Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結)   作:ファルメール

14 / 22
第14話 決戦開始

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 午後11時を過ぎて、天上には満月が煌々と輝いている。

 

 ネズミやリスといった小動物はおろか、木々から草花に至るまで眠っているかのように、不気味なほど何の気配も感じないアインツベルンの森を、二人の男が進んでいく。

 

 一人はカソックを着た神父然とした青年。何らかの武術の心得があるのかきびきびとした動きで、目印などまるで無いようなこの夜の森中にあっても迷いを感じさせない足運びでずんずんと真っ直ぐに進んでいく。

 

 もう一人はパーカーを目深に被った、神父よりはわずかに年上に見える青年であった。しかし、今は服に隠されている面貌を見れば誰もが息を呑んだろう。彼の半面は仮面のように硬直し、瞳は白濁している。

 

 異常は顔だけではなかった。身軽そうな神父とは対照的に男の動きは油の切れたロボットのようにぎこちなく、しかもそのぎこちない動きの中で左半身は更にテンポが遅れていて、ずるずると引き摺っている。

 

 男の名は間桐雁夜。御三家の一角である間桐家からの参加者であり、バーサーカーのマスターであった。

 

 神父の名は言峰綺礼。この聖杯戦争においては真っ先に脱落した筈のアサシンのマスターである。

 

 本来ならば出会った時点で殺し合いに至るマスター同士が肩を並べて同じ方向に進んでいる意味は、一つだけ。即ち二陣営の同盟である。

 

 この同盟を持ち掛けたのは、綺礼の方であった。

 

 本来であれば彼は魔術の師である遠坂時臣と表向き決裂したように見せ掛けて、その実水面下では諜報能力に秀でたアサシンによって、最高の攻撃力を誇るアーチャー・ギルガメッシュを擁する師のサポートに回るのが役目であった。

 

 だが、最大のイレギュラーと言えるフィオ・レンティーナ・グランベルの参戦によって事態は予想を大きく裏切る動きを見せた。

 

 最強のサーヴァントであるギルガメッシュがあろうことか最初の脱落サーヴァントとなり、更に最優とされたセイバーもランサー陣営によって打ち倒された。

 

 そしてアサシン達の調査によればどのような経緯があったかまでは不明だが、衛宮切嗣を含むアインツベルン陣営、ランサー陣営、そしてライダー・キャスター陣営は全てアインツベルン城に集結したまま動かないという。

 

『今の私が衛宮切嗣に会うには、この手しかあるまい』

 

 この展開はライダーの戦車によって教会まで送られてきて、約定に従い保護を受けた時臣を見た時点で綺礼の頭の中に浮かんでいたものだった。

 

 ただ、セイバーの脱落と3騎ものサーヴァントがアインツベルン城に集まっているのは彼にとっても予想外だった。それ故の、間頭雁夜との同盟であった。

 

 彼のアサシンには無数に分裂する能力がある。分裂する毎に個々の能力は低下するが最大80人までの分裂を可能とし、いかに能力が低下したと言ってもそれはサーヴァントとしての話。人間のマスター相手には十分な脅威となる。

 

 諜報面では気配遮断スキルとあいまって無敵の能力であり、戦闘面に於いても(多少の犠牲を容認するのならという条件付きだが)どれほど敵サーヴァントがそのマスターを警護しようと、多勢に物を言わせた全方位攻撃によってごり押しのマスター殺しを可能とする脅威の能力である。

 

 ……とは言え、流石にそれでも三騎士の一角を含む3騎のサーヴァントが相手では勝負にならないだろう。

 

 それ故の、この同盟であった。

 

「はあっ……はあっ……こ、言峰……本当に、聖杯は俺に、渡してくれるんだろうな……!!」

 

 肉体を苛む苦痛に息を荒げつつ、すぐ隣を歩く雁夜が尋ねてくる。これで何度目の同じ問いだろう。綺礼はいい加減煩わしさを感じて、少しだけ語気が強くなった。

 

