さて、今回の物語は………。
「―――キュルル~」
「わ~、可愛いー!!」
アナグラのラウンジ内にて、ナナの感動したような声が響いた。
ナナ、そして彼女の傍らに居るフィアとシエルの視線は1つの場所に向けられている。
視線の先には……檻の中でもぐもぐと食事を楽しんでいる、一匹の動物――カピバラの姿が。
「この子、シエルちゃんが育てる事にしたんだよね?」
「はい。でも動物を育てるのは初めてなので……まだちっとも懐いてくれないんです」
そう言うシエルの指には、何ヶ所か絆創膏が貼られていた。
どうやら噛み付かれているらしい、それも何度も。
それを見て僅かにカピバラに触れる事を躊躇うナナ、噛み付かれたらどうしようと思っていると……フィアが動きを見せた。
徐にカピバラへと近づき、右手を伸ばすフィア。
そしてカピバラの頭へと手を乗せ、軽く押したり横に動かしたりして撫で回し始めた。
「あ、フィアさんダメです! 食事中にこの子を触ったら……」
「………大丈夫だよ、ほら」
「……ホントだ、人懐っこいのかな?」
フィアに撫でられても、カピバラは食事を続けている。
なのでナナもそっと右手を伸ばし、少しおっかなびっくりしながらもカピバラを撫で始めた。
……されるがままのカピバラ、そのおとなしさにナナは自然と笑みを零す。
「可愛いねーフィア、シエルちゃん」
「おとなしいんだね……」
「……………」
「? シエルちゃん、どうしたの?」
何故かカピバラを見ながら微妙な表情を浮かべているシエルに、ナナは首を傾げる。
「……いえ、ただ……私は前にこの子が食事中のときに撫でようとして噛まれてしまいましたから」
「……………」
「……シエル、もしかしてこの子に嫌われてる?」
「うぐっ………!」
「ちょ、フィア!!」
あんまりと言えばあんまりなフィアの発言に、短い唸り声を上げるシエル。
歯に衣着せぬ物言いのフィアに驚きつつ、戒めを込めてナナはポカリと彼の頭を軽く小突いた。
……気まずい空気が、辺りに漂い始める。
「あー……あっ、そ、そういえばシエルちゃん。この子の名前ってなんていうの?」
「……名前、ですか?」
どうにか話題を逸らそうと、ナナはシエルにカピバラの名前を問うた。
それが功を奏したのか、シエルの表情が戻り……彼女は、少し自信を込めてカピバラの名前を答えたのだが……。
「――カルビです!」
「…………ふえ?」
「……この子の名前、カルビっていうの?」
「はい、自分で言うのもなんですが……いい名前だと思ってます!」
「……………」
困った、どうリアクションを返したらいいのかわからない。
しかし動物の名前に「カルビ」とは……もしかして、この子がシエルに懐かないのは名前のせいでは…ナナはそう思ってしまう。
だがシエルの顔を見ると「微妙だね…」などと返せる筈もなく、ナナは曖昧な表情を浮かべる事しかできなかった。
「シエル、カルビって名前を付けたから噛まれるんじゃ――むぐっ」
「い、いい名前だよシエルちゃん! 可愛いと思う!!」
「本当ですか? よかった……」
「……むぐ?」
いきなり何をするのか、視線でナナに問いかけるフィアであったが、ナナから「余計な事は言わない」という言葉が込められた睨みを返されたため、おとなしくする事にした。
「―――お疲れ様です。皆さん」
「? あ、アリサさん!」
背後から声を掛けられ、3人は後ろに振り向く。
声を掛けてきた存在がアリサだと認識したナナとシエルは、「お疲れ様です」と返事を返した。
……だが、柔らかな笑みを浮かべているものの、アリサの表情には明確な疲れの色が滲み出ている事に気づく。
「お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「はい。私は頑丈ですから大丈夫ですよ、シエルさん」
「で、でも本当に疲れてるように見えますよ? 休んだ方が……」
「わかってます。後はサテライト居住区の入居希望者のリストを作成して、サカキ博士に提出して……後は、新しく見つかった候補地の建築計画とその周辺の警護を担当する人員のリストと……」
「ちょ、そこまでやるんですか!?」
具体的な内容がどんなものかはわからないナナであったが、それがすぐに終わるような仕事ではないと理解できる。
目に見えて疲労の色が濃いアリサに、そこまでのオーバーワークは厳しい筈だ。
「しょうがないですよ。サテライト計画はフェンリル本部の支援を受けない計画ですから、専門家もいない以上誰かがやらないと」
「ですがアリサさん、何もお一人で抱え込まなくても……」
「1人じゃないですよ。私がこうやってデスクワークに集中できるのも、カズキが私の分まで現場で頑張ってくれてるお陰なんです。
クレイドルのメンバーで感応種と戦えるのは私とカズキだけなのに、あの人は私が内側の仕事に専念できるようにすぐ無理をするんですよ? だけど、そのお陰で随分楽をさせてもらっています」
カズキが外を、そしてアリサは内を。
それぞれの現場で己のできる精一杯の事をする、だからこそ当初よりも遥かに早い段階でサテライト計画は進んでくれているのだ。
名も知らぬ力なき者達のために…などというおこがましい考えはない、ただ自分にできる事をしているだけだ。
「それに無理はしてないですよ、休める時にはちゃんと休んでます。まあ……時々休む誘惑に負けて仕事を遅らせてしまう事もありますけど」
冗談めかした口調で、アリサは言う。
