鋼鉄の迷宮(アンダーエリア)   作:魔人ボルボックス

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第四章 英雄への一歩 end

 ものすごい浮遊感が背筋を冷たく駆け登る。

 周囲全方向は光一つない真っ暗闇。そんな中で自由落下にも似た感覚を味わっているオルカは、まるで無限に続く穴へ落ちているような不気味な錯覚を抱いた。

 しかし、これは落ちているのではない。逆だ――昇っているのだ。

 

 程なくして、それを裏付ける状況へと移行した。

 

 真上から光が差し込んだと思った瞬間、オルカはその中に頭から吸い込まれた。

 周囲の景色が上から下へ幕を下ろしたように切り替わると同時に、浮遊感が消え、地に足が付く感覚が蘇る。

 そこは見覚えのある山岳地帯――未踏査迷宮入口前の広場だった。自分はそこの地面から「生えてきた」のだ。

 それから一秒、二秒、三秒……と秒数を重ねるごとに、冒険者たちが次々と地中から姿を現していく。その現れ方はやはり自分と同じだった。より写実的に表現するなら「大地の層を実体のない幽霊のようにすり抜け、地面から生えてくる」のである。

 やがて、人間が伸び出てくるのが止んだ。オルカは地面から出てきた者たちへ目を向ける。全員、先程のラージゴーレムとの死闘を共に戦い抜いた面々だった。

 

 これが『脱出口(イグジット)』を使った、迷宮(アンダーエリア)からの脱出シーンである。オルカたちは二階層で見つけた『脱出口』で、この地上まで一気に抜け出したのだ。

 

 早いもので、すでに空は茜色に染まり始めていた。すでに入口前には、一足早く戻ったであろう多くの冒険者がぞろぞろと集まっている。

 

 彼らの様子は少し変だった。個別のパーティで固まった状態で、他のいくつかのパーティに一言二言話を伺って回っていたのだ――まるで、何かを確認し合うかのように。

 

「はぁー、つっかれたぁー」

 

 その理由を考えようとしたところで、マキーナが気だるげな声を交えて背伸びをしながら歩み寄って来た。

 

 オルカがそれに対して「お疲れ様」とねぎらいの言葉をかえす。すると彼女はこちらの首に後ろから両手を回し、体重を預けてきた。

 

「オールーくーんー、つーかーれーたー。抱っこー」

「いや、無理。ボクも疲れてるし。もうちょっと頑張って」

「けちー」

 

 子供っぽい態度に、オルカはクスリと笑みをこぼす。

 

 マキーナは不意に「ところでオル君」と話題の矛先を転換する言葉を前置すると、片方の手で自分の懐からある物を取り出し、それをオルカの目の前に移動させてから言った。

 

「……また、あったね。「コレ」」

 

 後ろから伸ばされた彼女の手が持っているモノは、火を象った小さな板だった。

 

 辛くも、ラージゴーレムを倒すことができたオルカたちはその後、入った扉の向かい側に出来た通路の奥へと進んだ。

 しばらく一本道を進み、たどり着いたのは小さな部屋。通路はそこで行き止まりとなっていたが、部屋の中心には四角い台座がぽつりと立っていた。

 

 そして、その台座の上に――この火の紋章はあった。

 

 その紋章のデザインは以前ラージゴーレムを倒した後に見つけ、現在スターマンに貸し出し中の紋章のソレと同じだった――前は赤色だったのが今回は青色だったという点と、中心部に穴ではなく小さな突起が付いていたという点を除けば。

 明らかに以前拾った紋章と関係性が疑われる。それに、わざわざ台座の上に置いてあったということは、何か特別なモノである可能性もある。これは一体…………?

 

 だが、オルカはそこで思考を止めた。こういう考古学的な事柄を考えるのは、それを生業(なりわい)にしているスターマンにまかせよう。

 

「これで――もうこの迷宮も終わりかぁ」

 

 マキーナがそう呟いた。その拍子に、甘い吐息が耳元にかかってくすぐったくなる。

 

 

 

 彼女の言葉は――もうこの迷宮を「未踏査迷宮」にカテゴライズする必要はないという意味を持っていた。

 

 

 

 前述の「青い紋章」を手に入れた後、オルカたち冒険者一行は二階層を散策した。随分な広さがあって疲れたが、それでもなんとかゴーレムを片付けながら踏破することができた。しかし、どこにも次の階層へと降りるための『階層間移動装置』は見当たらなかった。

