Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結)   作:ファルメール

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第18話 それぞれの願い、護る者達

 

「ふん……雁夜め、死におったか」

 

 蟲蔵にて、間桐臓硯はそう、ひとりごちた。

 

 雁夜の体内に埋め込んだ刻印虫によって、臓硯は彼の動向を逐一把握する事が出来る。それだけでなく場合によっては、特に万一雁夜が翻意を示した時にはいとも容易くその命を奪う事が可能だった。

 

 だが、数十分前からその報告がぷっつりと途切れている。

 

 何者かが刻印虫を除去した可能性も無くはないが、しかし最後に刻印虫が伝えてきた情報は、アーチボルトの魔術師と勝ち目など全く無い魔術勝負をする雁夜の姿だった。その時の刻印虫はバーサーカーの暴走も手伝ってフル稼働を強いられていた。

 

 それを合わせて考えれば、雁夜は死んだと考えるのが妥当であろう。苗床である奴の肉体が死んだから、寄生していた刻印虫も同じ運命を辿ったのだ。

 

「カカカ……まぁ、少しは楽しませてくれたのぅ……」

 

 一年前はこの家に聖杯を持ち帰るなどと息巻いていたが、しかし実際に聖杯戦争に参加して奴がやった事と言えばどうだ。

 

 サーヴァントどころか一人の魔術師も倒せず、実力差も弁えずに勝ち目の無い戦いに挑んで、そして死んだだけだ。

 

 誰も。桜も。自分自身すら、救う事が出来ずに。

 

 全く、大した道化振りであった。尤もこの結果は、あのフィオ・レンティーナ・グランベルが参戦したという情報を得た時から見えていた事だったが。

 

 聖杯がこの家に持ち帰られる事は無かったが、しかし元々今回は見送るつもりであり、雁夜にも何の期待もしていなかったのだ。間桐家は何の痛手も負ってはいない。寧ろ愉しませてくれただけ、得だとも言えた。

 

「やはり、本命は次回の聖杯戦争よのぅ……」

 

 枯れかけた間桐の家系だが、しかし60年後には再びの隆盛を迎えさせられるであろう至高の胎盤が今、目の前にいる。

 

「桜よ、それでは今日も虫達の中に体を沈めてもらおうかのぅ」

 

「はい、おじいさま……」

 

 瞳から一切の光を無くしたその少女は怪老の命ずるがままに階段を下って、無数の虫達の中へと進み出していく。

 

 それは桜が遠坂の家から養子に来た日より幾度も繰り返されてきた教育であり、少女の中にはもう、諦め以外の感情など残されてはいなかった。

 

 この家から逃げようとか、おじいさまに逆らおうとか、そういった行動を起こすどころか、その発想すら少女の中には存在しない。

 

 これは桜にとっても臓硯にとっても、もう繰り返される日常の一部となっていた。ある一人の男が朝起きて顔を洗って歯を磨き、ヒゲを剃るぐらいに当然の出来事。

 

 しかしこの日は、異変があった。

 

 ちょうど桜の眼前の虚空に光が集まって、やがてその光は人の形に、実体を持っていく。

 

「……え?」

 

「なっ!?」

 

「うぇっ……話には聞いてましたが辛気臭い所ですね……息をするだけで気分が悪くなってきますよ」

 

 いきなり蟲蔵に出現した4本の尻尾を持った半獣の魔術師は鼻をつまんで顔をしかめつつもきょろきょろと辺りを見渡し、そしてお目当てのものを見付けたのだろう。桜に近付くと、その体を軽々持ち上げて抱っこしてしまう。

 

「お姫様をさっさと救出して、一秒でも早くこんな所からはおさらばさせてもらいましょう」

 

 魔術師・タマモがそう言うと彼女の尻尾の一本が光を放ち初め……

 

「き、貴様っ!! 桜をどうするつもりじゃ!!」

 

 流石の臓硯もいきなりの事に呆気に取られていたが、ここへ来て我に返った。桜に何かされようものなら思い描いていた未来絵図が、完全に破綻してしまう。闖入者をこの蟲蔵から生きては返すまいと虫達がタマモの周囲に集まり初め、一部は出口を封鎖する。だが、無駄な事。

