Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結)   作:ファルメール

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第08話 もう一騎のサーヴァント

 

 冬木教会。

 

 聖堂教会から派遣された監督役の拠点であり、サーヴァントの消滅や令呪の放棄によって聖杯戦争から脱落したマスター達を保護する為の避難所。

 

 その礼拝堂は、今は異様な緊張感に包まれていた。

 

 他より一段高い場所に立つ前回より引き続いての聖杯戦争の監督役、言峰璃正神父は全陣営が揃った事を確かめて、そして話を始める。

 

「今、聖杯戦争は重大な危機に見舞われている。キャスターのマスターが、昨今世間を騒がせている連続誘拐事件の犯人である事が判明したのだ」

 

 しかもそいつは、マスターとなった現在ではサーヴァントの力を用いて日夜犯行を繰り返している。その行動はエスカレートする一方。

 

 よって璃正神父は監督役の権限を発動。暫定的なルール変更を行い、全ての陣営はただちに互いの戦闘行動を中止し、キャスター討伐を行うようにと言い渡してきた。

 

 勿論、最弱と呼ばれるキャスターとて相手はサーヴァント。如何に監督役の指示とは言え無条件で「はいそうですか」と従う者は居ないだろう。あるいは他の陣営が弱らせた所で漁夫の利に与ろうと、足の引っ張り合いを演じるかも知れない。

 

 そうした事態を回避する為に、神父はロバ達の前にニンジンをぶらさげる。

 

 カソックの袖をまくる。すると老境に差し掛かりながら未だたくましい腕が姿を見せ、しかし目を引くのはそれではなく、腕全体にびっしりと刻まれた聖痕、令呪だ。その数は、参加者にそれぞれ配布される三画どころではない。軽く十画、それ以上はある。

 

 過去の聖杯戦争に於いて、マスター達が使い残した物だ。

 

「キャスター及びそのマスターを討ち取った者には、特例措置の報奨として追加令呪一画を寄贈する。複数のサーヴァントが協力して事を成し遂げた場合には、参加した各陣営のマスターにそれぞれ一画ずつの寄贈を約束しよう」

 

 令呪とは自己のサーヴァントにどれほど望まぬ行動であろうとその意を無視して強要する事の出来る絶対命令権であり、同時にサーヴァントが持つ能力の範疇を超えた行動を取らせる事の出来る切り札でもある。

 

 どちらの使い道にしても全てのマスターにとって、追加令呪を手に入れられるか否かで自分の生存・勝利の確率が大きく変動すると言っても過言ではない。

 

 これで全てのマスター達はキャスター討伐に力を注ぐ事になるだろう。

 

 これは神秘の漏洩に一切の配慮を行っていないキャスターに対して、この冬木の地のセカンドオーナーである遠坂と結託している璃正が打ち出した策である。

 

 本来なら連続殺人犯への対処は警察の仕事だが、恐らくは人数合わせでキャスターのマスターに選ばれた殺人鬼はサーヴァントの力によって兇行を繰り返している。これではもう彼等の手には負えない。サーヴァント相手には、サーヴァントを以て対するしかない。その為の、この特例措置だった。

 

 また遠坂以外でも、魔術師として神秘の秘匿という観点から考えればキャスター陣営の暴挙は見過ごせるものではなく、そうした事情に令呪の寄贈も手伝って、マスター達はキャスター狩りに本腰を入れて掛かるだろうと、時臣や璃正は見ていた。後は集中砲火を受けて弱り切ったキャスターをいかにしてアーチャーが仕留めるかだが……

 

「では、質問のある者は今この場で申し出るように。尤も……」

 

 人語を話せる者に限らせてもらうがねと、老神父は苦笑いと共にこぼす。

 

 この場に自らの足で出向いているマスターは一人も居らず、5人全員が代理で”出席”させた使い魔を目と耳にして、監督役からの指示を聞いていた。

 

 これまでは。

 

