サングラスの位置を軽く調整しながら呟く。
「―――いやぁ、結局普通に戻ってきちまったな」
病院で数日大人しくしていれば、あっさりと体の方は回復してしまった―――元々戦う為に、そして旅をする為に肉体改造を行ってきたエレミアの一族なのだ、骨折程度数日もあれば完全に回復できる程度の回復力はある。それでも簡単に砕け無い様な頑強さを持っているのだが―――相手が相手だっただけに、何も言えない。
目の前には庭付きの豪邸、その入り口となる門が見えている。結局たっぷり数日で病院で拘束されてしまった為、暇な時間が長かった―――だから漸く退院したところでこうやって顔を出す事が出来る様になった。今来ているのはヴィクトーリア、つまりはダールギュルン邸になる。ヴィクトーリアの両親は二人ともベルカの教会関係者であり、忙しいらしく職場での寝泊まりの方が遥かに多い。その為、家には滅多に顔を出さず―――だからこそ、勝手にエレミアの兄妹が居候していたりする。
そう、自分たちの事だ。
―――そもそもエレミアは流浪の民だ。大地をベッドに、空を天井に、そうやって流れながら暮らしてきた一族であり、それが明確に変わったのはヴィルフリッドとオリヴィエの一件以来だろう。それ以来エレミアの一族はベルカからほぼ離れる事はなくなった。だがそれで生活の基盤を得たわけではない。今でも基本的にエレミア一族―――つまり己とジークリンデはテントでの生活が基本だったりしたのだが、ヴィクトーリアと仲良くなっては割と家に居候させて貰っている為、もはや旅をしているのも自分ばかりだ。
たぶん、エレミアは自分の代で滅ぶのだろうなぁ、と思っていたりする。
そんな事を考えながら門の前に立てば、連絡を入れる前に自動的に門が開き、入れるように道を見せる。通い慣れた道である為、そのまま門を抜けると目の前の豪邸には入らず、その裏手へと向かって脇の道から入る。豪邸である為、それなりの距離が存在するが、既にジークリンデやヴィクトーリアの気配は感じられる。焦る事もなく、歩いて屋敷の裏側へと到達すると、広い庭に三つの姿が見える。水色の髪の執事服の男、黒い戦闘装束に身を包んだジークリンデ、そしてドレスメイル姿のヴィクトーリアの姿だった。
ダールグリュン邸の裏庭のスペースでジークリンデとヴィクトーリアは相対しており、ジークリンデは無手、ヴィクトーリアはハルバード型のアームドデバイスを手に、ゆっくりとした動きで相対している。動きに速度は一切存在していない。まるでプールの底を泳ぐような遅い動きで得物を振っている。軽く感知すれば解る―――二人の動きの補助には一切の魔力はない。装備されている戦闘装束も重量軽減処理なんて存在せず、見た目そのまま、金属と布の重みが体にかかっている。その為、汗を流しながら体を動かしている。
特にヴィクトーリアはハルバードという金属の塊を持っているだけ、髪が顔に張り付くように汗を掻いている。
緩い動きの中で、2人はしっかりとお互いを両目で確認しながら動き続ける。実戦とは違った、遅い動きである為に長考できる上に、しっかりと型を、理想的な形を維持しながら体を動かす事が出来る。それ故に実戦での動きを試しながら、しっかりと体の動きを組み合わせる事も出来る鍛錬だ。そこで魔力を使わないのは純粋に体力を付ける為の鍛錬の一環だ。そうやって動く事によって、戦いに必要な要素のほとんどを凝縮して鍛えているのだ。
ゆっくりと繰り出されるジークリンデの掌底に対してこれまたゆっくりとヴィクトーリアはゆっくりと後ろへと下がりつつ、ハルバードで薙ぎ払う様に動作に入る。合わせる様にフリーハンドで振われるハルバードに合わせ、片手を乗せるとそれで体を持ち上げ、ハルバードを乗り越える様に前進する。無論、魔力で強化していない肉体でジークリンデは片手で体を持ち上げているし、ヴィクトーリアもジークリンデの体重を支えているのだ―――二人とも、腕がかなりきついはずだ。