 それは、次の階層へと行く手段が存在しないということ。そしてさらに意味を突き詰めると――この迷宮はこの階層で終わり、という事になる。

 

 そうなると、未踏査迷宮の調査におけるこれからの段取りはこうだ。

 まず、その調査の依頼者に、未踏査迷宮の最下層まで到達したことを伝える。それを伝える役目を担うのは、最前線で攻略を行っていた冒険者の中のトップランカーだ。

 その後は依頼者が指定した日と場所で、調査が終了したことを正式に宣言するための「解散式」が行われる。そしてその席にて、募集要項にあらかじめ記載されていた報酬、謝礼金などが冒険者たちに支払われるのである。

 

「オル君、調査が正式に終わったらどうする?」

「ボクはしばらくこの街に残るよ。新しいバッチが届くのを待たなきゃいけないし」

「宿代とかは平気?」

「うん、大丈夫。前にラージゴーレム倒して手に入ったお金、まだ全然使ってないんだ。マキちゃんはこれからどうするの?」

 

 そう問うと、マキーナはさらに体重をかけてきて、抱きしめる腕の力を一層強めた。

 

「私もオル君と一緒に残るよ。それでバッチの再発行が済んだ後――そのままオル君()に住むぅ」

「え、ええ!? いや、そんなこと、いきなり言われても……」

「ダメなのぉ? いいじゃない。おばさまが亡くなってから、オル君ずっと一人暮らしなんでしょ? 寂しいでしょ? だから私が一緒にいてあげる」

 

 ――オルカは昨日の夜一緒に寝た時、母が亡くなって一人暮らしをしていることをマキーナにすでに教えていた。

 

「まぁ、寂しくないって言ったら嘘になるけど……でも、そんなことクラムデリアの家が許してくれるの?」

「ダイジョブダイジョブ。義父様(おとうさま)は「私はお前を縛り付けるために引き取ったのではない。だからお前の好きに生きなさい」ってよく言ってたし。っていうか、そうじゃなきゃそもそも冒険者になることなんか許してくれなかったしぃ」

「ボクたちまだ結婚してないし……」

「でも恋人でしょ? だったら同棲くらい普通よぉ普通。それに、いいですかオル君っ? 世の中には「内縁の妻」という言葉があるのですよ」

 

 どうやら、是が非でも我が家に住み着くつもりらしい。

 

「こう見えて私、お料理得意なんだよ? もし同棲したら、毎日朝ごはん作って優しく起こしてあげる。ねえ……だめ?」

 

 誘うような上目遣いで見つめてくるマキーナ。

 うわ、可愛い……。その瞳にオルカは思わずときめいた。そしてそれだけで、断ろうという気が九割がた削り取られてしまったのだ。とことん自分は彼女に甘いと思った。

 それにオルカ自身、マキーナとの同棲生活に甘美な想像を抱いていないわけではなかった。いや、むしろ抱きまくりだった。

 朝目を覚ますと、最初に目に付くのはベッドの隣に眠っているマキーナの可愛らしい寝顔。食事を作ってくれている彼女の後ろ姿を料理の香りとともに楽しんだり、うっかり着替えを見てしまったり、何もしないでもたれ合いながら時間をまったりと浪費したり、そして夜には同じベッドで眠るのだ。そんな生活をずっと続けていくうちに、自分のベッドにはいつの間にかマキーナの匂いが濃く染み付いていく。その中で毎日眠れるのだと思うだけでもう……垂涎モノ。

 

 …………認めてしまおう。いくら常識人的な態度を取り繕っても、所詮自分の本性はさもしいオスでしかないのである。

 

「そ、それじゃ……その……………………一緒に住もっか」

「やーん! オル君愛してるー!!」

 

 抱きついたまま、キスの嵐をこちらの頬へ浴びせてくるマキーナ。 

 それを一身に受ける自分も「うわっ、ちょっとっ」などと口では邪魔くさそうに言ってこそいるが、口元が緩んでいるという事実は認めざるを得なかった。バカップルここに極まれりである。

 

「やれやれ、迷宮(なか)でも地上(そと)でも変わらず仲がいいねぃ、君たちは」

 

 そこで、マキーナのパーティメンバー四人が近づいて来た。声の主たるパルカロは諦めたような笑み、セザンは言わずもがなの無表情、そしてシスカはふてくされたようにそっぽを向いていた。

