少しずつ、けれど確実に彼等は前を進んでいたが……。
「――ゴオオオオオッ!!」
「ちっ……!」
叫びながら滑空攻撃を仕掛けるシユウに対し、フィアは舌打ちをしつつ左手に持つ剣――ラグナロクを鞘に収めながら装甲を展開。
ぶつかり合う両者、ギチギチという音を響かせながらもフィアは真っ向からシユウの巨体を装甲で受け止めていた。
「ギャ……ッ!?」
シユウの身体が横にブレ、近くの壁に叩きつけられる。
ピク……ピク……と数秒身体を痙攣させてから、そのままシユウは動かなくなり生命活動を停止させた。
見ると頭部の半分以上が無惨に破壊されている、あれが致命傷となったのだろう。
「よお、大丈夫か?」
そう言ってフィアに左手を伸ばしてくるのは、先程シユウを一撃の元に叩き潰したリンドウであった。
愛用の神機であるブラッドサージを右肩に抱え、いつもの飄々とした態度を崩さない彼にフィアはありがとうと感謝の言葉を告げる。
「とりあえず休んでろ。もう俺達の出番はなさそうだしな」
「えっ?」
どういう事なのかと思ったフィアであったが……やや離れた場所で繰り広げられている戦いを見て、納得した。
いや、アレは既に戦いではなく……“食事”と言った方が正しいかもしれない。
――ヤクシャ・ラージャとコンゴウ堕天種が、ラウエルとタマモから逃げ惑っている。
もはやあの二匹にアラガミとしての側面は感じられず、可憐な少女達に追い掛けられる憐れな餌でしかなかった。
しかも対するタマモとラウエルはというと……。
「きゅ~、きゅきゅきゅ~♪」
「待て待てーーっ!!」
完全に遊んでいるかのような感覚で、アラガミを追い掛け回していた。
こういう面を見ると、やはり彼女達も確かにアラガミなのだろうと再認識してしまうフィアとリンドウ。
とはいえああいった一面は敵対するアラガミにしか見せないので、危惧する必要はないのだが。
そっとアラガミに同情を送りつつ、ここは休ませてもらおうと近くの壁に寄りかかるフィア。
(……下層部の調査は、大体終わったかな?)
ロミオの血の力、そして極東支部と情報管理局が一帯となってくれた恩恵もあり、螺旋の樹の調査は確実に前へと進んでいる。
そして一番下に該当する箇所である「螺旋の樹・下層部」の調査は、ほぼ終了したと思っていいだろう。
一つ上の「螺旋の樹・中層部」に位置する場所へと続く入口を探す為に、フィア達は手分けして螺旋の樹の中を歩き回っていた。
ただこれだけ巨大な樹だ、下層部だけでも相当な広さを誇り部隊を細分化させてもなかなか見つけられない。
……早くしなければ、ジュリウスはラケルの手に堕ちてしまう。
そんな焦燥感に駆られても仕方がないとわかってはいるものの、やはりフィアの心はざわめいてしまっていた。
後どれくらい時間が残されているのか判らない、こうしている間にもジュリウスは苦しんでいるかもしれない。
そう思うと、フィアの心はますますざわめいていき。
―――焦ってはいけませんよ、フィア。
優しく諭すような女性の声が、フィアの頭に直接響いてきた。
「…………」
ちらりとリンドウを見るが、彼はタバコを吸いながら自分と同じように休んでいる。
やはり今の声は自分にしか聞こえないようだ、けれどフィアは驚いたりしない……というより、この声は今まで何度も聴いているのだ。
「螺旋の樹・下層部」の調査をしている時だって、何度も何度も自分に語りかけてきているこの謎の声に、彼は既に慣れてしまっていた。
そういう問題ではない気もするものの、今の所何か害になるような事態に陥っているわけではないので、フィアはもう気にしない事にしている。
「――ごちそうさまでした!!」
「きゅー!!」