 

「それじゃあ、もう二度と会わない事を祈ってますよ」

 

 そう言うと光っていた尻尾が消えて、同様に桜を抱っこしたタマモもまた現れた時と同じく、光に包まれてその姿を消してしまっていた。

 

 一連の流れは彼女が現れてから、ほんの30秒程度の出来事。数百年を生きる妖怪をして、何が起こったのか把握する事は困難であった。

 

「い、いや……落ち着け……」

 

 そう自分に言い聞かせ、事態の把握に努める。

 

 まずあのサーヴァントは多少姿は変わっていたがライダーと同じく、フィオと契約したキャスターであった。

 

 そしてキャスターの現れ方・消え方は、サーヴァントの霊体化や実体化とは違っていた。それに例え英霊であろうとこの間桐邸に侵入しようとしたのなら、必ず十重二十重に張り巡らされた結界に引っ掛かって事前に察知する事が出来ていた筈。なのにそんな徴候すら無かった。

 

 とすれば、考えられるのは令呪による瞬間移動か。それなら突如として現れて、そして消えた事にも説明が付くが……

 

 だが解せない。だとしたら現れた時と消えた時、都合二つの令呪を消費してまでフィオは一体何の目的で桜をさらったのだ? 雁夜も既に脱落したと言うのに……

 

「分からんが……それよりもまずは、桜の状態を把握するのが先決か……」

 

 そう考えて彼女の中の刻印虫と知覚を共有する魔術を発動させる臓硯であったが……相手は魔術師のサーヴァント。彼がそう行動するだろう事は先刻承知だったようで、妨害されてしまっている。

 

「な……何という事じゃ……」

 

 ほんの5分前まで夢見ていた輝かしい未来が一瞬で画餅に帰した事を実感して、老魔術師はがっくりと膝を付いた。

 

 

 

 

 

 

 

「うぇっ……うぇっ……」

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは自室の天蓋付きベッドに飛び込むと枕に顔を埋めながら、嗚咽を漏らした。

 

 先程、アインツベルンの当主であるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンから聞かされた話は、彼女には到底、受け入れ難い内容であった。

 

「切嗣は、第四次聖杯戦争に敗北した」

 

「その上どういう訳か他の陣営が聖杯を手に入れたという情報も無い」

 

「いずれにせよ、アイリスフィールはもう生きてはおるまい」

 

「もうお前が、切嗣に会う事は無いだろう」

 

 お爺様の口から語られた言葉はそのどれもがイリヤには信じられない、信じたくない事ばかりだった。

 

 嘘よ。

 

 だってキリツグは、お仕事を片付けたらすぐに帰ってくるって約束してくれたもの。

 

 嘘よ。

 

 お母様だって「永いお別れになる」とは聞かされたけど、そのすぐ後に「イリヤは何も心配する事はないのよ」って、そう言って優しく抱き締めてくれたもの。

 

 嘘よ。

 

 負ける筈なんか無い。だってサーヴァントの中で一番強い、セイバーの召喚に成功したって聞いたもの。

 

「嘘よ、嘘よ、嘘よ……!!」

 

 泣きながらベッドから這い出したイリヤは、年中代わり映えのしない窓からの雪景色を眺める。

 

 クルミの冬芽を捜しに切嗣と歩いた森は、今は結界に閉ざされている。これでは誰も、この城へと辿り着く事は出来ないだろう。

 

 でも。

 

 イリヤは思う。

 

 今にもキリツグが木立の隙間から現れて、この窓へと向かって手を振ってくれるのではないかと。

 

「キリツグ……お母様……お願い……帰ってきて……!!」

 

 溢れる涙で景色が歪み、少女が目を伏せた、その時だった。

 

 不意に、視界が明るくなってくる。

 

「?」

 

 太陽が顔を出したのだろうか。否、今は猛吹雪がこの城を閉ざしている。お日様なんて分厚い雲の遥か上で、その光が届く事なんて絶対にない筈なのに。

 

