数時間後、夜行彦一は串焼きの屋台の前に立っていた。
客ではない。クレーマーよりも迷惑な存在かもしれない。
「ルールはオッサンが隠したコインのある場所を、三分以内に言い当てたら俺の勝ち。条件は『三分以内に見つけ出す』だから、俺が何回外しても敗北にはならずゲームは終了しない。つまりルールを利用したペテンでございます」
「え、マジで?」
「マジマジ」
はめられたー、と嘆いている屋台のオヤジ。
ちなみに猫耳のオッサンだ。オッサンの猫耳とか誰得だよマーケティングはしっかりやっておけよとか言ってはいけない。
「隠すための時間はそんなにない。派手に動き回れば嫌でも目立つからな。他の人に尋ねてはいけないというルールもないわけで、例えばそこの見物人に聞いてみるのもアリなのです」
「……ちくしょう」
これもペテンですと宣言する彦一に、猫耳オヤジががっくりと肩を落とした。
「でも俺はあえて一発勝負してみるぜ!」
「おお!」
見物人たちから驚きの声が上がる。
「多分おっちゃんはコインを処分している。身に帯びるのは危険だからな。ではどこに捨てたか。例えばそこの用水路とか、ゴミ箱とか。相手の裏をかこうとすればそうなるわけだ。では今回はどこに捨てたのか」
格好付けて解説しているが、これで間違っていたら失笑を買うのは間違いない。
もっとも結果は見えている。
屋台を取り囲んでいる野次馬の期待の目に内心で怯みながら、彦一は人差し指を突き出した。
「ずばり火の中です!」
「ちくしょぉぉぉ! 持ってけドロボウ!」
再び見物人たちから驚きの声が上がる。
串焼きの屋台。
真っ赤な光を放っている炭火から緑色の炎が漏れている。そのコイン、十円玉が燃えているだけである。
能力を使うまでもなく丸見えだった。いささか間抜けな結末である。
賞品に串焼き五本入りのパックをゲット。
肉汁したたる謎の肉に舌鼓を打ちながら、彦一の目は次なる獲物を探していた。
なお負けた時は一時間キャッチのバイト。無論タダ働きである。
「やべーよ、『箱庭の世界』楽しすぎる」
「あなたは何をしにこの世界にやって来たのですか!? ジン坊ちゃんは? 他の二人はどうしたんです!?」
次の獲物にロックオンして洋菓子店に突撃しようとした彦一の進行方向に、見た目十五歳前後のウサ耳少女が立ち塞がる。
「気付いたら居なくなってた。しょーがねーやつらだよなー」
「お馬鹿!? 黒ウサギはどこからどう見てもあなたに問題があると思うのですが!」
「お、逆廻。『世界の果て』とやらはどうだった?」
「面白かったとしか説明のしようがないな。言葉にするとどうしても無粋になっちまう。どうせなら自分の目で見てみたらどうだ?」
「気が向いたらそうするよ」
ウサ耳少女の斜め後ろ。
周りのものが物珍しいのか、興味深げに辺りを見物していた少年が、彦一の手にあった串焼きを一本強奪しながら答える。
ヘッドホンを首にかけた高校生らしき少年、逆廻十六夜。
一刻ほど前のことだったろうか。十六夜はこちらの世界に呼び出されてすぐに、拠点に案内するナビゲーターっぽいウサ耳少女に隠れて明後日の方向に全力疾走していた。
「黒ウサギたちが偶然通りかかっていなければ、彦一さんは迷子になっていんですよ?」
「……あ」
頭の片隅にも考えていなかったというような呟きに、怒る気力もなくなってしまった黒ウサギのウサ耳がへにょりと垂れてしまう。
「どうも、迷子の夜行彦一ですぅ。用法と用量を守って、えーっと、何だっけ?」
「夜行、殴っていいか?」
「YES! どうぞお好きに!」
十六夜の自己紹介を真似ようとした彦一に、十六夜は笑顔を浮かべて握り締めた拳の骨を鳴らしていた。黒ウサギがそれに乗っかろうとしている。
そんなこんなで噴水広場で他の三人と合流する。
この街は箱庭都市の一区画。天幕に覆われているのに空が見えるというファンタジックな都市は、東京ドーム何個分なのか計算するのも億劫になるほどの広大な面積を誇る。現在地の二一〇五三八〇外門という名称だけで、どれだけ広い都市なのかが理解できるだろう。
「彦一さん! よかった、見付かったんですね!」
ダボダボのローブを羽織った少年、ジン・ラッセルは黒ウサギに連行されている彦一の姿を確認すると喜びを見せた。
