Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結)   作:ファルメール

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第10話 冬木市空戦

 冬木市、未遠川上空に巨大な黄金の船が浮遊している。

 

 これぞ古代インドの二大叙事詩「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」にその名を記される飛行機械”ヴィマーナ”。その原型であった。

 

 そのほぼ中央に据え付けられた玉座には黄金のアーチャー・英雄王ギルガメッシュが悠然と腰掛け、傍らには時臣が片膝を付き、臣従の体を取っている。

 

「ふむ……度し難いほどに醜悪と思っていたこの時代だが……こうして高き天より眺める景色は中々のものだ。そうは思わぬか? 時臣」

 

「は……」

 

 流石に香港の100万ドルの夜景には及ばないものの高空より眺める冬木市は蛍籠か宝石箱のようで、英雄王の感想も時臣には理解出来る。よって肯定の返事を返すのだが……内心はそう穏やかでもいられない。

 

 時臣が当初に想定していた戦略としては、諜報能力に長けた綺礼のアサシンによって各陣営の情報を収集する。それまでは要塞のような魔術結界を施した遠坂邸にて穴熊戦術を決め込み、敵サーヴァントの能力と各陣営の戦術傾向を把握した後に、ギルガメッシュと共に攻勢を掛ける。という二段構えの作戦だったのだが……

 

『今の所は第一段階すら満足に達成されていない。この段階で矢面に立つような目立つ真似は避けてもらわねばならないのに……』

 

 散策と言うから適当に町中をぶらつくのだとばかり思っていたが、まさかこんな輝舟を使っての空中散歩とは……一般人の目を避ける為の視覚迷彩の魔術は発動させてあるが、これは目立つとか目立たないとか、そういう次元の問題ではない。

 

 そうは思うが、だからと言ってギルガメッシュを制止したり、あるいは「供をせよ」という誘いを断るという選択肢は有り得ない。

 

 頭をよぎるのは昨日の倉庫街の一戦で、令呪によって撤退を命じた一件だ。

 

 あの後、戻ってきたアーチャーはかなり立腹の様子であったが、最終的には「忠心からの諫言なれば、此度は許そう」と一応の納得を示してはくれた。

 

 だが昨日の今日で同じ事を繰り返せばどうなるか。

 

 想像したくないが……まず間違いなくこのサーヴァントとの関係は破綻するだろう。令呪の補填も行えず、戦争中に絶対命令を下せる回数は実質残り一回。

 

 まだサーヴァントの一騎も脱落していないこの時期では、絶対にこれ以上消費する訳には行かない。

 

「さて……見よ、時臣。単なる暇潰しの散策のつもりだったが……存外、面白い奴等が釣れたようだぞ?」

 

「は……」

 

 英雄王の指差す先には、このヴィマーナに負けぬほどの輝きと共に向かってくる戦車の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

「み、見よ、奏者!! あんな物は余も初めて見るぞ!!」

 

 他陣営への挑発と偵察を兼ねて「日輪の戦車」(ヘリオス・チャリオット)を飛ばしていたライダーであったが、今夜はとんでもない物に遭遇した。ギルガメッシュと時臣を乗せたヴィマーナだ。

 

「あれは……アーチャーと、遠坂時臣ね」

 

 御者台に立つフィオは目を細めて、眼前の飛行機械の乗員二名の姿を捉える。

 

 あのアーチャーが規格外なのは承知していたが、湯水のように乱射される数多の武器だけでなく、あんな空飛ぶ舟まで持っているとは……!!

 

「ちょっ……何でアーチャーがあんな物まで持ってるんですか!? あんな宝具は、ライダーの領分でしょうに!!」

 

 キャスターの驚愕も尤もだ。フィオも敵サーヴァントの中で最も手強いのはあのアーチャーであろうと見ていたが、自分の認識がまだ甘かった事を思い知らされた。

 

「で……奏者、どうする?」

 

 ライダーが尋ねる。交戦か、撤退か。

 

 答えは、決まっている。

 

「あちらさんは見逃す気は無いみたいよ?」

 

 見れば既にヴィマーナ周囲の空間は石を投げ入れられた水面のように歪み、波紋の中心からは射出を待つ宝具の刃先が顔を覗かせている。

 

 この場で決着を付けるにせよ、一当てして離脱するにせよ、戦闘は避けられまい。

 

「ライダー、あなたは戦車を操るのに全力を投入して。攻撃は、私とキャスターで行うわ」

 

 フィオはそう言うと、コートの中から出した対物ライフルに暗視用スコープを取り付ける。この銃から発射される弾頭には対死徒用に聖別済み水銀弾頭が用いられており、しかも昼間の内にキャスターの呪術によってエンチャントが施されている。無防備な所に直撃すればサーヴァントにも(決定打にはならないだろうが)ダメージを与える事が可能であろう代物だ。

