場所は変わり、再びベンチへと戻ってきていた。ベンチの中央を陣取る様に野良の黒猫が体を丸めて座っており、それを挟み込む様に自分と、そしてハイディが座っている。流石に真横に座るだけ相手に対して心を開いてはいない。だから黒猫を置いて座る、というのは丁度良い距離感だった。が、そんな事をそもそも心配する必要もないのかもしれない。ハイディの方へと視線を向ければ、未だに頬の一部を赤く染めている。猫と戯れている様子を見られたのが予想以上に恥ずかしかったらしい―――それも、特に敵として意識している相手となると、羞恥心もすさまじい物だろう。心中察ししない。そこらへん反省しないで生きてきている馬鹿なのだ。だがとりあえずは、
「数日ぶり……でいいんだよ、な? ハイディちゃん」
「……はい、数日ぶりですね、ヨシュア……さん」
「お前、今物凄くさん付けするかどうか悩んだろ。アレだ、言っておくぞ。俺、18だかんな。年上だからな」
「解ってますよヨシュア」
「さん付けの気配が消えた……?」
ハイディはすまし顔を浮かべているつもりだが、頬の赤さは抜けない。やはりこういう所を見ると年相応、十六歳程の少女に見える。少なくとも大体それぐらいの少女だと経験上、看破できる。それはまるで、あの夜、湾岸地帯で戦った相手とは別人のような姿だった。あの時のハイディは非常に魅力的で、そして美しかった。刀匠によって鍛えられた名刀の如く殺気が鋭く差し向けられ、憤怒と殺意がストレートに心臓に叩きつけられ、呼吸を奪いながらも全身を熱く燃え上がらせていた。そんなハイディの姿は今、ここにはいなかった。殺意も敵意もない、完全に十代女子の姿だった。
まるであの夜の出来事が夢だったかのようにさえ思える―――が、ハイディの首筋には斬撃痕が存在している。それは治療しても消える事のない、一生残る傷だ。そういう風に斬ったのだから当たり前の話なのだ、おそらくは背や前面にも同じような傷があるだろう。それが、あの夜は幻想ではなく、真実であり、すぐ横にいるこの少女が敵である事を証明している。
ハイディは此方へと視線を向けると真面目な表情を浮かべ、口を開く。
「ヨシュアさんは……ヴィルフリッド、でいいんですよね?」
「そうだな。オリヴィエに義手を与え、エレミアン・クラッツを教えて、クラウス・イングヴァルトがクッソボッコボコにされた原因を遠まわしに生み出したヴィルフリッド・エレミアの子孫たぁ俺の事だ―――エレミア一族、知ってるだろ? 俺と妹で最後の二人だぜ。絶滅する前に会えてよかったなぁ!」
げらげら笑いながら軽くハイディの中にいるクラウスを刺激する様に言葉を放った。何時でも動けるように体には軽く力を入れながら、傍目は完全にリラックスしている様に姿を偽装する。これでハイディが直ぐ動けば、それに対処するだけだ。いや、その方が面倒がなくて良い。そう思う。だがそんな期待を裏切る様にアインハルトは穏やかな言葉を放った。
「そうでしたか。改めて名乗ります―――ハイディ・E・S・イングヴァルト。クラウスの記憶継承者であり、イングヴァルト家の子孫―――最後の一人です」
「―――となると俺もお前もお家的には最終ラインか」
「ですね。エレミアはどうかは知りませんが、イングヴァルトは血筋を残す為に嫁を出したりしていましたが、それももう途絶えて直系の私一人を残してもう存在しません。同じような状況に会えたのは運命的とでも表現するべきなのでしょうか」
「どうなんだろうな。もしこのシナリオを書いた奴がいるなら相当根性の腐った野郎にはちげぇねぇな」
息を吐きながらそう思う。運命的、自分と彼女の出会い、そして今、こうやってまた会えたことを表現するならその言葉しか見つからない。この広いミッドチルダという世界で、住んでいる場所は星の反対側かもしれないのに、なのに偶々やってきた公園で出会う事が出来たのだ。もはや運命という言葉でしか表現する事が出来ない。
「こういう時って大体2パターンあるよな、ドラマだと」
