鋼鉄の迷宮(アンダーエリア)   作:魔人ボルボックス

23 / 29
ラストストーリー② 『火』

「どこに行ったんだろう……」

 

 オルカは額にうっすら浮かぶ汗をジャケットの袖で拭ってから、吐息をもらすように呟いた。

 

 昼間の過密ぶりには劣るが、夜の街中の人通りもなかなか多かった。オルカは道行く人の間を縫うように進みながら、ある人影をずっと探していた。

 

 ――マキーナが、未だに見つからないのだ。

 

 まず最初に、オルカはレッグルヴェルゼの屋敷を尋ねた。相手は名門貴族であるため緊張したが、勇気を出して門番の人にアタックした。

 門番の人は思った以上に柔らかい態度で応じてくれたが、屋敷にはいないと断言した。どうやら、スターマンはずいぶん前から屋敷の外の家で生活しているらしい。なのでその家の場所を聞き、今度はそちらへ向かった。

 スターマンの家――有名貴族の身内とは思えないほど、質素な家だった――に着いたが、窓から見える部屋は真っ暗で、玄関にも鍵がかかっていた。おまけにガレージも空っぽであったため、留守であると確信。立ち去った。

 

 それからも、オルカは街のあらゆる所をくまなく探したが、彼女の姿は見つからなかった。

 

 荒くなった呼吸を繰り返しながら、行き交う多くの人々の中からマキーナの姿を探り続ける。クランクルス無手術の修行のお陰で人一倍体力はあるが、何十分も広い街の中を走りっぱなしだったため、呼吸の乱れが目立っていた。

 

 いや、それだけではない。 

 

 なんだか、嫌な予感がするのだ。

 

 このまま、マキーナが知らない所に行ってしまうのではないか。そういう根拠の無い胸騒ぎが、津波の前の引き潮のごとくオルカの心をざわめかせていた。

 

 しかし、それは所詮確証の無い強迫観念だと自分を戒めてから、再びマキーナ探しに取り掛かった。

 

 今まで街中ばかりを探していたため、視点を少し変えて街の外れを捜索し始めた。

 

 街の中心部と違って人の数が少なくなり、比較的見通しがきくようになった。しかし、それでも尋ね人は見つからない。

 

 そうしてまたあちこち巡っているうちに、オルカの足は自然とある場所にたどり着いた。

 

 丸太のような木材で作られた木柵の向こうには、夜闇で鉄紺色になった大海原。その遥か彼方から吹き込んでくる潮風が、前髪を優しく撫でる。

 

 そう。ここはマキーナと和解し、なおかつ「結婚してください」宣言をした岬だった。

 

 これから先、ここは自分たち二人にとっての思い出の場所となるだろう。マキーナも昨日の夜「いつか、また一緒に来よう。その時までに子供いーっぱい作って、家族みんなでピクニックとかしようね」という、なんとも恥ずかしい事を言っていた。

 

 ここにならいるかもしれないという一縷の望みに賭け、辺りを見回した。

 

 だがやはり、ここにいるのは自分一人だけだった。

 

 もはや何度目かの溜息をついてから、また別の場所を探すべく、その場を立ち去ろうとした時だった。

 

 

 

 ――突然、大地が激しく振動し始めた。

 

 

 

 一瞬地震かと思ったが、少し違う気がした。大地が左右へゆりかごよろしく揺れる地震特有の気持ち悪さではない。まるで重い何かを引きずった時に生じる小刻みな振動が、大地全体にビリビリ響いているみたいだった。

 

 そして、その振動と並行するように、崖が激しく崩落するような轟音が鳴り響いていた。

 

 その音はアンディーラから聞こえるものだった。オルカは街の方角を振り返り、

 

「なっ…………!!」

 

 口をあんぐり開いたまま、言葉を失った。

 

 視線の先では、予想外過ぎる現象が起こっていた。

 

 アンディーラから北に離れた場所にそびえ立つ、未踏査迷宮のある山が――崩壊していた。

 

 下から何かに押し上げられるようにして頂点が盛り上がり、そこを起点に山全体に裂け目が生まれ、パラパラと土や岩石が周囲へ撒き散らされていく。

 

 まるで卵が孵化し、中から新しい命が誕生しようとしているかのようだった。

 

 街中から、人々の悲鳴や騒ぎが折り重なって聞こえて来る。

 

 オルカはただその場で棒立ちしながら、事の成り行きを呆然と見続けた。

 

 山はすでに山の体を成しておらず、ただの瓦礫や土塊の堆積と化していた。

 

 そして、煙幕のように立ち込める茶褐色の粉塵の中に、巨大な影が見えた。

 

 粉塵が気流で取り払われるにつれて、その影は自身の姿かたちをさらけ出していく。

 

 

 

 やがて、遮るものがなくなり、露わになったソレは――「球体」。

 

 

 

 ツルツルとした綺麗な灰色の球面には、炎を抽象化したような巨大な意匠が描かれている。その意匠を中心にして、幾何学模様が根を張るように残った球面へ広がりを見せていた。夜闇の中でも存在をアピールできるようにか、意匠も幾何学模様も等しく赤い光を発していた。

 

