そして、とある1人の少女の心も……僅かな変化を見せていた。
今回は、そんな一幕を紹介しよう………。
―――第003サテライト居住区
アナグラで暮らせぬ人々が新たに住まう事となった箱庭。
そこに向かって、一台のトレーラーが移動していた。
「ここも思っていたより早く完成したのね」
「カズキさん達が頑張ってるからよきっと」
助手席に座る少女、葦原ユノはそう言って運転している自分のマネージャーであるサツキへと視線を向ける。
「まあ、あの人達は揃いも揃ってお人好しだものねー」
「もぅ……すぐそうやって捻くれた言い方するんだから。
カズキさんやアリサさんの方が、サツキよりも大人ね」
「心外ねー、現実的だと言ってほしいわ」
「はいはい」
そんな会話をしつつ、トレーラーは居住区へと向かっていく。
今日はこの居住区でライブを行うため、ユノ達はトレーラーで移動していた。
「ねえ、サツキ」
「んー?」
「あのね、ライブが終わったら……極東支部に寄れる?」
「まあ寄れない事もないけど、どうして?」
「………秘密」
自分から視線を逸らすユノに、サツキは首を傾げる。
しかし今も言ったが寄れないわけではない、彼女の願いなら時間を調整してやる事にしよう。
サツキはそう思い、それ以上ユノに問いかけることはなかった。
――やがて、サテライト居住区へと辿り着く2人
トレーラーを中に止め、サツキは早速準備を始めた。
ユノは準備が終わるまでやる事はない、なので居住区の中を見る事にしようとトレーラーから降りる。
完成したとはいえ、お世辞にも居住区の中の生活レベルは決して高くない。
しかしここに住まう人達からは、悲観的な感情は見えず「生きよう」とする力強い意志を感じ取れた。
こんな世界の中でも、アラガミに蹂躙されるかもしれないという危険性が常に付き纏う中でも、人々は逞しく生きている。
それを改めて認識する度に、ユノは人の強さと素晴らしさを思い出せた。
「ユノさん!」
「えっ……? あ、アリサさん!」
名を呼ばれ、ユノは後ろへ振り向く。
そこには、友人であるアリサがにこやかな笑顔でユノに向かって手を振っていた。
ユノも笑みを浮かべ、すぐさまアリサへと駆け寄る。
「お久しぶりです、アリサさん」
「はい、お久しぶりですユノさん。お元気そうで何よりです!」
「アリサさんは、どうしてここに?」
「クレイドルの任務で、サテライト居住区の見回りと移住した人達の要望を訊いて回っているんです。ユノさんは、ライブですか?」
「はい。……相変わらず、お忙しそうですね」
「そうですね。でもこれは自分の意志で決めた道ですから、途中で投げ出したくはないんです。
それにユノさんだって大変そうじゃないですか、毎日極東を回ってライブを行うなんてなかなかできないですよ」
「私には、これぐらいしかできませんから。それに私だってアリサさんと同じ気持ちで今の道を歩んでいますからちっとも大変とは思いません」
自分にできる事を、精一杯頑張る。
ネモス・ディアナで何もできなかった自分に、アリサとカズキが教えてくれた大切な事。
だからユノは今こうして、自分にできる事を模索して歩みを進めていた。
「ところでアリサさん、カズキさんは一緒じゃないんですか?」
「……………」
同じクレイドルの隊員であり、彼女の夫である抗神カズキ。
常に一緒にいるイメージだったため、特に何も考えずにユノは上記の問いをアリサに告げた。
その瞬間、アリサはあからさまに表情を暗くさせユノは自分の失言に気づいたが…もう遅い。
「………カズキとは、もう一週間も会えてないんです」
「あっ………」
「うう……ううぅ……」
先程までの笑顔はどこへやら、悲痛な表情になるアリサにユノは何も言えなくなった。
それと同時に、一刻も早くこの場を立ち去らないといけないと思ったのだが……やはり遅かった。
「ユノさん、聞いてくれます!?」
「えっ、えっと………」
「確かにクレイドルの任務は忙しいですし、とても大切な仕事だって自覚は私にだってあります。
でも、だからってカズキってばこの一週間、一度も私に対して連絡の1つも寄越さないとはどういう了見ですか!?」
「いや、その………」
困った、もう逃げたいとユノは思った。
その後もアリサは不満やら何やらを吐き出していくが……中には惚気話も混じっており、余計にげんなりしたのは言うまでもない。
そして暫くして正気に戻ったのか、それとも吐き出してすっきりしたのか、アリサは恥ずかしそうに顔を赤らめ俯いてしまう。
「す、すみません……ユノさんにこんな事を言ってもしょうがないのに……」
「い、いえ、気にしないでください。でもちょっと意外ですね、アリサさんとカズキさんっていつも仲良しなのに…不満とかあるんですか?」
「それは当たり前ですよ。たとえ夫婦だって考え方も価値観もまったく違うんですから、時には衝突するのは当然です。現に半月前だって、カズキと喧嘩しちゃいましたし」
「えっ……?」
喧嘩をした?あの2人が?
