ガゼフの潜む村の包囲は首尾良くいっている。包囲網を狭めて行き退路を断つ。そしたら、残るは詰みだ。だが相手はあの王国戦士長。油断はせずに慎重に戦う必要がある。
陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインは、部下とともに徐々に村までの距離を詰めていった。相手がなかなか村から出てこないことにニグンは訝しんだが、それならそれでもよい。村ごと消すまでだ。
この時、ニグンには余裕があった。
「ニグン隊長、少しお耳に入れておきたいことが……」
「なんだとっ!?」
しかし、その余裕は部下の一報で跡形もなく消えた。
◆
~ニグンが驚く十数分前~
常識的に考えて、ネズミを模った石像が独りでに動くことなどあるだろうか? 答えは否だ。
陽光聖典の隊員は急に村の一画から飛び出してきた、怪し過ぎるそれと対峙した。
「な、何者だっ! 貴様!」
隊員が叫ぶと、その石像はすーっとスライドしながら村から森へと離れていった。そしてその像に続くように、木箱、壺、仏壇が石像と同様の動きで村を出ていく。
呆気にとられていた隊員だったが……、
「まさか
もしあの変なものたちが
そう考えた隊員は、天使を攻撃に向かわせた。と、同時にぎょっとした。ネズミの像がこちらをじっと見つめているのだ。そしてその像から粒子状の何かが散り始め……。
気がつけば、彼の召喚した天使が消滅していた。天使のいた場所には、3本の矢のようなものが落ちている。
「な……に……?」
「ばばーん!」
軽快な女の声。
声を放ったのはネズミの像……だった漆黒の騎士からのもの。その両手にはいつの間にか弦が3つもあるボウガンが握られていた。それを見つめ、隊員は息を飲んだ。
『ドドドッ』
「がっ! (馬鹿な……俺の障壁が……)」
ガラスが砕ける様な音と共に、隊員の身体が仰向けに倒れる。彼の胸には3本の矢が刺さっていた。隊員の額からは大量の汗が流れ、口からは血が毀れる。
「よしっ、まずは一体!」
薄れゆく意識の中、隊員が最後に見たのは、漆黒の騎士と仏の御尊顔だった。
「貴公……」
ワイが兜の奥で眼光を鋭くした。彼の視線の先には、小さくなっていく敵兵の後ろ姿が……。
「わ、悪かったっすよ。次はもっとうまくやるっす!」
「いや、次とかもうないんで……」
呆れた声でクラーゲがぼやいた。
敵の仲間に、事の一部始終を見られていた。自分たちの存在はすでに敵全員の知るところだろう。
まったくどうしたものか……、とクラーゲは額を手で覆った。敵はこちらの存在をすでに知っている。もう奇襲は不可能とみていいだろう。
「ふむふむ……ややっ、男でやんすか」
シコシコが、死んだ敵の兜を外して言った。
「男だからどうしたというのだ?」
ワイが訊くと、シコシコは、
「ヨロイ殿が殺めたのが、女性でなくてよかったと思っただけですぞ」
シコシコのその発言に、クラーゲのイライラはピークに達した。
「……戻りましょうか」
努めて平坦な声で、クラーゲは3人へと言った。そして3人を一睨みすると、来た道を引き返していった。
■
よければ雇われないか?
というガゼフからの申し出に、スパルタカスは内心で、
(キタアアアアアアア!)
と、歓喜の雄たけびを上げていた。
この世界での己の立ち位置は、身元不明の放浪者。このような肩書では社会の中に溶け込むことはできないだろう。だが、戦士長に雇われている身となれば話は別。この国での情報収集がしやすくなるはずだ。
しかし自分だけが抜け駆けしてしまっては、他のプレイヤーたちから反発が出るだろう。それはなるべく避けたいものだった。
「戦士長殿、それは私だけに対してでしょうか? それとも――」
「無論、貴殿ら全員だ。しかし、そうなると一人ひとりの報酬は低くなってしまわれるが」
「具体的にはどのくらいで?」
乗り気なスパルタカスの質問に、ガゼフは口元を緩めた。
「今は持ち合わせがない以上具体的な数字は言えぬが、貴殿らが等分しても納得するだけの額……とだけ言っておこう」
「ほお……」
スパルタカスは顎に手を当て、熟考している体を装った。本当はガゼフからの提案は願ったりかなったりで、返事は無論『YES』なのだが、仮とはいえリーダーをやっている身だ。
スパルタカスは、偵察へ行った4人以外を招集すると、全員にガゼフからの申し出を伝えた。
「人数分わけることになるが、戦士長殿は望む金額を出してくれるそうだ。俺は提案に乗ろうと思っているんだが、皆はどうだ?」
そう言ってプレイヤーたちの顔を見回す。すると、周囲が色めき立った。
「いくら位貰えるんだろうな?」
「一生遊んで暮らせる額だったら、俺、この世界の風俗で一生暮らすわ」
「母ちゃん、俺、やっと仕事見つけたよぉ!」
「何とかセイテンってやつ倒したら、たらふく飯食いてぇぜ」
「俺、マイホーム建ててー」
各々が言いたい放題言っていると、スパルタカスは手を大きく2回叩いて、プレイヤーたちを黙らせた。
「それでは皆、答えを聞かせてもらおう」
スパルタカスがもう一度プレイヤーたちを見回すと、彼らは全員が首を縦に振った。
「……決まりだな。御助力感謝する、スパルタカス殿」