 

 セザンの太い腕には、先程のラージゴーレムとの戦いで手に入れた巨大アルネタイトが抱えられている。それを見た周囲の冒険者たちが「おおっ」と感嘆の声をもらす。

 

 ラージゴーレムに止めを刺したのはマキーナだったこと、戦いで最も尽力したのも彼女のパーティだったことを踏まえた上で他の冒険者全員と熟慮した結果、この巨大アルネタイトはマキーナのパーティが換金権を得るに至った。

 オルカはこの結果を聞いて少し安心した。他パーティと協力してラージゴーレムを倒すと、その後に出てきたアルネタイトの換金権をめぐってトラブルが起きてしまうことも少なくないのだという。一緒だった他の冒険者が潔い人たちでよかった。

 マキーナたちはオルカにも分け前を与えたがっていた。オルカの技とエフェクターがなければ倒すには至らなかったから、と。

 だがオルカはそれを丁重にお断りした。自分はマキーナと深い仲になりはしたが、同じパーティではないのだから。冒険者として迷宮に入ったのなら、冒険者のマナーに従うべきだろう。

 

「それにしても、これでこの迷宮も終わりなのね。長かったような短かったような……」

 

 シスカが、先ほどのマキーナと似たようなことを口にした。

 

「それじゃあこの後、最下層までゴールしたっつーことを、今回の調査を依頼したスターマン氏に知らせないといけないってことか。今回それをやるのはやっぱ……」

 

 パルカロは、今なおおぶさるようにオルカに抱きついているマキーナへ視線を向ける。彼女はそれを受けると、意味を承知したように頷いた。

 

 今回、最前線で攻略に従事した冒険者の中で、最もランクが高いのはマキーナだ。つまり、終了を知らせる役目は彼女にあるということ。

 その際、迷宮の危険性がどれほどであったかを伝えることが義務となってはいる。だがラージゴーレムは一度倒すともう出てこなくなるため、ソレとの遭遇は、迷宮の危険性を決める材料としての効力はあまりない。何より、クリスタルクラスの助けを借りるほどではなかったという時点で、ランク制限を設ける必要は無いといっていい。ゆえに危険度の報告は、たいていの場合儀礼的なものとして終わる。

 

 パルカロの言うとおり、マキーナは今からスターマンの元へ行かなければならないのだが――

 

「……その、スターマン氏は、どこにいる?」

 

 不意に、セザンが周囲を見回しながらそう言った。

 

 彼の指摘に従う形で、オルカたちは一斉に全方向へ視線を巡らせる。

 行動はそれだけにとどめず、迷宮の入口周辺をしばらく歩き回り、その途中途中であちこちへ目を向けた。

 そして、しばらくしてようやく気がついた。

 

 ――スターマンが、いない。

 

 あれほど古代の遺物にご執心であるはずのスターマンが、迷宮から出てきた冒険者とすぐに会えるこの場所から姿を消していた。

 今朝迷宮に潜る前、また新たな遺物を見つけたら貸してもらうと、マキーナと約束していた。なのでここで待っていれば、彼は大好きな古代の遺物をすぐにでも拝むことができたはずなのだ。

 だというのに、彼はここにはいなかった。

 

「どういうことかしら……?」

 

 シスカのそんなつぶやきに全員が内心で同意していると、

 

「スターマン様を……お探しなのですか?」

 

 突然、そんな落ち着いた声がかかってきた。

 

 声のした方を振り向くと、そこには一人の男性が立っていた。年齢は初老ほど。姿勢や挙動が無駄なく洗練されていて、身なり服装もきちんと整っていた。高貴な身分か、あるいはそれに準ずる者であることはすぐに分かった。

 

 オルカは男性の顔を見ながら、

 

「あなたは……?」

「申し遅れました。私(わたくし)、レッグルヴェルゼ家の使いの者でございます。もう一度お聞きしますが……あなた方はスターマン様を探しておられるのですか?」

 

 終始落ち着き払った口調で再度問われ、オルカは「はい。そうですが……」と肯定した。

 

 男性はややすまなそうな表情を浮かべると、こちらへ会釈しながら、

 

「申し訳ございません。ただいまスターマン様は急務のため、研究室にお戻りになられました。ゆえに私はスターマン様から伝言をお預かりし、ここへお戻りになられた冒険者様方へそれをお伝えするよう仰せつかっております」