 だが、窓から見える光はどんどん強くなって、その光を放つ物体はぐんぐんとイリヤの部屋に近付いてきて、そして遂に距離はゼロとなり、轟音と共に壁に大穴を開けた。

 

「ひゃっ!!」

 

 驚愕と、”何か”が突っ込んできた際の振動で尻餅を付いてしまうイリヤ。この常識外れの出来事を前には、涙も引っ込んでしまった。

 

 僅かな時間が過ぎると壁が壊れた時に生じた煙も晴れて、その”何か”の正体が分かるようになってくる。

 

 馬車だ。火を纏った四頭の馬が牽く、豪奢な装飾の戦闘馬車。

 

 そこから降りてきたのは、確かキリツグが教えてくれたサンタクロースの格好をした、女の人。ご丁寧に大きな袋を担いでいる。

 

「あ……あなたは……?」

 

 彼女は答える。

 

「見て分からぬか? サンタクロースよ。生憎トナカイ達は風邪で寝込んでしまったので、ソル神の眷属達がその代わりだがな」

 

 サンタのコスプレをしたネロは、そのままずんずんとイリヤへと近付いていく。

 

「フィオから聞いた「苦しみます」とやらには些か早いようだが……まぁ良い。その「苦しみます」とは、良い子にサンタとやらがプレゼントを配る日なのであろう?」

 

 そしてこの場には良い子が、一人。

 

「さて、そなたは何が欲しいのだ? 私がプレゼントして進ぜよう」

 

「え……」

 

 イリヤは突然現れたこの自称サンタには色々突っ込みたい所があったが、それ以上に「欲しいものをプレゼントしてくれる」というフレーズが、心に響いた。

 

 このサンタさんが、本当に私の欲しい物をくれるのなら……

 

「じゃあ、サンタさん……イリヤのお父様とお母様を連れてきて」

 

 それは8才の子供をして、無理難題だと心のどこかで理解出来ているであろう願い。だが今のイリヤはそれでも、願いたかった。本当に何でも欲しい物をプレゼントしてくれると言うなら、その言葉が嘘であると分かっていても、縋りたかった。

 

 こんなお願いが、聞き入れられる訳がない。この人はきっと次にこう言うだろう。「それは無理だ」と。

 

「うむ、良かろう」

 

「え……?」

 

 ネロはそう言うと担いでいた袋の尾を解き、口を開く。その中から出てきたのは。

 

「ぷはあっ!!」

 

「ネロさん、これで満足ですか……?」

 

 呆れ顔の衛宮切嗣と、アイリスフィール・フォン・アインツベルン。イリヤが本当に望んだプレゼントだった。

 

「キリツグ!! お母様!!」

 

 少女が父と母の胸に飛び込むのを見ると、ネロはムフンと鼻息を一つ。そして胸を張る。以前に一時的とは言え神霊になった時のタマモと、同じポーズだ。

 

「見たか、私のリサーチ力を!! 為政者とは常に民の心を汲み取らねばならぬ故な。我が慧眼はミネルヴァの梟の如しよ!!」

 

 自慢げにそう言うが……ぶっちゃけ誰も聞いてない。

 

 するとネロの視線が「それにしても……」と、イリヤへと動く。

 

「おかえりなさい、キリツグ、お母様!! やっぱり帰ってきてくれたのね!!」

 

「イリヤ……寂しい思いをさせて、すまなかった……」

 

「ああ、イリヤ……あなたを、もう一度抱けるなんて……」

 

 何とも微笑ましい親子のやり取りが繰り広げられているが……やはり目を引くのは、イリヤとアイリだ。

 

 ネロは美少女も美女も大好きである。史実では男性であったと伝えられているが、そこでも女装して解放奴隷の妻になったり、美少年を去勢させて正室にしたなんて逸話も持っている。と言うか、美老年でもイケる口だ。

 

『イリヤスフィールか……話には聞いていたが実にういのう……アイリスフィールと二人合わせて、両手に花と洒落込みたいものよ』

 

 じゅるり、と口元から垂れた唾を慌てて拭き取る。

 

