鋼鉄の迷宮(アンダーエリア)   作:魔人ボルボックス

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ラストストーリー⑤ 神との決闘

 転瞬、程よい光で大広間を照らしていた天井が、激しく輝いた――スターマンが、何か聞いたことの無い言葉を小さく呟いた次の瞬間にそれは起きた。

 

 まるで太陽の近くに立っているような凄まじい光量に、オルカは思わず目を両腕で覆った。

 

 両腕の隙間からスターマンを見る。瞳を閉じながら涼しい顔をして立っていた。

 

 強烈な白光を発する天井から、巨大な水滴のような白銀の雫が発生し、落下。スターマンの全身をその中に埋没させた。

 

 巨大な銀雫は徐々に圧縮していき、やがて中に埋まっているスターマンの人型をかたどるように形をなしていく。

 

 大まかな人型となった後、さらにそのあちこちに細かな意匠が形成されていく。

 

 顕現したのは、いうなれば――白銀の天使。

 全体的に凸凹に乏しく、ツルツルとした装甲。体格は少し良いといえる程度で、一見オルカの『ライジングソルジャー』より貧弱に見える。だが美しい銀色を纏うその総身からは、侵すべからざる神聖さと、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さを感じる。

 背後には、銀の羽衣のような薄い双翼。

 球状の頭部には顔が無い。あるのはユニコーンを思わせる短い一角と、両目を表した赤い楕円形の光のみ。

 

 天井の輝きが、普通の光量に戻った。

 

 スターマンは銀色の顔貌に浮かんだ赤い双眸を強く輝かせ、得意げに言葉を発した。

 

「これは先史文明の兵士が使っていた、空陸両用パワードスーツだよ。こんなナリだけど、数々の武器を搭載していて、防御力もかなりのものさ。君のその(オモチャ)とどちらが上か、勝負といこうじゃないか」

 

 オルカは静かに構えを取った。前に構えた拳の延長線上に、銀の天使を捉える。

 

「なるほど。二大武技の一つ、クランクルス無手術か。創始者のガイゼル・クランクルスは武術だけでなく、考古学的知識を始めとする様々な学問に通じた知勇兼備の猛者だった。先史文明の一国「チャイナ」の武術書の一部を解き明かし、その知識をベースにして作り上げたのがクランクルス無手術。ゴーレムを殺す破壊力、音速で迫る攻撃を躱すことに特価した究極の拳法だ。だが、それが今の僕にどこまで通用するかな?」

 

 悠々と語るスターマンに、オルカは密かに唾を飲んだ。

 

 ――ゴーレムが相手ではない、初めての対人戦。

 

 道場では一応対人訓練も行ったが、それはオマケみたいなものだった。

 

 そもそもクランクルス無手術は、人間を相手にする事をあまり重要視していなかった。

 

 あくまでゴーレムを破壊するための拳法だ。ゆえにオルカ程度の練度でも、一発当てれば生身の人間は簡単に死ぬ。対人の練習にあまり意味はないのだ。

 

 端的にいえば、自分は対人戦に慣れていない。

 

 しかし、今更引き返せない。ここでこの男を倒さなければ、マキーナは戻らない上、多くの不幸が世界にばらまかれることになる。

 

 それに、慣れてはいないが、全くの無知ではない。

 

 この『ライジングソルジャー』のポテンシャルも加味すれば、勝つことは決して不可能ではないはずだ。

 

 構えた両拳を強く握る。

 

 そしてそれを合図にしたかのように――スターマンの姿が視界を覆い尽くした。

 

「ガッ――!?」

 

 爆発的な推進力に乗せて打ち込まれた殴打。

 

 シールドのおかげで痛くはない、しかしそれでいて確かな衝撃を受けたオルカは、勢いよく後方へ転がされた。

 

 すぐに体勢を整え、しゃがんだ状態で停止。

 

 が、うなじがざわつくとともに、真後ろに強烈な存在感を感じ取った。

 

 直感のまま前方へと飛び込んでから半秒とかからぬ間に、オルカがしゃがんでいた位置から重々しい衝撃音が響く。見ると、銀の天使がその鉄拳を振り下ろしていた。

 

 ――速い!

 

 そう感じた時には、すでにスターマンははるか上空へ移動していた。

 

 オルカは背に腹は代えられぬ思いで『瘋眼(ディファレント・ゾーン)』を発動させた――息苦しさが生まれると同時に、世界に流れる時間が遅くなる。

 

 渾身の脚力でなるべく遠くに走った途端、先ほどいた場所にボッ!! と巨大な煙火が膨らんだ。

 

 爆心からもうもうと立ち込める黒煙を突き破り、スターマンが飛行して急接近。

 

「――えっ!?」

 

 それを見て、オルカは唖然とした。

 

 スターマンの速度が――遅くなっていない!

 

 『瘋眼』は未だに発動中だ。ゆえに立ち込める黒煙の動きもスローに見える。

 

 にもかかわらず、スターマンの動きは全く変わっていなかった。

 

 そうして惚けていたため、反応が遅れ、敵の掌打を間合いの中に迎え入れてしまった。

 

 銀色の掌が衝突すると同時に、その接触箇所から小規模の爆発。

 

「ぐぁっ――!」

 

 弾かれたように吹っ飛ばされる。

 

 変な転がり方をしたが、必死に体に鞭を打ち、体勢を立て直して立ち上がる。

 

 緩慢に流れる時空の中で、スターマンだけは普通な速さで動いていた。

 

 オルカは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、

 

「――どうして」

「もしかして、クランクルス無手術の『瘋眼』を破られたことかい? 簡単だよ。僕も――君と同じような能力を使っているからさ」

「能力……?」

「そうさ。このパワードスーツにはね、体感速度を遅くすることで、相対的に最速になる機能が備わっているんだ。まぁ、体感速度が遅くなっているのは君もだから、現時点では最速ではない。だがそれは君にも同じことが言えるはずだ。さぁ、これでクランクルス無手術の虎の子は破られた。というわけで――ゆっくりといたぶり殺してあげるよっ!!」