「では、私から一つ質問があるわ」

 

 勢い良く礼拝堂のドアが開かれる音に反応して、璃正神父と3体の使い魔の視線が一斉にそちらに注がれる。

 

 入ってきたのはフィオとケイネス。ライダーとランサーのマスターであった。

 

 二人は肩を並べて璃正の5メートルほど手前まで歩み寄ると、そこから更にフィオが一歩踏み出して質問内容を口にした。

 

「言峰神父。仮にキャスター陣営を討伐する過程で、私が現在のマスターを殺害してキャスターの新しいマスターとなった場合にも、追加令呪は寄贈してもらえるのかしら?」

 

「むう……」

 

 老神父は言葉を濁し、即答を控えた。

 

 この質問は予想外だった。しかし考えてみれば、魔術師の世界では生ける伝説であるロード・レンティーナ程の実力者であればどちらか一方の魔力供給を絞っての捨て駒のような扱いは言うに及ばず、二騎のサーヴァントに最大限の能力を発揮させつつの同時使役とて、決して不可能ではないだろう。

 

 だが、無条件にそれを認めたのでは……

 

 様々な要素を検証して十数秒程黙考した後、璃正は妥協案を提示する事にした。

 

「よろしいでしょう。ただしその場合には私の前で令呪一画を使用して、キャスターが今後このような真似をしないよう、命じてもらう事を条件とします」

 

 非道を行っているキャスター陣営を止めるという建前の上からも、これは当然と言えば当然の条件だった。

 

 一方で遠坂陣営に肩入れしている璃正の本音では、ただでさえフィオというナンバーワンの魔術師の存在は時臣の優勝への最大の障害だと言うのに、それが二騎のサーヴァントを得るとなれば、諜報面を水面下で協力関係にある綺礼のアサシン群が担当し、戦闘面を最強のサーヴァントであるギルガメッシュが担うという必勝の布陣をも崩されかねない。それを簡単に行わせる訳には行かなかった。

 

 そこでこの条件である。

 

 サーヴァントを他のマスターから奪い取る事は禁止されていないが、その場合、特に対象となるのが元のマスターへの忠誠心が篤いサーヴァントの場合は新しいマスターに従う義理など無く、それでも従わせたいのであれば令呪によって「主替えに同意せよ」等の命令を下す必要がある。しかもそれではそのサーヴァントはあくまで強制的に命令に従わされているだけであり、積極的な働きはまず期待出来ない。使い道があるとすれば精々が他陣営の戦力を測る為の当て馬か捨て石だろうが、それとて改めて令呪が必要になるかも知れない。

 

 現在、快楽殺人者に従っているキャスターを完全に御す為にはいかなフィオとて令呪の一画は必要だろう。そして教会にて追加令呪を手に入れようと欲するのならば更に一画。報奨の一画を計算に入れても彼女は一画分を損する計算になり、今後の展開によってはそれ以上の無為な損失も十分に有り得る。

 

 聡明な彼女が、こんな事にも気付かない筈はない。

 

 これなら、彼女は新しいサーヴァントを得るメリットと切り札を失うデメリットを同時に背負う事となり、簡単にはキャスターを自分の手駒には出来ないだろうと璃正は読んだのだ。が、

 

 フィオとケイネスは互いに笑って頷き合い、そして女性魔術師の声が、高らかに礼拝堂に響き渡る。

 

「了解しました。では、出てきなさいキャスター」

 

 

 

 

 

 

 

 遡る事9時間。

 

 シャーレイの調査によっていずれかの陣営の拠点に繋がっていると見られた巨大排水溝を、ライダーの宝具・「日輪の戦車」(ヘリオス・チャリオット)は水の流れに逆らって走っていた。バーサーカーかキャスターか、いずれにせよ半々の確率で現在冬木市で発生している連続殺人・誘拐事件の犯人と考えられる陣営の拠点へと殴り込む為である。

 

