外付けオリ主で問題児   作:二見健

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第六話

 箱庭都市の各所には水源が存在している。

 河川から溜め池、果ては湖まであるという。広大な箱庭都市ならではのものと言えるだろう。

 

 用途は飲料用、耕作用、業務用など様々だった。火災の消火に用いられることもあるらしい。

 

 時刻は真夜中だった。月明かりが川辺に降り注いでいる。

 月光浴という言葉が、彦一の脳裏に浮かんだ。

 

『ノーネーム』の年長組の少年が、クリップボードにペンを走らせていた彦一に問い質す。

 

「彦一にーちゃん、これゲンジだろ?」

「どれどれ。ああ、合ってるぞ。よくわかったな」

 

 少年は両手でぼんやりと輝くものを包み込んでいる。

 

 それはホタルだった。

 

 遠目から見れば綺麗な光を放っているが、近くでよく見てみると気持ち悪いものである。

 

 こう言っては何だか、まるで台所などでよく見かけるアレの小さいバージョンだ。それを手づかみとは、子どもは怖い物知らずだった。

 

「ゲンジボタルの頭の模様は『黒い十字紋』。ヘイケボタルは『縦のライン』だ」

「もう五カ所目だからな。慣れたぜー!」

「わかったから、もっと捕まえて来い」

 

 彦一は少年の頭をぽんと撫でて、ぐいっと押し出した。少年は笑いながら、川辺へと戻っていく。

 

 その様子を眺めていたジン・ラッセルが、嬉しそうに目を細めた。

 

「こういうのも楽しいですね、彦一さん」

「まぁいずれあいつらも『ノーネーム』を背負って立つわけだからな。今のうちに何でも経験しておくべきだろう」

「危険の少ないギフトゲームですからね。ところで明日の家事はどうするんですか?」

「……あ」

 

 年長組全員がここにいる。

 時刻は真夜中。明日は昼間まで、このギフトゲームに参加している子どもたちは寝かせてやらなければならない。

 ということは、明日の家事が半日止まる。

 

「た、たぶん黒ウサギとか……飛鳥とか、春日部とか……とか……」

「殺されますよ! 僕は知りませんからね!」

「なに逃げようとしてやがるんだ! お前も連帯責任だからな!」

 

 何気にハイスペックな黒ウサギなら家事ぐらいはできるだろうが、子どもが百人も暮らしている『ノーネーム』である。黒ウサギ一人ではすぐにパンクしてしまうだろう。

 

 かといって飛鳥や耀に家事スキルを期待してはいけないことぐらい聞かなくてもわかる。

 

 年長組を連れ出した彦一とジンに鉄槌が下ることが確定していた。

 

「それでも僕は関係ありません!」

「うっせぇ、ホタルぶつけるぞ!」

 

 それはともかくとして。

 

「ゲンジボタル二十匹、確認終了。水質は良好っと」

 

 彦一はクリップボードにメモをする。

 

 

 

 契約書類(ギアスロール)文面。

 

『ギフトゲーム名 『源平蛍の調査』

 

 参加資格 米派であれば他は不問。

 

 概要   指定ポイントに生息しているホタルを調査する。

      最も優れたレポートを提出したコミュニティが優勝。

 

 賞品   お米券(50kg分)

 

 宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、各コミュニティはギフトゲームに参加します。

                       箱庭都市農業共同組合 東区下層支局印』

 

 

 

 ギアスロールを見ただけでは、何を目的としたギフトゲームなのか、さっぱりわからない。

 

「最も優れたレポートとは、一体何を示しているのか」

 

 情報が欠損している。おそらく意図的に行われている。主催者側は足りない情報は自分で埋めろと言いたいのだろう。

 

「これを書いたやつは、相当に意地が悪いだろうよ」

 

 彦一は肩をすくめた。

 

 ホタルは綺麗な水にしか生息していないと言われているが、これは半分間違いだ。

 

「綺麗な水に住んでいるのはゲンジボタルが代表的だがな。例えばヘイケボタルは止水――流れていない水、水たまりなどにも生息している。もちろん限度はある。工業汚水が流されている場所には住んでいないが」

 

 源平蛍とは『ゲンジボタル』と『ヘイケボタル』を差しているのだろう。

 

「それを調査しろと言うことは、つまりこれは水質調査だ」

「いえ、それよりも米派というのは……」

「言うな」

「参加資格のところに……」

「言うな」

 