 

 キャスターも「了解です、ご主人様」と返して、懐から呪符を取り出す。

 

「よし!! 奏者、キャスター。舌を噛むなよ!!」

 

 ライダーは言うが早いか手綱を打って戦車を操り、挨拶代わりとばかりに飛んできた剣群を回避した。

 

 そのままヴィマーナに突っ込もうとするが、向こうも戦闘態勢に入ったらしい。それまでは風の影響も受けずに空間に静止していた輝舟はいきなりパワーショベルや戦車の超心地旋回のような動きを見せて船首の方向を変えると、こちらを誘うように上空へと上っていく。

 

 負けてはいられないとライダーも宝具戦車を加速・上昇させて雲の中に突っ込んだ。

 

「こうして!! あのアーチャーと空中戦をやる羽目になったのは!! 想定外だったけど、一つ良かった事もあるわ!!」

 

 御者台を囲むように防御力場が張られているとは言え、高速で空を飛ぶ事による凄まじい風切り音と空間を踏み締めて疾走する神馬四頭の馬蹄の音。それらに負けないように、フィオが声を張り上げる。

 

「え!? それは!! 何ですか!?」

 

 呪符を持っていない方の手でしっかり縁を掴んで体を固定したキャスターもまた、声を張り上げて返す。

 

「私は!! 他の陣営と戦っている最中に横槍!! 特に狙撃とかが来るのを一番警戒していたけど!! これなら!! 横槍の入れようがないでしょ!!」

 

 どんな凄腕の狙撃手であろうと、地上から数百メートル上空を猛スピードで移動する標的を狙撃するなど不可能だ。こうして雲の上に出てしまえば地上から携行型のミサイル兵器による攻撃すら不可能となる。あのバーサーカーなら近くを飛んでいた飛行機に掴まってその飛行機を宝具化、追いすがってくる可能性もあるが……だが奴はランサーとライダーによって痛手を負わされたばかり。まだ回復が十分ではあるまい。

 

 つまりこれで、あのアーチャーとの戦いだけに100パーセントの意識を集中出来るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ……」

 

 冬木市内の道路。

 

 制限速度を大きく超えたスピードでジープを操りながら、衛宮切嗣は舌打ちした。

 

 アーチャーとライダー・キャスターが遭遇、空中戦を始めたという情報を聞いた彼は、まずアイリとセイバーは城に残して自分が先行。舞弥と共に偵察を行って状況を把握し、期を見計らって二人にも出撃するように伝えていた。

 

 これはセイバー陣営が現状あまり強い立ち位置に居ないからこその慎重策でもあったが、切嗣にはセイバーとアイリには伝えなかったもう一つの狙いがあった。

 

 フィオと時臣、そのいずれかあるいは両方の狙撃である。

 

 規格外のサーヴァントであるアーチャーと、最強の魔術師が従えるライダーとキャスター。この両者の激突ともなれば、当然ながらその戦いは激戦となる事が予想出来る。マスターは周囲に気を配る余裕など無くなるだろう。そうして狙撃手への警戒など忘れた所を狙い撃つ、という目論見だったが……

 

 実の所、切嗣は舞弥から電話越しに報告を受けた時点で、この策は実行不能であろうと考えていた。

 

 そして実際に自分の目で確かめてみて分かったが、時折雲間からチカチカ光って見えるアーチャーの舟とライダーの戦車はどちらも、速い。あれほどの高度と速度ではやはり地上からの狙撃は不可能。プランAは白紙に戻さざるを得なくなった。故に。

 

 切嗣は右手でハンドルを掴んでジープを操りながら、左手で携帯電話を操作して舞弥の番号に掛ける。助手は1コールあるかないかという早さで通話に出た。

 

「舞弥、プランBに移行する。遠坂邸に向かえ。僕はフィオ宅に向かう」

 

<了解しました>

 

 プランBは戦闘中ではなく、戦闘を終了した後に拠点へと戻ってきた所を狙っての狙撃、という計画だった。

 

 この聖杯戦争の二強同士が激突すれば一方は倒され、勝利した方も無事では済まないだろう。マスターにしても、心身共にかなりの消耗が予想できる。周囲に対する警戒心は低下し、狙撃を迎撃・防御する手段などについても限られている可能性もある。狙うのは、そこだ。

 

 二人が留守にしている間に、拠点周辺に爆発物を仕掛けるという手も考えたが……

 

