Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結)   作:ファルメール

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第12話 騎士の決闘

「むう……」

 

 廃工場地下の第二工房にて、町中に放った使い魔達からの知覚共有によって今夜の戦況を把握していたケイネスは思わず唸り声を上げ、腕組みして考える姿勢を見せる。

 

「いかがなされましたか、我が主よ」

 

 そんなマスターの様子を気遣ったのか、ランサーが片膝を付いた姿勢のまま実体化した。

 

 それを見て取ると、ケイネスは得られた情報を自分のサーヴァントにも全て開示する事にした。

 

 彼は魔術師としては自他共に認める現代最高峰の実力者ではあるが、基本的に研究畑の人間であり戦闘など荒事は専門外である。戦争の勝率を高める為には、三騎士の一角にして神代を駆けた百戦錬磨を誇る戦のエキスパート、ランサーの意見は是非聞いておきたかった。

 

 聖杯戦争はまだ二日目。一騎のサーヴァントも脱落していない序盤であり今夜の間はそれほど大きな動きも無いだろうというケイネスの予想を裏切って、状況は激動の渦中にある。

 

 実力的には全サーヴァント中最強と目される遠坂のアーチャーと、ライダー・キャスターの二騎を従える最強の魔術師フィオ。間違いなく優勝に最も近いであろう二陣営の激突という、大一番がいきなり発生した。

 

 本来はどちらか一方であろうと同盟などの手段を以て対抗すべき強大な存在であり、逆にこの両者が潰し合う展開となれば他の陣営の勝機も高まる事となる。この戦いは当事者である彼等は当然の事ながら、それ以外の4陣営の帰結すらも大きく左右しかねないまさに決戦であった。

 

 ならば、自分達はどのように動くべきだろうか。あるいは動かずに静観に徹するべきか。

 

 ケイネスは考える。もし、自分が他の陣営なら……?

 

「もし私が他のマスターであれば……遠坂とロード・レンティーナ、二強のいずれかが勝利するまで待ち、決着が付いた後に間髪入れず勝利した方を狙って漁夫の利を得ようと動くだろうが……ランサー、お前はどう思う?」

 

「……は……ご明察通りかと存じます。その二陣営はどちらも脅威。ならば他の者達がどちらかあるいは両方を早急に脱落させようと動くのは、必然かと……」

 

 質問に答えるランサーの表情には、苦り切っていると言うべきか……どうにも複雑なものが見て取れる。心なしか口調もどこか歯切れが悪いように思える。

 

 ケイネスの言う通り、他の陣営はこの状況では二虎競食の計を選択する可能性が高い。自分達も同じように動く事が勝利に最も近いのは、彼自身承知しているだろう。しかしそんな漁夫の利を狙うような真似は、生粋の騎士としてはちと容認しかねる所がある。

 

 と言って、自分達も含めて他の陣営が一対一の真っ向勝負で遠坂やフィオに勝てるか? と、考えると……

 

 そうした感情と戦術的判断がぶつかり合って板挟みになり、迷いが生じているというのが今のランサーの精神状態であろう。

 

 一方でケイネスはランサーのその意見を聞き、次に自分達がどう動くべきか、その指針を固める事が出来ていた。

 

 自分とランサーがそう読んだように二強同士の激突、そこに生じる隙に付け込めば同盟や奇策などといった持って回った手段を講じなくとも優勝のチャンスがあると見て、それ以外の陣営は一斉に動き出すに違いない。

 

 その中にはフィオ以外では最も恐ろしい魔術師殺しの”衛宮”も含まれている可能性が高い。ならば……

 

「仕度をせよ、ランサー。アインツベルン城に乗り込むぞ!!」

 

「!! はっ!!」

 

 勢い良く立ち上がったケイネスがそう宣言するのを聞いて、ランサーもまた一度深く礼の姿勢を取り、そして立ち上がる。

 

 ランサーとしてはケイネスの判断に感謝していた。この聖杯戦争は最後の一組が勝ち残るまで続けられるバトルロイヤル。なれば他の陣営と同じく疲弊した強者を叩くという戦術が有効なのは彼とて認める所である。が、敢えてその手段を選ばずに堂々と戦おうとする姿勢。高潔なる騎士はそれに胸を打たれたと言っても良い。

 

『必ずや、この主君に聖杯を……』

 