その言葉に、ユノは驚きを隠せないでいた。
当たり前だ、少なくともユノの見た限りではアリサもカズキも本当に円満な夫婦で喧嘩など無縁としか思えなかったからだ。
「いつまでも仲良くラブラブなだけの夫婦なんて、それこそ小説やマンガの世界ですよ。
現実ではやっぱりどんなに愛し合っていても相手に対する不満や「こうしてほしい」っていう要望が出てきます、むしろそれが当たり前で自然な事だと私は思いますね。
だから時には衝突するのもとても大切だと思います。自分の考えている事、相手の考えている事、それが分かり合えるんですから夫婦喧嘩も長く一緒にいる秘訣ですよ」
「喧嘩する事が、必要な事ですか?」
「確かに喧嘩って辛いし苦しいです、私も…きっとカズキも喧嘩して相手を傷つけたら悲しいって思います。
でもその先に、相手の思っている事や不満点がわかって、もっと相手の事を理解できるようになったら……きっとより一層愛情を注げると思うんです。
少なくとも私は、恋人だった時よりも結婚した時よりもずっとずっと…カズキの事を愛せるようになったし尊敬できるようになりました」
喧嘩する事で、お互いに尊重しあえる心が育まれる。
そして愛情を増やし、また喧嘩をして…きっと夫婦というのはその繰り返しの果てに続いていくものだとアリサは思っている。
中にはそれに耐え切れず別れてしまう夫婦もいるだろう、だがそれもまた仕方のない事だ。
一方が相手を尊重しても意味はないし、他人だからこそ自分とは違う考え方や価値観を受け入れなくてはならない。
それができない夫婦が分かれてしまうのは、道理であった。
「………アリサさんって、凄いですね」
「あはは……でも私はまだまだ子供です、さっきだって随分子供っぽい事をしてしまいました……」
「でもそれは、アリサさんがカズキさんを心から好きだからですよね?」
「……そう、ですね。大切な人だから一緒に居たいんです……頭ではわかっていても、感情が納得してくれないんですよ」
「……理屈じゃ、ないんですね」
その気持ち、ユノにはなんとなくだがわかった気がした。
愛しい人に会いたいという気持ちと、自分のやるべき事をしなければという気持ち。
どちらも優先すべき大切な思いだ、どちらかを蔑ろにする事などできるわけがない。
(大切な人、か………)
同じ女性として、ユノはアリサが羨ましくなった。
いつか自分にもアリサにとってのカズキのような人が現れるのだろうか、そんな事を考えてしまい、僅かに顔が熱くなる。
「ところでユノさんには、そういった方はいらっしゃらないんですか?」
「えっ………」
それは、完全なる不意打ちの言葉であった。
おもわず顔を上げてしまい、赤い顔をアリサに見せてしまうユノ。
それを見て、アリサの顔がどこか楽しげなものへと変わってしまった。
「その反応……居るんですね!?」
「ええっ!? あ、いえそれは………」
「どもる所が怪しいですね、素直に吐いちゃったらどうですか!?」
「ち、近いですアリサさん………」
ずずいっと迫るアリサに、ユノは心の中でドン引きした。
しかしアリサは離れてくれない、返答するまで逃がさないと言わんばかりの表情を浮かべている。
………困った、別に自分にはまだそういった対象などいないというのに。
だがそれをアリサに言った所で、今の彼女が信じるとは思えなかった。
「どうなんですか、どうなんですか!?」
「ア、アリサさん落ち着いてください!」
「これが落ち着いていられますか! 最近こういった会話ができてなかったんですから!」
(い、いつものアリサさんじゃない………)
困り顔のユノに、尚も攻め入るアリサ。
本格的に困ったと思い始める彼女だったが、そんな彼女を助ける救世主が現れた。
「はいはい、あまりウチのユノを困らせないでくださいねー?」
「サ、サツキ………」
ユノとアリサの間に割って入り、アリサをジト目で睨み付けるサツキ。
助かった、心からそう思いながらユノはそっとサツキに対し感謝の言葉を送る。
一方、サツキの登場により正気を取り戻したのか、アリサは慌ててユノに頭を下げ始めた。
「す、すみませんユノさん!」
「い、いえ……気にしないでください」
「ユノはあなたみたいに惚気ばかりの子じゃないんですから、もう少し自重してくださいねー」
「うぐっ……すみません……」
いつものサツキの皮肉も、今回ばかりは甘んじて受けざるおえないアリサ。
「ほらユノ、もうすぐライブが始まるから準備を始めて頂戴。それとアリサさん、他のクレイドルの隊員さんがあなたを捜してましたよ?」
「えっ!? わかりました、ありがとうございます。それじゃあユノさん、ライブ頑張ってください!!」
矢継ぎ早にそう言って、急いでアリサはこの場を走り去っていく。
慌しい彼女を見て、サツキはわざとらしく溜め息を吐き出していた。
