ほんの僅かではあるが、彼等は穏やかな時を過ごす……。
――雨が降っている。
少し前まで極東の住人達を震え上がらせていた「赤い雨」ではなく、普通の雨が降り注いでいる。
空は暗い雲に覆われ、その下で――傘も差さずに、立ち尽くしている1人の少年の姿があった。
彼の名はフィア、極東に所属する神機使いであり……そんな彼の視線の先には、数多くの名が刻まれた墓が彼と同じく雨に濡れていた。
この墓は極東支部の一角にある墓地の中に存在する、アラガミとの戦いで殉職した神機使い達の墓標だ。
……先の戦いで、この墓には多くの神機使いの名が新たに刻まれた。
「――フィア」
後ろから声を掛けられる、それと同時にフィアの頭上に傘が差された。
視線を横に向けるフィア、そこに居たのは花と傘を持ったカズキであった。
カズキはしゃがみ込み、墓に花を添え両手を合わせ黙祷を捧げる。
「……守れなかった、でもだからって自分を責め続けるのは間違いだ」
「…………何も言ってないよ?」
「言わなくても判るさ。だって今のフィアは前の僕と同じ……自分を責め続けて、どうしていいのか判らないって顔してる」
「…………」
無意識に、頬に自分の右手を添えるフィア。
そんな顔をしていたのだろうか、フィア自身そんな顔をしているつもりは無かった。
少し困惑顔になるフィアに苦笑を浮かべつつ、カズキは懐からタオルを取り出しフィアの濡れた髪を撫でるように吹いていく。
「どんなに頑張っても、どんなに願っても、この手から零れ落ちる命は出てくるし、守れない人達だって現われてしまう。
けれどそれを理解しながらも否定してしまえばどんどん深みに嵌ってしまって、抜け出せなくなるんだ。だから自分の弱さを否定するな」
「……でも、肯定してしまえば強くなれない」
「違うよ。弱さを肯定するという事は自らを認めるという事に繋がる、自分ではできない事を他人に任す事が出来るという事だ。なんでも自分1人でやろうとすれば……君は独りになる。そんなのは嫌だろう?」
「…………」
独り、その言葉を聞いてフィアは身体を奮わせる。
自分の傍に居てくれる仲間達が、自分を信じてくれる人達が自分から離れていく、それは想像を絶する痛みを与えてくるだろう。
そんなのは嫌だとフィアは首を横に何度も振り、彼の態度を見てカズキはそっと安堵の息を零す。
どうやら彼は理解してくれたようだ、弱さを認めないという事が何に繋がっていくのかという事を。
「これ以上ここに居たら風邪を引いてしまうよ、それにフェルドマン局長が僕達を呼んでいる。行こう?」
「うん……」
素直に頷き、フィアはカズキと共に極東支部へと戻る。
途中、衣服が濡れてしまったので自室に寄り着替えてから、改めてフィア達は神機保管庫の整備室へと赴いた。
そこには既にフェルドマンとソーマ、そしてリッカの姿があり、ソーマとリッカは2人の姿を見て軽く手を挙げる。
「すまない。しかし螺旋の樹内部の状況がわかったのでな、ブラッド隊長と抗神大尉には聞いてもらいたかったのだ」
「いえ、ですが何故この部屋で……?」
「それは追って説明しよう。ソーマ博士、説明を頼む」
「……まず内部の状況だが、暴風雨ともいうべき活性化したオラクル細胞が内部への侵入を拒んでいるようだ」
「ソーマ、だとすると現状では中に入るのは……」
「無理だろうな。お前なら強引に突破する事もできるかもしれんが……リスクが大き過ぎる」
ソーマの説明を聞いて、やはりかとカズキは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
内部から吹き荒れている活性化したオラクル細胞の力は、この極東支部からでも感じ取れる程に強大なものだ。
そこを強引に突破するなどというのは、カズキとしても自殺行為に等しい。
「我々が所有している制御装置でも抑えきれんだろう、だが……ロミオの血の力ならば、螺旋の樹に入れるのではないかと思うのだが」