 いくつかの状況から判断するに、遠坂時臣と言峰綺礼は表向き決裂したと見せかけて、水面下では未だ協力関係にあるという線が濃厚である。となれば遠坂邸周辺はアサシンによる警戒が行われている可能性が高いので却下。

 

 一方でフィオの自宅には、舞弥の調べによると家主である彼女の他にもう一人、レストランの女性店員が同居しているらしい。急な調査だったので写真も手に入らなかったから何者かは分からないが、あのフィオが側に置くほどの女だ。いずれただ者ではあるまい。昨日の戦いで姿を見せなかった事を考えると、その女はフィオが留守の間の拠点の守りを任されているのだろう。爆薬を設置しようと近付いた所を発見される可能性の高さを考えると、こちらも却下せざるを得なかった。

 

 「狙撃」という手段が選択されたのはこのような経緯・事情からである。舞弥を遠坂邸に向かわせたのは、時臣はアーチャーと共にいるのか不明だが、昨日のフィオはライダーと飛行宝具で行動していたので今回も一緒にいる可能性が高く、ならば家に帰ってきた所を確実に自分の手で仕留めたいという目算からだった。

 

「……行くか」

 

 決断すると、切嗣はもう上空のサーヴァント戦には興味を無くしたように豪快にハンドルを切り、ジープを反対車線へと入れる。

 

 目指すはフィオの自宅、正確にはその玄関を射程に収められる狙撃位置(スナイピング・ポイント)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 眼下に雲海を臨む高空で、古代インドの飛行機械とギリシャ神話に語られる太陽神由来の戦車による空中戦は、時に近付き、時に離れ、加減速を繰り返し、互いに有利なポジションを奪い合うドッグファイトの様相を呈していた。

 

 しかしこの戦いは、フィオ達の方が不利だ。

 

 ヴィマーナと「日輪の戦車」。共に神話の移動用宝具であるが、この二つには決定的な違いがある。

 

 「日輪の戦車」は如何に牽引するのが太陽神の眷属たる神獣であろうと、戦闘馬車という乗り物の性質上、進行可能な方向は前のみに限られる。

 

 対するヴィマーナは思考と同じ速度で空を駆け、物理法則の範疇外の動きをするという逸話を持つ飛行機械だ。

 

 最高速度、加速性能、運動性。その全てに於いてライダーの宝具は一歩譲る形になってしまっている。

 

 ならば攻撃能力だが……

 

 アーチャーは舟の周囲に「王の財宝」(ゲートオブバビロン)を展開して、射出される宝具を弾丸代わりにして戦車を狙う。

 

 一方でフィオ達は、フィオの対物ライフルとキャスターの呪術による炎や氷の投射で対抗する。

 

 威力に於いては発射される弾丸の一発一発が強力な宝具であるギルガメッシュの方が勝っているが、フィオ達は戦車の操縦をライダーに任せ、彼女とキャスターは完全に攻撃に専念しておりその点では、攻撃と操縦を同時にこなさねばならないアーチャーよりも状況的に有利であると言える。

 

 ズガン!! ズガン!! ズガン!!

 

「炎天よ、奔れ!!」

 

 戦車の装甲板も撃ち抜くような弾丸と炎を纏う呪符が飛んでいくが、アーチャーは「ちょこざいな」とばかりにピアノを扱うように指を動かし、黄金の舟を操る。

 

 たったそれだけの動きでヴィマーナは急上昇し、射線を大きく外れてしまった。

 

「中々やるが、次はどうだ?」

 

 頬杖付いて余裕の表情を崩さず、ギルガメッシュはバビロンから数挺の宝剣を召喚し、撃ち出す。だが上手くかわされた。ライダーは前方だけを向いていたが、同乗するフィオとキャスターが切っ先の向きを見て取って、咄嗟の回避行動を指示したのだ。

 

 攻撃を外された悔しさよりも、この相手が狩られるだけの豚ではなく、狩人たる自分を愉しませる狐である事を確認出来た歓びの方が勝っているのだろう(文字通りの女狐も一匹いる事だし)。ギルガメッシュは獰猛に笑う。

 

「では、これはどうかな?」

 

 再びゲートオブバビロンを展開。宝剣宝槍が射出される。この攻撃もフィオの指示を受けたライダーは戦車を絶妙に操って回避した、が……

 

「奏者、キャスター!! 頭を下げろ!!」

 

 ライダーは叫ぶと、戦車を急降下させる。何事かとフィオとキャスターが前方を見ると、たった今外れたばかりの宝具が回転しながら軌道を変えて、こちらに戻ってきていた。

 

「っ!!」

 

「ひっ!!」

 

 頭のすぐ真上を宝具がヘリのローターのように飛んでいって、フィオの髪の一房が削り取られた。

 

 戦車を急降下させたライダーの判断は正解だった。あのまままっすぐ飛ばしていたら”エンジン”である神馬達の首が斬り飛ばされていた所だ。そしてそのまま宝具が突き刺さって、彼女らごと御者台も粉砕されていただろう。

 

「ご、ご主人様!! また戻ってきますよ!!」

 

 悲鳴じみた叫びを上げるキャスター。フィオが目を向けるとその言葉通り、自分達の頭上を通り過ぎていった宝具が軌道を変えて、再びこちらへ飛んでくるのが見えた。

 

「……!!」

 

 ズガン!!

