しかし、奇襲により重傷を負ってしまい……。
「えっ―――!?」
意味が、わからない。
自分がおかれた状況、どうして――カズキに押し倒されているのかがアリサは理解できない。
けれど、自分を見るカズキの瞳が……光を失っている事に気づき、ただ事ではないということだけは気が付いた。
「カズキ、何を―――痛っ!!」
すぐさま離れようと思ったが、その前にカズキは片手でアリサの両腕を掴み上げ拘束する。
(っ、何て力……!)
どんなにもがいても、拘束が外れない。
「カズキ、一体どうしたんですか!?」
「…………」
カズキは答えない。
光を失い、口元には歪んだ笑みを浮かべ、アリサを……まるで上質な餌を見る獣のように、見つめている。
「カズ、キ……」
いいようのない恐怖を覚え、アリサの身体が硬直する。
(違う……これは、カズキじゃない………!)
姿形はカズキでも、目の前のコレはまったく違う存在だ。
逃げなくては、そう思っているアリサだが……やはり、カズキの拘束から逃れられない。
「カズキ、正気に戻ってください!! こんなの……ひっ!?」
アリサの口から悲鳴が漏れる。
「やっ、いやっ!!」
カズキの右手が、アリサの服をまくし上げる。
15にしては豊かな胸が露わにされ、外気に触れて肌寒い。
だがそんな事より、異性に見られたという事実がアリサに羞恥心を与える。
「や、やめ、やだ……!」
どうして、何で、アリサの頭を占めるのは疑問のみ。
カズキは好きだ、もし想いが通じて恋人同士になったら、いずれはそういう事もするかもしれない。
そんな事を考えた時だってあった、けれどこんな事はアリサの望んだものではない。
「やぁ……! お願い、やめてぇ……」
とうとう涙を流してしまうアリサ、だがカズキはそんな彼女を嘲笑うかのように、歪んだ笑みを深めていく。
そして、無防備なアリサの胸にカズキの右手が……。
「――グォォォン!!」
「っ―――!?」
古びた家屋を破壊しながら、雄叫びを上げヴァジュラが現れる。
人間の血の臭いを嗅ぎ、食事にありつけると思っているのかひどく興奮しており、更にその数は一体ではなく三体。
(ヴァジュラ、こんな時に……!?)
羞恥を奥底へ追いやり、アリサは自身の神機を探すが、どこか別の場所に落ちてしまったようで見当たらない。
「…………」
「えっ……?」
突如、カズキはアリサの拘束を解いて立ち上がる。
すぐさまアリサはカズキから離れ、乱れた服を元に戻した。
「グルルルル………」
ゆっくりとカズキに近づいていくヴァジュラ達。
逃げ場はない、絶体絶命の中――カズキは、静かに笑みを見せる。
そして……。
「――――ギ」
「えっ……」
「――ギガァァァァァァァッ!!!」
絞り出したような奇声を発し、一瞬でヴァジュラの眼前まで移動し。
「ガァァッ!!」
スパンッ、という澄んだ音が響き。
カズキは、手刀でヴァジュラの眼球を斬り裂いた。
否――手刀ではない。
カズキの左腕が、まるで神機の刀身パーツのように変形していた。
長さはショートタイプ、網の目のように繋がった剣が、カズキの腕から生えているようにすら見える。
「ギァァァッ!!」
「グガゥッ!!」
悲鳴を上げるヴァジュラに、カズキは食らいつき捕喰していく。
顔面の肉を引き千切り骨を砕き、血の一滴も逃さぬように啜り上げる。
「ガァァァッ!!」
残り二体のヴァジュラが、雷球をカズキに向かって撃ち放つ。
それを、カズキは既に息絶えたヴァジュラの身体を振り回し、悉くを弾き飛ばしていった。
人間よりも遥かに巨体なヴァジュラを片手で振り回し、残りのヴァジュラを壁に叩きつけていく。
「アァァァァーーーーッ!!!」
ヴァジュラをゴミのように投げ捨て、獣のように跳び上がり――二体目のヴァジュラの喉元を引き裂いた。
まるで噴水のように噴射される血を浴びながら、カズキは一心不乱に目の前の餌と化したヴァジュラを喰らっていく。
「――――」
身体が、動かない。
あまりにもおぞましく恐ろしい光景に、アリサは身体を震わせる事もなくただ呆然とソレを見つめていた。
今のカズキは、両親を喰らったあの漆黒のアラガミよりも恐ろしい。
やがて、三体のヴァジュラを喰らい尽くし……カズキは、再びアリサへと視線を向けた。
「っ、ぁ……」
逃げられない。
背中を見せた瞬間、自分の身体は2つに分けられると理解した以上、どうして動けるというのか。
「アァァ……」
小さく呻き声を漏らし、カズキはゆっくりとアリサとの距離を縮めていく。
アリサはその場で座り込んだまま、恐怖で歯をガチガチと鳴らし……心のどこかで、覚悟を決めていた。
―――だが。
「………?」
急に、カズキはその場で立ち止まってしまった。
アリサは逃げられない、それはカズキとてわかっているはず。
逃げられないとわかっているから、わざと恐怖心を煽っているのだろうか……?