「無論だ。私は元より聖杯になど興味は無い。君はバーサーカーで、残りのサーヴァント達を蹴散らしてくれればいい。その後で聖杯は、君の好きにするがいい」

 

 それが、この同盟の条件だった。

 

 アサシン達には反逆を防ぐ為、あらかじめこれは雁夜の協力を得る為の嘘であると言い含めてある。アサシン達としても、当初の予定ではサポートに徹する筈だった遠坂時臣が脱落した今、綺礼が自分達を騙す理由も無いだろうという判断からその言葉を信用する姿勢を見せていた。

 

 一方で雁夜としては敵マスターが聖杯を自分に渡すなどという虫のいい話が、しかもそれを持ち掛けてきたのが恨み重なる時臣の弟子だった男では必然、疑いもしたが……彼も使い魔の虫による偵察は行っており、綺礼から説明された状況は自分の把握していたそれと合致している。これではバーサーカーの実力を以てしても単独で勝ち残るのは絶望的。胡散臭い話でも乗るしか、選択肢は無かった。

 

 綺礼の本心としては、もし本当に聖杯が手に入ったのなら雁夜に渡すつもりだった。聖杯になど興味が無いという言葉も真実だ。

 

『尤も……その時まで、この男が生きていられるとも思えないが』

 

 時臣の話では、間桐雁夜は魔道を嫌って家から逃げ出した落伍者であり、それが聖杯欲しさにおめおめと舞い戻った、という事らしい。ならばこの、文字通り身を削っているかのような尋常ならざる様子にも得心が行く。本来、長い時間を掛けて少しずつ修めていくべき魔術を、短期間で無理矢理”詰め込んだ”という事か。

 

 こんな様子で、ランサー・ライダー・キャスターを相手にバーサーカーを暴れさせて保つかどうかなど、魔術師としては見習いでしかない綺礼の目をしても答えは明らかだった。

 

『まぁ……それならそれで、構わないが』

 

 今の綺礼の心を占めているのは衛宮切嗣唯一人。彼と真っ向から向かい合い、得たのであろう”答え”を問い質す時間さえ稼いでくれるのなら、雁夜の生死など彼にはどうでもいい事だった。

 

 生きても良し、死んでも良し。

 

 周囲に展開して森中にトラップのように張り巡らされた鋼線(ワイヤー)を切断しつつ、主達の安全を確保していくアサシン群を従えて、二人のマスターは森の最奥・アインツベルン城へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

「キャスター……儀式は、まだ終わらないの?」

 

 ほぼ同時刻、アインツベルン城の本丸からは少し離れた場所に建てられた離れ。

 

 たった一つしかない出入り口から入ってきたフィオが、魔法陣の上に寝かされたアイリスフィールより吸精を行っているキャスターに尋ねた。

 

「はい、ご主人様……今でも目一杯急いではいますが……これ以上はどうしても……」

 

 マスターに顔も向けずに返事するキャスターであったが、フィオはこれを不敬だとなじるような事はしない。寧ろ、いくら一大事と言っても集中力を要する儀式の最中に声を掛ける彼女の方が無神経だと叱責されるべき場面なのだ、これは。

 

 シャーレイとライダーが道具を持ってくると同時に準備を始め、儀式に取り掛かったキャスターであるが、開始からそれなりの時間が過ぎたと言うのに未だ行程は終了していない。

 

 呪術によってアイリスフィールに満ちた、サーヴァントの魂が分解された魔力を吸収する。ただ単に魔力を吸い出すだけならば1分もあれば十分だが、この儀式を行う大前提として、これはアイリの命を救う為に行うという一点がある。

 

 魔力を吸い出せてもその時アイリが死んでしまっていたのでは意味が無い。これは脳に刺さった針を脳そのものには傷を付けずに引き抜くような、高度の繊細さを求められる作業であった。

 

 よって慎重に、時間を掛けて行っているのだが……拙い事になった。

 

「アサシン達が、城に迫っているわ……」

 

「なっ……!!」

 