 これはもう突っ込んだら負けだ。彦一はジンを睨んだ。

 箱庭の農協は狂っている。それだけだ。

 

「あの。私、パンの方が……」

「ダメです!」

 

 不穏なことを口走りかけた年長組の少女の口を、キツネ耳の少女が塞いでいた。

 

「『ノーネーム』はみーんなお米派です。そうですよね?」

 

 リリが優しく諭しているが目が笑っていなかった。口を押さえられた少女は涙目でコクコクと頷いている。

 

「まぁお米券は欲しいよな」

「そうですよね! お米ですからね!」

 

 リリのキャラがおかしい。

 真夜中の外出でテンションが上がっているといっても限度があるだろう。

 

 米には中毒性があるという。米の魔力がリリをダークサイドに引きずり込んでしまったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 年長組を連れ出したことに対するお咎めはなかった。なかったと言うより、それどころではなくなっただけなのだが……。

 

 無事にお米券をゲットした彦一たちは、屋敷に帰還するとベッドに直行した。

 そんな彦一を叩き起こしたのが黒ウサギである。

 

「彦一さん! 大変なのですよー!」

 

 早朝から鬱陶しすぎる声だった。

 

 結論から入ることにする。

 

「え? もしかして、ぼっち?」

 

 東区と北区が共同で祭りを開催することになっており、十六夜、飛鳥、耀の三人がそれに参加するために脱走していた。

 なお問題児たちは案内役としてジンを拉致している。

 

「な、なんで……俺、なにか悪いこと、した?」

「しかも今日中に問題児様方を捕まえられなければ、あのお馬鹿たちはコミュニティを脱退すると言ってやがるのですよ!」

 

 彦一はショックで呆然自失している。「寝る」と呟いて頭から布団を被った。

 

「寝ないで下さい! 話を聞くのですよー!!」

 

 黒ウサギがどこからか取り出したハリセンで布団をバシバシ叩いていた。

 

 そんな騒動の後、とりあえず彦一と黒ウサギは場所を移していた。

 年長組が爆睡しているため、食堂は閑散としている。彦一は面倒臭そうに溜息を吐くと、台所を漁って手早く朝食を用意した。

 スクランブルエッグとソーセージ。それにクロワッサン。料理というほどのものではない。

 

「そもそもの始まりからして、その大祭……たしか火龍誕生祭ってのはどういうものなんだ?」

「はぁ、それは……って、こんなに落ち着いていて大丈夫なのでしょうか」

 

 腹に食べ物を詰め込んで、優雅に食後のコーヒーを楽しんでいる彦一に、黒ウサギが釈然としない顔をする。

 

 それはさておき、火龍誕生祭とは北区と東区の階層支配者が主催している、とんでもなく規模の大きいイベントだという。

 そこで行われるのは展示会や評論会、多種多様なギフトゲームである。

 

 そんな面白そうなものに、あの十六夜たちが参加しないわけはない。

 

「やはり屋敷内にはいないようだ。だが、興味深いものを見付けたぞ。私たち宛の招待状が届いていたようだな。差出人は白夜叉だ」

 

 レティシアが食堂に入ってくる。

 彼女は双女神の封蝋が押された封筒を、ひらひらと指でつまんで振っていた。

 

 とりあえずの方針として、黒ウサギが全力で十六夜たちを追跡することになった。

 

 大祭の会場は恐ろしく遠い。九八〇〇〇〇kmという距離である。

 そのため『境界門(アストラルゲート)』を利用することになるのだが、一般人がこれを利用するには、およそ金貨一枚が必要になる。四人合わせて金貨四枚。これは『ノーネーム』の全財産に匹敵する。

 十六夜たちに払える金額ではない。

 

「なら招待者である白夜叉を頼るはずだ。俺たちはそっちを当たってみる」

「YES! お願いするのですよ!」

 

 それと『箱庭の貴族』である黒ウサギは『境界門(アストラルゲート)』の使用にお金がかからない。彦一たちよりも先に会場入りできるのである。

 

 と言うわけで行動開始だ。彦一は眠たげに欠伸をしながら席を立った。

 

 

 

 

 

 

 

 やはり『サウザンドアイズ』の店員は、彦一たちには冷淡だった。

 仕事の邪魔だからさっさと帰ってくれと言いたげに、それでも白夜叉から言い含められているのだろう、きちんと彦一たちに『境界門』の利用許可を出してくれていた。

 

 そして予想通りと言うべきか、白夜叉はすでに十六夜たちと大祭の会場に向かってしまっているという。

 

