第八一話 二人だけの世界
「うっ……ここ、は……?」
気がつくと、私は水面に浮かんでいた。
見上げる空は灰色の雲に覆われて、水が黒く見えるほど水底は見通せない。両岸は切り立った岩の禿山が続いていて、所々に咲く彼岸花だけが唯一色らしい色を持った存在だった。
「ここ、もしかして………」
この場所に、一つだけ、私は思い当たる節があった。
生者の世界と、死者の世界………冥界を隔てる境界、三途の川………
私がそこに運ばれたということは、やはり私は死んだのだろう。何せ超新星爆発のγ線バーストと超高熱のガスを含む衝撃波に呑まれたのだ。死んでいない方が不思議だ。
バチャリ、バチャリ………と、水を掻き分ける音が聞こえる。
どうやら、迎えの船渡しが来たらしい。
三途の川で水音といえば、真っ先にそれが連想された。さて、船頭はどいつだろうか。あのサボり魔で有名な巨乳死神だろうか。
私がそんなことを考えている間にも、水音は次第に近づいてきて、私の近くで止まる。果してそれはやはり舟だったようだ。
だけど、そこに乗っていたのは頭に思い浮かんだ死神ではなく、あまりに予想外の存在だった。
「よう、霊夢。ご無沙汰してるみたいだな」
―――――え?
なんで―――彼女の声が聞こえたのだろうか。
「まり、さ………?」
「ん、何だ霊夢?まさか、暫く会わないうちに私の声まで忘れた訳じゃないだろうな?」
渡し舟の上に居たのは、黒いローブにエプロンを付けて、黒い尖り帽子を被った親友………霧雨魔理沙その人だった。
外見は成長した姿ではなく、紅霧異変や春雪異変の時のようなまだ幼さを残した少女の姿だ。かつては背も体格も成長するにつれて彼女に抜かれてしまったものだが、お互い身体の見た目が若返っているので、まるで本当に昔に戻ったような錯覚を覚える。
魔理沙はかつてと何一つ変わらない笑みを見せて、舟の上から私を見下ろしていた。
私の反応が鈍いと知ると、若干不機嫌そうに眉を顰める。
「あんた、どうしてここに……?」
「ん?私かぁ?………まぁ、話せば長くなるんだがな………とりあえず、随分長い間姿を見せてくれなかったお前さんがここにプカプカ浮かんでると聞いたもんだからさ、急いですっ飛んできた、って事にしといてくれないか」
「へぇ。ま、あんたが言うならそういうことにしといておくわ」
「恩に着るぜ。にしても――――本当に久し振りだ」
魔理沙は帽子の鍔で目元を隠して、噛み締めるように呟いた。その様子は、数十年来の想い人に漸く相見えられたような、そんなしみじみとした印象を抱かせた。
―――私にとっては数ヵ月ぶりの再会でも、彼女にとっては、果たして何年振りの再会だったのだろうか………。
そんな考えが、脳裏を過る。
「お前に会えただけでも、あの死神に頼み込んでここまで来た甲斐がある」
「ふぅん。死神の舟って、案外簡単に借りられたのね」
「いや、今回のは所謂特例措置ってやつさ。普段はこうはいかない」
久し振り………本当に暫くぶりに会ったというのに、出てくる言葉は他愛のないものばかり。本来ならもっと気の利いた言葉を掛けるべきとこだろうけど、生憎そんな台詞は微塵も想い浮かばない。
「………おっと。こうしちゃいられないんだったな」
「――魔理沙?何、漸く私を引き上げる気になってくれたのかしら」