 それを聞いて思わず、まだ意識の戻らない妻の手を握っていた切嗣が腰を浮かす。

 

 フィオは簡単な結界として森中に礼装”アリアドネ”の鋼線を張り巡らせておいたが、それが次々に切られて突破されている。しかも一箇所や二箇所ではなく、十箇所以上がほぼ同時のタイミングで。

 

 夜の森で、しかもほぼ不可視のアリアドネを次々に切って、この城に迫ってくる。そんな凄腕の魔術師あるいは工作員が十人も二十人もこの冬木に入ってきているなど、切嗣が掴んだ情報にも無かった。考えられるのは全部で何人居るのか知れたものではないアサシンのみ。

 

 これはフィオの予想の範疇だった。

 

 それ以外の事も全て彼女の読み通りだとすれば、アサシンのマスター・言峰綺礼はバーサーカーのマスターと同盟を組んで攻め込んでくる。恐らくはマスターも含めての総力戦、今夜を決着の夜とするつもりで。

 

 小一時間も過ぎればこの城は、儀式に当たっているキャスターを除く総勢4騎のサーヴァントが入り乱れる一大決戦の舞台となるだろう。

 

 当然、ランサーとライダーとて全力で迎撃に当たらねばなるまい。となればバーサーカーとアサシン、それと考えたくはないがランサーとライダーが脱落して、どのサーヴァントであろうとその魂が変換された魔力がアイリの中に流れ込む事態は十分に考えられる。寧ろその可能性が極めて高い。お互い、手加減して戦えるような相手ではないのだから。

 

 その中で、アイリの中にプールされた魔力がリミットを越える時が一瞬でもあればアウトだ。彼女は死に、聖杯は起動する。

 

『ここまで来て、私達は彼女を救えない?』

 

 ふざけるな。

 

『認めないわよ、そんな事……!!』

 

 フィオがアイリと会話したのはほんの30分足らず。たったそれだけの関係。本来ならアイリが生きようが死のうが、彼女には何の関係も無い。

 

 だが、それでも。助けられるのだ。自分達は今、確かに死という底無し沼へと沈んでいくアイリスフィールの手を掴んでいる。後は、引っ張り上げるだけ。

 

 ここまで来て、助けられないなど。

 

『認められるか』

 

 フィオは、最後の切り札を切る事を決めた。

 

 胸に手を当て、気を張り巡らせる。フィオの背中に、光によって形作られた一本の剣の紋様が浮かび上がる。それは彼女の令呪、その最後の一画だった。令呪はサーヴァントを縛る鎖。それを失ってしまえばマスターにはそのサーヴァントを制御出来なくなり、万一の反逆に対応する事も出来なくなる。故に最後の一画は残しておくのが鉄則だが……

 

 だがフィオはこうも思うのだ。今使わずしていつ使うのかと。故に。

 

「令呪を以て我が朋友に願う。キャスター『儀式全ての作業を最短最速にて完了させ、アイリスフィールの命を救え』。絶対に成功させて!!」

 

「了解しました、ご主人様!!」

 

 剣は消え、最後の絶対命令が魔術師のサーヴァントに課せられる。キャスターはその命令に従い、ホムンクルスの体、その内側の聖杯から数秒前とは段違いのスピードで魔力を吸い上げ始める。今までは原始的な釣瓶によって井戸から一杯一杯えっちらおっちらと汲み上げていたのだとすれば、今は近代的なポンプを使っているようなものだ。しかも、アイリの体へ掛かる負担が最小限になるようにした上で。

 

 令呪によるサポートを受けた今、キャスターは機械以上の正確さ・繊細さで儀式を進める事が可能となった。これなら、きっと大丈夫。呪術師の表情に確信の笑みが浮かぶ。

 

「正直、聖杯戦争に参加するのを決めた時は、こんな風に令呪を使うなんて想像してなかったわ」

 

 他人が召喚したサーヴァントを、他人を救う為に。しかも、よりにもよって最後の一画を。フィオは苦笑する。

 