 素晴らしい未来に胸が高鳴るが、しかしそれも安全な場所に辿り着いた時の話。「切嗣」と声を掛けると、魔術師殺しと呼ばれた男は表情を引き締めてイリヤの肩に手を置き、真剣な声で話し始める。

 

「イリヤ……僕達は、君を助けに来た。一緒に、ここから出よう」

 

 突然の出奔宣言。切嗣は、イリヤがこれを受けて戸惑った反応を返すだろうと考えていた。まだ8才の子供なのだ。父親の言葉とは言え生まれ育った家から出るのに、抵抗を感じるのは至極当然な反応である。

 

 でも、違っていた。イリヤは「分かった」とあまりにもあっさりと頷いてしまう。これには切嗣もアイリも驚いて「良いのかい……?」と尋ね返してしまう。

 

 だが人間とホムンクルスのハーフである奇跡のような少女はにっこりと笑って、父のその問いに即答する。

 

「うん!! イリヤはキリツグとお母様さえ居てくれれば、どこでも良いもの!!」

 

「……ありがとう、父さんもイリヤが大好きだよ」

 

 そう言って、切嗣はイリヤを抱き締める。

 

「……話は終わったようだな。では、急いで私の戦車に乗れ。そろそろ城の者達がやって来る頃だ」

 

 ネロにそう言われてアイリと、それにイリヤを抱っこした切嗣は「日輪の戦車」(ヘリオス・チャリオット)へ乗り込もうとする。しかし、ここでイリヤが僅かに抵抗を見せた。

 

「あ、でも私……こんな格好よ……?」

 

 今のイリヤは寝間着姿。幼くてもレディーである。これで外に出るのには抵抗があるのも理解出来る。しかし、今は衣装室から上着を取ってくる時間すら惜しい。取り敢えず切嗣は、コートを脱いでイリヤに羽織らせた。

 

 そんな彼等を見たネロは「はっは」と笑って。

 

「なぁに……誰も見てはおらぬさ……」

 

 笑いつつ彼女は、手綱を打って戦車を発進させた。

 

「月以外はな!!」

 

 騒ぎを聞きつけたアハト翁が武装したホムンクルス達を従えてイリヤの寝室に入ってきた時に目にしたのは壁に空いた大穴と、そして月に向かって飛び去る戦車の影だけであった。

 

 この騒動によって、60年後の第五次聖杯戦争の切り札として考えられていた至高の器は、アインツベルンから永久に失われた。

 

 

 

 

 

 

 

 時計塔の廊下では、まるでモーセによって割られる紅海のように、生徒達が左右に避けてその人物に道を開いていく。

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 

 極東で行われた魔術師達の儀式である聖杯戦争に参加した彼は、見事最後まで戦い抜き、堂々たる帰還を果たした。

 

 今回の聖杯戦争では様々な事情があったようで聖杯が降誕する事はなく、明確な優勝者が定められる事はなかったものの、最優とされたセイバー、そして単純なパワーの激突では最強であるバーサーカーを真っ向きっての戦いで撃破したという戦績は武勲として十分すぎるもので、アーチボルト家の名は更に高まる事となった。

 

 そして彼が時計塔に帰還してから、一つの変化があった。

 

 彼の傍らには、絶世の美青年が秘書として常に控えるようになったのである。

 

 眼鏡を掛けた泣き黒子が印象的なその青年、ディルムッド・オディナ。”偶然にも”ケルトの英雄と同姓同名の彼は、ケイネスが聖杯戦争中に知り合った魔術師であり、時計塔への帰還に当たり、そのまま秘書として雇う形で連れてきたという話であった。

 

 青年の絶世の美貌から、ケイネスにはそちらの趣味があるのではないかという下衆な噂が立った時もあったが……

 

 しかし、ディルムッドは秘書としても非常に優秀であり、彼が来てからと言うもの、ケイネスの仕事は3割増しではかどるようになったという。

 