「伝言、ですか?」

「はい。「地上へ戻り次第、用意された大型石車で宿へ戻って頂いて結構です。もしまだ最下層へ到達していないのであれば、二日後の朝に再び調査を再開します。最下層への到達が確認できましたら、お手数ですが、トップランカーの冒険者様が研究室までいらっしゃってその事をお伝えくださいますようお願い致します。そして次の日の朝、「妖精の方舟」にて解散式を執り行いたいと思います」――以上です」

 

 聴き終えるや、最初に口を開いたのはシスカだった。

 

「何よそれ? なんかちょっとテキトー過ぎやしないかしら?」

「本当に申し訳ございません。スターマン様も大変恐縮されていらっしゃいましたので……」

 

 何度も小さく頭を下げる男性。

 

 だが、オルカはスターマンの伝言を聞いたことでようやく腑に落ちた。

 最初に見た時、冒険者たちは他のパーティに何かを聞いて回っている様子を見せていた。あれは、最下層に到達したかどうかを訪ねまわっていたのだろう。

 だが、二階層に挑んだのはオルカたちだけ。つまり、今まで一階層で宝探しに明け暮れていた冒険者たちには知る由もないのだ。

 

 ここは、しっかりと皆に「最下層まで到達した」と宣言しておかなくてはいけない。でなければ調査を継続するか否かが彼らには分からない。それが不確かな以上、帰るに帰れないだろう。

 

 ……考えるほど杜撰(ずさん)さが目立つやり方だ。こんな無思慮な段取りを、本当にあのスターマンが考えたのだろうか。

 

 だがもう後の祭りだ。そうなってしまったものは仕方がない。それにスターマンは若くして有名な考古学者となった人物だ。何かこちらのうかがい知れない事情でもあるのかもしれない。

 

 マキーナも目が合った瞬間、こくんと頷いた。彼女の目や顔を見るだけで、自分と同意見であるとなんとなく確信できた。そこまで通じ合えていることに、オルカは嬉しさを感じる。

 

「それじゃあ、みんなに早く教えないとね。それが終わったら、ミスター・レッグルヴェルゼの所へ行ってくるわ。最下層到達のこともそうだけど、「コレ」も見せてあげたいしね」

 

 手に持っている「青い火の紋章」を見せながら、子供っぽく笑うマキーナ。

 

 ――その笑顔から数分後、彼女は冒険者全員に最下層到達を宣言。

 

 そして、冒険者たちは「やっと帰れる」と言いたげなくたびれた表情を浮かべながら、停められた石車に次々と乗り込んだのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マキーナ・クラムデリアは大型石車に乗って、迷宮のある山岳地帯からアンディーラへと戻った。その道中は相変わらずの悪路であり、少し酔いかけたが、(オルカ)の前でリバースするという醜態を晒さずには済んだ。

 大型石車から降りた後にオルカたちと一度別れ、一人スターマンの研究室へと向かった。オルカが「一緒に行く」と言ってくれた時は嬉しかったが、彼も疲れていると思ったのでマキーナはそれをやんわり断った。今頃はパーティメンバーとともに宿へ戻っていることだろう。彼に抱きついて頬ずりして匂いを嗅ぎまくるのは後のお楽しみに取っておく。

 

 そして現在、スターマンの研究室までの道のりを歩いていた。

 研究室の場所はあらかじめレッグルヴェルゼ家の使いの者に聞いているため、その教えられた道順をなぞるように進んでいる。スターマンの研究室はレッグルヴェルゼの敷地の外にあるらしい。

 

 これで、今回の迷宮探索はおしまい。

 これまで何度も未踏査迷宮に潜ってきた自分であったが、今回の探索は、今までのソレと比べて特別な思い出になるだろう。

 

 だって、ずっと愛して愛して止まなかった人に、告白を通り越して結婚を申し込まれたのだから。

 あの時はあまりの嬉しさに、死にたくはないがもう心臓麻痺で死んでもいいなどという、矛盾する思いでいっぱいだった。

 それから、八年間会えなかった分を埋め合わせようとばかりに彼に甘えまくった。彼も表面上は困った顔をしながらも、口元が常ににやけていて嬉しそうだった。それを確認すると「ああ、オル君は抱きつかれて嬉しいんだ。私のこと好きなんだ」と再確認し、さらに幸せ度合いが増した。

