Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結)   作:ファルメール

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最終話 60 years later

 西暦20XX年、ドイツ。

 

 雪と氷に閉ざされたアインツベルン城の一室で、アインツベルン家8代目当主、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは、難しい顔しながら机を睨んでいた。

 

「ううむ……」

 

 机の上には神殿の柱を切り出して作ったような、剣と斧の合いの子に見える石器が置かれている。

 

 これはとある英霊を召喚する為の聖遺物であり、同時にその英霊の武器としても使えるだろう強力な概念武装でもある。

 

 第五次聖杯戦争の開始を数ヶ月後に控え、今度こそアインツベルン千年の悲願を達成すべく、必勝を期さねばならない。

 

 第二次聖杯戦争では、集まったマスターが足の引っ張り合いを演じた挙げ句に勝者が決まらず、儀式自体が失敗に終わってしまった。

 

 第三次聖杯戦争では、英霊を超える神霊としてこの世全ての悪「アンリマユ」を「復讐者」のサーヴァントとして召喚したが、期待された実力を全く発揮することなく早期に脱落、聖杯の器も途中で破壊されて戦争自体が無効となってしまった。

 

 第四次聖杯戦争では、アインツベルンの魔術師が荒事に長けていない点を補う為、外から凄腕の魔術師殺しを雇い、更に伝説の騎士王を最優のセイバークラスとして召喚させ、極め付けに「聖杯の器」にも自ら危険を回避する機能を持たせたにも関わらず、戦争の早期に敗退してしまった。

 

 これらの失敗から学んで、次の聖杯戦争ではどのような策を用いるべきか……?

 

 まずは喚び出すサーヴァントだが……それについては、もう決まっている。

 

 次の戦争に備えて集めた聖遺物の中でも、彼の前に置かれている剣はとびきり強力な英霊に縁深いもの。これによって喚ばれるだろう英霊は知らぬ者なき大英雄である。サーヴァントだけが聖杯戦争の全てではないにせよ、勝ち抜く為にはやはり強力なサーヴァントが必須であろう。

 

 次にマスターとして立てる者だが……これについても決まっている。

 

 60年前は衛宮切嗣を外から呼び寄せたが、しかし奴は敗北しただけでは飽き足らずアイリスフィールを籠絡し、おまけに最高傑作のホムンクルスたるイリヤまで奪って去った。やはり外の者など信用ならぬ。

 

 となれば、アインツベルンの技術の粋を結集して鋳造した究極のホムンクルスがマスターと聖杯の器を兼ねる事になるだろう。既に、その者については準備が整っている。

 

 最後に、召喚すべきクラスだが……

 

「うーむ……」

 

 斧剣の前に置かれたチェスボードには、聖杯戦争で召喚される七騎のサーヴァントを模った駒がずらりと並んでいる。

 

 用意した触媒によって喚ばれる英霊は、生前には武芸百般を誇ったが故にキャスター以外の全てのクラスに適性を持つという規格外の大英雄である。

 

 基本的に複数のクラス適性を持つ英霊に対して、実際に喚び出されるクラスについてはランダムであり指定する事は不可能。

 

 ただし、例外が存在する。ある二つのクラスだけは、召喚以前に指定する事が出来るのだ。

 

 一つはアサシン。これはアサシンというクラス自体が歴代の山の翁、ハサン・サーバッハの触媒として機能するからである。

 

 もう一つはバーサーカー。こちらは喚び出されるサーヴァントに「狂化」の属性を付与する事で該当させる事が出来るクラスである為だ。

 

 マスターをアインツベルンの者から出し、サーヴァントをバーサーカーとすれば複雑な思考を行う事が不可能となり、裏切る心配は皆無となる。しかもそれならサーヴァントの強化も可能となり、一石二鳥と言えるだろう。

 

 前回、衛宮切嗣に裏切られた事を思えば魅力的な組み合わせに思うが……

 

「だが……」

 

 ただ単純にパワーアップさせるのも考えものだ。

 

 喚び出させる予定のサーヴァントは掛け値無しの大英雄であり、知名度補正もあって単純なステータスは狂化によるパワーアップなど無くとも既に最高水準であろう。

 

 それに理性を奪えば、当然サーヴァントが本来持つ戦術眼や技術、一部の宝具も使用不可能となる。宝具さえ持っているか怪しいような有象無象の三流英霊なら兎も角、これほど超一級の英霊ならメリットをデメリットが上回るのではないか?