「確かに前に起きた現象の事を考えれば、活性化したオラクル細胞を不活性化させる事は可能かと思いますが、現存の技術では制御するのは難しいかと……」
「…………ふむ。わかった、とりあえずサカキ支部長と共に打開案を考えてみよう。また何かあった時は宜しく頼む」
そう言って、フェルドマンはその場を後にする。
「……局長、変わったね」
「そうだね。なんというか……物腰が柔らかいものになってきたよ」
「良い傾向だよね。でもそういう話はゆっくり休める場所でしなよ、まだ疲れてるんでしょ?」
ほらほら行った行った、やや強引に神機保管庫から追い出されてしまうフィア達。
なんとも強引である、しかしこちらに気を遣ってくれたのだろう。
彼女の言う通り休む事にしよう、そう思ったフィア達は各々の部屋へと向かおうとして。
「――見つけたぜ、3人とも」
ニヒルな笑みを浮かべたハルオミに、エンカウントしてしまった。
彼の登場で露骨に嫌な表情を浮かべるソーマ、カズキはなんだか嫌な予感を抱き、フィアは普通にハルオミへと声を掛ける。
「ハルオミ、僕達に何か用?」
「もちろん用があるぜ、あの戦いで色々と空気が重くなっただろう? だから俺としてはもっとこういつもの極東らしく和やかな空気にしたいと……」
「あ、僕用事あるんで」
「オレも同じく」
「逃がすかあっ!!」
速攻で逃げようとするカズキとソーマであったが、しかしハルオミにまわりこまれてしまった。
「うおっ!?」
「ちょ、ハルオミさんどいてください!」
「いーやどかないね、どうしてもこの先に行きたければこの俺を倒してからにしろ!!」
「あ、じゃあ遠慮なく」
「右に同じだ」
「ぐへえっ!?」
情け容赦なく、本当に情けなんて微塵も掛けずにハルオミに対し拳と蹴りのコンボを叩き込むカズキとソーマ。
酷い悲鳴を上げながら壁に叩きつけられるハルオミ、けれど2人の中に罪悪感などこれっぽっちも無いのは言うまでもなく。
妙にすっきりした表情を見せながら、今度こそ2人はその場を離れようとして……ハルオミに足を掴まれた。
「ま~て~!!」
「うっ、こいつアラガミよりタチ悪いぞ!!」
「何が目的なんですかハルオミさん!!」
「お、俺はただ……可愛い女の子達に対する会話を男同士で楽しみたいだけなんだ! その為にはあんなエロ可愛い妻と彼女を持つカズキとソーマに是非協力を」
『死ねっ!!』
「ぐぼああぁっ!!?」
グシャリ、という割と洒落にならない音がハルオミの背中から聞こえ、尚もその部分をカズキとソーマは執拗に踏み続ける。
時間にしておよそ数分間、2人はハルオミを踏み続け……そのまま去っていってしまった。
一方フィアは、先程から展開についていけずキョトンとするばかりであったが、やがて我に帰り倒れたまま動かないハルオミを揺り動かす。
「ハルオミ、大丈夫?」
「……お、俺は死なんぞ……究極のムーブメントを見つけるまでは……」
「…………」
とりあえず大丈夫なようなので、放置してフィアもその場を後にする事にした。
後ろから呻き声が聞こえたような気がしたものの、気のせいだと自己完結しつつ自室へと向かう。
部屋へと入りベッドへとダイブすると、あっという間に睡魔に襲われてしまった。
そしてフィアはそのまま瞳を閉じ、鍵も掛けないまま静かに眠りの世界へと旅立って行ってしまった……。
「………?」
だが、その眠りはすぐさま何者かによって遮られてしまう。
半眼のまま起き上がると、インターホンが鳴り響いている事に気づく。
しかし夢の世界に旅立ちかけていたフィアは睡魔に抗えず、そのままベッドに潜り込んでしまった。
少し我慢すれば相手も立ち去るだろう、そう思っていたが……やがてガスが抜けたような音が聞こえ、入口の扉が開かれてしまう。
「……もぅ、無用心なんですから」
(………シエル?)