ジン・ラッセルが率いるコミュニティは名無し。『ノーネーム』は弱小だった。名前のないコミュニティは嘲笑や軽蔑の対象である。彦一たちはそんなコミュニティの現状を救済するために呼び出されたのだった。
東区を牛耳っていたコミュニティ『フォレス・ガロ』のリーダー、ガルドは子どもを人質に取りながら勢力を拡大していた。なおその子どもは人知れずガルドに食われていた。そんなわけで久遠飛鳥と春日部耀が喧嘩を売ってきた。がんばれ(棒読み)。
「待て」
『サウザンドアイズ』の幹部、白夜叉が彦一を呼び止めた。
黒ウサギたちが立ち止まる。白夜叉は「おんしらは先に外に行っとけ」と彦一以外を追い出した。
ギフトという異能の力を鑑定して貰うために『サウザンドアイズ』に赴いた一同。名無しのコミュニティ相手に商売なんてできないという店員にいびられたが、黒ウサギのおかげで何とか入店が叶った。帝釈天の眷属である月の兎をないがしろにはできない――だったか。セクハラ目的に見えなくもなかったが。
白夜叉。着物姿の白髪のロリ。趣味は黒ウサギへのセクハラ。
そんな表の顔とは裏腹に、東区の階層支配者。元魔王。
「春日部耀は勇気を示した。他の二人も挑戦する気概を見せた。だというのに、おんしは何をしておったのだ」
「ぼーっとしてるだけだったな」
「ふむ。自覚はあるのか。なら理解しておるな?」
彦一の手の中にあるギフトカード(贈り物用のそれではない)。
それぞれのギフトの名前が書かれており、さらにギフト専用の収納道具でもある。十六夜曰く素敵アイテム。黒ウサギもその認識でいいと太鼓判を押している。
彦一はしばらくギフトカードを眺めていたが、ふっと笑うとそれを白夜叉に投げつけた。
横向きにくるくると回転するそれは白夜叉の顔面に向かって飛んでいた。もし動かなければ眼球に直撃していただろうが、白夜叉はそれを難なくつかんだ。
気分を害して彦一を睨んでいたロリは、カードに書かれていた文字を見て目を見開いた。
「『終末の予言(アルマゲドン)』?」
「クククッ、俺すげぇ。厨二っぽくて超すげぇ。十四歳の妄想みたいな未来予知という能力。能力名はルビが振られた格好付けネーミング。ギフトカードの色はもちろんブラック! ……いらねぇよ、そんな黒歴史」
「こうあっさりと返されると釈然としないのだが、それでよいのか?」
「施しは受けねぇ――って偉そうに言えば、アンタは満足してそのカードを返してくれるんだろうが、やっぱダメだな。もう飽き飽きしてんだよ、そう言うの」
溜息を吐きながら踵を返す。
「やっぱこうなるよな」という感覚が常に付きまとっている。彦一には予想外が存在しない。だからこそ、この世界の招待に迷わず乗った。
「そうか。おんしはそこまで……」
「うわ、こいつ哀れんでるフリをしながら俺の予想外を狙ってやがる。うわー、キモいからマジでやめろよ。ひくわー」
「未来の私、何やってんの!?」
「ん、聞きたいのか? 本当にいいのか?」
「聞きたいけど聞きたくないというジレンマ!?」
白夜叉が叫んだ直後。――世界がぐらりと歪んだ。
ここは白夜叉の持つゲーム盤。頭上に白い太陽が輝く世界ひとつが白夜叉の領域だ。
生半可な干渉は受け付けないはずなのだが。
白夜叉が目の前から消える――という光景が見えてしまった。
未来は分岐する。
その手をつかんだ場合、つかまなかった場合。
景色がざあっと流れていく。瞬きに満たない一瞬の思考。
白夜叉の手を取れば、間違いなく面倒なことになる。
わかっていて、手を取った。考える時間はなかった。直感だ。
「――なっ、これは!?」
白夜叉の巻き添えになって彦一も消える。
契約書類(ギアスロール)文面
『ギフトゲーム名 『LABYRINTH』
プレイヤー一覧
東区に存在する子ども。七人の少年と七人の少女。
ホストマスター側 勝利条件
全てのプレイヤーを生贄に捧げる
プレイヤー側 勝利条件
怪物の打倒
全てのプレイヤーの迷宮からの脱出
宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。
ロードス騎士団アステリオス印』
目の前に、ひらりと紙片が舞い落ちる。
暗闇が晴れた時、視界に広がるのは陰鬱な通路だった。
