鋼鉄の迷宮(アンダーエリア)   作:魔人ボルボックス

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第二章 未知の迷宮(アンダーエリア) ―6―

 長方形状に大きく広がった迷宮(アンダーエリア)の空間にあるのは、広い間隔をとって二つに別れたラージゴーレムの残骸と、それらの真ん中で仰向けに寝転がっているオルカだった。

 

 ラージゴーレムが完全に壊れたことで緊張の糸が切れ、全身が溶けるように緩んでいた。

 

 自分の左手にはまった『ライジングストライカー』が、もうもうと白煙を吹いていた。全力である「十倍(ライジング:テン)」を使ったせいでオーバーヒートを起こし、故障してしまったのだ。今度、修理に出さなければなるまい。

 

 ギリギリとはいえ、自分があんな怪物に勝てるとは思わなかった。

 

 普通なら、こんな強大な相手を倒せたという事実を冒険者として名誉に思うべきなのかもしれない。自分がそいつと戦うには荷が重いと言われているアイアンクラスならばなおさらだろう。

 

 だが、今のオルカはそれどころではなかった。今までうまく吸えなかった酸素を吸入するのに必死だったのだ。

 

 固まっていた横隔膜が緩み、空気を満足に吸い込めるようになったため、これでもかと吸い込んでやる。だが未だ息苦しさが取れない。吸っても吸っても吸い足りないような気がした。

 

「――オルカ・ホロンコーン!」

 

 自分の名を呼ぶ声。

 

 仰向けのまま首だけを巡らせると、シスカが痛めた右足を引きずりながらこちらへやってきていた。

 

「ちょっ、ちょっとあんた大丈夫!? 顔が真っ青よ!?」

 

 シスカが慌てた様子で一層早く近づき、しゃがみこんで自分の顔を覗き込む。こちらの身を案じてくれているのだろうか。

 

 未だ息切れ中のオルカは何も喋らず、軽く挙手して小さく笑って見せる事で「大丈夫」と意思表示をした。

 

「あんた……」

 

 しばらくすると段々呼吸に間隔ができてきて、言葉を話す余裕くらいは生まれた。

 

「……さっきの動き、クランクルス無手術の『瘋眼(ディファレントゾーン)』でしょ? 体感速度を急激に遅くする代わり、強いストレスに襲われるっていう」

「はい…………よく知ってますね」

「……どうして?」

 

 シスカが不意に呟く。

 

「えっ?」

「どうしてあたいを助けたの?」

「…………ごめんなさい。余計なこととは分かってたんですけど、どうしても放っておけなくて…………お叱りはちゃんと受けます」

「そうじゃなくてっ!!」

 

 シスカは嘆くようにそう叫ぶ。

 

 彼女の顔を見ると、そこにはいつもの怒ったような表情はなかった。

 

 代わりにあったのは、今にも泣き出しそうなソレだった。

 

「どうして、あたいなんか助けたのよ……あたい、あんたに散々酷いこと言ったのよ?」

「? はい、まあ多少きつい事は言われましたけど……」

「だったら…………どうして見捨てなかったのよ!? つまんない嫉妬に駆られて、散々八つ当たりみたいに口汚く言い放ったのに! そんなムカつく女なんか勝手にくたばればいい、ラージゴーレムに灰にされれば飯が美味いとは思わなかったのっ!? 幸い、あんたは一番最下位のアイアンクラス。「本当は助けたかったけど、自分の手に余るため、生き残るためにやむを得ず逃げました」って言い訳が十分通用する立場じゃない!! なのにあんたはなんでその口実を使ってあたいを置き去りにしなかったの!? なんであんたはわざわざ駆けつけて、『瘋眼』なんて諸刃の剣まで使ってあたいを助けたのよっ!?」

 

 拳を握り締め、ワナワナと震えながらまくし立てるシスカ。オルカを責めているようで、実は自分を責めているような口調だった。

 

 ――どうして見捨てなかったのか?