 大祭の会場は四〇〇〇〇〇〇外門・三九九九九九九外門の境界である。

 

『境界門』で転移した彦一は、まず目の前にそびえたつ赤色の壁に圧倒された。

『ノーネーム』の本拠地とはまったくの別物である。それこそ都会と田舎ほどに違っていた。

 

「さて、十六夜たちはどこにいるのか」

 

 彦一は振り返り、周囲を見回し、ふむと顎に手を当てた。

 つい先ほどまでレティシアと一緒にいたはずなのだが、彼女の姿がどこにも見当たらない。

 

 迷子だろうか。

 だとすると、この場合はどちらが迷子になったと言うべきなのだろう。

 

(まぁ、何とかなるだろう……って、考えた傍から出て来やがった)

 

 二十八秒後、十六夜たちが走り抜ける。黒ウサギがそれを追っていた。

 

 ぼーっと眺めているだけでは、後で黒ウサギに苦言を呈されそうだ。十六夜にぶちのめされる未来が見えていたが、彦一は十六夜たちの進路を塞ぐことにした。

 

「悪いな、十六夜。足止めさせて貰うぞ」

「彦一、お前もか。だがそれは無謀だぞ!」

 

 案の定、彦一は地面に寝転がっていた。

 十六夜が怪我をさせないように優しく『撫でた』のだろう。妨害者を鎧袖一触に蹴散らした十六夜は、それでも舌打ちをひとつ。たった一瞬の時間稼ぎ。それだけで彼は黒ウサギに追いつかれると理解したのだ。

 

「捕まえたぁぁぁぁッ!」

「わ、わっ!」

 

 最初の犠牲者は耀である。

 背後から黒ウサギに抱き付かれた耀は、投げっぱなしジャーマンのごとく放り飛ばされた。

 

「彦一さん! 耀さんをお願いするのですよ!」

「おい、俺かよ!?」

 

 一仕事終えたつもりだった彦一は、突然ノルマを増やされて絶句している。

 投げ飛ばされた耀は難なく着地しており、まだまだ健在のようだった。彦一では取り押さえることなどできないだろう。こういうのを無茶振りという。

 

 能力的に、やはり足止めしかできそうにない。

 

「そこ、通して欲しいんだけど」

「それは無理だ。黒ウサギかレティシアが戻ってくるまで時間を稼がせて貰う」

「この、他力本願」

 

 ひどい罵声だった。だが事実だ。どうしようもない。

 

 彦一はハッと笑う。

 耀を取り逃がさないように進路を妨害する。やっていることはバスケの守備、あるいはガバディのようである。シュールな光景だった。

 

 そんなアホっぽい二人に、横合いから呆れ果てたような声がかけられた。

 

「なにをしておるのだ、おんしらは」

「ジン、手を貸せ!」

「え、ええぇ!?」

 

 白夜叉はおそらく傍観に徹するだろう。だからどうでもいい。

 彦一は傍にいたジンに助けを求めた。肉壁にしかならないだろうが、猫の手でもいいから借りたい状況である。

 

「うわあぁぁぁ!?」

 

 と思っていたら、ジンが一瞬でノックアウトされていた。

 

 何が起こったのかまったく理解できないが、とりあえず彦一はギフトで見えた光景を阻止するために両腕で頭を守る。

 

 直後、右腕に衝撃が伝わった。

 

(こいつ……数の上で劣勢になったと悟った瞬間、本気で俺たちを潰しにかかった!?)

 

 ビリビリと痺れるような感覚がしている右腕を振りながら、彦一は引きつった笑みを浮かべた。

 

 ふと疑問に思う。

 わざわざ北区との境目までやってきたと言うのに、なぜか耀とガチンコの殴り合いをしている。

 

「俺ら、何やってんの?」

「……それは、言うべきではないと思う」

 

 二人揃って溜息を吐いた。

 勝負は始まってしまったのだ。ならば決着を付けなければならない。勝ち目がないとか、勝負をする意味がないとか言って途中で勝負を下りるのは、あまりにも情けない。だから彦一はこんな無意味な勝負でも真剣に挑もうと考えている。

 

 二人は同時に身構えた。

 

「無理……もう、無理……」

「彦一、やっぱりひ弱だね」

 

 五分後、最終的に力尽きてぶっ倒れた彦一に、耀が呆れた顔をした。

 逃げ出した耀は、やがて飽きたのか自分から戻ってきた。まるで猫のような気まぐれな行動に、彦一は思わず苦笑してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 十六夜と黒ウサギが鬼ごっこのギフトゲームによって時計台を破壊していた。

