ある日の放課後。
大洗女子学園の校門付近は異様な雰囲気に包まれていた。
「……ねぇ、ウチの校門前にいる人って誰?」
「明らかに大人の男の人だし……一人でずっといるし、怪しくない?」
「ちょっと不審だよね……誰か呼んだ方がいいんじゃ……」
ひそひそと囁き合いながら、校門に目を向けて顔を寄せ合う大洗女子学園に通う生徒たち。
彼女たちが向ける視線の先にいるのは、片手に持った携帯を操作して時間を潰しているかのような不審な男。
背恰好は中肉中背、奇抜ではないカジュアルな装いに身を包んでいて、髪は黒く短めで真面目な印象を抱かせる。
しかし、そのような印象を感じさせるとはいえ、立っている場所が女子高の前となればその程度の真面目イメージなど吹き飛ぶというもの。校門前の男は、すっかり彼女たちの目には不審者として映っていた。
一応、その男が立つ辺りを避けるように校門の端を通って下校していく生徒たちはいるが、彼女たちもどこか不思議そうにしているのは明らかだった。
男は何やら難しい顔で携帯に視線を落としているから気がついていないようだが。
「あ、いま首をかしげた。何見てるんだろ?」
「それより、不審者よ不審者。風紀委員呼ぼうよ」
「それより先生の方がいいんじゃない?」
遠巻きに様子をうかがう生徒たちの疑心が高まり、いよいよ行動を起こそうかとなった時。
校門に近づく三人に、生徒のうちの一人が気付いた。
「あっ、見て! 角谷会長よ! 小山副会長と河嶋広報もいるわ!」
その声を聞いて全員が振り向くと、そこには確かに校門に向かう生徒会メンバーの姿が見えた。
ほっと周囲から安堵の声が漏れる。
「良かった、会長なら安心ね」
「きっとあの不審者を追い払ってくれるわ」
「そうね、あの会長だもの」
安心して彼女たちは歩いていく会長の姿を見送る。
彼女たちにとって生徒会長である角谷杏は全幅の信頼を寄せる生徒会長だ。この学校の事に関してならば、あの人は全力で守ってくれるだろう。もちろん自分たち生徒の事も。
その信頼が全員の表情に表れていた。
そんな彼女たちの視線の先で、ついに杏が件の男と接触する。
杏が片手をあげて声をかける。
それに男が気付き、一礼する。
男が何やら笑って話しかける。
それに杏が笑い返し、隣の柚子と桃も穏やかな笑顔で頷く。
そして幾つか会話をした後。
三人はそのまま戦車倉庫のほうへと向かっていった。
「――って、ええ!? 会長まさかのスルー!?」
「な、なんで!?」
その時彼女たちに電撃走る。彼女たちは、すっかり杏があの不審者を追い払ってくれると信じていたのだ。
だというのに、この学校の為ならば全力を尽くすあの会長がスルーである。これに驚くなという方が無理だった。
「ま、まだよ皆! 向こうから来るのは風紀委員よ!」
「そど子、ゴモヨ、パゾ美のジェットストリームアタックね!」
「あの三人ならきっと注意してくれるわ!」
そうして彼女たちが見る先には、いつものように乱れのない服装に風紀委員の腕章を巻いたおかっぱ頭の三人組。
彼女たちがついに校門にいる男性の存在に気がつき、ずんずんとその男性の元へ向かっていく。
よし、さすが風紀委員! と誰もが思った。
そしてその期待通りに、風紀委員の中でも特にそど子が何やら注意をしている。
ぺこぺこと頭を下げる男性。
それに対して腰に手を当てて溜め息をこぼすそど子。
そして、そど子はもう一度男性に何事かを注意する。
その後、彼女たち三人もそのまま男性を残して校門を離れていった。
「な、なにぃィイイ――!?」
「あの三人まで見逃すなんて!?」
ルールに厳しい彼女たちは、生徒会に次いでこの学校の今を守っている存在だ。その彼女たちまでもが明らかに怪しい男をスルーした事実に、彼女たちは驚きを隠せない。
そうして驚愕冷めやらないままいると、今度は集団で騒ぎながら、ある一団が近づいて来ていた。
「あ、あれは!」
「知っているの、貴女!?」