「でも、私は今のご命令をお待ちしてました。今のご主人様、とってもイケメンですよ!!」

 

 やはりこの人は、仕えるに値する主人だ。

 

 キャスター・タマモは確信する。

 

 令呪の有無など関係無い。まだたった二日前の事だが、もう何十年も昔の事のようにも思える。あの地獄に手を差し伸べて救い出してくれた時から、この人は私の全て。裏切るなんて、ありえない。

 

 そして今こそ、ご主人様の期待にお応えする時。

 

 ご主人様が私を救ってくれたように、今度は私がこの人を。

 

「大丈夫、必ず助けますよ!!」

 

「……すまない。あんたに、ここまでさせて……」

 

 切嗣は頭を下げると自分も迎撃に出るべく立ち上がったが、フィオに制された。

 

「今のあなたの仕事は、奥さんの手をしっかりと握ってあげている事よ」

 

 理論的ではない。科学的でもない。だがそれでも、今の切嗣はそうすべきだとフィオは思う。根拠など何も無いが、その方がアイリスフィールが助かる気がするし。それに、

 

「奥さんが目を覚まして最初に見るのは、旦那さんの笑顔であるべきでしょ?」

 

 そう言ってにっこり微笑むと彼女は退出し、出入り口を閉めた。そして、簡単には破壊されないよう扉と壁全体に強化を施す。

 

 儀式の場所として城内の一室ではなくこの離れを選んだのは、彼女の判断だった。

 

 バーサーカーとアサシンが今夜攻め込んでくるのは想定内。場所を移している余裕は無かったから、この城の中で可能な限り邪魔の入らないポイントを選ばねばならなかった。

 

 既にアサシンが幾人にも分身するのは確認済み。となれば正門の他に入り口や、簡単に割って侵入出来る窓がいくつもある城の中で儀式を行ったのでは、何人かがフィオ達を足止めして別働隊がアイリスフィールを……という展開も十分に有り得る。キャスターも儀式中では戦力として数えられない。

 

 その点この離れであれば、出入り口は一つだけで窓も無く、壁はマナが濃いので霊体化しての通り抜けも不可能。アサシンクラスの筋力では壁を破壊して侵入する事も不可能。

 

 守る側のこちらとしては、入り口を死守する事と壁を破壊出来るパワーを持つバーサーカーに注意を払えば良い。それにこれなら屋外を戦場と出来るので、ライダーの宝具である戦車もその威力を存分に発揮出来る。

 

 離れの前には、バランスボールのような「月霊髄液」(ヴォールメン・ハイドラグラム)を待機させ、すぐ傍にランサーを控えさせたケイネス。そして自慢の戦車に、シャーレイと舞弥を乗せたライダーが敵の到着を今や遅しと待ち構えていた。

 

 御者台に立つ二人はそれぞれ魔術によるエンチャントが施された銃火器を手にしている。

 

 右翼をカバーする舞弥は今回は、御者台に即席の銃座として据え付けられたM134ミニガンの射撃手として乗り込んでいた。コイツは”肉食獣”を撃つついでに派手に森林伐採をするには、うってつけの銃だ。生身の人間に当たれば痛みを感じる前にその命を奪う事も可能であろう事から”無痛銃”の異名で呼ばれる代物であった。

 

 これだけでも物凄いが左翼のカバーを任されたシャーレイの装備はその上を行く。彼女が使うのはこれも即席の銃座として戦車に搭載したM61・20ミリ砲身機関砲。本来ならば戦闘機に搭載される装備である。死徒の膂力を持つシャーレイをして、扱いには骨の折れるじゃじゃ馬だった。まともに当たれば人間など跡形も残らない。御者台の一角は樽のようなガンポッドが占領してしまっている。

 

 どちらもフィオが一体全体どんなコネを使って仕入れたのか、「緊急時の備え」として自宅の地下に隠していた物である。固定砲台とせずライダーの戦車に搭載したのは、バーサーカーに奪われない為の措置だった。

 

「……小さな国とでも、戦争する気だったんですか?」

 

