今回は穂乃果ちゃんが修学旅行に行った次の日のお話。
高校3年生にとって大事な、進路。
結構今回は真面目です。
「じゃあ、お互い頑張ろうな」
「うん。行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
穂乃果が修学旅行に行ってから2日目の朝。いつもは穂乃果と一緒に登校するのだが、今日は雪穂と一緒に家を出て、別れる所まで一緒に登校し、手を振って別れた。
『私がお姉ちゃんの代わりに、少しでもお兄ちゃんが寂しさを忘れられるように頑張る。だって私もお兄ちゃんの妹だから』
昨日の夜、雪穂が俺に言ってくれた言葉のとおり、いつもは一緒に登校しないのに今日は途中までとはいえ一緒に登校してくれた。穂乃果がいない寂しい朝を迎えることになったのは変わりはないが、雪穂が気を遣ってくれているおかげで寂しさも半減だ。
「さ、俺も行くかな」
雪穂の背中が見えなくなったのを確認した俺は、学校への道を進み始めた。
学校が見えてきた。いつもだったら穂乃果が「あぅ~、授業なんて受けたくないよぉ」なんて駄々をこねてたりするのだが……っていかんいかん。さっきから穂乃果のことばかりを考えてしまっている。これじゃせっかく雪穂が頑張ってくれてるのを無駄にしてしまう。
俺、どんだけ穂乃果に依存してんだよ……と思ったが、たぶん穂乃果も俺がいなかったら俺と同じことになっているだろう。そんな想像が頭に浮かぶ。
ふと、普段歩いている時には感じない違和感が左側にあることに気づいた。
「……ふんっ気づくの遅いのよ」
矢澤だった。
よし。
「警察に電話しなきゃ」
「なんでよ!?」
いやだって気配消して隣歩くとか正気の沙汰じゃないだろ。ストーカーだストーカー。
「あんたがいるはずもない穂乃果の方ばっか見てるから気づかないのよ、このシスコン」
「……うるさいわチビ」
「ふんっ」
今考えていたことをあっさり見抜かれてしまい、小学生みたいな返ししかできなくなってしまった。こういうときの矢澤って本当に鋭すぎて困る。
たぶん、俺が動揺したのも見抜いたのだろう、矢澤が挑発的な言葉を放ってきた。
「やっぱあんたはシスコンね! にこたちだけじゃ不満っていうの? このスーパープリティアイドルにこちゃんがいるっていうのに!?」
「はっ! お前なんか穂乃果がこぼしたパンくずのひとかけら分の価値もないわ!」
「なんですってーっ!!」
だから俺も喧嘩腰の言葉を投げかけて、いつもどおりのやりとりに持っていけるよう仕向ける。これが矢澤なりの気遣いなのだろう。こういう時の矢澤には本当に頭が上がらない。まぁ決してそれは本人には言わないが。
そんな矢澤だからこそ。
そして、穂乃果がいない修学旅行中だからこそ。
俺は矢澤に言わなきゃいけないことがある――――
放課後、部室に向かおうとしていた矢澤を呼び止める。
「おい矢澤」
「何?」
「ちょっと話あるんだけど」
「部室で話しなさい。来るんでしょ?」
「いや、ここでじゃなきゃダメなんだ」
「……?」
不思議そうに俺の顔を見る矢澤だったが、俺がふざけているわけではないというのを察したのか、矢澤は黙って俺の方を見ている。
俺が矢澤に言わなきゃいけないこと、それは
「進路の話なんだけどさ」
「……」
高校卒業後の話。話を切り出した瞬間、矢澤が表情を固くしたのがわかった。
俺は今までそういう話になったとき、それとない形で適当に話を流し、具体的なことは一切言わないでいた。決めかねていたからだ。
でも、穂乃果が修学旅行でいなくなったことで決心した。
「矢澤」
これを聞いたら矢澤はどんな顔をするんだろう、そんなこと思いながらも――――
「俺、都外の大学を目指すことにしたんだ」
それを聞いた矢澤は――――
口を開いたまま声も出さずに、溢れんばかりの涙を流して。
2年ちょっとの付き合いにも関わらず、一度たりとも見たことのなかったその姿に、胸が締め付けられる。
矢澤だからきっといつものように喧嘩腰に返事してくるんだろう、なんて考えていた俺が甘かった。
胸が締め付けられ、次に言おうとしている言葉がなかなか出てくれない。
矢澤は涙を流しながらも、俺の目を捉えて離さない。俺も離せず、見つめ合う。
数秒、数十秒……何秒たったかなんて分からない。見つめ合う中、俺の心が少し落ち着いたのか、ようやく次の言葉を放つことができた。
「穂乃果も俺も、互いに依存しすぎてる。それは他人に言われなくったって十分に分かってる。このままじゃいけないんだ、だから俺は穂乃果から離れないといけないんだ」
「だから俺は、お前らと同じ大学には行かない。行けないんだ」
追い打ちをかけるような発言であることは十分わかってはいたが、いずれは言わなければいけなかった。俺なりに覚悟をしたつもりでの発言だった。
すると矢澤は、片方の腕の袖で目をこすりながらもう片方の手でバッグの中からスマホを取り出し、何やら入力し始めた。
「……くわよ」
「えっ?」