 仮にハズレであろうとそもそも敵の拠点を潰す事は戦略上、大きな意味がある。そうした判断もあって、フィオはこの作戦にゴーサインを出したのだ。

 

 だが今、戦車には御者であるライダーとそのマスターであるフィオの他にもう二人、他の顔が見えた。ケイネスと、ランサーだ。

 

 ”狐狩り”とフィオが称したケイネスへの誘い。その言葉の意味する所はつまり、共同しての敵陣営への強襲であった。

 

 ケイネスとしては対アーチャー同盟の有力候補であるフィオには良い印象を与えておきたかったし、彼にとっても他のマスターの拠点を落とす事には大きな意味がある。ついさっき拠点の一つを失った身としては尚更だ。あるいはこれから攻め落とす所を新たな拠点として使う事も出来るかも知れない。

 

 何より、彼もこの町で起こっている連続殺人事件についてはニュースで見知っている。それだけでは警察の仕事だと割り切っていたが、下手人が魔術師、しかもサーヴァントを従えたマスターの仕業であると知ったからにはもう黙ってはいられなくなった。

 

『魔術をそのような事に使うとは……魔術師殺し以上に許せん……!!』

 

 誇りある魔術師としてカラクリ仕掛けに頼る魔術師殺しにも怒りを覚える所はあるが、それでも奴は殺し殺されるのが日常の魔術師を狙う暗殺者であり、巻き添えを出す事があろうともそれはあくまでも結果だ。

 

 対してキャスターとそのマスターは、抗う術を持たぬ無辜の民を狙って魔術による兇行を繰り返している。アーチボルトの名家に生まれ、幼い頃から『高貴なる者の義務』(ノーブレス・オブリージュ)を叩き込まれているケイネスには、断じて許せなかった。そのような賊に情けは無用。魔術師同士の決闘と思って参加したこの聖杯戦争だが、今回ばかりは違う。これは決闘ではなく誅伐だ。

 

 生粋の騎士であるランサーが主のこの行動に賛成であるか否かなど、言わずもがなであった。

 

 弱きを助け強きを挫く、それこそが騎士道。

 

 その生き様を死して尚貫く彼にとって、幼子を拐かし殺めるような外道を野放しにしておける道理など無い。

 

「……気に入らないわね……」

 

 一方、フィオは難しい顔だった。

 

 元より何か気に入らなかったこの工房の在り方だが、この城攻めを行うに当たってその思考がどんどんと強くなっていた。

 

「のう、奏者よ……どうにも妙ではないか? 拠点と言うから余は、てっきり釣り天井とか壁から槍とか、あるいは使い魔の類でも出てくるものだとばかり思っていたのだが……」

 

 残念そうな口調でライダーが言う。

 

 そんでもってその罠だの番犬代わりの使い魔だの悪霊だのを、余の戦車で以て鎧袖一触と吹き飛ばしてやる予定だったのに。そうすれば奏者の余に対する好感度は、鰻登りというヤツよ。

 

 だが現実はそんな彼女の期待を裏切り、ここまで全くの無抵抗。トラップも使い魔も何も無い。拍子抜けを通り越して不気味な程に、何も無い。

 

「キャスターだかバーサーカーだか知らぬが、期待外れも甚だしいわ!!」

 

「解せませんな……キャスタークラスの拠点かも知れないという事で、場合によってはランサーを前面に立たせる事も考えていたのですが……」

 

 流れていく風景を見渡しながら、ケイネスは顎に手をやって考えていた。

 

 フィオから今回攻める工房の主は、キャスターかバーサーカーで半々の確率であると聞いていた。最弱と呼ばれるキャスタークラスだが、陣地防衛・籠城戦に於いては7騎中最強を誇る。

 