 と、舞弥。流石の鉄の女も、これには呆れ顔だ。

 

 この聖杯戦争の為に切嗣が持ち込んだ銃火器の量もかなりのものがあったが、まさか日常からその上を行く者がいたとは……

 

「私も昔、店長に同じ台詞を言ったわ」

 

 と、輸血パックから血をトマトジュースのように飲みつつシャーレイが応じた。彼女も苦笑いしている。

 

 しかし、今回の聖杯戦争に巻き込まれた一件やシャーレイを助けた事例からも分かるが、これだけ備えを整えていても十分だとは言い切れないのがフィオの”不幸”の恐ろしい所である。

 

「やれやれ……余の戦車も随分無骨になってしまったのう……」

 

 手綱を握るライダーが困った表情を見せる。

 

「『原初の火』と同じく余自らデザインしたこの戦車に、よりにもよってそんな無粋な武器を載せるとは……」

 

 不満もあるが、まぁ奏者のたっての頼みなのだ。ここは余の方から折れておくとしよう。

 

 そう思ってフィオへと視線を動かすと、ライダーは一つの違和感に気付いた。彼女の体のどこからも、令呪の気配が感じられない。

 

 フィオが先程、キャスターが儀式を行っている離れに入っていったのを思い出したライダーはそれですぐに、最後に一つ残っていた令呪の使途を悟った。

 

「……最後の令呪を使ってしまうのは賢い行いとは言えぬが……だが奏者よ、余は優しい者を好む。奏者のそういう所は、この胸の琴線に一際触れるぞ」

 

 令呪を使い切る事の危険を知らぬ奏者でもあるまい。アイリスフィールを救う為というのもあるだろうが……それと同じぐらいに、奏者は余やキャスターを信じてくれたのだ。

 

「その信頼に、応えなくてはなるまいて!!」

 

 奇しくも、騎乗兵のサーヴァントは魔術師のサーヴァントと同じ想いを抱き。御者の心を手綱越しに感じ取ったのか太陽神の眷属たる神馬達も一際強く嘶く。

 

「そう言えば、ライダー」

 

 と、フィオが御者台に立っていて自分よりかなり高い目線にいるライダーへと、尋ねた。

 

「ん? どうした、奏者よ」

 

「今までずっと聞きそびれてたけど……聖杯に託すあなたの願いは、何? この戦いが終わった後にはそれを叶えるように、私もキャスターに言うけど……」

 

 フィオの声には申し訳なさが滲んでいる。

 

 聖杯を万能の願望機たらしめるのは、そこに溜め込まれたおよそ何でも叶える事が出来るほどの魔力。今はアイリの中にあるそれをキャスターが吸収する訳だから、必然、ライダーの願いはその魔力を運用してキャスターが叶える事となるだろう。だが、万一キャスターが嫌だと言ったら……

 

 その時はもう、令呪を失っているフィオはそれを止める術を持たない。ありえないとは思うが、その事態が起きてこれまで共に戦ってくれた戦友に報いる事が出来ないと思うと……

 

 だがライダーはゆっくりと首を振ると、優しい声で応じる。

 

「その事なら、心配する必要は無い。奏者よ」

 

 その可能性については、城のサロンでこの案が出た時からライダーにも思い至っていた。だが、彼女は反対意見を唱えるどころか嫌な顔一つ見せなかった。

 

 つまり……

 

「余の願いはもう……叶っておる。いや、この言い方は違うな」

 

 暴君ははにかむような表情を見せて、言い直す。

 

「そなたが、シャーレイが、そしてキャスターの奴めが、叶えてくれた」

 

 嘘ではない。声が、表情が、瞳が。それがネロ・クラウディウスの本心であると優しく語っている。

 

「故に奏者よ、そなたは何も気兼ねする必要は無いぞ。為し得る限りを尽くし、アイリスフィールを救うがよい。余も持ち得る全てを以て助けになると、約束しよう」

 

「……ありがとう、ライダー」

 