 さっぱり意味がわからないが、あの十六夜がすることだからと納得しておく。

 

 それから北のマスター『サラマンドラ』の新党首であるサンドラと会談する。そこで『ノーネーム』が招待された理由のひとつが明かされた。『サウザンドアイズ』の幹部が『火龍誕生祭にて魔王襲来の兆しあり』と予言していためである。

 

 なおサンドラは幼い少女だった。新党首が若年のため、組織内部から不穏な気配がしている。

 

(コミュニティの政治的な話は、十六夜に任せてしまってもいいか)

 

 本来はジンの仕事である。十六夜の立ち位置はその補佐だったが、事実上コミュニティを牽引しているのは十六夜だった。

 どちらにしろ彦一が口を挟むような話ではないだろう。面倒事は押し付けてしまえとばかりに丸投げしてしまう。

 

 そんなことよりも折角の機会だ。

 

 彦一は堅苦しい会談からこっそり抜け出していた。

 無表情にそれを眺めていた十六夜が不気味すぎたが、他には誰にも気付かれていない。これぞまさしくギフトの無駄使いである。

 

 展示会でこの世界ならではの作品群を鑑賞していると、ふと、少女が展示品に手を伸ばしているのを見付けてしまった。

 

「おいおい。展示品に触れるのはアウトだろ」

 

 泥棒には見えないが、そうでないとは断言できない。彦一は咄嗟に少女の手を押さえ付けた。

 

「……離してくれない?」

「なぜ手を伸ばしたのか、理由を話してくれるなら」

「なぜって……気に入らなかっただけよ」

 

 少女のガラスのような瞳が彦一を見上げた。

 

 彼女が手を伸ばしていた先にあるのは、ありふれたネックレスだった。

 シルバーを曲げて作られたヘキサグラムのネックレス。いわゆるダビデの星だ。

 

 安っぽい商品を並べている露点などでも売っていそうな代物である。

 それを気に入らなかったとは。たしかに誰も見向きもしていないが、そこまで言われるほどのものではあるまい。

 

 おまけに少女が着ている衣服は斑模様のワンピース。正直言って趣味が悪い。

 

「なんか変な服を着ているし、俺とは美的感覚が違うのか?」

「……失礼ね。死にたいの?」

 

 物騒なことを言われた。やはり感性がズレているようだ。

 面倒事の気配がする。これ以上は関わり合いになるべきではないだろう。彦一はさっさと退散しようとして――。

 

「久しぶりだな、テセウスの申し子」

 

 予知に従って足を止めた彦一の前に、醜悪な美青年が現れた。

 

『火龍誕生祭にて魔王襲来の兆しあり』

 

 白夜叉が提示した手紙に書かれていた内容だ。

 早速出会ってしまったようだ。よりにもよってこいつとは、彦一はわれながら運がないと肩をすくめた。

 

「ああ、そう身構えないでくれ。テセウス。今日は君に用はない」

「用件は?」

「君の誕生に祝福を。君の明日に福音を」

「そう、ありがとう。わかったから帰ってくれない?」

 

 少女と美青年は知り合いのようだ。

 呆然と立ちすくんでいた彦一は、ハッと気付いて距離を取る。

 

「せいぜい異教徒を殺し尽くしてくれたまえよ! 君がすべてを滅ぼした後に、私もまた君を滅ぼすだろう!」

「その言い回しは微妙に矛盾してない? で、何時になったら帰ってくれるの?」

「フハハッ! 悪魔のささやきなど聞こえぬよ!」

「聞こえてるじゃない。で、いい加減に帰って欲しいのだけれど」

 

 ついには少女も無言になり、後には高笑いするだけの美青年が残った。

 

 魔王パーヴェル。

 ロードス騎士団の団長。狂信者。異教徒への憎悪の化身。

 

 予言では『魔王襲来の兆しあり』とあったが、まさかこれのことだろうか。もしそうであるなら彦一も少女と同意見である。さっさと帰って欲しい。

 

 不本意ながら、彦一は少女と同時に溜息を吐いてしまう。

 

「しかし――興が乗った。少し遊んでやるとしよう」

 

 瞬間、弛緩した空気が、瞬きの内に消え失せた。

 不敵な嘲笑を浮かべていた魔王パーヴェルが表情を消しただけである。それなのに辺り一面から温度が失われてしまったように錯覚してしまう。

 