暫く魔理沙と二人で、私は水面に浮かびながら、魔理沙はそれを舟の上から見下ろしながら、お互い他愛のない話を交わす。
そんな中、魔理沙がふと何かを思い出したかのように態度を改めた。
どうやら、水面に浮かんで水に濡れたままの私をやっと引き上げる気になってくれた……という訳でもないらしい。
「ところで、私の裁きは一体いつになるのかしらねぇ。此所に居るってことは、そういうことなんでしょう?」
単なる、他愛のない会話の一つのつもりだった。
今更ながら、三途の川に浮かんでいるということはそういうことなのだろうと思って魔理沙に話題を振ったのだが、急に彼女は黙り込む。
「………どうしたのよ、いきなり黙って」
魔理沙は黙り込んだまま、何かを俊巡するような気配を見せる。
―――私は石橋を踏んだつもりが、腐った木橋を踏み抜いてしまったのかもしれない。
魔理沙の反応はそんな感想を抱かせるほど、真剣なものだった。
「――――霊夢」
「……何よ、急に改まって」
魔理沙は目元を帽子の鍔で隠したまま、視線を私に向ける。
彼女の態度はいやが応にも、これから何か大事な話をするのだと、そんな予感を抱かせた。
「―――楽しい再会の時間はそろそろ終わりだ。もうあまり時間はないから、手短に話すぜ」
魔理沙から告げられた言葉に、息を呑む。
楽しい再会の時間は終わり―――それは、私がいよいよあの閻魔の前に引き摺り出されるということだろうか。魔理沙もきっと、特例措置とか言ってたのだからそう多くは時間を貰っていないのだろう。
閻魔の裁きが終われば、いよいよ私は地獄に漂う有象無象の霊魂の仲間入りだ。そうなってしまえば、二度と彼女と言葉を交わすことは無いだろう。
―――だけど不思議と、悔いはない。
あの娘に寄り添われながら、最後にこうして離別した筈の親友に看取られて逝けるとは、私の歩んできた道を考えるとあまりに恵まれ過ぎている。………それならば、この先どんな咎を受けようとも、微塵も未練など無く地獄に墜ちることが出来そうだ。
「―――いや、お前の思ってることとは違うぜ」
「………は?」
私が勝手にそうやって覚悟を決めていたら、明確にそれを魔理沙から否定された。
「―――お前はまだ死んじゃいない。………ここで果てては駄目なんだ。だから……」
予想外の返答に、思わず身体ごと魔理沙の方を向こうとして、バシャリと水をかき上げて静粛に包まれた水面の上で盛大に水音を響かせてしまう。
「ちょっと待って。それってどういうこと!?まだ死んでないって―――それなら、何で………」
三途の川になんか浮かんでいるのか。そう続けようとしたら、魔理沙の台詞に遮られた。
「―――お前は、博麗の巫女なんだ。これまでも、これからも……………だから、今生の人生はせめて自分の思うがままに生きてくれ。………どうか、お前自身を見失わずに。―――ごめんな霊夢。私だけじゃ、どうしようも無いんだ」
「魔理沙………? それってどういう―――」
言葉の意味を、魔理沙に問い質そうとする。
だけどその前に、身体ごとぐわっと引っ張られるような感覚に襲われた。
全身が、水面下に沈む。
「!?――――」
「おっと、時間だ。―――じゃあな、霊夢」
魔理沙、待って――――!!