 

 向かってくる一挺へ向け、発砲するフィオ。銃弾は剣に命中し、弾く事には成功した。が、僅かな時間空中を漂った宝剣はすぐに元の勢いを取り戻すと戦車の追尾を再開する。

 

 間違いない。今自分達を狙ってきているのは全て「必中」の属性を持った宝具だ。意志を持っているかのように標的に食らい付くまさに「魔弾」という訳だ。

 

「さて、どうする?」

 

 自慢の宝具が猟犬のように獲物を追う様を、傲然と見下ろすギルガメッシュ。

 

 これで落とされて終わりか、それともこの先があるのか。

 

「我を失望させるなよ、雑種!!」

 

「どうする!? 奏者、このままでは……」

 

 何とか飛来する魔弾を振り切ろうと神馬達を加速させたりジグザグに走行させたりするライダーだが、無駄に終わった。追尾してくる宝剣達はぴったりと戦車の後ろにくっついて離れない。

 

 フィオには打つ手が無い、という訳ではなかった。問題は……ライダーにそれが出来るかという事だが……

 

 彼女の腕前を疑っている訳ではない。寧ろ逆だ。如何に高い騎乗スキルがあろうと、戦車という乗り物でそれが出来るのか? という話だ。

 

 だが……やってもらわねばなるまい。

 

「ライダー、スピンよ」

 

「えっ?」

 

 さしもの騎乗の英霊もこの注文は予想外だったらしい。戦闘中にも関わらず素っ頓狂な声を上げる。

 

 この反応を受けて、フィオは苛立ったように少しだけ声を大きくした。

 

「この戦車をスピンさせるのよ。それしかないわ」

 

「……!!」

 

 マスターの説明を受けて、ごくりと唾を飲み込むライダー。

 

 確かにこの身は騎乗兵(ライダー)のサーヴァント。騎乗スキルは竜種を除いて幻獣・神獣をも乗りこなすA+。だがいくら空を駆けるとは言え、戦車とは本来そんな動きをする乗り物ではない。つまり足りない分は御者である自分の腕で補わねばならないという事だが……

 

「どうする、ライダー!! 時間が無いわよ!!」

 

 振り向けば、この戦車とホーミング弾との距離はもう1メートルもなくなっている。キャスターが牽制で炎や氷の呪術を放つが、強大な神秘の塊である宝具はそれを掻き消して迫ってくる。

 

 危険な状況だが……しかしここへ来て尚、ライダーは凄絶な笑みを見せた。

 

「面白い!! 太陽神ソルに匹敵する戦車御者と謳われた余の業前!! 今こそ見せてくれよう!! 奏者、それにキャスターよ!! 振り落とされぬよう、しっかりと掴まっておれ!!」

 

 と、彼女が言い終わる前にフィオとキャスターは両手で御者台の縁に掴まっていた。二人が体をしっかり固定したのを確認すると、ライダーは生前にも無かったほどに手綱を握る手に全神経を集中させて、動かす。

 

 徐々に3人の視界が水平から垂直にシフトしていき、逆さまに。再び垂直、水平に戻る。

 

 そんな螺旋を描くその動きが幾度も繰り返されて、もうどっちが上やら下やら分からなくなる。シェイクされる視界の中でフィオが後方を睨むと、追尾してくる宝具もこの戦車と同じように螺旋を描く軌道へと移っていく。

 

「いいわよ、ライダー!! そのまま!!」

 

「応ともよ!!」

 

「う……うぷ……」

 

 更にスピンの速度が速くなり、追従してくる宝具達が螺旋軌道を動く速度も速くなっていく。それらの宝剣宝槍の動きは、人間の遺伝子構造のような二重螺旋を描いていた。だが宝具達の軌道が描く円の幅は徐々に狭まっていき……

 

 そして遂に”頂点”に達し、宝具同士が衝突して砕け散ってしまった。この離れ業にはさしものアーチャーも「ほう」といった表情になった。まさか「必中」の宝具群を破るのにそんな手があったとは。傍らの時臣は彼とは対照的に「何と……!!」と、驚愕を露わにする。