声を聞き、部屋に入ってきた人物がシエルである事がわかり、フィアはゆっくりと起き上がる。
部屋に黙って入ってきた事に対する文句は無い、こちらが鍵を掛け忘れたという落ち度がある、とはいえ眠りの邪魔をされた事による文句はあったので、彼は起き上がりシエルへと視線を向け……固まった。
「…………なにそれ?」
「あっ!? お、起きて…いたのですか!?」
フィアと視線を合わせたシエルは、驚きながら顔を赤らめていく。
対するフィアは掛けるべき言葉が浮かばず、視線をシエルの顔から顔から足元までゆっくりと眺めるように移動させる。
まるで嘗め回すかのような視線だが、今のシエルの恰好を見ればおもわずそうしてしまうだろう。
今のシエルはいつもの普段着ではなく、かといってブラッドの制服を着ているわけでもない。
「……それ、なに?」
「……………あ、貴方のメイドさん、です」
顔をこれでもかと真っ赤にしながら、よくわからない台詞を口走るシエル。
恥ずかしいのなら言わなければいいのにと心の中でツッコミを入れつつ、フィアは改めてシエルの恰好を見やる。
……メイドである、十人中十人がそう断言するであろうメイドさん姿で、シエルはフィアの前に現れた。
白を基調としたフリル多々なメイド服にミニスカート、頭にはしっかりとカチューシャを付け左胸にはご丁寧にネームプレートを装着している。
ある意味衝撃的な彼女の姿に、フィアは一気に眠気を地平線の彼方まで押しやりながらも、とりあえず経緯を訊く事にした。
「なんでそんな恰好をしてるの?」
「……似合いませんか?」
「そういうわけじゃない、その恰好自体は可愛いと僕は思う」
「……可愛い、ですか」
嬉しそうに頬を緩ませるシエル、その姿もたいへん可愛らしくフィアはおもわずドキリとした。
いやそうじゃないだろとすぐさま自分に言い聞かせ、フィアは改めてその恰好に至る経緯をシエルに訊ねる。
――事の発端は、今からおよそ三十分前に遡る。
死闘とも呼べるアナグラ防衛戦を戦い抜き、まだ傷が完全に癒えないというのにシエルは訓練に明け暮れていた。
現状、螺旋の樹内部調査はできず、かといって前の防衛戦の影響かアラガミの姿が確認できず目立った任務も無い。
だから彼女はその時間を利用して、新たなバレッドを作ろうと躍起になっていた。
「シエルさん、休んだ方が良いですよ?」
「……アリサさん」
そんな鬼気迫る雰囲気のシエルに話しかけたのは、同じく訓練に来たであろうアリサであった。
一度バレッドを発射する手を休め、アリサに視線を向けるシエル。
その表情の中には確かな疲労の色が見え、無茶をする彼女にアリサは苦笑しつつ口を開いた。
「休むのも仕事です。いつ螺旋の樹内部の調査が始まるか判らないんですよ?」
「……わかっています。ですが、あの戦いで私自身の力不足が改めて浮き彫りになってしまった以上、立ち止まってはいられません」
効率の良い方法ではない事はシエル自身理解している、だが今の自分では仲間を……そしてフィアを守れない。
彼女が開発したブラッドバレッドは確かに強力な攻撃力を持つ、しかしそれでも規格外と呼べるアンノウンや魔神相手では決定打になりはしない。
だからあれ以上の攻撃法を編み出さなければ……そこまで考え、シエルの中で最悪な未来が一瞬だけ浮かび上がる。
「駄目ですよ、そんな考え方では前に進めません」
「……ですが」
「無理に力で支えようとしなくていいんです、それよりも今は……フィアさんの“心”を支えてあげた方がいいんじゃありませんか?」
「心を、ですか……。でも、私はそういった事が不得手といいますか、どうすればいいのかわからないんです……」
「ふふふ……大丈夫ですよシエルさん、男性を喜ばせる手は私が授けてあげますから」
そう言ってアリサは笑う、しかしその笑みを見て……なんだかシエルは嫌な予感がした。
とはいえここで逃げるわけにもいかず、それにせっかくアリサが助言をしてくれるのならと思ったシエルは……気がついたら、メイド姿にさせられていた。
いや本当にあれよあれよという間であった、さあさあさあと凄まじい圧しっぷりに唖然としていると、こんな恰好にさせられていたのだ。
そりゃあ勿論シエルは当初こんな恰好でフィアの元に行くのは嫌がった、しかしアリサに私服を没収された彼女に選択肢は無く……現在に至るわけで。
「と、というわけで……これから、その…ご、ご奉仕をですね……」
「シエル、無理しなくて良いから。というか今は寝かせてほしいんだけど……」
メイドシエルの登場で一時的に眠気が去ったものの、所詮一時的なものなので再び眠そうな顔になるフィア。