「……おーおー、綺麗に喰ったもんだ」
跡形も残さずアラガミを平らげたラウエルとタマモに、リンドウはなんともいえない苦笑を浮かべる。
とにかくこれでこのエリアでの戦闘は終わりだ、一度アナグラへと戻ろうとフィア達は踵を返す。
だが――フィア達はその足を突如として止めてしまった。
「……きゅ?」
「? なんだ、ありゃ?」
「…………蝶?」
ラウエルの呟き通り、4人の前に突然淡く光る“白い蝶”が現れた。
パタパタと羽根を羽ばたかせるたびに、麟粉のような白い光を周囲に降り注いでいく、儚さを感じさせる白い蝶。
このような場所に蝶が飛んでいるなどありえないので、すぐさまリンドウは新種のアラガミではないかと疑い身構える。
だが――タマモとラウエル、そしてフィアは白い蝶を見ても何もアクションを起こさず、フィアに至っては蝶に向かって右手を伸ばし始めた。
「おいフィア、何やってんだ!?」
「大丈夫だよリンドウ、この蝶は……大丈夫」
「ああ?」
確証があるわけではない、ただフィアにはこの蝶が危険なものではないと思えたのだ。
右手を伸ばす、すると蝶はフィアの周りを暫く飛んでから……通路の一つに向かって飛んでいってしまった。
それを追いかけるフィア、タマモとラウエルもそれに続いてしまったため、リンドウは頭を乱暴に掻きつつため息を吐いたものの、そのままにはしておけないので3人の後を追ったのだった。
「……なあラウエル、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫……だと思うよ」
「その根拠はなんなんだ?」
「んー……ごめん、よくわかんない。でもあの蝶さん、とても暖かくて優しいの」
「ふーん……」
それ以上は何も訊かず、リンドウはとりあえずフィア達の好きにやらせる事にした。
いざとなれば自分が動けばいい、そう思いリンドウは静かに警戒心を強めていった。
その後、フィア達は白い蝶に導かれるように螺旋の樹の中を歩き続け――ぽっかりと開いた空間へと辿り着いた。
それと同時に蝶が白い光を一瞬だけ放ち、消えてしまう……。
「ここは……」
「ん? おい、ありゃあ……上に繋がってる通路か?」
リンドウが指差す先には、少し急ながらも上に向かって伸びている通路が見えた。
「……もしかして、あの蝶さん……ラウエル達に上に続く道を教えてくれたのかな?」
「きゅー……」
「ほーん、不思議な事もあるもんだ……」
だが、これは大発見と言えるものだ。
実際に行ってみなければわからないものの、中層部へと行ける可能性が見えてきた。
「どうするフィア? 調べてみるか?」
「……いや、ここは一度後退して態勢を整えてからの方がいいと思う」
「だな。さすがブラッドの隊長さんだ」
そう言って、リンドウはやや乱暴にフィアの頭を撫で回す。
少し痛かったが、なんとなく嬉しくてフィアは抵抗する事はせずされるがままであった。
「いいなー!!」
「きゅー!!」
「おっ? なんだなんだお前等、甘えたがりだな」
わしわしとラウエルとタマモの頭も撫で回していくリンドウ。
それに対し2人は満面の笑みを浮かべきゃっきゃと楽しんでいる。
いつも飄々としているリンドウだが、ラウエルとタマモをあやしている今の彼には確かな父性が感じられた。
(父親、か……)
ズキリと、フィアの胸が僅かに痛んだ。
もしも自分の父親がリンドウのような人だったら……ありもしない、叶わないIFをつい考えてしまう。
だがそんなもの考えた所で虚しいだけだ、忘れてしまえとフィアは自分に言い聞かせる。
「さあみんな、帰ろうか?」
「ほーれほれほれ……おぉ、そうだな」
踵を返すフィア達、だが……。
―――フィア!!