そう叫ぼうとしても、抗えないほどの力で引き戻されて瞬く間に彼女の姿が視界から消えていく。。
「が、はっ………!」
あちこちから、水が入り込んでくる。
全身が、泡に包まれていく。
水面に映る魔理沙の姿が、どんどん歪んで小さくなっていく―――
……………………………
電源が切れたように、意識のスイッチが落とされた。
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「ガボゴッ―――!(魔理沙っ……!!)」
夢から覚めて、瞼を開ける。
手は何かを掴もうと、手前に向けられたままだった。
―――まだ死ねない、か………
頭の中で、魔理沙に言われた台詞が反芻する。
「ガボッ!………(ッ!?)」
幾ら考えても、その言葉の意味は分からなかった。―――少なくとも、まだ地獄に落ちる時ではなさそうだ、という点にだけは理解できたが。
幾ら考えても埒が空かないので、周りに意識を向けようと目を見開いてみると、私は水槽のようなものの中に入れられていた。
またしても予想外の光景につい驚いてしまい、思わず水槽の壁を叩いてしまった。
開いた口から、空気の泡が一気に漏れる。
水の中だというのに不思議と明瞭な視界に映る光景は、冥界とは似ても似つかない未来的な風景だった。
その風景を見て、また新たな疑問が浮かんでくる。
―――あれ、私、死んだ筈じゃ………
私は、意識を失う直前の光景を思い出す。
確か私は、〈開陽〉の全力運転でのハイストリームブラスターをエクサレーザーで極度に不安定化した赤色超巨星ヴァナージに撃ち込んで、その超新星爆発に巻き込まれたのだ。それでヤッハバッハを足止めするという作戦自体は成功したものの、許容範囲を遥かに越える出力でハイストリームブラスターを撃った〈開陽〉は満身創痍、逃げることも叶わず衝撃波に呑まれた筈だ。なのに、何でまだ生きているのだろうか。
それにあの夢が本当だとしたら、三途の川に浮かんでいた私は確実に死んでいた筈なのに………いや、これが魔理沙が言っていた、私はまだ死ねないということなのだろうか。だとしたら、ここは冥界じゃなくて現世……?
だとしたら、最後にいきなり引っ張られるような感覚がして三途の川に沈められたのは何だったのだろうか。三途の川に沈むという行為からは蘇生など到底思い付かないだけにどこか別の空間に飛ばされたのかと一瞬考えもしたけれど、この幻想郷や冥府の世界とはかけ離れた白くて機械的な、清潔感溢れる未来的な風景のことを考えると、やはり現世には引き戻されたと考えるのが筋なのかもしれない。
そうであるなら、やはり私は、魔理沙が言った通りまだ生きているということなのだろうか。
―――あれ、その前に確か……、超新星に呑まれる直前に………
それ以前に、すっかり超新星の衝撃波に呑まれてしまったと思い込んでいた私だけど、そこで直前に誰かが、〈開陽〉を庇ってくれていたような気がした。………もしかしたら、私が生きているのはそれも関係しているのかもしれない。何分意識を失う直前のことだったらしく、朧気にしか思い出せないが。
――ちょっと待って。私が生きてるなら、あの子はどうなったの!?
「ガボゴバッ!?(そうだ………早苗は!?)」
私が生きている―――その可能性から大切なあの娘のことを思い出して室内を見回してみるが、彼女の姿はない。それどころか、慌てて動いてしまったためか、肺に液体が入ってしまったようで息苦しくて咳が出る。
何度も水槽の中で咳をしてもがいていると、シューっと、扉のロックが外される音がした。
「あ、霊夢さん。もう起きたんですか?」
部屋の扉が開かれて、誰かが入ってくる。
その声を聞いて、安心した。
―――ああ、生きていたのね、よかった………
私一人だけじゃなくて、早苗も生きていてくれたみたいだ。衣服は多少破けているが、身体は何ともなさそうに見える。……やはり、サナダさん謹製の義体だったから、なのだろうか。ともかく、大切な仲間が生きていてくれたことは素直に喜ばしい。
「今出しますねー。それまでちょっと苦しいかもしれないですけど、我慢して下さい」