天井には蜘蛛の巣が張っており、石の壁はヒビだらけで、ところどころ穴が開いている。
「これは、まさか魔王か!?」
「おいおい、マジかよ……」
ギフトゲームとは、ギフトという恩恵を用いて競い合うゲームだ。勝者には栄光と名誉が与えられ、敗者は逆に奪われる。有り体に言えばギャンブルである。
ギフトゲームは両者同意の下に行われるのだが、これに例外がある。
主催者権限(ホストマスター)。
ゲームを自由に主催することができる、ごく少数の者しか持たない特権。
この主催者権限を悪用する者のことを魔王という。
「まさかいきなり出会ってしまうとは、われながら運がない。いや、自業自得か」
「……夜行彦一。なぜ私の手を取った?」
「さぁ、何でだろうな」
言葉を濁しながら周囲を見回す。
前か後ろか。どちらにも命の危機はない。短期的にはだが。
「にしても『子ども』か。ガキが巻き込まれてるらしいが」
「童か。まさか私も……」
「ガキ扱いされたんだろうよ。ま、そんなことはどうでもいい」
どうでもよくはないと白夜叉が抗議しようとするが、今回も時間との戦いだ。
彦一たちがこうして突っ立っている間に、他のプレイヤーが命の危機にさらされているかもしれない。
「優先順位はどうする? 脱出を優先するとガキの捜索はついでになる。ガキの捜索を優先すると脱出できる可能性が減る。死にたくないなら後者がお勧めだが」
「どうせもう知っているんだろう、予知能力者」
「はいはい、わかりましたよお姫さま」
白夜叉を先頭に歩いていく。女の子(ロリ)を前に出すのはどうかと思うが、白夜叉の方が実力者なのだから仕方がない。こっちはギフト以外は貧弱な男子高校生だ。こんなことならカラシニコフを捨てていなければよかった。
「ちなみにマッピングはできてるか? 一度歩いた道を何度も歩くのは御免だぞ」
「まったく、注文ばかり多いやつだの。言い出しっぺの法則だ。おんしがやれ」
「……りょーかいっと」
直後、遠くから高い音色が聞こえた。何の音かと耳を澄ませる。
女の子の声。悲鳴だ。
「白夜叉!」
「うむ、わかっておる!」
互いの目配せは一瞬、同時に駆け出した。「右だ!」彦一は叫ぶ。十字路を曲がるために速度を落としている途中、彦一は息を詰まらせた。げほっと咳き込む彦一に、白夜叉が何をやっているのかと呆れるような顔をする。
――怪物がいる。
五秒後の光景。
身長二・五メートルの筋肉の塊。それが音もなく疾走している。
涙目の少女が腰をぬかしており、そこに割り込んで何かをしようとした白夜叉がミンチになっている。――駄目だ。元魔王のくせして使えない。
彦一は前を走っている白夜叉の首根っこをつかむと、後方に放り投げた。
「なっ! なにをする!」
抗議を聞き流しながら角を曲がる。
牛頭の怪物、ミノタウロス。
多くの創作物では中ボス扱いされていればまだ優遇されている方で、ほとんどは噛ませ犬、踏み台扱いされている悲しき存在。しかし目の前にあれば、まごう事なき脅威である。彦一など撫でられただけで肉片と化すだろう。
立ち向かう。ナンセンス。
ミノタウロスが振り抜いた左腕は、少女への直撃コース。
しかしそれは――風を切っただけだった。
彦一は少女を抱きかかえると、息を切らせながら叫んだ。
「白夜叉! 逃げるぞ!」
「逃げるだと? 太陽の主権十四個を有するこの私が、あのような畜生風情に遅れを……遅れを……あれ? なんで? 力が使えない?」
「いいから逃げろ! 考えるのは後だ! ぼーっとしてたらミンチだぞ、俺が言うんだから間違いない!」
「あ、ああ……」
背中に強烈なプレッシャーを感じながら全力疾走する。
だがすぐに追いつかれるだろう。怪物のスペックは段違いだ。この迷宮を己の庭のごとく駆け回っている。地の利はあちらにある。このままでは三人ともミンチ。
「やってられるか! こんなクソゲー!」
頭を下げる。それが正解だ。ただし一瞬だけのことで、その次には危機になっている。
頭上を通り過ぎる拳は回避できた。その拳がそのまま下に叩き付けられる。命中しないが地面を粉砕して石片をまき散らす。
背中に大小の石の塊をぶつけられて彦一は倒れ込んでいた。
(俺は、えっと……どうしたんだっけ?)