 先ほどの山と同等か、あるいはそれ以上の直径を誇るその「球体」は、山だった堆積物を真下に置き、宙にとどまっていた。まるでアンディーラを俯瞰しているかのように。

 

「なんだ……アレは……!?」

 

 オルカの口が、ようやく喋る機能を取り戻した。その口が第一に発したのは、夢にしか出てこないであろう映像を現実で見たような驚愕の声。

 

 山が跡形もなく崩壊し、その中から巨大な球体が現れた。そんな非現実的な映像を、オルカの頭は未だに受け入れきれずにいた。

 

 あの球体が何なのかは、分からない。

 

 しかし、一つだけ分かったことがある。

 球面に走った、意味不明な幾何学模様。

 あれは迷宮(アンダーエリア)の外壁や内壁にしか無いモノだ。

 

 つまり、アレは迷宮の仲間。古代人が作った旧世界の遺産。

 

 しかも、あそこは未踏査迷宮がある位置のはず。

 

 まさか、山の中に埋まっていたその迷宮が――浮き上がったのか。

 

 考えるほど、疑問は晴れるどころか、さらに増えていく。

 

 迷宮は基本的に入らなければ無害だが、少数ながら、地上に影響をもたらした例がある。自爆機能を持った迷宮が大爆発し、近隣の町に多大な損壊を引き起こしたりなど。

 

 しかし、それは片手の指で数えられる程度の数しか存在しない、本当に希な例である。

 

 あの球体が出現したことは、その「希な例」の一つとして、新しく追加されるべきものだろう。

 

 しかし、どうして動き出した?

 

 先ほど出した迷宮の爆発の話も、元はといえばその中に入った冒険者が、誤って自爆機能を作動させるような事をしてしまったために起きた惨事である。そのように、迷宮に何か異変が起きた時は、たいてい人の手が絡んでいるものだ。

 

 だとしたら、一体誰が――

 

 それを考えようとした瞬間、再び驚愕の材料となる現象が起きた。

 

 

 

 真っ黒な空を――無数の「四角形」が埋め尽くした。

 

 

 

 微かに透明度を持った四角い極薄の板のようなモノが、上空に規則正しい配置で並列したのだ。並んだ板と板の間には、その裏側にある空を見通せる細い隙間がある。その隙間は網目にも似ているため、世界が巨大な籠の中に閉じ込められているような錯覚に陥りそうになる。

 

 その「四角形」は空全体をびっしり覆っており、水平線の向こうの空まで埋め尽くしていた。

 

 そして、それらの「四角形」全てに同じように映っていたのは――スターマンの顔。

 

 こちらの吃驚など露知らず、彼は口を開いた。

 

『――全世界の衆愚諸君、こんばんは。いや、時差によっては「おはよう」ともいえるかもしれないね』

 

 どこからかとどろくように聞こえて来たのは、確かにスターマンの声だった。しかしどこか肉声っぽくない、無機質な音質のように感じた。

 

 だがそれ以前に、オルカは違和感を激しく感じた。

 

 自分の知っているスターマンは、もう少し口調が柔らかで、人好きする表情を常に崩さなかった。

 

『おっと、自己紹介がまだだったね、失敬。僕の名はスターマン・レッグルヴェルゼ。これからこの世界に君臨する者だ。今のうちにこの顔を脳裏に刻み込んでおきたまえ衆愚諸君』

 

 しかし、今、空を覆い尽くしているスターマンは、今まで見てきた彼とはまるっきり別人だった。

 

 数段階高い位置から喋るような、傲岸不遜な口調。

 絶対零度のごとく冷え切った笑み。それを形作るパーツの一つである蒼い双眸からは、まるで物品を品定めするような非人間的ニュアンスが感じられるようだった。

 今の彼の纏う雰囲気たるや、王者のような風格と冷たさだった。

 

 まるで肉体はそのままに、魂だけが別人に入れ替わったかのようだった。

 

『このホロディスプレイは地球の周囲を公転する人工衛星から投写され、この世界すべての空を覆っているはずだから、今いるアンディーラに限らず、世界すべての者の目にとまっていることだろう。ゆえに、僕がこれから口にする要求は、全世界にいるすべての人間に向けてのものであると捉えて頂きたい』

 

 スターマンはその話し方と態度を崩すことなく、なおも言葉を続ける。

 

 

 

『単刀直入に告げよう。王族、貴族、平民、その他の階級を一切問わず、全世界の人間には今日限りで――自身の持つ階級と一切の権利を捨ててもらいたい』

 

 

 

 ――え?

 

 言っている意味が分からなかった。

 

 権利と、階級を、捨てろ?

 

 それは一体どういう――

 

 次の瞬間、スターマンは具体的な、それでいて衝撃的な真意を口に出した。

 

『言い方が遠回し過ぎたかな? サービスだ。察しの悪い者にも理解できるよう、もう少し簡単に説明しようじゃないか。今日から君たちには、滅私し、一切の不平不満を漏らさず、僕の創る新世界のための生贄になってもらう存在、すなわち「奴隷」になってもらおうという話だ』

 

 二の句が継げないとは、まさにこのことだろう。

 

 ――何を、言ってるんだ……!?