 これも当然の事で、前世でディルムッドが所属したフィアナ騎士団は単に武勇に優れているだけでは入団は叶わず、詩歌の才に秀でている事が入団試験以前の最低条件として求められるような超エリート集団だったのである。文武両道でなければ、その一番槍は務まらなかったのだ。

 

「ふう……ディルムッドよ、次の予定は、何だったかな……?」

 

 ケイネスの執務室。

 

 取り敢えず一通りの予定を消化した時計塔講師が、椅子にもたれ掛かかりながら尋ねる。

 

 主に問われて、ディルムッドは眼鏡のズレを直すと手帳に書かれた予定に目を通す。この眼鏡は魔眼殺しの応用・魔貌殺しとも言えるものであった。

 

「15時より、生徒のウェイバー殿のレポートについて、本人を交えて問題点の指摘を行う事になっております」

 

「うむ、そうであったな」

 

 そう言うとケイネスは引き出しから、真っ赤になったレポートを取り出す。同時に、扉がどんどんとノックされた。

 

「ああ、入りたまえ」

 

「ケイネス先生、ウェイバー・ベルベットです。入ります!!」

 

 

 

 

 

 

 

 これがフィオ達の願いの、その結果だった。

 

 キャスターが半ば神霊の域に到達した事で事実上第四次聖杯戦争が終結した後、フィオ達はそれぞれの願いをどう叶えるかを話し合った。

 

 それらは本来は万能の願望機たる聖杯が叶えるべき願いであったが、願いを叶えるのは正確には聖杯そのものではなく、そこに溜め込まれた莫大な魔力である。ならば、キャスターが叶えても結果は同じ事であった。

 

 優先して願いを叶える立場にあるのは、ライダー・キャスターを従えるフィオと、ケイネスとランサー。勝ち残ったこの二組であった。

 

 フィオの願いは、

 

「私は、ライダーとキャスターの受肉を願うわ。友達にはこれからも一緒にいて欲しいし……勿論、二人がそれを願うのならだけど」

 

 この申し出を、騎乗兵と魔術師は一も二もなく承諾した。

 

 誰よりも人を愛し、無尽の愛を捧げながら最後まで愛される事の無かった暴君は、今度こそ一人の人間として愛し、愛される事を願い。

 

 この戦いの中で本来の在り様たる神霊の域にさえ至った魔術師は、だが神である事よりも人である事を望んで。

 

 二人ともフィオの友として、新たなる命を生きる道を選んだ。

 

 そしてケイネスも、また。

 

「私もランサーの受肉を願おう。ディルムッドよ、貴公の忠義は、まだ終わってはおらぬぞ」

 

「は!! ありがたき幸せ!! このディルムッド・オディナ、命尽きる時までケイネス様のお側で仕える事、お約束いたします!!」

 

 主の申し出をこちらも快諾し、膝を折って忠節を示す騎士。

 

「分かりました、それではこれより受肉の儀式を始めます」

 

 およそ何でも叶えられる程の魔力に物を言わせ、儀式と言うにはあまりにもあっさりと3騎のサーヴァントは3人の、一個の命として受肉を果たす。

 

 しかし、ここで予想外の事態が生じた。

 

 本来ならば聖杯が叶える願いは優勝したマスターとサーヴァントの二人分。

 

 だが今回の場合はキャスターという最高位の魔術師の手によってその魔力が無駄なく的確に運用されている事と、マスターとサーヴァントの願いが被っていた事もあって、サーヴァント3騎を受肉させても尚、魔力に余裕が生じていたのだ。

 

「これ、どうしますか?」

 

 4本になった尻尾の一つをもふもふと撫でながら、キャスター、否、タマモが尋ねる。ちなみに残る3本の内2本はフィオとネロがそれぞれもふもふしている。

 

 切嗣には、もはや願いは無い。アイリが生きていて自分の傍にいてくれるだけで、十分だった。

 

 ならば願いを叶えられるべきは……

 

「俺の願いは……」

 

 雁夜は語った。

 

 桜、血の繋がらない自分の姪が、虐待などという言葉が生易しいような地獄の中にいる事。そして彼女を救う為に聖杯戦争に参加した事を。

 