 一方でケイネスとしては、ランサーが思っているほどに感情を優先させてアインツベルン城への侵攻を決めたという訳でもなかった。

 

 サーヴァントにはサーヴァントで対抗する事を大前提とすれば、彼にとって恐ろしいのは魔術師として純粋な技量で上を行くフィオと、自分のような存在を殺す術に長けた”魔術師殺し”衛宮切嗣、この二人だ。

 

 だがフィオは同じ魔術師であるが故、次にどのように行動するのか先を読む事も出来るが、魔術師殺しはホテル爆破がそうであったように自分の思いも寄らない戦法を執ってくる。

 

 最も優秀な敵と、次に何をしてくるか分からない敵。優先して叩くならばどちらかという判断に迫られて、今回のケイネスは後者を選択したという訳だ。

 

 ただし、起源弾の存在を考えても魔術師殺しと自分が直接対決して勝てる可能性は非常に低い。故に、一工夫が必要である。

 

 そういう事情からのアインツベルン城への侵攻だった。

 

 魔術師殺しはこの聖杯戦争を勝ち抜く為にアインツベルンに雇われた傭兵である。ならばアインツベルン・セイバー陣営が脱落したのなら奴が聖杯戦争を戦う理由は消滅する。

 

 セイバーが城に居るかどうかは一つの賭けだが……そうでなかったとしても、敵拠点を制圧する事による戦略上の優位性は今更語るまでもない。城をこちらに乗っ取られたとあっては、セイバーと魔術師殺しは逃げも隠れも出来なくなり、使い魔によってその行動を把握する事も容易となる。

 

 拠点の割れている陣営としては、他に主が留守である遠坂邸、バーサーカー陣営を従えている間桐邸へと侵攻を行うというプランも存在したが……

 

 遠坂は、仮に拠点を制圧出来たとしてもあの黄金のサーヴァントが健在であった場合には何の意味も無い。奴はあらゆる意味で規格外だ。豪雨のような宝具乱射は丹念に作り上げた工房を砂の城のように容易く蹂躙するだろう。

 

 間桐は、あのバーサーカーの能力はアーチャーを相手に有利に立ち回る事が出来る。フィオが敗北した場合にはあのサーヴァントを上手くコントロールする事が、こちらの勝利に繋がる重要な要素となるだろう。

 

 こうした判断から、侵攻目標から外れていた。

 

 かくしてアーチャーとライダー・キャスターが空中戦を繰り広げる舞台裏で、もう一つの戦端が開かれる事となったのである。

 

 

 

 

 

 

 

「Fervor,mei Sanguis (沸き立て、我が血潮)」

 

 起動パスワードである呪文が紡がれ、ケイネスの小脇に抱えられた陶磁製の大瓶より銀色の液体が軟体動物のようにずるずると這い出てくる。

 

 これぞケイネス・エルメロイ・アーチボルトが所有する魔術礼装の中でも最高最強の逸品「月霊髄液」(ヴォールメン・ハイドラグラム)。充填された魔力によって自在に動く水銀である。

 

「Scalp (斬)」

 

 攻撃指示。液体の性質を活かして水圧カッターのようになった水銀は下手な光学兵器にも勝る威力によって城門を薄紙のように切断し、分解してしまう。

 

 既に実体化して周囲を警戒しているランサーを伴って瓦礫を踏み越え、入城を果たしたケイネスを出迎えたのは余人に非ず、セイバーとそのマスターであろうアインツベルンのホムンクルスであった。

 

 タイミングからして待ち構えられていたとしか思えないが、しかしこれは予想出来た事でありケイネスは驚かなかった。

 

 森を抜けてくる中で、結界が幾重にも張り巡らされているのをケイネスは察していた。トラップの類は全て魔術師としての彼の手腕で無力化したが、自分達の侵入は察知されていると見るべきだった。

 

 迎撃にセイバーが出て来た事から、追い風が吹いている事をケイネスは感じていた。運は、こちらにある。魔術師殺しは……少なくとも、視界の中にはその姿は見て取れない。遠坂とフィオのいずれかを叩く為に拠点を留守にしていると、見て良さそうだ。

 

 ここまでは、良し。

 

『後は、ランサーがセイバーを倒せるかだが……』

 

「ランサー……」

 

 決着を誓った相手を前に、セイバーが二言三言、アイリスフィールと言葉を交わしている。

 