「そうなんですか?」
「話している間に恋心に目覚めて戦って両方死ぬか、最終的に兄妹だって発覚して結婚できない悲恋コース」
「昼ドラの見過ぎじゃないですかそれ。いや、ベルカ末期は実際にドラマを見ているのかってぐらいドラマチックでしたけど。それにしたってそれはないですよ」
「そこまで強く否定しなくていいだろっ」
恋愛感情など生まれないと断言するハイディの言葉に軽く半ギレしつつ答えれば、漸くハイディの表情に微笑が浮かぶ。紛れもない、美少女の笑みだった。そうやって笑っていればクラウスの記憶の継承者だなんて解りもしないだろう。だが、心の奥底で、自分が少しずつ、目の前の少女に惹かれ始めているのが解る。おかしなものだ、時間や理由であれば間違いなくヴィクトーリアやジークリンデの方があるのに。
―――やっぱり、昔そうであったように、ヴィルフリッドがクラウスを求めているのだろうか。
まぁ、逆レイプしてでも子種を奪わなかったヴィルフリッドが悪いという結論なのだが。
そう、ベルカ末期に足りなかったのは―――逆レイプだったのだ。アレがなかったから古代ベルカは悲劇だったのだ。というか全体的にお友達お友達していたのが悪いと思っている。クラウスはさっさとオリヴィエを押し倒すべきだったし、ヴィルフリッドはさっさとクラウスを襲うべきだった。クロゼルグに関してはペドすぎるので何も言えないが、少なくともハーレムが許可されていた時代なのだから、それぐらい出来た筈だ。クラウスがヘタレをこじらせてしまうのが全部いけない。
ともあれ、軽くハイディが笑っている姿を見れば、本当に欠片も闘争心は今、存在しないらしい。それを知って、どうしたものかなぁ、と思う。ここで殺せば凄く簡単に終わる話だが―――現代社会でそんな蛮行は簡単には行えない。
「でよ、ハイディちゃん」
「なんですか」
「どうする?」
「……どうしましょうか」
並んで息を吐きながらどうするべきかを考える。ハイディに闘争心が存在しない以上、間違いなく今がチャンスなのだが―――あいにくと、デバイスは今、一つも持っていない。元々デバイスは後でどうにかしようと考えていた事が悪いのだが。ただそれでもエレミアン・クラッツは武器を選ばない。ジークリンデもほとんどデバイスを使わずに素手で戦っているから、自分も同じように戦えばいいだけだ。だが、自分も間違いなく戦う気がないのは事実だった。そんな気分にはなれなかった。何故だろうか、あの夜に一回戦ったことが原因なのだろうか―――不思議と、そこまで必死にする必要はない、そんな感じがある。
結局は振り回されているだけだろうか―――エレミアに。
「正直な話―――ずっと子供の頃から悩まされているんです。いえ、今も十分に子供なんですけど。それでも覇王の記憶を持っていて、それがまるで
それは良く解る。自分も経験した事だ。それに加えてエレミアの500年を超える戦闘経験がまるで自分の物の様に叩き込まれるのだ。気が付いたときには誰かに言われずとも戦いを求めていた。更なる力を求めていた。そして罰を求めていた。エレミアとしての本能、そして継承された業というものは消す事が出来ない。だがその500年の業に覇王のそれも、劣る事はないのだろう。凄まじい憤怒と悲しみ、エレミアの一族に匹敵するそれを覇王はたった一人で生み出したのかもしれない。
「気が付けば拳を振るっていました―――覇王が最強であると証明しなきゃいけない、という強迫観念に背中を押されるように。そしてエレミアを心の底から憎む様に求めていた。お前がいなければ、お前さえいなければオリヴィエは苦しむ事もなかった。馬鹿な事を考える事もなかった、と……どうなんでしょうね、そこらへん」
そうだな、と呟く。古代ベルカの戦時の記憶を思い出す―――思い出せるのは地獄の風景だ。ヴィルフリッドも一人の兵士として前線で聖王家を、オリヴィエが守ろうとしたものを守るために戦った。だけど酷いものだった―――聖王家はヴィルフリッドがオリヴィエの決心を鈍らせる存在であるかもしれないと判断していたのだ。実際、ヴィルフリッドが根強く説得していればオリヴィエは考えを変えたかもしれない。だが、