 それを聞いたネロやディルムッドはすぐさま間桐家に乗り込んで桜を救出すべきだと主張したが、フィオが待ったを掛けた。

 

「間桐家当主、間桐臓硯は狡猾な男よ。こんなメンバーで正面から押しかけても、その前に結界なり使い魔なりで察知されて桜ちゃんを人質に取られるのは目に見えているわ」

 

 それを避ける為、そんな暇を与えない電撃的な作戦として、残った魔力を使ってタマモが蟲蔵へと瞬間移動、そして桜を確保してまたすぐに瞬間移動で離脱するというプランが立案された。

 

 魔力を使って直接臓硯を殺すという案もあったが……

 

「あっさり殺しちゃつまらないでしょ? 桜ちゃんを取り戻した後、こう言ってやるのよ。『今度何か妙な事をしたら、その時こそ地獄の釜の底に叩き込んで息の根を止めるぞ』とね」

 

「それは……」

 

 それはつまり、かつて臓硯が雁夜にしてきた事と同じだった。

 

 自由意志を奪ってまで当主に仕立てる程の才がある訳でもないし、市井で自分に怯えながら暮らす分には見逃してやるぞ、と。

 

 今度はそれをフィオや雁夜達があの老人に行う事になる。

 

 お前など殺す価値も無い。蟲蔵で自分達に怯えながら、悪巧みをせずにいる分には見逃してやるぞ、と。

 

 道化として見下していた筈の者に立場を逆転されてのその仕打ち。これほどの屈辱もそうはあるまい。

 

 聞いた雁夜は、フィオに言った。

 

「あんた……人からよく嫌な奴だと言われるだろう」

 

「しょっちゅうよ、そんなのは」

 

 その後に「言った奴は不思議と長生きしないけど」と付け加える。

 

 そうして実行に移された桜救出計画は見事成功。その後、残存していた尻尾2本分の余剰魔力は桜と雁夜を癒す為に使われる事となり……

 

 二人の体内より刻印虫は完全に除去され、改造されていた桜の体質も元に戻り、雁夜も、髪に戻った色素や自由に動くようになった左半身など、完全に一年前の状態へと戻った。

 

 タマモの尻尾も遂に一本に、つまり英霊として召喚された時のものへと戻った。

 

 こうして、第四次聖杯戦争は終結した。

 

 次の日から、フィオはこの3日間、閉めていた店を再び開ける事となり。

 

 切嗣とアイリはその日の内に、アインツベルン城からイリヤを連れ出しにドイツへと向かう。ネロもそれに同行した。

 

 雁夜は桜の今後について、中立の立場であるフィオも交えて遠坂時臣と一度よく話し合う事を勧められ、恩人である彼女の顔を立てる意味でも取り敢えずはそれに従う事にした。

 

 ケイネスは、ディルムッドを連れてイギリスへと凱旋帰国する運びとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、数年の時が流れて……

 

 

 

 

 

 

 

「おお、桜ではないか。今帰りか?」

 

「あ、ネロさん」

 

 通学路で独特のミュージックに気付いた桜が振り返ると、ライオン号に跨ったネロが居た。

 

 第四次聖杯戦争の際、切嗣によって持ち込まれたこの(文字通りの)モンスターマシンは今はネロの物となり、アツアツピッツアの出前をそれで行う彼女の姿は、今や冬木市の隠れた名物となっている。

 

「私もちょうど出前の帰りでな……乗っていけ、送っていくぞ」

 

 そう言って、ぽいとヘルメットを渡す。桜は受け取ったそれを被ると、彼女の背中に掴まるようにして乗り込んだ。

 

 と、桜のすぐ隣を歩いていた黒髪をツインテールにした気の強そうな少女が、印象に違わない勝ち気な声を上げた。

 

「ちょっとネロ!! いつも言ってるけど安全運転を心掛けなさいよ!! 桜に何かあったら、許さないんだから!!」

 

「大丈夫ですよ、姉さん。ネロさんは名ドライバーだもの」

 

「うむ!! 私の騎乗スキルはA+!! 大船に乗った気でいるがよい!!」

 