それでも動きは止めずに、2人の静かな戦いは続く。風を切るような音はなく、争うような気配はなく、極限まで集中し、汗を流しながら体力と脳を酷使する相対が続く。ハルバードを乗り越えたジークリンデが近づくのに合わせ、ヴィクトーリアが左足を繰り出す。速度的な問題で回避する事を選択できないジークリンデが掌底に使った手を戻しながらガードに使用し、それを滑らせるように弾こうとするが、ヴィクトーリア自身も腕に力を入れているらしく、微動だにしない。ハルバードを抑えるのに使っていた手を解放しながらジークリンデが片足をヴィクトーリアの足と足の間―――股の間に通す。ヴィクトーリアが片足で体を支えている状況を理解して、力の入れにくい態勢を強要するやり方、ヴィクトーリアも慣れているらしく、重量のある鉄の装具を纏った体をその程度では崩さず、ハルバードを弾く様に短く持ち直しながら後ろへと下がろうと、上半身を後ろへと倒してゆき、
「―――あ」
「お」
バレリーナの様に仰け反った所で、裏庭、つまりは庭園に入り込んだ此方の存在を見つけた。テーブルの方でタオルを手に待機していたエドガーがぺこりと此方の存在を見つけて会釈し、それに会釈を返す様に片手を上げつつ、視線をヴィクトーリアとジークリンデへと戻した。
「おいーっす」
「退院おめで―――」
「にぃ―――ちゃぁ―――ん!」
ヴィクトーリアがしゃべり終わる前にヴィクトーリアを横へと押し飛ばし、ジークリンデがこちらへと向かって腕を広げながら走ってくる。その姿にこちらも腕を広げながらはっはっは、と笑い声を響かせながら迎えようとした瞬間、ジークリンデに呼吸を盗まれるのを知覚し、即座に呼吸を
それに反応するジークリンデが息を吸う様に打撃から組技へと呼吸を変え、突き出された肘に対して下半身を跳ね上げ、絡めるように両足を抱きつける。だから対応する様に右腕から倒れる様に、高速で体を大地へと叩きつけようとすれば、素早くジークリンデが体を飛ばす。
三回、ばく転を決めながら両足で地面に立つと、今度こそジークリンデが片手を上げて、歩いて近づきながら此方が対応する様にあげた手を叩きつける。
「わぁーい、にーちゃんの容赦のなさ変わってへんわぁ」
「お前の容赦のなさもいい感じに変わってないぞ愚妹!」
わぁい、と子供らしい声を響かせながらジークリンデはそのまま猿の様にするりと背中から肩の上へと移動し、その上に座る。まぁ、ハイディの件で心配させてしまった為、あまり強く言えないから、そのまま肩に乗せて、ヴィクトーリアとエドガーの方へと向かう。今の兄妹のやり取りを見ていたのか、ヴィクトーリアは呆れたような溜息を吐いた。
「退院した直後にまた入院とか止めてくださいよ、医者もただじゃないんですから」
「いやぁー大丈夫やよ、ヴィクター。にーちゃんこの程度で死ぬタマやないし」
「でも非殺傷切っていましたわよね」
「じゃないと鍛錬にならへんもん」
ねー、と言って来るジークリンデにせやせや、と答える―――が、自分達兄妹が他と比べて軽く突き抜けている自覚はある。基本的に鍛錬に非殺傷なんてものは利用しない。鍛錬で組手をするときは本気で、それこそ骨を砕くつもりでやる―――そしてその果てに死んでしまうのなら所詮それまでの存在だった。悲しみを覚えるし、後悔もする。だが納得はする。それが古代ベルカの血脈を
「ちゅーかにーちゃん、闇討ちされて大怪我とかクッソ笑えるんやけど」
「愚妹よ、貴様に一つ教えてやるがな、そいつは元々お前がお望みだったのをこの偉大なる賢兄が引き受けてやったんだ、感謝してこの賢兄を崇めろ。敬え。そして甘やかせ。兄は癒しを所望だ、解るな愚妹よ? ん? お前の兄は癒しを所望だぞ」
「いーやーしーぱぁうーわぁー」
そう言いながら足で首を絞め始めた。ぶち殺すぞ妹よ、と脅迫しながら振り下ろそうと上半身を振うが、きゃあと声を放ちながら足だけで首にぶら下がり、振り回されるのを楽しんでいる。数年間おろそかにしていた兄妹のスキンシップを何とか埋めつつも、ヴィクトーリアとエドガーへと改めて視線を向けなおし、よ、と片手を上げてもう一度挨拶し、サングラスの位置を直す。
「ま、そんなわけで愚妹共々世話になるよ! 堕落させて!!」
「働きなさい」
「雷帝ママー!」
「貴方もいい歳でしょ? 就職しなさい」