「我が校が誇る戦車道チームのメンバー! カバさんチームとウサギさんチームとアヒルさんチームだぁ!」
「むしろなんで知らないのよ……」
「いや、言わなきゃいけない気がして……」
そんなやり取りをする彼女たちを余所に、戦車道チームの皆もまた校門にいる彼の存在に気付く。
そして騒がしいまま各々が声をかけ、苦笑した彼がそれぞれに対応している姿が見えた。
そして結局彼女たちもそのまま見過ごし、それどころかウサギさんチームに至っては親しそうに手を振って別れていった。
そのすぐ後、レオポンさんチームとアリクイさんチームの面々もやって来たが、結果は同じ。共に笑みすら浮かべて会話をした後、それぞれ別れていったのだった。
ここまでくると、それを見ていた彼女たちも気づく。
――あれ、あの人ひょっとして不審者じゃない? と。
さすがにあれだけの人間が見逃しているのだから、少なくとも悪い人間ではないのだろうということは察せられていた。
となると、次に気になるのは一体何者なのかということだった。
生徒会、風紀委員、それに戦車道チームのメンバー。彼に接触しに行ったのは、よくよく考えれば全員が戦車道を専攻している人たちばかりだった。
となると、戦車道の関係者だろうか、と彼女たちは推測した。大人の男の人だし、教官とか? と想像が膨らむ。
危険な人物ではないとわかれば、そこはお年頃の女子たち。すっかり校門前の彼の事は話題の一つとなって、なかなか接する機会もない年若く比較的近い年齢の異性ということで、話が盛り上がる。
が、その時。
「あ、みぽりん! もう来てるよ! 校門で待ってる!」
ふとそんな声が響き、彼女たちの話はピタリと止まった。
「さ、沙織さん! 声が大きい、大きいからぁ……!」
声の出所へと振り返れば、そこには昇降口から出てくる五人の少女たちの姿。
武部沙織、冷泉麻子、五十鈴華、秋山優花里、そして西住みほ。
この学校に通う者ならば、いやこの学園艦に住む者ならば知らぬ者はいない。廃校にされかけた学園と艦を取り戻してくれた立役者、大洗女子戦車道の隊長チームである、あんこうチームの面々がそこにいた。
彼女たちの視線の先には、沙織が張り上げた声を抑えるようにみほがその腕にすがりついて指を口に当てている姿がある。
困り顔で友人に縋りつく姿は、とても各強豪校や大学選抜チームを相手取って撃破の山を築き、この学校を優勝へと導いて、今を勝ち取った隊長には見えない。
しかし、それでも彼女は確かに多くの戦車を率いて戦い、この学校を守ってくれた人なのだ。この学校の誰もがそんな彼女に感謝していた。
そういう意味で彼女、みほは有名だった。しかし最近、それ以外の場所でも名が知られて、これまで以上に有名人になっていた。
それというのも、大学選抜との試合がその経緯と共に世間に暴露されたことが原因であった。
一部学園艦理事からの抗議に端を発したニュースにより、大洗女子学園に降りかかった騒動はその結果も含めてすっかり世間の知るところとなっている。
結果、ただでさえ今年の全国優勝校(それも廃校撤回を懸けた、当初は素人だった集団による参加の結果)ということで注目されていたのに、社会人チームにすら勝るとされた大学選抜にまで勝ったということで更に注目が集まり。
そのうえ、政府が彼女たちにした仕打ちによって同情や義憤によって注目が集まり。
極めつけに、みほたちの容姿が見目麗しい少女たちとなれば、マスコミが放っておくわけがない。
特に隊長であるみほは事あるごとに大洗の代表として顔を出すことになり、数々のインタビューや特集記事のコメントにと引っ張りだこであった。
つまり、みほは既にこの学校内の有名人というだけではなく、全国的な有名人となっていたのである。
だからこそ、校門前の男性を生徒たちは不審者だと真っ先に疑ったのだ。みほのファンという可能性が否定できなかったからである。
しかし、戦車道チームの姿を見ていると、そういう輩ではないようだった。それどころか、沙織の言葉を聞くにあのみほが呼んだかのようにもとれる。