 せめてもう一つわがままを言うなら…………ベッドで寝ている時にも手を出して、めちゃくちゃにして欲しかった。まあでも、これから先いくらでも機会があるだろう。

 

 ……ああ、ダメだダメだ。彼のことを考えると、途端に思考が桃色に染まってしまう。

 今すぐ踵を返して「妖精の方舟」まで引き返し、彼の腰に抱きついて「やっぱり一緒に来て?」と言いたい衝動に駆られる。

 自分みたいなタイプは、世間一般には「重い女」ととらえられるかもしれない。

 でも、それでも、長年内に秘めていた想いが無尽蔵に溢れ出して止まらないのだ。

 

 そんな悶々とした心境を引きずったままひたすら歩みを進めるマキーナ。

 

 道中、料理を作っている最中に彼に後ろから強く抱きつかれて首筋の匂いを嗅がれたり、彼と貪り合うような深いキスをしながらベッドになだれ込んで、朝まで獣のように求められたり……そんな濃いピンク色に染まった妄想を何度も思い浮かべた。

 

 そんな風に頭の中が幸せだったからだろうか、退屈でしかない歩行もサクサクと軽い足取りで進めることができ――思ったよりも早く目的地に到着した。

 

 目の前には一般民家と変わらない質素さをもった、小さな二階建ての建物が建っていた。玄関口のあるスペースを残して、一階の半分以上がガレージとなっており、中には人が二、三人乗れそうな小型の石車が停まっていた。

 ここが貴族の子息の仕事場兼寝床であるという事実を、アンディーラの外の人間が何人信じるだろうか。

 彼が家の中で冷遇されているためか、それともスターマンが元々質素さを好むからなのか、有数の貴族である彼がこんな場所に住む理由はマキーナも知らない。両方が理由という可能性もあるが。

 

 暗くなる前に用事を済ませてしまおう。そう思い、マキーナは玄関口のドアをノックした。

 

 二、三度叩いただけだったが、すぐに建物の中からドタドタというせわしない足音が近づいてきて、ドアが開かれた。

 

「おお、ミス・クラムデリア! やはり貴女が来てくださいましたか! ということは…………」

「ええ、ミスター・レッグルヴェルゼ。最下層に到達した事を伝えに来ましたの。それと――コレを見せに」

 

 マキーナは上着のポケットから「青い火の紋章」を取り出し、それをスターマンに見せた。

 

 途端、彼は笑顔を一層輝かしいものにしながら、

 

「あ、ありがとうございます!! そ、その、お貸ししてもらっても……!?」

「構いませんわ」

 

 本当に好きなんだなぁ。そんな風に内心で微笑ましく感じながら、マキーナは紋章を手渡した。

 

 スターマンは新しいおもちゃを買ってもらった子供のような無邪気な表情を浮かべ、その紋章をあちこちからじっくりと眺めている。

 

 マキーナは苦笑した。彼の好きにさせてあげたいが、こちらも用件があってここまで来たのだ。それを早く済ませないといけない。

 

「あのー、ミスター・レッグルヴェルゼ? そろそろ本題に入りたいのですが……」

「え……あ、ああ! これは申し訳ない! ささ、どうぞお入りください。詳しい話は中でいたしましょう」

 

 そう言って、屋内へ招き入れてくれるスターマン。

 

 入ってすぐ目の前には階段が真っ直ぐ上まで伸びており、彼の後に続く感じでそれを登る。

 

 そうしてたどり着いた二階を見て、マキーナはぽかんとした。

 

 倉庫、書斎、寝室――その三つの役割が一つの空間に凝縮されたような部屋だった。四隅には煤けた書物の数々が塔のように積まれており、ベッド、机、古代の遺物の納められたガラス棚が、四つある書の塔の間を縫うような位置で配置されていた。

 

 良く言えば多機能、悪く言えば種々雑多な部屋。この場所に高貴な身分であるスターマンが寝泊りしている様子を、うまくイメージできない。

 

 ……この人、本当に貴族なのかな。

 

 呆気にとられた様子のマキーナを見て、スターマンはバツが悪そうに頭を掻きながら、

 

「ははは……狭くてごちゃごちゃした部屋ですみません」

「い、いえ、そのようなことは……」

「お気遣いはいりません。でも、こんな部屋でも長く住むと快適なのですよ? 「住めば都」とはよく言ったものです。さぁ、おかけください」

 