教育方針が厳しい。だが管理局も、ベルカ教会も就職先としてはなんだかなぁ、というのが本音だったりする。管理局はブラック企業として次元一有名だし、ベルカ教会は少々、オリヴィエを神聖視し過ぎているのが個人的に、そしてヴィルフリッド的に非常に気に入らないのだ。確かに聖王オリヴィエはベルカの救世主である事には間違いはない。だがそれだけではない、それだけではなかったのだ。オリヴィエはただの女の子だったのだ。それをもはや、誰も覚えていないのだろう。
自分とハイディを除いて。
―――後はオリヴィエのクローンぐらいかもしれない。
だからそれが気に入らない、というだけの話だ。オリヴィエを、犠牲となった女の子としてヴィルフリッドは記憶し、自分もそう認識している。だから聖王としてオリヴィエを崇めるベルカ教会とはあまり相性がよろしくない。なので、ベルカ教会への就職はパスする方針にある。そして管理局も魔導士優遇の環境だ―――自分とは非常に相性が悪い。こうなると普通の仕事じゃなく、もっと適当で金払いの良い所に就職した方が良い。
主に非合法な奴だが。結構いい経験になるのだ。
「つか割と早い時間からお前ら身体動かしているけどどうしたんだ。DSAAに向けてスパー中?」
頭を叩いてくるジークリンデを片手で払おうと何とか苦戦しつつも、ヴィクトーリアへと視線を向けると、エドガーから受け取ったタオルで顔を拭きながらえぇ、という返答が返ってくる。エドガーへとタオルを渡せば、それと入れ替わる様に水の入ったボトルが受け渡され、それを一気に飲みながらヴィクトーリアが話を続ける。
「まぁ、DSAAの予選までは数か月、本戦までにはまだまだ時間があるのですけれどね。だから今のうちに基礎鍛錬じゃなくて手の内を見せないレベルでの模擬戦も始めました―――まぁ、あまり本格的にやろうとするとお互い、手の内を晒してしまいそうなのですが」
「お、んじゃあ俺が相手するよ。タダメシ食うのはいいけど、やっぱ働いた後で食うのが一番楽しいし」
そう言うと露骨に嫌そうな表情をヴィクトーリアが浮かべる。気合を入れて肩からジークリンデをはがし、それを勢いよく投げる。回転しながら見事に着地を決め、エドガーから拍手を貰う姿を無視してヴィクトーリアへと視線を向け続けていると、嫌そうな表情を浮かべて、ヴィクトーリアが言う。
「だって貴方―――魔法使わないじゃないですか。正直体術、技術関連の相手はジークがいますし……」
「えー。俺の方が強いから
「控えめに言ってヨシュアってクソヤロウですよね」
「自覚はしてる」
サムズアップを向けると呆れたような息をヴィクトーリアが吐く。が、次に吐き出す言葉は彼女からではなく、ジークリンデの方からだった。
「ウチより強くなってるとかぬかしおるこの愚兄をどうするべきか―――そうだ、殺そう」
「お、やんのか? やんのか? お? お?」
「ん? なんやその眼。もしかし見てる? ウチの事見てるん? ん? お?」
「似たもの兄妹ですねー……ホント」
その言葉に関しては全面的に肯定する―――やっぱ、こいつとは血の繋がりを感じる。特に容赦のなさ、戦いという行為に対して求める姿勢は非常に似ている。おそらくジークリンデも同い年だったら迷う事無く武者修行についてきていただろう。
そんな事を考えている間にヴィクトーリアがエドガーと共に庭の隅へと退避していた。自由に戦え、という事なのだろう。許可をもらった為、遠慮なく戦闘モードへと精神のスイッチを即座に切り替える―――必要はない。日常的に戦闘モードだ。常在戦場ではない。ただただ、憐れに手遅れなだけだ。
灰色のパーカーを揺らし、袖の中の重みを確認し、サングラスの位置を調整し、正面、魔法を使った身体強化や構えを終えたジークリンデの姿を確認しながら良し、と言葉を放つ。
「フライングは!」
「許可!」
「反則は!」
「あり!」
「殺したら!」
「ごめんね!」
「―――カウントダウン……3、開始……!」
言葉を放つと同時にお互いに気配を殺し、そして呼吸を奪う為に正面へと跳躍した。
諸君、これがベルカの兄妹だ。フライイング、反則、凶器許可の無差別ルール。
そしてエリオは今日も日常を過ごしてた。