 ケイネスの工房とて20層を越える結界、3基の魔力炉、番犬代わりの悪霊・魑魅魍魎が数十体、異界化させた廊下など対魔力次第ではサーヴァントであろうと痛手を負わせる事が可能な代物だが、現在よりも遥かに魔術が強力であった時代に魔術師として名を馳せた英霊となれば、それ以上の恐るべき魔術要塞を築き上げているだろう。

 

 ならば頼りにすべきはセイバーに次ぐ対魔力と破魔の槍を持つランサー、だったのだが……槍使いには未だ出番が回ってこない。

 

「この静けさ……既にこの先の拠点は放棄されたのか、あるいは何かの罠かも知れん。ランサー、警戒を怠るな」

 

「はっ!!」

 

 言われるまでもなく一瞬も気を緩めずに周囲を見渡していたランサーだったが、主のその言葉を受けて気を引き締め直し、警戒心をより一層強くする。

 

 ややあって、長い通路を抜けて戦車は広い空間に出た。

 

 こうしてサーヴァントが堂々と、しかも2騎も乗り込んできていると言うのに、迎撃にサーヴァントが出てくる様子も仕掛けられたトラップが作動する気配すらも無い。

 

 代わりに、彼等の前には”芸術”が広がっていた。

 

「お、おい……奏者よ……これは……!!」

 

「なんと……」

 

「……悪趣味な」

 

「惨い事を……」

 

 来客達は、一様に顔を歪める。そこは、さながら雑貨店の様相を呈していた。家具があり、テーブルがあり、棚がある。その全てが、人体によって作られていた。魔術師の感性をして圧倒される異様。

 

 と、暗がりの中からそれらを作った芸術家が顔を出した。

 

「あれぇ、お客さん? あんた達もキャスターみたいな悪魔を連れてるのかい?」

 

 その青年は顔には友好的な笑みを貼り付けているが、彼の両手は赤く濡れていて、しかも血の滴る糸鋸を手にしている。

 

 これで九分九厘、彼が一連の事件の下手人であると確定した訳だが……一応、確認しておく事にした。

 

「この素晴らしい作品の数々は、あなたが作ったの?」

 

 フィオは可能な限り声に毒を含ませて、皮肉をたっぷりと乗せて言ってやったが、この青年には通じていないようだ。

 

「そ♪ この”れーじゅ”ってヤツでキャスターに魂食いさせれば、眠るみたいに綺麗にこ」

 

 得意げな口調と共に、一画だけになった令呪を宿したその手を見せびらかすように上げる青年だったが、

 

「ランサー」

 

「はっ!!」

 

 その先を言う必要は無いと、ケイネスの指示を受けて槍兵が飛び出し、

 

「外道めが……!! 抉れ!! 「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)!!」

 

「へっ?」

 

 黄の短槍で青年の心臓を正確に一突き。青年、キャスターのマスター・雨生龍之介は苦しむ間も無くその意識を永遠の闇に閉じた。

 

 ランサーが「必滅の黄薔薇」を使ったのは、眼前の相手が万に一つも生かしておいてはならない真の邪悪と見たからであろう。ここで生き延びられたら、何かの間違いで逃げられたら、また大勢の命が失われる所だった。

 

 しかし、分からないのが一つ。こうして主が殺されたと言うのに、彼の言っていたキャスターのサーヴァントは未だ姿を見せない。たった今だって、マスターを助けようとする素振りさえ見えなかった。何かの事情で拠点から離れていたのか? だからこの急襲には間に合わずに?