 

 オルカはこの上なく驚きを見せ、背中を一瞬震わせた。

 

 「奴隷になれ」などというあまりに時代錯誤で狂気的な言葉が、よりにもよってスターマンの口から出てきてしまったのだから。

 

 スターマンはそんな事を言うような人ではない。冗談だ。冗談に決まっている。きっと、彼のドッキリみたいなものだ。

 

 そう信じて空を見上げる。だが、スターマンは本気としか思えない表情だった。

 

『老婆心ながら忠告しておくが、逆らおうなんて気概は起こさない方が身のためだよ? 僕は今、この世界で最強の力を手に入れた。その気になれば半日足らずで、この世界に存在する全ての国家を更地に変えることも可能なのだよ。「隷属」か「滅亡」か――君たちに残された選択肢はその二択のみだ』

 

 オルカは狐につままれたような心境だった。

 

 スターマンが声を発するたび、どんどん現実感が消え失せていく。

 

 意味不明な事態。意味不明な現象。意味不明な態度。意味不明な言動。あらゆる「意味不明」が一挙に押し寄せてきたため、オルカの頭はごちゃごちゃに混乱をきたしていた。

 

『まあ、口でなら何とでも言えるか。論より証拠ということで、君たちには――僕の力の一端を見せてあげよう』

 

 しかし、その混乱を上書きして余りあるほどのおぞましさも感じていた。

 

 分からない、という感情は、疑問と同時に恐怖心も呼び起こすものだ。そして、謎というものは、大きな波乱や危険を包み隠すオブラートのようなもの。

 

 これから、何か恐ろしい事が起こる。

 

 そんな確信めいた予想が、オルカの中で生まれていた。

 

 その時、

 

『――ミスター・レッグルヴェルゼ! あなたはさっきから何を言っているの!?』

 

 スターマンではない、非常に聞き覚えのある声が大地に降ってきた。

 

「――なっ」

 

 もはやここ数分で何度目かになる驚愕の表情が、オルカの顔に宿った。

 

 聞き間違いなど有り得ない。

 

 それは――マキーナの声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ミスター・レッグルヴェルゼ! あなたはさっきから何を言っているの!?」

 

 マキーナ・クラムデリアは、浮遊したバリアの中から声を荒げた。スターマンの発する言動が、あまりに聞き捨てならないものばかりだったからだ。

 

 目の前の台座の上に片手を乗せながら、スターマンが見上げる形でこちらに目を向け、

 

「何、とはなんのことかな?」

「決まっているでしょう!? 権利を捨てろだの、奴隷にするだの、悪ふざけが過ぎるわ!」

「悪ふざけをした覚えはないが? 僕は本気だよ。そして「プロメテウス」の力をもってすれば、そうさせるのは容易いことだ」

「「プロメテウス」?」

「この迷宮……いや、この「船」の名前だよ」

 

 スターマンは両手を広げ、この部屋全体をアピールしてみせた。

 

 先ほど凄まじい揺れがあったが、今はそれもなく、部屋はシンと静まり返っている。しかし、外の人々が混乱し騒いでいる分、ここが静かなのがかえって不気味だった。

 どうやらこの迷宮は、空を浮遊しているらしい。

 壁の近くに、大きな横長の「ホロディスプレイ」が浮かんでいる。そこに映っているのは、空から真下の都市を俯瞰したような映像。最初に見た時はその街がどこであるのか分からなかったが、そこに見える大きな屋敷と広大な敷地はレッグルヴェルゼ家のものだった。そこから、その街がアンディーラであるという答えを導き出した。

 

「超大型戦略浮遊母艦プロメテウス――この船は太古の昔、古代人によって造られた兵器なのさ。先史文明にはこれと似た大型戦艦がゴマンと存在していたらしいが、プロメテウスはその中でも特に強力な機体の一つだと、僕が解読した書物には記されていたよ」

 

 スターマンの嬉々とした弁舌はなおも続く。

 

「加えてこのプロメテウスは――『()』に干渉できるプログラムとマシンパワーを秘めている」

「『火』……?」

「先史文明が誇る最終兵器さ。この世界のはるか天空の彼方に存在するという「宇宙」と呼ばれる空間には、数百もの砲台が浮遊している。その砲台は本来、この世界に衝突するであろう危険な彗星や小惑星を撃墜するために作られたものだ」

 

 にわかに信じがたい話だった。

 

 世界規模で害をなすレベルの隕石を砲撃で破壊するなど、現在の兵器技術では不可能だ。そういう時代に生まれたからこそ、スターマンの話は半信半疑だった。

 

 でも、仮に本当だとするならば、その『火』という古代兵器は相当凄まじい威力を持っているということになる。

 

「しかし『火』はその強大な破壊力ゆえ、外部からの操作が厳重に制限されている。先史文明ではほんの少し干渉しようとしただけで極刑レベルの刑罰が待っていたそうだ。むべなるかな、といったところかな。何せ使い方を誤れば、逆に自分達が滅亡することになるとんでもない兵器なのだからね」

 

 それを聞いて、マキーナは安堵の吐息をこぼした。

 

 そんな凶悪極まる兵器のコントロール権を得てしまえば、世界はそれこそスターマンの思うがままになってしまう。その兵器を動かせないとなれば、スターマンの発言にも説得力はなくなる。

 

 ――しかし、それは現実逃避に等しい考えだった。

 

 もし『火』を動かすことができないとしたら、わざわざ未踏査迷宮依頼で冒険者を呼び出し、「マスターキー」を取りに行かせるという事に労力を費やすだろうか? 