 

 オルカは迷いなく口を開いた。

 

「……見捨てるわけにはいきませんよ。クロップフェールさんが死んだら、マキ……クラムデリアさんが絶対悲しみますから」

「え……?」

 

 呆気にとられた顔でオルカを見るシスカ。迷子になった子供みたいな表情だった。

 

 オルカは上半身を起こし、そんな彼女を見て言った。

 

「ボクは昔、クラムデリアさんに最低なことをしてしまいました……だから、彼女の事を気安く語る資格はありません。それでも、ボクは彼女が優しい娘だったって知ってます。そんな彼女が長い間仲良くしていたあなたを失ったらどんな顔をするのか、想像は難しくないですよ。そして、ボクはそれが嫌だったんです」

「……あんた」

 

 だがそこで、元来た道とは別の、まだ通っていない通路の奥から、数人分の足音とざわめきが聞こえてきた。

 

 二人は静かに耳を澄ます。

 

 それらの音は次第にこちらへ近づいてきて、やがてその音源である三人が脇道から姿を現した。

 

 マキーナ、パルカロ、セザンの三人だった。

 

 三人は自分とシスカの存在を確認し、ピタリとその足を止めた。

 

「――オル君! シスカ! 無事だったのね!」

 

 一番最初に駆け寄って来たのはマキーナだった。

 

 彼女の表情からは再会の喜びと、そして自分たち二人が五体満足であった事に対する安堵が垣間見えるようだった。

 

「ボクは大した事ありません……ボクよりも、クロップフェールさんが」

「シスカっ?」

 

 マキーナは慌てたようにシスカの方へしゃがみ込み、

 

「どこかケガしたのっ?」

「……少し、右足をひねってしまいました…………」

 

 シスカはばつが悪そうにマキーナから目を背ける。

 

「うわ。すっげぇなぁコレ。この残骸、ラージゴーレムだろぉ?」

「しかも、見事に、真っ二つ」

 

 パルカロとセザンはこちらへ歩いて行きながら、真っ二つに折れて別れたラージゴーレムの残骸を見てそう感嘆した。

 

「シスカ…………ここで一体何があったの?」

 

 マキーナはシスカに対して詰問気味に尋ねてきた。

 

 シスカはおずおずとながら話し始める。

 

 勢いで、ラージゴーレムに単身で戦いを挑んだこと。

 そしてシールド装置を破られ、殺されそうになったこと。

 そこへオルカが駆けつけ、命からがらラージゴーレムを倒したこと。

 

「…………」

 

 話を全て聞き終えたマキーナは、しばし神妙にしていた。

 

 だが、不意にその片手をスッと上げる。

 

 ――バチンッ。

 

 乾いた音が鳴った。

 

 シスカの片頬へ、マキーナが勢いよく平手打ちを放ったからだ。

 

「――え」

 

 予想外の出来事に状況がうまく掴めていないのか、シスカは目を白黒させていた。

 

 それはオルカも同様だった。

 

 ゆっくりとマキーナへ目を向ける。

 

 彼女は腕を振り抜いた状態のまま、その美しい顔を燃えるような怒りの朱で染めていた。

 

「どうしてそんな命を粗末にするような事をしたのっ!! ラージゴーレムがどれだけ危険な相手か、私と一緒に冒険者をやってきたあなたなら分かってたはずでしょう!?」

 

 この大きな空間の空気を激しく揺さぶるほど強烈なマキーナの怒号に、怒られていないはずのオルカも思わずすくみ上がる。

 

「お姉様…………でも」

「でも、じゃない!! 何があなたをそうさせたのかは知らない。でも結果的にあなたはこうして死にかけた! オル君がいなかったら本当に殺されていたのよ!? 敗北の決まりきった戦いに挑むことは勇気とは言わないの! それはただの自害なの!! もう二度と、こんなバカな事はしないでっ!!」

 

 「もう二度と」のあたりから、マキーナの声が震えていた。

 

 見ると、彼女は先ほどまでの怒気に満ちた表情を一転――ポロポロと涙を流していた。

 

 マキーナはシスカを抱き寄せ、まるで大事なものを離さぬようにとばかりにその背中へ手を回し、

 

「おバカっ…………本当に、心配したんだからね……っ」

 

 シスカの右肩へ頭を乗せ、涙声で言った。

 

 溢れ出す涙滴が、しとしととシスカの肩を濡らしていく。

 

「…………ごめんなさい。本当にごめんなさい、お姉様」

「こっちこそ、さっきは叩いてごめんね……? でも、もうこんな事したら嫌よ?」

「はい…………ありがとうございます」

 

 そう言って、シスカもマキーナの背中を抱き返す。

 

 ひたすら抱き合う少女二人。

 

 そんな様子を見て、オルカは暖かい気持ちになった。シスカは自分を「羨ましい」と言っていたが、彼女だってちゃんとマキーナに愛されているのだ。

 

 しばらくすると、マキーナはシスカから離れて、オルカの方へ来た。

 

 マキーナは『ライジングストライカー』に包まれたオルカの両手をギュッと掴むと、

 