 

 そうフィオが考えていると不意に霊体化を解いて、大きくはだけた青い和服を纏い、頭の狐耳と大きな尻尾が特徴的な半獣の少女の姿をしたキャスターが姿を見せた。

 

「……お待ちしてました……」

 

 彼女は力無くそう言うと、「こちらへ」と奥の方へと歩いていく。4人は顔を見合わせた後に、その後ろに付いていった。罠の可能性も考えないではなかったが、工房にトラップ一つ、使い魔一匹も配置せず、マスターの危機に助けようとすらしなかったのである。今更、自分達を害する意志があるとは考えづらい。

 

 念の為、ランサーが妙な真似をしたら瞬間に串刺しに出来るようキャスターのすぐ後ろを歩き、最後尾にはライダーが戦車をゆっくり動かしながら付いていく。

 

 そうして通された場所には、赤毛の少年と黒髪をツインテールに結んだ少女、眼鏡を掛けた銀髪の少女、それにボブカットにした金髪の少女の4人が寝かされていた。フィオが近付いて確認したが、4人とも眠っているだけで命には別状は無いようだ。

 

「キャスター、この子達は……」

 

「記憶消去は完了しています……どうかこの子達を、家に帰してあげて下さい……」

 

 見れば、キャスターの体は手足の末端部分から徐々に消え始めている。

 

 マスターを殺されて契約が解除され、魔力供給も依り代も失ったキャスターからは、現世との繋がりが急激に失せている。今こうして話していられる一秒一秒が、彼女の命を削って成り立っていた。

 

「この子達を守るだけで精一杯でした……もし、消えるまで待てない、私が許せないと言うのなら……ライダーのサーヴァント……その剣で、私を斬って良いですよ。どうせ、ほんの数分の違いだけです」

 

 何の光も映していないキャスターの瞳が、ライダーが握っている『原初の火』へと動く。彼女の声は何もかも諦めて捨て鉢になっているかのように暗く、消え入りそうなほどに小さかった。

 

「……奏者よ」

 

「うん」

 

 騎乗兵は戦車から降りると、逃げもしないキャスターに近付いていき、曲がりくねった歪な刀身を魔術師の首筋に当て、

 

「覚悟は良いか?」

 

「……」

 

 キャスターは何も言わず、静かに目を閉じる。ライダーはそれを見て剣を振り上げ、

 

「そこな暗殺者よ!!」

 

 思い切り振り返ると、背後の闇へ向けて剣を投げ付ける。

 

「ぎゃあっ!!」

 

 悲鳴が上がり、闇に溶け込むような黒い衣装を纏った男が剣をピンとして、標本にされた蝶のように壁に縫いつけられる。

 

 同時にフィオも動き、明後日の方向を指差してガンドを放った。一発一発が対物ライフル以上の破壊力を持った”魔弾”が飛び、

 

「うわっ!!」

 

「ぐあっ!!」

 

「ぎゃあっ!!」

 

 次々悲鳴が上がって、ライダーに倒されたのとは別のアサシン3体が床に転がり、消えていく。

 

「これは……!!」

 

「アサシンだと……!?」

 

 ケイネスとランサーが驚愕の声を上げる。この二人はまだアサシンが脱落していない事を知らなかった。

 

 フィオとライダーが気配遮断スキルを持つアサシンに気付けた理由は二つある。倉庫街でアサシンが脱落していない事を知ったのが一つ。もう一つは、フィオが使う共感覚の魔術だった。ライダーは皇帝特権によってそれをスキルとして取得している。

 

 ほぼ完全に気配を断ち、自ら攻撃を仕掛けない限りはサーヴァントだろうがまず発見される恐れの無いアサシンクラスの気配遮断だが、逆に言うとこれはあくまで気配を断つ”だけ”であり、極端な話、目の前に立っていれば一般人でもその存在には気付く。

 

 無論、暗殺者が、それも英霊にまで上り詰めた山の翁がそんな自殺行為に及ぶ訳もないが、だが共感覚の魔術は五感を統合し、匂いを”聴き”、肌を伝う僅かな空気の揺れを”味わって”、自分に向けられる殺意を”見て”、360度全方位の死角を完全に消滅させる。

 

 脳への負担から長時間は使えないが、この魔術はアサシンにとってはまさに天敵と言える能力だ。障害物越しであろうとどれほど気配を消しても、その思考が”色”となってフィオとライダーには”見える”のだから。

 