 

 つまり、そんな面倒事を引き受けるに足る「大きな見返り」が、この迷宮に存在していなければおかしいのだ。

 

 そして、その「大きな見返り」の正体を考え、そして正解に近いであろう予想を導き出した瞬間、マキーナは青ざめた。

 

 そう。この男は――

 

「だが、僕は膨大な量の古代文献を国中からかき集め、そしてビンゴを引いた! あったんだよ――『火』にかけられた制限やセキュリティを一気に解除し、コントロール権を掌握するための暗号(コード)が!」

 

 高らかに言うや、スターマンはおもむろに、ポケットから一冊の小さなメモ帳を取り出した。

 

「コードの内容はこのメモに全て書き写してある! 文字数が非常に膨大で、なおかつ使われている数字の形が現代と異なっていたため、書き写すのに苦労したがね!」

 

 スターマンの手が置かれている台座を始まりに、根が広がるように部屋中の幾何学模様が発光していった。

 

 そしてその光が消えると同時に、もう一つの台座が床から生えるように隆起。一番最初に見た台座と同じ、タイプライターの文字盤のようなボタンが付いたものだった。

 

《自動操縦に一時シフトします》

 

 その音声を聞くと、スターマンは細長い台座から手を離し、出現したもう一つの台座のボタン郡に指を走らせ始めた。

 

 再び小さなホロディスプレイがいくつも虚空に現れ、それらに映る図や文字がめまぐるしく変化していく。スターマンのボタン入力の速さに連動しているみたいだった。

 

 だが、突然それらのホロディスプレイを隠すように、大きめのホロディスプレイが顕現した。そこには「警告!!」という大文字のみが表示されていた。

 

《――警告!! 貴方は「プロメテウス運用規定第二章第一節第十二条」「対テロ措置法第五条」並びに「ポーランド条約」に抵触する操作を行おうとしています!! このまま不正な操作を続行した場合、重大な刑罰が課せられる可能性あり!! 早急の操作中止を勧告します!! ――繰り返します。貴方は「プロメテウス運用規定第二章第一節――――》

 

 突如、そんな音声が部屋中に響き、マキーナはビクッとした。今までの音声と違って穏やかさが無く、けたたましい。マズイ操作をしようとしていることが、言葉の意味を考えずとも容易に伺えた。

 

 何度も何度も同じ言葉でリピートされる大音声。

 

 しかしスターマンは歯牙にもかけず、メモ帳を見ながらボタンを一つ一つ押していく。

 

 しばらくすると、

 

《――に抵触する操作を行おうとしています!! このまま不正な操――――――パスワードを確認。小惑星迎撃用反物質粒子砲『火』、全セキュリティ一時解除。このIPによるアクセス、調整、コントロールを臨時に許可します》

 

 切羽詰ったような声色が一転、急激に落ち着いた調子と音量に変化。

 

 このあからさまな語気のアップダウンから、再び察することができた。

 

 ――『火』を、御してしまったのだ。

 

 スターマンは野心にまみれたような笑みを浮かべた。

 

「成功したようだね……クククッ、これで旧き時代の最終兵器は僕の手中。準備は整った。さあ――新世界誕生の祝砲を上げようか」

 

 言って、今なおアンディーラを見下ろすように映し続けているホロディスプレイへ視線を移す。

 

 ――まさか。

 

「や――やめなさいっっ!!!」

 

 これからスターマンがやろうとしていることを悟ってしまったマキーナは、必死な叫びを上げた。

 

 しかし、もう遅かった。

 

《――了解。小惑星迎撃用反物質粒子砲『火』発射まで、残り七〇(ナナマル)秒》

 

 無慈悲に、悪夢の開幕を告げる声が紡がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、天空を覆う「四角形」――ホロディスプレイというらしい――に映っていたスターマンの顔が消え、代わりにどこかの山の映像に切り替わった。

 

 それを見上げていたオルカは不意を突かれたように一瞬身を震わせる。

 

 ホロディスプレイに映っていた山には、少しだけ見覚えがあった。

 

 このアンディーラから遠く西にうっすら見える山脈だった。

 

 パライト村からここまで来る途中、暇つぶしに石車の窓越しから眺めていたのを覚えている。アンディーラから数十キロもの距離があるが、その雄大さゆえにここからでも頭が見える。

 

 その山脈を中心に、周囲の山々や森林、麓の町並みも一緒に映っている。

 

 なぜ、あの山を映した?