 

 黙考する老魔術師。そして、出た答えは。

 

「よし……!!」

 

 考えてみれば、今までは神霊の召喚や外の魔術師を招くなどの奇策が逆に足を引っ張る結果となったのだ。顧みてここは一つ、そうした奇策の一切を排除した正攻法・王道で臨む事としよう。

 

 それに、喚び出す英霊は高潔な武人としても有名である。まさか二心を抱くという事もあるまい。

 

 そう結論すると彼はホムンクルスのメイドに言って、既に令呪を宿したアインツベルンのマスターを呼びに行かせた。

 

 今度こそ他の6騎全てを滅し、アインツベルンが悲願を遂げるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 数ヶ月後、冬木市一角に存在するグランベル宅では。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーっ!!!!」

 

 シャワールームから凄まじい悲鳴が聞こえてきて、バスローブに身を包んだ女性が二人、飛び出してくる。

 

 フィオ・レンティーナ・グランベルとネロ・クラウディウス。

 

 60年前の聖杯戦争を戦い抜いた二人が、同じ姿でそこにいた。

 

 あの時、ネロとタマモは共に受肉したが「一個の命として肉体を得る」事は「人間になる」という事ではないらしく、二人とも腹は減るし睡眠も必要になったが、その姿は受肉した当時と変わっていない。

 

 まぁ本来ならいきなり成長した姿で生まれる命などこの世に有り得る訳も無いのだし、それはある意味での”不具合”だと言えるのかも知れない。それとも一個の命として生まれ変わった後も、人々の「理想像」として現界した英霊としての影響が残っているのか。特に後者の説については、彼女達は受肉した後もサーヴァントの高い身体能力や宝具を使う力を失っていない点からも説得力があった。

 

 いずれにせよ、二人ともそれをコンプレックスに感じるどころか、

 

 

 

「オリンピアの花たる私の美貌は時の流れの前にも衰えを知らぬのだ!!」

 

「年を取らないお嫁さんなんて、最高じゃないですか!!」

 

 

 

 ……こんな調子だった。

 

 そしてフィオだが……彼女の姿も、60年前と変わっていない。

 

 シャーレイのような死徒ではなく、さりとて自分達のような英霊でもない。ならば何故? ネロはそれについて一度尋ねた事がある。すると、

 

「自然と共に生きる事が、若さと長生きのコツね」

 

 と、はぐらされたのか本気なのか良く分からない回答が返ってきただけだった。

 

 しかし今はそんな事よりもっと重大な問題が発生している。

 

「忘れてた……今年はあなた達が受肉してから60年目……次の聖杯戦争が起こる年だったわ……」

 

 頭を抱えるフィオの胸には、60年前と同じ場所に同じ形の聖痕・令呪が浮かび上がっていた。

 

 それは全く完全に、第四次聖杯戦争が起こる直前の出来事の焼き直しだった。参加する意志など無い、と言うか聖杯戦争の存在すらも忘れていたフィオが人数合わせのマスターとして選ばれて令呪が宿る。歴史は繰り返すとはよく言ったものである。

 

「フィオよ……そなた、60年前と同じ失敗を繰り返すとは……かく言う私とてすっかり忘れていたが……」

 

 これにはネロも苦笑いである。

 

 そうこうしている間に、立ち直って着替えたフィオは貴重品や何冊かの本、それに護身用の武器や礼装を取り出してコートの内側の歪曲空間に次々と収納していく。

 

「どうするのだ? そんな物持ち出して……」

 

「決まってるでしょう。確かに令呪が現れるまで忘れてたのは60年前と同じミスだったけど、これ以上あの時の轍は践まないわよ。今度こそ、さっさと教会に避難するわ」

 

 それを聞いたネロは「ふむ」と頷く。

 

 戦争から逃げる行為を臆病だと責めるような事はしない。そもそも自分達には聖杯に願うようなご大層な望みなどは無いのだ。

 