 下水道という暗殺者好みの環境に踏み入る際に、二人は事前にこの能力を発動させていたのだ。

 

「う、うわああっ!!」

 

 しかしそんなカラクリなど、狙われた方には分からない。気配を消していたにも関わらず仲間が殺された事に動揺して、残っていたアサシンが悲鳴を上げながら逃げていく。だが、無駄な事だ。

 

「逃がさん!!」

 

 ランサーが投げ付けた紅槍に貫かれて壁に縫い付けられ、仲間の二の舞を演じる事となった。

 

 生前のディルムッド・オディナは皮肉しか言わない仲間がそれでも褒めるしかなかったという逸話を持つ、百発百中を誇る投擲の名手。如何に素早くとも、恐怖で隠れる事すら忘れたアサシンを射貫くなど造作も無かった。

 

 これで、自分達を監視していたアサシン達は全て消滅したらしい。視界から敵意の青が消える。フィオとライダーはそれを確認すると、共感覚を解いた。

 

「アサシンは脱落していなかったのか……」

 

 油断していたと神経質に周囲を見回すケイネス。

 

 フィオの様子を見るに自分達を取り巻いていた連中は全滅したようだが、死んだアサシンはこれで5、いや6人。この分では何人のアサシンが出てくるやら分かったものではない。

 

「ランサー、子供達を戦車の御者台に……ロード・レンティーナ、ここからは早く離脱しましょう。いつ、次のアサシンが現れるか……」

 

「そうね、急ぐとしましょう」

 

 フィオは赤毛の少年を抱えて、ランサーは銀髪の少女と金髪の少女を、ケイネスは黒髪の少女を抱き上げるとそれぞれ戦車の御者台に上り、後はライダーが神馬達に鞭を打って戦車を発進させるだけだ。

 

「来てくれて、ありがとうございます……お陰でこれ以上、命を奪わずに済みました……」

 

 もう立っている力すら無くしたのだろう。ぺたんと座り込んだキャスターが、4人に礼を言った。

 

「………」

 

 すると、フィオが御者台から降りてくる。

 

 キャスターはどうしたのかと不思議そうに目を丸くするが……そんな彼女の眼前に、さっと手が差し伸べられる。

 

「何言ってるの? あなたも一緒に来るのよ、キャスター」

 

「……え?」

 

「ほら」

 

 「さっさと握れ」と、差し出した手をブラブラ動かすフィオだったが、キャスターはその手を握り返す事をしなかった。

 

「駄目、ですよ……」

 

 目の前のこの人は、見れば見る程に綺麗な魂をしている。自分も召喚されるならこんな人が良かった。だが叶わない。もう。こんな……大勢の人達を惨たらしく殺す事の片棒を担いだ自分が、今更どうしてこの人と一緒に行けると言うのだ。

 

 ふるふると頭を振るキャスターに対して、フィオは優しく笑う。

 

 シャーレイがこの魔術工房の手掛かりを掴んでからずっと感じていた違和感。それがこうして直にキャスターに会って、一気に消し飛んだ。

 

 垂れ流しの術式残留物。

 

 神秘の秘匿が全く行われていない夜毎の犯行。

 

 トラップの一つも設置されていない工房。

 

 あの殺人鬼マスターの消費していた二画の令呪。

 

 そしてそのマスターの危機にも霊体化したままで助けようとする気配すら無かったサーヴァント。

 

 これらが意味する所は、一つだけ。

 

 キャスターはこの無防備な工房が見付けられるように、また敢えて神秘の漏洩を行う事によって、他の参加者が自分達の討伐に乗り出すように謀っていたのだ。自らの力でマスターを殺す事や他者に知らせる事は二つの令呪に縛られ、出来なかったのだろう。だから、他の陣営にそれを求めた。

 

 フィオが感じていた違和感の正体は、こういう事だったのだ。

 

「もう一度言うわ。キャスター……私と一緒に来なさい。ライダーと同じで、あなたとは良い友達になれそうだわ」

 