 

 オルカが呆然としながら、西の彼方から頭を出しているその山をただただ眺めていた。

 

 その時だった。

 

 

 

 ――凄まじい閃光が、天空を包み込んだ。

 

 

 

 それは一言で表すなら、赤い稲光。空を覆っていた分厚い暗雲が、一気に紅色に輝いた。 

 

 その雲の一部に綺麗な穴が穿たれ、そこからさらに強い光量を持った赤い雷霆が地上へ飛来。

 

 雷は――オルカが凝視していたはるか西の山に直撃した。

 

 刹那、大地がズドンッ!! と激震。

 

 想像を絶する爆音とともに、巨大な炎の華が咲いた。

 

 赤い雷霆の直撃した位置を中心に、まるで風船が膨らむかのように広がっていく爆炎。

 

 その拡大は全くとどまることを知らず、自身の中に飲み込んだ全てのものを灰燼に帰していく。

 

 爆炎の範囲外のものも、発生した衝撃波によって竜巻よろしく巻き上げられていった。それによる細かい塵が天空にまで登る。

 

 そして次の瞬間、その衝撃波が暴風のようにこちらへ押し寄せてきた。

 

「う、うわぁぁ!!」

 

 やって来た見えない壁に、オルカの五体が紙のように吹っ飛ばされた。下半身を踏ん張らせたのだが、この熾烈な衝撃波に対してはちっぽけな抵抗でしかなかった。

 

 自分だけではない。周囲にある様々なものが同方向へ激しく流された。

 砂や細かい石などが豪雨のように体を叩く。

 立てられていた看板が地面から抜け、飛ぶ。

 地面が掘り起こされ、そこから生まれた無数の岩石が宙を舞う。

 停車してあった石車が紙箱のごとく流される。

 衝撃波がもたらす二次災害的な形で、それら無数の物体が雪崩のごとく迫ってくる。

 

 マズイ。このままじゃ破片にぶつかって大怪我をする。かと言って、このまま流れに身を任せて逃げるわけにもいかない。後ろへ離れた所には断崖絶壁。吹っ飛ばされたら暗い海へ真っ逆さまだ。

 

「くっ……剛爪(アイアン)……(ネイル)ッ!」

 

 オルカは虎の爪を象った五指に渾身のエネルギーを込め、地面に深く突き刺した。

 その五指を、衝撃波に流されないための命綱代わりにする。

 空いたもう片方の手でベルトのバックルのスイッチを入れ、シールド装置を起動。

 やがて大小様々な物体が、勢いよくオルカの体に殺到。しかし全てシールドによって火花を散らすような音とともに弾かれ、あさっての方向へと流れていく。

 

 物体の直撃による難を逃れてもなお、後ろへ向かう凄まじい力は続く。

 

 その力に必死に反抗するオルカの細い五指は、プルプルと震え始めていた。クランクルス無手術の修行の一貫で指を通う筋もそれなりに鍛えていたが、それでもキツイ。指が千切れそうだ。

 

 負担がかかりすぎて指の感覚がなくなり始めた頃、ようやく後ろ向きの力も弱まってきた。暴風がそよ風になるように。

 

 やがて、ぴったりと止んだ。

 

 みっともなく地面に這いつくばった姿勢のまま、オルカは視線を周囲へ巡らせる。

 

 酷いありさまだった。

 先ほどまでゴミ一つ無く綺麗だった岬周辺の土地には、遠くから飛んできた木屑や岩石などが散乱してぐちゃぐちゃになっていた。

 つい数分前までは壮健そうに根を張っていた木々も、根元から無残にへし折れている。

 飛んできた石車が、そこらへんに横転している。

 

 ――「今の」は一体、なんなんだ……!?

 

 オルカは今更ながら、言いようのない恐怖心を抱いた。

 

 血のように赤い雷。

 それが落下した途端に巻き起こった、想像を絶する大爆発。雲にも届くほどの火柱。

 その衝撃は地を揺るがし、爆発範囲外にも深い爪痕を刻みつけた。

 

 恐る恐る見上げ、ホロディスプレイに目を向ける。先ほどの雄大な山脈と、緑あふれる周囲の風景は――草木一本生えていない広大なクレーターと化していた。

 

 ゾクリ、と背筋が凍りつく。

 

 クレーターの周囲には、岩石や土砂などの堆積物が一切見られない。まるで破壊を通り越し、山脈という存在そのものを消滅させたかのようだった。

 

 神の怒りが顕現したかのごとき、紅の一撃。

 

 本能的な恐怖が、総身を硬直させる。

 

 嗜虐的な響きを持ったスターマンの声が、再び天より降ってきた。

 

『どうかな、全世界の衆愚諸君。これが僕の力だ。邪道を歩み尽くしたこの世界に君臨し、善き変革をもたらす、偉大なる神の力。たとえ全世界の国の軍隊が一斉に攻め寄せようとも、今の山のように、一瞬で消し炭に変えることができる。分かっただろう? 君たちには僕の提示した「隷属」か「滅亡」か、そのいずれかの選択肢しか選ぶことは許されないんだ!』

 

 ここからが本題だとばかりに、スターマンは畳み掛けるように二の句を継いだ。

 

『さて、これから君たちには一ヶ月の猶予を与えよう。生き残りたい国の指導者は、それまでの間に降伏するんだ。そうすれば命は奪わない。僕が用意した「奴隷」という身分をプレゼントした上で生かしてあげよう。降伏しなかった国家は、先ほどの砲撃を撃ち込んで更地に変える。逆らうような行為をした国家も同じく皆殺しだ。降伏のし方は自由だ。僕はオブデシアン王国レッグルヴェルゼ領、迷宮都市アンディーラにていつでも君たちの返事を待っている』