 

 白銀の天使は大きく離れた彼我の距離を数歩で押しつぶし、真下からすくい上げるように拳を打ち込んできた。

 

 拳打が炸裂するとともに爆発が起きる。オルカの五体を軽々と上空に吹っ飛ばす。

 

 さらに、スターマンが虚空を舞うこちらへ掌をかざす。

 

 次の瞬間、オルカの周囲を囲い込むように、無数の光の矢が顕現。

 

 マズイ――本能でそう感じたオルカは、プレートアーマーの左胸にあるダイヤルを一気に限界まで回した。

 

 突然、全身に凄まじい推進力が付与され、体が折れそうになる。

 

 背中のスラスターがフルパワーで噴流を発する。オルカは必死にそれを左親指で操作し、浮遊した光の矢の隙間を縫うようにして脱出。

 

 程なくして、無数の矢は中心部へ向かって光速で集まり、体の何倍も大きな爆発を引き起こした。

 

 オルカはダイヤルを再び限界まで捻り、スラスターの出力をゼロにする。しかしさっきまでの凄まじい勢いはそのままに、床へ落下。

 

 激しい衝撃とともにみっともなく転がった。シールド装置がなかったら、全身粉砕骨折は確実だっただろう。

 

 受身を取るように転がり方を整え、そして立ち上がる。

 

 だが、その時はすでに――スターマンの双翼が勢いよくこちらへ伸びて来ていた。

 

「――死ね」

 

 鋭い刀身のような双翼は、左右から伸び、そしてその両方向からこちら一点を串刺しにするように向かってきていた。

 

 なるほど、スピードは向こうの方が上か。

 

 なら――こっちもスピードを上げるまでだ。

 

 オルカは祝詞のように口ずさんだ。

 

「――『第一段階解除(ブロウクン:ファースト)』」

 

 その声に呼応し――(ヘルム)の額部分にある三つのランプの一つが点灯。

 

 オルカは地を蹴り、走り出した。

 

 双翼の刺突を躱し、あっという間にスターマンと肉薄――そのスピードは、さっきまでの自分より数倍速かった。

 

 そして、

 

「『衝拳(マキシマムストライク)四倍(ライジング:フォー)』ッ!!」

 

 莫大な質量を持った黄金の拳が、銀色の胴体へと一直線に叩き込まれた。

 

「ぐああああっ!!」

 

 スターマンの五体がとんでもない速度で弾き飛ばされ、壁面に背中から激突。

 

 勢いの強さが持続してしばらく磔になった後、ゆっくりと壁から剥がれ、着地。

 

 膝をついた姿勢から、真紅の眼光をこちらへ射るように向けてきた。

 

「……なんだい、今のは? 急に随分速くなったじゃないか」

 

 そう問うてきたスターマンに、オルカは答えない。答える義理はない。

 

 それに別段大したことはしていない。ただ――リミッターを一つ解除しただけだ。

 

 この『ライジングソルジャー』には、人工筋繊維が内蔵されている。

 

 素材は、高い耐久性と耐食性、そして優れた弾力性を併せ持つ高分子ファイバー。一本でも大人十人がぶら下がれるほどの強力な素材だ。

 

 先ほどの『第一段階解除(ブロウクン:ファースト)』とは、その人工筋繊維の起動ボイスコマンドにして、リミッター解除コマンド。かけられたリミッターは全部で三段階。起動とともにその一段階目を解除したのだ。

 

 そして、それを果たした今のオルカの身体能力は、人工筋繊維のアシストを受けて数倍以上に向上していた。スピードはもちろんのこと、パワーも格段に上昇した。

 

 激しく吹っ飛びはしたものの、白銀の天使の外郭には傷一つない。

 

 しかし、まだまだこれからだ。自分はまだすべてを見せてはいない。

 

 オルカは後ろ足で鋼鉄の床を蹴飛ばし、爆走。強化された瞬発力は、スターマンとの距離をほぼ一瞬で肉薄させた。

 

 クランクルス無手術第十三招。

 

「『纏穿脚(ツイストスティング)二倍(ライジング:ツー)』!!」

 

 全身の力を螺旋回転で蹴り足に伝え、その足の親指一点に集中し放つ、ライフルのごとき一蹴。

 

 ガッ!! と火花が散る。

 

 スターマンは手甲で、爪先蹴りを滑らせるように受け流そうとしていた。

 

 しかし、クリーンヒットこそ避けられたものの、銀の総身は螺旋を描く蹴りの力によってバチンッ! と真横へ弾き飛ばされた。

 

「なっ……!?」

 

 スターマンの動揺の声が、銀の装甲の下から漏れ出た。

 

 リミッターを一つ解除した今のオルカには、衝撃倍加機能を使わずとも「四倍(ライジング:フォー)」ほどのパワーが出せる。それをさらに二倍するのだから、その威力は「八倍(ライジング:エイト)」ほどにもなる。

 

 そして、吹っ飛ばされて死に体となった白銀の天使を見逃すほど、オルカは優しくはなかった。――重心を崩した敵は積極的に狙え。カシューから昔教わった対人のいろはだった。

 

 ほぼ一瞬で、スターマンと肉薄。

 

 床を割らんばかりの勢いで片足を激しく踏み下ろし、その力と同じだけの反作用力を足底から得る。そしてそれを全身の力とともに上向きに放つ。

 

「『通天砲(デッドリーエルプション)六倍(ライジング:シックス)』!!」

 

 渾身のアッパーカットが、銀の胸板へ重々しく突き刺さった。

 

「ごはっ……!!」

 

 呻くや、重力など無いような勢いで真上に飛ぶスターマン。発光する天井に激しく激突し、再び床へ落下。うつ伏せに倒れる。

 