早苗がコンソールを操作すると、水槽の水がどんどん抜かれていく。水が全部消えた後は、水槽のガラスが開かれて外気が入り込んできた。
先程まで全身水に浸かっていたので、少し肌寒い。
「はい、霊夢さん、タオルです」
「ん……ありがと」
早苗から渡されたタオルで身体を拭いて、とりあえず着るものがないのでそれを身体に巻き付けた。
「さ………うぁっ!?」
「れ、霊夢さん!?」
ポッドから出ようと足を踏み出したら、ぐらりと身体が揺れてそのまま床にへたり込んでしまう。
「いっ、たた………ごめん、ちょっと手、貸して貰える?なんか上手く立てなくて……」
「ああ……それなりに長い間ポッドに浸かっていましたから、身体が鈍ってるんですね。今椅子を用意しますから、そちらに腰掛けといてください」
早苗は近くの丸椅子を手繰り寄せて、私の手を握って起こすとそこに座らせてくれた。
「ん……ありがと。……ところで、私ってどれぐらいあのポッドに浸かってたの?」
「………聞きたいですか?」
「―――いや、止めとく」
なんか早苗が一瞬不機嫌になったので、その質問を訊くのを止めた。……彼女の反応から私は少なくとも相当長い期間、彼女を待たせてしまったことは間違いなさそうだ。
さて、彼女が生きていたことは喜ばしいが、まずは現状を確認しなければ。目覚めたのはいいけど、まだここが何処なのかさえ明らかでないのだし。
「んじゃ早速だけど早苗………ここが何処なのか分かる?」
「はい?〈開陽〉の医務室ですけど……どうかされました?」
「いや、ほら………あのとき私達は超新星に呑まれたじゃない。なのにこうして五体満足なのが不思議で………あんたは何も覚えてないの?」
「はい、申し訳ありませんが………多分覚えているのは霊夢さんと同じところまでかと………。ああ、目覚めたのは私の方がずっと先です。気付いたときには霊夢さん、瓦礫の下敷きで酷い怪我でしたからここの医療ポッドに急いで入れたんですけど………回復されたみたいで何よりです」
うわ……そんな酷い状態だったんだ、私……。これは早苗に感謝しないとね。もし彼女が先に起きていなかったら、私は今頃本当に冥界辺りを漂っていたのかもしれないのだから。
「……本当に心配したんですよ?サナダさんの新型宇宙服がなかったら本当に死んじゃっていたかもしれないんですから……!」
「そこまで酷かったの………デザインは気に食わなかったけど、やっぱり性能は折り紙つきだった訳ね。巫女服の下にでも、着といて正解だったわ」
図らずも、あのぴっちりスーツがおふざけでなかったことが証明されてしまった訳か……あのときはちょっと酷いことしたかな。サナダさんには後で謝っておこう。
………ん、サナダさん………あ、他の仲間って、今頃どうなってるの?
「あ、サナダさんで思い出したんだけど………他の仲間とは合流できたの?」
「それは………」
明るかった早苗が、途端に口を噤む。それだけで、現状を察するには充分だった。
「………まだ、見つかってないのね」
「はい………それどころか、今どこを漂っているのかも全く分からない始末で………艦の機能も大半が停止したままですし―――」
「………ちょっと待って。今の〈開陽〉って、どんな状態なの?」
早苗の言葉から察するに、仲間との合流どころかこの〈開陽〉ですら怪しい状態なのではないか。この艦が壊れてしまったら、本当に私は生きる場所を失ってしまう。
「はい………まず艦体は艦首部分が丸ごと消失、二番砲塔前でごっそり抉れています。そして使用可能な兵装は三番砲の中央一門と四番砲、それに僅かな迎撃ミサイルとパルスレーザーだけです。艦内に至っては艦橋は大破、エンジンも止まって今は予備電源で何とか持っている状態です。主機の修理は目処がついているんですが、稼働させても以前の一割の出力が出せれば良い方という始末で………それに、外殻のあちこちから空気漏れが起きているので今は最低限の区画を除いて隔壁を下ろしています。―――控えめに言っても、今の〈開陽〉は難破船同然の有り様です………」
「うわ……思った以上に酷いわね……超新星に呑まれたんだから無事ではないとは思っていたけど……。そんな状態だと誰かが助けに来るか、どこかの惑星を見つけでもしない限りかなり危ないわね」