 同じようにランサーも、傍らの主へと振り返った。

 

「主よ……!!」

 

「うむ……」

 

 自らの騎士のその望みにケイネスは頷き、手袋を外す。

 

 最高の対魔力を持つセイバーに、神秘の衰えた現代の魔術師である彼が勝てる道理は無い。共闘した所でランサーの足を引っ張るだけであろう。ならば、従者が最大の力を振るって戦えるよう取り計らうのも主の務め。その役目を全うするのだ。

 

「令呪を以て我が無二の騎士に命ず。ランサーよ『この一戦、必ずや勝利せよ』」

 

 キャスター討伐令を果たした事で合計四画となった令呪の一画が消え、それを構成していた魔力がランサーへと注ぎ込まれる。

 

 これは今より決戦に赴く騎士への、ケイネスに出来る最大の援護だと言えた。

 

「ありがたき幸せ!! ケイネス様、御照覧あれ!! この戦い、必ずや勝利する事をお約束いたします!!」

 

 二槍を掲げ、最敬礼を取るフィアナの騎士。ケイネスはそれに頷いて返すと、セイバーの背後に控えるアイリスフィールへと視線を送る。二人の間に言葉は無く、ただ頷き合うだけだった。即ちこの戦い、手出しは無用の意だ。

 

 決闘の舞台たるホールへと、ランサーが進み出る。

 

「セイバー、武運を」

 

「はい、アイリスフィール」

 

 武装を整えたセイバーもまた、ランサーと同じ戦舞台へと上がっていく。

 

 互いに十歩の距離まで近付き、

 

「フィアナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナ!! 推して参る!!」

 

「応とも!! ブリテン王、アルトリア・ペンドラゴンが受けて立つ!!」

 

 朗々と名乗りを上げ、そして聖剣と紅い魔槍の切っ先が、打ち合わされる。決戦開始の合図だ。

 

 セイバーはこの戦いに臨むに当たり、聖剣のもう一つの鞘たる「風王結界」(インビジブル・エア)は解除していた。既に倉庫街の戦いでランサーに見えざる剣の刃渡りは見て取られているし、変則使用たる「風王鉄槌」(ストライク・エア)も、この英傑は発動の隙など許してはくれまい。

 

 勝敗を分かつ条件は非常に単純かつ明快。純粋な白兵戦の実力で決まる。どちらの技が勝っているか。

 

 そうして最優と最速、三騎士同士の戦いが始まった。

 

 光を伴う剣閃の残影。

 

 翻る紅と黄の扇。

 

 互いに敗北する事など思考の片隅にも思い浮かべない。ただ全力を尽くして戦う事。眼前の相手に最大の敬意を持って戦い、勝利する事。そしてその勝利を主に捧げる事。

 

 剣と槍の英霊達はただそれだけを想い、得物を振る。

 

 火の出るような打ち合いは十合、二十合、三十合に及び、形勢は全くの互角。どちらが勝利するかは全く見えない。

 

 セイバーは先の戦いでランサーの黄の短槍「必滅の黄薔薇」(ゲイ・ボウ)によって治癒不能の手傷を受け、左手を封じられている。しかし、そこは最優クラスの面目躍如と言うべきか、それともこれが大英雄たる騎士王の実力か。右手だけでもランサーに一歩も譲らぬ戦い振りを見せている。

 

 ランサーは、基礎能力に於いてはセイバーに一歩劣っている。だがランサークラスの特徴たる最高の敏捷性と高い白兵戦能力を最大限に活かし、騎士王と五分に渡り合っていた。

 

 打ち合いは続く。四十合、四十五合、五十合。

 

 ここへ来てもセイバーもランサーも未だ息の一つすら切らさず乱さず、顔には汗の一筋も浮かべない。逆に呼吸する事すら忘れたように瞬きもせずに二人の戦いを見守るケイネスとアイリスフィールの額や掌にこそ、緊張から来る汗が浮かんでいた。

 

「やはり強いな、セイバー!!」

 

「貴方も、ランサー!!」

 

 剣と槍を振りながら、笑みと共に互いを讃え合う二人の騎士。

 

 剣の英霊は岩をも砂糖菓子のように断ち切るであろう斬撃を絶え間なく繰り出し続け。

 