 友と一緒に、ささやかな衣食住があればそれで良い。勿論向こうから向かってくるなら叩き潰すだけだが、わざわざ栗が無いと分かっている火の中へと入って火傷だけするような真似は馬鹿げている。現在の冬木市は平和そのものだし、間違っても連続殺人犯がマスターになるような事態は発生すまい。戦う意志が無いのなら、さっさと令呪を放棄するのはむしろ好判断だと言えるだろう。

 

「ならばタマモの奴にも知らせてやるとするか」

 

 そう言ったネロが懐から携帯電話を取り出した、その時だった。

 

 ピンポンと、チャイムが響く。

 

「「…………」」

 

 顔を見合わせる、元サーヴァントと元マスター。

 

 令呪が宿ったばかりという事も手伝って、二人とも警戒心が強くなっていた。まさか、敵のマスターかサーヴァントが……?

 

 こんな朝っぱらから聖杯戦争を始めるという訳でもあるまいが、しかし万一という事もある。互いに油断だけはしないように視線を交わし合うと、フィオは次の瞬間にドアが蹴破られようが剣がドアの向こうから突き出されてこようが対応出来るように気を張りつつ、扉を開けた。ネロもいつでも『原初の火』を取り出せるよう、身構えている。

 

 果たして、玄関先に立っていたのは。

 

「初めまして、ロード・レンティーナとお見受けいたしますが……間違いないでしょうか?」

 

「……イリヤ?」

 

 ネロが、思わずそう呟いてしまったのも無理はなかった。

 

 雪のように白い髪、紅玉のような瞳。幼き日の彼女と瓜二つと言っていい容姿をした少女が、そこに居たのだ。背丈や目鼻立ちも寸分変わらない。違う所と言えば肌の色ぐらいであろうか。イリヤは肌も白磁のように白かったが、今二人の前に立っている彼女はシャーレイと同じぐらいの褐色の肌をしている。

 

「…………!!」

 

 フィオも同じように、驚愕に言葉を失っていた。それを見た少女が怪訝な表情で「あの……」と言ってくる。それを受けて二人とも漸く平常心を取り戻して、彼女の話を聞く姿勢に入った。それを見て取って、少女の方もまずは自己紹介を始める。

 

「お初にお目にかかります。私の名はクロエ・フォン・アインツベルン。本日はあなた様にお願いの儀があり、こうして参りました」

 

 スカートの裾をつまんで、恭しく一礼するクロエ。

 

 アインツベルンという単語から彼女はこの聖杯戦争の為に送り込まれたマスターなのかと勘繰ったフィオとネロだったが、どうにも様子がおかしい。少なくとも対峙するクロエからは、僅かな殺意も敵意も感じ取れない。

 

 ここは……

 

「まぁ、立ち話も何だし……取り敢えずは上がって」

 

 

 

 

 

 

 

 そうして客間へと通されたクロエ。

 

 出された紅茶や菓子に舌鼓を打ち、10分ほどが過ぎた所で、彼女は用件を話し始めた。

 

「単刀直入に言います。私を、助けて欲しいのです」

 

「助ける……?」

 

 まずは結論から切り出したクロエだったが、聞いたフィオとネロは首を捻る。助けるとは、どういう意味だ?

 

 既に他のマスターと一戦交えていて、予想以上の強敵と当たって恨みを買ったから助けてほしいという意味だろうか? だとしたら虫が良いにも程があるというものだが……

 

 ネロは既にその結論に達して何か言いたそうだったが、フィオに制された。まずは、話を最後まで聞かねばなるまい。

 

「助けるとは、どういう意味かしら?」

 

「その前に……ロード・レンティーナはアインツベルンが用意する聖杯の器について、ご存じですか?」

 

 と、クロエが聞き返してくる。

 

 これはフィオに対しては愚問だと言えた。

 

 アインツベルンの器に関しては知るも知らないもない。60年前の第四次聖杯戦争に於いて、最後の戦いはまさにその聖杯の器であったアイリスフィールを巡って起きたのだから。

 

 しかしそういう質問をしてくるという事は、クロエの言いたい事も読めてくる。

 

「つまり……今回の聖杯の器は、あなただという事かしら? クロエ」

 

 核心を突くようなその質問に、イリヤそっくりのホムンクルスは頷く。

 

「あなた方は、60年前にアインツベルンから失われた最高傑作のホムンクルス、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンをご存じですか?」

 