 そう言って野獣を発進させるネロ。魔改造遊具は信じられない加速を見せて、風そのものとなって一瞬にして桜の姉、凛の視界から消えてしまった。

 

 第四次聖杯戦争終結後、フィオの立ち会いの下、雁夜より桜の間桐家での待遇を知らされた時臣と葵は驚愕と後悔を露わにし、そして時臣も桜が希代の才覚から魔道の庇護無しには生きられない点を雁夜へと伝えた。

 

 ならばどうするかと思案した結果、うってつけの人物がそこに居た。

 

 フィオだ。

 

 架空元素も含む七属性全てを極めた魔術師である彼女なら「虚数」属性を持つ桜の師として申し分無い。彼女は「私には元々要らないものだから」と、ゆくゆくは自らの魔術刻印を桜に移植する事を『自己強制証文』(セルフギアススクロール)にて時臣に確約している。これで魔術師としての桜の将来についてもまずは安泰。そして「五大元素」の凛の師としても「火」のみの属性である時臣よりも彼女は適していると言える。

 

 こうしてフィオは、時臣がセカンドオーナーとしての権限を使って封印指定である彼女の素性を協会から隠蔽する事を条件として、桜を預かる事と姉妹二人の指導に当たる事を了解する運びとなったのである。

 

 ちなみに、間桐家へと桜を預けた件について時臣と雁夜の間にすったもんだがあり、最後には河原での殴り合いへと発展した事を追記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

「きゃっ!!」

 

「イリヤ、大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫かい、お嬢ちゃん?」

 

 商店街で、アイリと共に買い物に出ていたイリヤは、ちょうど目の前を歩いていた銀髪が特徴的な妙齢の女性にぶつかってしまって、転んでしまう。

 

 アイリが慌てて娘に駆け寄って、その女性もイリヤへと手を差し伸べた。

 

 イリヤの身長は、数年前よりもずっと伸びていた。

 

 これはフィオとタマモが行った調整によるもので、これによって彼女の体は普通の人間と同じように成長するようになっていた。

 

 調整が行われたのはアイリも同じで、魔術師二人の言を信じるならば寿命面での問題なども全てクリアされたらしい。現に彼女はこの数年間、大きな病気などした事がない。本来は第四次聖杯戦争の聖杯の器としてのみ鋳造された存在であり、長い寿命など不要と断じられて、与えられてはいなかった筈なのに、だ。

 

 今の二人の名前は衛宮アイリスフィールと衛宮イリヤスフィール。名実共にアインツベルンを捨てて、一人の人間として暮らすようになったのだ。

 

 この冬木で過ごす一日一日を、二人は神様からの贈り物のように感じていた。続いていく、奇跡のような日々。二人には望むべくもなかった、有り得なかった筈の時間。それを今、二人は当たり前のように享受して生きている。

 

 これを奇跡と言わずして何と言うのか。

 

「ああ、お嬢ちゃん。ぶつかりついでに一つ聞いていいかい?」

 

 と、蓮っ葉な口調で、その女性が尋ねてくる。この町には、人を探しに来たらしい。

 

「衛宮切嗣……って名前に、心当たりはないかい?」

 

 

 

 

 

 

 

「シャーレイ、どうしよう……!!」

 

 捜し人は今、「虹色の脚」の一席で幼馴染みに真剣な顔で向き合っていた。

 

 まさかアインツベルンから追っ手が掛かったのか。それとも魔術師殺し時代に恨みを買った相手が刺客となって、この冬木にやって来ているのか。

 

 ともすればそんな深刻な話だと思うだろうが……向き合う死徒は頬杖付いて呆れ顔だ。

 

 さもありなん。相談内容など、聞かずとも大体想像出来るのだ。

 

「イリヤが僕と一緒に寝てくれなくなったんだ!! 寝室を別々にしようって……」

 

「ケリィ……いい加減に子離れしなよ……」

 

 彼女はすっかり、この手の相談には慣れっこになってしまった。

 

