザ!!?』
2人の声が重なる。
そう、カズキとアリサに突如として襲いかかった存在は。
ヴァルキリーと呼ばれるアラガミであり……そしてカズキの生き別れた義妹のローザであった。
「ど、どうして……」
痛みも忘れ、カズキはただただ驚く事しかできない。
あのアラガミはローザだ、自分の義妹であり……ノヴァと共に消えゆく運命だった自分を救ってくれた、家族だ。
だというのに、何故彼女が自分達に殺気を向けているのか。
先程の一撃、武器である槍による投擲は微塵の躊躇いのない本気の一撃だった。
更に今も、弾かれた武器を拾いつつ……彼女は自分達に対して明確な敵意を見せている。
否、正確には敵意ではなく……捕食欲求。
ローザは、カズキ達を「喰らうべき対象」として見ているのだ――!
「ローザ、どうし――」
カズキの言葉は、途中で中断させられた。
ローザが地を蹴り、一息で彼等との間合いをゼロにして、神速の一撃を放つ。
「っ、は――――!」
斬り上げて弾く。
それを理解した時には、既に二撃目が放たれていた。
「く、は、ぐぅ……――!!」
突き、薙ぎ払い、振り下ろし。
まるで、それぞれの一撃を同時に放っているかのように、ローザの槍はただ速かった。
躊躇えば殺される、それを理解したカズキは本気でローザと対峙する。
「く、は、あ――――っ!!!」
しかし、圧されているのはカズキの方であった。
剣と槍、元々両者の間合いには決定的に違いがあり、かつカズキが殺す気で戦えない事もあって防戦一方。
……アリサも加勢に入りたいのだが、両者の攻防が凄まじく迂闊に仕掛けられない。
それになにより、アリサにはまだ信じられなかった。
何故ヴァルキリーが、ローザがカズキを殺そうとしているのか。
「く……っ!!」
ダメだ、これ以上は保たない。
ローザの攻撃に、もはや防戦すらできないとカズキは判断。
――故に、彼は反撃に移る。
彼の首を貫かんと放たれる神速の突き、それを……カズキは顔を横にずらしながら左手を槍の軌道に合わせる。
「っ――――!」
左手に走る激痛と、耳に響く肉が裂かれた音にカズキは顔をしかめながらも。
貫かれたままの左手で槍を掴み、それと同時に右手で神機を振り上げる。
まさしく肉を切らして骨を断つ捨て身の戦法、しかし槍の軌道を把握しきれない現状では、これ以外の方法が思いつかなかった。
(とった……!)
武器の槍は、自分の左手を貫いたまま、更には掴んでいるので引き抜く事もできない。
手加減して止められる相手ではない、だからカズキは右腕の全パワーを用いてローザの身体を砕こうと――
「っっっ、ぐ、ぶ……!?」
困惑と激痛、しかしその痛みは左手からのものではなく……腹部から。
ローザの蹴りがカズキに突き刺さり、おもわず左手で掴んでいた槍を放してしまい、更に攻撃も中断してしまう。
その間に、ローザはカズキの左手から槍を引き抜く、彼の鮮血を浴びながら間合いを詰め。
「っ、っ……!?」
隙だらけの彼の腹部を、その槍で貫きながら……壁へと磔てしまった。
「ぐ、ぁ……あぁぁぁぁっ!!!」
腹部に風穴を開けられ、いまだかつてない激痛にカズキは叫ぶ。
だが抜けない、ローザが尚も深くその槍をカズキに突き刺していくから。
「――――」
殺される。
このままでは、カズキが殺される。
腹部から血を流し、苦しんでいるカズキを見て。
――アリサの中で、育ってはならないものが育ってしまった。
「――――、ア」
許さない。
許さない、絶対に。
カズキを傷つけた、その報いは……受けてもらう!!