 疑問文に疑問文で返すとテストでは0点だが、しかし「おっと会話が成り立たないアホがひとり登場~~」とフィオが怒るよりも前に、ネロが表情を引き攣らせる。何を隠そうアインツベルンからイリヤを奪取する作戦は、彼女が主導で行ったのだから。

 

「私はイリヤスフィールを再現すべく、残されていた彼女の体細胞をベースとして鋳造されたホムンクルスなのです」

 

「イリヤを……」

 

 その彼女が、今回の聖杯の器として仕立て上げられた。同時に”最高傑作”のコピーであるクロエは、まさしくアインツベルンが切り札として送り出すマスターに相応しい能力を備えている。

 

「ですが……私は死にたくありません。聖杯になんか、なりたくないんです……!!」

 

 スカートをぎゅっと握り締めて手を震わせながら、絞り出すようにクロエは言う。

 

「だから、お願いします。ロード・レンティーナ。あなたは60年前に、当時の聖杯の器であったアイリスフィールを死の運命から救ったと聞いています。今度も同じように、私を助けて下さい。その代わり、私達はこの聖杯戦争の勝者をあなたにするように協力します」

 

 その申し出を受けて、フィオは考える仕草を見せる。

 

 確かに聖杯になるという事はイコール死ぬという事だ。だからそうなりたくないと考えるのは至極当然の事だが……

 

 だが、クロエの申し出を受けるにせよ断るにせよ、確かめておかなくてはならない事がある。

 

「クロエ……アインツベルンの方は、その事は知っているの?」

 

 とは言えこれは答えの予想出来る問いではある。聖杯の降誕、ひいては第三魔法の再現を最大の悲願とするアインツベルンが、まさか聖杯になりたくないなどという願いを許容する訳もない。恐らくはクロエの独断であろう。

 

 そう考えるフィオだったが、しかしクロエの答えは彼女の予想の上を行った。

 

「アインツベルンは……もう、ありません。アハトお爺様やその他主だった人達はみんな、死んでしまいました」

 

「……なっ!?」

 

 御三家の一角たるアインツベルンが滅んだとは、一大事である。

 

 聖杯戦争にはその性質上、脱落したサーヴァントの魂を魔力に変化にして溜めておく為の器の存在が必要不可欠であり、器を作る技術を有するのはアインツベルンのみ。クロエにもその技術は無い。つまりこれ以降の聖杯戦争は、実質的に実行不可能になったという事である。

 

 一体どうしてそんな事に……?

 

「正確に言うと、殺されました。私の喚んだサーヴァント、アーチャーに。出てきて、アーチャー」

 

 クロエが呼ぶと、霊体化を解いて彼女のすぐ傍にサーヴァントが姿を現す。

 

「「……!!」」

 

 現れたサーヴァントはフィオやネロをして、思わず息を呑むような、一目で超一級の英霊であると分かるような姿をしていた。

 

 軽く2メートルを越えるような岩石を思わせる巨躯は余す所無く鍛え抜かれた鋼のような筋肉で覆われており、下手な鎧よりもずっと頑丈そうに見える。

 

 そしてそんな圧倒的なド迫力を醸し出す姿をしていながらもその瞳には、確かに自らの主を気遣う優しさが垣間見える。

 

 まさに強きを挫き弱きを守る「英雄」という言葉を佇まいだけで体現しているかのような偉丈夫。それがクロエのアーチャーを見た、二人の共通した感想だった。

 

「私も、あの時は正直早まってしまったと思う……昔から、考えるよりも先に体が動いてしまうタチでな……「訓練」という名目でクロエに行われていた仕打ちを思うと、いてもたってもいられなかった」

 

 アーチャーが語る。地の底から響いてくるような低い声だ。

 

 彼の話によると、アハト翁はサーヴァントを操る為の訓練と称して着の身着のままでクロエを狼がうろつく吹雪の森に放り出したという。

 

 当然、襲い掛かる危険は全てアーチャーが排除してクロエは無事であったものの、彼女のような少女にそのような仕打ちをするユーブスタクハイトにアーチャーは激怒。クロエが令呪で止める間も無く、一刀の下に斬り捨ててしまったという。

 

 そのまま取り押さえようとしてくるアインツベルンの重鎮達まで斬り捨ててアーチャーはクロエと共に城から逃亡。数ヶ月の逃避行を経て、こうして日本にやってきたという事だった。