「行くわよって言ってんのついてきなさい!」
入力し終えた矢澤が俺の右手首を強めに握りながら、俺をどこかに連れて行く。いきなりのことに何が何だか分からないが、急ぎ足で歩いていく矢澤。
「……」
歩きながら、無言で俺の方を睨みつけてくる矢澤。
「……さっき、泣いたことは誰にも言わないで」
放課後の誰もいない校内で、足音に混じったその声は震えていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
矢澤に連れてこられたのはとあるマンション。
エレベーターで2人で上に上がり、降りるとすぐ矢澤が俺の手を引き、ある1室の前で立ち止まる。そしてすぐにベルを鳴らす。
数秒後、そのドアが開かれた。
「お~、にこっち光穂っち! いらっしゃい!」
出てきたのはまさかの私服姿の東條だった。
「えっ、ここ東條の家だったの!? おい矢澤なんで言わねえんだよ!」
「えっ光穂っち聞いてなかったん?」
「あぁ! だってこいつから無理やぐふっ!?」
「なんでもないわ希。上がっていいかしら?」
「ええよ! さーさー上がって2人とも~」
東條に本当のことを言おうとした瞬間に矢澤から鋭い一撃をもらった俺は、下を向きながらドアをくぐり、靴を脱ごうとした。
その時に気づいた。靴が矢澤のを除いて二足あったことに。
「は~い光穂くん、にこ」
「絢瀬!?」
玄関を上がり廊下を進んだ先にあったリビング、そこにはテーブルの椅子に腰掛ける絢瀬の姿が。玄関で二足あったが、まさか絢瀬だとは思わず驚いてしまった。
矢澤に催促され、俺は絢瀬が座っている席の斜め前の席に、矢澤は俺が席に着くのを確認し俺の隣に座った。東條はお茶か何かを用意してくれているらしく、台所に1人で立っている。
席につき、冷静さを取り戻したところで、ふと周りが気になって部屋を見回した。
東條の家、どんな感じなのかと思ってたら思っていた以上にシンプル、悪く言えば殺風景で、綺麗にものを管理できる男の部屋、と言われても納得してしまうほどだった。
「女の子の部屋をジロジロ見渡すなんて、やるわね光穂くん」
「えっ!? あ、いやすまん、つい」
「あんたシスコンの上に変態なのね」
「ぐっ……」
「あ、あんま見んといて光穂っち……恥ずかしいやん」
「す、すまん!」
絢瀬には少し怒った声で貶され、矢澤には追い打ちをかけられ、終いには、おぼんに麦茶が注がれているコップ4つを乗せて運んできてくれた東條に顔を赤くされ、とうとうテーブルに頭をつけて謝ることになった。
これは素直に俺が悪いとしまったために矢澤にも反論できとは……悔しい。
東條が俺の目の前の席に着くと、話を切り出した。
「で……話ってなんなんにこっち? 急にうちらをうちの部屋に集めたりして」
「そうよにこ。急に『希の家に集合』だなんて言われたら慌てるじゃない」
教室で、何かをスマホで入力していたのはこれだったようだ。ということは、学校で矢澤が"誰にも言うな"と言ってきたのは、2人に会うからだっただろう。
そんな風に1人で納得していると、矢澤が足で軽く俺の足を蹴ってきた。
「こいつから、話があるそうよ」
なに食わぬ顔で矢澤はそう言ってきた。2人の視線は自然と俺に集まる。
「光穂くんから?」
「どうしたん?」
2人は軽く首をかしげながら俺にそう聞いてくる。横に居る矢澤はこちらを向くことすらしていない。
ということは、ここで2人にも俺の進路を伝えろということなのか。
だが
「あー……えっと」
唐突にそうなってしまったせいで、全く心の準備などできていなかった。
今日は矢澤にだけ伝える予定で放課後に伝えたのだが、まさかこういう展開になるとは思っていなかったために、言葉が出てこない。
「あー……その、なんて言えばいいのか」
こういうとき兄妹似た性格だというのが露骨に出てくるもので、穂乃果も俺も、言いづらいことがあるといつものように話すことができなくなる。
俺が言えないせいで静寂が訪れる。そしてその静寂が、俺の口を塞ぐ。
だが、その静寂を打ち破った。
「進路の話よ」
矢澤が別の方向を向いたまま、その静寂を打ち破った。それと同時に、東條と絢瀬の表情が、さっきまでの楽しげな雰囲気から変わる。
「……言いづらいことなの、光穂くん?」
「光穂っち……」
明らかに表情を暗くした2人を見て、決心せざるを得なくなった俺は、重たい口を開く。
「俺は……俺は……」
言おうとする瞬間に、矢澤の涙がフラッシュバックしそれを遮る。
もしかしたら2人にも同じように泣かれるかもしれない。
もしかしたら2人から叱られ、最悪縁を切られてしまうかもしれない。
そんな考えが頭の中で駆け回る。手が少し震える。
でも、いずれは言わなければいけないこと。
言え……言うんだ俺……
自分に強く言い聞かせ、手の震えを押さえつけ。
「俺は、都外の大学を目指すことに決めたんだ」
どんな反応が返ってくる? 今2人はどんな表情を浮かべている?