「……ゥ、ア……」
「……カズキ?」
「ア、アァァ……」
その場でうずくまり、苦しげに呻き始める。
これにはアリサも不思議に思い、けれど恐くてそのまま見ていると……。
「……イヤ、ダ……モウ、イ、ヤ、ダ……」
涙を流し、カズキはたしかにそう言った。
「…………カズキ」
その瞬間、アリサの中で恐怖心がどこかに消えてしまった。
……苦しんでいる。
彼は、自分のやった事に罪悪感を抱き、苦しんでいるのだ。
ああ、やはりあれは彼の意志ではなかったのか。
それがわかった今、アリサは立ち上がりカズキの元へと近づいた。
「ウァァ……グォアァァァァァッ!!!」
振るわれる左腕。
剣と化したそれは、アリサへと向かい――寸前で止まった。
「…………」
「ウ、ウゥ……コロ、シ、テ……」
「……いいえ、そんな事はできません」
カズキの願いを即座に却下し、アリサは……カズキの身体を優しく抱きしめる。
「あなたは、私が守ります。たとえアラガミになったとしても、あなたが私を単なる餌にしか見れなくなったとしても、私が……あなたを支えてみせます」
命を救われた、身体だけでなく心も。
いつだって、彼はアリサの心の拠り所になってくれた。
そんな彼に何かしたい、助けになりたいと思い……それが、やがて恋心へと変わるのは時間の問題だった。
彼を支え守る、その為に強くなろうと心に誓い、そしてその誓いを果たす時が来たのだ。
「あなたが私を喰らって楽になるなら……私は構いません。
それがあなたの望みなら、カズキ自身の望みなら……喜んで餌になります。
だからもう、これ以上苦しまないで。あなたが辛そうにしているのは……嫌です」
「――――」
カズキの動きが止まる。
目の前に捕喰できる餌がいるのに、何もせずにただアリサのされるがままになっていた。
「カズキ、私……あなたが好きです」
ごく自然に、まるで当たり前だと言わんばかりに、アリサは自分の想いをカズキに打ち明けた。
けれどアリサの中に恥ずかしいという思いはなく、むしろ告げられて良かったとさえ思える。
「ウゥゥ……アァァァァァァッ!!!」
「きゃっ!!」
突き飛ばされ、壁に叩きつけられるアリサ。
そんな彼女に、カズキは左腕の剣を向ける。
しかし――アリサは動じない。
覚悟は決めた、先程の言葉に偽りが無い以上……もう、恐怖を感じる必要はないのだから。
「……ア、リ、サ……」
「――いいですよ。カズキ」
穏やかな笑みを浮かべ、両手を広げるアリサ。
そんな彼女に、カズキはゆっくりと左腕を振り上げて―――
「ガッ―――!?」
「っ!!?」
上空から何かが現れ、カズキとアリサの間に割って入りつつ、彼を吹き飛ばす。
「っ、戦乙女……!?」
現れたのは、何度も神機使いと交戦経験のある正体不明のアラガミ。
目も醒めるような青い鎧のような身体、右手には大型の槍を持つ人型のアラガミは、まるでアリサを守るようにカズキと対峙した。
「ウゥゥゥ………!」
北欧神話に現れる戦乙女ヴァルキリーのような風貌のアラガミを、カズキは敵と見なし唸り声を上げて威嚇する。
「…………」
何も喋らないまま、戦乙女はカズキとの間合いを詰める。
だが、その動きはあまりにも単調で。
「――ウガゥゥッ!!」
カズキは、向かってきた戦乙女の左腕に食らいついた。
(っ、どうして? あんなにあっさり……)
タツミ達防衛班が、総掛かりでも殆どダメージが与えられない程の瞬発力を持つというのに、こうもあっさりカズキに喰らわれるなど不自然である。
これではまるで、わざとカズキに左腕を喰らわれたようで――
「…………」
ブチブチと、筋肉繊維を無理矢理引き千切りながら戦乙女は左腕を犠牲にして後ろに跳躍。
カズキはそのまま口に残った戦乙女の左腕を食べ始める。
そして――何故か戦乙女はそれ以上何かするわけもなく、全速力でその場から離脱していった。
目的が理解できず、アリサは混乱するばかり。
一体、何がしたかったのだろうか、つい今の状況も忘れアリサは思考を巡らせていると。
「グ、ガ……!?」
戦乙女の左腕を呑み込んだ瞬間、カズキは突如として苦しそうな呻き声を出し始めた。
「カズキ!?」
慌てて駆け寄るアリサ、すると……。
「ウ、ァ……アリサ、ちゃん……?」
「っ、意識が戻ったんですね!?」
自分の名を呼ぶカズキの様子がいつもの彼だと気づき、驚きつつもアリサは喜びの声を上げた。
しかし、カズキの呼吸は荒く……顔面蒼白とお世辞にも良い状態とはいえない。
「カズキ、歩けますか?」
「……ごめ、ん。ごめん、ね……アリサ、ちゃ、ん……」
ふっと、カズキの身体から力が抜けアリサは慌てて彼の身体を支えた。
気を失ったようだ、それを理解したアリサはカズキを背負い急ぎその場から離れる。
(とにかく、みんなと合流してアナグラに戻らないと………!)