 普通の人間なら即死ものだろうが、奴もかなり頑丈な鎧を着ている。油断はできない。オルカは警戒心を保つ。

 

 予想通り、白銀の天使はむくりと立ち上がると、

 

「家畜風情が……!」

 

 赤い瞳を殺意で強く光らせた。

 

 拳の当たった胸板には、やはり凹み一つない。かなりの頑丈さだ。アレを叩き割るには、もっと根気がいりそうである。

 

 スターマンは突然天を仰ぎ見るように、額に伸びた一角を振り上げた。

 

 角の先から――長い光の鞭が伸びた。

 

 危機感を感じたオルカは、即座にサイドステップ。

 

「ハアッ!!」

 

 スターマンは勢いよく一礼し、光の鞭を降り出した。

 

 フォンッ、という羽虫じみた音を立て、光鞭は先ほどまでオルカの立っていた位置をしたたかに打ち据えた。

 

 避けられた、と一時安堵したのも束の間、その鞭が叩いた場所から猛烈な爆炎が巻き起こった。

 

 当然、それほど遠くへ避けていなかったオルカは、その大爆発にすっぽり巻き込まれた。どす黒い煙をまといながら飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 

 痛くはないし、怪我もない。しかしバカバカしい衝撃を二連続で感じ、頭がくらくらする。

 

 だが、休んでいる暇はなかった。光の鞭を伸ばしたスターマンが、こちらへ向かって一直線にダッシュしてきていた。

 

 射程圏内に入った途端、白銀の天使はこうべを振り乱し、爆発を呼ぶ光鞭を一閃させてきた。

 

「くっ!?」

 

 オルカはありったけの脚力で飛び退き、その場を離脱した。程なくして後ろで巻き起こる炎の華、轟音。

 

 それからスターマンは何度も鞭を乱れ打ちしてきた。

 

 次々と舞い込んで来る光の曲線を、オルカは決死の思いで躱していく。

 

 飛び交う蛍を連想させる無数の光芒。風切り音にも似た鋭い音。そして爆発音。

 

 オルカは先ほどの優勢から一転、再びされるがままとなっていた。

 

 幸運なのは、自分の肉体の動きと人工筋繊維の収縮に、時間差がなかったことだった。

 

 人工筋繊維は、脳もしくは脊髄から装備者の筋肉に流れる「生体電流」に反応し、収縮を行う。ゆえに装備者の筋肉が作動すれば、人工筋肉もそれと同じように、そして全く同じタイミングで作動する。両者の間には収縮のタイムラグが存在しない。まるで皮膚の上に新しい筋肉が生まれたかのようである。

 

 しかし、もちろんタダでもらえる恩恵ではない。『第一段階解除(ブロウクン:ファースト)』を行った時点で、この鎧のエネルギーは少しずつ減り続けているのだ。

 

 オルカは左腕のエネルギーバーを見る。シールド装置はまだまだ余裕があるが、『ライジングソルジャー』のエネルギーは半分までもうすぐといった残量だった。

 

 そうして見ている一瞬が隙となったのだろう。

 

 光鞭が、オルカの盆の窪へと叩き込まれた。

 

 刹那、首筋から業火が膨らんだ。

 

「うわぁっ!!」

 

 首がもげるような衝撃と爆風がオルカを大きく跳ね飛ばす。

 

 床に顔面から叩きつけられる。

 

 うつ伏せの状態から立ち上がろうとした時、背中から圧力。床に再び顔を押し付けられた。

 

 スターマンが、こちらを踏みつけにしていたのだ。

 

「これが僕とお前の本来あるべき関係だ。踏みつけ、踏みつけられる、一方通行の関係。『ピープル』ごとき下等生物が、この関係を覆そうなどおこがましい。身の程をわきまえろ」

 

 自分の恋心を「非生産的」と断じた時と同じ、どこまでも冷え切った口調。

 

 足を上げ、再び強く踏みつけてくる。

 

「マキーナは僕のモノだ。女王と下賤の者が連れ合うのは、物語の中だけの話。お前の出る幕はどこにもないんだよオルカ・ホロンコーン。このままシールドを剥いで圧死させてやる。お前が目の前でグチャグチャになって死ねば、マキーナも諦めがつくだろうさ」

 

 バチバチバチバチッ……!! 

 

 背中にかかる強烈な荷重をシールド装置が受け止め、悲鳴を上げている。

 

 起き上がろうにも、背中に伝わる圧力が凄まじく、力負けして抜け出せない。鎧の恩恵ゆえか、スターマンの力もかなりのものだった。普通の人間ならとっくの昔にぺちゃんこになっている。

 

 こうしている間にも、『ライジングソルジャー』のエネルギーは減り続けている。

 

 『瘋眼』の副作用で、息も苦しい。

 

 早急に決着を付けなければ。

 

「黙れ……それを決めるのは――ボク達だ! あなたじゃない!」

 

 オルカはそう言い捨てた後、再び息を吸い、吐き出した。

 

「――『第二段階解除(ブロウクン:セカンド)』っ!!」

 

 額にある三つのランプの、二つ目が輝いた。

 

 刹那、体が軽くなった。

 

 二つ目のリミッターを取り外した事によって、筋力がさらに向上。それによってスターマンの足をゆっくりと持ち上げながら、体を起こしていた。

 

 そして、床から腹がある程度離れた時、オルカは真後ろへ裏拳を振り出した。

 

「うっ……?」

 

 直撃したスターマンは大きく飛びはしなかったものの、少しよろけた様子で下がった。

 

 重圧から開放されたオルカは迅速に立ち上がり、横歩きで一気に白銀の天使へ詰め寄った。

 

 踏みとどまると同時に足指で床を掴み、肩口から勢いよく体当たりを叩き込む――クランクルス無手術第十招『硬貼(ムーブマウンテン)』。足指で地を掴むことによって大地と一体化し、その「居着く力」を攻撃力として利用する技だ。