 

 その言葉を境に、声はぴったりと止んだ。

 

 唐突に訪れた世界の危機を前に、オルカはただただ棒立ちしているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い……なんてことを……!」

 

 赤い雷が落ち、そこにあった風景全てが消滅する一部始終をホロディスプレイで見たマキーナは、思わず口元を覆った。

 

 あらゆるショックが心中に渦巻く。

 真っ赤な落雷が落ちるという、普通なら有り得ない異常な現象に対するショック。

 思っていた予想をはるかに超える破壊力に対するショック。

 そこに住んでいた町や人間たちが、爆発に巻き込まれて跡形も無く消し飛んだショック。

 

 そして何より、赤い雷が落ちてすべてが灰になるという映像は、マキーナが見ていた悪夢とあまりにも似通っていたのだ。

 

 自分の見ていた夢が正夢になったかのような事態に、マキーナはまるで自分が悪いかのような錯覚に陥りそうだった。

 

 しかし、こんなむごたらしい事をしでかしたのは、紛れもなくスターマンだ。

 

「ハ―――ハハハハハハハ!! どうだい!? これが『火』だ! 百パーセントの威力を発揮するには全砲台の出力を総動員させる必要があるが、それを行えば地上は塵一つ残らず消滅してしまう。ゆえに加減したが、たった一つの砲台でもこの威力。間違いない、僕はこの世界で最強の存在となったんだ! ハハッ、ハハハハハハハハ!!」

 

 スターマンはその許されざる破壊行為を後悔するどころか、まるで楽しい玩具を手に入れたかのように上機嫌に笑っていた。

 

 それを見て、心に渦巻いていたショックが、一気に憤りへと変化した。

 

「何が可笑しいのっ!! 見えなかったの!? あそこには人も住んでいたのよ!!」

「詮無きことだよ」

 

 つまらない事のように、スターマンは断ずる。

 

 その表情を見て、マキーナは戦慄した。

 

 まるで蟻の行列を踏み潰した程度にしか考えていないような、そんな不気味な無感情さを感じたのだ。

 

 マキーナは今更ながら、確信してしまった――この男と自分では、精神構造があまりにも違いすぎると。

 

「あなたは……どうしてそんな風になってしまったの?」

 

 だからこそ、余計に気になってしまった。

 一体どういう人生を送ったら、人間はこのような歪み方をしてしまうのか、と。

 今まで接していた親しみやすいスターマンは、仮の姿だ。それはすでにわかる。

 しかし、その裏側に隠されていた本性は、いったいどういう過程を歩んだら形成しまうのだろうか。

 

 そういった意を込めたマキーナの問いを聞くと、スターマンは何を言わんやといった態度で返してきた。

 

「むしろ僕の方が君に問いたい所だね。君は自分という存在の価値が、下界で蠢動している「アレ」と同列だと本当に思っているのか?」

 

 彼が親指でクイッ、と指し示したのは、外界の様子を映したホロディスプレイ。街中でがやがやと恐慌している、アンディーラの人々の映像だった。

 

 「アレ」というのは、映っている人々の事だろう。

 

 人をモノのように捉えるスターマンの口調に、マキーナは再び眉をひそめる。

 

「……まあいいさ。どうせ君と僕はここに一緒に暮らすんだ。コミュニケーションの一環として、少しぐらい自分語りをしても格好悪くはないだろう。いいだろう、教えてあげるよ――僕が歩んできた惨めな人生をね」

 

 大息するように前置きを告げると、スターマンは話し始めた。

 

「僕はレッグルヴェルゼ家の血を引く者ではない。義理の息子だ――ここまではご存知だろう?」

 

 マキーナは控えめな態度で頷いた。

 

 スターマンが現当主であるガルティスの本当のせがれでないことは、貴族の世界では有名な話だ。

 だが、貴族が養子をとること自体は、別に珍しいことではない。

 そもそも、自分だって養子としてクラムデリア家に入ったのだ。

 それにどんなにセックスをしても、不妊や種無しといった理由から後継者に恵まれない貴族だっている。そういった貴族は養子をとり、後継者として育てることが多い。

 

 スターマンの生い立ちが貴族間で有名になったのは、自分達の血が全く介在していない子供を、"あの"レッグルヴェルゼ家が養子として迎えたという理由からだ。

 

 レッグルヴェルゼ家は自分達の血筋に強いプライドを持っており、極力同じ血を持った者同士で集まりたがる閉鎖的なところがある。

 そんな家が、どこの馬の骨とも知れないスターマンを進んで迎え入れたという事実が、貴族達に驚かれていたのである。

 たとえそれが心の優しいレッグルヴェルゼ婦人、アミティの計らいゆえであっても。

 

「今から一八年前、アンディーラである未踏査迷宮が発見された。その迷宮はのちに「伏魔殿」なんて物騒な俗称をつけられるほど危険な所でね、死人も結構出たらしい。その危険さゆえに、当時レッグルヴェルゼ家に仕えていたクリスタルクラスの冒険者が派遣され、その迷宮を調査させたんだ。そして最深部に行くと、分厚く頑丈なガラスの中に一人の赤ん坊が封印されていた。その赤ん坊は地上に回収された後、アミティ・レッグルヴェルゼに引き取られた――それがこの僕、スターマン・レッグルヴェルゼの始まりだったんだ」 

「――!」

 

 マキーナは盛大に不意打ちを食らった気分になった。

 

 ――この人も赤ちゃんの頃、迷宮に封印されていた……!! 私と同じ……!?