 

「どうだ奏者よ!! 余の腕は!!」

 

「凄いわよライダー!! キャスター、大丈夫!?」

 

「は……はい、ご主人様……ライダーが頑張ってるんです。私だって、負けてられません……!!」

 

 曲芸じみた空中飛行で乗り物酔いを起こしているキャスターの背中をさすりつつ、フィオはぴったりと後方に付いてくるヴィマーナを睨んだ。

 

 何とか今の攻撃は凌いだが、あれとてアーチャーにとってはただの機関銃の一連射でしかあるまい。次も同じ手が通用するとは思えない。

 

 こちらが優位に立つには、何とかして後ろを取らなくてはならない。ならば……

 

「ライダー、私の言う通りに戦車を操って」

 

「あいわかった!!」

 

「では、まずは急上昇。その後ループの頂点に達する直前で失速横滑りして、斜め旋回に移行して」

 

「!? と、とにかくやってみせよう!!」

 

 恐ろしく複雑な動きを要求されたライダーだが、そこは流石に騎乗の英霊。全く間違いなくその動きを成し遂げて、戦車の旋回半径を短縮。通常の宙返りパスを回るヴィマーナの背後を取る事に成功した。飛行機乗りの間では捻り込みと呼ばれるマニューバだ。

 

 これほどの空中機動は単純な騎乗スキルの高さだけで出来る事ではない。鳥が空を飛べるのは鳩胸なんて言葉が生まれるほどに発達した筋肉や中空構造で軽量化した骨などといった小賢しい話ではなく、飛べるのが当たり前、そこに微塵の疑問も持たないからこそ。同じように神にも匹敵するという自身の技量に一片の疑念を抱かないネロだからこそ可能な、まさに神業だ。

 

「これで良いか、奏者よ!!」

 

「良いわよライダー!! これなら飛行艇に乗っても、アドリア海のエースになれるわ!!」

 

「後ろさえ取れば、こっちのものです!!」

 

 ゲートオブバビロンは後方にも宝具を射出する事が出来るが、今までの攻撃を見る限りアーチャー自身はさほど正確な射撃は得意ではないようだ。しかも死角となる後方ならば、チャンスはこちらにある。

 

 フィオもキャスターもそう考えて、ライフルと呪符を構える。

 

 だが。

 

「王よ!! このままでは……後ろを取られました!!」

 

「騒ぐな、時臣。これほど我を興じさせる相手は久方振りだ。果たして次はどのような芸を見せるのか。見届けてやろうではないか」

 

 アーチャーは笑みを崩さぬまま再び指を動かして、ヴィマーナを操る。

 

 次の瞬間、思いもよらぬ事が起こった。

 

「なっ!?」

 

「!?」

 

「ええっ!?」

 

 「日輪の戦車」に騎乗していた3人は、揃って驚愕を露わにする。

 

 それも無理は無い。

 

 右斜め前方を飛行していたヴィマーナが、突如として姿を消したのだ。

 

「何だ今のは!? どこへ……!?」

 

「瞬間移動(ワープ)もするんですか!? あのマジカル☆戦闘機は!!」

 

「……!!」

 

 何処へ行ったのかと、きょろきょろと視線を動かす二騎のサーヴァント。一方、彼女にしても発見出来たのは全くの偶然だったが、フィオはヴィマーナの姿を捉えていた。

 

 信じられない事だが、今の敵船の位置は……

 

「後ろよ、二人とも」

 

「何っ!?」

 

「そんな……!?」

 

 マスターに言われて二人が見ると、ついさっきまで確かに前方を飛んでいた筈の黄金とエメラルドの舟は、今は先程と同じようにこちらの右斜め後ろにぴったり付いていた。

 

「どうやって背後に回り込んだのだ!?」

 

「目にも止まらない加速? いや、どんなに速く動いたとしても、あんな大きな物を見落とす訳が……」

 

「いえ、加速ではないでしょう……寧ろその逆……減速です、今のは。それしか考えられません」

 

 キャスターが強張った面持ちで言う。フィオの言う通り、どんなに速く動いたとしてもヴィマーナのような巨大な物体の動きを見落とす訳がない。ならば、消えたように見えて更に自分達の背後に回り込んだ可能性は、一つ。

 

 分かり易く言うなら、ヴィマーナは空中で急ブレーキを掛けたのだ。

 

 通常の場合はどんなに思い切りスピードを殺したとしても100、90、80と徐々に速度を落としていくから目で追う事が出来る。

 

 今のヴィマーナの動きは違う。減速と言うよりは、まさに文字通りの急停止。100からいきなり0に。突如として空間に静止したのだ。あまりに速度の落差が酷すぎて、目で追えなかった。そして自分達の戦車は、それを追い越す形になった訳だ。