 

 スターマンの美しい銀の総身が、みっともない吹っ飛び方をする。人工筋繊維のおかげで足指の力も向上し、より「居着く力」が増し、衝撃力が上がったようだ。

 

 しかし白銀の天使は空中で体勢を立て直すや、その羽衣のような双翼をはためかせて浮遊。そしてそのまま壁際から中央部へ移動する。

 

「消え去れ!!」

 

 スターマンの赤い双眸が、より強烈な赤光を放った。

 

 次の瞬間、白銀の天使の眼前に広がる全ての空間を、無数の巨大な爆発が津波のごとく飲み込んだ。

 

 避けようのない広範囲爆撃。広大な大広間が一瞬で火の海と化した。

 

 ――しかし、オルカはその爆発の中にはいなかった。

 

 なぜなら、壁面を駆け抜け、すでにスターマンの後方に移動していたからだ。

 

 オルカは壁を強く蹴飛ばし、スターマンめがけて一直線に飛び込んだ。

 

 それに気づいた白銀の天使が、焦ったようにバッ、と後ろを向く――今更遅い!

 

「ハアッ!!」

 

 オルカは握り締めた拳を、銀の面へと思い切り叩き込んだ。

 

 洗練さの欠片も無い、ただの殴打。しかしリミッターを二つ解除したオルカのパンチは、それだけで「六倍(ライジング:シックス)」と同等の威力を発揮した。

 

 スターマンは叩かれたハエのように、フラフラと高度を下げる。

 

 だが、まだまだ終わらない。オルカは左胸のダイヤルを限界まで絞った。スラスターが噴流を爆発のように発し、全身に強い推進力をもたらす。

 

 黄金の軌跡を描きながら、落下中の白銀の天使めがけて空中で急接近。

 

 スターマンの両腕を掴み、胸部に自分の片膝を当てる。

 

 そしてそのまま、一直線に降下した。

 

「落ち――――ろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 

 金銀の流星と化す二人。

 

 スターマンをクッション代わりにし、オルカは勢いよく着陸。

 

 ドンッ!! という衝撃が、大広間全体を激震させる。

 

「ぐあっ!?」

 

 スラスターの推進力のまま床に叩きつけられたスターマンは、苦悶の声を上げる。

 

 左胸のダイヤルを素早く捻り戻し、スラスターをオフにする。そして、仰向けになった白銀の天使の胴体へ掌を添えた。

 

「『冷擊掌(サイレントクラッシュ)』!!」

 

 掌の中でボズンッ!! とインパクトが爆発。スターマンの体が、電気ショックを受けたようにビクンと痙攣する。

 

 『冷擊掌(サイレントクラッシュ)』『冷擊掌(サイレントクラッシュ)』『冷擊掌(サイレントクラッシュ)』――――

 

 何度も何度も、ゼロ距離からしつこく衝撃を打ち込んだ。衝撃の倍加はしていないが、それでも威力は人工筋繊維のアシストによって、通常の六倍ほどに強化されていた。

 

「このっ――調子に乗るな人形がぁ!!」

 

 スターマンは赤い双眸から光線を照射した。

 

 至近距離からもたらされた爆発によって、オルカの体が黒煙を纏って凄い勢いで転がる。

 

 しかし、転がる勢いを利用し、流れるように立ち上がる。

 

 白銀の天使は再び宙高く浮遊していた。見ると、その頭上には――巨大な光の球体が浮いている。

 

「バラバラに砕け散れっ!!」

 

 スターマンの一喝とともに、その光球が空中分解。

 

 無数の小さな光弾となり、流れ星よろしく迫って来た。

 

 オルカは降り注ぐ光弾から逃げ回る。

 

 『瘋眼』は未だ持続中なので、光弾はとてもゆっくりに見える。しかしその量の多さゆえ、全ては避けきれず、何度か直撃を許してしまう。

 

 最後の光弾を回避した途端――白銀の天使が一気に視界全てを覆った。

 

 瞬間移動に等しい肉薄。

 

「死ねっ!」

 

 銀色の拳を握り締め、それを振り出してきた。

 

 ――しかしスターマンの拳は、オルカから見たらひどく粗雑に映った。

 

 オーバーアクションが多過ぎる。「これから殴ります」というのが凄まじくバレバレだ。

 

 そして容易に想像がついた。彼には武術の心得が無いということが。

 

 対人が初めてだとしても、オルカは武術家の端くれだ。この至近距離(ショートレンジ)で素人に遅れを取るほど甘くない。

 

 結果的にスターマンの攻勢は――そのまま隙に早変わりした。

 

 オルカはスターマンの大振りな拳を最小限の動きで回避。そのまま懐に侵入。

 

「『通天砲(デッドリーエルプション)六倍(ライジング:シックス)』!!」 

 

 恐ろしい威力のアッパーカットが、顎先に叩き込まれた。

 

「ふぐぉっ!?」

 

 間抜けな呻きを上げて真上へすっ飛び、天井へぶつかるスターマン。ひるんでいるのか、そのまま重力に身をゆだねて自由落下し始める。

 

 しかし、その時にはすでに――オルカが白銀の天使の真上まで跳躍していた。

 

 全身を急旋回。遠心力を直線運動に変える形で、全身の力を込めた爪先を一閃させた。

 

「『墜穿脚(コメットスピア)六倍(ライジング:シックス)』!!」

 

 ズドンッ!! という落雷にも似た音が轟いた。

 

 スターマンは渾身の爪先蹴りを背中に受けた瞬間、まるで瞬間移動と見紛う速度で床に叩きつけられた。ワンバウンド。

 

「ぐああああっ!!!」

 

 銀の面から、はっきりとした叫喚が轟く。

 

 オルカは手を休めない。着地するや、スターマンの足を掴む。

 

 そして遠心力をつけ、投げ飛ばした。

 