意識が飛んでいた。
身体を起こそうとするが、動かない。神経が寸断されているかのようだ。
「立ち上がれ! さっさと動かんか、小僧!」
怪物が拳を振り上げる。
「駄目! 駄目、ですっ!」
助け出した少女が彦一の背中に覆い被さった。
そんなことをしても二人まとめて死ぬというのに――いや。
ああ、見えてしまった。だから嫌いなんだ、こんな力は。
ミノタウロスが動きを止める。警戒するように後ろへ下がっていく。
やがてその姿が完全に見えなくなった。
「彦一!? 目を覚まさんか、彦一!?」
白夜叉の声がキンキンと響いて頭痛がした。
「えと、私はリリと言います。助けてくれて、ありがとうございました」
子どもである。彦一が助けた少女だ。
キツネ耳、着物を着ている。白夜叉も着物。着物率が高いなと内心で突っ込む彦一。
それから。
この場から動かずに彦一が回復するのを待つことになった。
原因がいまいち不明だが、あのミノタウロスが撤退した理由がこの場にあるとするなら、この場所は安全ということだ。
もしそうでなければ死ぬだろう。南無三。
彦一がぐったりしている間も、貴重な時間が過ぎていくわけで。
とりあえずブリーフィングをするという運びになっていた。
問題は幾つかあった。
「まず一つ目。白夜叉の力が使えなかったこと。詳しくは知らないが元魔王の力があれば、為す術もなくミンチにされるということはないはずだ」
「……挽肉か」
「ギフトが封じられているとすると、俺のギフトがそのまま使える点が気になるが」
彦一は横たわりながら目を閉じて思考する。
「俺は参加者ではない、ただの乱入者ってことか?」
「うむ。たしかに、少なくとも子どもと言えるほど彦一は幼くはない。つまり、こういうことか。私たちプレイヤーは『生贄という役割を押し付けられている』。そのため私の力もそれ相応の能力まで落とされていると」
「有り得るだろうな」
「あきらかに私たちに不利な仕組みになっているな。黒ウサギがいれば審判権限(ジャッジマスター)で審議に持ち込めるのだが、無い物ねだりをしても仕方がないか」
白夜叉が紙片に目を落としながら溜息を吐いた。。
「ゲーム名の『LABYRINTH』。これは名工ダイダロスが作った迷宮ラビリンスのことだろう。そしてあの牛頭の怪物はミノタウロス」
クレタ島のミノス王が牛頭の奇形児を産んだ。
ミノス王は海神ポセイドンから借りた白い雄牛の美しさに夢中になり、偽って代わりに別の雄牛を送り返していた。
ミノス王はポセイドンの怒りを買ってしまい、彼の妻に呪いがかけられる。その妻は怪物を出産することになる。
牛頭の奇形児は迷宮に押し込まれ、数年ごとに食糧としてアテナイ(アテネ)の若者、乙女をそれぞれ七人ずつが生贄に送られた。
最終的に迷宮の怪物ミノタウロスは英雄に退治される。
「ではミノタウロスが魔王なのだろうか。否。俺にはそうは思えない」
あれは猟犬だろう。せいぜいがゲームのための仕掛けだ。
契約書類にあるホスト側のコミュニティ名は『ロードス騎士団アステリオス』。
アステリオスとはミノタウロスの本名。ミノタウロスとは『ミノス王の牛』というあだ名だ。
アステリオスはわかる。だが、どうしてここでロードス騎士団が出て来るのか。
「ロードス騎士団。呼び名は色々あるが聖ヨハネ騎士団。病院騎士団。ホスピタル騎士団。マルタ騎士団。……ゲームとの接点がまったく見あたらないな。ロードスとミノタウロスがどうして繋が――」
「おい、彦一」
「なんだ?」
「どうしてそこまで伝承を知っておる?」
途端、彦一は口をつぐんで、痛みを堪えるかのような顔をする。リリが不安げな顔をした。
「あれは十四歳の頃だった」
「ごくり」
「俺は小説を書こうと思い立ち資料をかき集めた。今になって思えば、どうしてそんなことをしていたのか自分でもよくわからない」
将来は小説家かシナリオライターかとわくわくしながらネットに投稿した。