 槍の英霊はその敏捷性を遺憾なく発揮し、驚くほど簡単に宙返りを打ちながらそれをかわし、蜂の一刺しとばかりに二槍を突き出し。

 

 状況はほぼ拮抗していると見て良かったが、しかしこの時点で既に、本当に僅かにではあるが戦いの天秤が傾きつつあった。

 

 ランサーの方が不利だ。

 

 フィアナ騎士団随一の戦士であるディルムッド・オディナは、間違いなく全サーヴァントの中でも上位の白兵戦能力を持った英霊であろう。しかし、対するのがおよそ剣の英霊としては最上に位置するであろう伝説の騎士王とあっては流石に相手が悪いと言わざるを得ない。

 

 そんなランサーが互角に打ち合えているのはセイバーの左手の負傷の他に、もう一つの要因がある。それは彼の戦闘スタイルだ。

 

 どんな達人であろうとも初めて見る戦い方、初めて見る武器の前では反応が僅かに遅れるもの。それはほんのコンマ数秒に満たぬ程度の誤差でしがないが、この領域での戦いとなればそれが命取りとなる。

 

 そこへ行くと二刀流ならぬ二槍流である彼の戦い方は他に類を見ないが故に、同じ敵と二度戦う事の極端に少ない実戦に於いて実力以上に有利に立ち回る事が出来るのだ。勿論、ただの大道芸・外連では逆に自分の首を絞める結果になるであろう奇抜な闘法だが、ランサーは神代の時代、それを見事に自分のものとして幾多の戦いを勝ち抜いてきた猛者であった。

 

 しかし今、その優位性は徐々に失われつつある。

 

 倉庫街の戦いと、今や百にも達しようかという打ち合いの中で、セイバーは徐々にランサーの槍筋を見極めつつあった。

 

 こうなると、左手を封じられていようと地力の差が徐々に顔を出してくるのだが、ランサーは膨大な戦闘経験によって僅かな勝機を手繰り寄せる心眼(真)のスキルによって要所要所でセイバーの攻撃を防ぎ、あるいは奇抜な一手を繰り出し、格上相手に食い下がっていた。ケイネスの使用した令呪もサポートに一役買っている。

 

 まさに王者の戦法を体現したかの如く、小細工無しの純粋な実力で押すセイバーと、防戦気味に隙を窺うランサー。

 

 だがどちらも決め手に欠けており、横槍でも入らぬ限りはこの打ち合いは果てしなく続くのではないかと思われた。

 

 そして考え得る横槍は……

 

 切嗣は遠坂・フィオ戦の勝者を仕留めるべく城を留守にしている。

 

 バーサーカーも、アイリが掌握している結界は侵入者を感知してはいない。

 

 アイリとケイネスは、元よりどちらも手出しする心算などない。

 

 後、警戒すべきはアサシンだが……ケイネスはちらりと周囲を見渡した。このホールに隠れる所は無く、入ってくる為にはケイネスが破壊した城門か、他の出口から入ってきてアイリとセイバーが出てきた通路から来るしかない。今の所だが、そのいずれにも曲者の姿は見られなかった。

 

 つまり、この戦いは純なる決闘。勝敗を決するのは粋に二人の技量。

 

 

 

 

 

 

 

 その、筈だったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 破局点は、思わぬ形で訪れた。

 

「!? そんな……!? こんな時に……それに、これは……!?」

 

 不意に、アイリが苦しげに胸を押さえて膝を付き、倒れてしまう。

 

「!? アイリスフィ」

 

 一瞬、セイバーの意識が逸れる。そして、響く金属音。

 

 「必滅の黄薔薇」が聖剣を打ち上げて、

 

「しまっ……!!」

 

 返し刀で繰り出された「破魔の紅薔薇」が鎧を無きが如くすり抜けて、セイバーの心臓を貫いた。

 

「がはっ……!!」

 

 血を吐きながらも紅槍を引き抜いたセイバーは傷口を押さえて、数歩下がる。

 

「セイバー……」

 

 そんな好敵手に対して、ランサーは悔恨と忸怩たる思いを滲ませた声を上げた。

 

 セイバーのマスターが突然倒れるなど、このような事態は誰の想像からも外側の出来事。騎士王が一瞬、気を取られたのも無理はない。

 