それを見て――シエルは顔を赤らめながら、何かを決心したような表情を浮かべる。
一体何をするつもりなのか、そう思いながらもフィアは再びベッドへと身体を預け……頭を持ち上げられてしまった。
その後すぐに感じる柔らかく暖かな感触に眼を開けると、視界の先にはシエルの胸…ではなく、真っ赤になったシエルの顔が。
「……何してるの?」
「ひ、ひ、膝枕、というやつです……」
「…………」
成る程、この柔らかく暖かな感触はシエルの太股なのかと1人納得するフィア。
そして彼は再び瞳を閉じ、自分の身体をシエルへと預け始める。
「ど、どうでしょうか……?」
「……気持ち良いよ、シエルの脚」
「っ、そ、そういった感想は求めてはいないのですが……」
じゃあどう言えばいいんだよ、そんなツッコミが喉元まで出掛かったが結局それを口にはせず、フィアはやがて安らかな寝息を立て始めた。
その寝顔は歳相応で、いつもの凛々しく頼もしい雰囲気は無く……幼くて、同時に儚く見えた。
眠ってしまったフィアに右手を伸ばし、彼の髪を優しく撫でるように掬うシエル。
サラサラとした感触を楽しみながら、シエルの心は温かな幸福感に包まれていった。
(フィアさんを癒す筈が、私が癒されていますね……)
いずれ近い内に、再び戦いの中に身を投じなければならない。
特にフィアは自分達とは比べ物にならない困難が待っているだろう、それに彼は平気で無茶をするから尚更だ。
だからせめて、今だけは彼に安らぎの時を過ごしてもらいたい。
そしてこれは贅沢かもしれないが、そんな彼の傍に片時も離れたくないとシエルは願わずには居られない。
(想いが、日に日に強くなっている……彼に喜んでもらいたいからって、こんな恰好をするなんて少し前の私なら考えもしなかった……)
とはいえ、それが良いのか悪いのか判断に困る案件ではある。
だがシエルのフィアに対する想いは彼女の思う通りますます大きく膨れ上がっている、それが彼女には少し恐く…でも、嬉しかった。
彼を想うだけで幸せな気持ちになれる、彼が安らいだ表情で休んでいるだけで安心できる。
狂おしいまでの愛情をシエルはフィアに抱き、けれどその愛情は決して狂気ではない。
「フィアさん、好きですよ……」
囁くように愛の言葉を眠っているフィアに告げ、シエルはそっと顔を近づけ……彼の頬の口付けを落とす。
その行動は自然なもので、シエル自身「羞恥心」よりも「愛しい」という感情が勝ったのか、顔を赤らめたりはしなかった。
――だが、彼女は一つ失念している。
――部屋に入った後、彼女は扉の鍵を閉める事を忘れていたのだ。
「っ」
パシャリという音が聞こえ、シエルの表情が固まった。
数秒後、彼女はゆっくりと首だけを入口付近へと向け……再び固まった。
「あ、お構いなく」
「こっちに構わず、好きなだけイチャイチャしててください」
そう言ってムカつくくらい爽やかな笑みを浮かべながら入口付近に立っていたのは、三馬鹿トリオのハルオミとコウタであった。
彼らの右手にはカメラが握り締められており、聡明なシエルは2人が何を撮ったのかを瞬時に理解して……ぼんっと顔を沸騰させた。
勿論すぐさまカメラを没収しようと動こうとしたシエルであったが、現在彼女は眠っているフィアを膝枕している最中である。
つまり動く事はできないわけで、それがわかっているからこの2人は尚も助走をつけて殴りたくなるような爽やかな笑みを浮かべており……再びカメラを構え、シエル達を撮り始めた。
正確にはメイド服姿のシエルをである、カメラを構える2人の表情は馬鹿らしくなるくらい真剣なものだった。
「ちょ、何を撮っているんですか……!?」
「貴重なシエルのメイドコスチューム姿、これは……萌えというジャンルでは割とポピュラーでありながら王道!」
「これは男性局員達が狂喜乱舞すること間違いなしっすね!!」
「あ、あの……ちょっと……!」
抵抗したいシエルであるが、フィアを起こさないようにする為に放たれる声は小さいものであった。
……その後も数分間、ハルオミ達の強制的な写真撮影は続く。
『――ごちそう様でした』
両手を合わせ、拝むようにシエルへと頭を下げる2人は、そのままほくほく顔でその場を去っていった。
残されたシエルはというと、羞恥心と2人に対する怒りから顔は真っ赤に染まり、その表情は悪鬼羅刹といった恐ろしいものへと変貌していたのは言うまでもない。
「…………撃ち貫きますか」
後日、シエルのメイド服姿の写真は裏ルートで出回りまくった。
それを世の非モテ男達は血涙を流しながら買い求め、しかし購入した者の悉くは何者かによって医務室送りにされたのは別の話である。
To.Be.Continued...