 

「しかしねぇ、血統マニアな父上――ガルティスや兄たちは大層反対してたんだ。しかしアミティ――母上はどうしても僕を譲らなかった。そんな頑とした態度に気負けしたガルティスは、母上だけが面倒を見ることを条件に、僕が家に来るのを許したんだ。以来、僕は母上とともに育った。ガルティスや兄たちは露骨に僕を無視したが、母上だけは愛情を与えてくれたから幸せだった。しかしある日、母上は病で突然この世を去った」

 

 スターマンは自嘲するような口調で続けた。

 

「母上という邪魔がなくなったことで、ガルティスや兄たちの冷遇は、まるで待ってましたとばかりに激しさを増した。追い出したとなったら家柄に傷がつくから、僕が自発的に出て行くように一生懸命嫌がらせをしてきたよ。ガルティスたちの豪華な夕食メニューとは真逆に僕はパン一個だけだったり、雨や雪の日に屋敷の外に締め出されたり、僕の部屋が荒らされていたり、お気に入りの本が破られていたり――言っておくけどこんなものは序の口だ。他にももっとえげつないレパートリーがたくさんあるよ。聞きたいかい?」

 

 かぶりを振ろうと思ったが、首がうまく動かなかった。それだけ、スターマンの話が衝撃的だったのだ。

 

 以前、ガルティスとスターマンが同伴している所を一度だけ見たことがある。それを見た時、ガルティスは義理の息子に対してどこか線を引いて接しているように見受けられた。

 

 なので、二人の間には確執があるとは前から思っていた。しかし、そこまで酷い状態であったなどとは知らなかった。

 

「その頃の僕は凄く純粋だったよ。悪いのはガルティス達のはずなのに、僕は自分自身を責めていた。卑しい拾われっ子である自分が悪いんだ、自分の体に流れる下賤な血が悪いんだ、ってね。だけどある日、それが「大きな間違い」だったことに気づいたよ。それを知って以来、僕は変わった。あれほど恐怖心を抱いていたガルティスや兄たちが、まるで牛やブタと同列の存在に思え、そして蔑むことすらできるようになったんだよ!」

「大きな、間違い……?」

 

 具体例の無い表現に、マキーナは首を傾げる。

 

 スターマンは見透かしたような眼差しでこちらを見つめながら、鷹揚に言った。

 

「君は僕の話を聞いている途中、こう思ったはずだ――「この人、自分と同じなんだ」と。君も僕と同じで、赤ん坊の頃、迷宮の奥で冒険者に拾われたんだろう?」

 

 あまりの驚愕に、首筋が硬直した。

 

 どうして、自分の過去が分かる? 見透かすような目も相まって、まるで心の中を覗かれた気分だ。

 

 マキーナは枯れた声で、

 

「……どうして、分かったの?」

「僕同様、君も古代語を解するからだよ。言っただろう? 我々は「同類」だと」

 

 スターマンはそこまで言うと、こちらを見る眼差しの色を変えた。

 

 まるで長年想い続けていた相手にようやく会えたような、そんな瞳に。

 

「話そうじゃないか、マキーナ。数千年前――先史文明がどんな末路をたどったのかを。そこに、僕らという存在の真実がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遥か西の大地からは、夜中である今でも視認できるほど濃密な黒煙がもくもくとたちこめている。まるで地上に降りてきた暗雲が、天空へと帰るように。

 柱のように天へ向かう黒煙は、先端が膨張しており、まるで巨大な黒いキノコのようだった。

 そして、キノコの傘にあたる煙の膨張部には、まるで悪魔の嘲笑のような灰色の模様が浮かんでいた。

 それは煙の濃度差のコントラストが作り出した、偶然の産物。

 しかしオルカの目には、本物の悪魔が下卑た笑みを浮かべているようにしか見えなかった。

 

 その巨大な黒煙の上がる場所には、数十キロ先からも見える大きな山脈があったはずだった。

 しかし今、その姿は跡形も無く消え失せている。

 

 アンディーラは、まるで暴動が起きたようにどよもしていた。街の外に位置するこの岬からでも、一人一人の声が聞き取れそうだった。

 

 あの強烈な衝撃波は、アンディーラにもただならぬ被害を及ぼしたようだ。屋根が剥がれたり、窓ガラスが割れたりした建物が多く見られる。まるで台風が過ぎた後みたいだ。

 

 オルカの周囲にも、衝撃波によって飛んできた物体がバラバラと散乱していた。

 

 荒れ果てた地上とは真逆に、空に浮かんでいる巨大な球体は、今なおのんびりと空中に浮遊していた。 

 