 フィオが、腰を曲げて頭を下げる。その時だった。

 

「……!?」

 

 弾かれたようにばっと顔を上げるフィオ。同じく、ライダーそれにランサーも表情を厳しくして周囲を見渡す。

 

 僅かに遅れて戦士として鍛えられた舞弥と死徒であり夜目が利くシャーレイが。最後にケイネスが異常に気付いた。

 

 囲まれている。

 

 この離れのぐるりを包むように、闇に溶け込むような黒い衣装とそれだけがポツンと浮かび上がって見えるような髑髏を思わせる白い仮面が顔を出す。

 

 見間違える筈もない。アサシンだ。だが驚くべきは、その数。十人や二十人ではきかない。五十人、いやもっと。

 

 男もいる、女もいる。

 

 痩せぎすの者もいる、太った者もいる。

 

 ひょろ長い者もいる、ちびもいる。

 

 幼い者もいる、老人もいる。

 

 体格や特徴は様々だが、彼等の中に唯一つ見出す事の出来る共通点は、黒い衣装と白い仮面。それが、ここに集まったのが単純な分身や身代わりなどでは断じて無く、70を超える全ての影がアサシンのサーヴァントだと教えていた。

 

「我らは群にして」

 

「個のサーヴァント」

 

「されど」

 

「個にして」

 

「群の」

 

「影」

 

 生前の多重人格を原典とし、個々の人格の分割に伴い霊的ポテンシャルをも分割・無数に分裂する。これがアサシンが持つ宝具「妄想幻像」(ザバーニーヤ)の正体だった。

 

 本来、暗殺者が手の内を晒すなど愚行の中の愚行と言えるが……しかしもう、隠す意味も無い。どのみちこれから起こるのは、群体としての包囲襲撃によって最後の一人になろうが敵マスターを全滅させるという大一番。犠牲覚悟の決戦なのだから。

 

 暗殺者達に警護されるようにして、二人のマスターが姿を現す。綺礼と雁夜だ。

 

 雁夜のすぐ傍に、黒い靄のような魔力が集まり形を持ち始める。バーサーカーの実体化だ。

 

 やはり、奴等は同盟を組んでいた。フィオの読みは当たっていたのだ。

 

 それを見て取ったケイネスも動いた。手袋を外す。この一戦こそ第四次聖杯戦争の天王山。打てる手は全て打って、勝利を掴みに行く。

 

「令呪を以て我が無二の騎士に命ず。ランサーよ『この戦い、必ずや勝利せよ』」

 

「御意……!!」

 

 ケイネスの手から、令呪の一画が消失する。

 

「重ねて令呪を以て命ず。ランサー『必ずや生き延びろ』」

 

「御意……!!」

 

 二画目の令呪も消えた。僅かな喪失感が魔術師の胸に去来する。だが、それを惜しいとは感じない。主として第一の資質は、己が臣を信じる事。この騎士に、最後の一画を惜しむ必要など無い。

 

「更に重ねて命ず。『汝の願い、騎士の忠義を全うすべし』!!」

 

 最後の令呪が、消える。

 

 令呪による三重ブーストはこの戦いのみ、短い時間の効力しか持たないが、だがそれ故に高ランクの狂化にも匹敵する効能で以てランサーの能力を引き上げる。

 

「……凄いわね」

 

 傍らでそれを見守るフィオは、マスターに与えられた透視力によって今のランサーの状態が正確に把握出来ていた。

 

 

 

 筋力:A 耐久:B 敏捷:A++ 魔力:C 幸運:A+ 宝具:B

 

 

 

 総合力ではセイバーにすら引けを取らない。敏捷に於いてはアサシンクラスすら圧倒するだろう。あのバーサーカーの正確な実力は正体隠蔽の能力によって不明だが、これならばよもや遅れは取るまい。

 

「主よりの命、確かに承りました。必ずや全ての敵を打ち倒し、主の元に帰還するとお約束いたします!!」

 

 最大の援護を受けたフィアナの騎士は、今こそ己の忠道を全うする為、その二槍を取る。

 