 強化された膂力は、スターマンの体を軽々と遠くへ運ぶ。

 

 壁にぶつかる寸前で、白銀の天使は体勢を立て直した。

 

 両者の間に大きな間隔が生まれる。

 

 戦闘開始直後とは違い、スターマンの鎧には凹みやくすみが目立っていた。一撃一撃が通じているのが分かる。しかし、まだ満身創痍には程遠い。

 

 左腕にある『ライジングソルジャー』のエネルギーバーを一瞥する。すでに半分を下回った上で、少しずつ減少を続けていた。

 

 おそらく、もう長くは持たない。

 

 ならば、エネルギーをケチるより――全力を出して使い切ってしまおう。

 

 オルカはそう決意するや、最後のリミッターを外した。

 

 

 

「――――『第三段階解除(ブロウクン:ファイナル)』」

 

 

 

 オルカは光となった。

 

 足元を爆裂させたと思った時には、すでに遠く離れたスターマンに急迫していた。

 

 情けや容赦など一切かなぐり捨て、オルカは戦闘機械と化した。

 

「『衝拳(マキシマムストライク)十倍(ライジング:テン)』ッ!!」

 

 筆舌に尽くしがたいほどの熾烈な一撃が、スターマンの胸部に突き刺さった。

 

 人工筋繊維のリミッターを全て外したオルカのパワーは、一発一発が「十倍(ライジング:テン)」に等しい破壊力を持つ。

 

 通常の十倍となった力を、さらに十倍にするのだ。

 

 その威力――推して知るべし。

 

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」

 

 恐慌しきった声を上げながら、スターマンは壁面に激突。さらにそこからピンボールのように跳ね返り、オルカの遠く真後ろまで吹っ飛んだ。

 

 跳弾もかくやというとんでもない速度で遠ざかる白銀の天使に――オルカは走りで楽々と追いついた。

 

 片手の指を、虎の爪のように突き立てる。

 

「『剛爪手(アイアンネイル)十倍(ライジング:テン)』!!」

 

 五指が黄金の軌跡を描き、銀の装甲へと食らいついた。

 

 バキィン!! 先ほどの一撃で大きく凹んだ銅装甲へ、さらに浅くない爪痕を刻み付ける。

 

 後方へたたらを踏むスターマンへ、再び接近。

 

「『纏穿脚(ツイストスティング)十倍(ライジング:テン)』!!」

 

 大砲のごとき爪先蹴りが、鋭く旋回しながら胸部の爪痕へと抉りこまれる。凄まじい貫通力を発揮し、その爪痕をさらに深く掘り進んだ。

 

 余剰した衝撃のまま、スターマンは背中から壁に衝突。

 

 まだ終わらない。

 

 オルカは後ろ足を瞬発、急接近。

 

 両拳を脇に構え、先ほどの蹴りで掘った深い傷へ意識を一点集中。

 

「『連珠扎槍(ポイントブレイク)』!!」

 

 熾烈極まる無数の金拳が、狙いをつけた一点めがけて滝のように打ち込まれた。

 

 銀色の肉体めがけて、休みなく殺戮のスコールが降り注ぐ。その一粒一粒に、ラージゴーレムを叩き壊してお釣りが来るほどの威力がこもっていた。

 

 技そのものの破壊力も驚異だが、スターマンは壁に背中を貼り付けている。そのせいで衝撃を後ろへ逃せず、一発一発の威力がダイレクトに銀の鎧へと伝わっていた。

 

 爆撃のような拳打を何度も何度も何度も何度も何度も受けたことで、傷跡が徐々に深く、大きくなっていく。

 

 かなりの深さまで傷を掘り進めたオルカは、連打を取りやめ、大きく後退。

 

 ボロボロの有り様で壁に寄りかかるスターマンへ狙いをつける。拳を脇に構え、両足でしっかりと立つ。

 

 足底から全身を螺旋回転させながら、構えた拳を突き出していく。

 

「『旋鑽拳(スパイラルビート)十倍(ライジング:テン)』――――」

 

 伸びきった拳が腕から外れ、さらにその先へ飛んでいくイメージを強く浮かべる。

 

 そして――砲撃(・・)した。

 

 

 

 

 

「――――シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥトォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 

 

 

 

 

 転瞬、空気が震えた。

 

 巨大な螺旋状の衝撃波が、部屋の広い横幅を埋め尽くした。

 

 家屋を数十件は崩壊させられるであろう暴力の竜巻は、大広間の空気を引っ掻き回しながら、白銀の天使めがけて突っ込んでいく。

 

 飲み込んだ。

 

「ぐっ――――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 スターマンは磔にされたように壁面にくっつきながら、苦痛の叫びを轟かせる。

 

 胸部の深い傷から根を広げるように、銀色の五体のあちこちに亀裂が走る。

 

 その亀裂は、最初は細いものだったが、少しずつ、少しずつ、はっきり目に見えるものとなっていく。

 

 やがて、衝撃波が収まると同時に――崩れ落ちた。

 

 銀の鎧は無数の破片と化し、メッキのようにスターマンの全身から剥がれ落ちる。

 

 元の姿に戻ったスターマンは、壁に寄りかかったままズルズルと座り込み、こうべを垂れる。その左胸についた紫色のバッジが、天井の光を反射してキラリと輝く。

 

 オルカは、そんな彼をジッと見つめていた。

 

 最初は現実感がなかったが、彼の足元でキラキラと輝く無数の銀片を見て、とうとう確信した。

 

 

 

 ――――勝った。

 

 

 

 勝ったのだ。

 自分は、神を自称するこの最悪のテロリストを打ち負かしたのだ。

 世界を、この男の邪心から救うことができたのだ。

 そして、マキーナを取り戻すことができたのだ。

 

 達成感と喜びが、心の中を埋め尽くす。

 

 しかし、それに浸るのはまだ早い。その前に、マキーナを返した上で降伏するよう、スターマンに言うことをきかせる必要がある。

 

 オルカはゆっくりと歩み寄った。

 

 そして、スターマンを見下ろしながら、

 

「もうあなたの負けです。だから――」

「ああそうだ。僕の完敗だよ。だから――殺すがいい」

 

 ビクッ、と、全身が硬直してしまう。

 

 ころ……す…………?