 

 勿論、神秘の伴わぬただの飛行機の類ではそんな無茶な機動は行えないし、よしんば行えたとしても操縦者はもれなくミンチを通り越してシートの赤いシミと化すだろう。物理法則を超越して動く事が出来るヴィマーナだからこそ、可能な機動だった。たとえ高速飛行や異常な運動を行えたとしても、それで操縦者を殺すようでは英雄王の蔵に加える価値は無い。そうした問題点を克服しているからこそ、伝説に語られる輝舟たり得るのだ。

 

「何という事だ……!!」

 

 ライダーが毒突く。こっちは一生に一度の離れ業をしかもぶっつけ本番どころか実戦の最中のアドリブで決めてやっとこさ背後を取ったのに、こうも簡単に状況を逆転されるとは。

 

「どうしますか? ご主人様……!!」

 

「キャスター、あなたは呪符を投げて牽制を。ライダー、あなたはこのままジグザグに戦車を動かして、直撃を避けて。攻撃は私がやるわ」

 

「うむ、任せるぞ!!」

 

「了解です、ご主人様!!」

 

 声を揃えたサーヴァント達の返事を聞き届けると、フィオはコートの内側に対物ライフルを入れて、代わりに全長が2メートル以上もある銃、と言うより大砲じみた兵器を取り出した。彼女のコートの内側は魔術によって空間が歪んでおり、本人より遥かに大きな物体すらそこに収納する事が可能だった。

 

 取り出した銃は先端が筒状ではなく、二本の鉄柱が突き出すようになっているのが特徴的だ。

 

「ご、ご主人様、それは……?」

 

「まさかこんな物まで使う羽目になるとは……」

 

 フィオも、自分の不幸については承知している。

 

 バカンスに行けば死徒騒ぎに出くわし、飛行機に乗れば機内が食屍鬼で溢れ返る。健康診断に行けばテロリストに病院がジャックされ、駅に行けば過激派の襲撃が重なる。

 

 彼女も学習する。冬木市に腰を据えてからの数年間にはそうした経験を活かし、「緊急時の備え」も色々と用意していた。

 

 自宅の地下にはその量たるや、シャーレイが「小さな国となら戦争出来るんじゃないでしょうか」とコメントするほどの武器弾薬が眠っている。

 

 今取り出した銃も、その「緊急時の備え」の一つ。

 

 以前にアメリカのSDI構想で同じような兵器の構想が行われたが、現在の科学では実現するのに最小でも戦艦並みの大きさが必要となるのでポシャった企画だった。

 

 フィオはこの理論に目を付け、自身の魔術と組み合わせてここまでの小型化に成功していたのである。レールガンと呼ばれるこの銃は、現時点での科学と魔術の複合、その一つの到達点と言えるだろう。

 

 当然、これに使用される弾丸にもキャスターによるエンチャントが施されている。

 

 小型・軽量化に成功しているとは言えそれでもこの銃は軽く数十キロの重量があるが、魔術によって強化されたフィオの肉体はそれを発泡スチロールのように持ち上げて構え、狙いを付ける。この間、ライダーは急降下と急上昇、ジグザグの上下左右の動きを繰り返してアーチャーに狙いを絞らせないようにし、キャスターは付け入る隙を与えまいと呪符を投げまくっている。

 

 流石にアーチャーの攻撃を完全に封じる事は出来なかったが、被害は極めて軽微。何とか戦車の装甲が一部削られただけに留める事が出来た。

 

 銃のスイッチを入れるフィオ。

 

 大容量のバッテリーから発生した電力が魔術によって増幅されて二本の鉄柱とその間に装填された弾丸へと走り、目には見えないがそれらの間に強大な磁場を形成していく。

 

 発射態勢が整った事を確認するとフィオは狙いを定め、引き金を引く。

 

 既存の銃器のような火薬が破裂する音はせず、代わりに甲高い金属の擦過音が響いた。ライダーはその高い音に思わず耳を押さえて、半獣であり人間より鋭敏な知覚を持つキャスターは思わずうずくまってしまう。

 

 音に軽く数倍する速度で弾丸が飛び出した。さしもの英霊とて初めて見る武器と弾速の二つの要素が重なり、対応が追い付かなかったのだろう。弾丸はヴィマーナの左翼に命中。エメラルドで作られた翼が砕け散り、何とも言えぬ艶やかな光景を作り出す。

 

 空中を滑るように動いていた黄金の舟が、初めて揺れた。

 

「おのれっ!!」

 