 ランサーとて本来ならば、一時槍を止めてマスターの容態を把握する時間くらい、セイバーに許しただろう。あるいは無礼は承知の上で、日を改めての再戦をケイネスに具申さえしたかも知れない。だが今の彼は「この一戦に勝利せよ」と令呪によって縛られている。その命令は間違いなく実行され、どのような理由であれ生じた「隙」を見逃す事など有り得なかったのだ。

 

「英霊アルトリアよ……この戦いは……」

 

 だが謝罪するようなランサーの言葉に、セイバーは首を振って応じる。

 

「恥じる事はない、ランサー……貴公も分かっていよう? 戦に於いて不慮の事態は付き物。私が未熟であっただけの事だ……名にし負うディルムッド・オディナの双槍……見事であった……」

 

 心臓を貫かれ、霊核を破壊された彼女の体は現界し続ける事叶わず、徐々に消え始めている。だが消滅を間近に控えて騎士道の誉れたる王は尚、凛然として自分に勝った主従に向き合っていた。

 

「ランサーのマスターよ……このアルトリア・ペンドラゴン、恥を忍んで一つだけ頼みがある……」

 

「承知した、セイバーよ」

 

 ケイネスは内容も尋ねぬ内から了解の返事を返した。元よりこの状況でセイバーのような清廉な騎士が願う事など、分かり切っている。

 

「私もランサーも、そのご婦人には一切の危害を加えない。責任を持って治療を行い、必ず助けると約束しよう」

 

 主の宣言を聞いたランサーは満足げに深く頷く。やはりこの主は、仕えるに相応しいお方であった。

 

「感謝する……」

 

 それを聞いたセイバーは安心したように笑みを浮かべ、目を閉じて。その体は、光となって消えていった。

 

 ランサーは先程ケイネスにしたように槍を掲げて最敬礼の姿勢を取り。

 

 ケイネスもまた胸に手を当て黙祷し、逝く騎士王を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 やがてセイバーが完全に消滅したのを確認するとケイネスは足を踏み出し、ランサーは主の前で膝を折って忠誠の形を示す。

 

 そんな騎士の頭上から、主の声が降ってきた。

 

「ランサーよ」

 

「は……」

 

「私が令呪を使った事……恨むか?」

 

「いえ、そのような事は露ほども」

 

 それはディルムッドの本心だった。

 

 確かにケイネスが令呪を使っていたが故に、自分とセイバーとの決着は不本意な形に終わってしまった。

 

 だが令呪が使われていなかったらそれより前に自分が斬り伏せられていたかも知れないし、あの白い女性が何の前触れも無く倒れるなどあまりにも予想外な出来事。何より主は自分に最大の力を与える為に令呪を使ってくれたのである。感謝しこそすれ、恨む道理などどこにあろうか。

 

 誰も悪くなどない。世の中、全てが望むように進まないのは当然の事。ただ運命の巡り合わせが悪かっただけの事なのだ。

 

「そうか……では、ランサー。取り敢えず彼女を楽な姿勢に……」

 

「はっ……」

 

 話を切り上げたケイネスに指示され、ランサーは倒れたアイリを仰向けに寝かせる。そして、二人ともぎょっとした表情になった。

 

 既にアイリには意識が無いようだ。呼吸は浅く早く、汗がだらだらと流れている。脈を取ったり額に手を当てて熱を測ったりせずとも、ただごとではないと二人が悟るには十分だった。

 

「ケイネス様、これは……」

 

「ふぅむ……」

 

 アイリへ気遣わしげな視線を送るランサー。ケイネスは腕組みして、唸る。

 

「今は聖杯戦争の渦中、そして彼女がホムンクルス、アインツベルンの御子だという事を考えると……」

 

 てっきり急病か何かだとばかり思っていたが……事態はずっと深刻なようだ。これは腹を括って掛からねばなるまいと彼が表情を厳しくした、その時だった。

 

「アイリ……!?」

 

「マダム……!!」

 

「主よ、お下がり下さい!!」

 

 響く、驚愕と動揺が入り交じった声。弾かれたように立ち上がったランサーが、ケイネスを庇うように前に出た。

 

 ケイネスとランサーを結んだ線の先には、キャレコを構えた切嗣と舞弥が立っていた。

 

 魔術師殺し。サーヴァントが既に脱落しているとは言え恐るべき相手が眼前に現れた事で、マスターとサーヴァントはどちらも最大限の警戒心を持って対峙する。

 