そのページは二度と開かれなかった。未来予知で読者の感想を見てしまったのだ。
――厨二病乙。
「そ、それは……」
「今だから言えるが、あれは自己満足以外の何物でもなかった」
彦一は遠い目をする。
白夜叉は愛想笑いを浮かべていた。リリも同じく。
その時に集めた資料(黒歴史)が彦一の推理に役立っている。
「ともあれ、これだけ考えてもあの怪物を倒す方法がさっぱり思い浮かばないな」
「……それにしても、あやつはなぜ格好の機会に下がったのだ? 他の場所で問題が発生したのか、あるいは何者かに呼び出されたのかもしれんが。となるとロードス騎士団というのがますます怪しくなってくるな」
「勝利条件は怪物の打倒。ロードス騎士団がまったくかすってない」
「高みの見物でもしておるのだろう。いいご身分だな。生贄の羊が逃げ回っている様を眺めるとは悪趣味にも限度があろうに」
全身の痛みは大分マシになっていた。顔をしかめながら身体を起こす。
リリが背中を支えてくれる。いい娘だ。
足下でカランと音がした。
「あ、ごめんなさいっ!」
「これは、包丁か?」
白い手ぬぐいで刃が巻かれている。
彦一の物ではない。位置関係から察するに、リリのものだろうか。
「あ、えっと、これはお料理中だったから……」
「だろうな。普段から刃物を持ち歩く物騒な娘だったら驚きだ」
「彦一、意地悪な言い方をするでない」
「皮肉っぽかったのは謝るよ。ん? ……これは、まさか?」
「彦一?」
「――っ、これか!?」
瞬間、彦一の脳裏に電流が走った。
半刻後、彦一たちは地面に膝を突いて両手を合わせていた。
ホトケ様が二つ。ほとんど原型が残っていない。人間としての尊厳が、どこにも見当たらなかった。
「……ひどいです。こんなの、あんまりです!」
「あと十人か」
白夜叉とリリで二人、さらにここで二人。
彦一はイレギュラーだからノーカウント。
これで生存者は十人。いや、すでに殺されている可能性すらあった。
唐突に残酷な現実を突き付けられて、彦一たちは気が滅入っていた。
「他の子どもたちが気がかりだ。彦一、そろそろ行くぞ」
「ちょっと待ってくれ。俺はここで方針の変更を提案したい」
白夜叉が立ち止まる。
振り返った彼女の瞳には、驚くほど色がなかった。
白夜叉は子どもの捜索を優先している。それを変更すると言うことは。
迷宮からの脱出を優先すると言うのか、白夜叉は見損なったと言いたげに、冷たい目をして彦一を睨んでいた。
彦一は臆さない。
先ほどからずっと考えていた。
それは英雄の行動だ。やり遂げられるとは思えない。不安にもほどがある。
だが、やる。そう決めた。
「リリ、包丁を貸してくれ。多分返せないけど」
「彦一! おんし、何をするつもりだ!」
「うるさいな。いちいち怒鳴らないでくれ」
白夜叉はついに怒気を露わにする。リリは困惑していたが、白夜叉の制止を振り切って包丁を差し出した。
ありがとうと小さく呟く。
「テセウスと短剣。それがなければ全員死ぬ。これはそういうゲームだ」
言い換えよう。
「プレイヤー側がほぼ確実に負けるようにできている。開始時に負けが確定しているという、反吐が出るほど理不尽なゲームだ」
言った傍からだった。
見えてしまう。接敵は八秒後。説明している暇はない。
ミノタウロスはここで二人の子どもを葬った。近くにいる可能性は高かった。
「おい、白夜叉! リリを連れてとっとと逃げろ!」
「ま、また逃げろと。彦一、後で覚えておれよ!」
「生き残れたら後でいくらでも聞いてやるよ」
「死ぬつもりか、馬鹿者が……」
白夜叉の声は小さく震えている。
その声がまるで泣き声のように思えて、彦一はひとり笑ってしまった。
あの白夜叉が、今日会ったばかりの小僧が死んだぐらいで涙するのだろうか。
するのだろう。
そこまで先は見えないが、多分そうすると彦一は思った。
(もっとも、死ぬつもりなんてないけどな!)