 伸ばされた手は、まだキャスターを待っている。だが半獣の魔術師は、もう一度ぶんぶんと頭を振って返した。

 

「だって、私は沢山殺して……4人しか助けられなくて……そんな私があなたと一緒に行く資格なんて……!!」

 

「4人、しか? それは逆よ? キャスター」

 

 それは世界中のあらゆる場所であらゆるトラブルに巻き込まれ、しかし超越した能力によってその全てを越えてきた女の言葉だった。

 

 アリマゴ島では、異常に気付いて走り出した時には既に島は食屍鬼で溢れており、助けられる見込みがあったのは薬物によって中途半端な死徒と化していたシャーレイ一人だった。

 

 ニューヨーク行きの飛行機の中でも、助けられたのは操縦席に居た魔術師の女性、唯一人だった。

 

 フィオはそれを悔やんだ事は無い。たった一人でも、それでも助けられた事を誇りにさえ思っている。

 

 ライダーも同じような事を言っていた。

 

 だからキャスターも、同じように思うべきなのだ。

 

 様々な状況証拠から、この惨状がキャスターの望んだものでない事は分かっている。彼女は二つの令呪に縛られる中で、それでもあのマスターから4人の子供を守り抜いたのだ。

 

 4人も、助けられた。

 

「誇りに思って良いわよ? キャスター」

 

「……私を連れて行けば、あなたを出し抜いて聖杯を手にしようとするかも知れませんよ?」

 

 もう十分に発声する力すら失せてきているのだろう。掠れた声で脅すように言うキャスターだが、フィオは「嘘が下手ね」と、一笑に付してしまう。

 

「そんなサーヴァントなら、他の陣営にこの場所をリークしたりはしないわよ」

 

 自分達が今ここに居る事が、目の前にいるキャスターが信頼に足るサーヴァントであるという何よりの証だ。

 

 だからこそフィオは、その手を彼女に差し出している。

 

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら」

 

 そして遂に、キャスターは差し出された手を握り返した。彼女の目に、涙が浮かんでいる。哀しみではなく、喜びによって溢れたものが。

 

「誓います……!! キャスターのサーヴァント、タマモの名に懸けて、あなたを新たなる主と認めます。常世の果てから黄泉の国まで、末永くお仕えさせて頂きます……!!」

 

 ここに、新たなる契約は為された。

 

 新たなる主従の誕生を見守るランサーは彼の主に「よろしいのですか?」と目線を送るが、ケイネスは頷いただけで何も言わなかった。

 

 確かにフィオが二騎目のサーヴァントを得るというのは強敵が更に強敵となる事を意味しているが、逆にあの黄金のアーチャーを撃破する可能性が増えたという事でもある。それにこれで、自分としても貴族の義務を果たす事が出来たし、フィオに「貸し」を一つ作れた。同盟の話は切り出し方や条件を考え直さねばなるまいが……”狐狩り”(追っていたのが本当に狐だとは思わなかったが)に参加した意味は確かにあった。

 

 ライダーは、主と新入りのサーヴァントを困ったような笑みで見詰めている。

 

『この身が奏者の唯一でなくなったのは癪だが……』

 

 だが、許そう。余は優しい者は好きだ。このような奏者であるからこそ、余はこの聖杯戦争、必ずや勝利に導くと誓ったのだから。

 

 故にこの程度は大目に見てやろう。奏者も、キャスターも。

 

『しかし、奏者の一番は譲ってやらんぞ、キャスターよ。奏者から最も強い愛を受けるのも、寵愛を享受させるのも、それは皇帝たる余の特権ぞ』

 

 フィオは、キャスターの真名を聞いて胸の中に小骨のように引っ掛かっていた最後の疑問が解消されるのを感じていた。

 

 何故あんなマスターにこんなサーヴァントが喚ばれたのかと思っていたが、これではっきりした。

 