ガゼフは窮地の状況から一転しての、大幅な戦力増強が出来たことに、自分はまだ運に見放されていないと喜んだ。
「いいえ、こちらそ。身元不明同然の我々を雇っていただき、感謝の言葉もありません」
二人の台詞に、ガゼフの部下たちから「おおー」という歓声が上がる。彼らはプレイヤーや陽光聖典らと比べれば弱者ではあるが、栄誉ある王国戦士長の配下の戦士だ。戦力眼なら多少はある。彼らはプレイヤーたちが只者ではない戦士であることは、ひしひしと感じていた。
「騒がしいみたいだけど……、何かありました?」
扉が開き、クラーゲが顔を出した。彼女は不機嫌そうに米神を押さえると、置かれている椅子にどかっと座った。続いて、ワイたちも民家の中へと戻ってくる。
「おお、クラーゲ殿。その件に関してはそちらの報告の後にでも。して、如何だったか?」
ガゼフが少々控え気味に問うた。するとクラーゲは、深いため息をひとつし、
「……失敗した」
「なにっ!?」
ガゼフは驚愕した。彼にはクラーゲほどの者が、偵察をしくじるとは思えなかったのだ。
(六色聖典……私が思うよりも強大な敵なのやもしれんな)
「いや~、失敗失敗」
ガゼフの背後にいたヨロイは、そう言いながらクラーゲの隣に腰掛け、漆黒の兜を脱ぎ去った。黒の中から現れた眩い金に、ガゼフたちは目を細め、感嘆の声を洩らした。
「まったく……」
感動をしている王国兵士たちをよそに、クラーゲは腕を組んで足をトントンと鳴らした。彼女はきっとヨロイを睨みつけると、
「貴女、全然反省してないよね?」
がたんっ、というけたたましい音を立ててクラーゲが立ち上がった。
「うぇっ……、な、何すか、突然……?」
眉間に皺を寄せるクラーゲに、ヨロイは怯えた顔をして上体を引いた。
一触即発の状態だ。この二人が強いと知っているスパルタカスと強いと思っているガゼフは、このまずい状況に冷や汗をかいた。だが、クラーゲはヨロイを少し睨んだだけで、再び椅子へと乱暴に座った。
(くっそ! くっそ、こいつの顔可愛過ぎんだろ! どうやって作ったし!)
ヨロイの顔がストライクゾーンのど真ん中だったため、クラーゲは途中で気恥ずかしくなってしまい、怒るに怒れなかった。彼女は再び視線をヨロイへと向け、すぐに視線を反対側へと向ける。凄んでおいて、何も言えなかったのが気まずくもあり、恥ずかしい。自分で耳が熱くなっているのを、彼女は自覚した。
クラーゲは外していた白王の冠を頭につけると、出口へと向かって歩き出した。彼女の行動を不審に思ったガゼフが声をかける。
「クラーゲ殿、一体どこへ?」
その声にクラーゲは扉の前で止まり、振り返った。
「王とは常に、孤独なものなのだよ(ソロプレイしたい)」
などと言ってクラーゲは民家から出て行った。
本来なら止めるべきなのだが、ガゼフは彼女の言葉、その意味する所に動揺を隠せなかった。
(王……だと? 彼女が王? だがしかし、彼女がどこかの異国の王ならば、この者たちの強さに説明がつく。おそらく、兵を統率するスパルタカス殿が私と同じ戦士長かそれに近しい身分、そしてワイ殿ら3人が側近なのだろう。一応、スパルタカス殿に確認をとるか)
ガゼフは大きな勘違いをしたまま、それが正しい見解だと思い込んで口を開いた。
「スパルタカス殿、クラーゲ殿が王と言うのは……」
「忘れてください、忘れて差し上げてください」
スパルタカスはすかさずフォローの言葉を紡ぐ。クラーゲの発言は彼にとって予想外だった。ある程度は常識人(MODを使用しているのは置いといて)だと思っていた彼女が、まさかの患者さんだったのである。
だがスパルタカスのフォローは意味をなさず、勘違いは広がっていく。
「なっ、なんとっ!」
ガゼフは自身の予想を確信に変えた。
(忘れろということは、それだけ先ほどの彼女の発言が危ういということ。やはり彼女は王なのだ。確かスパルタカス殿はドラングレイグという国から来たと言っていたな……、聞いたこともない国だが……。っ! まさか亡国の王か?)
「あの……ガゼフ殿、先ほどのこと。本当に忘れて差し上げてください」
念を押して言うスパルタカスに、ガゼフは事の重大性を理解した。彼はスパルタカスに、
「誰にも言いませんとも、もちろんその事は部下にも徹底させよう」
と、真剣な表情で訴えた。
(うわ、この人絶対勘違いしてる)
これ以上何か言うと、余計新たな勘違いが起きそうな気がした。そう思ったスパルタカスは、作戦について話し合いましょう、とこの話を切り上げて平原にいる陽光聖典を一瞥した。
▲
天使を一撃で葬るクロスボウ持った
部下の報告を受けたニグンが驚いたのは一瞬。今はその危険な敵の分析へと思考を割いていた。無論、包囲に関しても抜かりはない。
「面妖な……」
今回の作戦は完ぺきなはずだ。ガゼフは本来の装備ではなく、配下の者も少ない。それに対して我らは万全の状態であり、しかもかの主天使まで奥の手として持っている。負けるはずがない。
はずがない、とは思うのだが確信が出来なくなってきた。
なぜこんなにも嫌な胸騒ぎがするのだ? ニグンは村から急に現れたという漆黒の騎士の存在に、大きな不安を抱き始めた。