 スターマンが部屋の端にあった木製の椅子を引っ張り出し、マキーナの前まで持ってきてくれた。

 

 マキーナは軽く一礼してから、ゆっくりと椅子の上に腰を下ろした。

 

「少々お待ちください。今、書類を用意しますので」

 

 そう告げてから、スターマンは机の引き出しを探り始める。おそらく危険度について話を聞いた後、それを冒険者協会へ通達するための報告書に書き記すつもりなのだろう。

 

 マキーナは座りながらじっと待つ。

 

 だが視界の端――ベッドの上に、一冊の書物が置いてあるのを見つけた。

 

 煤け具合から見て、相当古い文献だった。そして、表紙にうっすらとだが浮かび上がっていたのは「「ぷろめてうす」うんようまにゅある」という古代語。どうやら、古代文献のようだ。

 

 机を探っているスターマンを見た。彼は今、背中を向けている。

 

 マキーナは彼の見ていない隙に、その文献を手に取った。みんな信じてくれないが、自分は古代語を読める。その謎のスキルを活かして、彼の知らない事実を解読してやろう。そんなちょっとした悪戯心のようなものが芽生えたのだ。

 

 書物を傷つけぬよう、ゆっくりと開く。遥か昔の本であるにもかかわらず、製本は未だしっかりとされていた。そして、紙面に目を通した。

 

 習ったことのないはずの文字。だがやはり、まるで元々知っていたかのようにスラスラと読み進めることができた。

 

「――ふたつのえりあのさいおうにてげんじゅうにほかんされた、れっど、ぶるー、にしゅるいのぱーつをくみあわせることで「ますたーきー」をかんせいさせる。その「ますたーきー」にいんぷっとされた「ますたーこーど」によってのみ、ぜんせきゅりてぃーろっくのかいじょおよび、こんとろーるるーむのそうさによるぜんしすてむへのかいにゅうがかのうとなる――」

 

 あまりに快調に読み進められるため、つい声に出したくなってしまう。

 

「――こんとろーるるーむのそうさによって「だいにどうりょくきかん」のうんてんをかいしさせる。だいにどうりょくきかんうんてんをかくにんしだい、きどうしーけんすのじっこうをかいし――」

 

 ところどころに意味の分からない単語が散りばめられているが、それでも滑るような勢いで読めてしまう。「読める」と「言葉の意味が解せる」では、微妙に意味合いが違うのだ。

 

「しすてむのおーるぐりーんかくにんをさいごに、きどうしーけんすはしゅうりょう――ちょうおおがたせんりゃくふゆうぼかん「ぷろめてうす」のうんこうがかのうとなる」

 

 ――ガタンッ!!

 

 突然そんな物音がしたためマキーナはビクッとし、一度音読を区切った。

 

 音のした方向は、スターマンの机のある方だった。

 

 スターマンはこちらをジッと凝視している。

 少し、怖い顔をしていた。

 あからさまな怒りの表情ではない。真顔だ。だが真顔でも、そこから奇妙な凄みを感じたのだ。

 

 今更ながら、マキーナは自らの軽率さを痛感した。

 

「……ご、ごめんなさい! 勝手に触ってしまって! 少し興味があって、その……とにかくごめんなさい!」

 

 素直に頭を下げて謝罪した。彼は古代の遺物を愛しているのだ。それをむやみやたらに触ったらいい気分はしないだろう。

 

 だが次に彼の口から浴びせられた言葉は、糾弾ではなかった。

 

 

 

「ミス・クラムデリア――それが読めるのですか?」

 

 

 

 そう訊いてきたスターマンの顔は、今まで見たどの表情にも合致しない、異質なものだった。

 

 まるで、血眼になって探し続けてきた財宝をようやく見つけたような、そんなギラギラした光が双眸の奥に見え隠れしていた。

 

 それを見て、マキーナは彼に悪いと思っていても――不気味に感じた。

 

 しかし、それを素直に口に出すのははばかられたため、彼の質問には普通に答えた。

 

「え、ええ、実はそうなんですの。でも、みんな信じてくれませんし……私の気のせいということもありえるでしょうが」

「……よかったら、もう少し聞かせてくださいませんか? ミス・クラムデリア」

 