 さらにその上空には、まるで世界を包み込むように整然と並んだ、無数のホロディスプレイ。

 

 何の嫌がらせなのか、ホロディスプレイは、真っ赤な落雷とともに山脈が"消滅"する映像を何度も繰り返し映していた。

 

 まるで「この力を忘れるな」とばかりに。

 

 そして、その効果はオルカの心に確実に現れていた。

 

 ――怖い。

 

 大地のどっしりと存在していた山々が一瞬で消し飛ぶ映像を目にするたび、その時に感じた轟音、地響き、余波の感覚が明確に思い起こされる。

 そして脂汗が流れ、心臓の鼓動が勝手に激しくなる。手足が笑う。

 赤い雷の恐ろしさは、オルカの心の奥底に浅くない爪痕を残していた。

 

 ここ数分間で、衝撃的な出来事が立て続けに起こったため、未だに状況が飲み込みきれていない。

 

 だが、こんがらがった頭でも、いくつかの事実は認識できていた。

 

 あれをやったのは、確実にスターマンだ。

 

 あの巨大な球体が出てきてから、スターマンの声が聞こえてきたのだ。つまり、あの球体の中にいるのはスターマンである。

 そしてあの赤い雷がやって来たのも、その球体が現れた後。

 極めつけに、彼はその常軌を逸した破壊行為を、まるで自分の実力であるかのごとく豪語していた。

 

 迷宮やその他の古代遺跡の中には、元々は兵器として造られたものも少なくない。

 先史文明の兵器はその高いテクノロジーゆえ、現代で造られたどの兵器よりも強力だったと学者は語っている。

 もし、自分達が今まで探索していた未踏査迷宮が、そういう迷宮だったとしたら?

 そして、スターマンがそれを手に入れてしまったのだとしたら?

 

 冗談じみた話に聞こえるかもしれないが、スターマンは考古学者だ。古代機械に干渉する手段を持ち合わせていても不思議ではないのだ。

 

 もう、目を背けられなかった。

 おそらく、今までの気さくなスターマンは仮面だったのだろう。人を人と思わない発言を平気でする今の彼こそが、真の姿なのだ。

 もしくは、大いなる力を手に入れたことで、人間性が変わってしまったのかもしれない。まるで権力に酔いしれた愚かな王のように。

 いずれにせよ、スターマンに対してかなりの好感を持っていた分、オルカは少なからずショックだった。

 

 そして、スターマンはその力を使い、全世界に横暴を働こうとしている。

 

 逆らおうにも、相手は長大な山を一瞬で消滅させるほどの兵器を持っている。先史文明ではどれくらい強い兵器であるかは知らないが、少なくとも、今の時代に存在するどの兵器でも、アレに匹敵する威力を持つものは無い。

 

 テクノロジーのレベルが違いすぎる。

 

 スターマンと現文明との力の差は、歴然過ぎていた。「世界中の国の軍隊が来ても勝てる」という発言は、きっと嘘ではない。今のスターマンに敵う存在は、おそらく、どこにもいないだろう。

 

 勝てないと分かっている負け戦は、もはや自殺と同義だ。

 立ち向かっても、犬死にするだけ。

 これほどの力を持った存在に、勝てるわけがない。

 なら、少なくとも命だけは拾えるよう、素直に腹を見せよう。

 それが最も賢い判断。最善の選択だ。

 世界は弱肉強食。その摂理に従うだけだ――そんな悟りにも似た諦観に、人々の心は流されるだろう。

 災害や疫病など、この世界には人間の手に負えない存在が数多く存在する。先ほどの赤い雷とてその一つだ。

 そういった「大いなる何か」の前では、人はいつだって無力だ。

 だから、何もできずに、何もせずに、流される。

 それは悪いことでも何でも無い。

 強い者や優れた者に従い、崇める構図こそが、ヒトという社会的動物にとっては自然なことなのだ。

 

 

 

 ――でも。

 

 

 

 それでも、今のオルカには分かっていた。

 

 自分のやりたいこと。やるべきこと。やらないと絶対に後悔すること。

 

 貫くような眼差しで、空中に浮かぶ巨大な球体を睨んだ。

 

 ――あそこに、マキーナがいる。

 

 それが分かっている以上、棒立ちなどしていられなかった。

 

 怖いという気持ちはもちろんある。あの力を見て恐れを抱かない人間など、自殺願望者以外有り得ない。

 

 でも、その怖さに縛られたままでは、次はもっと怖いことがやってくる。それをオルカはよく知っている。

 

 だから、足を動かすのだ。

 だから、進むのだ。

 だから、走るのだ。

 

 大切なものを、取り返すために。

 

 掴み取って、もう絶対に離さないために。

 

 そのために、一歩踏み出せ。

 前に進め。

 走り出せ。

 

 ――気づいた時には、すでにオルカは駆け出していた。

 

 時々転びそうになりながらも、目的に向かってただただ愚直に。真っ直ぐに。

 

「今、行くからっ……!」

 

 走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、オルカは気づいていなかった。

 

 自分が長年欲してやまなかったものを、ようやく手に入れていることに。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。