気になるが、怖くてつい俯いてしまう。
意気地なしな自分に苛立つ。だが今の俺には2人の言葉を待つこと以外にできることがない。
さぁ、何と返ってくる――――
「なんや、そういうことやったんか」
「えっ……?」
東條のその声に思わず俺は顔を上げ、東條を見た。
しかしそこには、俺の予想とは反して、笑みを浮かべた東條がいた。
「光穂っちやっと決めたん? 今まで進路の話聞かんかったから気になってたんよ! ちゃんと決めれたんならよかったやん!」
柔らかな笑みを浮かべたまま、東條は俺にそう言ってきた。もっと暗い顔をされてしまうと思っていたために、これは予想外だった。
なら、絢瀬は……っ!
「希の言うとおりね、決められたんならよかったわ! まぁ、確かに寂しい気持ちもあるんだけど、光穂くんがそういう道を選ぶのなら仕方ないわね」
絢瀬もだった。にっこりと笑いながら俺にそう言ってきた絢瀬は、寂しいと言いつつも俺の進路希望先が決まったことに喜んでくれている。
2人の表情を見た俺は、あまりに自分の予想に反した結果だったことに驚きはしたものの、それと同時にとても安心した。2人にまで泣かれてしまっては、本当にどうしようもなかった。
それどころか2人は俺の進路先が決まったことを喜んでくれている。正直感謝しかない。
「あぁ、ありがとうな」
本心を口にだし、俺も2人につられるように相好を崩した。
いい同級生に恵まれたものだ、そう思いながら。
ただ、俺は気づいていた。
横にいる矢澤、平静を装っているように見せてはいるものの
身体が少し震えているということに――――
あいつが雪穂ちゃんからの連絡を受けて急ぎ足で帰ったあと、にこたち3人は無言で、席から動かずにいた。
にこは黙ったまま、ただただあいつが言っていた言葉を思い出していたわ。
『俺は、都外の大学を目指すことに決めたんだ』
……なんでいつもはにこの前でふざけた態度とってるくせに、こういう時だけ真面目な顔してそんなこと言うのよ。こういう時こそふざけなさいよ。そしたらにこだって
「……っ、うぅ、グスッ」
いつものように、ふざけてあげられたのに。
あいつがいる間は必死に堪えてたけどもう我慢の限界みたいで、絵里と希の前で泣いちゃってる。
あーもう、どうして止まらないのよ! あいつのことなんだし何も悲しむことないじゃない! あいつさえいなければ平穏な日常が送れるのよ! なのに……
「うぅ……あぁっ、ぁ……」
涙が止まらない。出したくもない情けない声まで出して。
こんなんじゃ、こんなんじゃ……
せっかく
「っ、うぅっ」
「仕方、ないのよ……グスッ」
って、もう遅かったか。
ごめんね絵里、希。
でも、ごめん。もうにこには――――
「うあああああああっ!!!」
声を抑える気力もないの。
読んでくださった読者様が学生なのか社会人なのかは分かりませんが、ほとんどの人に訪れるであろう人生の分岐点。
就職を選ぶも進学を選ぶも自由ではありますが、どうか後悔のない道を選べるように頑張ってください、という私個人の想いをお話に込めてみました。
以前投稿した『初詣で――――』というお話も併せて読んでいただけると、嬉しいです。