 

「私も、最初はアーチャーが何て事をしてくれたのだと思いましたけど……でも彼は、心の底から私を案じてくれている事が、この旅の中で分かりました。だから、私は……彼の為にも私自身の為にも、生きたいのです」

 

「美少女は国の宝ぞ。それを粗末に扱うような痴れ者には良い薬であろうよ。少しばかり効き過ぎたきらいはあろうが……」

 

 と、ネロ。彼女としても、アハト翁がクロエに行った仕打ちには聞いただけで腹に据えかねるものがあった。

 

 フィオとしても、大体同じ意見だったが……しかし、もう少し聞かねばならない事がある。これはクロエにではなく、アーチャーに。

 

「アーチャー、あなたは何故、クロエにそこまで……?」

 

「……」

 

 どうして召喚されただけのマスターに、それほどに尽くすのか。

 

 そう問われた巌のような武人のサーヴァントはマスターと僅かな時間視線を交わし合い、そしてクロエの首肯によって「許可」が下りた事を確認すると、話し始めた。

 

「生まれはテーパイ、父はゼウス、母はペルセウスの孫アルクメネ。我が真名はヘラクレス」

 

「「!!」」

 

 ヘラクレス。

 

 ギリシャ神話に於いて三本の指に入るであろう大英雄が眼前にいると知り、フィオとネロの顔にも驚愕が走る。

 

 そして同時に、納得もしていた。彼が何故そこまでクロエを守るのか。わざわざ説明されるまでもない。

 

 ヘラクレスはかつて、ヘラによって狂気を吹き込まれて我が子と異母兄弟の子を殺してしまい、更にそれによって悲嘆に暮れた妻をも失ったしまったと逸話にある。彼が打ち立てた伝説の中でも特に名高い十二の試練は、その赦しを求めてのものだ。

 

 そんな逸話を持つ英雄であるからこそ、クロエのような少女に苛烈な苦行を強いるアハト翁が許せなかったのだろう。

 

 これで、聞きたい事は全て聞けた。その上での、フィオの返事は。

 

「いいわ。了解した。クロエ、あなたを必ず助けると約束する!!」

 

「……本当ですか?」

 

 望んでいた答えを返されたクロエは、しかし驚いた表情を見せる。彼女も突然のこんな申し出は、正直断られるのではないかとずっと不安だったのだ。なのに、どうして?

 

 少女の顔からそんな思考を読み取ったらしく、フィオはふっと涼しげに微笑する。

 

「私はね、クロエ。いちいち自分から出向いて困っている人を助けに行くような正義の味方じゃあないわ」

 

 むしろ、その精神性は一般人に近いとも言える。彼女は例えば地球の裏側で起こっている戦争で何百という人間が死のうと、胸に痛みを感じたりはしない。どこにでもいる普通の人間のように。

 

 事実、今回の聖杯戦争とて前回のキャスターの元マスターのような異常者がサーヴァントを従えない限りは、さっさと教会に避難して令呪を回収してもらうつもりだった。

 

「……でもね」

 

 だが今は、事情が変わった。

 

 クロエが、自分の元にやってきた。

 

「助けを求めて伸ばされた手を振り払って何も感じないほど、恥知らずじゃあないつもりよ。私は、強いからね」

 

 全く、強いというのも楽ではない。弱ければそれを言い訳に他人を助けなくてもいいのだ。だが、自分は違う。自分は強い。強い者は、伸ばされた手を決して振り払ってはならないものだ。

 

 友のその宣言を受けて、ネロは会心の笑みを浮かべる。それでこそ我が友だ。クロエとアーチャーの顔にも、同じような笑みが浮かぶ。

 

「尤も……フィオ自身にその気はなくともあちこちで人助けをしまくってはおるがな」

 

 からかうようにネロが付け加える。

 

 この60年、自分達は「虹色の脚」の慰安旅行などでタマモやシャーレイも一緒に色んな所へ行った。

 

 そして持ち前の不幸によって様々なトラブルに巻き込まれ、持ち前の実力でその悉くを解決してみせた。一度など原発のメルトダウンを止めた事すらある。

 

 本人は知らないだろうが、裏の世界ではトラブルある所にひょっこり現れ、それを解決して飄々と去っていくコックの物語は、既に一種の伝説と化している。

 