 展示会場に集まっていた人々は、恐れおののいて逃げ出していた。腰を抜かしている者もいる。

 

 

 

 契約書類(ギアスロール)文面。

 

『ギフトゲーム名 『CONSTANTINOPOLIS is UNDER FIRE』

 

 プレイヤー一覧 展示会場にいる者すべて

 

 ホストマスター 魔王パーヴェル

 

 勝利条件 魔王パーヴェルを打倒、または撤退させる。

      展示会場の防衛に成功する。

      巨砲を破壊する。

 

 敗北条件 プレイヤーの全滅。

      展示会場が完全崩壊する。

 

 ゲーム概要 プレイヤーは勝敗が付くまで展示会場から脱出できない。

       魔王パーヴェルは巨砲(攻城兵器)を失うと撤退する。

 

 

 ――このゲームの参加者は、二日後までゲームの内容を他言することができなくなる――

 

 

 宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

                           ロードス騎士団アステリオス印』

 

 

「遊んでやる? あなた、何様のつもり?」

「この私が直々に試してやろうと言っているのだ。わざわざ秘密にしてやるとも書いてやったのだぞ。それを病原菌ごときが口答えをするつもりかな。何ならギフトゲームの会場を『広げても』構わないのだが?」

「……覚えておきなさい。すぐに後悔させてあげるから」

 

 斑模様の少女が鼻を鳴らす。

 

 そっちのけにされた彦一は話について行けていないが、かといってただ突っ立っているわけにもいかなかった。

 彦一も参加者に加えられている。ここにいる全員が巻き込まれていた。

 

「無駄だろうけれど言っておくわ。私から離れなさい」

「……は?」

 

 少女が振り返って彦一に話しかけた直後、ぶわっと黒い風があふれ出した。

 

 数瞬先の未来、ギフトで見えた光景は、唐突に彦一がぶっ倒れるというものだった。両手足に浮き出ているのは黒い斑点である。

 

「黒死病か!?」

 

 ぐっと息を止めて、服の袖で口と鼻を覆い隠すが、ほとんど意味はなさそうだ。

 全身に激痛が走り、気管が詰まりかける。皮膚が腫れている。リンパ腺と肺に病原菌が入り込んでいる。

 目を血走らせながら対策を考えるも、良案など出て来ない。

 

 発症の速度が尋常ではないほど速かった。潜伏期間すら存在しない。間近で黒い風を浴びてしまったのが原因だろう。

 

(忠告するなら、俺が離れるまで待ちやがれよ――っ!)

 

 このままでは死ぬ。肺ペストにかかれば二・三日で呼吸困難になって死んでしまう。

 

「こんなところで死ねるか!」

 

 それは天恵だった。

 

 原因は斑模様の少女だろう。

 彼女が放った黒い風は『黒死病(ペスト)』である。

 

 その少女が「気に入らない」と言ったものがここにあった。

 

 ダビデの星。六芒星。ヘキサグラムのアクセサリー。

 それはユダヤ教の象徴だった。

 

 十四世紀、黒死病が欧州で猛威を奮った時、ユダヤ人の死者は他よりも少なかったという。

 そのユダヤ人が用いていた魔除けがダビデの星だ。

 

「ぐっ……あ……」

 

 彦一がネックレスを鷲づかみにすると同時、胸を圧迫するような息苦しさが和らいだ。

 

「幸運ね、あなた。ここに居合わせた不運と合わせると、マイナスになるのだろうけれど」

「……ふざけるなよ、魔王」

 

 吐き捨てるように言うと、少女はわずかに目を見張った。

 

 あの狂信者が直々に祝福を与えに来る、反十字教的な存在。かつ黒死病の風を振りまく災害のような存在。そんなものは魔王だけだ。

 

 斑模様の少女は魔王ペスト。

 

『ノーネーム』の敵である魔王のひとりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 魔王ペストの黒い風を受けても、魔王パーヴェルはびくともしない。

 

 当然だろう。あれは十字教の化身だ。信仰の奇跡は病魔を追い払う。ペストとの相性は最悪だろう――と言うより、パーヴェルが反則すぎる。陳腐な喩えになるが、魔王なのに光属性という初見殺しである。

 