「―――ヴィルフリッドもヴィルフリッドで、あの時は幽閉されていたんだ。嘆いているよ、今でも。聖王家に捕まらずにいれば、義手を砕いてでもオリヴィエを止めていた、ってな」
エレミアと聖王家の相性は悪くはない。聖王家の保有する最強の防御スキル、聖王の鎧―――エレミアのイレイザー能力はそれを問答無用で消し去って殺す事が出来る。つまり、聖王を一番効率的に殺せる一族でもある。もしもの場合があったら、ヴィルフリッドはそれでオリヴィエを戦闘不能に追い込んで止める予定だった。だがそれよりも早く、幽閉されてしまった為に全ては悲劇へと向かって加速してしまった。
「クソみたいな話だな」
「ですね、本当にクソみたいな話です……ですが、なんでしょうか。こうやってまともに話せたとなると、少しだけどこかで救われた気持ちになるのは―――」
「―――錯覚じゃねぇの? 問題は何一つとして解決してねぇからな?」
その言葉にハイディは黙った。結局のところクラウスの怨念も、ヴィルフリッドの怨念も、どっちも消えていないのだ。話せば話すほど目の前の少女に心が惹かれて行く―――それが何よりもの証拠だった。この程度だったら精神力のみで何とかできる範疇だが、よほどひどくなるなら記憶を飛ばしたりする必要も出てくるが、それに関しては最終手段だ。
「結局のところ、俺も、お前も決着を付ける為に出会ったんだよ。少なくとも俺はそう思うぜ。じゃなきゃ出会った意味がねぇからな」
「そう、ですか」
だけど、同時にこれは素敵な出会いだとも思った。人生、何が起きるかは解らない―――だけどこんな、古代の騒乱の決着をつける事が可能なのだ。だとしたら、もはやなんでもアリだと言えるのではないだろうか? 少なくとも、俺はどんなクソの様な事であろうとも、全力で楽しみたいとは思っている。じゃなきゃこのクソの様な世界で生きている意味はない。愉しさのない人生なんて死んでいるのも一緒だ。
生きているだけ、義務感でやっているだけの人生に価値なんてないのだ。
ハイディは悩む様な姿を見せている。
だから立ち上がる。ハイディの前へと移動し、そして右そでをまくりながら傷だらけの右腕、その力瘤を作る様に腕を曲げ、拳を握る。
「お前はぐだぐだうだうだ考え過ぎなんだよ―――第一クラウスのヤロウは馬鹿だったじゃねぇか。オリヴィエが死んだ後でどうすればいいかも解らず拳を振い続けるぐらいの。お前もその馬鹿と同じ血脈なんだろ? 上品な言葉で自分を飾る必要ぁねぇんだよ」
そう、
「俺達は
騎士ではない。殺す為には手段を選ばなかった。だから覇王流も、エレミアン・クラッツも、効率的に、非人道的に、ただただ相手を殺す手段を極めようとした。それでしかゆりかごを浮かべた事に対してできなかったから。
「
その言葉にハイディはまっすぐ視線を返してきた。悩む様な、しかし振り払う様に、まっすぐ視線を此方へと返してくる。吸い込まれそうな色合いが左右で違うその瞳。抱きしめたくなるこの気持ちは一体自分のものか、或いはかつて、クラウスに対して恋慕の情を抱いた彼女のものなのだろうかは解らない。だが解るのは―――戦うのは楽しいという事だ。
強くなるのは楽しい。
だが強くなるのは退屈だ。
だから、想いっきり拳を振って殺し合えるのは―――きっと、幸福なのだろう。
―――それを、ハイディは理解している。
だから、彼女は答えた。
「ヨシュア―――私、貴方と
そして、それに俺も答える。
「あぁ、俺もだよ」
ふぇぇ……どうすればいいか解らないよぅ……じゃあ殺し合おうか。蛮族的ベルカ理論。もはや憎悪を示すのに暴力、求愛するのにも応力とかいう熱い文化になり始めている。ベルカは非常に罪深い……。暑い風評被害を生み出したのは誰だ。
✝天から舞い降りし最強の