「まったく……あんなんで大丈夫なのかしらね?」
「大丈夫よサツキ、アリサさんの活躍は私よりサツキの方がよく知ってるでしょ?」
「………さてね。そんな事より早く準備して」
「わかってる、じゃあ……頑張ってくるから!」
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――それから、ユノは無事ライブを終わらせた
沢山の歓声と、また来てほしいという要望を受けながら、ユノはサツキと共に次なる居住区へと向けて旅立った。
その道中、ユノはサツキに頼んで通信機を借り……ある場所へと通信を送る。
繋がる間、ユノは少しずつその顔に緊張の色を浮かべていき、そして通信が繋がり…男性の声が聞こえてきた。
『………ユノか? どうした?』
「あ……ジュ、ジュリウス……」
通信機から聞こえるジュリウスの声に、ユノはおもわずどもってしまった。
いつもと違い相手の顔が見えない状態での通信に、彼女はどこか緊張しているのかもしれない。
……いや、彼女が緊張している理由はそんなものではなく。
「ご、ごめんね急に……」
『別に構わない。それよりどうした? もうすぐ極東に来れるのか?』
「あ……その、ね。実は予定が狂っちゃって極東に行けるのが先になっちゃったの」
サツキがスケジュールを調整しようとしてくれたのだが、結局極東に寄れる機会は先延ばしになってしまったのだ。
『そうか……それは残念だ』
「……………」
その言葉は、世辞でもなんでもないジュリウスの本心から放たれた言葉だった。
ユノの希望も混じっているかもしれないが、少なくとも彼女はジュリウスが残念がっているように思えた。
それが……ユノには嬉しくて、おもわず口元に笑みを浮かべてしまう。
『それだけか?』
「えっと…用件は、それだけなんだけど……」
『? それだけ…なのか?』
「………その、ね。あの………」
口が回らない、喉がカラカラと渇いていく。
どうしてこんなにも緊張しているのか、もう何度も彼とは通信越しで会話をしているのに。
いつまで経っても何も言わないユノに対しても、ジュリウスは何も言わず彼女の言葉を待っていた。
そんな彼の優しさに感謝しながら、ユノはようやく言葉を続ける。
「極東に行ける日が、先延ばしになったから…それに、忙しくなりそうだから……」
『なりそうだから、なんだ?』
「………………貴方の」
『俺の?』
「貴方の……声が、聞きたくなって………」
そこまで言って、ユノの顔が真っ赤に染まる。
なんて恥ずかしい事を言っているのだろう、ユノは自問自答しつつも…後悔はしなかった。
だって、彼の声が聞きたいと思った自分の気持ちに、嘘はなかったから。
でも、どうして自分はそう思ったのだろう?その理由だけはわからなかった。
『………変わったヤツだな、君は』
「っ、い、いいじゃない別に!」
『別に悪いと言っているわけではないさ、それに……そう言ってくれるのは嬉しいと思ったよ』
「えっ………」
嬉しいと、彼は言った。
貴方の声が聞きたかった、そんなおかしな事を言った自分を笑う事無く、嬉しいと言ってくれた。
………その言葉がユノの心にすんなりと入り込み、暖かな気持ちが生まれる。
「……ありがとう、ジュリウス」
『ん? 何か礼を言われるような事をしたか?』
「いいの。私が貴方にお礼を言いたかっただけだから」
『そうか……』
「突然ごめんね、大変だと思うけど……頑張って」
『ああ。ユノも大変だとは思うが頑張ってくれ、ではな』
ジュリウスとの通信が切れる。
淡白な彼らしい最後だったが、それでもユノは構わなかった。
暖かな気持ちはまだユノの心に残り、その正体はわからなかったものの…ユノは幸せだと思った。
優しい笑みを浮かべ、右手で自分の胸をそっと触れているユノを、サツキはバックミラー越しに見ながら苦笑する。
(あらあら……前から怪しいとは思っていたけど、ね)
果たして、ユノが抱いている気持ちはどうなるのか。
親友として、幼馴染として楽しみではあるが……少しだけ不安でもあった。
しかし彼女は何も言わないし何もしない、傍観者に決め込む事にした。
だって……その方が楽しいではないか。
「ユノー、通信終わったなら助手席に戻って頂戴」
「あ、うん……わかった」
(……さてさて、どうなるのかしらね?)
To.Be.Continued...
ずっと仲良しなんてのはそれこそフィクションの世界だけだと私は思います。
もちろん仲良しのままなのが一番ですが、他人だからこそ衝突する……この事実は決して変わらないですね。
まあ難しい話をしたいんですが、結局元のバカップルに戻っちゃいますけどねあの2人は(笑)
暫くは戦いこそあるもののシリアスからは遠ざかると思います、多分ね。