 あるいはその生き方は、超絶の力や長い寿命と引き替えにフィオという人間に与えられた天からの祝福かも知れなかった。

 

『まるで、デウス・エクス・マキナよな……』

 

 色々あったが、最後はフィオが出てきてめでたしめでたし、みんな笑って終わるのだ。今までそうだったように、クロエも、きっと。

 

「無論、私も力の限りを尽くし、助けとなる事を約束するぞ!! 我が友よ!!」

 

 機械仕掛けの神の化身とずっと一緒にいた暴君は笑う。どんと胸を叩いて自信満々に、不遜に、傲岸に。

 

「ありがとう、ネロ。で……クロエをどうやって助けるかだけど……」

 

 ここはやはりアイリスフィールを助けた時と同じで、タマモにクロエの中にプールされた魔力を吸収させる方法が良いだろう。新しい体や魂の移し替えなど大がかりな準備は必要無いし、何より実績のある手段だ。

 

「それと、私もサーヴァントの召喚を行う事になるわね」

 

 敵対するサーヴァントの打倒と、それまでの間、全ての要であるタマモを守る為にも戦力は一つでも多い方が良い。それに今回は60年前と違って、最上と言って良い触媒が手元にある。

 

 そう、フィオが考えていた時だった。

 

 ドアが開く音がして、二人分の足音がどたどたと近付いてくる。チャイムを鳴らさない事から客ではない。それにこの歩調のリズムは、誰のものであるかすぐに分かった。

 

「「ご主人様(店長)!! 大変な事が起こりました!!」」

 

 息せき切って入ってきたタマモとシャーレイであったが、しかし天上に頭をこすりつけるようでかなり窮屈そうにしているアーチャーを見ると思わず後ずさってしまう。

 

「な、な、な!? 何ですかこの筋肉ダルマは!?」

 

「私の客人よ。それよりタマモ、シャーレイ、大変な事とは……?」

 

 フィオに尋ねられて、二人は彼女へ向けて手の甲をかざす。そこには、二人とも令呪が刻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、フィオ宅の地下室にて召喚儀式の準備が進められていた。

 

 それほど広くない地下室を目一杯使うようにして水銀によって三つの魔法陣が描かれ、その前にはそれぞれシャーレイ、タマモ、そしてフィオが立って、声を揃えて召喚の呪文を紡いでいく。

 

「「「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!!」」」

 

 ただの紋様でしかない魔法陣が光り始め、空気の動かない地下室にもかかわらず風が吹き荒れる。

 

 この光と風に乗って、座より英霊は現世に来たる。

 

「「「誓いを此処に!! 我は常世全ての善と成る者!! 我は常世全ての悪を敷く者!! 汝三大の言霊を纏う七天!! 抑止の輪より来たれ!! 天秤の守り手よ!!」」」

 

 魔法陣が異界へと繋がり、放つ光はどんどんと強くなっていく。

 

 そして光が地下室を満たしやがて治まった時、3つの魔法陣にはそれぞれ3騎のサーヴァントが、その威容を見せていた。

 

 

 

 

 

「えっと……サーヴァント・ファニーヴァンプ。召喚に応えてやって来たよ」

 

 タマモの前に現れたのは、白いタートルネックに紫のロングスカートという当世風の衣装を着た、金髪紅眼の白人女性だった。

 

「は、はあ……」

 

 タマモは、自分の前の魔法陣に立つ女性のサーヴァントを前に戸惑ったように応じる。しかし彼女の耳や尻尾はかつてアイリの中でこの世全ての悪に触れた時と同じく、ぴんと立って眼前の相手に対して最大警戒を示していた。

 

「えっと……問おう、あなたが私を呼んだマスターか? ……って、こんな感じで良いんだっけ?」

 

「は、はあ……」

 

 とぼけたような調子で言うサーヴァントだが、彼女のマスターたる元サーヴァントは内心では冷や汗をだらだらと流している。

 

 とんでもないのを喚んでしまった。

 

 自分には分かる。このサーヴァントは、本来ならば英霊というカテゴリになど到底収まりきらない規格外の存在だ。これほどの”魔”は前世でも今世でも会った事がない。神霊の域に達した自分でさえ勝負にはなるまい。今はこうしてヒトと同じ姿を取っているが、本来ならば人間の理解を超えたレベルの存在だ。