 と、切嗣の視線がケイネスの後ろに庇われるように寝かされているアイリへと動き、そして彼は、ゆっくりと銃口を下ろしていく。

 

 そのまま後ろにあった柱に体を預けると、ずるずると座り込んでしまった。

 

「……」

 

 ケイネスはランサーに「自分を警護せよ」と手で合図すると、ゆっくりと切嗣へと近付いていく。舞弥が構えるキャリコは未だぴったりとケイネスに照準を合わせているが、ランサーは切嗣がいつ起源弾の装填された銃を取り出しても対応出来るよう警戒すると同時に、彼女にも十分な注意を払って構えていた。

 

「その様子……貴様は、知っているな? 話せ、魔術師殺し。大体想像が付くが……彼女に何が起きたのだ?」

 

 切嗣は一拍置くように懐から煙草を取り出して火を付け、紫煙を吐き出す。

 

「彼女は……聖杯の器の護り手だ」

 

 そして魔術師殺しは、全てを語った。

 

 彼の妻、アイリスフィールは聖杯戦争の為に鋳造されたホムンクルスである事。

 

 アインツベルンの当主たるアハト翁は聖杯の器そのものが自らの意志で危険を回避出来るように、器に”アイリスフィール”という艤装を施した事。

 

 そして聖杯戦争が進んでいくにつれて、彼女のヒトとしての機能は失われ、ただの”モノ”へ還っていくという事。

 

 今のアイリの症状は、聖杯の器がサーヴァントの魂が変換された魔力によって満たされ始めたが故に起きたものである事。

 

 つまり……この聖杯戦争に参加する限り、アイリスフィールに助かる道など何処にも無かった。彼女が命を落とす事は、大前提であったのだ。

 

 その全てを承知の上で、切嗣はマスターとして聖杯戦争に臨んだ。

 

「何という事だ……!!」

 

「魔術師殺し……貴様はそうまでして……自分の妻まで贄として差し出して、何を聖杯に願うつもりでいたのだ?」

 

 同じような真似は、自分にはやるやらない以前に可能性として想像する事すら出来ない。そう言わんばかりのケイネスの問いに、切嗣はすっかり短くなった煙草をぽいと床に捨てると、答えた。

 

「僕の願い、理想は……この世界の救済。全ての争いの根絶。恒久的な世界平和……」

 

「なっ……」

 

 ケイネスは絶句する。この男は本当に、そんな絵空事を求めて自分の命を懸け、妻を必要な犠牲として容認したと言うのか?

 

 闘争は人間の本質。歴史を紐解けば、誰でも容易くその答えに至れるだろう。それでも尚、争いの無い世界を望むと言うのなら、その願いは人類を根絶する事と同義であろうに。

 

 そんな事は指摘されるまでもなく、切嗣にも理解出来ていた。

 

 それでも、彼には追い求めて止まぬ理想があった。

 

 もう誰も泣かない世界。

 

 この冬木で流す血が、人類史上最後の流血であるように。

 

「何故そこまで……」

 

 その問いにも、切嗣は全てを話した。嘘を吐いたりはぐらかしたりして隠し立てする気力さえ、今の彼からは失われていた。ただ、義務のように口を動かしていく。

 

 それは、天秤の測り手たらんとした男の物語だった。

 

 一人でも多く救う為、一人でも少ない方の天秤の皿を躊躇いなく切り捨てる。

 

 一つでも多くの悲嘆をこの世から減らそうとして、自らの手で悲嘆を生み出し続けた、どこまでも愚かでどこまでも純粋な男の話。

 

 始まりは20年近くも前、南海の孤島に遡る。

 

 目の前で死徒と化した、初恋の少女。幼き日の切嗣は「殺してくれ」という彼女の願いを叶えてやる事が出来なかった。その結果、島は炎に包まれ、少年は父親をその手に掛けて唯一人生き残った。

 

 時の流れに”もしも”は無いが。

 

 それでも、思うのだ。

 

 もし、あの時自分がシャーレイを殺す事が出来ていたのなら。そうすれば島の大勢の、何も知らぬ人達は、幼き日の友達は死なずに済んだのではないかと。

 

 そして思い知らされた。あの島の地獄など世界中を見渡せばいくらでも溢れ返っているありふれた出来事でしかなく、自分が父を殺した事など、大火事に如雨露の水を注いだ程度の些細な処置でしかなかったのだと。