 おまけにこちら側はペストの風によって重病者だらけだ。これでは自陣営の戦力を減らしただけではないか。

 ペストがその気になれば彦一たちを巻き込まずに黒い風を行使できるはずだが――なるほど、口封じのつもりか。これから何をするつもりなのかは知らないが、二日間の口止めでは安心しきれず、念を入れて消しておくと言うことなのだろう。

 

「……愚策だな。これはコンスタンティノープルだ」

 

 ギフトゲーム名は『CONSTANTINOPOLIS is UNDER FIRE』。

 直訳すると、コンスタンティノープルは砲撃を受けた。

 

 これは十五世紀の『コンスタンティノープルの陥落』のことだろう。

 

 千年の歴史を持つローマ帝国の後継者、ビザンツ帝国(東ローマ)は、アナトリア半島から襲来した異教徒によって滅ぼされてしまう。

 

 このギフトゲームは千年帝国の最後の一戦を示している。それは首都コンスタンティノープルを舞台に繰り広げられた攻城戦だった。

 

 魔王パーヴェルが攻め手、魔王ペストが守り手。

 

 彦一たちは守備兵の役割を担うはずだった。それが全滅している。

 

 守る者がいなければ城壁はただの壁だ。

 コンスタンティノープルには『テオドシウスの城壁』という難攻不落の三重壁があったが、兵力不足のため十分な働きができなかった。

 

 今や城壁は、ガラ空きだ。

 

「勝つ気があるのか、お前は!」

「……うるさいわね、ただの人間のくせに」

 

 ペストは鬱陶しそうに彦一を一蹴した。単独でパーヴェルとやり合うつもりなのだろうが、何度も言うが相性が悪すぎる。

 

 魔王パーヴェルも白けた目をしていた。

 

「詰まらん。この程度で魔王と粋がっているのか。これでは先代の、あの胡散臭い古本悪魔の方がまだまだ見所はあったのだが」

「……あの人は関係ないわ」

「まぁその辺りのことを知りたいとは思わないが。それでも主義主張を語りたいなら、この『ウルバンの巨砲』を砕いてからにして貰おうか」

 

 醜悪な美青年が白銀のギフトカードから無骨な鉄の塊を取り出した。

 

 それは土管のような鉄の筒だった。

 地面側には滑車が付いているが、簡単に持ち運びできるような大きさではない。

 

 謎のオブジェ。一瞬、頭が真っ白になった彦一は、やっと理解した。

 

「大砲!? 大型射石砲か!?」

「『テオドシウスの城塞』を割った悪魔の兵器だ。異教徒どもの製作にしては、中々面白い兵器だとは思わないか?」

「――っ!」

「万雷よ! 異教徒どもを焼き払え!」

 

 彦一は咄嗟にぼーっと突っ立っていたペストを押し倒す。

 

「おい、馬鹿か!」

「あなた、何を……」

 

 轟音が展示会場を吹き飛ばした。

 砲声はたったの一発。それだけで、展示会場が半壊している。建物の半分が抉り取られていた。

 

「どきなさい。あの程度の玩具では、私を傷付けることなんて――」

「できるんだよ!」

 

 憮然としているペストに怒鳴りつける。少女は押し黙り、不満げに彦一を見上げた。

 

「できるんだ! お前が黒死病の化身だというなら、あの大砲はお前の天敵だ!」

 

 ウルバンの巨砲。

 コンスタンティノープルの城壁を砕いた大砲だ。

 

 それがなぜペストの天敵になるのか。

 理由を説明するためには、まずペストの起源について語らなければならない。

 

 六世紀、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルでペストが大流行した。

 それまで『アテネのペスト』と恐れられていた疫病は、この期を境に『ユスティニアヌスの斑点』と呼ばれるようになる。それは皇帝ユスティニアヌス一世までペストに感染するほどの流行だったからである。

 

 そして十四世紀、暗黒時代に大流行したペストは、またしてもコンスタンティノープルから出航したガレー船から始まった。交易路に乗ってイタリア半島に運ばれ、そこからさらに広まっていったのである。

 

 コンスタンティノープルはペストの根源。

 その都市を砕いた大砲。それが『ウルバンの巨砲』だ。露骨なまでにペストをメタっている。

 

「私を倒すために、わざわざ持ち出してきたと言うこと?」

「……まぁ、そうなる」

 

 魔王と称している割には、やっていることが姑息だった。

 

「あの大砲さえ破壊できれば俺たちの勝利なんだが……」

「なら壊すわ。あんな出鱈目な大砲、連発できるわけが――!」

「ああもう! またかよ!」

 