 聖杯戦争のシステムでは触媒を用いない、あるいは用いたとしても円卓の欠片やアルゴー船の残骸といった複数の英霊と関係する、逆に言うなら単一の英霊との繋がりの弱い触媒だった場合、その括りの中でマスターと性質の似たサーヴァントが召喚される。フィオは床に転がっている名も知らぬ元マスターが喚んだのだから、キャスターはそれこそ精神に異常をきたした猟奇殺人者のようなサーヴァントだと、直に見るまで思い込んでいた。

 

 だが実際に喚ばれていたのはこんな、抱いていたイメージとは対極のような少女。

 

 それは偏に、触媒が「超」が付く程に強力であった事に起因する。

 

 タマモ。日本三大化生と言われる白面金毛九尾の狐。その最後は三浦介の矢を受けて絶命したと伝えられている。あの惨劇の家にあった矢はそれだろう。そして召喚の際に用いられた聖遺物は、矢そのものではなく矢に付着していた”血”だったのだ。

 

 本人、と言って良いのかは分からないが、とにかく肉体の一部だったもの。単一の英霊を狙って召喚する為の触媒として、これ以上の物があるだろうか。そんなのを触媒として使ったのだ。マスターとの相性など完全に度外視して、魔術基盤がアインツベルン由来である為、西洋圏由来の英霊しか喚べないというルールすら超越して、半ば「反則」に近い形で彼女が喚ばれたのだろう。

 

 ……で、なければこの冬木の聖杯が、どこかに欠陥を抱えているのか……

 

「では行くか!! 弔いの火を燃やそう!! 派手に頼むぞ、ソル神の眷属達よ!!」

 

 フィオに手を引かれたキャスターが乗り込んだのを確かめると、ライダーが叫び。4頭の神馬が一斉に嘶いて、纏う炎を最大火力にまで高めていく。

 

 燃え広がった劫火は、キャスターの元マスターの体も、この空間に広がっていた”芸術”も。全てを包み、灰も残さず無に還していく。

 

「かつてローマの大火を消し止める為に陣頭に立った余が、今度は火付けをする側になるとはな」

 

 皮肉な巡り合わせに苦笑するライダーが手綱を操り、戦車は動き出して下水道を出口へ向けて進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして夜が明け、朝になり、聖堂教会からの招集が掛かる。

 

 フィオ達にとって幸運であったのは、監視していたアサシンを全滅させた事で工房中での出来事が外には漏れず、時臣も綺礼も璃正も、この時まで全員がキャスターの現状について把握していなかった事。

 

 よって討伐令が出され、フィオとケイネスはそれと同時に報奨を得るべく、教会に足を運んだのだ。

 

「了解しました。では、出てきなさいキャスター」

 

「はい、お側におります」

 

 姿を現すキャスター。

 

 璃正神父と、それに使い魔越しに感じる気配でケイネスを除く3人のマスター達の驚愕を感じ取ると、フィオは令呪の刻まれた胸に手を当てる。

 

 すると彼女の背中に光り輝く左右三対六枚の翼と、その竜骨のような剣の紋様が出現した。それは、胸に刻まれた令呪と同じ形状をしている。

 

「令呪を以て我が朋友に願う。キャスター、『今後、たとえ私の命令であろうと自衛以外の目的で一般人に対して殺傷・拘引などを行う事を絶対の禁則とする』」

 

「承りました、ご主人様」

 

 キャスターが一礼し、命令が完了すると同時に、右側の羽が散る。これはフィオの令呪一画が消費された事を意味していた。これでは報奨を受け取っても彼女の令呪総数はプラスマイナスゼロだが、これはキャスターが他の陣営から狙い撃ちにされる事を防ぐ為の処置であった。

 

 これで、監督役が提示してきた条件もクリアできた訳だ。

 

「では言峰神父。私とロード・エルメロイに、追加令呪を頂きましょうか?」

 


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