 

 だから、二度と迷うまいと。

 

 より多くを救う為により少なくを殺し尽くす。

 

 衛宮切嗣はずっとそれを続けてきた。

 

 その道すがら、多くのものを捨ててきた。家族と呼んだ師とも袂を分かった。

 

 彼は、自らを無情な選別機械たれと戒めてきた。そんなものには決してなれないほどに、本来の彼は人間らしいと言うのに。

 

 そしてこの聖杯戦争で、どこまでも潔白でどこまでも罪深いこの男に、最後にして最大の罰が科される事となった。

 

 愛した妻を願いの対価として差し出す事を求められ。それを覚悟してこの戦いに臨み。だが何も変えられず、何も為せずに。ただ、喪ってしまった。

 

「手の中にあったもの、手の届く所にあったもの。その全てを捨てて僕が得た結果が……これだ」

 

 切嗣は自嘲するように笑いながら、意識の無いアイリを見やった。

 

 これは、彼にとって避ける事の出来た結末だった。

 

 9年前にアインツベルンに招かれてから今まで、例えアイリが拒絶したとしても、無理にでも彼女を外の世界に連れ出していれば。

 

 チャンスは、いくらでもあった。この聖杯戦争の渦中に在ってさえ、逃げ出す決断さえ出来ていたのなら。

 

 そうした葛藤は、常に彼の中に存在していた。だが辛うじてそれを振り切って己の理想を叶えようとして、盲目的に進んで。

 

 その道の果てで、最愛の人をただ喪っただけだった。

 

 セイバーが脱落した今、切嗣の手は最早聖杯に届く事は無い。元より光を宿していなかった彼の瞳は、何もかも諦めたようにどんよりと濁っていた。愛する者を、多くの『大切』を得て、この聖杯戦争に参加した時点で既にギリギリの状態だった衛宮切嗣という殺人機械は、もう完全に壊れていた。

 

「諦めるのか?」

 

「……何だと?」

 

 降ってきた声に、切嗣はいかにも面倒臭そうに顔を上げる。時計塔のロードは、超然と構えたまま言葉を続けていく。

 

「魔術師殺し、確かに貴様は今まで多くのものを諦め、切り捨ててきただろう。だが、このマダムは。貴様の妻はまだ生きている。なのに、夫たる貴様が諦めるのか?」

 

「…………」

 

「私は、諦めんぞ」

 

 ケイネスの言葉は、退屈な説教を聞く学生のように視線を逸らした切嗣にはもう向けられてはいないようだった。今の彼の言葉は彼自身に向けられたものだった。

 

 自問する。もし、アイリスフィールがソラウだったのなら。そして切嗣が自分だったのなら。その時自分はどうするだろう?

 

 答えなど、決まっている。

 

 自分が切嗣だったのなら、決してこんな事にはならなかった。させなかった。

 

 それに今ならまだ間に合う。少なくともその可能性はある。

 

「事ここに至っては必ず救うなどと無責任な事は言えなくなったが……だが私、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは。彼女、アイリスフィール・フォン・アインツベルンを救う事を最後の瞬間まで、決して諦めんぞ」

 

「……あんたは、何故そこまでする?」

 

 このままアイリを手中に収めておけば、彼は聖杯の器を手元に置いて、他のマスターに対して圧倒的なアドバンテージを確保出来るのに。

 

 それは、特にケイネスのような典型的な魔術師の在り様からはあまりにもかけ離れた行いだった。合理的ではない。なのに、何故?

 

 ケイネスは答える。「問われるまでもない」と。

 

「騎士王と、約束した」

 

 アイリスフィールは自分達が責任を持って治療し、必ず助けると。

 

 『自己強制証文』(セルフギアススクロール)など必要無い。これは血の通った約束、心の繋がり。その重みは国家にも匹敵する。男たる者一言吐けば万金を積まれてもそれを変えず。一度口にした言葉は、必ずや履行するのだ。

 

「思わぬ形で魔術合戦をする羽目になったが……だが、面白いではないか。アインツベルン千年の秘奥と、降霊科(ユリフィス)随一の神童と謳われたこのケイネス・エルメロイ・アーチボルトが全知全能。いずれが勝っているのか……試してみようではないか!!」

 


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