 これまでは道化の”曲芸”を見るつもりで愉しんでいた英雄王も、これには怒りを見せた。機嫌の良い笑みを浮かべていた表情が、二秒の間に憤怒のそれに取って代わった。

 

「雑種が!! 我が宝物に傷を付けるとは……!! その罪、死を以て償ってもらうぞ!!」

 

 これまでは四挺一セット程度の射撃だったのが、今回英雄王の周囲に出現した空間の歪みの数は軽くその倍、いや3倍。

 

「これは……まずいかもですよ……!!」

 

 次から次へと呪符を取り出し、投げ付けながらキャスターが焦った声を上げる。これまででも結構ギリギリだったが、あれだけの量の攻撃では……この戦車とて長くは保たないだろう。向こうが本気を出してきた。

 

 だが、フィオにはまだ勝算があった。レールガンをコートの内側に収納して、次の指示を出す。

 

「奥の手を使うわよ。キャスター、後少しだけ時間を稼いで。ライダー、私の詠唱が終わったら、戦車を急上昇させて。良いわね? 詠唱の長さは五小節!!」

 

「……勝算があるのだな?」

 

「勿論。だから頼むわよ」

 

「よし、任せておけ!!」

 

 流石のライダーもこの状況はマズイと思っていたのだろう。不安げにフィオを振り返って尋ねるが、しかしマスターの顔を見た時には、そんな心の弱さは吹き飛んだ。

 

『どんな手を使うのかは知らぬが、奏者の顔には虚勢ではない確かな自信が漲っていた。ならば、サーヴァントたる余がそれを信じずしてどうすると言うのか!!』

 

「キャスター、あなたもお願いね!!」

 

「お任せを、ご主人様!!」

 

 指示を出し終えると、フィオは早速詠唱へと移っていく。ここからは戦車が落とされるのが早いか、詠唱が終わるのが早いか。スピードの勝負となる。

 

『鳥は謳う。眩き炎を纏い、光となりて天の世界を飛び回り』

 

「もはや死に時だぞ!! 雑種!!」

 

「触れないでくださいますか?」

 

 ギルガメッシュが宝具を乱射してくるが、キャスターが戦車の周りに作り出した光の障壁に阻まれた。

 

 呪層・黒天洞。呪術によって作り出された難攻の盾。

 

 並の攻撃ならば7割以上はその威力を減衰出来るシールドだが、英雄王の攻撃にはただの一撃とて「並」は無い。最初に飛んできた数発は防げたものの、次の数発は機動を逸らすに留まり、更に第三波は障壁を突き破って、一本がキャスターのすぐ傍に突き刺さった。

 

『星々は謳う。命を燃やし、輝く光と為して』

 

「そらそらどうした!? 続けていくぞ!!」

 

「ちっ!!」

 

『歌声は響き、届き、命の光は高き天に』

 

 更に大量の宝具が乱射されるが、ライダーはヴィマーナには及ばないものの急加速と急制動を繰り返し、絶妙にアーチャーの狙いを外していく。

 

『光は輝き、導き、巡り、廻り』

 

 詠唱はあと一小節。

 

 だがその後一歩という所で、宝剣が飛来する。既に呪層・黒天洞は破れており、ライダーも今は回避動作中なので更にそこへ飛んでくる攻撃は避けられない。

 

 それを見て、キャスターが呪符を取り出す。彼女の攻撃ではあの宝具の弾丸を撃ち落とせないのは証明済み。だが。

 

「気密よ、集え!!」

 

 呪相・密天。自然界では有り得ない強さの風を纏った呪符は、その風圧によって魔弾の弾道を逸らす事に成功した。

 

「今です、ご主人様!!」

 

『そして光は。地へと墜ちる』

 

「!!」

 

 詠唱の完成。ライダーはそれを確かめると思い切り手綱を打って四頭の神馬に命じ、戦車を急上昇させる。同時に。

 

「開け。遍星丘」

 

 戦車と飛行機械。その二つの前方に、突如として丘が出現した。

 

「何っ!?」

 

 ライダーはフィオの指示通り「日輪の戦車」を急上昇させたから無事だったが、ヴィマーナは操縦者であるアーチャーがこの状況を予想出来なかった事もあって回避が間に合わず、そのまま丘陵へと突っ込んだ。

 

 それでも、ギルガメッシュが冷静であればヴィマーナの性能を活かして衝突を回避する事が出来ただろう。だが今の彼は自慢の宝具を疵物にされた事で頭に血が上っており、更にヴィマーナ自体も左翼の破損によって完全にはその性能を発揮出来なかったのだ。

 

 古の飛行船が座礁し、燃え上がるのを眼下に捉えながら、ライダーは大きく息を吐いた。いくら事前に教えられていたとは言え、かなり際どいタイミングだった。車輪が少しだけ、地面を擦った気がするし。