「我が右手に「破魔の紅薔薇」(ゲイ・ジャルグ)、左手に「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)ある限り、我が主に敗北はありえず!! 蒼天我らが上に落ちたらぬ限り、緑なす大地引き裂けて我らを呑み込まぬ限り、泡立つ海押し寄せて我らを溺らしめぬ限り、この誓い、破らるる事無し!! ディルムッド・オディナが此処に誓う!!」

 

 その、古き誓いの言葉が紡ぎ終えられるのと、漆黒の狂戦士が実体化を完了するのはほぼ同時であった。

 

 闇を纏うようなその騎士を前に、ランサーは一歩を踏み出し、紅槍の切っ先を向けて高らかに叫ぶ。

 

「バーサーカーよ、先日の戦いで貴様が何故セイバーに襲い掛かったのかは知らん。だが彼の王が倒れた今、彼女の剣は俺の中にある!! 故に貴様が騎士王を打ち倒さんと欲するのなら、このディルムッド・オディナを討ち取る他は無いと知れ!!」

 

 元よりバーサーカーが現れた場合、その相手は能力的に相性の良いランサーが行う手筈だった。狂戦士に通じる筈もないが、しかし同じ騎士の最低限の敬意として行われた宣誓だったが……

 

 不意に、バーサーカーに動きがあった。

 

 ぶるぶると震え始めて、総身を覆っていた黒靄が晴れていく。

 

 そうして露わとなったのは、歴戦の勲として疵を刻んだ黒鉄の鎧。それを見ただけでも、眼前の騎士がその生きた時代にあって武の極みにまで至った兵だと見る者に教えるには十分だった。

 

 だがそれ以上にサーヴァントも魔術師も、場の全員を驚愕させた物がある。

 

 それは、覆っていた闇が集結し、右手に実体となって顕現した漆黒の剣。

 

 一面黒に染め上げられているが、その威容を。刻まれた妖精文字を。宝具としての比類無き格を。特に英霊の座にまで招かれた者は見間違う筈がない。騎士王の剣と対を成す神造兵装「無毀なる湖光」(アロンダイト)。

 

 ならば重厚な兜に隠されたこの騎士の真名など、狂戦士が言葉を持たずとも語ったも同じ。

 

 アロンダイトを持つ騎士として考えられるのは、二人だけ。だが、今バーサーカーが手にする剣は「約束された勝利の剣」(エクスカリバー)の対たる聖剣にはほど遠い禍々しさ、魔剣の属性を帯びている。”魔剣としてのアロンダイト”を行使する騎士は唯一人。考えてみればその者は狂乱の逸話を持っているし、狂戦士(バーサーカー)のクラスで喚ばれた事にも説明が付く。

 

 円卓の騎士の中で、武芸に於いても人物に於いても随一と謳われた最高の騎士・ランスロット。

 

「■■■■■!!!!」

 

 怒号のようにも、怨嗟のようにも、呪詛のようにも、嘆きのようにも思える咆哮。湖の妖精より授かりし、決して欠ける事の無い伝説の剣を振りかざし、狂戦士はランサーへと奔る。

 

「フィアナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナ!! 参る!!!!」

 

 合わせるようにランサーも、その影すらも捉えられぬような速度で突進し、両者はちょうど中間の位置で激突。何かが爆発したかのような凄まじい衝撃が周囲に走る。

 

 サーヴァント達がぶつかり合うと同時に、マスター達も動いた。

 

「虫共よ……この場の魔術師共を喰らい殺せ!! 一人残らずだ!!」

 

 バーサーカーの宝具使用と、自身の魔術行使。二重の負担による刻印虫の励起、その痛みによって全身の穴という穴から血を流しつつ、雁夜が命令を下す。

 

 その合図を待っていたかのように彼の足下に集まっていた太った鼠ほどの体躯を持つ幼虫達が次々脱皮し、成虫達は牙を剥いてフィオ達へと殺到する。

 