「あ――ああああああああああああああああああっ!!!」
およそ人間が放つ声ではない叫びを放ちながら、アリサは一息でローザへと間合いを詰め。
「うぁぁぁうっ!!!」
ゴギッ、という鈍い音を響かせ、ローザの身体を左足で文字通り“蹴り砕いた”。
「ぐ、ぅ……!」
ローザが槍から離れた、その隙にカズキは自らの身体を貫いている槍を抜き取る。
「ああああああああああああああああああ!!!」
またも叫び、アリサは地面を削りながら吹き飛んでいくローザへと向かい。
「ああぁぁっ!!!」
右足で蹴り上げ、同時に神機を振るい……ローザの左腕を斬り飛ばした。
「――――」
その姿を見て、カズキは心の底から戦慄する。
あのアリサが、自らの恋人がまるで獣のように吼え、一切の躊躇いも躊躇もなくアラガミを殺すその姿は。
どこか、彼女の皮を被った怪物のようだと……思えてならなかった。
「うぁぁぁぁっ!!!」
「っ」
いけない、痛む身体に活を入れながらもカズキは立ち上がる。
今の彼女を止めなくては、絶対に手遅れになってしまう。
彼女は間違いなくローザを殺す、欠片すら残さずに抹殺するだろう。
だがそれは、ゴッドイーターとしての責務をこなすためではない。
――アリサの瞳が、血のように赤く変化している。
「……やめ、ろ」
それが意味する事、そしてその先の未来がどんなものかを理解して……。
「やめろ……やめろ、アリサ!!」
初めて彼女を呼び捨てながら、カズキは全速力で地を蹴った。
「うううぁぁぁっ!!!」
神機を上段から振るうアリサ。
ローザは、残った右腕を手刀のように構えて放ち。
2人を止める為に、カズキはその間に入り……それぞれの攻撃が触れ合った瞬間。
――カズキ達の意識は交わり、ここではない場所に飛ばされた。
■
――不可思議な感覚。
それが感応現象だと、すぐに理解する事ができた。
僕とアリサちゃん、2人の新型が触れ合ったから、あの時のような感応現象が引き起こされたのだろう。
けれど……今回は状況が違っていた。
「カズキ……?」
「っ、アリサ……ちゃん」
五感はなく、それでも確かに感じ取り声だって聞こえる。
こんな事は初めてだ、そもそも感応現象はお互いの過去の記憶が見えてしまうはず……。
だというのに、周りの景色は真っ白でアリサちゃんの存在を確認できるというこの状況は、前とは明らかに違っていた。
僕達の感応現象が特別なのか、そもそも感応現象ですらないのか、それとも感応現象の概念を間違えているのか……。
―――お兄ちゃん、お姉ちゃん。
「っ、――――!」
「ローザ……!?」
聞こえた声に、身体の感覚が無いのに辺りを見回す。
今のは……ローザの声だ。
―――ごめんね、ごめんなさい。
「ローザ、何を……」
―――もう、ダメなの。ローザ……このままじゃ、お兄ちゃん達を殺しちゃう。
―――だから、そうなる前に……お兄ちゃん、ローザを……殺して。
「っ、何を言ってるんだ!!」
―――もう止められないの、ローザ…このままじゃ。
「ダメですローザ! そんな事…そんな事できるわけないじゃないですか!!」
―――ごめんなさい、でも……それしか方法が無いから。
―――お兄ちゃん、お姉ちゃん、もう…話すのも限界だから。
『ローザ!!』
意識が、薄れていく。
この世界から、僕達が追い出されようとしている。
そんな事はできない、ここでローザを見つけないと……後戻りはできなくなるんだ。
必死に手を伸ばす、でも……それを嘲笑うかのように、自分がこの世界から離れていくのを感じ取れた。
嫌だ嫌だ嫌だ………!
このまま彼女を見捨てるわけにはいかない、生きていたんだ……もう会えないと思っていたあの子が生きていたんだ。
諦めるわけにはいかない、諦めたら……もう彼女は。
そう思っても、現実はただひたすらに非情であり。
―――ありがとうお兄ちゃん、お姉ちゃんと……幸せにね?
あらゆる感情を押し殺したような声が、この世界で僕が最後に聞けた声だった……。
■
「――――」
次に意識を取り戻した時には、僕もアリサちゃんも元居た場所で倒れていた。
辺りにはアラガミの死骸だけ、ローザの姿は……あの子の姿は、無かった。
「……カズキ」
「…………」
腹部に開けられた風穴が、全身に走る痛みが現実を教えてくれる。
アリサちゃんの声には応えられず、とりあえず傷を治すためにアラガミの死骸を喰らっていく。
「………どうするんですか?」
「――――」
身体が凍りつく。
その問いは、決して考えたくはない……けれど、逃げるわけにはいかないものだったから。
どうするのか、そんな事……もう、選択肢は1つしか無かった。
「――もし、あの子が今回みたいに人を襲うなら……僕は、ゴッドイーターとして…彼女を滅ぼすよ」
「っ、どうして!?」
「…………」
責めるような視線を背中に受けて、僕はおもわず苦笑してしまった。
ああ、本当に彼女は優しいな。
ヴァルキリーの正体を知っているから、どうにかして助けようと本気で思ってくれてる。
その気持ちは本当に嬉しい、むしろ僕だって彼女と同じ選択を選びたい。
でも……無理なのだ。
「――彼女は自分を抑えられなくなっている、いや…もう既に手遅れなんだ。
あの子の意識はアラガミと同じ、なら……選択肢は1つしかない」
「そんな……諦めるんですか!?」
「奇跡は二度も起きない、今の僕の状態はただ偶然が重なっただけ……ローザを、同じように助けるなんて」
「家族が生きていたんですよ? ならどんな事があったって諦めたらダメです!!
カズキだって、それがわかっているはずなのにどうして――」
「…………ごめん」
それは、何に対する謝罪だったのか。
助けたいと願う心と、滅ぼさねばならないと思う心が、見事に内心で対立している。
もちろん、叶う事ならローザを救いたいと思っているのは確かだ。
でも……あの子は「自分を殺して」と言った。
あの子は嘘をつかない子だった、ならば……自分からそんな事を言うという事は、もう既に手遅れだという事に他ならない。
だったら、僕にできる事は……彼女の悲しい願いを叶える事だけ。
「…………」
背中に、柔らかく暖かい感触が。
抱きしめてくれているのだ、僕を…慰めてくれているのだ。
……泣きそうになるのを、必死に我慢する。
泣く事など許されない、これは……僕が果たさねばならない使命なのだから。
ローザ、許してくれ。
僕は……君を。
――君を、殺さなければならない。
To Be Continued...