「そうですね………でも、艦橋を含めた艦体の大部分が破壊されているので通信機もお釈迦ですし、チャートもいかれて全然機能してないので……本当に、宇宙のなかで迷子になっちゃいました」
「最悪な状態ね。……隣にあんただけでも居てくれるのは不幸中の幸いか………正直、これが一人だったら堪えるわ」
「安心して下さい、私はいつでも霊夢さんの隣にいますから」
あまりの現状の酷さに、つい弱音を吐いてしまう。フネがこんな状態になって私一人だけだったら、本当に参ってしまっていたかもしれない。一人では駄目だとしても、早苗となら、大抵の事はどうにかなりそうな気がした。
「……さて、霊夢さんも目覚めたことですし、場所を変えましょう。医務室に居たままでは何かと不便ですからね」
「場所を変える?って言っても、艦内は軒並み大破してるんじゃないの?それならここに居ても……」
「いえ、自然ドーム内は無事なので、神社に戻ろうかと思いまして。あそこなら食糧も衣服もありますし、神社の地下には艦長室もありますから、そこから艦内の状況を把握することも出来るかと思いまして」
「……それなら移動した方が良さそうね。あそこの区画が生きているなら当分は持ちこたえられるだろうし。じゃあ早苗、ちょっと悪いんだけど手を貸してもらえる?」
「はい、喜んで」
それなりの期間あの治療ポッドに入れられていたせいか、立とうとすると未だに足元がふらつく。なので、早苗に支えてもらってやっと立ち上がることができた。
早苗の右腕が脇に回されて、彼女の身体から温もりが直に伝わってくる。……今の早苗は機械の身体だった筈なのに、それを忘れてしまうほどの柔らかな暖かさ…………
「……霊夢さん?」
「―――いや、何でもないわ。このまま自然ドームまでお願い」
「了解です」
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赤、赤、―――見渡す限りの、赤。
自然ドームの内部は、まるで血か体内のような赤色に染め上げられていた。夕暮れ時のような透き通った朱色でもなく、ただひたすらに痛々しいほど赤い。……それは、いつかの悪夢を連想させた。
思えばここまで来る途中の艦内通路も軒並み非常灯のせいで真っ赤に染まっていただけに、ここまで赤が続くと流石に辟易としてしまいそうだ。
「―――赤いわね」
「非常灯しか点いてませんので、仕方ないです」
どうやらまともに電源が供給されていたのは、最初に目覚めた医務室だけだったようだ。今まで見てきた廊下は所々非常灯すら落ちていて、このドーム内もかつてのような幻想の風景を微塵たりとも見出だすことができないほど暗く、赤い。
バサバサ…と時折烏が羽ばたいたり、ガサゴソと藪の中で獣が動く音がするが、それはこの景色の不気味さを一層際立たせているだけだ。
早苗に介抱されながら、林を抜けて参道を登る。
景色が不気味な以外道中特に何かあるわけでもなく、鳥居をくぐって神社の境内にたどり着いた。
「……やっぱり、無傷という訳にはいかなかったか」
一目見た限りではあるが、神社は大部分は無事のようだ。ただ戦闘の衝撃か、はたまた超新星の衝撃波に呑まれた影響か、所々屋根の瓦は崩れ落ち、石畳はひび割れて捲れ上がってしまっている。
「建物自体は無事みたいですし、問題は無さそうですね。さ、中に入りましょう霊夢さん。そのままの格好だと風邪引いちゃいますよ?」
「あ、うん……そうね、頼んだわ」
早苗が神社に向かうのに合わせて、脚に力を入れる。
……確かに早苗の言うとおり、今の格好では少し肌寒い。自然ドーム内は非常電源だけなので偽りの陽光すらなく、元の季節設定が晩冬だっただけに空気が冷えている。早苗の好意で渡された、彼女が着ていた白衣を羽織ってはいるがそれも気休めに過ぎない。ここはさっさと中に入って、普段の服に早く着替えたい。
「………そういえば、早苗」
「はい、何ですか?」
神社に来てから少し気になることがあったので、この際だから早苗に聞いておこう。―――いつの間にか住み着いていたあの二柱の姿が見えない点について。
あいつらの性格からしたら、フネがこんな状況なら真っ先に早苗の身を心配して飛び出してきそうなものだけど……