彦一は左足を蹴った。二歩の距離を右手に飛ぶ。
振り下ろされた拳は地面には当たらない。地面の破片をまき散らされていれば、その衝撃だけで彦一は吹き飛ばされていただろう。
だが、素手で地面を殴れば、やつにもダメージがあるのだ。
そもそも、やらないと言うことは見えていた。
彦一は包丁に巻かれていた手ぬぐいを解く。
「俺がテセウスだ。わかったらさっさとくたばれ、この牛野郎!」
アテナイのテセウス。ミノタウロス退治の英雄。
ミノタウロスの逸話を聞き及んで憤慨したテセウスは、周囲の反対を押し切って『生贄の中に紛れ込んだ』。
クレタ島でミノス王の娘アリアドネーがテセウスに恋に落ち、彼を助けるためにこっそりと麻糸の玉と短剣を手渡す。
ダイダロスが手がけた脱出不可能の迷宮から無事に出るために、テセウスは入り口の扉に結び付けた麻糸をそっと伸ばしながら迷宮を進んだ。
そして生贄たちはミノタウロスと遭遇する。
恐れ戦いて震える生贄たち。
テセウスは一人果敢に立ち向かい『短剣でミノタウロスを刺し殺した』。
あの時ミノタウロスが彦一たちに止めを刺さずに撤退した理由は、リリが持つ包丁と彦一というイレギュラー、二つの要素が重なっていたためだ。
目の前に自分を葬り去る危険があると判断したため、ひとまず退いた。
そして今回は、明確に彦一を始末するためにここにいる。
英雄(テセウス)以外の勝ち筋がないという理不尽な勝負。
(よくあることだ。あっちのカジノとかもそうなんだろ、よく知らんけど。ディーラーが勝敗を操作してると聞く。ならこっちのホストが勝敗を自由にできない理由はない。何より――)
相手は魔王だ。それぐらいの外道はやってくるだろう。
左右のワンツーを回避。ギリギリの綱渡り。
自分が死ぬビジョンはもう百回以上見せられている。
ボディプレスのような突進。股の下をかいくぐった。すれ違いに脛を斬る。
怒号。耳を塞ぎたくなるような怪物の絶叫を聞きながら、彦一は段々と笑い声を上げていた。そうすることでより怪物を激高させられるからなのだが、それ以上に何だか愉快だった。これはわかりきった結果を拾っていく単純作業ではない。百以上、いや千以上の選択肢を一瞬で選び取る命がけの勝負だ。
こんな経験は初めてだった。
忌々しい牛野郎だが、その点だけは認めてやる。この世界に来て本当によかった。
「あああああああぁぁぁぁぁ!」
彦一は雄叫びを上げながら包丁を突き出した。
「で、結局何だったんだ?」
「怪物を退治するだけの簡単なお仕事です。お前にとってはな」
十六夜はジト目で睨まれるのを気にとめず、面白そうじゃねーかと舌なめずりしていた。
あれから。
ミノタウロスに包丁を刺した彦一はそのままぶっ倒れ、気が付けば噴水広場でぶっ倒れていたらしい。それから白夜叉によってひとまず『サウザンドアイズ』の支店まで運び込まれた。一緒に転移していた他の子どもたちもだ。
これは後日談になるが『フォレス・ガロ』に拉致されていた子どもが混じっていたらしい。たった数人だが、救われないよりは、救われた方が断然いいに決まっている。ちょっとした善行というわけだ。
で、そこで。
目が覚めた時、彦一は膝枕されていた。そんなに嬉しくはない。見た目ロリで中身BBA、どうしろと言うのか。
「よく頑張ったな」と褒められたが、彦一はむっつりと押し黙るだけだった。
端的に言うと照れていた。褒められることに慣れていないシャイボーイだった。
さらにそれから負傷および全身筋肉痛でもう一歩も動けないと駄々をこねる彦一を回収するために、十六夜と黒ウサギが呼び出されたと言うわけだ。