 

『前回の私と言い、今回の彼女と言い……こんなのが召喚されるなんて……この冬木の聖杯はバグってるんじゃないでしょうか……』

 

 とは言え、これほどのサーヴァントが協力してくれるのなら頼もしい事この上ないだろうが……いやしかし……

 

 そんな風にタマモが考えていると、

 

「え、ええ……私、タマモがあなたのマスターですが……」

 

「そっか!! これからよろしくね、タマモ!!」

 

 無邪気な笑みを浮かべて、ファニーヴァンプは手を差し出してくる。タマモも、色々と思う所はあるが最初から疑ってかかってはキリがないのも事実。彼女はその手を、握り返した。

 

 

 

 

 

「ここは……そうか、あの時キャスターが言ってたのは……「私が何者かはいずれ分かる」って……そういう事だったのね」

 

「あ、あの……」

 

 ぶつぶつと呟きつつ魔法陣から進み出てきたその女性に、シャーレイは恐る恐る声を掛ける。

 

 現れたサーヴァントは、フード付きのコートで顔を隠した長身の女性だった。着ている衣装は、ファニーヴァンプと同じく当世風に見える。

 

「ん? ああ、サーヴァント・キャスター。召喚に応じて参上したわ」

 

「キャスター? でも、それにしては……」

 

 戸惑ったように声を上げるシャーレイ。

 

 キャスター、魔術師のクラスと言われればローブを纏って杖かあるいは分厚い魔術の書を持っていたりして、お伽話の魔法使い然とした人物をイメージするだろう。シャーレイもご多分に漏れず、勝手ながらそんな姿を思い描いていた。

 

 そんな予想に反して現れたのは近代どころかどう見ても現代人にしか見えない格好の女性である。これは一体……?

 

「まぁ、驚くのも分かるけど私は”当たり”よ? 私を引いたあなたに後悔はさせないと約束するわ。また、よろしく頼むわね、シャーレイ」

 

「……あれ? キャスター……私、もうあなたに自己紹介をしましたっけ? それに”また”って……?」

 

 

 

 

 

 二人とは違って、触媒を用いて召喚を行ったフィオは現れるであろうサーヴァントが何者であるかを、事前に予想する事が出来た。

 

 今回用いた触媒で喚ばれるべき英霊は、唯一人しか有り得ない。

 

「問おう、あなたが……!? あなたは……!!」

 

 サーヴァントとしての決まり文句もそこそこに、そのサーヴァント・セイバーは素っ頓狂な声を上げてフィオに近付いてくる。

 

 アルトリア・ペンドラゴン。アーサー王。

 

 60年前にアイリスフィールと共に「虹色の脚」を訪れたセイバーが、そこに居た。

 

「お久しぶりね、セイバー」

 

「……成る程、前回からかなりの時が過ぎたようですが……貴女が此度の私のマスターなのですね」

 

 自分もそうであるが故に、セイバーはフィオの姿が変わっていない事にさほどの疑問は持たないようだった。変装しているのか、何らかの手段で老化を抑えているとでも思ったのだろう。

 

「セイバー、貴女に渡す物があるわ。いや……返す、と言うべきかしら?」

 

 そう言うとフィオは台座に置かれていた物を、セイバーへと差し出す。

 

「これは……我が剣の鞘……!!」

 

 「全て遠き理想郷」(アヴァロン)。かつてアーサー王の元より失われた聖剣の鞘。所有者の老化を抑え、呪いを跳ね除け、傷を癒す宝具。

 

 アインツベルンがコーンウォールより発掘したそれは前回の聖杯戦争でもセイバーの触媒として用いられ、その後はアイリスフィールの体内に埋め込まれていた。そして戦争終結後、彼女の調整が行われた際に摘出され、以後はフィオが持ち続けていた。

 

 それが今、本来の所有者へと返されたのだ。

 

 これで、準備は整った。

 

 フィオはコートを翻しつつ振り返り、ネロ、タマモ、シャーレイ、クロエ、セイバー、アーチャー、キャスター、ファニーヴァンプ。この場にいる全員を見渡して、高らかに謳い上げる。

 

「さぁ……第五次聖杯戦争の始まりよ!!」

 


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