しかしそれは本当の事だ、前に無理をして倒れてしまった際に…アリサはカズキとお互いにある約束を交わした。
『頑張る所は精一杯頑張る、でも倒れるまで頑張ってしまえば今まで頑張ってきたものが無駄になってしまう事だってある。
アリサ、僕も絶対に無理はしないと約束する。だから君も今回みたいに頑張りすぎないでね?』
カズキはその約束をきちんと守っている、疲れた顔は見せるが一度も倒れるまで頑張った事はない。
彼はわかっているのだ、自分が倒れた時に周りに多大な迷惑を掛ける事と…己の身体は己だけのものではないと。
だからアリサもその約束を何が何でも守る事を誓った、あれから彼女は一度も倒れるほどの激務をこなしてはいない。
「無理をしない。それができない人はいつか自分自身を殺す事になります、私にはそんな事は恐くてできません。
ですから……皆さんもくれぐれも無理はしないでください、あなた達が無理をすれば…悲しむ人が居るのを忘れないでください」
そう言ってアリサは――フィアへと視線を向けた。
あなた達、彼女はそう言ったが今の言葉は明らかにフィアへと向けたものであった。
それに気づいたフィアは反論しようとして……けれど何も言わず、アリサの視線から逃れるように顔を逸らした。
同時に彼は、内心どうして自分は反論しなかったのだろうと困惑する。
(僕の力は誰かの為だけに使われなきゃいけない、だから無理をしないなんてできるわけがないのに……)
そう思っているのに、どうして反論できなかったのか。
自分自身の感情が理解できず混乱するフィアであったが、第三者の声が聞こえ我に返る。
「――無理は、してないね?」
「はい、してませんよ」
顔を見ずとも、アリサには声の主がわかり弾んだ返事を返しつつ…彼へと視線を向けた。
3人もそちらへと視線を向ける、そこに居たのは…アリサの夫でありクレイドルの隊員である抗神カズキが立っていた。
「お疲れ様です、カズキさん」
「お疲れ様みんな、アリサも」
「カズキ、今日は戻らないと言っていませんでしたっけ?」
「うん、予定ではそうだったんだけど……事情が変わったんだ」
「………何か、あったの?」
事情が変わった、そう告げたカズキの声色の変化に気づき、フィアが問う。
するとカズキは少し困ったように…あるアラガミの襲来を4人に告げた。
「――ヴァルキリーが、現れたみたいだ」
『―――――』
ヴァルキリー、その名を聞いて場に僅かな緊張が走る。
個体数が少なく、接触禁忌種以上の力を持った強大なアラガミ。
幸いにも偏食因子の影響か人間が住まう場所にはあまり近づかない傾向だが、今回は例外らしい。
「フィア、シエル、ナナ、悪いけど……僕を含めたこの4人のチームでヴァルキリー討伐ミッションに出撃してほしい」
「えっ、わ、私もですか!?」
「今、ヴァルキリーの相手ができるのは僕達4人だけだからね。
一般に神機使い以上の力を持つ君達ブラッドなら、ヴァルキリーにも充分対応できる筈だ」
「……うん、わかった」
ならばさっさと出撃準備を済まさなければ。
そう思ったフィアは、すぐさまラウンジを後にしようとして――カズキに止められる。
「フィア」
「………?」
「自分の力は他人の為に使う。それを間違いだとは言わないけど……正しい事でもない、それを忘れないで」
「…………」
フィアは答えない。
視線を逸らし、カズキに何も言わないままラウンジを後にした。
「……ナナ、シエル、フィアの事……見てあげてね?」
「はい、勿論です!!」
「フィアはすぐ無茶しますからね、任せてください!」
「………アリサ、いってくる」
「はい、大丈夫だとは思いますが…気をつけて」
「わかってるよ」
優しく微笑み、アリサと軽い口付けを交わすカズキ。
しかしここは公共の場である、周りには当然他の人が居る。
だというのにこの夫婦は……呆れながらも、周りの目は口付けを交わす2人に向けられる。
そして、それを近くで見ていたナナとシエルは頬を紅潮させ、こっそりこの場から去ったのは言うまでもない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――極東支部に、ゆっくりと歩んでいく1つのアラガミ
手には巨大な槍、全身を白い鎧のようなものを身に纏った人型のアラガミ――名はヴァルキリー。
アラガミの中でも絶大な力を持つこの存在は、力なき人類にとって縋るべき神ではなく恐るべき死神だ。
事実、ヴァルキリーは極東支部の人間全ての命を捕喰するために進撃しているが……ふと、その脚を止めた。
――次の瞬間、ヴァルキリーの前に3人の人間が上空から降りてきた
「……………」
「っ、こいつ………!」
ヴァルキリーを見て、フィアはある事に気づく。
右肩に刻まれた深い傷、それはかつて自分が付けた傷だろう。
あの時のヴァルキリーが再び現れた、その事実にフィアは神機を持つ手を強めた。
「フィア、先行しないように」
「……………」
「フィア、聞いてるよね?」
「――僕が前衛に行く!!」
瞬間、フィアは地を蹴りヴァルキリーに向かっていく。
「ちょ、フィア!?」
(――フィア、何を焦っているんだ!!)
舌打ちしつつ、カズキとナナもフィアの後を追った。
身構えるヴァルキリー、フィア達に対し絶殺の意志を込め戦闘態勢に入る。
――戦いが始まった
だが、彼等はまだ気づいていない。
自分達の戦いを見つめている存在が居る事に―――
「きゅー………?」
To.Be.Continued...
次回、新たなキャラが……って、わかりますよね。