「ところで魔王とはどのような方だったんですか?」
黒ウサギが頬に手を当てて考え込みながら呟いた。
「最悪のクソ野郎だったよ」
パチパチと拍手が響き渡る。
無機質な迷宮の中にあって、異様に渇いた音色だった。
「おめでとう! 三十五ゲーム目にして初めて現れた勝者よ!」
甲冑の金属がこすれ合うような音が、ぶっ倒れた彦一の頭上からしている。
首を曲げて見上げてみると、鎧姿の金髪の美青年が彦一を見下ろしていた。
すっと通った鼻筋。すべてを見下しているかのようなサファイアの瞳。
絶世の美貌は、作り物めいた笑顔がすべてを台無しにしている。むしろその美貌も相手の神経を逆撫でするためのものではないかと疑いたくなる。悪意の塊とはこういうものかと、彦一は思わず顔をしかめてしまう。
「あんたが主催者(ホスト)ってわけか。魔王のくせして騎士みたいな格好をしやがって」
「事実、騎士だよ。テンプル騎士団のような胡散臭い騎士だと思ってくれたまえ」
「マジで胡散臭せぇ……」
「で、聞きたいことは他にないのかね。勝者の特権を振りかざせる機会は今この時だけだぞ?」
お前の相手をしてやっているのは気まぐれだ、慈悲だ。目がそう言っている。
本当に、嫌な目だ。
「およそ五百人」
先ほどこいつは三十五ゲーム目と言った。
それが事実なら、それだけの子どもが犠牲になっている。
「なぜ殺した?」
「ああ、そのことか」
するとやつは、まったく悪びれもせず、今朝の朝食を語るような口振りで言い放った。
「異教徒だからだよ」
「……まさか。十字教を信じていない。たったそれだけの理由で」
「畜生を間引いただけではないか。そう声を荒げずともいいだろう。少し優しくしてやれば付け上がって反抗的な口を開くとは、君もやはり畜生だったと言うことかね」
価値観が古すぎる。まったくついて行けない。
つまり、こういうことか。十字教徒以外は人間ではないと。
「二つ目だ。ロードス騎士団は異教徒と戦って、ロードス島から叩き出された。その生き残りがクレタ島に逃げ込んでいる。ミノタウロスとはそこで合流したのか?」
「……これは。驚いた」
「ダンテの神曲『地獄編』ではミノタウロスは異端者を痛めつける獄吏だ。異端者と異教徒、それぞれ別個のものだが信仰の敵として混ざり合った。共通の敵を持つ二つが合流した」
結果、ロードス騎士団アステリオスというコミュニティが出来上がった。
「然り! まったくもって素晴らしい! 君が異教徒なのが残念でならないよ!」
褒められても、まったく嬉しくない。
段々と口を開くのも億劫になってきた彦一だったが、それを堪えつつ最奥に踏み込んでみる。
「これで最後だ。もしかしてアンタは『十字教徒の異教徒への憎悪そのもの』が形になった魔王ってことか?」
「マーベラス! 然り、然り、然り! わが名はロードス騎士団が団長パーヴェル! 誇りと赤地に白十字の御旗、絶えない信仰心を持つ、敬虔なる主の僕である!」
「あー、そう。異教徒狩りは楽しかったか、狂信者」
「まったくもって! 愉快極まりなかった!」
ああ駄目だ。ついて行けない。
口を閉じてしまった彦一に、パーヴェルは質問が終わったのだと判断したのだろう。
「では報酬を進呈しよう。謹んで受け取るがいい」
パーヴェルはミノタウロスから包丁を引き抜くと、それを彦一の眼前に並べた。
ふざけているのかと見上げると、パーヴェルは誇らしげに語り出す。