 

 スターマンはむくりと顔を上げる。

 

 何かを見透かしたような笑みを浮かべていた。

 

「君なら簡単だろう? 何でもいい、クランクルス無手術の技で生身の僕を打てば、あっという間に物言わぬ死体が一つ出来上がりだ。鼻歌歌いながらでもできるはずだよ?」

 

 スターマンのその言葉に、オルカは戸惑いを露わにした。

 

 自分は今まで、冒険者として多くのゴーレムをこの手で屠ってきた。

 

 だが、今目の前にいる相手は人間だ。ゴーレムじゃない。

 

 スターマンが自分と同じ生物ではないということは、さっき聞いた。

 

 しかし、生きているというのは自分と全く同じ。

 

 ましてや、見た目は両者とも全く差異が無いのだ。

 

 そんな相手を、自分はモノを壊すようなお手軽さで、簡単に殺せるのだろうか?

 

 それを考えた瞬間――重心がかかとに乗ってしまった。

 

「ほら、何をしてる? 早く殺しなよ。僕を生かしておいたら、これから先世界に不幸の種をバラ撒き続けるよ? なら、今この場で挽肉にしておくのが合理的というものじゃないかな。ああ、念のため言っておくけど、恫喝という手は通じないよ? 殺さないと分かっている者の脅しなんて、もはや脅しのうちに入らないからね」

 

 それを聞いて、オルカはますます恐れのような感情を強めた。

 

 手が勝手に震える。

 

 脂汗が額に浮かぶ。

 

 確かに、この男を野放しにしておいたら全てが終わりだ。世界中の人々は、この男のエゴのためだけに生きることとなるだろう。

 

 殺して、不安の芽を摘んでおく――それが合理的な手法かもしれない。

 

 しかし、どうしても、自分が長年連れ添ってきた倫理観が邪魔をしてしまう。

 

 どうするべきか決めあぐねている時、スターマンが小さく笑声をもらした。

 

「ククククッ…………やはりね。最初から分かっていたよ。君は所詮どんなに冷酷にあろうとしても、心の奥底では倫理観を後生大事にするタイプの人間だ。ああ間違えた、『ピープル』だ。まあどっちにしろ、ご立派ご立派」

 

 わざとらしい拍手をしてくる。

 

「……けどね、それじゃあ僕には勝てない。人も殺せないような腰抜けが勝てるほど、僕は甘くない。つまり僕らの戦いは、始まる前からすでに決着がついていたということさ」

 

 そこまで言うと、

 

「――――――」

 

 スターマンはうわごとのように、何かを口ずさんだ。

 

 銀の鎧を装着する直前に発した呟きと同じで、聞いたことのない言語だ。明らかに、オブデシアン王国の標準語ではない。

 

 何を言っているのかと首を傾げた時だった。

 

 天井が――激しく輝いた。

 

「うっ……!?」

 

 あまりの光量に、オルカは腕で目元を覆って後じさる。

 

 最初と同じような発光。

 

 そして次の瞬間、スターマンの頭上から、巨大な白銀の雫が落下してきた。

 

 その雫は落下とともにスターマンをどっぷりと飲み込む。

 

 そして、その雫型が――人型へと変貌していく。

 

「…………そんな」

 

 先ほどの勝利の喜びとはうってかわって、絶望的な気分となる。

 

 目の前には、先ほど倒したはずの白銀の天使が立っているのだ。

 

 ――再生、した……!?

 

 自分が死力を尽くして与えた傷は綺麗さっぱりなくなっており、美しい銀の輝きを総身から放っていた。

 

 おまけに、右手の形状だけがさっきと変わっている。竜の爪を思わせるデザインがなされた、禍々しく攻撃的な形状。

 

 赤光を放つ瞳が開き、こちらを真っ直ぐ見つめた。

 

「ハハハッ、本当に損な性格をしているよ君は。立ち往生などせずにさっさと僕をバラバラにしていれば、再生の暇を与えずに済んだものを。君は世界を救うための最大の好機を、自らの手でドブに投げ捨てたんだ」

 

 白銀の天使が、嘲るように言う。

 

 その神々しい輝きを当てられているオルカは、真っ黒い絶望で心の中を染めた。

 

 しかし、すぐに気を引き締めた。

 

 『ライジングソルジャー』のエネルギーはもうすぐ空っ穴になろうとしている。しかし、まだ残量があることには変わらない。

 

 最後まで、あがいてやる。

 

 スターマンが龍爪のような右腕を開閉しながら言った。

 

「これは超振動兵装だよ。手に高周波を纏わせることで、触れた物体の分子振動速度を急速に速め、どんなものでも崩壊させる。もういい加減終わらせたいのでね、再生と同時に付け足させてもらったよ」

 

 言うや、白銀の天使は風のように向かって来た。

 

 オルカはちょうど良いタイミングで反応。そして、対処するべく足を動かそうとした。

 

 だがその時、強烈な立ちくらみが襲ってきた。

 

 それによって、足元が否応なくガクンと崩れ落ちる。

 

 ――『瘋眼』長時間使用の反動が、今頃になって表れたのだ。

 

 そんなアクシデントのせいで、スターマンを自身の胸の中に招き入れてしまう。

 

 ……完全に対応が遅れた。今からでは絶対に間に合わない。

 

 強烈な死の予感が、脊髄をヒヤリと走る。

 

 そして、オルカの腹部に――銀の龍爪が食らいついた。

 

 もちろん、オルカ本体に届く前にシールドが守ってくれる。現に今も、障壁が火花を散らしながら、鎧から薄皮一枚の間隔で龍爪をせき止めてくれている。

 