一体どういうことなのか。西住さんが本当に呼んだのだろうか、と疑問がぐるぐると胸に渦巻く。
それを表に出さずに押し込んで、校門へと近づいていくあんこうチームを遠巻きに見つめる。
固唾を呑んで見つめる先で、みほは沙織から離れてその男性の前に立った。
「……なんか西住さん、嬉しそうじゃない?」
「そうね。周りの四人も気を許してるみたいだし、やっぱり知り合いな――」
「あっ!」
「ああっ!」
「いま頭撫でた!」
「西住さん、照れてる! でも顔がによによしてる! あんな西住さん初めて見た!」
「こ、これは、まさか……」
囁き合いつつ、彼女たちは少しずつ校門に近づいていく。
ゆっくり、ゆっくり歩を進めていくと、徐々に会話の断片が聞こえる距離まで辿り着いた。
静かに耳を澄ませる。そして、ついにその言葉を聞き取った。
「っ! 武部さん、いま羨ましいって言った!」
「秋山さんが、彼氏の前では西住殿も……って言ったわ!」
「ということは、あの人――西住さんの彼氏!?」
「不審者じゃなかったのね……」
それはあの面々がスルーするはずだわ、と全員が納得する。
戦車道チームの人たちは、既にみほの彼氏のことを知っていたのだろう。だから、話しかけはしてもそのまま見過ごしていたのだ。
はーっ、とその場の全員からため息が漏れる。すわ不審者かと気を揉んでいた自分達の懸念は杞憂だとわかったからだ。
少し肩透かしな気もするが、何事もないならそれが一番いい。彼女たちはようやくその緊張していた体から力を抜いた。
「それにしても、ねぇ」
「うん」
視線が再び校門に向く。そこには、やはり親しそうに話す二人の姿がある。
「西住さん、かわいいよね」
「うん。楽しそうだし」
「あんな顔して笑うんだねぇ、彼氏の前だと」
学校の中でみほの笑顔を見たことがないわけではないが、いま彼女が浮かべている笑顔はそれとはどこか質が違う笑顔のような気がした。
「……彼氏、欲しいなぁ」
「言うな」
「何話してるんだろうねぇ、二人……」
疑問は綺麗になくなった。懸念も杞憂であったとわかった。
けれど、代わりに何か隙間風のような寂しさが胸に去来する彼女たちなのだった。
*
一方その時。
周囲の生徒に不審者と間違われた俊作は、それに最後まで気付くことはなく、みほと相対していた。
「それでみほちゃん、来てほしいってことだったけど……」
「あ、うん」
彼がわざわざ大洗女子学園の前まで来た理由。みほが自分を呼んだ理由を尋ねると、みほはもごもごと口ごもった。
優花里たちは近くにいない。少し距離を置いてみほを待っていた。どうやらこの後、少し五人で出かける予定らしい。
だというのに、その前に自分に伝えたいこととは何なのだろう。俊作がじっとみほを見ていると、みほはどこか申し訳なさそうにしながら口を開いた。
「ごめんなさい、俊作さん。その、バレちゃった……」
「バレちゃったって、何が?」
「お母さんに、俊作さんとのこと……」
一瞬、俊作は言葉をなくした。
けれどすぐにその意味を理解する。理解するが、しかし。
「………………え?」
思わず、そんな間抜けな声が出てしまったのは、動揺があまりに大きかったからだろう。
恋人の親御さんに自分が知られている。となればもちろん、挨拶はしておかなければならない。いや、本当はこちらから赴くべきだったのだ。ただ、みほと母親との関係を考えて先延ばしにしていただけで。
その時が来たということ、それだけだ。
けれど、何故だろう。
ただ挨拶をするだけだというのに、必要以上に湧き出てくる緊張を隠せない俊作なのだった。
【悲報】俊作、不審者と間違われる。
ちょっと視点を変えて、大洗のその他生徒たちから見たお話でした。
みほは有名人という扱い。
リトルアーミーでもテレビに出てましたが、それよりもう少し人に知られるようになったと思っていただければ。
そのうちその辺りも書けたらいいなぁ。
そして最後に、あからさまなフラグを残しておきました。