「あんたの神様二人、姿が見えないけどどうかしたの?」
「え!?あ……はは、き、きっと何処かで休まれてるんじゃないですか?あ、あはは………」
「ふーん」
……なんか早苗の様子がおかしかったけど、まぁ、彼女がそう言うならそういうことにしておこう。あの二人に関しては早苗のほうが親しいんだし、私があまり深入りすることでもないか。
そんなことを話しているうちに、私達は神社の縁側まで辿り着いていた。
私を介抱してくれていた早苗が、私の身体を縁側に下ろしてくれた。
「よいしょ……っと。到着ですね」
早苗は靴を脱いで縁側に上がって、部屋に繋がる引き戸を開けてくれた。……だけど、またしてもふらついてしまって上手く歩けない。このまま芋虫みたいに這っていこうかとも考えたけど、その前に早苗が手を出してくれた。
「……箪笥のところまで支えてあげます。無理なら素直に私を頼って下さい」
「私を縁側に下ろしたのはあんたでしょ」
「霊夢さんを抱えたままだとうまく上がれなかったからです。戸を開けたら部屋の中までもう一回支えるつもりだったのに、先に行こうとしたのは霊夢さんの方ですよ」
「はいはい、もういいわ。じゃ、とりあえず部屋の中までお願い」
「了解しました。では、こちらをどうぞ」
差し出された手を握って、早苗に寄りかかりながら立ち上がる。そのままの態勢でまた早苗に介抱されながら、とりあえず部屋の真ん中まで来ることができた。
「………この辺りでいいわ。降ろしてちょうだい」
「分かりました。……お着替えも手伝いますか?」
「いや、いいわ。そこまでしてもらうのも悪いし、手は足より動くみたいだから一人で大丈夫よ」
「そうですか………では、私は外で待ってますね。なにかご用があればお呼び下さい」
「ん、了解」
早苗はゆっくりと私の身体を畳の上に降ろして、縁側に戻っていった。
縁側に正座した早苗は一礼して、すーっと引き戸を音もなく閉めた。破天荒な行動と高いテンションが印象に残る彼女だけど、その印象とは離れた一連の行動が何故か様になっているように見えた。
………一人きりになった寝室に、障子を透けて外から赤い光が差し込んでくる。
当然こんな状況では家の電気も点かないし、火のランプを灯すのも危ないので、その薄暗くて目に悪い光を頼りに箪笥の元まで移動して引き出しから衣服を漁る。
未だに足が鈍ってるので上の引き出しには手を掛けず、羽織っていた白衣と身体に巻いていたタオルを外して、適当な下着を箪笥から取り出して穿く。さらしは……面倒くさいので省略。他にはいつだったか忘れたけど早苗から貰ったブラがあった筈だけど、今の身体は早苗みたいに大きくないしこちらも着けなくていいだろう。
服は……巫女服はこの状態だと面倒だから寝間着でいいか。肌寒いから羽織を探して……
―――ガタンッ!……
………と、ナニカが崩れ落ちたような音が響いた。
「え―――?」
一瞬、何が起こったのか理解できなくなる。…が、物音がした方向が縁側からだったことから、すぐに早苗の身に何かあったのではという可能性が思い浮かぶ。
「さ………早苗っ!?」
慌てて寝室の外にいる彼女の下に駆け寄ろうとしたものの、足がふらついて顔面から畳に身体をぶつけてしまう。
「いっ、た………っ、そうだ、早苗の様子は………」
先程名前を呼んでも尚声がしないということは、やはり彼女の身に何かあったのだろう。余計に心配が加速する。
足が頼りにならないならば、這ってでも早苗のところに行くしかない。畳が、少々擦れてしまうが、この際それは仕方ない。早苗の身の方が心配だ。
寝室と縁側の境界まで辿り着いて、ガラッ!と縁側に続く引き戸を開けると、やはりそこには、力なく倒れ込んだ早苗の姿があった。倒れた彼女は苦しそうに、胸を上下させながら荒々しく呼吸している。
「早苗っ!大丈夫なの!?いきなり倒れたりなんかして……」
「あ、霊夢……さん……、あはは、もうちょっと、我慢できると思ったんだけどなぁ………」
早苗はうっすらと瞳を開けると、軒下の梁を仰ぎながら弱々しく呟いた。