「なっ!?」

 

 しかし、左腕にあるシールドエネルギー残量を見て、戦慄した。

 

 まだ半分少々もあったエネルギー残量が――ものすごい速度で減少していたのだ。

 

 エネルギーは吸い取られるような勢いでなくなっていき、やがてゼロとなった。

 

 シールドを破って懐に入り込んだ龍爪は、未だに勢いを止めない。そのままプレートアーマーの表面に突き刺さった。

 

 次の瞬間、オルカの身を包む『ライジングソルジャー』全体に深い亀裂が走る。

 

 かと思うと、その装甲は、まるで木皮のようにボロボロと全身から剥離していった。

 

 オルカの体を守っていた強固な鎧は全て剥ぎ取られ、完全な丸裸となった。

 

 そして、それからすぐに――左腕の感覚が"消えた"。

 

「…………え」

 

 オルカは、場違いな呆けた声をもらす。

 

 ゆっくりと左腕に視線を向ける。

 

 二の腕から先が無くなっていた。

 

 途切れた腕の末端には、スターマンの龍爪。そして、その腕の残りの部分は、真っ赤な液体を撒き散らして床に転がっていた。

 

 それを見て、ようやく――自分の左腕が斬り落とされた事実に気がつく。

 

 思い出したように、燃えるような激痛が襲ってきた。

 

「がああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 今まで経験した中で輪をかけた痛みと、自身の体の一部が欠損したという強い恐怖で、オルカは絶叫した。

 

 腕の断面から、渾々と血が流れ落ちる。

 

 あまりの恐怖で、正気の糸が切れそうになる。

 

 さらにスターマンに腹を蹴飛ばされ、オルカは無様に床を転がった。長さ十数メートルにもおよぶ血のラインを引いた後、うつぶせの状態で止まる。

 

 起き上がろうにも、激しい痛みのせいでうまく体に力が入らない。さらに『瘋眼』が勝手に解除されたことで強い倦怠感が襲ってきて、床に一層縛り付けられる。

 

「う……あ……」

 

 オルカはかすれた声をもらす。

 

 スターマンは左腕の片割れをぐちゃっと踏みつけると、無慈悲に告げてきた。

 

「――君の負けだ」

 

 オルカは白銀の天使に手を伸ばしながら、

 

「ふざ、けるな…………まだ……」

「自分を客観的に見ることを覚えたまえ。シールド装置もなければエフェクターもない、おまけに片腕が無くなっている今の君に、この僕が倒せるとでも?」

 

 スターマンの言葉に、歯噛みした。

 

 先ほどの優勢が一転、窮地に立たされていた。

 

「い…………いやああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 マキーナが床にぶちまけられた血を見て、胸が引き裂かれるような悲鳴を上げた。

 

 痛みにばかり気が向いているせいか、その声すらひどく他人事のように感じる。

 

 だがそれ以上に、あるはずだった左腕の感覚が綺麗に無くなったということへのおぞましさが先行していた。

 

 歯の根が合わない。

 唇が震える。

 涙が否応無しに出てくる。

 体温が下がっていき、悪寒のようなものが全身を覆う。

 

「ククッ……ハハハハハ!! みっともない顔だなぁ! 最初の「絶対させない」宣言した時の面構えはどこにいったんだい!? 今の君はただのガキにしか見えないよ!」

 

 スターマンから嘲笑を浴びせられる。

 

「どうやら僕は、君のことを買いかぶり過ぎていたようだ。所詮は人形。創造主である僕にとっては少し大きな羽虫程度に過ぎなかったというわけだな」

 

 オルカは右拳をギリッと握り締めた。

 

 「まだやれる」と言い返したい。だが、それを言えるだけの力も気力も、今の自分にはなかった。

 

「さて、このまま君の解体ショーにとりかかってもいいんだが……僕は寛大だからね、冥土の土産に面白い見世物を二つご覧にいれよう」

 

 スターマンの区切りを合図にしたように、突然――両側の壁を巨大な四角形が覆い隠した。

 

 その四角形はこの騒動の始まりの時、空一面を覆い尽くしたホロディスプレイと同じものだった。

 

 映っているのは、街の中だった。

 

 所狭しと立ち並ぶ建物の多くは、半壊もしくは全壊していた。それらの間を縫うように伸びる街路のあちこちには、爆弾が落ちたような跡がいくつもある。

 

 あちこちがめちゃくちゃに壊れていて、一瞬気がつくのが遅れた。だがその街は間違いなく――迷宮都市アンディーラだった。

 

 そして、その荒れ果てた街中を闊歩する、無数の大きな影――ゴーレム。

 

 それから必死の形相で逃げ惑う人々。

 

 ――街が、ゴーレムの群れに襲われている……!?

 

 オルカは驚愕で目を見張った。

 

「どうだい? 迷宮都市と呼ばれた立派な街も、すでにこの有り様だ。君にはこの短い期間で親しんできた人々がバラバラに吹っ飛ぶ様子を、じっくり見て絶望してもらう。それが一つ目の見世物」

 

 そして、と前置してから、スターマンは続ける。

 

「その副菜を存分に堪能したら、次はメインディッシュをご馳走しよう。マキーナを――お前の目の前で味わってやる」

「――!」

「マキーナにはいずれ僕の子を多く産んでもらう予定だ。腹が使い物にならなくなるまでね。この映像を見て絶望できたら、最初の一人目を作る"作業"を特別にお前に見せてやるよ。シールド装置を引っペがし、エフェクターを破壊してから、ゆっくりとあの美しい体を開いて堪能してやる!!」

 

 マキーナは喉を笛のように一瞬鳴らし、青ざめた。

 

「見知った『ピープル』がゴーレムに虐殺される絶望! そして、想いを寄せる女が目の前で奪われる絶望! この二つの絶望を君の心に刻み込んでから、ゆっくりと殺してやるよ!!」

 

 スターマンは聞く者の心を凍えさせる、狂気的な哄笑を上げた。

 

 あの銀のマスクの下にある表情を、オルカは創造したくなかった。

 

 ――もう、終わりだ。

 

 だってそうだろう? もう自分には頼もしい武器も、強固なシールドも無い。

 

 武装というメッキを剥がれた今の自分は、どこにでもいる子供に過ぎない。

 

 おまけに、片腕が綺麗に切り取られている。

 

 体力だって限界だ。

 

 今の自分じゃ、小型のゴーレムだって倒せやしない。

 

 どこまでも無力で、矮小で、脆弱な存在だ。

 

 こんな自分に、一体何ができるという?