 以前は「一緒に風呂に入ってくれなくなったんだ」と泣き付かれ。その前は「煙草臭いって言われたんだ」と一升瓶片手に延々と愚痴を聞かされた。

 

 十代のままの姿の彼女が、三十過ぎの男に人生相談を持ち掛けられている姿は、異様を通り越してシュールですらあった。

 

 これが数年前からの衛宮切嗣の日常だった。アイリとイリヤと共に、冬木市内に聖杯戦争中の拠点として使う筈だった武家屋敷を改装して移り住み、今は親子三人で仲良く暮らしている。

 

 舞弥はあの後、生き別れになった子供を捜す旅に出た。

 

 風の噂では武器商人の私兵になったとか……まぁ、今でも定期的に切嗣の元に手紙が届く事から、元気にはしているようだ。

 

 さて、切嗣とシャーレイの隣の席では……

 

「雁夜、どうしよう……凛が「お父様の服と私の服、絶対一緒に洗わないでよね!!」って言うんだ……」

 

「何で葵さんに会いに来たら、お前の相談なんか受けなくちゃならないんだ!!」

 

「仕方あるまい!! こんな事相談出来るのは君だけだし……葵に話した日には家庭内での私の立場というものが……」

 

 時臣と雁夜が、同じようなやりとりを繰り広げていた。

 

 結局、河原で殴り合いを演じた後に、二人は葵の取りなしもあって和解し、こうして今も縁故を保っている。

 

 臓硯も、フィオの脅しがよほど効いたらしく静かなものだ。

 

「はーい、お二人様、当店の新メニュー「根源に至るパスタ」お待ち遠様です。冷めない内に、美味しく召し上がりやがって下さいな」

 

 そんな二人に料理を運んできたのは、シャーレイと同じメイド服を着たタマモだ。彼女もまた戦争が終わると同時に、給仕としてこの店で働いていた。その手際は先輩であるシャーレイもうかうかしてはいられないほどで、流石は「良妻狐」といった所か。

 

 そんなやり取りを眺めつつ、フィオはいつも通り厨房で包丁を振る。

 

 これが今の彼女の毎日だ。魔術師としてではなく、料理人として。魔術の研究をするよりも、死徒と戦うよりも大変な時もままあるが、しかし人間としての人間らしい幸せが、この生活の中には確かにあった。

 

 その時だった。厨房に据え付けられたテレビが映していたニュースが、切り替わる。

 

<それでは次は、現在上海で人気急上昇中のアイドル、ネネちゃんのニュースに移ります>

 

「…………」

 

 それだけなら別段よくあるニュースなので彼女は野菜を切る手を止めなかったが……

 

<では、ファンの人達からの声を聞いてみましょう>

 

 画面の中で、マイクを向けられたその人物は。

 

<ネネちゃんはきっと成功すると思ってました。応援していた甲斐がありましたよ>

 

<……ぽるかみぜーりあ>

 

 テロップには、『ファンクラブ会員ナンバー002・タクシードライバーのKさん』とある。

 

 ざくり。

 

「あ痛!!」

 

 動揺して、思わず指を切ってしまう。

 

 しかしそれも納得である。画面に映るのは、いくらか髪も伸びて服装もカソックではなくアロハシャツだったが、間違いなく言峰綺礼その人だったのだから。

 

 ここ数年、噂を聞かなかったからどうしているのかとたまに思い出す事があったが……

 

 まさか上海でタクシードライバーをしていて、しかもアイドルの追っ掛けをしていたとは……

 

『……あの時、殴り過ぎたかしら? それとも、ステンドグラスをぶち破った時に頭から落ちたのかな?』

 

 打ち所が悪かったのではないかと、傷口を洗うフィオは真剣に綺礼の身を案じていた。

 

 ちなみにこの更に数年後、言峰綺礼は犯罪組織「蛇」と鉄の闘争代理人との戦いに日本から来たカメラマン諸共巻き込まれ、代行者時代の実力を活かして大活躍する事になるのだが……それはまた、別の物語である。

 

 

 

 こうして冬木市での日々は……全ての人達にとって当たり前のように続き、そして過ぎていった。

 


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