 不確かな情報だけで突撃しようとしたペストを引き倒す。ギフトで見えた未来によると、やはりペストはかすっただけで塵になっていた。

 

 直後、砲声一発。

 あまりの轟音に音が聞こえなくなる。耳がキーンとしていて、三半規管が狂っているのか、足腰がふらふらとしていた。

 

「……どいて」

「ああ、悪い」

 

 ペストが忌々しげに舌打ちする。彦一はふらつきながら立ち上がった。

 

「近付きさえすれば、殴り飛ばして破壊できるけれど……」

 

 パーヴェルは大砲の護衛に付いている。その腰に帯びている剣は飾りではないだろう。大砲の破壊を許してくれるとは思えなかった。

 足止めを食っている間に、ペストが砲撃を浴びてしまう。これで詰みだ。

 

 ならばどうするか。

 

(やるしかないのか。ナンセンスだが、これしかない)

 

 すでに彦一は黒死病で詰んでいる。あとはもう命の遣いどころだけだ。

 

 彦一は覚悟を決めた。

 

「あなた、何やって――っ、馬鹿じゃないの!?」

 

 驚愕していたペストは、すぐに彦一の意図を見抜いて追走する。

 

「来たか、テセウス! たかが異教徒の分際で、偉大なる神の十字架に逆らうとは身の程知らずにもほどがあるぞ!」

「どこに十字架があるんだよ。ただの大砲だろうが!」

「私自身が十字なのだよ。さぁ、磔刑を始めようではないか!」

「何様だ、貴様は! 人を裁くな! あなたがたが裁かれないようにするためである! あなたがたは自分の裁く裁きで裁かれ、あなたがたの量りで量られるであろう!」

「マタイの福音書か。……異教徒が」

「聖書に書かれているんだよ! ちゃんと守りやがれ!」

 

 瞬間、パーヴェルの顔から感情が抜け落ちる。大砲の照準が彦一に合わさった。

 

 直後、彦一の背に隠れていたペストが飛び出した。

 

 予想していたのだろう。パーヴェルの顔に驚きの色はない。

 腰の剣を抜き打ち、大砲の真上を取っていたペストに斬りかかる。

 

 刃を弾き飛ばそうとしたペストは、その刀身が燃焼しているマグネシウムのごとく輝いているのを見ると手を引っ込めてしまった。あの剣も何らかのギフトのようだが、今はそんなことを考えている場合ではない。黒死病に冒されて今にも倒れそうな彦一に、五百キログラムの砲弾が撃ち出される。

 

「だが、当たらない」

 

 結果はもう見えている。

 

『ウルバンの巨砲』の命中精度は、大雑把な目標である城壁にすら当てることすらできないほど劣悪だった。

 

 おまけに数時間に一発しか発射できない試作兵器だ。どんなトリックを使っていたのか、パーヴェルはこの一分間に二発も砲撃を行っている。砲身にガタが出始めているのに、狙いを付けるなどもはや不可能だ。

 

「だが展示会場はもはや風前の灯火だ。あと一発で完全崩壊するだろう。そもそも、狙いなど付ける必要はないのだよ。適当に撃っていれば勝てるのだからね」

「いや、それはどうかな」

「現実を見たまえ。私の剣は聖者の剣。十字軍の聖剣だ。病魔の化身ごとき、掠めただけで塵に還すことができるのだがね」

 

 魔王パーヴェルが侮蔑の嘲笑を浮かべる。

 

「……ライオンハート。獅子心王の愛剣をどうしてあなたが」

「何を訝しむ。ロードス島は十字軍の補給基地だぞ」

「いや、だから。そんなのは関係なく、あんたは勝てないって言っているんだよ」

 

 彦一にはもう見てしまっている。

 拍子抜けするほどの呆気ない結果が、目の前に横たわっていた。

 

「先ほどから一体何のことを――」

 

 パーヴェルの声にかぶせて、彦一が断言する。

 

「『ウルバンの巨砲』は次の砲撃で自壊する。展示会場は崩壊して更地が残る」

「それは、まさか」

「そう、引き分けだ」

 

 ペストがぽかんとした間抜けな表情になった。パーヴェルも同じだ。

 

 三人の間に、言葉にできない気まずい空気が流れていた。

 

 パーヴェルは無言で剣を納めると、砲身を壁に向けて石の弾丸を撃ち出した。

 展示会場が全壊するが、同時に砲身も折れ曲がり、反動で滑車が吹っ飛んで、鉄の塊がゴロリと床に転がり落ちる。

 