 

 自分は、スターマンを止めることが出来なかった。

 

 結局、最後に甘さを捨てられなかった。そのせいで足元を掬われて、このザマだ。

 

 ――もう、いいだろう。

 

 自分は所詮、ここまでの人間だったんだ。

 

 勇気を振り絞って立ち向かっても、現実は変わらない。残酷なままだ。

 

 世界どころか、好きな女の子一人助けられなかった。

 

 ならば、自分という人間のちっぽけさを素直に認めよう。

 

 認めて、諦めよう。

 

 諦めて、楽になろう。

 

 諦めた方が、苦しまなくて済む。

 

 どうせこれから死ぬ身なのだ。ならば少しでも苦しみは減らしたい。

 

 ゆっくりと、まぶたを閉じていく。この残酷な現実から、幕を下ろすように。

 

 だが、目を完全に閉じきろうとした時だった。

 

 

 

 

 

『――――パルカロ! セザン! あんたらはあっちをお願い! ここはあたいが引き受けるわ!』

 

 

 

 

 

 聞いたことのある声が耳朶を打った。

 

 ――シスカの声だった。

 

 どうして、そんなものが聞こえるんだ。この部屋にいるわけでもないのに。

 

 オルカは閉じかかっていた瞳を開き、見上げた。

 

 そして、右側のホロディスプレイへ視線を移した。

 

 そこには、街で暴れるゴーレム達と勇敢に戦う――シスカ、パルカロ、セザンの三名が映っていた。

 

 シスカの光剣がゴーレムの首を跳ね飛ばし、

 パルカロの銃がゴーレムの心臓を百発百中で撃ち抜き、

 セザンのシールドが街の人たちを砲撃から守る。

 

 三人は一糸乱れぬフォーメーションで、次々とゴーレムを狩っていく。

 

『おいおいシスカ、あんまし無茶すんなよぉ?』

『うっさいパルカロ! そんなこと言ってん場合じゃないでしょーが! 街の人たちのために、一秒でも早くゴーレムを全滅させんのよ! ねぇセザン!?』

『まったくもって、正論。大丈夫。守りなら、任せろ』

『……やれやれ。俺のモットーは「悠々自適」なんだがなぁ。店が木っ端微塵になったせいで打ち上げもポシャっちまったし……』

『しっかりしなさい宴会好き! 酒なんて後で死ぬほど飲めるでしょうが!』

『気をつけろ、二人共。来る』

 

 三人は軽口を叩き合いながらも、着実にゴーレムの数を減らしていく。

 

 そんな彼らにあてられたのか、他の冒険者たちも武器を手に取り、一人、また一人とゴーレムの群れへ立ち向かっていった。

 

 街の人々を守るために。

 

 ――それを見たオルカは、自分が心底恥ずかしくなった。

 

 下にいる彼らは、自分たちにできることを精一杯やり遂げようとしている。

 

 必死に戦っているんだ。

 

 なのに、敵の親玉に最も近い自分が、こんなふうに潔く諦めていいのか?

 

 ……いいわけがない。

 

 シールド装置が無い?

 エフェクターが無い? 

 左腕が無い?

 

 だからどうした。

 

 両足がある。

 右腕がある。

 頭がある。

 目がある。

 胴体がある。

 

 命が、まだある。

 

 まだまだ、たくさん残ってるじゃないか。

 

 だから、戦える。

 

 いや、戦うんだ。

 

 大切なものを取り戻すために。

 

 この命ある限り!

 

「くっ…………あああああああああああああああああっ!!!!」

 

 オルカは雄叫びを上げながら、残る力のすべてを振り絞って体を起こし始めた。

 

 三肢を震わせながら、ゆっくり立ち上がる。

 

 そして、

 

「っ!!」

 

 思いっきり自分の顔面を殴った。

 

 既存の激痛を新しい痛みで誤魔化すと、ジャケットを剥ぎ取るように素早く脱ぐ。

 

 そして、口と右手を器用に使い、ジャケットを左上腕部にきつく巻きつけた。止血のためだ。お粗末な応急処置だが、やらないよりはマシなはず。

 

 涙を拭き、強い眼差しで白銀の天使を見据えた。

 

「ほう……絶望をではなく、希望を与えてしまったようだね」

 

 興醒めしたような、それでいて新しい楽しみを見つけたような口調でスターマンは言う。

 

「さて、武器をすべて失った君がどんな風に反撃してくるのか、見ものだね」

 

 確かに、今の自分にはシールド装置もエフェクターも無い。

 

 だが、それでも、交戦能力を全て無くしたわけではない。

 

 

 

 

 

 一つだけ、ある。

 

 

 

 

 

 この白銀の天使を一撃で打ち倒す方法が、この絶望的局面を塗り替えられる方法が、今の自分にはたった一つ残っていた。

 

 成功率はかなり低い。 

 

 しかし、うまく決まれば、それだけで全てを救える。

 世界を。

 アンディーラの人々を。

 そして――マキーナを。

 

 オルカは右の拳を脇に構え、剣尖を突きつけるように言い放った。

 

 

 

「――来い。あなたが奪ったもの、全て返してもらう」

 

 


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