 しかし、ただの一匹も彼女達に食い付く事は出来なかった。

 

「Fervor,mei Sanguis(沸き立て、我が血潮)!!」

 

 ケイネスの指示によって膜状に変化した水銀が、バリアとなって虫達の進路を妨害、そのままトリモチのように捕まえてしまう。

 

「貴様の相手はこの私だ。魔術師が殺し合うという本当の意味を、存分にご教授して進ぜようではないか」

 

 バーサーカー陣営とランサー陣営の激突も始まり、もう一方の陣営もまた、睨み合いから戦いへと移行する、一歩手前だと言えた。

 

 両手に黒鍵の刃を出現させ、身構える綺礼の姿を見てフィオは「ふむ」と感心したように嘆息する。

 

「どうした? 奏者よ」

 

「ああ、あの元代行者……奴は八極拳を使うわよ。それも、かなりの使い手ね……」

 

 畏敬の念を抱いているように言うが、しかし少しだけ、安心している部分もあった。構えや身のこなしから見て、あの銃剣使いの神父とか黄衣のシスターほどぶっ飛んだ相手ではないらしい。あれなら、何とかなるだろう。多分だけど。

 

「……そなたも八極拳とやらを使うのか?」

 

「ええ……昔、有名な先生に槍の技と一緒に習ったのよ」

 

 一触即発の状態だと言うのに、昔を懐かしむような目になるフィオ。

 

「尤も……私は浮気性だったから……免許皆伝をもらった後は、沢山の技よりも一つを極めろって教えに反してサンボや合気道とか、色々手を出したわ。勿論、八極拳の稽古も続けてたけどね」

 

 フィオは綺礼と相対する為に前に出て、百戦錬磨の元代行者すら見た事の無い異様な構えを取る。

 

「そうして様々な武術の長所、そして魔術のテイストをも取り込んで完成した私の魔術CQC!! その恐ろしさを見せてあげるわ!!」

 

 コートを脱ぎ捨てるフィオ。動きやすさを重視してチューブトップとサスペンダーで釣ったカーゴパンツのみの姿となり、鍛え抜かれた輝く肉体が露わになる。

 

 今こそが、決戦の時。マスターがコートを捨てたのは合図だったと悟り、ライダーが切り札たる宝具を発動させる。

 

「regnum caelorum et gehenna(レグナム カエロラム エト ジェヘナ)!! 築かれよ、我が摩天!! ここに至高の光を示せ!!」

 

 それはかつてフィオの固有結界に築いたのと同じ、世界を塗り替える大魔術。

 

 暴君ネロがローマに築いた黄金劇場が、今現代に蘇る。

 

 同時に、周囲を取り囲んでいたアサシン達も一斉に動き出した。だが、黄金劇場のきらびやかさが闇に紛れるという彼等のアドバンテージを、完全に消滅させている。

 

 これなら、こちらが有利。

 

「よし!! 我らも征くぞ!!!!」

 

「「はい!!!!」」

 

 舞弥とシャーレイが力強い返事を返すのと、ライダーが手綱を打って宝具を発進させるのはほぼ同時だった。戦車が走り出すと同時に、二人も両手で銃座を把持し、しっかりと狙いを付ける。

 

 ライダーとアサシンによるサーヴァント戦が始まった。

 

 それを見て取った綺礼が、口を開く。

 

「そこを退け、フィオ・レンティーナ・グランベル……私の狙いは衛宮切嗣だけだ……」

 

「あら? ”そーいうの”はあなた達の教義では禁じているのではなかったかしら? 代行者」

 

 構えを崩さずに、軽口を放ってみせるフィオ。

 

「それに……今の彼は妻の手を握って、手術の成功を祈っている真っ最中。邪魔は……野暮というものよ?」

 

 そう言うと前に突き出していた右手を90度だけ回して掌を空に向けると、指を何度か、くいくいっと動かす。

 

「かかって来なさい。あなたは、ここでツブす。第四次聖杯戦争の決着!! この場で着けるわよ!!」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。