 スターマンはそうやんわりと頼んでくる――その表情は、いつもの人好きする笑みに戻っていた。

 

 先ほど浮かべた表情は、彼の文献を勝手に覗いてしまったことへの罪悪感が作った誇張なのかもしれない。マキーナはそう無理矢理結論づけてから、再度紙面に目を落として音読し始めた。

 

「――なお、「ぷろめてうす」うんようのさいは、いかのことをじゅんしゅするべし。だいいちじょう――」

 

 そこから先を続けようとした時だった。

 

 不意に――強烈な眠気が襲ってきた。

 

 自身の意識を地の底まで引きずり込まんばかりの凄まじい睡魔が、何の前触れもなく突如訪れたのだ。

 

 体が鉛のように重い。体のバランスを保つ余裕がなくなり、座っていた椅子から転げ落ちてしまう。

 

 暗闇が生じ始めた視界に映るのは、スターマンの足。そこからさらに見上げる。

 

 そして、スターマンが片手に持っていた「ソレ」を目に映した瞬間――マキーナは信じられないという思いを抱いた。

 

「それは……まさか…………シープ…………」

 

 そのか細い呟きを最後に、マキーナの意識は闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターマンがマキーナを「眠らせる」のに使った道具は『シープベル』という、銃に似た形の小型機械だった。特殊な電磁波を照射することで対象の脳に強い睡眠衝動を引き起こさせ、半強制的に眠りにつかせる機能を持つ。

 

 元は、不眠の症状に悩まされている人のために作られたものであったが、この機械は世に出るや、そんな製作者の意図とは全く別の使われ方をした。『シープベル』は睡眠強盗や強姦などの犯罪に幾度も悪用されてしまい、結果、法律によって開発、製造、所持が厳しく取り締まられるようになった。

 

 表の世界ではすでに根絶されているためお目にかかれないが、貴族である自分のツテを利用すれば裏ルートから苦もなく手に入る。もっとも、入手に関わった者たちには口封じに消えてもらったが。

 

 床に横たわるマキーナを、スターマンは瞠目して見下ろしていた。

 

 そして、彼女の手にあった古文書を拾う。

 

「――コレの解読に成功した人間は、僕を除いて他にいない。その上、解読結果を学会で発表した覚えもない。ゆえにこの文献に記された言葉を紐解ける者は、この世界で実質僕一人のはずだった」

 

 そう。そのはずだった。

 

 だというのに――

 

この女(・・・)は、考古学の心得の欠片もないはずなのにこの文献を読んでみせた――僕が読み取ったのと全く同じ文章で」

 

 貴族であることを除けば、下賤で野蛮な冒険者の一人でしかない女。そんな女が、自分と全く同じレベルで古代語を解したのだ。

 

 これの意味する所は、一つしかない。

 

 この女も自分と同じ能力を持っている――生まれつき、古代語を読み取ることのできる能力を。

 

 スターマンはその結論からさらに論理の鎖を連ねていき、もっと大きな「結論」を手に入れた。

 

 全てを悟るや歪に嗤い、穏やかに寝息を立てるマキーナを舐めるように見た。

 

「…………クククク。こんな思わぬ形で「同胞」に巡り会えるとは。予定では「儀式」を終えた後にじっくりと探すつもりだったが、まさか始まる前に手に入るなんてね…………ククッ。これぞまさしく僥倖」

 

 表面上は丁寧かつ好意的な態度を装ってはいたものの、マキーナのことは下賤で野蛮な冒険者のお山の大将的存在としか考えていなかった。自分の代わりに危険な迷宮の中へ潜り「儀式」の下準備をしてくれる働きアリの中で、最も優秀な個体。その程度の認識だった。

 

 その汚らしい冒険者の群れの中に自身の「同胞」が混じっているなど、露ほどにも思わなかった。掃き溜めに鶴とはまさにこのことだ。

 

 スターマンはしゃがみ込み、マキーナの顔を覗き込む。そのまま、そのなめらか且つ煽情的なボディラインをなぞるように視線を下げていく。

 何もかもが美しい。眺めているだけで下腹部の辺りに劣情をもよおしてくる。こんな上等な女を、あんな野良犬にくれてやるなど勿体無い。

 

「さあ、ともに新たな未来を築き上げよう――我が伴侶よ」

 

 黒髪の眠り姫に、スターマンは静かにそう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、スターマンは研究室のガレージに停めてあった石車を走らせた。