「オル君ありがとう! シスカを助けてくれて本当にありがとう! ありがとう、ありがとう…………!」

 

 感極まったようにブンブンと上下に振る。

 

「へ……? いや、その、ど……どういたしまして…………」

 

 そんな彼女の勢いにオルカは半ば戸惑いながらそう返す。

 

「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう」

 

 だがマキーナは未だに感謝を繰り返しており、自分の手を振り回すことをやめない。

 

「あ、あの…………マ……クラムデリアさん? そろそろ離してもらえると…………」

「へっ? ああ、ごめんねオル君っ」

 

 慌てて手を離し、舌をチロッと見せて「えへへっ」といたずらっぽく笑うマキーナ。

 

 そんな子供のような笑顔を見た瞬間、オルカの鼓動が密かに跳ね上がった。

 

 顔が熱くなってくる。彼女と目を合わせるのが恥ずかしくなり、視線を慌ててそらす。

 

 息が苦しい。だがこれは『瘋眼』の副作用とは違う感じの苦しさだった。苦しいけれど、不思議とそれが嫌ではない。

 

 心地よい不快感――そんな矛盾した表現が似合う感覚だった。

 

 まただ。先ほど落とし穴にかかる直前にも、この熱病にでも罹ったような、妙な感覚に襲われた。

 

 病気、ということはないだろう。今朝はなんともなかった。病気だったらもっと前にその兆候は出ていたはずだ。

 

 だがこの感覚、以前にも味わったことがある。

 

 それは、今よりずっと昔――幼少期。

 

 もしかすると、ボクはまだ――

 

「でもスゲーな。これ、君がやったんだろ? しかも一人で」

 

 そこでパルカロが駆け寄り、ラージゴーレムの残骸を指差してそう賞賛してきた。

 

「へ……? い、いやでも、あいつの片手を切り落としたのはクロップフェールさんで……」

「……あたい、それ以外は一回も触れてないわ。それに腕一本切り落としたところでそんなに強さは変わらなかったみたいだし。悔しいけど、実質的にあのラージゴーレムを倒したのはあんたよ」

 

 オルカはギョッとした表情でシスカの方を振り返った。

 

「……な、何よ?」

「い、いえ別に。あ、あはは」

 

 笑ってごまかすオルカ。今までダメ出ししかしてこなかった彼女が、自分を褒めるようなセリフを口にしたことに驚いたのは秘密だ。もし馬鹿正直に言ったらまた突っかかって来そうで怖い。

 

「だけど凄いねオル君! あのラージゴーレムを一人で倒しちゃうなんて!」

「いや、でも、正直言ってギリギリでしたし…………」

「それでも凄いよ! ふふふ、しばらく見ない間にこんな立派に育ってー。お姉ちゃんハナタカだぞ」 

 

 そう言って、ほんわかした表情でオルカの頭を優しく撫でるマキーナ。

 

 「子供扱いしないで下さい」とは反論できなかった。こうされていると、不思議と落ち着くからだ。そういえば子供の頃、泣いている時彼女によく頭を撫でられたのを覚えている。

 

「はいはい、おのろけご苦労さん。だけど実際大したもんだよ。俺はこう見えてマキーナよりも長く冒険者をやってるが、ラージゴーレムを単独で倒したアイアンクラスなんて、君以外見たことないぜぇ?」

 

 パルカロがそうしみじみ言いながら、話に入ってきた。

 

「うん、大した、もの。きっと、将来有望」

 

 セザンも同じように。

 

 今、自分の周囲には、強豪と呼べるパーティの面々が集まっている。

 

 そして、彼らは皆口々に自分へ賞賛を送っている。

 

「……は、ははは…………」

 

 ここまで褒められると、謙遜するのが逆に申し訳なく思ってしまう。かといって偉そうにするのも気が引けたため、ろくに何も言えずにただ照れ笑いするしかなかった。

 

 そこでマキーナが「あ、でも」と前置きしてから、オルカへずいっと急接近してきた。いい匂いがする。戦闘で動いていたはずなのに汗臭さは微塵もなかった。

 

「あんまり無茶したらダメだよ? 確かにラージゴーレムを一人で倒せることは凄いことだけど、ラージゴーレムは本来複数人で戦うのが基本なんだから。もしまた単独で遭遇しても、逃げられるなら逃げなきゃダメ。もしオル君が死んじゃったら、私悲しくていっぱい泣いちゃうから」