「我慢なんてしなくていいから!ああもう、どうして先に言わないのよ……!いつもいつも、私には世話を焼こうとする癖に自分のことは何も言ってくれないんだから……」
「ごめん、なさい………でも、病み上がりの霊夢さんには、頼る訳にはいかなかったかんです………」
「無理して喋らないで!―――っと…こういう時はどうするんだっけ……とりあえず布団と水を用意しないと……」
突然の出来事に、頭の中がぐるんぐるんする。病人の介抱といえば先ずはそれだけど、そもそも今の早苗は人の身体では無いんだった。もしかしたら、身体に何かトラブルがあったのかもしれない。そうだったら私では完全にお手上げだ。こういうのはサナダさんが居ないとすっかりだったばかりに、今何もできない自分がとにかくもどかしい。
けど縁側に倒れたまま放置という訳にもいかないので、鈍ったままの身体を無理矢理動かして、引きずり込むように早苗を寝室に移動させて寝かせる。
「霊夢、さん……大丈夫、です。身体のトラブルじゃ、ないですから………」
「大丈夫もなにも、そんなに苦しそうにしてる時点で大問題よ!」
こんな事態になるなら、目覚めた時点で早苗をゆっくり休ませておくべきだった。思えば医務室で見た早苗の肌は以前より血の気が失せていたような気がしたが、目覚めたばかりで意識が覚醒しきってなかった私ではそのときには気付けなかった。廊下に出てからはずっとあの赤い光に照らされてたので、気付けるも何もあったもんじゃない。無理して隠されるくらいなら、素直に調子が悪いと伝えてほしかった。そうしてくれたら、無理して私を介抱させることなんて無かったのに………
「はぁっ、はぁ………ッ、………」
早苗が一際苦しそうな呻き声を上げると、私の胸元に手を伸ばして、ぎゅっと寝間着の襟首を掴んだ。
「………………れいむ、さん……っ!」
「早苗……!?」
弱々しく、私の名を呼ぶ。……あまりにか弱いその声に、思わず息を呑んだ。
「もう、駄目………!我慢、できない……!!」
「ちょ………っ、早苗ッ!何を………!?」
捕まれた襟首を強引に引っ張られて、畳の上に押し倒される。その上から早苗に乗られて、拘束するように両腕を背中と後頭部に回された。
「早苗!?具合が悪いんなら……」
「違うん、です………!欲しい、全然、足りないんです…!」
早苗の顔が、近づいてくる。
顔は紅く火照って紅潮しきっているのに、身体は冬の外気に長時間晒されたように冷えきっている。彼女のちぐはぐな体調は、なにか深刻な病状を思わせた。
「さ……なえ………?」
早苗の身体を退かそうにも、回された腕と上に乗られた身体に挟まれて、まともに身動きすら出来ない。
絡み付いてくる彼女の肢体は、シュルシュルと獲物を締め上げていく毒蛇を連想させた。
早苗の頭が、重力に引かれて落ちてくる。
ゆっくりと絞め殺されるように、腕に力が入れられていく。
「んっ、ん…………」
「…………っ、!?」
早苗の顔が、目前まで迫る。
私と早苗の唇が僅かに触れ合ったかと思うと、そのまま一気に、私の口は早苗の唇に塞がれた。
タイトルの通り百合回でございます。ここから第二部序章です。時系列的には前回からそれほど経っていないので、暫くは第一部の延長のような雰囲気になります。
開始から早々に百合百合を飛ばしていくスタイル(笑)なお本小説のえっち度はPS版Fate/stay nightに準じます。R-18描写が発生した場合は分離しますのであしからず。無限航路らしいお話は、もう暫くお待ち下さい。
冒頭の魔理沙ちゃんは本物です。五人目ぐらいの純正東方キャラです。ちなみに魔理沙ちゃんがこの時代で生きているのはちょっとした裏設定があったりします。
本作の何処に興味がありますか
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戦闘
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メカ
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キャラ
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百合