「―――ふぅ、お待たせ」
「っ、博士。カズキはどうしました!?」
「んがっ!? ア、アリサ君、落ち着いてくれ!!」
胸ぐらを掴むアリサを落ち着かせようとするサカキだが、アリサは聞こえていないのか揺さぶりを続ける。
リンドウとサクヤがどうにか止め、ようやくサカキは話を進められることにほっとした。
……あの後、リンドウとコウタとはすぐに合流できたアリサだったが、2人はプリヴィティ・マータに追いかけられている最中だった。
すぐさまスタングレネードで怯ませ、カズキとアリサの神機を回収してアナグラに戻り、医務室へと直行。
サカキを呼び、カズキを看てもらった所なのだが……。
「そ、それでカズキは、どうなんですか!?」
がーっ、と凄まじい勢いを見せるアリサに若干顔を引きつらせつつ、サカキは静かに話し始めた。
「結論から言うよ。カズキ君は無事だ、アリサ君が言ったような暴走をする事はないと思う」
「………は、ぁ」
それを聞いて、一気にアリサから力が抜け床に座り込む。
他の面々も、安心したように胸を撫で降ろす。
と、そこで疑問が生まれた。
「博士、暴走はそうしないと思うって言いましたけど……カズキの身体に、何の変化もないんですか?」
あのような状況で、何も無かったというのは考えにくい。
アリサがそう考えていると、サカキはすぐさまその問いに答えた。
「そうだね。変化があったというのは正解だ、ただ良い方向にだけど」
「良い方向?」
「カズキ君の体内のオラクル細胞が、今まで見たことがないくらいに進化している、データにない偏食因子も混じっているし……おそらく、その偏食因子がカズキ君のオラクル細胞を正常化させ尚且つ強化させているんだろうね」
「偏食因子……」
「アリサ君、カズキ君は何か特別なアラガミを食したのかい?」
「いえ、食べたのはヴァジュラだけで――」
そこまで言い掛け、アリサは言葉を切る。
「……いえ、ヴァジュラだけじゃなく戦乙女の左腕も食べてました」
「戦乙女……確か、正体不明のアラガミだったね?」
サカキの問いに、アリサは頷きを返す。
「ふむ……もしかしたら、そのアラガミを食して新たな偏食因子を取り込んだから、カズキ君のアラガミ化が防がれたのかもしれないね」
「えっ、じゃあアラガミがカズキを助けたってことですか?」
いまいち信じられない、そんな声色を含みつつコウタは言う。
「さてね、単なる偶然かそれとも……なんとも言えないのが現状さ。
だがシオの例もある、一概に違うとも言えないね」
「そんな事はどうでもいい、それよりカズキはいつ目覚める?」
話を中断させるソーマ、しかしサカキは……。
「――わからないよ。カズキ君が自分から目覚めたいと思わない限りはね」
そんな、よくわからない事を口にした。
「何……?」
「えっ……どういう意味?」
「彼の脳波に異常はない、身体だってどこも損傷だってない。
となると、普通ならとっくに目を醒ましているはずなんだ。けれど彼はまだ目覚めていない。
つまり――彼自身が目覚めを拒否しているというわけだね」
「――――」
その言葉を聞いて、アリサは目を見開きカズキを見やる。
(カズキが……目覚めを拒否してる? 私達を、拒絶したというの……?)
信じられなかった。
いつだって、強く優しいカズキがこんな事をするなど、悪い夢だと思いたかった。
「アリサ、大丈夫?」
「ぁ……サクヤ、さん」
気が付いたら、サクヤがアリサの身体を支えていた。
「……とにかく、僕達には待つ事しかできない。気をしっかり持って、過ごさなければ……死ぬよ?」
「…………」
確かに、サカキの言っている事は正しい。
カズキの事ばかりに気を取られていては、瞬く間に命を狩られる。
そういう時代に生きているのだ、それはわかっているが……。
「……だ、大丈夫だってアリサ。カズキならすぐに目を醒ますって!」
コウタが励ますようにわざとらしく明るい口調で言うが、アリサは俯いたまま何も喋らない。
「………失礼します」
そして、そのまま逃げるように医務室から出て行ってしまった。
「………サクヤ」
「わかってる。けど今はそっとしておきましょう、それも必要よ」
「だな……」
大きくため息をつくリンドウ、タバコに手を伸ばすが……医務室なのでさすがに自重する。
(アリサ……気をしっかり持ちなさい、カズキを支えると誓ったんでしょう……?)
To Be Continued...