「えっ――」
謎の声の、何処か焦りを含んだ声が脳裏に響き。
次の瞬間、中層部へと続いているであろう通路を塞ぐように――何かが降ってきた。
ズズンッ、地響きを周囲に響かせながら現れたのは、漆黒の巨人。
「こいつは……!?」
「……神機兵?」
そう、フィア達の前に現れたのは、神機兵であった。
しかしそれはアラガミ化した所謂暴走神機兵と呼ばれるものではなく、こちら側で使っている黒い鋼のボディを持っている。
だが味方である事はありえない、神機兵がここまで来たという報告をフィア達は受け取っていないからだ。
――それに何より、現れた神機兵はその姿を大きく変貌させていた。
ベースは元の神機兵のものではあるものの、肩アーマー部には棘状の突起物が隙間なく生え揃えられており、ボディの至る所にはウロヴォロスのような触手が生え絶え間なく蠢いている。
手に持つ巨大ブレードも、ノコギリタイプのバスターブレード型神機に変わっており、その醜悪な外見を見てタマモはおもわずリンドウの後ろに隠れ、ラウエルは表情に嫌悪の色を見せていた。
「おいおい……ここに来てまた新種か?」
「…………」
神機を両手に持ち、身構えるフィア。
「――こちらフィア。極東支部、聞こえる?」
『………………は、はい! こちら極東支部、聴こえます!!』
極東に通信を送ると、少しの間の後にウララが通信を受け取ってくれた。
通信妨害に遭っていない事に感謝しつつ、フィアは急ぎ用件を告げる。
「中層部に続いている可能性のある通路を発見した。けどそこを守るように神機兵に似た正体不明のアラガミと遭遇、交戦に入る」
『えっ!? じ、神機兵に似た!?』
「念の為動ける部隊を僕達が今居る座標に派遣してほしい。なるべく速くだ」
『り、了解しました!!』
頼むよ、そう言ってフィアは一度通信を切る。
……神機兵に動きはない、こちらに身体を向けているので気づいていないわけではないようだ。
かといって無闇に攻めるのは得策ではない、何せ姿が大きく変貌している以上どういった攻撃を仕掛けてくるかわからないからだ。
リンドウもフィアと同じ事を考えているのか、身構えながらも踏み込もうとはせず様子を見ている。
「ぐるるるるる……!」
八尾を逆立たせながら、威嚇の唸り声を上げるタマモ。
四つん這いになり、今にも踏み込もうと彼女が両手両足に力を込めた瞬間。
「――――立ち去れぇぇぇぇ」
神機兵の中から、何処かで聞いたことのある声が、聞こえてきた。
声の質は男性のもの、けれどその声には隠し切れない狂気が孕んでいる。
何よりもだ、今の声はフィアにとって聞き覚えがあり……同時に、もう聞く事などありえない人物の声であった。
「立ち去れ……立ち去れ……」
「……なんだぁ? コイツ」
「…………この声は」
死んだ、という明確な報告が入った事はなかった。
だが誰もがあの人が死んだと思っていたし、あの状況下で生き残るなどとは思っていなかったら、疑う事はしなかった。
しかし――あの男は生きていたのだ、そして今……自分達の前に現れてしまった。
「――――クジョウ」
ラケルに唆され、螺旋の樹の汚染の原因を作り上げてしまった男。
汚染の際に螺旋の樹内部にて消息を断ったクジョウが、変わり果てた姿でフィア達の前に現れた。
「マジかよ……行方不明扱いだったのは知ってたけどよ……」
「立ち去れ……立ち去れエエエエエエエエエエッ!!」
「っ、来る!!」
絶叫しながら、フィア達に向かって真っ直ぐ突進してくるクジョウ。
その速度は従来の神機兵とは比べ物にならない程速く、瞬く間に間合いを詰められフィア達に向けてバスターブレードを振り下ろした。
フィア達4人は散開しつつ跳躍して相手の攻撃を回避、すぐさま反撃に移ったのは――ラウエル。
上空に飛翔しながら、ラウエルは八発のレーザー砲をクジョウに向かって撃ち放った。
黄金色のレーザーは全て命中する、が……その全てが神機兵の装甲の前に弾け飛んでしまう。
「あれ!?」
「あああああああああああっ!!!」
絶叫しながら、クジョウはその場で大きく跳躍。
するとあれだけの巨体でありながら、凄まじい速度で十メートル近い上空に居るラウエルより高い位置まで跳んでしまった。
そのままバスターブレードを振り下ろすクジョウ、まともに受ければ真っ二つにされると認識したラウエルは回避を選択。
「っ、い、ぐ……!?」
どうにか回避できたものの無傷とはいかず、スカート部分が文字通り抉り砕かれてしまった。
アラガミとしての強固な防御力など無意味と言わんばかりの破壊力に、フィア達は驚愕する。
今の動きと一撃だけでその場に居た全員が理解する、あの神機兵は従来のものとは比べ物にならないほどに強化されていると。
ぐらりと空中でバランスを崩し、落ちていくラウエルを追撃する為に更なる一撃を叩き込もうとするクジョウ。
「ぐるぁうっ!!」
だがその前にタマモがクジョウに向かって跳躍し、怒りを込めた右の爪を叩き込み地面へと叩き落した。