「な……泣きますか」

「うん。カピカピに干からびるまで泣いちゃうもん。だからもう無茶はしないでね? オル君♪」

「……はい」

 

 オルカがそう頷くと、パルカロが陽気に提案してきた。

 

「さ、早く残骸からアルネタイトを頂こうぜ? 何せラージゴーレムだ、相当デカいのが取れるはずだぜ」

 

 オルカ含む全員が頷く。

 

 そして、オルカはパルカロに、シスカはマキーナに肩を借りた状態でラージゴーレムの上半身へゆっくり近づき、その巨大な断面を覗き込んだ。

 

 オルカはその中へ四つん這いになって入った。

 

 複雑怪奇に入り組んだ機械仕掛けの体内を掘り進み、しばらくすると目的の「炉」を見つける。

 

 直後、オルカは目を丸くした。

 

 「炉」にはまったアルネタイトは――とてつもなく大きかった。

 

 自分の胴体と同じくらい、あるいはそれ以上の大きさで真紅に輝いていた。

 

 手のひらサイズか、それより少し大きいサイズしか見たことがなかったオルカは、しばしの間その特大アルネタイトに呆気にとられていたが、

 

「オルくーん、大丈夫ー?」

 

 外側から聞こえてきたマキーナの間延びした呼びかけによって、我に返った。

 

 気を取り直し、オルカは作業を開始する。

 特大アルネタイトを、それをかっちりと覆う「炉」から力づくで剥離させ、懐へ抱きかかえる。元来非常に軽量な石であるアルネタイトは、このサイズでも大して重くはなかった。

 そして四つん這いのままゆっくりと後退していき、やがてお尻を先にして断面から抜け出した。

 

「うわっ、なんだそりゃ? スゲーでかいな」

 

 早速感嘆を見せたのはパルカロだった。

 

「ホントねぇ……これ売ったらかなりの額になるんじゃない?」

 

 続いて、シスカも顎に手を当てながら、特大アルネタイトへ身を乗り出してきた。

 

「クロップフェールさん、これくらい大きいと、大体いくらくらいになるんでしょうか……?」

「そうねぇ……多分――五万オプラくらいじゃないかしら……」

「ごっ…………五万オプラぁ!?」

 

 オルカは思わず叫びを上げた。

 

 『オプラ』とは、このオブデシアン王国で使用される通貨の単位だ。

 世間一般の金銭感覚で言うと、約二〇〇万オプラの貯金があれば一軒家を購入することができる。十万オプラ以上で中型石車が買え、そして四万オプラ以上の給料で高給取りと呼ばれる。

 つまり、このアルネタイトを換金すると、その高給取りと呼ばれる人種と同じ額の収入が一気に得られるということだ。

 

「こ……これ…………ボクが貰っていいんでしょうか……」

 

 極貧ではないが、決して裕福とは言えない家庭で育ったオルカにとって、にわかに信じがたい金額だった。そのため、思わず謙虚になってしまう。

 

 だがシスカは、何を言わんやとばかりにオルカを見つめ、

 

「あったりまえでしょ? あんたが倒したんだから」

「で……でも……」

「でもも何もないの。あんたは別にあたいたちのパーティに入ってるわけじゃないんだから、換金後のお金の分配はしなくていいし、換金額は全部あんたのものになるのよ? もっと喜びなさいよ。そこまで謙遜されると逆にバカにされてる気がしてくるわ」

「い、いや、そんな! バカにだなんて滅相もないです」

「はいはい分かってるから。とにかく、それはあんたのモノなの。いい?」

「は、はい……」

 

 オルカが小さく首肯する。

 

 皆、特大アルネタイトに目が行っていた。

 

「――うん? 何かしらあれ?」

 

 だがただ一人、マキーナだけは全く別のものに関心を示していた。

 

 その声に反応し、全員が彼女と同じ場所へ視線を送る。

 

 今五人がいる、長方形状に大きく広がった薄茶色の空間。そのずっと奥の壁に、小さな穴が穿たれていた。

 

 人が三、四人並んで通れる程度のその穴は、その奥にある空間の一端を覗かせている。

 

「……クロップフェールさん。あんな穴ありましたっけ?」 

「……分かんないわよ。あたい、ラージゴーレムにばっかり気を取られてたから」

「……実はボクもです」

 

 最初からあったものなのか。それとも途中から空いたものなのか。それは分からない。

 

 ただ一つはっきりしているのは、目の前にまだ進める道があるということ。

 

「――行ってみない、みんな?」

 

 マキーナの一言に、全員が無言で頷いた。


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