 二、三人ほどが乗れる後部座席には、マキーナがそこの広さをすべて使って横たわっていた。だが周囲に見られぬよう、その姿は長い布袋の中に隠してある。

 

 そうしてやってきたのは、未踏査迷宮の入口がある広場だった。

 今回の未踏査迷宮の存在を、自分は発掘される前から知っていた。知った上でシラを切りつつ発掘させ、そして「未踏査迷宮調査依頼」という大きな釣り針で各地から冒険者をおびき寄せて、迷宮内を探索させた――自分の野望を成就させるために。

 

 もう帰ったのか、冒険者の姿は一人も無く、いるのは自分たちだけだった。自分の伝言に唯々諾々と従ったのだろう。期待を裏切らない単純な連中だ、冒険者という生き物は。

 

 空にはすでに夕日の茜色が去り始めており、夜の暗幕が下りかけていた。比較的明るいうちに「仕上げの作業」をしてしまおう。

 

 スターマンはステアリングを操作し、石車を未踏査迷宮の入口――ではなく、ソレと向かい合うような形で建つ、幾何学模様の入った純白の六角柱の前に移動させ、停車。

 

 この六角柱は、あの未踏査迷宮とセットで発見されたものだ。他の連中には「正体不明の物体」と誤魔化してあるが、自分はこの正体をあらかじめ知っていた。

 

 マキーナを一旦石車に残したまま、六角柱に歩み寄る。

 

 そして、ポケットから取り出したのは――「赤い火の紋章」と「青い火の紋章」。

 

 ともに、マキーナたちから「借りた」ものだ。

 もちろん、借りるというのは最初から口実のつもりだった。これより行う「儀式」の後では、もう貸し借りがまともに成立する関係ではなくなるのだから。

 この二枚の紋章は、自分にとって最も大事なものだ。ゆえにコレを手に入れた冒険者から奪いとる手段を事前に色々と考えていた。だが二枚を入手したのは、お人好しなマキーナたちだった。ゆえに「借りる」という無難かつ手軽な方法で手にすることができたのだ。

 

 スターマンは右手に赤い火の、左手に青い火の紋章をそれぞれ持つ。

 赤い紋章の中心には、小さな穴が空いている。そこへ青い紋章の中心にある突起を挿入し、二枚をぴったりと重ね合わせる。

 

 次の瞬間、カチッという音が紋章から聞こえた。二枚が重なったまま、剥がれなくなる。

 重なって一枚となった火の紋章の両面がゆっくりと色を変えていき――やがて紫色となった。

 

 スターマンは一笑する。文献に書かれた通りだ。

 

 そしてその「紫の火の紋章」を、六角柱の表面に添える。

 

 刹那、柱の表面に走っていた幾何学模様が――まるで脈動するかのように一瞬、発光した。

 

 

 

《防衛省公認マスターキーの提示を確認しました。これより超大型戦略浮遊母艦「プロメテウス」の全セキュリティー解除をスタートします――完了。これより、このエレベーターポッドの進路をコントロールルームへとコネクトします――完了。どうぞお入りください。なお、マスターキー所持者にも「プロメテウス」使用規定の遵守は義務化されています。規定違反を確認次第、安全保持のために強制措置を執り行いますので、御理解と御注意を御願い致します――繰り返します。マスターキー所持者にも「プロメテウス」使用規定の遵守は義務化されています。規定違反を確認次第、安全保持のために強制措置を執り行いますので、御理解と御注意を御願い致します》

 

 

 

 六角柱から、人間味のない無機質な音声が発せられた。

 どの国家でも使われていないであろう、古き時代の言語。

 自分も音声として聞くのは始めてだが、やはりというべきか――紙が水を吸うがごとく意味を解することができた。

 

 やがて六角柱の一部に、波紋が広がるように「入口」が形成された。

 

 それを見た瞬間、スターマンは我が世の春の到来を感じた。

 機は熟した。

 とうとう長年の悲願が成就する。

 義理の親たちからの冷遇に耐え、先史文明オタクなどという偽りの仮面を被って生きてきた努力が今、とうとう報われるのだ。

 

 

 

「これで――この世界は僕のモノだ」

 

 

 

 破顔し、日が沈みかけた空を仰ぎ見る。

 

 あの太陽が沈んだ時、この世界も大いなる凋落を迎えることになるのだ。

 


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