「っ……!?」
しかし、クジョウを吹き飛ばしたタマモの右手から鮮血が舞う。
しかもタマモの攻撃をまともに受けたというのに、クジョウは何事もなくすぐさま立ち上がってしまい、またダメージを負っている様子は見られない。
「おいおい……いくらなんでも硬すぎだろ」
「……リンドウ、ラウエルとタマモをお願い!!」
言うと同時に地を蹴り、クジョウに向かっていくフィア。
既に彼は両手にニーヴェルン・クレイグとラグナロクを握っており、まずは右の剣を横薙ぎに振るった。
ガッ、という鈍い音と共に装甲によって弾かれる、僅かに顔をしかめながら続いて左の剣による突きを放った。
だがそれも弾かれ、顔を上げるとクジョウがバスターブレードを振り上げている光景が視界に入る。
「きえええええええっ!!」
「ちっ!!」
両の剣を交差させ、クジョウの一撃を受け止める。
瞬間、両腕が吹き飛んでしまったと錯覚してしまうほどの衝撃と痛みがフィアに襲い掛かり、更に彼の両足があまりの衝撃によって地面に沈んでしまう。
それによりその場で動けなくなってしまったフィアに、クジョウは追撃を仕掛けた。
左横から迫る一撃に、フィアはもう一度両の剣で受け止めようと構えるが……。
「がっ……!?」
さすがに受け止めきれず、地面を削りながら吹き飛ばされてしまった。
その光景を見たリンドウは、その顔に凄まじい憤怒の色を宿しながらクジョウへと迫る。
上段からの振り下ろし、彼の渾身の一撃はクジョウに防御させる隙を許さず、強固な装甲に確かな傷を刻む事に成功した。
更に攻撃を仕掛けるリンドウであったが……突如として神機兵の内側から蠢いている触手達がリンドウへと向かっていく。
「うおっ!? おいコラ、俺にはこういうアブノーマルな趣味はねえっての!!」
触手はリンドウの動きを封じようとし、リンドウは堪らずクジョウから離れてしまう。
離れた彼を探すかのように激しく蠢く触手であったが、やがて再び神機兵の装甲の内側へと引っ込んでいった。
その光景はただおぞましく、おもわず身震いしてしまうリンドウ。
「いてて……やったなあっ!!」
「ぎゅあああっ!!」
ラウエルとタマモから放たれる、数十発ものレーザーの雨。
その全てがクジョウへと命中し……けれど、その装甲の前では殆どダメージにならなかった。
「立ち去れ……きひひ、立ち去れえええええ……」
「うぅ……」
「きゅー……」
「……こりゃあ参った、こうまで攻撃が通じないアラガミは初めてだ」
「…………」
このまま戦っても、こちらが勝利する可能性は低い。
たとえ勝利できたとしても……確実にこちらに犠牲者が出る。
それほどまでの強さを、今のクジョウ……もとい、あの神機兵は持ち合わせていた。
欲を言えば、このままクジョウを降し中層部に続いているであろう通路の調査に入りたい。
だがそのような浅はかな選択は選べない、だから――フィアは“撤退”する選択肢を選んだ。
「みんな、全力で後退!!」
3人に指示を出しつつフィアはバックパックからスタングレネードを取り出し、地面に叩きつける。
同時にクジョウから背を向け全力でその場から駆け出し、一瞬遅れて3人もそれに続く。
当然それを追いかけようとしたクジョウであったが、スタングレネードの光に阻まれ……光が収まった時には、フィア達の姿は影も形も無くなってしまっていた。
■
「――取り逃がしてしまいましたか」
「お、おお……おお……!」
その場に立ち尽くすクジョウの前に、沢山の“黒い蝶”が集まっていく。
やがてそれは人の形を成していき……現れたのは、今や狂いし神々と化してしまった女性。
だが同時にクジョウにとって、自分の総てと呼べる女性――ラケル・クラウディウスであった。
にこりと微笑み、神機兵の無骨な腕に両手を置くラケル。
「おおおお……!」
ただそれだけ、たったそれだけでクジョウは悦びの声を上げる。
……既に神機兵と一体化し、もう二度と人として生きられぬ存在となったクジョウにとって、ラケルの存在だけが生きる意味だ。
故に彼はもう人としての思考も記憶も全て無くしても尚、ラケルの為に動く傀儡となっていた。
「彼等はまたここにやって来るでしょう、その時は……お願いしますね?」
ラケルは微笑む、純粋で暖かく、けれど無機質に。
それでも――クジョウにとっては極上の笑みである事に変わりはなかった。
「ふふ、うふふふふ……」
なんと健気で――憐れな男なのだろうか。
自身の傀儡となったクジョウを見て、ラケルはそう思わずには居られない。
人間としての尊厳も、誇りも、今まで培ってきた何もかもも捨て去った男の末路が、可笑しくて可笑しくて堪らなかった。
だからラケルは暫し笑い続ける、憐れなクジョウを蔑むように……慈しむように。
―――憐れなのは、果たしてどちらなのでしょうか。
頭に響いた、声に聴こえないフリをしながら――
To.Be.Continued...