「……なるほど」

「ホスト失格ね、魔王パーヴェル」

「ふん。所詮は即興のギフトゲームだ。こんなものは余興に過ぎない」

 

 負け惜しみにしか聞こえなかった。

 

「決着は次の機会に付けるとしよう。それまで腕を磨いておきたまえ、テセウスと病原菌」

「お前こそちゃんとしたゲームプランを考えておけよ、狂信者」

 

 不機嫌そうに会場を去っていくパーヴェルを見送ると、彦一は膝から前屈みに倒れ込んだ。

 ダビデの星という魔除けの効果も、そろそろ限界のようだ。

 

「ああ、ちくしょう。結局どうにもならないのかよ」

 

 意識が沈んでいく。病魔に身体を蝕まれ、熱さと寒さで身体が壊れてしまいそうだ。

 まだ死にたくない。彦一は自分にそういう未練があることに驚いた。

 

「馬鹿ね、あなた」

「うるさい。元はと言えばお前の所為だ」

 

 重たげに目蓋を開けると、意地の悪そうな笑みを浮かべた斑模様の少女がいた。

 

「あなた、名前は?」

「夜行彦一」

「そう。彦一のような使える人間は、そう簡単に手放すつもりはないから。今はゆっくりと休みなさい。次に目を覚ました時、あなたは私の部下になっているわ」

「拒否権は」

「ないに決まっているでしょう?」

 

 ペストが笑う。

 

「だって私、魔王だもの」

 

 

 

 

 

 

 顔に何かが落ちてきて、彦一はやっと意識を取り戻した。

 

 気怠げに辺りを見回してみると、どうやらここは医務室のようだった。皮膚には死の斑点が浮かんでいる。抗生物質を投与すれば治るというものではないらしい。そりゃそうかと納得する。相手は魔王だ。

 

 となればペストの拡大を防ぐために、彦一は隔離されているはず。

 どうやら見舞いはなさそうだ。状況を把握するだけでも骨が折れそう――というか、しんどい。身体を動かす体力がなくなっている。

 

「ま、魔王が……魔王が現れたぞおぉぉぉぉ!」

 

 外から悲鳴が聞こえて、彦一は熱っぽい息を吐いた。

 顔に落ちてきたのは、黒い便箋である。おそらく魔王ペストによるギフトゲーム、その契約書類(ギアスロール)だろう。

 開封する気力もなく、彦一は首を振って封筒を払い落とした。

 

「……馬鹿野郎が」

 

 きっと人が死ぬ。沢山死ぬ。

 彦一を部下にする。そう言っていた少女は、少しだけ楽しげに見えた。

 

「……馬鹿野郎」

 

 彦一は目を閉じた。彼女と再会することは、もうないのだろう。

 

 

 

 

 




・今回
なぜかペストと共闘。ビターエンド風味。あとサンドラマジ空気。
というか二巻が終わってしまうよ…。どどど、どうしよう…。

・ペスト
「なんだこいつ? 病原菌に萌えなんてねぇよ」→「ペストタン(*´Д`)ハァハァ」

・パーヴェル
オリ魔王。たぶん魔王連盟からもシカトされてる。うざいからね。仕方ないね。

・ウルバンの巨砲
ペストへの対抗兵器。ぼっちさんが、あからさまにメタってきました。

・ライオンハート
この作品は「えふえふ8」ではない。装備しても「えんどおぶはーと」は使えない。

・コンスタンティノープル
現在のイスタンブール。世界遺産のハギアソフィア大聖堂は死ぬまでに一度は見てみたい。
どうでもいいけどEU3というゲームでビザンツ再興できると最高に気持ちいいです。
(再興と最高をかけた高度な以下略)

・ダビデの星
ヘキサグラム。厨二病が大好きな五芒星ではなく、こちらは六芒星。
いや六芒星も厨二病ご用達だったかな。
「急々如律令」と叫びながら五芒星を書いたことがある人がいるなら名乗り出なさい。先生怒らないから。

・次回(嘘予告)
やめて! ペストさんの黒い風で死んでしまったら、仲間想いのレティシア様が悲しんじゃう!
お願い、死なないでください彦一さん!
あなたがここで倒れたら、捕まってしまった白夜叉様はどうなるのですか!
ライフはまだ残っています。ここを耐えれば、もう少し二巻の内容を引き延ばせるのですよ!
次回「彦一死す」 ギフトゲームスタンバイ!

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