 

 一歩間違えば、余らもこの戦車ごと、あの黄金の舟と同じ運命を辿っていたという事か……

 

 そう思うと、抑えられていた汗が一気に噴き出してくるようだった。

 

「それにしても……」

 

「これは……」

 

 二騎のサーヴァントが視線を上げる。そこには、星空が広がっていた。それも先程までの冬木市の星空ではなく、恐らくはこの地上のどんな場所から見上げる星空とも違う。

 

 まるで世界中の空に存在する星を全て掻き集めてきて作ったような星穹が、視界一杯に広がっていた。

 

「こんなものまで使えるとはな……」

 

「固有結界、とは……」

 

 リアリティ・マーブル。術者の心象世界を形として現実を塗り潰す、魔法に最も近いとされる大魔術。本来は悪魔や精霊のみが操る事の出来る異能であるが、長い年月の中で心象世界を構築する魔術の研究が進み、現在では人間の魔術師でもトップにカテゴライズされる術者であれば短時間の結界形成を可能としている。

 

 最強の魔術師として誉れも高いフィオは、間違いなくそのカテゴリに含まれていた。

 

「これが……奏者の心の景色か……」

 

「綺麗ですねぇ……」

 

 天に広がる数多の星々によって、昼の如き光量を誇る夜の世界。そして大地は緑為す平原。それがフィオの固有結界にして心象風景「遍星丘」のカタチだった。

 

 ある叙事詩には、失われた友の理性を取り戻す為に馬車で以て月の世界にまで旅した騎士の逸話がある。ひょっとしたら彼の騎士もこんな景色を見ていたのだろうかと、キャスターは心の片隅で思う。

 

 ライダーは戦車を大きく旋回させると着地させ、小高い丘に座礁したヴィマーナの正面に停止させた。

 

「やったのか……?」

 

 燃え上がる古代機械を睨みながら、ライダーが言う。フィオもキャスターも難しい顔のまま、答えない。

 

 だが巡航する航空機並の速度で突っ込んだのだ。サーヴァントであるアーチャーは助かっても、人間であるマスターの方は無事では済むまい。しかし、もしそうだったとしても油断は出来ない。あのアーチャーはかなり高いレベルの単独行動スキル持ち。マスターを失っても(勝ったとしても現界できる時間が著しく短くなるだろうリスクを考えないのならばだが)一戦ぐらいならば問題は生じるまい。迂闊に近付いては手痛い反撃を受ける。

 

 その旨を伝えられ、マスター共々用心深く炎を睨むライダーとキャスター。

 

 十秒ほどが過ぎて、炎の中から二つの人影が姿を現す。アーチャーと、時臣だ。時臣の方は流石に今の激突が堪えたのか足取りがふらふらとおぼつかないが、二人とも決定的なダメージを受けた様子は無かった。

 

「マスターも、無事だと……?」

 

「……恐らく、咄嗟に令呪を使って自分の身を守らせたのね」

 

 今の奇策で少なくともマスターは仕留められたと見ていただけに、この結果にはフィオも苦笑いする。

 

 だがこれで遠坂時臣の残り令呪は一画のみ。簡単には切り札を切れなくなった。となれば……

 

「ライダー、キャスター。アーチャーとの決着はこの結界内で付けるわよ」

 

「うむ!!」

 

「承知しました!!」

 

 展開した固有結界は、世界からの修正力を受け続ける為に維持には膨大な魔力を必要とする。如何にナンバーワンの魔術師であるフィオとて、二騎のサーヴァントへの魔力供給まで同時に行っている現状では、二人へと回す戦闘用の魔力も計算に入れれば維持出来るのは長くて5分。

 

 短期決戦だ。

 

 ライダーは手綱を握り直し、キャスターは彼女の宝具である鏡を取り出す、が……

 

 二人と、それにフィオは仁王立ちするギルガメッシュの表情を見て、顔を固まらせた。

 

 彼女達をして怯えさせるほどに恐ろしい憤怒の顔をしている。の、ではない。

 

 笑っている。穏やかに、笑っている。ぴんと立っていた金色の髪が、前に落ちた。

 

「決めたぞ、貴様ら」

 

 その声も、先程までのような怒りによって荒げられたものではない。静かで、だがそれ故に重く。原初の英雄王の宣告が、フィオの世界に響いていく。

 

「この我が、手ずから殺すとしよう」

 

「なあ……奏者よ……」

 

「うん?」

 

 頬に冷や汗を垂らしたライダーが、言った。

 

「これは、拙くないか?」

 

「……拙いわね」

 

「ですよね……」

 


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