「これはすでにただの包丁ではない。怪物殺しのギフト、差し詰め『アリアドネーの短剣』とでも名付けようか。すなわち人間から怪物へと逸脱してしまった異形への対抗兵器である! 器はただの包丁だからいずれ折れるがね!」
「……はぁ、そうですか」
見た目はただの包丁。シュールだった。
返せないかもと断っているものの、それはリリから借りたものだ。
「ではまたの機会があれば、私を楽しませてくれたまえ! ハーハッハッハ!」
高笑いしながら去っていく魔王パーヴェルの後ろ姿を眺めながら、彦一は言っていいのか思い悩んだ。
騎士団という割にはパーヴェルひとりしか見ていないのだが、もしかして彼はボッチなのではないだろうか。騎士団(一人)ではなかろうか。
尋ねてみる。ナンセンスだ。
口を滑らせたら死ぬ。そういう未来が見えてしまった。
「狂信者とは、ついてませんでしたね。そのようなお方が魔王なのですか」
黒ウサギが言いよどむ。十六夜が心底楽しそうに笑っていた。
何こいつ、と気味悪がる彦一。
十六夜はニヤリとしながら。
「俺たちの方針を教えてやる。打倒魔王だ」
「……勝手に巻き込むなよ」
「つまらねぇことを言うなよ。とっくにお前は目を付けられてるんだ。逃げたくても逃げられないぞ。俺にはお前が現実が見えないただの馬鹿には見えないがな」
だとしたらお前は今ここにいない。迷宮で死んでいる。
そう言う十六夜に、彦一は苦虫を噛み潰すような顔をするしかなかった。
「彦一さん!」
「リリ、どうしたんだ。家に帰ったんじゃないのか?」
『サウザンドアイズ』の店先で待っていたらしいキツネ耳の少女が、彦一の顔を見ると、ぱっと笑顔を浮かべて走り寄った。
「先に帰っていいと言っておいたのですが」
黒ウサギが苦笑している。まさかと振り返った彦一に、黒ウサギが言う。
「夜行彦一さん。コミュニティ『ノーネーム』のメンバーを救出して頂き、改めましてお礼を申し上げます。いやぁ、初日から魔王の策略を破って子どもたちを救出するなんて、うぅ、前途有望な問題児でございますね。あははははは。……はは」
次第に声色が暗くなり、渇いた笑い声を漏らし始めた黒ウサギ。
ウサ耳がへにょりと垂れている。
「そっとしておこう」
十六夜の提案に、彦一とリリは異論を上げなかった。
黒ウサギを放置して帰路に就いた三人を、黒ウサギがちょっぴり怒りながら追いかける。
「まって下さいよー! みなさんー!」
ふと違和感を感じてポケットを漁ると、黒いギフトカードが入っていた。
(いらないって言ったのに、ったく)
リリの包丁をギフトカードに収納すると、彦一は空を見上げた。
天幕に覆われた箱庭都市の上空は、夕日で赤く染まっていた。
・本日のミノさん
「ぶもぉ(また噛ませかよ……)」
・明日のミノさん
「ぶもぉもぉ(だがやつは四天王の中でも最弱。ミノタウロスの面汚しよ!)」
・カラシニコフ
テロリストは他の銃も使ってるのにね。作者に知識がないからこれが出て来るんだよね。
ちなみに十六夜の台詞「まさかと思っていたが本物かよ」とは戦争を見に行ったことがあるから。
・猫耳オヤジ
萌えない。
・着物
萌えアイテム。
・白夜叉
駄神。ロリBBA。
なんで白夜叉メインの話になってるんだろう?
・白夜叉のコピペよろ
白夜叉!白夜叉!白夜叉!うわああぁぁぁぁん!
あぁクンカクンカ!スーハースーハー!
ぶっちゃけ改変するのめんどい。
・リリの包丁
素敵アイテム。魔王パワーが注入されてます。歪みないね。
・未来予知って最強?
未来予知できるアリは果たして最強の生物と言えるのでしょうか。
・ところでこれなに?
用語解説しようと思っていたら異次元と化していた。